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[12 3 月 2010 | No Comment | | ]

ずっとずっと昔、「岸辺のアルバム」というTVドラマがあった。若い人はまったく知らないと思うのだけれど。アラ筋はいわゆる新興住宅街(番組では多摩川沿い、田園都市沿線エリア)を舞台に崩壊してゆく家族の物語だった。ドラマのエンディングはたしか多摩川の決壊で、岸辺(川の土手)にたたずむ家族たちのシーンだったように記憶している。これはこれでその後の風潮や時代性(中流階級幻想とその崩壊?)を先取りするような良いドラマ(脚本は山田太一)だったと思う。岸辺ということでたまたま思い出して書いたままで、本題とはまったく関連のない導入になってしまったようです。ご免なさい。(最初から横道にそれてしまいました。)
実は今回はちょっと「デジタル」ということについて改めて書いてみたいと思っています。製品を作る側からとその需要を探し出す=マーケティングからみての、二通りの視点で捉えた場合のデジタル時代の難しさ、タフさについて。作るという立場からみた場合、アナログとデジタル製品の最大の違いは何か。よく言われていることで、あえて今更確認するまでもないかもしれないが、ひとことで言えば、デジタル製品になればなるほどアナログよりも差別化しにくくなる、ということに尽きるだろう。
デジタル(言うまでもなく0か1の世界)はどこまでいっても金太郎飴みたいなもので、それを寄せ集めても他の製品との違いを出すことが難しいということ。だからデジタル化のことをテクノロジーの農産物化と呼ぶ人もいるようだ。つまりそれだけ作りやすくなったという意味(実際の農作物が作りやすいかは別にして)。デジタルはアナログ表現のような諧調表現(グラデーションの世界、諧調やゾーン(幅)でしか示せない?)とは基本異なる。極端な言い方をすればそこでは日本企業が得意としてきた微妙な調整(ファイン・チューニング)みたいなものがほとんどいらず、デジタル対応の部品をつないでただ製品にすればよいという話になる。
したがって製造の観点でいえば、垂直統合(何から何まで自社で抱えて生産する)ではなく、水平分業(私=設計する人、あなた=作る人というように分けて行う生産の徹底)がより適しているというわけだ。それだけ大量に作り、規模のメリットを享受する必要性も高まることになる。このパターンは米国(ファブレス、設計に特化)と台湾を中心としたアジア勢(生産)が得意としている分業の領域で、この世界の競争では日本は完全に遅れつつある。というよりも、垂直統合にも未だこだわりを捨てきれず、どっちつかずの中途半端な状態と言えようか。いかにも日本らしいが。
さてではマーケティングはどうか。正直根拠があるわけではないけれど、なんとなく直感的に思えるのは、ひとことで言えばこれも経験則に基づいたようなマーケティングがあまり成り立たず、いかに先読みするか、イチかバチか的な当たり外れに賭けるような色彩がより際立つことになる、と言えそうな気がする。
こうしたマーケティングではかえって過去の成功体験は目を曇らせることになりがちで、むしろ過去にとらわれない発想がより求められるかもしれない。製品の性能さがあまりないため、いかに安いか、そのときの需要にフィットしているか、ブランド名が浸透しているか、大量に出回っているか、それが皆に急速に広がりつつあるか、などなどのムーブメント次第の構図がより強まる、ともいえようか。どちらにせよ、たぶん年功者や成功体験者の経験知などはあまり必要とされず、かつてのストックによる知見が効かない。ある意味では場当たり的、その場をしのぐフローが肝要。薄型テレビの展開じゃないけど、ますますフラット化して奥行きのいらない社会が要請されてゆくことになるのだろうか。欲望の先読みが過大視され、経験が希薄化してゆくような社会の到来。
こうした動きが金融をまきこんである面だけ先行加速していったのがそれこそリーマンショック前の一部の趨勢だったようにも思う。そしてリーマンショック以後を見ると、さすがにフロー一辺倒のような動きにも多少見直しが入りつつあるようにも思える。だが一度加速した動きがほんとうに巻き戻されるかどうか。人は昔とった杵柄がなかなか忘れられないものだ。
人は経験によって学ぶとはよく言われたきたことだ。だが、経験によって学ぶことができなくなったらどうなるか。当たり前のことだがいつも未知のことばかりに追われることになる。これはとても疲れるし、疲弊する。経験とはその意味で人の防波堤になってくれるありがたい面もあるわけだ。だが時代はやっぱりそうした経験というものを離れて、ますます漂流しつつある、ようにも思える、おそらく。
デジタルの岸辺ではこれからもたぶん既存の多くのものが毀れ、従来の勝者をふくめて崩壊してゆく。それはそれでいい。岸辺のアルバムじゃないけど、壊れるものはやがて壊れるのだ。そしてそんなデジタル時代をむかえて、世界の中での日本の立ち位置はますます難しいものになってゆくだろう。
そういう流れのなかで個人的にはアナログへのノスタルジーはあるとしても、アナログそのものの復権を叫びたいとは思わない。ただ時代遅れの周回遅れとして、ぼくはまだ無駄な奥行きと配置にはこだわりたいと思っている。ちょうどいろんな神社でみた奥行きみたいなものに。元々生まれてきたこと自体がアナログだし。
そんなことを書いていたら、携帯が鳴った。
「もしもし、もしもし・・・・誰ですか?」
その声には聞き覚えがあった。それを思い出した。その独特の抑揚、調子、等々。
人の声と思い出すという営みはまぎれもなくアナログだった。
「いやぁー、久し振りだねぇ・・・・どう元気?」
よしむね

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[11 3 月 2010 | 2 Comments | | ]

陳舜臣の「蘭に思う」の中に「南京の雑踏で考えた日本人と中国人」というエッセイがある。
この本は、1970年代の前半に書かれたもので、このエッセイは1973年のものだ。
その中のこんな記述に目が留まった。
中国のまちの雑踏には、日本の雑踏にあるおなじみのものがない。その欠落が、スカみたいなかんじを生むらしい。(中略)
そのなじみのにおいがない。それが何であるか、旅行の半ばになって、やっとわかった。それは生存競争のにおいなのだ。
いろんな意味でも競争を戦わねば生きて行けない。そのために日本の群衆には、一種の緊張感がある。中国の雑踏に抜けているのはそれであった。
仲間を押しのけてでも前に出ようとする気迫が、対人関係の中に生まれにくいのが、中国の現状である。
今から40年前の中国の様子である。
しかし、おそらく現代の中国は、これとは全く違う様相なのだろうと反射的に思った。そして逆に、今の日本がこの状態に近いのかもしれないとも思った。
日本はいつの間にか、競争というものを忌避するような風潮になってきたようにも思えるのである。
40年かかって、中国は共産主義から資本主義へ、日本は資本主義から社会主義へといつの間にか、その立ち位置を入れ替えてしかったのかもしれない。
僕はこれからの日本の進む道は大きく二つあると思っていた。一つは、規制緩和=小さな政府=他国との競争の道。そしてもう一つは、高福祉=安心安定社会=しかし停滞の道である。
民主党が問題なのは、実際は二つ目の道を行こうとしているのに、口では一つ目の道を主張しているところである。どちらかにしてほしい。
子供手当てにしても農業補償にしても、競争しなくても生きていけるような社会への道に通じている。排出ガス規制も、事実上、産業の発展の足を引っ張るのは目に見えている。
一方で、生活保護世帯も130万を超えたというニュースもあったし、若者が消費しないという話もよく聞く。
おそらく、多くの国民も、どちらに行けばいいのか、その判断に迷っているのではないだろうか。しかし、多分、どちらに行くにしてもイヤなのだ。そして、出来れば考えたくない問題なのだ。
それは、ストレス社会にするのか、貧しい社会にするのか、といったような負同士の選択のように感じてしまうからだ。
僕にしても、少し前までは、日本は世界に伍して行くべきだと当然のように思っていたが、最近は、二つ目の道でもいいのかぁと思うこともある。
半分鎖国して、人口も減って、エレベータとかエスカレータもなくなって、自動車に乗る人も少なくなって、夏のクーラーが昔話になる。昔のように寿司は一年に一度の贅沢品となる。つまり、物質的価値から一線を引くこと。
特に、雨の日なんかにはそんなことを夢想する。冬は家で蒲団に入っていればいいかと思ってしまうのである。
まさむね

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[10 3 月 2010 | No Comment | | ]

先日六本木ヒルズの森美術館で展示されていた「医学と芸術展」を観に行ってきた。目的は日本画家の松井冬子さんの新作の絵(松井さんの絵はおどろおどろしいがやっぱり凄い)を見ることが主だったのだが、休日の夜遅くにもかかわらず意外にも館内は盛況で、若者たちが結構多かった。翌日が最終日であったせいか、六本木という場所柄デートのついでに観る人たちが多かったからなのか、よく分からないのだが。
堅苦しいようなテーマだけからはとても積極的に観たいと思うようなものでもないように感じられるのだけれど・・・。展示されているものの多くはといえば、人体解剖図だったりそのサンプル見本だったり、医学に使われた施術具だったり、臨終の御写真だったりした。最初からそれが分かっていればぼくは来なかったかもしれない。この人の多さは何なのだろう、いつもこんな風に多いのかな。現代の若者たちがほんとうにこういう企画を求めているのだろうか。
若者たちの多さに触発されて、以下に現代若者の心性について勝手に推察した感想を徒然なるままに「かもしれない」文で書いてみたい。
・けっきょくここで取り上げられているもののひとつは死ということなのだが、現代の若者は死に惹きつけられているのかもしれない
・死を終わりと考えれば、けっきょく終わりからしか何も考えることができない時代になってしまっているために、若者たちは終わりに惹きつけられているのかもしれない
・人体解剖図とか施術具とかどれも即物的で具体的なもの。若者の多くが即物的なものしか信用できなくなっているのかもしれない
・即物的なものにある種の安らぎを感じるのかもしれない。あまりにも不定形で不確かなものが多すぎるので、それが筋肉や骨格のようなものであれ、まさに具体物を求めているのかもしれない
・別に「医学と芸術展」を観に来たのにはたいした理由はないのかもしれない
・でもたいした理由もなく、ここまで観にくることはあり得ないかもしれない
・でもこうやって書いてきて、これは現代若者の心性にとどまらず、けっこうぼくら一般の現代人=老若男女の心性にも通じるものでもあるかもしれない
 そんな風に思えてきた。そんな風なことをふと思い始めたのだった。
よしむね

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[9 3 月 2010 | No Comment | | ]

先週、ずっと昔にいた会社の社長に会いに行った。
僕はその日は、朝から緊張していた。
そのオフィスは外苑前にあるのだが、恵比寿からタクシーに乗った。今の会社の社長と一緒だ。
タクシーの運転手は、新人(といっても高齢)だったらしく、恵比寿から外苑前に行くのに、なぜか、六本木にまで、行ってしまった。
最近、こういう運転手さんは多い。一番ひどかったのは、六本木交差点で拾ったタクシーの運転手がいきなり「ここどこですか」と聞いてきたときだ。あのときは、目の前が真っ白になった。
それはともかく、その運転手は六本木から引き返すようなかたちで外苑前に向かった。ということは、青山霊園の中を突っ切るコースを通ることとなった。
いつもだったら、イライラする場面だが、その日に限っては、明らかに、心の中にその昔の社長に会う時間が延びたことに少し安堵感を感じていた。
しかも、青山霊園は僕のホームグラウンドである。僕を若干でも、なごませて落ち着かせてくれた。
タクシーの運転手が道を知らないというのも、たまには、いいこともあるのだ。
そして、そのオフィスに入った。昔の社長と面会した。社長は満面の笑みで僕を迎えてくれた。
僕は緊張して、今の会社の会社案内の裏面を出してしまった。
今の会社の社長が、冷静に「逆です」と言って直してくれた。
昔の社長は、「相変わらずだな」と言って笑った。
場が少しなごんだ。
そういえば、僕がその昔の会社に入社したのは今から16年以上も前の話だ。
その頃、僕は、プログラマをやめて、2年くらい、学生に混じって素人演劇をやっていた。ようするに、プー太郎だったのだ。
その会社の面接で何を話したのかなどは、緊張していてあまり覚えていないが、向こうに社長も含め、5人位の面接官がいたことは覚えている。
しかし、34歳の僕は何故か、その面接に通り、入社させてもらえることとなった。
いくら時代がバブルの余韻残る頃とはいえ、34歳のプー太郎をいきなり課長で入社させてくれる会社というのも凄い。
後で考えれば奇跡的なことだ。
実は、その頃の僕は社会人としても全く非常識で、ファックスに「いつもお世話になっております」というヘッダーを入れることすら知らなかったのだ。(当時はメールはなかった。)
後で聞いた話だが、取締役達は全員反対したのだが、その社長だけが「あいつは笑顔がいい。人間、ひとついいところがあれば、いいんだ。」ということで採用してくれたとのことだった。
それでも、僕はその会社で必死に働いた。休日は年に5日位しか取らなかったと思う。でも、もともとそれほど優秀なほうではない。それほど、必死になって仕事をしたのに、残念ながら結果はあまり残せなかった。それに、いろんな人に迷惑かけた...
その社長は厳しい人だった。よく、いろんな人に怒っていたが、何故か僕は一度もその社長に怒られたことはなかった。
子供の頃にやった、鬼ごっことかで、捕まっても鬼にならなくてもいい子(多くの場合は小さい子)のことを「お豆」と言ったが、僕はその会社では「お豆」だったのかもしれない。
僕は、よく社長室に呼ばれた。「ヤバッ、今度こそ怒られるかも。」と思っていくと、逆にニコニコしてその社長は、僕にいろんなものをくれた。時計、ズボン、カシミアのコート、シャツ、とにかくそのあたりにあるものを何でもくれたのだ。そして次の日からそれを着て会社に行く。社長に会うと、社長はまたニコニコしてくれるのだ。
実は、それには裏話があった。僕がある日、社長のPCをセットアップするために、お宅にお邪魔したところ、あまりにもみすぼらしい格好をしていたということで、社長は、お嬢様達から、「パパ、あの人にちゃんとお給料あげているの?」と逆に攻められたというのだ。
それで、社長はそれ以来、僕にいろんな現物支給してくれるようになったというのだ。
ウソのような本当の話である。
しかし、そんなによくしてもらったにもかかわらず、僕は不義理にも、3年位で、その会社を辞めてしまった。
そして、僕はそれからいろんな経験をして、今、50歳になった。あの当時と比べればだいぶ、仕事も出来るようになったし、社会的常識も身についたと思う、多分。
そして、僕は16年ぶりにその社長に再会したのである。
その瞬間、僕の心は直立不動、16年前の、何も出来なかった昔の自分に戻ってしまったような気がした。
僕は今の社長と昔の社長がビジネスの話をしているのをただ、ボーッと横で見ているだけの状態になってしまった。
その間、こんなことが頭をよぎった。
おそらく、人間が成長するということは、いろんな知識を得るということ以上に「成長した自分を自然に演じられるようになる」ということにすぎないのかもしれない。
人は、30歳になれば、30歳としての自然な演技できるようになり、50歳になれば、50歳の演技が出来るようになる。それだけの話ではないのか。
確か、小林秀雄は、「人間というものは、ボーっとしていれば常識は身に付くものだ。」というようなことをどこかで語っていたような気がするが、まさしく、無意識的に自然に振舞えるというのが成長ということなんじゃないのか...なんていうことを考えていたのだ。
まさに、人間(ビジネスマン)失格だ。
そうこうしているうちに、ミーティングは終わった。
「いろいろとありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」僕は頭を下げた。
昔の社長は今の社長に向かってこう言った。
「こいつをよろしくお願いします。」
そして小声で訂正した。
「あっ、そっちの会社のほうが長くいるんだっけ(笑)」
おそらく、昔の社長にとっても、僕は昔の僕だったのだし、僕と会った瞬間に、16年前の社長に戻っていたのかもしれないと思った。
お互い様だ。
最後に僕は、その昔の社長の前で、笑顔を作った。
あの面接のときに見せたであろう、例の笑顔は出来ていただろうか...と後で思った。
まさむね

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[8 3 月 2010 | No Comment | | ]

今週の土曜日の診察では、ドクターから先月、受けたCTスキャンの結果の説明があった。
写真を見ながら、説明してくれたことによると、以前に比べて肝臓が大きくなっているらしい。
それは肝臓肥大とかいう不気味な状態ではなく、C型肝炎のウィルスによって機能が半ば不全になった以前の肝臓部分とは別に新しい部分が成長してきて、なんと脾臓をも包み込んでいるというのである。
よくわからんが、これは悪いことではないらしい。それどころか、僕の体は頑張っているということらしい。
何ヶ月か前まで投与していたインターフェロンで逆にボロボロになってしまった顔の皮膚もようやく正常に近い状態になってきた。
しかも、1週間に一度のネオファーゲンは一回320円(自費)ということで、安価でもある。
インターフェロン投与時は一回、一万円もしていたのに比べて財布にも優しい。
ただ、C型肝炎とは一生、付き合っていくという覚悟の上での話である。
それも悪くない。昔みたいに、がむしゃらに働くことは出来ないが、そこそこの余生を送れそうだ。
まさむね

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[7 3 月 2010 | 3 Comments | | ]

今週の土曜日の病院もいつもと同じように待たされた。
病院に着いたのが7時半、診察が始まったのが9時。そして僕の番が来たのが11時20分。そして終わったのが11時半だ。
もう慣れたとはいえ、この待ち時間は本当になんとかならないものだろうか。
しかし、そんな退屈な時間にも、楽しみはある。「病院の待合室では、時間が余にもゆっくり進むという話」のあの夫婦の会話がまた聞こえてきたのだ。
しかも、今回は僕の席の隣に座っている。視線は向けられないが、僕の耳はすでに大きくなっている。
今日はどんな会話が飛び出すのか、そこに神経を集中した(ちょっと悪意のある僕)。
まずは、おばあさんがいつものように優しくおじいさんに話しかける。
「今日は沢山の人がいますね。」
おじいさん、おばあさんの言葉が聞き取れない。
「えっ!なんだ??」
そしていつものパターンに入っていく...
「だから、今日は沢山の人がいますね。」
「えっ!なんだ??キョウ・リョク・シャ?」
「いえいえ、今日は沢山の人がいますね。」
「えっ??ヘビ?」
おじいさんの頭の中は相当混乱しているらしい。そして一言吐き捨てた。
「お前の話はいつも言語不明瞭でわからん。」
僕は何週間に一回、会話を聞くだけだからいいが、この夫婦はほとんど毎日、このようなやりとりをされているのだろうか。
それは本当に大変なことだ...
ところが、二人はその後、何事もなかったかのように、黙って座っている。
そして、しばらくしておじいさんがおばあさんに、今度はニコニコしながら話しかけた。
「そういえば、昨日、面白い夢をみたぞ。」
「なんですか?」
オ~、、このおじいさんだから、さぞかし面白い夢でもご覧になられたのだろう。勿論、隣の僕も興味津々で耳をそばだててしまった。
「この病院にものすごく大きな...」
「.........」
おじいさんはいきなりマッたりとしてしまい会話をやめてしまったのだ。
オイオイ、終わりかよ!大きな何がどうしたというのだ!僕は気になって仕方が無かった。
そして、ついに隣のおじいさんの姿に目をやってみる。思わず見てしまったというやつである。
すっするとなんと、僕と同じ柄のオーバーを着ているではないか。しかも、手の部分が茶色くなっているのも同じだ。
つまり、僕とそのおじいさんは、客観的に見たらカブッていたのだ。
多分、全く知らない人が見たら、おばあさん、おじいさん、そして僕は三人セットに見えるに違いない。
あ~、そこからの待ち時間は、さらに長く感じられたのであった。
まさむね

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[5 3 月 2010 | 3 Comments | | ]

先日、保険コンサルタントの友人から加入している保険の診断を受けた。その話は置くとして、彼自身は営業コンサルでよく人に会うので最近の景況感を肌身で感じるそうであるが、やはり現在の状況は依然としてとてもヒドイ状況ではないか、と言っていた。久し振りに会った人で失業中の人もいるという。その彼とは以前同じ職場だったのだが、当時の会社で外注の仕事を続けていた幾人かの人たちが昨年まとめて首を切られたとか。ぼくの知り合いにも業界を問わずいまだ失業中の人は多い。
保険コンサルタントの上記友人T氏と同じ職場にいたのは今からちょうど20年前くらい。そのとき働いていた人たちが今失業中ということになるが、20年後に失業するなんて誰も予想していなかっただろう(だいいちそれは予想することではないが)。最近よく聞くが、給与水準とかをふくめてほぼ20年前の水準に逆戻りしているという。
20年かかって振り出しにもどったことになるが、これは単純にいえば20年かかっても給料が増えなかったともいえるわけで、サラリーマンからすれば辛い話だ。
キャッシュの状況がそうだとして、ではアセットはどうかというと、ローンで購入した住宅物件の資産価値が確実に目減りしている。両方から攻められているわけで、非常に厳しいというのが日本のわれら勤め人の状況か。借金に頼っている国力のポテンシャルも同じようなもの。
20年かかって何が変わったのか、変わらないものは何だったのか。本当のところ、誰も正確に答えることなどできないだろう。その友人T氏と会って別れた後に、彼からメールが送られてきて、「ラーメン二郎」でラーメンを食べているという。しかも昨日に続いてだという。添付はそのとき送られてきた写真。なんと旨そうであることか! やっぱりどんな時であれ旨いものはやめられないか。
ラーメン二郎はWikipediaによると、創業は1968年だそう。ぼくもラーメン二郎の評判は一応知っており、休日に山の手通りを車で走っていると、店の前でよく長蛇の列が作られているのを何度も目にしていたのだけれど、味がこってりタイプ(トンコツベース強し?)と聞いていたので、それが嫌でなんとなく敬遠していたのだが・・・。
ラーメン二郎は20年前から味が変わらずずっとおいしかったのかな。変わらない本物のラーメンの味だったのか!? 今度行ってみようかな。
因みに、Wikipediaに載っていたラーメン二郎三田本店の社訓は以下のようだそう。下記そのまま添付。
一、清く正しく美しく、散歩に読書にニコニコ貯金、週末は釣り、ゴルフ、写経
二、世のため人のため社会のため
三、Love & Peace & Togetherness
四、ごめんなさい、ひとこと言えるその勇気
五、味の乱れは心の乱れ、心の乱れは家庭の乱れ、家庭の乱れは社会の乱れ、社会の乱れは国の乱れ、国の乱れは宇宙の乱れ
六、ニンニク入れますか?
よしむね

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[4 3 月 2010 | No Comment | | ]

「近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」」(原田曜平著)を読んだ。実際に数多くの若者のインタビューに裏づけされたレポートはそれなりに説得力を持っているようにも思えた。
ここには、今の若者(多分、中学生〜20代前半くらい)はケータイネイティブと呼ばれている世代であるが、そういった世代の若者がいかに、それ以上の世代と考え方、行動パターンが違ってきているのかということが書かれている。
著者はこう述べる。
戦後、核家族化や都市圏への人口の流入、地域共同体の衰退、個人化・多様化が進行しましたが、ケータイが若者達をつないだことで、こうした戦後の日本人の動きとはまったく逆行するように、噂話や陰口が多く、出る杭は打たれ、他人の顔色をうかがい、空気を読むことが掟とされる、かつて日本にあった村社会が若者の間で復活したのです。
そんな新しい、村社会を原田氏は、新村社会と名づけるのだが、その新村社会に関して、こうも述べている。
つまるところ、この新村社会は、複雑な人間関係のしがらみに息苦しさを感じ、既視感によって視野や行動範囲を狭めてちぢこまる村人と、地域や偏差値や年代を超えて活動の幅を広げる村人との「ネットワーク格差」を生み出したのです。
ネットワークに脅える若者と、ネットワークを駆使する若者の、「人間力」の格差とも言えるでしょう。
若い彼らが社会の主役になる近未来、地域や偏差値や所得に関係なく、ネットワーク力のあるものが幸せを感じ、ない者がおちこぼれる社会が到来しているかもしれません。
たしかにネットワークが広ければ、イベントなどの動員は出来るのであろう。知り合いが多ければ、なにかと便利なことも多いのだろう。しかし、僕にはそんなにネットワークが広いことを素朴に善とする価値観、ネットワーク=幸せ、そうでない=おちこぼれ、という単純な図式はどうかと思う。
それで、本当に一人ひとりが安定した心持で生きられるのだろうか。あるいは、そうした懸念こそ、古臭いものなのだろうか。
おそらく、様々なビジネスを前提とすれば、そういった広いネットワークは資産になり、そういった人は有利に働くことは間違いない。確か、就職ジャーナリストの常見陽平氏も、「他人を巻き込む力が就活」にとって重要な力だと言っていたが、これからは人を巻き込む人と、人に巻き込まれる人、そして、人に巻き込んでもらえない人という3つの格差が広がっていくといくに違いない。その3つは別の角度から見れば、人の噂によく出てくる人、普通に人の噂をする人、誰からも噂もされなくなる人の3つのタイプに分かれるということなのだろう。
これからは、人に噂されながらも、鈍感力で乗り切り、ネットワーク構築を前向きに出来る人、そんな人が結果的に勝ち組になれるということなのである。
時代はますますタフになっていくということか。
しかし、本音を言えば、僕はネットワークが広い人よりも、一つのことに深く興味を持って、ユニークな見解を持っている人のほうが貴重だし、魅力的に感じる。流行に敏感になるよりも、一つのことにずっと関心を持って突き詰めていった末にあるときに、他の追随を許さないようになっている、そういった生き方のほうが、毎日、マメに何十人ものよく知りもしない人にメールを送って、つながりを維持していくよりも、結果として有意義なのではないかと思っている。あるいは思いたい。
この「近頃の若者はなぜだめなのか」にはもう一つ面白いエピソードが書かれていた。ある大学でレポートが出されたのだが、クラスの全員がほとんど同じ内容のレポートを書いてきたというのだ。それは、そのテーマについて全員がGoogleで検索をして上位5位くらいまでの検索結果の記事をコピペしてきたため、そういった結果が出てきたというのである。それを受けて、原田氏は、こう書いている。
大人たちが「若者はネットばかり見ている!」と眉をしかめたところで、彼らの内実は、いろいろな情報をネットから摂取している子は一部にすぎず、いくつかの検索結果や、せいぜいSNSニュースにある恋愛ネタや芸能ネタを見ている程度なのです。
大人が若者たちに言うべき言葉は、「もっとちゃんとネットを見ろ!」ということなのかもしれません。
そうなのだ。クラス全員が同じレポートを書く時代だからこそ、逆にチャンスがあるのだ、と僕も思う。
まさむね