アニメ映画「借りぐらしのアリエッティ」を観た。それほど期待していたわけじゃなかったのだが、実際に観て小粒だけど佳品、そういって良い作品だと思った。監督は米林宏昌。宮崎駿監督ご指名の期待の新人(一番弟子)監督だという。
軒下で暮らす小人と人間の出会いの物語で、とにかく小人の性格(人物?)描写もふくめて、細かい部分が丁寧に描かれている。物語としてのリアルさ(浮ついた感じのなさ)もしっかり根付いていたと思う。ここでは粗筋の説明はこれくらいにしておくが、そのファンタジー的なお話はさておき、舞台となっている場所が妙に懐かしくていいのだ。
その場所とは、家の庭先であり、縁側であり、住まいとしての軒下であり、窓辺であり、小人たちからみての巨大な空間としての家の内部の部屋の様子や道具や置物であるのだが、それらがことごとく懐かしい輝きを帯びていてとてもいい。時代がかならずしも特定されていないように思われるのだけれど、どこか昭和半ば頃の日本の中流(上流)家屋のようであり、それがまたトトロに通じるような、いわゆるまわりの雰囲気の懐かしさと静かさと穏やかさを醸し出している。
そして考えてみれば、ぼくらがちっちゃい子供のころ庭は巨大で、いつまでも飽かずに虫探しをしたりしたものだ。その時家の軒下はどこか秘密めいた感じで、なにか不思議な物語に通じてゆくような闇としてあった。それは家のなかでも同じで、たとえば押入れの中とか、天井の上とか、いわゆる家のなかでの闇の部分について子供心に空想を煽られたものだ。いったいそこには何が潜んでいるのだろう、ひょっとして鬼や妖怪でもいるのじゃないか、みたいな。
アリエッティではまさにその闇(軒下)が影の主人公だといってもいいと思う。その空間描写の見事さ。洗濯物を干したりしているシーンがあるのだが、それが小さな小さな生活を思わせてまた可愛い。アリエッティを威嚇しようとした猫もどこか隣のトトロの猫バスの表情を想像させるキャラクターだ。こんな風に細部をあげてゆくと霧がないので、これくらいにしておくが。いずれにしても物語は細部に宿るということ、神は細部に宿るとはよく言ったものだ。
閑話休題。でもここまで書いてきて、上記の家の描写が懐かしいと感じたりするのは、昭和の頃に子供時代を過ごしたぼくたちだからで、果たしていまの都会の子供たちがこの映画を見たらどう感じるのだろうかとふと思った。彼ら、マンションでしか暮らしたことがない子供たちにとって、たとえば軒下とか縁側とか、庭先とか、天井裏への感触がどれくらい実感できるのだろうか? いまはたぶんすべてがクリアーで清潔で明るい。無駄がない空間も多い。コンビニの中の照度といったら一日中昼の明るさだ。かようにも住まいの近くから闇が消去されつつある。
でも田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの家に行けばまだ庭先や縁側は残っているか。あるいは都会だって探せばそういう闇のワンダーランドはまだまだたくさん残っているか。ひとつ言えるのは、子供にとってはよく分からない闇があると感じることがとても大事だと思うことだ。この世には分からないことがあり、どちらとも決めることのできないものがある。グレーなもの。空間で喩えれば縁側がそういうものだ。縁側は外でもあり内でもある。限りなく中間に近いもの。昔のひとはそこで談笑しあったわけだ。
そういうものやことへ滞留できる感性が実はとても大事な気がする。日本家屋がなくなってマンションに切り替わってゆくとき、一番大きな消失物は案外そういうものなのかもしれない。軒下のあまりにも懐かしい想像の感触に、ついついそんなことを思ったのでした。
そういえばこの間、江戸東京博物館に行ったのだが、そこで昭和初期だったかの日本家屋の平屋(模造?)が展示されていたっけ。ゲゲゲの女房のヒットもあるし、日本家屋と妖怪への先祖帰りもまたいいか。
よしむね
日銀が金融緩和を行うことを決定した。国債を買い取って資金を供給するという仕組み。アメリカのFRBもすでに金融緩和を行っており、それに対する同調ということだろう。日銀はそうしたくなくても政府官僚筋(アメリカ追随派)の意向・圧力に押されたのだろう。過去この20年間、日本はどれだけの緩和策をやり続けてきたことか。その結果の借金体質とほとんど効果のなかった経済弱体化が続いているわけだ。
しかもほとんど0に近い金利施策を続け、貯金暮らしのお年寄りたちからどれだけのキャッシュを奪ってきたか。ぼくの父親もその影響を受けた世代だ。20年間もお金を預けていれば普通なら5%くらいのまともな金利がついていれば倍近い資産になっていてもよかったはず。これも所詮不労所得だけど。
緩和って言われるとなにかいいことのように受け取れて分かりにくいが、なんのことはない、あらたに輪転機等を回してお金を市場に流し込むことでしょう。リーマンショック以降、市場の危機を回避するという名目で、世界中でどれだけの金融緩和策がとられてきたことか。つまり流し込めるだけのお金が流し込まれたことになるだろう、世界中に。
これを続けていけば、当たり前の話だけど、お金の価値・ありがたみがなくなることは必至だろう。ヨーロッパはさすがにギリシャ等の財政危機を経てこれから金融引き締めに向かいつつあるようでもあるが、アメリカは引き締めに転じるかと思いきや、またも緩和と来た。
アメリカ・ドルは未だに世界の基軸通貨だからこんな野放図なドル大量印刷をやり続けていられるのかもしれないが、弱小国家ならもう国家破産のステージだろう。でもドルと米国債の余命もそんなに長くはないと思われる。奢れるもの久しからず。盛者必衰の理。いつまでも世界中からドルを買ってもらって実体よりも良い暮らしを続けることができるわけがない。
だから円高、ドル安になるのも長い観点で考えれば当然のことだ。ドルがこれだけあふれまわっていれば、ドルの価値が下がるのは当然。紙幣も所詮紙切れ。お金には魔的な商品としての側面もあるが、所詮信用関係(幻想)に基づいて価値が取引されている以上、無価値になることもありえる。それが進んでいけば超インフレになる。
それからいま問題なのは、これだけ大量に供給されたお金がいったい何に使われているのか、だろう。いまは誰もお金を大量に使うひとがいないのだ。まともな企業は手元資金が厚い状態だけど、新しい投資には積極的でない。というよりも誰もリスクをとってなにかをやろうというマインドではない。結局余ったお金の大半は再びの債権買い等に回っているだけというのが実情だろう。それから借金の返済に当てられているということ。
こういう異常な状態が続いているのに、あいかわらず日々の新聞を筆頭にマスコミ各社がこういう状態を少しも異常とは報道しないようだ。聞かれるのは日本企業が円高につぶされるから緩和しろ緩和しろという報道ばかり。でもそんなその都度の小手先で円高が一時的に収束するようにみえても持続的な効果は限定的だろう。
問題は長期的にドルの低下が明らかなことを認めて、ではどうやって為替に影響を受けにくい体質にしていくか、ドルからの自立(脱却)を模索してゆくかを考えるべきだろう。そのひとつの選択肢にドルに変わるアジアの域内だけで流通するような通貨とかがあってもいいし、商品をふくめたバケット取引とか等々があってもいい。もちろんそれには時間も手間暇もアイディアも必要だ。でもそうした根本的なデザインなしに、もはやその都度の対処療法ではもう限界に来ていると思われる。初期の鳩山首相には多少なりともそんな試みへの意気込みもあったように思う。
そしてそれはまさむねさんが前回の記事で以下に述べたようなことと同じ趣旨にもつながる。
「日本はおそらく黒船来航以来、150年の間に、それまでの共同体社会を徐々に失っていった。家や親族、地域社会は現在ではほぼズタズタとなってしまった。それはある意味しかたのないことであるが、その民族的喪失に替わる新しいシステムが僕らには創れていない、それどころかまだイメージすら見えてすらいない、それが問題なのだ。」
誰だって新しいシステムはたぶんこわい。それから弾かれる人にはなりたくないと考える。自立というとなにか居丈高な感じも強いが、ゆるやかな自立、少しずつの自立、助け合いながらの自立、相互的な自立、弱さをともなった静かな、漸進的な自立こそがこれから模索されるべきなのかもしれない。そうして最終的にはやはり自立した国になるべき。人もそうだろう。そのために何が起きているのか、正確に知ろうとする姿勢だけは開かれているべきだと思う。
よしむね
僕はたまにしか見れないのだが「ゲゲゲの女房」の視聴率がいいらしい。
僕の大雑把な印象だと、ヒロインの布美枝(松下奈緒)は今までのヒロインとは違って、内気だ。茂(向井理)が結構、自分勝手な性格なのだが、彼がやることに対して、何も言えない。時々、思い余って、彼女の感じている不満を茂に話をすると茂は布美枝の気持ちがよくわからない。そして、最終的には布美枝は仕方ないと諦める、みたいな場面が多かったような気がする。
これは、断片によるあくまで印象だが...
でも、この布美枝の、その「しょうがないな」という顔がいいのだ。そして、多くの視聴者にとって自分に置き換えやすい表情なのだ。今まで、多くの朝ドラのヒロインは、「おしん」がその典型だが、自分の価値観を持って、前向きに生きようとしていた。
しかし、今回の「ゲゲゲの女房」の布美枝の「まあいいか」的な、状況に逆らわない身の処し方の方が、現代ではより共感を得たのかもしれない。
さて、このドラマを見ていて思うのは、当時の漫画家という職業の置かれた社会的地位の低さだ。今でこそ、大学にマンガ学部が出来る時代であり、漫画家といえば、うらやましがられる職業の一つだ。
しかし、当時は、一般の人から見ると真っ当な職業とは言えなかったのだろう。布美枝の悩みの何割かはその職業意識から来ているようにも思える。
あまり知られている話ではないが、例えば、マンガの神様、手塚治虫は学歴詐称をしていた。大阪大学医学部出身というのが通称だが、実は、大阪帝国大学附属医学専門部が実際の学歴なのだ。同様に、梶原一輝も、早稲田大学文学部を詐称していた。彼ら、60年代のマンガ関係者にとって、その社会的地位を上げるためにも詐称は必要だったのかもしれない。
ちょっと観点は違うが、力道山が身長詐称をし、野坂昭如が逆学歴詐称(早稲田大学卒業なのに中退と言い張っていた)のも当時の話である。僕は、それらを攻めるよりも、60年代を生き抜いた人々のたくましさを感じざるを得ない。
さて、ゲゲゲの話に戻そう。僕は12年ほど前に、水木しげる先生の妖怪を使った、CD-ROMソフトやロールプレイングゲームを作っていたことがあった。その時、その一枚一枚の絵の力に関心したものだった。人物は個性的なタッチでいわゆるマンガなのだが、その背景の野山や家屋などは本当にリアルなのである。その絵の奥は、日本の民俗社会の奥深さにそのまま通じているような独特の暗さ=恐さを持っている。そこには本当に妖怪が住んでいそうな雰囲気があるのである。
かつて、手塚治虫が、水木しげるに嫉妬して「僕にも妖怪漫画が描ける」と言い張り、「どろろ」を描いたというのは有名な話である。「どろろ」が百鬼丸の人間性回復のドラマと、戦争で両親を失ったどろろを通した反戦という、手塚的ヒューマニズムの枠内の作品であるのに対して、水木の漫画は、どこまでも暗く、それは現実社会と同じようにオチの無い世界であるように僕には思えたのである。
それにしても日本は水木しげるという漫画家がいたおかげで妖怪というものが可視化され、これからも日本人の中で、共通の財産として生き残っていくだろう。それはあまりにも大きな功績だと、僕は思う。
まさむね
民主党の代表選挙が興味深い。
菅直人首相と小沢一郎前幹事長の一騎撃ちである。世論を味方につけた菅氏が、民主党という組織内での大勢を固めつつある小沢氏をどこまで追い上げることが出来るかというところが焦点になりそうだ。
僕は、小沢氏の「政治のカネ」の問題というのは政党政治が持つ裏の部分として、誰もが実は分っている事実を、”特定の勢力”が問題化した事案にすぎないと思っている。
おさらい的に振り返ってみれば、小沢氏の収支報告書には虚偽記載があったのは事実だ。小沢氏個人から政治団体の陸山会への金の移動の記載が事実より数ヶ月ずれていたのである。また、小沢氏個人が4億円もの現金を自宅に持っていたというのは不自然といえば不自然だ。しかし、不実記載は犯罪だが、形式犯であり、現金を持っていたということは「怪しい」のは確かだが、犯罪ではない。
今までは記載の間違いは修正で済んでいたのが、この小沢氏の件だけ大事になっているのは僕はちょっと納得がいかないのである。例えば、微罪でも罪は罪という人もいるが、そうであれば、自民党総裁の谷垣氏も、自身の資金管理団体の2003年分の光熱水費をゼロから2万円に訂正しているのである。それも形式的には犯罪ではないだろうか。
それゆえに、検察は何度も、小沢氏を起訴しようとしたが出来なかった。ようするに証拠がないのである。
そして、マスコミや野党は小沢氏に説明しろと迫るが、「何も法に触れたことはしていない」と言うしかないだろう。問題があるというのであれば、逆に問題があるという側が証拠をあげて説明するというのが筋ではないのか。
僕は小沢氏に対する検察(あるいはマスコミ)による攻撃は、ただ、小沢氏=悪というイメージを作り出すことが目的だったと理解している。そして、それにはある程度成功した。
現に小沢氏は選挙に勝つという目的のために、(悪くもないのに、)党代表や幹事長という職を辞さなくてはならなかったのだから。
さて、僕が今回の民主党代表選挙で注目したいのは、上記のような話ではなく、やはり、二人の政策のどこに違いがあり、その政策のための根本思想が、それぞれ何なのかという点である。
民主党が政権を奪取したとき、鳩山氏は、「自立と共生」という理念を掲げた。今でも忘れないが僕はその時、結構感動したのだ。(鳩山首相の施政方針演説に久しぶりに感動してしまった)。もしも、その理念を、現在でも小沢氏が共有しているのであれば(あくまでそうであればの話だが)、僕は小沢氏を支持したいと、今でも思っているのである。
日本はおそらく黒船来航以来、150年の間に、それまでの共同体社会を徐々に失っていった。家や親族、地域社会は現在ではほぼズタズタとなってしまった。それはある意味しかたのないことであるが、その民族的喪失に替わる新しいシステムが僕らには創れていない、それどころかまだイメージすら見えてすらいない、それが問題なのだ。
大雑把に言ってしまえば、従来の自民党は、どの共同体にも存在する顔役(親分)に金をばら撒くことによって、なんとか社会を維持しようとしてきた。それが土建屋の親父だったり、農協だったり、独法理事長だったり、郵便局長であったわけであるが、それが上手く行かなくなった。バラ撒く原資がなくなってきたのだ。それに対して、小泉改革というのは、新自由主義という思想に基づいて、そういった既得権益を保持した共同体(古い親分=子分)の関係を壊し、個々人で競争するようなシステムを作ろうというものであった。しかし、多くの日本人はそういった競争社会を忌避した。日本人は、まだまだそれほど強くはなかったのだ。
そこで、民主党の登場だ。民主党は、税金を中間組織をすっ飛ばして、個々人に金をバラ撒くという方向を打ち出した。子供手当てや農家補償などだ。個々人に直接バラ撒くことによって、生活が出来るような基礎を作らせ、そういった個々人が自分の責任で、(多分ボランティアのような)新しい共同体を作っていくような社会を創造しようとしたのである。
その過程で、かつての親分=子分システム(既得権益集団)からはずされた人々、つまり弱者=マイノリティに対して篤くするのが第一弾だと考えているのだ。外国人参政権というのは一面、そういった文脈の政策なのである。
しかし、まだまだほとんどの人にとって、「自立と共生」という理念は十分に浸透しているとはいえない。マスコミがそういった理念を伝えることをしないというのも一因だが、民主党も、説明の努力をしたとは思えない。
先ほども述べたが、僕は小沢氏がもしも、再び「自立と共生」という彼の持論に基づく政策を体系だてて説明してくれれば、まだ、彼を支持したいと考えているのである。
ここからはおまけ...
ベイシックインカムなどによって最低限の弱者を救済し、国民総背番号制によって平等に税の負担を行わせ、天下り廃止や行政改革によって官僚支配を弱め、長い眼で見れば日米安保を見直して日本を自主独立国にし、中国や朝鮮半島と新しい関係を築き、地方分権によって中央に依存しない自主的(ボランティア)な起業家や地域を育て、経済一辺倒の価値観を徐々に排して、日本の技術力、伝統文化やオリジナルなオタク文化も育て、海外の人々も含めて日本をいい国、行って暮らしたくなるようなブランド力のある国にして...
これらを実行するには相当の抵抗があるに違いない。でも、このような可能性を考えていくと日本の将来はまだまだ捨てたものではないと僕は思う。
まさむね
昨日、歌舞伎町のロフトプラスワンで行われた「竹の熊さん祭り」に足を運んだ。
第一部は、淡路島の八百屋さん・のすふぇらとぅ氏が一人でこつことと作成したアニメの話、そして第二部は、竹熊さんご自身の話である。アニメの話はそれはそれで興味深いものがあったが、僕の目的はどちらかといえば、第二部にあった。
ちょっと前に、歌枕「武隈の松」と「竹ノ熊さん祭り」、蝦夷と熊襲。というエントリーを書いて、竹熊という姓と宮城県の武隈との関連があるのではないだろうかという指摘をしたが、ここでは、さらに別の角度で竹熊姓の可能性について考えてみたいと思う。
「竹の熊さん祭り」では、竹熊という姓の由来として、景行天皇が熊襲退治で熊本の地に来たおりに、3人の家来を置いてきており、そのなかの一人の「竹野熊」という人物の流れを汲んでいるのではないかという説が披露された。
僕は師匠の長谷川先生に、先祖探しに関して、どんなに客観的な資料があったとしても、一番尊重すべきなのは家伝であり、時として家伝の方が資料よりも真実を伝えていることがある、ということを教えられてきた。それゆえに、この説は、おそらく一番可能性の高い竹熊姓の由来ということにしたい。
しかし、それでも僕は敢えて、別の可能性に関して考えをめぐらしてみたいのだ。それが、妄想を楽しむ家紋主義者としての僕の性(サガ)なのである。
さて、ここで丹羽基ニ氏の「日本人の苗字」を紐解いてみよう。この本の69ページ〜に、歴代の各天皇から分かれた氏(うじ)の一覧が掲載されている。そして、この表の景行天皇の欄を見ると、犬上、池田、阿礼、讃岐と並んで、気になる名前があった。それは建部(たけるべ)である。この建部氏は、景行天皇が不遇の死をとげたヤマトタケルノミコトの魂を永遠に鎮魂することを目的に創氏した氏であるという。そして、滋賀県の大津には、建部大社という近江国一宮があるが、ここは、そのヤマトタケルノミコトを奉っているのである。
昔の権力者は、特に思い入れのある無縁者(子供のいない者)を未来永劫に供養しつづけるために、それを家業とする家を作ったのである。古代の氏(うじ)と現代の姓との連続性は単純ではないが、もしかしたら、元自民党の幹事長の武部勤氏もこの建部氏となんらかの関係があるのかもしれない。
さて、その建部(たけるべ)氏が古代天皇一族肝いりの氏族だとすれば、一方、それに対して、まつろわぬ(朝廷に対して反抗しつづけた)一族の代表が、東の蝦夷と西の熊襲である。そして竹熊一族が熊本に根を張ったということで、容易に想像されるのが、竹熊氏の「熊」は熊襲の「熊」ではないのかということだ。ちなみに、彼のブログ、たけくまメモの表紙にはパンダ=大熊猫が猟師を襲う画像が使われているが、僕は以前からこれは「熊襲」からの類推画だと思っていた。(勝手に拝借、失敬)
建部のタケと、熊襲のクマ。この対極的な二つの種族がいつの時代にか、運命的な婚姻によって出来た姓が竹熊氏ではないのだろうかというのがここでの僕の推理だ。
現代では、姓を作るのは法律的な手続きなど、複雑であるが、中世では、新しい家(名字)を作ることは、比較的容易であった。だから、新しく婚姻で出来た家が両家の出自(出身地)を姓に残すような創姓もたまにはあったようだ。例えば、俳優・尾美としのりの尾美は、尾張と美濃にあった両家の婚姻によって出来た可能性があるし、女優の相武紗季の相武は、相模と武蔵という国名をその起源に持っているかもしれない。(あくまでも可能性の話っす)
それにしても、天皇一族(天孫系)と熊襲(土着系)という二つの対極の流れを内蔵させている苗字というのはなんとも、意味深だ。それは弥生系と縄文系、農業系と狩猟系、A型とB型といった日本という国の底に流れる二つの流れをも象徴している。
僕は、竹熊健太郎さんご自身の、豪放磊落な面と、他面、几帳面な面とを、この竹熊姓に見てしまうのであった。
まさむね
この間、知り合いのSさんにお会いした。Sさんは自ら情報戦略研究所を立ち上げて長くコンサルテーション等の仕事をされている、業界では著名な方だが、ここではSさんのイニシャル名に留めておきます。
お会いしたのはご相談したいことがあってだったのだが、いろんなご指摘を頂戴して「なるほどなぁ」と思うことしきりであった。さすが百戦錬磨、厳しい時代を自ら生き抜いてこられた方の言葉だけに重みがあります。そのいくつかをここで紹介してみたい。
「大事なのはRich Experience(豊かな経験)を与えることができるかどうか」
時代はもうソフトでもハードでもなく、あるメディアならそのメディアを提供することによってユーザーにどんな経験をしてもらいたいのか、どんな可能性(実現のイメージ)に誘いたいのか、いわゆるRich Experienceを経験してもらいたいのか、だということ。
アップルにあって日本企業にいま決定的に抜け落ちているもの、それが多分この視点だと思います、ということ。日本の多くの企業は、単なるハード屋かソフト屋に終わっている、あるいはそういう役割に甘んじてしまっている。人が求めているのは経験であって、単なるモノではないはず。
そして高邁なこころに高邁なものが宿るのです。スターバックスだって自分たちのことを単なるコーヒー屋だと思っているのではない。彼らの社員教育の徹底ぶりもすごいが、彼らはコーヒーを飲むことが世界の平和につながるという信念でビジネスをやっているのですよ。そこまで行かなきゃビジネスじゃありません。
「奪うのではなく、与えること」
いまの日本人の心性・心持はとても小さくなってしまった。みんな与えることをしないで、少ないパイから分捕ることばかり考えるようになっている。死亡老人の遺族による年金分捕りも然り。そしていま流行の中国頼みの姿勢も基本は同じで、みんな中国から分捕ることしか考えていないようだ。
でもこれは絶対にうまく行かない。中国人もしたたかだし、それよりもなによりも互いに与え合うことのなかで共に享受することを志向していかない限り、物事はぜったいにうまく行かない。いつか破綻する。だから単に中国からいかに分捕るかばかりを考えている現在のビジネスの多くはやがてうまく行かなくなるだろう。
「古いものや大きくなりすぎたものがやがて停滞して壊れるのはいい」
それは当然だから。問題は新しいものが生まれてこないこと。誰も正しいリスクをとらず新しいことにも挑戦しようとしないことのほうがはるかに損失なのです。
そして最後にSさんはこうおっしゃった。
「よしむねさん、ある程度の年齢になれば、どれだけ人に与えてきたといえるかでその人の価値は決まりますよ。いままでよしむねさんのおかげで育ててもらいましたといえる人をどれだけ持っているか、です。与えることが結果として相手から与えられることにつながるのです」
これにはぼくも答える術がなかった。グーの音もなかった。まったくおっしゃる通りだし、はたと自分の来し方を考えたときに、いままでぼくはどれだけの人になにかを与えることができただろうかと思ったからだ。「よしむねさんのおかげで育ちました」なんて言ってくださる殊勝な方がいるだろうか? だいいちぼくに与えられるものがあるだろうか?
疑問だ。だけどまだ遅くないか? これからぼくはもっと与えることを学んでいかなければならない、というよりもとにかく与えること、応援すること、そう強く思った。与えよ、さすれば与えられん、たとえ与えられなくても。
よしむね
武隈の松のことを調べていたら、本気で歌枕に関して興味が出てきてしまった。
これだから「おたく」という性分はタチが悪い。
荒俣宏氏の『歌伝枕詞』(世界文化社)では、陸奥の歌枕を、大和朝廷によってほろぼされた蝦夷の魂を鎮魂すると同時に、無害な文学イメージとして昇華させたものという捉え方をしている。一昨日のエントリー「歌枕「武隈の松」と「竹ノ熊さん祭り」、蝦夷と熊襲。にも引用しさせてもらった箇所をさらに、続けて引用させていただく。だって面白いんだもの。
歌枕が消し去った陸奥の古い実像とは、当時、高度の発達していた蝦夷独自の文化と、戦闘の傷跡である。とくに後者の戦争の記憶は、巧妙に抹殺されたに相違いない。官軍側を破ったアテルイのような英雄は、”悪路王”あるいは”鬼”として悪役に回され、他方、勝利をもたらした田村麻呂が英雄にまつりあげられるのだ。
つまり、田村麻呂伝承は、歌枕とセットになって、陸奥にまつわる蝦夷の真相を消すための美しいフィクションとしてかんがえだされた。ぼくには、どうしてもそのように思えてならないのだ。
じつは、この箇所が何故、面白いのかというと、僕は、家紋というものにも、ここで荒俣さんが歌枕に感じたのと同じように、「抹殺されたいまわしい過去の記憶」を消し去り、美化しようとする日本人的なメンタリティが潜んでいるのではないかと考えているからである。
例えば、梅紋(左絵は双葉山の梅鉢紋)というのは、もともとは菅原道真の怨念(逆に言えば、道真を追い落としたことに対する藤原氏の慙愧)というおどろおどろしい想念を、このかわいい紋に閉じ込めたようにも思える。
同じく、車紋というのは、これは源氏物語というフィクションの中での話しであるが、六条御息所の怨念を優美な源氏車に昇華した紋ではないかと僕は思っている。(右絵は佐藤栄作首相の源氏車。車輪が「六条の星」のようになっているところが、どこか意味深である。)
梅紋も車紋も、いずれも、都の公家社会という狭く窮屈な社会における権力欲に敗れた人々の怨念というおどろおどろしい陰の力を御霊化(真相を消し去ること)した結果ではないのかと思うのである。
過去の忌まわしい歴史を美化すること、これは別の視点からすれば決してほめられたものではないのかもしれない。しかし、人間というものはそうやって、過去を消し去り、御霊化してしか、新しい時代を作れないような存在なのであろう。
比喩的に言うのであれば、中国や朝鮮半島にどう謝罪するのかという問題、靖国神社をどうするのかという問題、それらは現代日本人が、民族の総意として「歌枕」や「家紋」を、どう作っていけばいいのかという問題、あるいは作りきれるのかという問題なのかもしれないのであるが、おそらく、それには時間はかかると思わざるをえない。
まさむね
家紋中学生ことしんゆうさんが、「日本家紋普及協会」を立ち上げた。中学生として、この思いっきりは快挙である。
リアルな世界であったら、50才の僕が、まだお会いしたこともない15才の彼の作った会に参じるということはありえないであろうが、あり得ないことが起きるのがネットのいいところだ。
僕は躊躇無く、彼の意思に賛同して、会員にさせていただいた。身分は旗本だ。
今後、彼の活動を見守りながら、出来ることがある限り、支援していくつもりである。
まずは、「日本家紋普及協会」への祝辞を書かせていただいた。
この一本気新聞上でも披露させていただきたく思い、ここに転載いたします。
★
先日、祖母の33回忌があり、親戚一同が会しました。
その時、先祖の話になりました。実は、私の家は、山形の村山市楯岡というところに代々住んでいました。
この楯岡は、あの蝦夷地探検で名を馳せた最上徳内の故郷でもあります。実は、うちの先祖はこの徳内と寺子屋で席を同じくしたという家伝が残っているのです。
そして徳内は農家でしたが、私の先祖は商家だったようです。これは先日の法要で初めて叔父から聞いた話です。
さらにいえば、先祖は、近江から楯岡に流れてきたらしいです。ということは、僕の先祖は、丸紅 、西武、伊藤忠、高島屋などと同じ近江商人の端くれだったのです。
そして、何を商っていたのかとうと「塩」。実は、うちの先祖は代々塩屋佐平(しおやさへい)という屋号を名乗っていたということです。
僕もいつか、この屋号を名乗ってみたいというのがささやかな夢の一つになりました。
さて、そんな塩屋ですが、時代が下り、明治時代なると、塩は政府の専売となり、塩屋たちは職を新しく求めるざるを得なくなっていきます。これも時代の流れでしかたのない話です。
僕の祖父は農林省の技官という職を得て、その後、長野県の松本、山梨県の小淵沢と転々とします。いずれの地も蚕産が盛んだった土地です。戦前、日本の主な輸出品であった蚕産振興のため、祖父は少しでも日本のためにと働いていたのです。
さて、話はかわりますが、我家の墓は小平霊園にあります。僕はその近くということもあって現在は西東京市に住んでいます。墓には丸に片喰紋が刻まれています。
先日の法要ではこの家紋の話にもなりました。残念ながら、そこには深い云われはありませんでした。物知りの叔父さんの話でも、ただ、祖母の紋付にその紋がついていたからというのが、現在、墓の家紋の由来だというのです。
でも、自分にとっても大好きだった祖母の背中にずっとついていたこの丸に片喰紋は、それだけでも、僕にとって大好きな紋です。
平和を愛すること、子孫繁栄を祈願すること、雑草のように強く生きること...片喰紋にはいろんな意味が込められていると聞きます。
でも、そんな中でも、僕はこの紋に感じる諧謔性が好きなのです。
題名は忘れてしまったのですが、僕が学生時代に聞いた落語でこの片喰紋が出てきました。「あのおケツを三つつけたような紋」というような滑稽な形容をされていたのを覚えています。でも、その形をよく見ると徳川家の葵の御紋にも似ているのです。
おそらく、江戸の庶民達は片喰をおケツと笑いながら、同時に徳川の御紋をも笑っていたことでしょう。これはあくまでも僕の想像です。
でも、この普通の庶民のちょっとした洒落心、片喰紋に僕が惹かれるのはそんな庶民の「柔らかな反骨精神」なのです。
自分も「一本気新聞」というつたないブログをやっていおりますが、そこではこの諧謔性を忘れないということを一つのポリシーにしております。それはこれが片喰紋をつけている僕の精神だと思っているからです。
ちなみに、僕が調べた限りですが、僕と同じ、丸に片喰紋をつけている有名人にはこんな人がいます。
江戸の侠客・幡随院長兵衛
天才左官職人・入江長八
街道一の親分・清水次郎長
司馬遼太郎の『峠』で有名な河井継之助
庶民の味方、足尾銅山鉱毒事件を告発した田中正造
日本で最初に「万歳」を発明(?)した外山正一
大日本帝国憲法起草した伊東巳代治
夏目漱石も『三四郎』の中にも出てくる三代目の柳家小さん
第30代内閣総理大臣・斎藤実
『武蔵野』の作者、自然主義文学の国木田独歩
落語家として始めて渡米して興行を行った五代目・三遊亭圓生
浅草生まれの粋な作家・久保田万太郎
映画界の「第4の巨匠」成瀬巳喜男
戦後の日本人に希望を与え続けた『青い山脈』の作曲者・服部良一
山野美容専門学校開校者・山野愛子
橋幸夫の『霧氷』を作曲した利根一郎
『にんげんだもの』で有名な詩人・相田みつを
『どらえもん』の生みの親、漫画家の藤子・F・不二雄
当代一の色男、歌舞伎役者の坂東三津五郎
そしてジャイアント馬場の物真似でもお馴染みコメディアンの関根勤...
こんな素敵な人たちと同じ紋を持つ僕はやっぱり、この紋を持っていてよかったと思っています。
今回は、「日本家紋普及協会」発足に寄せてということなので、ちょっと力を入れて書かせていただきました。
これからも、一会員として「日本家紋普及協会」の発展のため、出来る限り頑張っていきますので皆様よろしくお願いいたします。
まさむね