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悪意というのは人生のスパイスではないでしょうか。

17 12 月 1999 No Comment

悪意というのは人生のスパイスではないでしょうか。
僕はプロレスあるいはその他の観るときには、必ず
悪意を入れて見ています。
でも、それでもパワーのある作品には涙するし、感動したりもするから、逆にその悪意というものが一つのハードルになって力のある作品と、そうでない作品を篩い分けしてくれているのかもしれません。

でも、例えば、他人の言葉や態度に悪意があるかどうかを見極めるのはとても困難ですよね。本当のところ、自分にも悪意があるのか無いのかを自覚するのだって難しい。福永さんはもしかしたら、全く善意の人かもしれない。

よく、援助交際とかに対してもそうなんだけど、お金という事で説明しようとして、それで大体が納得も出来てしまう
んだけど、本当のことがみえなくなることがありますよね。
例えば、山田みつ子だって、春奈ちゃん家の生活水準に嫉妬したとか、林マスミだって、いい生活をしたかったとか、工藤や佐々木の行動もお金で考えるっていうのはどっか正しくしかし、どこか確実に間違っている(というか面白くなくさせている)と思います。

ところで、最近僕が夢想しているシュミュレーションゲームがあって、それはメチャクチャなカップル、堕落した父親。救いのない教室、終わりの無い嫁姑戦争というすでに現実的などうしようもない問題が多発している世界で、その問題を一つ一つ
解決していくというゲームです。解決の方法は、人生相談みたいなものとかでいいんですが。このゲームのポイントは、リアリティなので、セリフのセンスがすべてみたいな感じの世界なのですが、もしそういうのがあったら教えてください。

インタネットの世界が発生していっては消えていくというのは、なんだか、僕の興味のある一般の民俗学的世界と共通していますよね。日本の歴史だって、ほとんどの人々の気持ちみたいなものはすでに消えてしまっていて、残っているのは公式の資料だったり坊さんの日記みたいなものだったりしますよね。例えば、14世紀の新潟県の漁民の心情なんて、全く分からない。想像は出来るんだけど、そういう想像って極めて失礼なものになる可能性がある。

こういう話がありますよね。僕が高校時代に習ったことに、江戸時代の農民は米は作っていたけど、食べることはめったになかったという神話。特に東北の農民は毎日飢えと戦いながら、年貢のためだけに働かされていたという神話。でもこれってちょっと考えればすぐに分かることだけど、そういう事はありえないよね。当時の客観的な資料を見ればすぐにわかるんだけど、人口と石高ってほぼ等しいんだって。
ご存知の通り、1石というのは普通の大人一人が1年間で食べる米の量ですよね。そうすると、その米っていうのは、絶対最終的には日本人の口の中に入ったいたということなんですね。牛や馬が食べていたり、密輸していたということがなければ。

ちょっと話しがそれましたが、インタネットの言葉が書かれては消えていくイメージってなんか、無数の人々の独り言が次々に発せられてそして忘れられていくような世界に似ていて美しいですよね。

それではまた。

まさむね

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