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Articles Archive for 6 月 2008

源氏物語 古典文学 »

[25 6 月 2008 | No Comment | | ]

夏の夜は
まだ宵ながらあけぬるを
雲のいづこに月やどるらむ
この歌は、清少納言の曽祖父の清原深養父の歌。百人一首にも選歌されている。
先日、思いの他、早く起きてしまった明け方、何気なく、この歌が口をついて出た。
歌が突然、腑に落ちるのはこんな瞬間だ。
夏の明け方のまどろみの気持ち良さ、いやおうなく過ぎてしまう時間の残酷さ、月に対して、あたかも旅人のよう接する優しい視線、そういったものが一気に、理解できる瞬間だ。
おそらく、日本の伝統とは、100年前に出来た靖国神社に行くというような事ではないと思う。
こういった1000年も前に作られた歌が一瞬にして理解できるような感性の地下水脈こそ伝統というものではないだろうか。
高校の時に、百人一首の暗記させられ、本当に辛かった思い出がある。
その頃は、30年後に突然、このような感動的な瞬間が訪れようとは考えもしなかった。
体で覚える暗記って一見無駄のようにも思えるけど、長い潜伏期間の後、宝物のような輝きを見せることがあるんだね。
逆に今は、その頃の教育に感謝している。
ちなみに、以下、この歌の現代訳です。
夏の夜は短い。
宵になったと思ったら、もう明けてしまった。
こんなに早く明けてしまったので、月も西の山に行き着けなかったんじゃないかな。
雲のどこかに宿を取っているんだろうか。
まさむね

時事ネタ »

[24 6 月 2008 | No Comment | | ]

2010年の平城遷都1300年祭の第三のキャラ「なーむくん」(一番上)が発表された。
発表したのは南都二六会という寺院の親睦会で、最初に記念事業協会が「せんとくん」(二番目)を発表した時、仏を冒涜しているって言って、反対した団体ですね。
確かに、「せんとくん」(いくら、作者が童子って言い張っても、白毫がある時点でこれって仏陀でしょ!)の角は、根本的に仏教の輪廻転生+解脱の思想が分かっていないって言われると反論出来ないよね。
この「せんとくん」選考過程の胡散臭さ=電通臭さにまみれているという別角度からの批判は置いておくとしても、このキャラには問題がある。
でも、一方、この「なーむくん」もいかがなものか。
日本に仏教を定着させた聖徳太子の少年時代をモデルにしており、念仏から名前をもらった(スポニチより)キャラとのことだが、聖徳太子と平城遷都とは直接関係ないし、念仏っていうのも、平安後期の話だろう。
記念事業協会が仏教を理解していないというなら、南都二六会は歴史がわかっていないと言われても仕方ない。
もっとも、日本の伝統ということを考えれば、「まんとくん」(一番下)もあわせて、わけのわからないものが混在するっていうのもありかもな。
日本人の宗教観は、元々融通無碍なんだから、「いろんなものが、いつの間にか一緒やってます。」っていうのも、日本人らしくていいかも知れない。
まさむね

社会問題 »

[23 6 月 2008 | No Comment | | ]

若者が消費しないという特集(最近、これをテーマにした特集多いよね)をズームイン朝でやっていた。
最近の20代は、車は買わない、酒は飲まない、貯金が趣味…とのことだ。
少子高齢化、年金の破綻、治安の悪化、環境問題等による将来の不安に加えて、自分達の不安定な労働条件。
こんな状況の中、彼らが消費に走らなくなったのは当たり前だ。
しかし、特集の最後、局の女子アナが、「みんな偉いですね。私なんか、この前、ガチャポンで10000円使っちゃった(笑)」って、空気読めないのも一つのヒール芸だな。
まさむね

テレビドラマ »

[22 6 月 2008 | No Comment | | ]

「ROOKIES」は何かと古典的なドラマである。
学ラン、リーゼント、麻雀等、不良学生達のアイテムが古典的であるというのは言うまでもなく、喧嘩の作法がそうなのである。
例えば、今から8年前に放送された「池袋ウエストゲートパーク」の暴力に比べると、正拳+涙によって成り立っている「ROOKIES」の喧嘩は極めて正統的だ。
恐らく「拳」は、蹴りや、ましてや武器使用に比べ、正義のイメージが強い。
そして、涙はその正義を心情的にバックアップしているのだ。
「ROOKIES」での新庄(城田優)の正拳
同様に、感情を爆発させる新庄
それに比べると「池袋ウエストゲートパーク(I.WGP)」では、感情の発露による已むに已まれぬ喧嘩というよりも、敵を徹底的に潰す暴力が際立っている。
「池袋ウエストゲートパーク(I.WGP)」」でのタカシ(窪塚洋介)の裏拳
同様に、タカシのマウントポジションからのボコボコ
そして、喧嘩後のふざけたデモンストレーション
「池袋ウエストゲートパーク(I.WGP)」」の時代は、PRIDEを初めとする残酷系格闘技全盛時代だ。
マウントポジションも裏拳も、その時代の空気を十分に吸ったパフォーマンスであったに違いない。
「ROOKIES」の喧嘩とは同じ暴力とはいえ、それはあまりにも異質だ。
先ほども述べたが、一方「ROOKIES」の喧嘩の作法は、時代を超えた正統性を備えている。
恐らく、この作法は、日本人にとっては、歌舞伎、時代劇、ヤクザ映画、青春ドラマ等によって延々と刷り込まれ続けたイメージである。
そして、その裏には以下のような日本古来の人間洞察がある。
「悪い人なんていない。已むに已まれず暴力を振るってしまった人も本当はいい人に違いない。」
「ROOKIES」が古典的というのはそういう意味である。
まさむね

テレビドラマ »

[21 6 月 2008 | No Comment | | ]

俺は最初から、このドラマのタイトルの「ラストフレンズ」とは誰にとっての誰と誰なんだろうというのを一つのテーマとして見続けてきた。
ところが、最終回の最後の手紙の朗読を聞いて、驚愕した。

元気ですか。エリ、オグリン。
赤ちゃんの名前を決めました。
藍田ルミ。
ルカのルに、ミチルのミ、ルにはタケルのルも入っているんだよ。
私達は4人でまたあのシェアハウスに暮らします。
家族、友達、夫婦、恋人
そのどれかであるようで、どれでもない私達だけど、
壊れやすいこの幸せを大事にして、
行けるところまでいこうと思っています。
これまでもずっと友達でいよう。
出来ればずっと別れずにいよう。
そして、たとえ何かがあって分かれても
また、いつか出会って笑い合おう。
My dear friends.
You are my last friends.

ラストフレンズ とは、ミチルにとって、エリ(水川あさみ)とオグリン(山崎樹範)の事だったのだ。
この手紙は、差出人のミチルが、宛先のエリとオグリンに対して、私とルカとタケルとルミ(ミチルとソウスケの子)の4人は、家族、友達、夫婦、恋人のうちどれでもない特別の関係だけど、「あなた達は、最後に残った友達だ。」と差別する内容になっている。かなり冷たいではないかとも受け取れる。
しかし、逆に言えば、このドラマの中で、シェアハウスの一員でありながら、常に地味な存在だった二人の脇役に、ドラマタイトルでもあるラストフレンズの称号を与えたこの結末は、やさしさに満ち溢れた結末だったとも言えるかもしれない。
また、このドラマの主題を敢えて上げるならば「大事なのはありのままの自分とそんな自分を大目に見てくれる友人」という価値観の確認ということだろうか。
ミチル(長澤まさみ)は最後まで状況の変化に流されるキャラクタを脱皮することができない。すなわち、自立という道から逃げる。
ルカ(上野樹里)の性同一性障害を踏まえて、別のパートナーを探すという道を閉ざす。
また、タケル(瑛太)は、姉との問題も残されたままで、SEX恐怖症を解決しようともしない。(来週、放映されるという特別編に期待!!)
結局3人(ミチルの子を含めると4人)は、自分達の価値観や生き方を温存してくれるパラダイス、シェアハウスに戻って話は終わるのだ。
最終回は「未来へ」という副題であったが、その内容は恐ろしく臆病で現状肯定的なものであったと言えなくもない。
まさむね