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Articles Archive for 6 月 2008

テレビドラマ »

[21 6 月 2008 | No Comment | | ]

TBSドラマ「Around40-注文の多いオンナたち-」の最終回は、格差社会を反映してか、階級の異なる男女がことごとく結婚しない、あるいは離婚するという、ある意味、残酷な結末となった。
結婚せずに医者として、自己実現しようとするす聡子(天海祐希)は臨床心理士の恵太朗(藤木直人)との婚約を破棄し、病院の院長に就任する。
雑誌編集者の奈央(大塚寧々)は、いわゆる勝ち組のセレブ夫との仮面生活に嫌気がさし、ゴージャスな生活を捨てて、離婚して一人で子育て自立を目指す。後に、幼なじみのシェフ(筒井道隆)と結婚か?
また、瑞恵(松下由樹)は、長年連れ添って子供もいた旦那との間にいろいろ問題もあったが、結局は結婚というシステムの中で幸せを再確認する。
もちろん、上記のように階級の残酷さという現実(リアリティ)はオブラードに包み込まれ、口当たりのいいドラマとして仕上がっていたと思う。
人生いろいろと言った人がいたが、まさしく、それぞれの生き方を尊重した、ターゲットユーザーの嗜好にあったいい意味での予定調和を見せてくれた。
しかし、この「Around40」で示された、建前(人それぞれの価値観重視)と現実(階級の残酷さ)は、実は、もう一つのTBSドラマ「ラストフレンズ」とも通底している。
結局、一般的な意味での勝ち組である航空会社の正社員であったエリ(水川あさみ)とオグリン(山崎樹範)の2人が結婚。
そして、無職の母子家庭のミチル(長澤まさみ)と、アルバイトをしながら一流のモトクロスレーサーを目指すルカ(上野樹里)、バーテンとヘアメイクアーティストで食いつなぐタケル(瑛太)は共同生活を選択するのだ。
「Around40」と「ラストフレンズ」。双方とも友情、個性という言葉で曖昧にされているが、階級の残酷さこそ共通テーマという見方も出来るのではないか。
まさむね

テレビドラマ »

[20 6 月 2008 | No Comment | | ]

 ラストフレンズは盗み聞きドラマだ。
主なシーンの順を追ってみよう。
ミチルの母が部屋で男と乳繰り合っている所をミチルが盗み見(第1話)
ソウスケがミチルに暴力を振るっている所をルカが盗み見(第2話)
ミチルが卒業アルバム(ソウスケにルカの顔を塗りつぶされた)を見ている所をソウスケが盗み見(第3話)
オグリンが妻が別の男とデートしているシーンを、オグリンとエリが盗み見(第4話)
シェアハウスを出ようかと思っているとミチルがタケルに話している所をルカが盗み聞き(第6話)
タケルがルカに優しくするも、ルカに拒絶された所をミチルが盗み聞き(第7話)
ミチルがタケルにした告白をルカが盗み聞き(第7話)
オグリンが妻と会っている所をエリが盗み見(第7話)
ルカが見ていた性同一障害のサイトをエリが盗み見(第8話)
ルカとタケルが井の頭公園で抱き合っている所をミチルが盗み見(第8話)
ルカとタケルの楽しそうな会話をミチルが盗み見(第9話)
ルカがミチルを異性として好きだとタケルに話している所をミチルが盗み聞き(第10話)
ミチルがシェアハウスを出たいとタケルに相談している所をルカが盗み聞き(第10話)
ほぼ、1話に1回のペースだ。上記の他にもの覗き見(特にソウスケのミチルに対する)は別途満載、街での偶然の見掛けは沢山あったがここでは省略。
恐らく、5人の男女が一つ屋根の下で暮らすという設定は、盗み聞きドラマには欠かせない設定だったんだろうか。
しかし、我々の感覚からすると、彼らの不用意さは、あまりにもリアリティがない。
この不用意さは、若者特有の経験不足と解釈すべきなのか。あるいは現代の若者に特有の思いっきりのよさと解釈すべきなのだろうか?
ちなみに最終回は、話を回収する会だったため、盗み聞きはありませんでした。
まさむね

芸能, TV番組 マスメディア »

[19 6 月 2008 | No Comment | | ]

今、「特ダネ」の「朝のヒットスタジオ」のコーナーで大沢誉志幸氏が「そして僕は途方にくれる」をスタジオ生ライブやってる。
小倉さん、ノリノリ。そんなに頭、揺らして大丈夫?
まさむね

テレビドラマ, 政治 »

[19 6 月 2008 | No Comment | | ]

道路特定財源の一般財源化の方針が決まり、これから秋にかけて、どの道路を作るの作らないのという激しい論議が水面化で始まりそうだ。
道路を作ることの大きな理由は、地域の活性化とのことである。
確かに、工事中は、地元民にいくばくかの労賃が落ちて若干は潤うのだろうが、開通後は、逆に経済活動が低迷するケースがあまりにも多い。
有名なのはアクアライン開通によって、大型店舗(そごう、ダイエー)が相次いで撤退し、駅前がシャッター街となってしまった木更津である。
そして、この寂れた地方都市の現実を斬新な手法で描いたのが、「木更津キャッツアイ」であった。
このドラマは、時流に取り残された木更津という街で、まったりと生きる野球青年達の群像話である。
主人公のぶっさんは、シャッター通りにある床屋の息子。癌宣告を受け、余命数ヶ月と診断されるが、なかなか死なない。
彼は、財政破綻寸前だが、補助金、交付金、市債等で生き延びる木更津市(というか全国の地方都市)の象徴だ。
オジー(古田新太)は、木更津の高校の先輩。過去の記憶を失い、木更津の守り神(石像)となる。
こちらは、古くからの共同体が崩壊した地方都市が、町おこしと称して、わけのわからないハコモノやオブジェを作成する事によって、逆に土地固有の匂いを消し去っていくという矛盾を婉曲に批判。
木更津的に言えば、海ホタルくんのパロディとも見られる。
また、それ以外のメンバーも、それぞれが、土地の呪縛と閉塞的な現状の中、中途半端な時間を過ごす。
道路による地域活性化は幻想だということを再度、検討すべきだ。
まさむね

J-POP »

[18 6 月 2008 | No Comment | | ]

倖田來未が5ヶ月ぶりに新曲を発売した。月の歌だ。

 君とよく歩いたいつもの道と私
 月と歩きながら悲しいメロディ
  「Moon Crying」(倖田來未)
月を歌うことは、「不在」を歌うこと。
不在の対象は、過去の思い出、愛しい人、そして懐かしい場所、と様々である。
一昨年から昨年にかけての大ヒット曲、「三日月」(絢香)もそうだ。

 君も見ているだろうこの消えそうな三日月
 繋がっているからねって強くなるからねって
  「三日月」(絢香)
恐らく、この月=不在の象徴という観念は、万葉の昔からそれほど変わっていない。
 
 天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも
(大空に輝くあの月は、昔、春日の三笠山に出ていた月と同じ月なんだろうな)
この歌は、遣唐使船、遠い異国の地に渡った阿倍仲麻呂が日本を懐かしんで詠んだ歌だが、この月への感性が、現代のJ-POPにも生きているではないか。
こういった事こそ、伝統だ。
まさむね