Articles Archive for 7 月 2008
テレビドラマ »
遂に、入院が明日に迫った。
本ブログも最低、2週間程度、休止させていただきます。
さて「ROOKIES」の最終回で川藤先生はナインに向かって檄を飛ばした。
臆病でためらいがちな人間にとっては一切が不可能だ。
なぜなら、一切が不可能のように見えてしまうからだ。
あきらめて振ったバットには絶対、ボールはあたってくれない。
だが、自信を持って振れば目をつぶってだってあたることがある。
お前たちが努力して、手にした最大の宝、可能性だ。
確かに素晴らしい言葉だ。
でも、これは自分の悪い癖なのだが、素晴らしい言葉は、そのまま受け取ればいいものの、この思想の起源は何か?などと余計な事を考えてしまう。
恐らく、この発想は、アメリカ発祥のニューソート思想(気持ちを前向きに持つ事によって運命が開けるという考え方)が、生長の家等の新宗教や、自己啓発セミナー等に乗って入ってきたもので、日本の伝統社会の中から自然に出てきたものではないだろう。
僕も大好きな「ROOKIES」であるが、上記の川藤先生の言葉に対して、「じゃあ、その可能性を保証するのは何?」という疑問をぶつけてみれば、容易に「神」という発想に行き当たるような気がする。そして、この発想は「大事なのは、信じる事だ」という信仰にも近いように思える。
心の中にすんなりと入り込んで来る考え方でも、ちょっと距離を置いて見てみると、微妙な問題が透けて見える事がある。
まさむね
源氏物語 古典文学 »
先日、源氏物語の写本が見つかった。
これは、藤原定家がまとめた「青表紙本」とは別の系統の写本も含まれており、大沢という人物が豊臣秀吉から拝領したもので「大沢本」(写真)と呼ばれている。
今回、この写本の発見が重要と思われるのは、現在、流布している写本とは異なる記述の箇所がある事。今後の研究が楽しみだ。
さて、この源氏物語、今から約1000年前に書かれた奇跡の文学である。現代にいたるまで、多くの研究者がこぞって、研究しているが未だに定説が存在しない、その奥深さは尋常ではないのだ。
一般的にこの物語は光源氏という色男の恋の話として通っているが、見方を180度替えると、それは、源氏と右大臣家と左大臣家、三つ巴の政治闘争の話だ。
例えば、光源氏の朧月夜(右大臣家系)への誘惑は、右大臣家に対する挑戦に他ならないし、左大臣家に対する秘密兵器は、源氏が密かに後見していた玉鬘(左大臣家系)である。
一方、朱雀院(右大臣家系)は、出家を機会に娘の女三宮を光源氏に降嫁させるが、この女三宮は源氏と紫の上との関係に微妙なヒビを入れ、しかも、柏木(左大臣家系)との間に不義の子をもうけてしまう。源氏、晩年の暗転の物語は、女三宮の降嫁から始まるのである。
これは、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった源氏に対する右大臣家と左大臣家が連携した周到な復讐という見方も出来る。
勿論、上記は僕のオタク的な勝手な解釈であるが、そういった解釈の幅を許す豊かな物語。
日本が誇る文化的世界遺産を一つ上げろと言われれば、建物でも彫刻でもなくこの文学かもしれない。
まさむね
テレビドラマ »
ROOKIES最終回は感動的だった。
一人の主人公の人気で引っ張るのではなく、各メンバーがそれぞれの見せ場を作った脚本と演出の力量は素晴らしかった。
個人的には、安仁屋(市原隼人)がベンチ裏で泣くシーンが一番。
野球帽のひさしが、男の涙を隠すためにあるという事を改めて思い出させてくれた。
また、御子柴(小出恵介)が奇跡の満塁ホームランを打って、感動のあまり歩きながらダイヤモンドを一周するシーンが二番。
実際に虫垂炎で入院したという小出君。本当に痛くて走れなかったのかも。
そして、球場に入れず、携帯ラジオを聴く川藤先生(佐藤隆太)が、不良達に絡まれた場面で、彼を救った上坂(遠藤要)の男気もGJ。
こういったサイドストーリーがこの物語を豊かにしてくれている。
恐らく視聴率では、「ごくせん」や「CHANGE」のほうが上であろうが、視聴率では計れないインパクトこそ、今の時代、重要だ。
例えば、そのインパクトは、2chのテレビドラマ板のスレ数に現れる。
「ROOKIES」は91にまで伸びた。通常のヒットドラマのスレ数の3倍以上だ。ちなみに、「CHANGE」は30、「ごくせん」は25だった。
しかし、一方で、今回の「ROOKIES」にかけるTBSの番宣攻勢は辟易の感がある。
ドラマの全放送時間が13時間位なのに、なにせ番宣に40時間以上かけたそうだ。
去年、今年とスポット広告料の激減という現実的な背景はあるにしても、一昔前まではあった「公共の電波でこんなことを…」という自制心はどこへいったのか。
しかも、その、なりふり構わない力の入れ方を番宣内で自慢する。
恥じらいのカケラも無い。
しかし、本放送は勿論の事、番宣(再放送やダイジェスト版も含)もほとんど、全て視聴し、さらにYoutubeで各本放送をそれぞれ3回は再確認(再涙)してた俺って、何?
まさむね
テレビドラマ »
テレビ各局で地デジキャンペーンが激しい。
僕個人的には、デジタルになって画像の質がよくなることによって、葬式時に紋付を着た芸能人の家紋が確認しやするくなる(だろう)という楽しみがあるが、一般の人にとってはどうなんだろう。面倒くさいというデメリットの方が大きいような気もする。まぁ、あと3年後だから、その時の混乱は別の意味で楽しみだ。
さて、その地デジと連動して、一方で徐々に普及しつつあるのが、薄型テレビだ。
総務省の統計によると2008年に入って、約3分の1の世帯に普及しているという。(本当か?)
最近のドラマで気になるのが、所有するテレビによって登場人物の所属階層を表現しているという巧妙な嫌らしさだ。
無意識的に薄型=上流、ブラウン管=下流というメッセージ(すなわち、早く買い換えろメッセージ)が送られているような気がする。
典型的なのは、テレビ朝日の「四つの嘘」だ。
高級官僚の家=巨大な薄型テレビ(※しかも背面はガラス張りの庭)
独身の女医の高級マンション=巨大な薄型テレビ
仏壇屋のリビング=普通の薄型テレビ
ボクサーのアパート=普通のブラウン管テレビ
古本屋の奥の居間=テレビ確認できず
今後、他のドラマでもチェックしていきたいと思う。
まさむね
相撲/プロレス/格闘技 »
大相撲.名古屋場所、琴欧洲の横綱昇進も無くなり、ほぼ、白鵬の優勝が決まってしまった。場所前の稽古で朝青龍に5連勝したという琴光喜に期待したが、大爆発とはいかなかった。
一方で、現在幕下筆頭の山本山という力士の調子がいい。恐らく、来場所は十両昇進するには間違いない。期待大だ。
さて、この山本山、どこが期待大かといえば、とにかく体が大きいのだ。体重が230Kgもあるのだ。
元々、大相撲の起源は、相撲を見せる勝負事というよりも、力士のふくよかな肉体を見せる事がメインの見世物だった。
そして、恐らく、そのふくよかな肉体を見せながら、格闘技として興行として成立させるために、丸い土俵を発明したのだ。
およそ、世界中に格闘技で、戦闘エリアから外に出た瞬間に負け、というのは相撲だけである。
柔道、空手、レスリング、ボクシング、シムル、サンボ、カポエラ…どんな格闘技だって、エリアから出たらやり直しである。
ところが、大相撲は、土俵(というルール)を考え出す事によって、極めてユニークな格闘技になった。
これで、”ふくよかな肉体”と”格闘技”という本来、矛盾するものが融合したのだから、土俵というルールを考え出した人は天才である。
さて、極論するならば、日本人は、異界からやって来るふくよかな肉体に幸せを感じ、憧れ続けた歴史を持っている。
古くは達磨さん、布袋、恵比寿から、最近ではビリケン、ドラエモン、トトロから江原さんまで…
最近、外国人力士の増加をいぶかる声もあるが、僕はそうは思わない。
彼らの肉体を見ることこそ、日本の見世物の伝統に沿っているからだ。
大相撲は続いていく。大丈夫だ。
まさむね




