Articles Archive for 20 11 月 2008
歴史・家紋 »
このエントリーでは、これまで取り上げた以外の家紋をまとめて取り上げる。
★鹿角紋:勧進帳において、安宅関で義経一行を通す富樫左衛門を輩出した富樫家の紋として知られている。
近藤重蔵。1771年 - 1829年7月16日、幕臣、探検家。
御先手組与力近藤右膳守知の三男として江戸駒込に生まれる。
幼児の頃から神童と言われ、湯島聖堂の学問吟味において最優秀の成績で合格。
四度蝦夷地(北海道)へ赴き、最上徳内と千島列島、択捉島を探検、同地に「大日本恵土呂府」の木柱を立てる。画像は、正受院の近藤重蔵像より。抱き鹿角紋が確認できる。
近藤日出造。1908年2月15日 - 1979年3月23日、漫画家。
長野県更級郡稲荷山町に生まれる。本名は近藤秀蔵。
読売新聞社に入社し、2面の政治漫画を担当。
日本漫画家協会初代理事長、紫綬褒章、菊池寛賞受賞。
家紋は、近藤氏に多い抱き鹿角紋。
花田清輝。1909年3月29日 - 1974年9月23日、作家・文芸評論家。
福岡県生まれ。第二次世界大戦後初期にかけて後に「復興期の精神」としてまとめられる一連の文章を発表。吉本隆明と戦争責任論をめぐって論争を繰り広げた。中華人民共和国の文化大革命を支持したことでも知られる。主著は『復興期の精神』『鳥獣戯話』『日本のルネッサンス人』等。家紋は丸に下がり抱き袋角。
沖田浩之。1963年1月7日 - 1999年3月27日、アイドル、俳優。
神奈川県川崎市出身。本名:置鮎 広之。家紋は丸に抱き鹿角紋。
芸能界に入る前は竹の子族として活躍、TBSテレビ系列のテレビドラマ『3年B組金八先生』に出演し、人気を博した。
1999年3月27日 自宅で首吊り自殺を図り、死去。
★銀杏紋:いろんな意味がある。中国文化の象徴としての銀杏。知識の象徴として東京大学の校章にも使用。または、火災避けの力があると信じられている。
辰野金吾。1854年10月13日 - 1919年3月25日、建築家。
肥前国(現在の佐賀県)唐津藩の下級藩士の子として生まれる。
帝国大学工科大学学長、建築学会会長をつとめる。
日本銀行本店、東京駅、東京ステーションホテル、韓国銀行貨幤金融博物館等を建築。設計の頑丈さから「辰野堅固」と呼ばれた。家紋は、対い銀杏紋。
久米桂一郎。1866年9月16日 - 1934年7月29日、洋画家。
賀城下八幡小路に生まれる。父は歴史学者の久米邦武。
絵画指導のため画塾「天真道場」を開いた。
また、黒田清輝、岩村透らと美術家の団体・白馬会を結成した。
品川区上大崎に、久米美術館がある。家紋は五つ銀杏。
片岡仁左衛門 (15代目)。1944年3月14日 - 、歌舞伎役者、俳優。
大阪府に生まれる。十三代目片岡仁左衛門の三男。
芸術祭賞、毎日芸術賞、紫綬褒章等を受賞。
テレビドラマ「太閤記」「太平記」「元禄太平記」等に出演。
家紋は丸に二引両。また池上本門寺の片岡氏墓所には一つ銀杏巴の紋(左画像)がある。
中村勘三郎 (18代目)。1955年5月30日 - 、俳優、歌舞伎役者。
東京都出身。十七代目中村勘三郎の長男。姉は女優の波乃久里子。本名は波野哲明。
屋号は中村屋。定紋は角切銀杏。歌舞伎名跡「中村勘三郎」の当代。江戸の世話狂言から上方狂言、時代物、新歌舞伎から新作と、どんな役でもこなす。代表出演作『元禄繚乱』(大河ドラマ)『仮名手本忠臣蔵』(歌舞伎)『真夜中の弥次さん喜多さん』(映画)。
★牡丹紋:牡丹は藤原氏宗家近衛家の紋。鷹司家も使用。武家では島津家、伊達家、津軽家などが使用。
荒木村重。1535年 - 1586年6月20日、戦国時代の武将。
摂津池田家の家臣・荒木信濃守義村の嫡男として池田に生まれる。
三好三人衆の調略にのって寝返り池田家を掌握。
後に、三好家から織田信長に寝返り、石山本願寺攻め、紀州征伐など各地を転戦し、武功を挙げたが、さらに信長にも反旗を翻し徹底抗戦、最後は毛利氏に亡命。
津軽為信。1550年1月18日 - 1608年1月22日、戦国時代の武将、江戸前期の大名。
大浦守信の嫡男(養子)で、弘前藩の初代藩主。
豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して、秀吉より所領を安堵された。大浦政信が近衛尚通の落胤だという伝承にちなみ、元関白近衛前久の猶子となり、本姓を藤原とした。家紋の津軽牡丹は、その印として、近衛家から下賜された。牡丹紋の他、卍紋も使用。
陸奥宗光。1844年8月20日 - 1897年8月24日、政治家、外交官。
紀州藩藩士伊達宗広と政子(渥美氏)の六男として生まれる。勝海舟の神戸海軍操練所に入り、坂本龍馬の海援隊に 加わるなど始終坂本と行動をともにした。
日墨修好通商条約、日英通商航海条約等を締結。 「カミソリ大臣」と呼ばれ、外務大臣として不平等条約の改正に辣腕を振るった。家紋は仙台牡丹。
近衛文麿。1891年10月12日 - 1945年12月16日、政治家。
公爵近衛篤麿と旧加賀藩主で侯爵前田慶寧の三女・衍子の間の長男として、東京市麹町区で生まれた。日中戦争(支那事変)勃発、日独伊三国軍事同盟時の内閣総理大臣。
第5代貴族院議長。第34、38、39代内閣総理大臣。
細川護熙(内閣総理大臣) は外孫にあたる。
★算木紋:算木をデザインした紋。算木はには呪術的な意義がある。
新門辰五郎。1800年? - 1875年9月19日、町火消、鳶職、香具師、侠客。
父は中村金八。町田仁右衛門の養子となる。娘は江戸幕府15代将軍徳川慶喜の妾。
鳥羽伏見の戦いの後に慶喜が大坂から江戸へ逃れ、上野寛永寺に謹慎した際には寺の警護、上野戦争での伽藍の防火、慶喜が水戸、静岡と移り謹慎するとそれぞれ警護を務めている。
歌舞伎の「め組の喧嘩」の当事者め組の辰五郎。家紋は丸に二つ算木。
江戸川乱歩。1894年10月21日 - 1965年7月28日、小説家・推理作家。
代表作は『怪人二十面相』『人間椅子』『黄金仮面』など。江戸川乱歩賞は第3回より長編推理小説の公募賞となっている。衆道の少年愛や少女愛、草双紙、サディズムやグロテスク趣味などへの志向も強かった。日本推理作家協会初代理事長。
祖父の代まで津藩士であったという平井家の紋は、七宝に二つ算木。
三木清。1897年1月5日 - 1945年9月26日、哲学者。
兵庫県揖保郡平井村小神出身。人間学を基礎とした独自のマルクス解釈を展開。
治安維持法の容疑者をかくまったという嫌疑により検挙・拘留される。
代表著作は『哲学入門』『人生論ノート』『哲学ノート』など。
家紋は丸に算木。名字の三木の三と算をかけているのか?
★唐花紋:大陸から伝来した架空の花を紋章にしたのがこの唐花。宮崎県で22位、奈良県で27位、高知県で28位というのが比較的多いところ。
渋川春海。1639年12月27日 - 1715年11月1日、天文暦学者、囲碁棋士、神道家。
江戸幕府碁方の安井算哲の子として京都四条室町に生まれた。
初代幕府天文方に任ぜられ、碁方は辞した。以降、天文方は世襲となる。
地球儀をはじめ、天球儀・渾天儀・百刻環などの天文機器を作成。
画像は、東京都品川区の東海寺にある墓所にて。
伊能忠敬。1745年2月11日 - 1818年5月17日、測量家。
上総国山辺郡小関村の名主・小関五郎左衛門家で生まれる。
江戸幕府の天文方・高橋至時に師事し、測量・天文観測などを修めた。
全国を歩いて測量し、「大日本沿海輿地全図」を作成。
大変精度の高い日本地図として評価された。
中村主水。時代劇・必殺シリーズに登場する藤田まこと演じる架空の人物。
職業は江戸町奉行所の同心。登場当初は北町奉行所勤務、後に南町奉行所へ転属となった。
妻・りつ、姑・せんと三人で暮らす婿養子で、子供はいない。
奥山神影流、御嶽新影流、小野派一刀流、一刀無心流の免許皆伝。
奉行所では『昼行灯』を決め込んでいるためその真の腕は誰も知らない。
★違い棒紋:藤原秀郷の百足退治伝説が家紋化した。棒は矢が簡略化したものと言われている。
丹羽長秀。1535年10月16日 - 1585年5月15日、武将・大名。
丹羽長政の次男として尾張国春日井郡児玉に生まれる。元々、斯波氏家臣の家。
信長の家臣として、長篠の戦いや越前一向一揆征伐など、各地を転戦して功を挙げる。
本能寺の変後は、秀吉派につくが、賤ヶ岳の戦いの2年後に病死。
丹羽氏は代々二本松藩主として江戸時代生き残る。家紋は丹羽違い木。
丹羽基二。1919年9月5日 - 2006年8月7日、苗字研究家。
栃木県佐野市生まれ。國學院大学国文科で柳田國男、折口信夫らに師事した。
全国の100万基の墓を巡った。日本家系図学会会長、「地名を守る会」代表 。
在野の研究家として苗字だけにとどまらず、家紋、墓、仏足石、紋様などの研究も行う。
代表作品『日本の伝統紋様』『お墓のはなし』『日本苗字大辞典』。
(2代目)大川橋蔵。1929年4月9日 - 1984年12月7日、歌舞伎役者、時代劇俳優。
柳橋の芸妓の子として生まれ小野家の養子となる。本名は丹羽 富成。
六代目尾上菊五郎の妻・寺島千代の養子となり、その実家の「丹羽」姓を継ぐ。『銭形平次』はあたり役として18年間ドラマシリーズが続く。長男はフジテレビプロデューサーの丹羽朋廣、俳優の丹羽貞仁は次男。画像は雑司が谷墓地にて。家紋は丸に違い棒紋。
★稲紋:全国にあるお稲荷さんの神紋、熊野権現の流れを汲む鈴木氏の代表紋。
大佛次郎。1897年10月9日 - 1973年4月30日、作家・小説家。
本名:野尻清彦。神奈川県横浜市英町10番地の宮大工の家に生まれた。「大佛次郎」のペンネームは鎌倉大仏裏に住んでいたところから来る。
『鞍馬天狗』シリーズの作者として有名で、現代小説、歴史小説、ノンフィクション、童話などを幅広く手がけた。画像は鎌倉、寿福寺の墓所にある稲の丸紋。
藤村有弘。1934年3月6日 - 1982年3月16日 、俳優・声優。
東京府東京市神田区(現:東京都千代田区)出身。
喜劇役者として映画などで個性的な役柄を演じた。『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョの声やインチキ外国語の芸で一世を風靡。
家紋は、包み抱き稲紋。
★笠紋:竹を立てると書いて「笠」、笠は元々神のより代であった。高橋姓の代表紋。
柳生宗矩。1571年 - 1646年5月11日、武将、大名、剣術家。
大和国柳生の領主で、剣術家・柳生宗厳(石舟斎)の五男。
関ヶ原の戦いで功をたて、父の旧領の大和国柳生庄2000石を取り戻すことに成功する。
将軍家師範(柳生新陰流の家元)としての江戸柳生の地位を確立した。
家紋は、柳生笠紋といわれる二つの笠が並んでいる家紋。
熊沢蕃山。1619年 - 1691年9月9日、陽明学者。
京都稲荷の浪人であった父・野尻藤兵衛一利の息子。通称は次郎八・助右衛門。
8歳の時、母方の祖父、熊沢守久の養子となり熊沢姓を名乗る。
中江藤樹の門下に入り陽明学を学び、岡山藩に出仕。農業政策を充実させた。
その思想は、幕末期に、藤田東湖、吉田松陰などが傾倒し、倒幕の原動力となった。
★銭紋:貨幣は呪術的な側面がある。縁起物として紋として使用された。
真田昌幸。1547年 - 1611年7月13日、武将・大名。
甲斐武田氏家臣となった信濃の地域領主・真田氏の出自。
真田氏は滋野氏流を称する海野氏の傍流とされる。
上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで知られ、戦国時代きっての知将、謀将と言われる。家紋は六文銭。
仙石秀久。1552年2月20日 - 1614年6月13日、武将・大名。
美濃の豪族・仙石久盛の四男として美濃で生まれる。
仙石氏は清和源氏である土岐氏の支流。
秀吉最古参の家臣で、家臣団では最も早く大名に出世した。
信濃小諸藩の初代藩主。出石藩仙石家初代。家紋は丸に無の字紋と永楽銭紋。
★独楽紋:独楽は子供の遊戯。遊び心とそのあやういバランス感覚、不思議さを紋とする。
千利休。1522年 - 1591年4月21日、戦国時代、安土桃山時代の茶人。
和泉の国堺の商家(屋号「魚屋(ととや)」)の生まれ。家業は納屋衆(倉庫業)。
わび茶(草庵の茶)の完成者として知られる。織田信長が堺を直轄地としたときに茶頭として雇われ、のち豊臣秀吉に仕えたが、後に、秀吉と対立。切腹させられる。
画像は、利休ゆかりの大徳寺・聚光院にて。
木下家定。1543年- 1608年10月4日、武将。
本姓は豊臣氏。家系はもともと桓武平氏流の杉原氏だったが、後に木下氏と改称。
豊臣秀吉の正室であった高台院の兄弟。五男に小早川秀秋がいる。
関が原の戦いでは、高台院の警護を務めた功績により備中足守に2万5千石を得る。
備前足守藩初代藩主。家紋は木下独楽。
★浪紋:浪は海神が宿ると言われていた。その海神の力にあやかった紋。
斉藤道三。1494年 - 1556年5月28日、戦国武将。
父は長井新左衛門尉(豊後守)。
美濃(岐阜県南部)の戦国大名斎藤氏の初代当主。
息子・義龍へ家督を譲ったが、ほどなくして義龍と対立。義龍軍に敗れ、討ち死にした。
家紋は、道三波紋と言われている。
小栗忠順。1827年 - 1868年5月27日、幕臣。
新潟奉行・小栗忠高の子として江戸駿河台邸に生まれる。小栗上野介とも称される。日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米、地球を一周して帰国。財政再建やフランス公使レオン・ロッシュに依頼しての洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行う。大政奉還後も薩長への主戦論を唱えるも容れられず、罷免される。家紋は、小栗浪紋。
★柊紋:柊は魔除けの木として、古来、節分などに使用される。また、クリスマスの時にも供えられる。
山田浅右衛門。1813年 - 1884年12月29日、御様御用。
備中新見藩の藩士後藤五左衛門の次男。旧名は後藤五三郎、山田家に養子に入る。
代々家業の奉行所の死刑執行人として吉田松陰、橋本左内等の首も刎ねた事で有名。
公儀御用のほかに御三家御用、さらには公儀腰物拝見役を拝命。
維新後、山田家伝来の名刀「備前長船景光」を宮内省に献上。
堀口大學。1892年1月8日 - 1981年3月15日、詩人、フランス文学者。
東大生堀口九萬一(のち外交官)の長男として、東京・本郷に生まれる。大學という名前は、出生当時に父が大学生だったことと、出生地が東大の近所であることに由来。家紋は抱き柊。
アポリネール、アンドレブルトン、ランボオ、コクトー等の訳詩を手掛ける。
訳詩集『月下の一群』は、上田敏『海潮音』や永井荷風『珊瑚集』と並ぶ名訳詩集とされる。
★紅葉紋:藤原北家の閑院流の今出川家の代表紋。散りゆく紅葉は嫌われ、使用家は少ない。
福沢諭吉。1835年1月10日- 1901年2月3日、教育者、著述家。
豊前国中津藩の蔵屋敷で下級藩士福澤百助・於順の次男(末っ子)として生まれる。
東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長、慶應義塾創設者。
代表作品は「学問のススメ」「西洋事情」「福翁自伝」など。
写真は息子の福沢百助の墓で撮影。
市川門之助。1862年 - 1914年8月20日、歌舞伎役者。
出雲国(現在の島根県)松江の出身。本名・荒川清太郎。
『大森彦七』で師の彦七に千早姫をつとめ生涯最大の当り役となる。
「酒屋」のお園、「鏡山」の尾上などの丸本物を得意とした。
家紋は、四つ紅葉。画像は雑司が谷霊園の墓所にて撮影。
★鞠挟み紋:平安時代の貴族の遊戯、蹴鞠を挟む道具を図案化した紋。
幣原喜重郎。1872年9月13日- 1951年3月10日、政治家、外交官、第44代内閣総理大臣。
大阪府門真一番村(現門真市)の豪農の家に生まれた。家紋は「鞠ばさみに梅鉢紋」
外務大臣になったのは1924年の加藤高明内閣が最初。以降、若槻禮次郎内閣(1次・2次)、濱口内閣と4回外相を歴任。
彼の1920年代の自由主義体制における国際協調路線は「幣原外交」とも称された。
小畑惟清。1883年6月2日 - 1962年7月23日、元日本医師会会長。
熊本県出身。家紋は鉄砲角に八段鞠挟み紋。
論文『胎児骨盤の化骨核』により医学博士となる。産婦人科医として活躍。
東京都特別区公安委員長、日本医科大学監事、東京都医師会会長を歴任。
藍授褒章受章。
★升紋:升は昔から「増す」の意味で、めでたいものとされていた。四角い升を上からみたデザイン。
市川団十郎。歌舞伎役者の名跡。
屋号は成田屋。定紋は三升。
歌舞伎の市川流の家元であり、歌舞伎の市川一門の宗家でもある。
歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされている。現在は、十二代目。
写真は、青山霊園の市川団十郎の墓所の、花入れを上から撮影したもの。
市川左團次(四代目)。1940年11月12日 - 、俳優、歌舞伎役者。
本名は荒川 欣也。長男に六代目市川男女蔵、孫に七代目市川男寅がいる。
『天下茶屋』の東間、『勧進帳』の常陸坊、『助六』の意休などが当り役。
テレビではNHK大河ドラマ『義経』で金売り吉次役、『風林火山』で上杉憲政役を演じる。
画像は、池上本門寺の三代目の墓所にて撮影。家紋は三升に左。
★稲妻紋:雷神の力にあやかった紋。通常「雷紋」
車寅次郎。「男はつらいよシリーズ」主人公。
東京、葛飾柴又の門前にある老舗の草団子屋「くるまや」五代目主人・車平造と、柴又芸者・菊(ミヤコ蝶々)の間に生まれる。16歳のとき、葛飾商業を中退して、放浪の旅暮らしのなかテキヤとなる。あだ名は「フーテンの寅」。家紋は帝釈天題経寺、表参道のくるまやの紋をとって、稲妻紋(画像は帝釈天で撮影)とした。主役の渥美清(田所康雄)は藤巴紋。
★水車紋:水車の不思議な力と形状の優雅さ、面白さから家紋となる。
土井利勝。1573年4月19日 - 1644年8月12日、譜代大名。
徳川家康の伯父・水野信元の三男として生まれるが、後に徳川家家臣・土井利昌の養子になる。一方、幼少より家康から破格の寵愛を受けており、落胤という説もある。家光の治世には、寛永通宝の鋳造を柱とする新通貨制度を制定。大老となる。画像は、利勝の三男で越前大野藩主となった利房系の土井利恒の墓所にて撮影。丸に六柄杓車紋。
★鉄線紋:鉄線は、梅雨の頃るり色の花をつけるツル草の一種。根は通風の薬となる。
藤山雷太。1863年9月13日 - 1938年12月19日、実業家。
肥前国松浦郡大里村の庄屋を務めていた伊吹家の三男として生まれる。
芝浦製作所(後の東芝)の支配人、王子製紙の専務取締役を歴任。
歌舞伎座取締役、帝国劇場の創立にも関わる。
慶應義塾大学構内に銅像がある。家紋は鉄線と丁子。
★船紋:海事に関係のある家がその印として用いる。
名和長年。生年不詳 - 1336年8月7日、南北朝時代の武将。
伯耆国名和で海運業を営んでいた名和氏の当主。元弘の変で鎌倉幕府の討幕計画が露見し捕縛されて隠岐島に流罪となっていた後醍醐天皇が、島を脱出すると、これを船上山に迎え、討幕運動に加わる。建武の新政において、記録所や武者所、恩賞方や雑訴決断所などの役人を務め、帆掛け船の家紋を与えられる。
★鷺紋:神の使いとしての鷺を神紋としたことから始まる。
小泉八雲。1850年6月27日 - …
TV番組 マスメディア »
昨晩は、久米宏のテレビってやつは!?のチャンネルを合わせた。
まずは大麻の話だ。
久米さん曰く「大麻を持っているだけで逮捕なのに、タバコは全く問題なし。って落差が激しくありませんか」
いまさらながら、その通りだと思った。
僕も以前から、大麻ってそんなに悪いの?って思っていたからね。
でも、テレビで、大麻というタブーをここまで、擁護するのもめずらしい。さすが久米さんの番組だって思って関心。
ところが、次は麻生首相の話。
登場は小泉さんの懐刀、飯島秘書官。
麻生さんが秋葉原やネットで人気という話になり、飯島さんが「ネットの書き込みを世論と思うのは間違い、所詮便所の落書」って発言した途端に、話題を変える久米さん。
大麻という、既に踏みやすくなっている地雷は、積極果敢に踏んだ久米さんだが、本当に危険な地雷からは逃げた...と感じたのは僕だけだろうか。
まさむね
源氏物語 古典文学, J-POP »
CDのミリオンセラー(シングル)が出なくなったよね。
このままで行けば、今年は一曲も出ないかもしれない。
おそらく、こんなことは、1990年以降では初めての状況である。
でも、こんな時代ではあるけど、現在、最も、今日的なメジャーアーティストは誰かと問うならば、EXILEという答えに異存無い人は多いと思う。それほど、彼らの楽曲はヒットチャートの常連なのである。
さて、このEXILEであるが、その特徴はR&Bを基礎とした官能的なサウンドと世界観にある。
わかりやすい言葉で言えば、その世界は「不在の彼女(彼氏)が残していったぬくもりを愛おしく思う一瞬」を歌にした感じだ。
例えば、彼らの代表曲「ただ・・・逢いたくて」。
ただ逢いたくて…もう逢えなくて
くちびる噛みしめて泣いてた。
今逢いたくて…忘れられないまま
過ごした時間だけがまた一人にさせる
そして、昨年のヒット曲「I believe」。
君のもとへ飛んで行きたい
いつもそばで感じていたい
瞳閉じて君を映し出す
今だけは寄り添って 君だけを感じたい
繋いだその手を 離さないように
君がいる季節は 何よりも輝いて
優しく包んでくれるから
さらに、最新のヒット曲「Ti amo」。
日曜日の夜は ベッドが広い 眠らない想い 抱いたまま朝を待つ
帰る場所がある あなたのこと 好きになってはいけない わかってたはじめから
どれだけの想いならば 愛と呼んでいいのでしょうか?
この胸をしめつけてる この気持ちに名前をください
これらの歌詞には、くちびる、瞳、手、胸という肉体的な言葉がちりばめられているが、それが彼らの創り出す世界をなまめかしくしているんじゃないかな。
相手の不在を想い、心を焦がすというのは、恋の基本シチュエーションだが、このEXILEの世界の艶かしさって、どこかであったなぁと思い返してみると、実は日本の伝統、平安王朝の和歌の世界がまさにそれなんだよね。言うまでもないんだけど、平安時代の貴族階級ってのは、通い婚なんだよね。男が女の屋敷に夜這いをかけるのが唯一の逢う方法。だから、女は待つしかない。その待つ身の切なさが平安文学を生む土壌にあるんだよね。
例えば、その代表歌が、待賢門院堀河の有名な一首。百人一首にも引かれてるから知ってる人も多いと思う。
ながからむ心もしらず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ
(ずっと好きだよって言うあなたの気持ちも、本当かなぁって思ってしまう。あなたが行ってしまった朝の寝乱れた黒髪のように心が乱れるんだから)
また、同じく百人一首にある藤原道綱の母の一首。
嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る
(また、来てくれなかったあなたのことを嘆きながら過ごす独り寝の夜が、こんなに長いなんて、あなた、わかってるのかしら)
ねっ、EXILEの世界と通底しているでしょ。
EXILEが、現代日本で受けているのは、R&Bのリズムと日本独特の平安貴族の感性の融合が生み出す肉体性(官能性)なんじゃないかな。
だから、昨年の日本レコード大賞の授賞式で、最優秀歌唱賞受賞の瞬間、ATSUSHIの後ろで作り笑いをしていたパフォーマーの面々、そんな顔をする必要は無いんだよ。
パフォーマー達のダンスがあるからこそ、EXILEの世界の肉体性がリアリティを帯びるんだからね。
まさむね
一本気メモメモ, 政治 »
IMFは地球上で一番まともな金貸しだよ。
返済計画を強制するし、場合によっては民間企業の解体バラ売りもやる。
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IMFから金を借りるというのは、半分植民地になるようなもの。
じゃあ借りなきゃいいじゃんって話だけど、借りずにデフォルトすると、
もう国としてやっていけない。その国の持ってる金の価値がなくなるからな。
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日本の外貨準備から
10兆円程度をめどに資金拠出すると麻生太郎首相が表明することが12日固まった。
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「今は円に換えることができない1000億ドルを、
利子付で貸してる」だけだと何度言えば以下略
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ドル動かす必要ないというか、余ってるんだよ。
今、日本からすれば極端な円高ドル安なわけよ。
ここで円が欲しいからといってドルを売ればもう世界大混乱。
そんなわけで本来は円を売ってドルを買わないといけない。
つまり「ドルを動かす」ってのを国がやるとなると、
「国内で不足気味の円を手放して手をつけることができないドルを
買わないといけない」わけだ。
そのドルを買うための円はどこから?
国債?税金?
それこそおまいさんがやってる「無駄づかい」でしかならないわけだ
そうなると、今持ってるドルは塩漬けにしないといけない
そんことするぐらいならIMFに融資すれば、先進国のスタンスを保ちつつ、
長期的にさらにドルという蓄えを増やし、「直接金よこせ、踏み倒させろ」
と言ってくる韓国を牽制することもできる、一石三鳥以上の手段なわけだ
日本政府、IMFに10兆円拠出 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww
おまけのコピペ
IMFが2000億ドル(20兆円)欲しいって言ったんだよ。
んで日本が「じゃあ俺が半分だしてやんよ」って言った。
ちびちび出すよりインパクトはでかいと思うよ。
全額でないのは残り半分は自称含む先進諸国御一同さま
と外貨保有高世界1位の国が出し合えばいいでしょ?
あれあれ?面子大事な中国様どしたの?出さないの?
G20の会合の時にはきっと発表してくれるよね?wktk
という状態。
いい外交カードを切ったんじゃね?
漫画・アニメ »
手塚治虫は、小中学生の頃、秋田書店の単行本で読みまくった。
「バンパイヤ」「W3」「どろろ」「リボンの騎士」「海のトリトン」「マグマ大使」「ビッグX」、みんな懐かしいな。
勿論、「火の鳥」「ブッダ」「ブラック・ジャック 」や「鉄腕アトム」も大好きだった。
当時はプロ野球といえば、みんな巨人ファンだったけど、僕は名前がアトムズだったって事だけで、サンケイのファンだったんだ。
手塚治虫の偉業なんて、一言では言えないけど、少年向けSF漫画のスタイルを確立した事。と同時に、当時の少年達に、科学的、社会的知識を知らず知らずに教えてくれたこと。例えば、僕は「バンパイヤ」でLSDっていう幻覚剤がアメリカで流行っているって事知ったんだよ。60年代~70年代初めに少年時代を過ごした世代の僕らが、今、考えてみると、手塚さんはその時代のヒューマニスティック・ファンタジスタだったんだと思う。
でも、時代が漫画にそれ以上を求めるようになってくると徐々に時代からずれていったんじゃないかな。
ちょうどイメージ的には、ジョンレノンが70年代に入ると泥臭いアメリカンサザン・ロック(リアリズム系=すなわち、劇画系)や音楽性の高いブリティッシュロック(テクニック系=すわなち、大友、宮崎系)に圧されていくさまに近い。
手塚さんは結局、少年漫画家に域から出られなかったのかもしれないっていうのは言いすぎかな。評価、難しいけどね。
それに、手塚さんは、ところざわさんが言うように、石の森や大友、梶原一騎、さいとう・たかお、そして水木しげるなんかに対しても、偏狭なライバル心を持っていたようだね。
初対面の水木さんに対して、「あなたの漫画だったら僕はいつでも描けるんですよ」って言って、「どろろ」を書いたというエピソードもあるよね。
晩年、自らの原稿を持って出版社周りをしたというエピソードも。
でも、この偏狭さ(反おおらかさ)が好きだ。僕は、これこそ、手塚さんの天才の証(聖痕)だと思う。
まさむね
書評, 源氏物語 古典文学 »
たとえ政治・経済・法制度が一変し、一夫多妻の結婚形態が消滅したとしても、永遠にかわらないものがある。
いや、それぞれの時代の人々の心に合わせて変り続けることで、不死の生命を獲得し続けたものがある。
それが日本人にとっての源氏物語だった。
-「源氏物語ものがたり (新潮新書 284)」島内景二 P54-
伝統を守るということは本当に大変な事である。この本を読むと、その事がよくわかる。
藤原定家、四辻喜成、一条兼良、宗祇、三条西実隆、細川幽斎、北村季吟、本居宣長、アーサーウェリー。
この本で紹介された面々、まるで駅伝のタスキをつなぐかのごとく、連綿と歴史の荒波から源氏物語を守ってきた。
さらに、それだけじゃなく、それぞれが生きた時代の新しい感性でもって、都度、源氏物語を再生させてきたのである。
例えば、室町時代に連歌師として一斉を風靡した宗祇は、当時、最もイケてるコンセプト、”幽玄”をもってして、作品に込められた登場人物の心を深く思いやる鑑賞方法を、次の三条西実隆に伝授したという。
しかし、それは決して、彼らだけの偉業ではない。
彼らに源氏物語を守るような立場を与え続けた、その他の多くの日本人の気遣いがあったことも忘れてはならない。
それらの人々とは、時の天皇は勿論だが、時代によっては、武家であり町人であった。
例えば、”源氏物語を守るための運命のタスキ”を受けていた一人、細川幽斎。
彼は文化人とは別に、戦国武将としての一面も持っていた。
幽斎は、関が原の戦いに東軍の一武将として参戦していたが、西軍に城を包囲され、絶体絶命のピンチになってしまったのだ。
しかし、その時、後陽成天皇は勅使を派遣し、和議を結ばせて、幽斎の命を救おうとした。というか、源氏物語を初めとする古典文学を守ろうとしたのだ。
戦とは、生きるか死ぬかのギリギリの状況下で行われる。
しかし、その勅使が来た時に、西軍の武将・前田茂勝は、あっさりと城の包囲を解いた。
天皇からの勅命だったという事もあるが、茂勝自身が、源氏物語の文化的価値を前に、幽斎に、屈したのである。
そらに、その心がわかる徳川家康は、この前田茂勝の領地を安堵したというのは言うまでもない。
さて、今後、この”源氏物語を守るための運命のタスキ”はどのように引き継がれていくのであろうか。
グローバリズムやコスモポリタニズムの美名のもと、今後、日本人のアイデンティティを危うくするような危機が何度も襲ってくるに違いない。
「どうして、学校で、源氏物語なんかやる必要があるの?その分、英語や中国語を勉強させろよ」っていう勢力が増えてくる時代が必ず来る。
その時、源氏物語を誰がどうやって守るのか、あるいは、守る必要があるのかという国民的コンセンサスの確立は急務だ。
それは、ある意味、憲法改正や、核保有よりも大事な防衛政策かもしれない。
まさむね



