Articles Archive for 20 11 月 2008
歴史・家紋 »
このエントリーでは、これまで取り上げた以外の家紋をまとめて取り上げる。
★笠紋:竹を立てると書いて「笠」、笠は元々神のより代であった。高橋姓の代表紋。
柳生宗矩。1571年 - 1646年5月11日、武将、大名、剣術家。
大和国柳生の領主で剣術家・柳生宗厳の五男。読みは、やぎゅうむねのり。関ヶ原の戦いで功を立て旧領の大和国柳生庄を取り戻す。将軍家師範(柳生新陰流の家元)としての地位を確立。家紋は柳生笠紋。画像は多磨霊園の別の柳生家の墓所で撮影。
熊沢蕃山。1619年 - 1691年9月9日、陽明学者。
京都稲荷の浪人・野尻藤兵衛一利の息子。通称は次郎八・助右衛門。母方の祖父、熊沢守久の養子となり熊沢姓を名乗る。中江藤樹の門下に入り陽明学を学び岡山藩に出仕。農業政策を充実させた。その思想は幕末期に吉田松陰などに影響を与えた。
月森十兵衛。元禄時代、侍。
池波正太郎原作のテレビ時代劇「編笠十兵衛」の主人公。将軍側近中根正冬の部下で、公儀隠密の資格を持つ。公儀の歪みを正す剣豪の活躍を描く忠臣蔵外伝である。テレビシリーズでは、高橋英樹、村上弘明等が主人公を演じている。家紋は二階笠紋。
★升紋:升は昔から「増す」の意味で、めでたいものとされていた。四角い升を上からみたデザイン。
市川団十郎。江戸時代~、歌舞伎役者の名跡。
屋号は成田屋。歌舞伎の市川流の家元であり、歌舞伎の市川一門の宗家でもある。歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされている。現在は、十二代目。定紋は三升。写真は、青山霊園の市川団十郎の墓所の、花入れを上から撮影したもの。
三升亭小勝 (4代目)。1856年3月 - 1906年4月6日、落語家。
江戸出身の落語家。本名は石井清兵衛。日本橋箱崎町の船宿鈴木屋の息子。伊志井寛の父、石井ふく子の祖父、石井希和の曽祖父。初めは3代目春風亭柳枝門下で枝雀を名乗り、後に2代目の春風亭柏枝と改める。「狸の小勝」と言われた。家紋は三升紋。
市川左團次(四代目)。1940年11月12日 - 、俳優、歌舞伎役者。
本名は荒川欣也。長男に六代目市川男女蔵、孫に七代目市川男寅がいる。『勧進帳』の常陸坊、『助六』の意休などが当り役。テレビでは大河ドラマ『義経』で金売り吉次役を演じる。家紋は三升に左字紋。画像は本門寺の三代目の墓所にて撮影。
★鞠挟み紋:平安時代の貴族の遊戯、蹴鞠を挟む道具を図案化した紋。
幣原喜重郎。1872年9月13日 - 1951年3月10日、政治家。
大阪府門真一番村の豪農の家に出生。読みは、しではらきじゅうろう。加藤高明内閣を始め4回も外務大臣になる。自由主義体制における国際協調路線は幣原外交と称された。後に第44代内閣総理大臣となる。家紋は鞠挟みに梅鉢紋。画像は染井霊園にて撮影。
小畑惟清。1883年6月2日 - 1962年7月23日、元日本医師会会長。
熊本県出身。読みは、おばたいせい。論文『胎児骨盤の化骨核』により医学博士となる。東京都特別区公安委員長、日本医科大学監事、東京都医師会会長などを歴任。藍授褒章受章。家紋は鉄砲角に八段鞠挟み紋。画像は多磨霊園にて撮影。
大西瀧治郎。1891年6月2日 - 1945年8月16日、海軍軍人。
兵庫県氷上郡芦田村出身。神風特別攻撃隊の編成を行なったことにより「特攻の父」「特攻生みの親」などと呼ばれている。最終階級は海軍中将。日本の敗戦を見とどけ8月16日に自決。家紋は鞠挟みに違い鷹の羽紋。画像は総持寺にて撮影。
★杵紋:杵は餅つきの祝時に用いる。杵紋は慶祝を表す。
岡田以蔵。1838年2月14日 - 1865年6月4日、土佐藩郷士。
香美郡岩村の郷士・岡田義平の長男。武市瑞山の結成した土佐勤王党に加盟。井上佐市郎、本間精一郎などを暗殺し「人斬り以蔵」と恐れられた。吉田東洋暗殺・京洛における一連の暗殺の罪で捕縛。打ち首、晒し首となる。家紋は丸に並び杵紋。
井上毅。1844年2月6日 - 1895年3月15日、官僚、政治家。
熊本藩家老長岡監物の家臣飯田家に生まれ井上茂三郎の養子になる。明治政府の司法省に仕官する。大日本帝国憲法や皇室典範、教育勅語、軍人勅諭などの起草に参加。第2次伊藤内閣の文相。家紋は折敷に三つ並び杵紋。谷中・瑞輪寺にて撮影。
内藤鳴雪。1847年4月15日 - 1926年2月20日、俳人。
伊予松山藩の上級武士内藤房之進の長男。正岡子規を俳句の師とし高浜虚子のホトトギス、万朝報、読売新聞等の俳句選者になる。家紋は内藤氏の「輪鼓に手鞠」の手鞠を三日月に輪鼓を杵に見立てた真向い月に杵紋。画像は青山霊園にて撮影。
★杉紋:三輪神社の神紋。日本古来の自然信仰にルーツを持つ人々の紋といえる。
岩瀬忠震。1818年12月18日 - 1861年8月16日、幕臣、外交官。
旗本設楽貞丈の三男で、男系で伊達政宗の子孫にあたる。読みは、いわせただなり。列強との折衝に尽力。水野忠徳、小栗忠順と共に幕末三俊と顕彰された。島崎藤村の「夜明け前」にも登場する。家紋は丸に三本杉紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。
杉孫七郎。1835年2月13日 - 1920年5月3日、長州藩士、官僚。
周防国吉敷郡に植木五郎右衛門の次男として生まれ杉家の養子となる。下関戦争では井上馨とともに和議に尽くし、四境戦争では長州軍の参謀として活躍。維新後には宮内大丞、秋田県令、枢密顧問官を歴任。家紋は重ね三本杉紋。青山霊園の墓所にて撮影。
戸川猪佐武。1923年12月16日 - 1983年3月19日、評論家・作家。
神奈川県平塚市出身。父親は小説家で平塚市長の戸川貞雄。新聞記者から評論家に転じ、TBSの『JNNニュースコープ』でメインキャスターを務める。代表作は『小説吉田学校』『小説三木武吉』等。家紋は藤原流戸川氏の代表紋の三本杉紋。
★山形紋:山を形象化した紋。
伊地知幸介。1854年2月3日 - 1917年1月23日、陸軍軍人。
薩摩藩士伊地知直右衛門の長男として生まれる。薩摩閥の1人。西南戦争、日清戦争、日露戦争に出征。最終階級は陸軍中将。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』より辛辣な評価が一般的に広く知られている。家紋は三ツ盛り山紋。青山霊園の墓所にて撮影。
重宗雄三。1894年2月11日 - 1976年3月13日、政治家、実業家。
山口県岩国市出身。運輸大臣、自民党参議院議員会長などを経て、参議院議長となり、9年間務める。参議院のドンとして、池田勇人、佐藤栄作内閣を支える。その権力ゆえに「重宗天皇」などと称された。家紋は丸に違い山形紋。谷中霊園にて撮影。
都井睦雄。1917年3月5日 - 1938年5月21日、犯罪者。
岡山県苫田郡加茂村大字倉見に生まれた。2時間足らずで30名(自殺した犯人を含めると31名)が死亡し、3名が重軽傷を負うという、日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件(津山三十人殺し)の犯人。家紋は丸に違い山形紋。
★石畳紋:着物の柄としても人気の市松模様、石畳文様を家紋にした。
柳亭種彦。1783年6月11日 - 1842年8月24日、戯作者。
食禄200俵の旗本の高屋家の一人息子として江戸の本所に出生。洒落本『山嵐』を出版。山東京伝、葛飾北斎、歌川国貞らと交わる。長編『偐紫田舎源氏』はベストセラーとなり、キャラクターグッズまで販売されたが天保の改革により譴責された。
仁科亜季子。1953年4月3日 - 、俳優。
東京都出身。父は歌舞伎俳優・十代目 岩井半四郎(本名は仁科周芳)。本名は仁科章子。元夫は松方弘樹。出演作品は映画「悪魔の手毬唄」「はつ恋」、NHK大河テレビドラマ「勝海舟」など多数。家紋は父親の葬儀の時の写真より石畳紋と判断。
井口清兵衛。江戸時代、侍。
藤沢周平著の短編小説、「たそがれ清兵衛」の主人公。庄内・海坂藩の御蔵役五十石取りの平侍。山田洋次監督による同名の日本映画が2002年に公開されている。清兵衛役には真田広之が起用された。時代考証に1年以上をかけたという。家紋は石畳紋。
★銭紋:貨幣は呪術的な側面がある。縁起物として紋として使用された。
真田昌幸。1547年 - 1611年7月13日、武将・大名。
甲斐武田氏家臣となった信濃の地域領主・真田氏の出自。真田氏は滋野氏流を称する海野氏の傍流。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退した。戦国時代きっての知将と言われる。家紋は六文銭。画像は月桂寺。柳沢信鴻側室で真田信弘の娘の墓所で撮影。
仙石秀久。1552年2月20日 - 1614年6月13日、武将・大名。
美濃の豪族・仙石久盛の四男として美濃で生まれる。仙石氏は清和源氏である土岐氏の支流。秀吉最古参の家臣で、家臣団では最も早く大名に出世。信濃小諸藩の初代藩主。出石藩仙石家初代。家紋は丸に無の字紋と永楽銭紋。
★鉄線紋:鉄線は、梅雨の頃るり色の花をつけるツル草の一種。根は通風の薬となる。
櫻間伴馬。1836年1月6日 - 1917年6月24日、能楽師。
熊本の中職人町で櫻間家の長男として出生。櫻間家の遠祖は藤崎八旛宮の創建に従って熊本に下り、現在同社の末社として祀られている藤田蔵人という神官。初世梅若実、16世宝生九郎とともに「明治の三名人」の一角に数えられる。家紋は鉄線紋。
笹川臨風。1870年9月2日 - 1949年4月13日、歴史家、評論家。
東京神田生まれ。本名は種郎。歴史書、美術批評、小説など幅広い著述活動を行う。肉筆浮世絵の偽造事件の共犯容疑で警察に勾留された。代表作は『支那小説戯曲小史』『和歌から見た日本女性』など多数。家紋は鉄線紋。画像は染井霊園の墓所。
★独楽紋:独楽は子供の遊戯。遊び心とバランス感覚、不思議さを表現か。ホイノシ紋が起源(高澤等説)
千利休。1522年 - 1591年4月21日、茶人。
和泉・堺の商家(屋号・魚屋(ととや))の生まれ。家業は納屋衆(倉庫業)。わび茶の完成者として知られる。織田信長が堺を直轄地としたときに茶頭として雇われ、豊臣秀吉に仕えたが、後に対立し切腹させられる。画像は利休ゆかりの大徳寺・聚光院にて。
木下利玄。1886年1月1日 - 1925年2月15日、歌人。
備中・足守藩最後の藩主・木下利恭の弟・利永の二男。利恭の死去により宗家・木下子爵家の養嗣子となり家督を継ぐ。武者小路実篤や志賀直哉らと共に文芸雑誌「白樺」を創刊。白樺派の代表的歌人の一人。家紋は木下独楽と菊桐。画像は青山霊園にて撮影。
★紅葉紋:藤原北家の閑院流の今出川家の代表紋。散りゆく紅葉は嫌われ、使用家は少ない。
福沢諭吉。1835年1月10日 - 1901年2月3日、教育者、著述家。
豊前国中津藩の蔵屋敷で下級藩士福澤桃介・於順の次男として生まれる。東京学士会院初代会長、慶應義塾創設者。新聞『時事新報』の創刊者。代表作品は「学問のススメ」「西洋事情」「福翁自伝」など。画像は多磨霊園の息子・福沢桃介の墓所にて撮影。
市川門之助(7代目)。1928年9月7日 - 1990年10月13日、役者。
東京市渋谷区宇田川町の生まれ。屋号は瀧乃屋。本名は相馬孝至。尾上菊五郎劇団に属する。菊五郎劇団賞、松竹社長賞等を受賞。日立新キドスカープのCMに出演、話題を呼ぶ。家紋は四ツ紅葉。画像は雑司が谷霊園の墓所にて撮影。
★梨紋(唐梨紋):梨の切り口の形状とも異なり、元々何の紋だったのかが不明な謎の紋。
永井尚志。1816年11月3日 - 1891年7月1日、武士(旗本)。
三河奥殿藩の第5代藩主・松平乗尹とその側室の間に生まれた。外国奉行に任じられ、諸外国との交渉を務め、通商条約調印を行なう。また、禁門の変で朝廷と交渉。戊辰戦争では、榎本武揚と共に戦うが降伏。画像は本行寺の永井家墓所にて撮影。
永井龍男。1904年5月20日 - 1990年10月12日、小説家、随筆家。
東京市神田区猿楽町出身。文芸春秋時代は『オール讀物号』『文芸通信』誌の編集長、後に専務を務める。戦後、小林秀雄らと『新夕刊』を創刊するがGHQにより公職追放となる。代表作は『一個 その他』『わが切抜帖より』。画像は斎海寺にて撮影。
★角紋:カク紋と読む。八角のものを折敷紋、六角のものを亀甲紋という。
出羽重遠。1856年1月17日 - 1930年1月27日、海軍軍人。
会津若松城下に会津藩士・出羽佐太郎重信を父として誕生。戊辰戦争では白虎隊に属して戦う。薩摩藩出身者以外で初めて海軍大将となる。軍事参議官在任中にシーメンス事件査問委員長を務めている。家紋は違い隅入角紋。画像は青山霊園にて撮影。
八千草薫。1931年1月6日 -、女優。
大阪出身。幼少時父を亡くし以後母一人子一人で育つ。本名、谷口瞳。旧姓、松田。第27回日本アカデミー賞「優秀助演女優賞」『阿修羅のごとく』。代表作は『宮本武蔵』『ハチ公物語』『田園に死す』『阿修羅のごとく』。家紋は、隅入鉄砲角。
★結び紋:水引を表す。人と人とのつながり、瑞祥的な意味合いのある家紋。
前野良沢。1723年 - 1803年11月30日、藩医で蘭学者。
母方の大叔父の宮田全沢に養われる。長崎への留学の際に入手した西洋の解剖書『ターヘル・アナトミア』を杉田玄白、中川淳庵、桂川甫周ら盟友と3年5ヶ月で翻訳し『解体新書』を編纂した。家紋は角宝結び。画像は杉並区の慶安寺にて撮影。
伊地知正治。1828年7月21日 - 1886年5月23日、藩士、政治家。
薩摩藩士伊地知季平の次男として鹿児島城下千石馬場町に生まれる。精忠組に参加。薩英戦争や戊辰戦争で大きな功績を挙げた。後に左院議長、と参議を兼任し、修史館総裁、一等侍講、宮中顧問官などを歴任。家紋は丸に鮑結び紋。青山霊園にて撮影。
★田字草紋:四枚の葉が田の字に似ていることから田字草紋という。
新井白石。1657年3月24日 - 1725年6月29日、政治家・学者。
先祖は、上野国新田郡新井村(群馬県太田市)の土豪。江戸生まれ。六代将軍・家宣、七代将軍・家継のブレーンとして正徳の治を行う。引退後は『藩翰譜』『読史余論』『西洋紀聞』『折たく柴の記』などを著す。家紋は花菱紋、竹雀紋、田の字紋。
ミヤコ蝶々。1920年7月6日 - 2000年10月12日、女優、漫才師。
東京市日本橋小伝馬町出身。神戸市育ち。本名は日向鈴子。長らく上方漫才・喜劇界をリードした、関西を代表するコメディ女優。紫綬褒章、勲四等宝冠章を受章。2008年にはミヤコ蝶々記念館がオープン。家紋は丸に田字草紋(丸に花勝見紋)。
★蕨紋:比較的写実的な蕨紋に対して、花蕨紋は蕨にも似ておらず、謎が多い。
石黒敬七。1897年8月10日 - 1974年10月1日、柔道家、随筆家。
新潟県柏崎比角出身。警視庁で柔道師範を務める。渡仏しオペラ座で柔道のエキジビジョンを行う。戦後はNHKのラジオ番組「とんち教室」に出演。写真のコレクターとしても有名。著書「柔道千畳敷」がある。家紋は丸に花蕨紋。了ごん寺墓地にて撮影。
久和ひとみ。1960年9月25日 - 2001年3月1日、キャスター。
東京都武蔵野市出身。『CNNデイウォッチ』『JNNニュースの森』『TXNニュースアイ』等でキャスターを務める。好角家としても著名であった。死後、奨学金「久和ひとみスカラシップ」が創設された。家紋は丸に横花蕨紋。画像は、多磨霊園の墓所にて撮影。
★分銅紋:財宝を意味する。商売繁盛を祈ったのであろう。
岩野泡鳴。1873年1月20日 - 1920年5月9日、小説家・詩人。
兵庫県洲本市出身。詩人として文壇入りし小説家に転進。田山花袋、島村抱月に次ぐ自然主義文学者として活躍。神秘的半獣主義、霊肉一致、刹那主義を提唱。奇矯な言動が多かった。家紋は鉄砲亀甲に丸に分銅紋。雑司ヶ谷霊園にて撮影。
岩田宙造。1875年4月7日 - 1966年2月22日、政治家。
山口県立野村に樋山彦七の二男として生まれ、岩田金蔵の養子となる。読みは、いわたちゅうぞう。貴族院議員勅撰。東久邇宮内閣で司法大臣。幣原内閣でも留任した。国民政治協会の前身の国民協会初代会長。家紋は分銅紋。画像は多磨霊園にて撮影。
★稲妻紋:雷神の力にあやかった紋。通常「雷紋」
立見尚文。1845年8月21日 - 1907年3月6日、陸軍軍人。
父は桑名藩士江戸勤番・町田伝太夫。幕府陸軍に出向。北越戦争ではゲリラ戦を展開し、官軍を度々壊滅、敗走させる。明治以降は明治陸軍入り。日露戦争の黒溝台会戦で活躍。最終階級は陸軍大将。家紋は平稲妻紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。
車寅次郎。1969年 - 1997年、「男はつらいよシリーズ」主人公。
東京葛飾柴又の門前にある老舗の草団子屋「くるまや」五代目主人・車平造と柴又芸者・菊の間に生まれる。葛飾商業を中退 して放浪の旅暮らしのテキヤとなる。あだ名は「フーテンの寅」。家紋はくるまやの紋の稲妻紋(画像は帝釈天で撮影)。
★茶の実紋:橘紋に類似。お茶の名産地、静岡で29位に食い込んでいるが、他府県では少数派。
佐藤春夫。1892年4月9日 - 1964年5月6日、小説家、詩人。
和歌山県東牟婁郡新宮町に医師の長男として生まれる。代表作は『黒潮』『田園の憂鬱』詩集『我が一九二二年』等。門人に井伏鱒二、太宰治、檀一雄、吉行淳之介、柴田錬三郎、遠藤周作などがいる。家紋は三つ茶の実紋。文京区の伝通院にて撮影。
★蓮紋:「日本家紋総覧」(能坂利雄著)よれば、明治時代以降の創作紋。
森敦。1912年1月22日 - 1989年7月29日、小説家。
長崎市出身。幼少期はソウルで暮らした。太宰治、檀一雄らと『青い花』創刊に参加。「月山」で第70回芥川賞受賞。代表作は『鳥海山』『意味の変容』。浅田彰、中上健次、柄谷行人等、崇拝者は多い。家紋は蓮の丸。画像は光照寺にて撮影。
★柳紋:おそらく、柳家によって創作された新紋。
干刈あがた。1943年1月25日 - 1992年9月6日、小説家。
東京都出身。本名浅井和枝(旧姓柳)。全共闘世代の女性を鋭い同時代性を持って描いた。代表作は『ウホッホ探険隊』『ゆっくり東京女子マラソン』『ホーム・パーティー』『黄色い髪』。家紋は柳の丸紋。画像は青梅・宗建寺の柳家墓所にて撮影。
★杜若紋:平安時代から、花山院家などで車紋として使用される。
花山院弘匡。1962年 …
TV番組 マスメディア »
昨晩は、久米宏のテレビってやつは!?のチャンネルを合わせた。
まずは大麻の話だ。
久米さん曰く「大麻を持っているだけで逮捕なのに、タバコは全く問題なし。って落差が激しくありませんか」
いまさらながら、その通りだと思った。
僕も以前から、大麻ってそんなに悪いの?って思っていたからね。
でも、テレビで、大麻というタブーをここまで、擁護するのもめずらしい。さすが久米さんの番組だって思って関心。
ところが、次は麻生首相の話。
登場は小泉さんの懐刀、飯島秘書官。
麻生さんが秋葉原やネットで人気という話になり、飯島さんが「ネットの書き込みを世論と思うのは間違い、所詮便所の落書」って発言した途端に、話題を変える久米さん。
大麻という、既に踏みやすくなっている地雷は、積極果敢に踏んだ久米さんだが、本当に危険な地雷からは逃げた...と感じたのは僕だけだろうか。
まさむね
源氏物語 古典文学, J-POP »
CDのミリオンセラー(シングル)が出なくなったよね。
このままで行けば、今年は一曲も出ないかもしれない。
おそらく、こんなことは、1990年以降では初めての状況である。
でも、こんな時代ではあるけど、現在、最も、今日的なメジャーアーティストは誰かと問うならば、EXILEという答えに異存無い人は多いと思う。それほど、彼らの楽曲はヒットチャートの常連なのである。
さて、このEXILEであるが、その特徴はR&Bを基礎とした官能的なサウンドと世界観にある。
わかりやすい言葉で言えば、その世界は「不在の彼女(彼氏)が残していったぬくもりを愛おしく思う一瞬」を歌にした感じだ。
例えば、彼らの代表曲「ただ・・・逢いたくて」。
ただ逢いたくて…もう逢えなくて
くちびる噛みしめて泣いてた。
今逢いたくて…忘れられないまま
過ごした時間だけがまた一人にさせる
そして、昨年のヒット曲「I believe」。
君のもとへ飛んで行きたい
いつもそばで感じていたい
瞳閉じて君を映し出す
今だけは寄り添って 君だけを感じたい
繋いだその手を 離さないように
君がいる季節は 何よりも輝いて
優しく包んでくれるから
さらに、最新のヒット曲「Ti amo」。
日曜日の夜は ベッドが広い 眠らない想い 抱いたまま朝を待つ
帰る場所がある あなたのこと 好きになってはいけない わかってたはじめから
どれだけの想いならば 愛と呼んでいいのでしょうか?
この胸をしめつけてる この気持ちに名前をください
これらの歌詞には、くちびる、瞳、手、胸という肉体的な言葉がちりばめられているが、それが彼らの創り出す世界をなまめかしくしているんじゃないかな。
相手の不在を想い、心を焦がすというのは、恋の基本シチュエーションだが、このEXILEの世界の艶かしさって、どこかであったなぁと思い返してみると、実は日本の伝統、平安王朝の和歌の世界がまさにそれなんだよね。言うまでもないんだけど、平安時代の貴族階級ってのは、通い婚なんだよね。男が女の屋敷に夜這いをかけるのが唯一の逢う方法。だから、女は待つしかない。その待つ身の切なさが平安文学を生む土壌にあるんだよね。
例えば、その代表歌が、待賢門院堀河の有名な一首。百人一首にも引かれてるから知ってる人も多いと思う。
ながからむ心もしらず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ
(ずっと好きだよって言うあなたの気持ちも、本当かなぁって思ってしまう。あなたが行ってしまった朝の寝乱れた黒髪のように心が乱れるんだから)
また、同じく百人一首にある藤原道綱の母の一首。
嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る
(また、来てくれなかったあなたのことを嘆きながら過ごす独り寝の夜が、こんなに長いなんて、あなた、わかってるのかしら)
ねっ、EXILEの世界と通底しているでしょ。
EXILEが、現代日本で受けているのは、R&Bのリズムと日本独特の平安貴族の感性の融合が生み出す肉体性(官能性)なんじゃないかな。
だから、昨年の日本レコード大賞の授賞式で、最優秀歌唱賞受賞の瞬間、ATSUSHIの後ろで作り笑いをしていたパフォーマーの面々、そんな顔をする必要は無いんだよ。
パフォーマー達のダンスがあるからこそ、EXILEの世界の肉体性がリアリティを帯びるんだからね。
まさむね
一本気メモメモ, 政治 »
IMFは地球上で一番まともな金貸しだよ。
返済計画を強制するし、場合によっては民間企業の解体バラ売りもやる。
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IMFから金を借りるというのは、半分植民地になるようなもの。
じゃあ借りなきゃいいじゃんって話だけど、借りずにデフォルトすると、
もう国としてやっていけない。その国の持ってる金の価値がなくなるからな。
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日本の外貨準備から
10兆円程度をめどに資金拠出すると麻生太郎首相が表明することが12日固まった。
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「今は円に換えることができない1000億ドルを、
利子付で貸してる」だけだと何度言えば以下略
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ドル動かす必要ないというか、余ってるんだよ。
今、日本からすれば極端な円高ドル安なわけよ。
ここで円が欲しいからといってドルを売ればもう世界大混乱。
そんなわけで本来は円を売ってドルを買わないといけない。
つまり「ドルを動かす」ってのを国がやるとなると、
「国内で不足気味の円を手放して手をつけることができないドルを
買わないといけない」わけだ。
そのドルを買うための円はどこから?
国債?税金?
それこそおまいさんがやってる「無駄づかい」でしかならないわけだ
そうなると、今持ってるドルは塩漬けにしないといけない
そんことするぐらいならIMFに融資すれば、先進国のスタンスを保ちつつ、
長期的にさらにドルという蓄えを増やし、「直接金よこせ、踏み倒させろ」
と言ってくる韓国を牽制することもできる、一石三鳥以上の手段なわけだ
日本政府、IMFに10兆円拠出 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww
おまけのコピペ
IMFが2000億ドル(20兆円)欲しいって言ったんだよ。
んで日本が「じゃあ俺が半分だしてやんよ」って言った。
ちびちび出すよりインパクトはでかいと思うよ。
全額でないのは残り半分は自称含む先進諸国御一同さま
と外貨保有高世界1位の国が出し合えばいいでしょ?
あれあれ?面子大事な中国様どしたの?出さないの?
G20の会合の時にはきっと発表してくれるよね?wktk
という状態。
いい外交カードを切ったんじゃね?
漫画・アニメ »
手塚治虫は、小中学生の頃、秋田書店の単行本で読みまくった。
「バンパイヤ」「W3」「どろろ」「リボンの騎士」「海のトリトン」「マグマ大使」「ビッグX」、みんな懐かしいな。
勿論、「火の鳥」「ブッダ」「ブラック・ジャック 」や「鉄腕アトム」も大好きだった。
当時はプロ野球といえば、みんな巨人ファンだったけど、僕は名前がアトムズだったって事だけで、サンケイのファンだったんだ。
手塚治虫の偉業なんて、一言では言えないけど、少年向けSF漫画のスタイルを確立した事。と同時に、当時の少年達に、科学的、社会的知識を知らず知らずに教えてくれたこと。例えば、僕は「バンパイヤ」でLSDっていう幻覚剤がアメリカで流行っているって事知ったんだよ。60年代~70年代初めに少年時代を過ごした世代の僕らが、今、考えてみると、手塚さんはその時代のヒューマニスティック・ファンタジスタだったんだと思う。
でも、時代が漫画にそれ以上を求めるようになってくると徐々に時代からずれていったんじゃないかな。
ちょうどイメージ的には、ジョンレノンが70年代に入ると泥臭いアメリカンサザン・ロック(リアリズム系=すなわち、劇画系)や音楽性の高いブリティッシュロック(テクニック系=すわなち、大友、宮崎系)に圧されていくさまに近い。
手塚さんは結局、少年漫画家に域から出られなかったのかもしれないっていうのは言いすぎかな。評価、難しいけどね。
それに、手塚さんは、ところざわさんが言うように、石の森や大友、梶原一騎、さいとう・たかお、そして水木しげるなんかに対しても、偏狭なライバル心を持っていたようだね。
初対面の水木さんに対して、「あなたの漫画だったら僕はいつでも描けるんですよ」って言って、「どろろ」を書いたというエピソードもあるよね。
晩年、自らの原稿を持って出版社周りをしたというエピソードも。
でも、この偏狭さ(反おおらかさ)が好きだ。僕は、これこそ、手塚さんの天才の証(聖痕)だと思う。
まさむね




