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Articles Archive for 1 月 2009

相撲/プロレス/格闘技 »

[31 1 月 2009 | No Comment | | ]
朝青龍ガッツポーズに横審が物言い。楽しくなってきた。

朝青龍の優勝直後のガッツポーズに横綱審議委員会がクレームをつけたという。
やはりそう来たか、という感じである。
横審としては当然の対応だ。
    ◆
実のところ、僕は、ガッツポーズぐらいいいじゃないかという立場でも、品格に欠けるからダメだという立場でもない。
自由奔放な横綱がガッツポーズをした。>それに対して監視する横審が文句をつけた。
いい流れになったな、と見ているというのがとりあえずの立場だ。
おそらく、そうやって相撲界全体が、ワサワサする、日本中があれこれ議論する、話題になる、マスコミが騒ぐ、次の場所にさらに注目が集まる。
そういった大相撲が長年培ってきた興行会社としての手法(戦略)をトータルで見世物として楽しむ、というのが僕の興味なのである。
それにしても、大相撲というのは日本が生み出した、実に日本らしい大発明である。
土俵上の仕草にしても、一つ一つはもったいぶっていて、意味ありげだが、実は、”それらしいもの”の寄せ集めなのである。
誰も確かな意味とか、起源とかを気にしない。
それでいいのだ。
気になって、調べてみたら、以外に戦後からのものとかが多い。伝統でもなんでもないのだ。
そんなものなのだ。
例えば、土俵にいるという神様。これは、戦前は、天地開闢の十二柱=神代七代の神だったのが、戦後、一人の行司と相撲評論家が二人でただの三柱にしてしまった。
おそらくGHQから文句をつけられないかという事で自粛してそうしたというのだ。(詳細は、「女はなぜ土俵にあがれないのか (幻冬舎新書)」内館牧子参照の事)
こんな日本的なおおらかさに満ち溢れた大相撲という見世物は素晴らしいと僕は思う。
日本人は今まで、カラオケとかアニメとかいろんなものをオリジナルとして世界に発信してきたが、大相撲も、世界に出て行けるには十分な魅力を持っている。
何よりもあの、丸い土俵というもののオリジナリティは凄い。
決まった枠の外に出たら、それだけで負けというのは世界広しといえども、相撲だけだ(だけらしい)。
これによって、立会いに頭からぶつかりあうという迫力という意味では世界でも稀有な格闘技が生れたのである。
もしも、土俵というものが無かったら、作戦としてどこまでも逃げ回るという手が出来てしまう。
その昔、元相撲取りがオクタゴンに入って、相手のキックボクサーを金網まで押していって、そこで何もする事が無くて、顔面を蹴られてKOされたという試合があったが、もしも土俵が無かったら、相撲の技はほとんど通用しないものになってしまうのである。
また、土俵があるから、強い者もたまに、しくじったり、小さい者が勝ったり出来るのだ。
    ◆
僕が夢見るのは、は世界中の巨人達が両国国技館で闘う風景だ。
とりあえず、アフリカのセネガルには”セネガル相撲”(日本名だけど)という独特の格闘技があるらしい。
それは日本の相撲とよく似た技が存在するらしい。(立会いがない等、異なる点も多いらしいけど)。
一度、80年代に彼等を日本に連れてこようとしたらしいが、その時は、髷が結えないのでは?ということで話が無くなったという。
全く、もったいない話だ。髷なんてなんとでもなるではないか。床山さんの技術ならば...
ブルガリアというヨーグルトくらいしか知られていない国に、”角界のベッカム”琴欧洲がいたではないか。
エストニアというバルト海の小さな国でさえ、あの”バルチッククレーン”把瑠都がいたではないか。
これからは日本のソフトパワーだと言っている政府の方々、外務省職員の方々、是非、全世界からそういった人材を集めてもらえないだろうか(と切に願うばかりだ)。
そして、彼等が大相撲に入門する、そしてまた何か問題を起こす。相撲界がまたワサワサと揺れる、日本中があれこれ議論する、マスコミが騒ぐ、相撲に注目が集まる。
これが、全部で楽しみなのである。
    ◆
さて、こうしているうちに、若麒麟が大麻で逮捕されたというニュースが入ってきた。
尾車親方は即刻、若麒麟を引退させた。ということらしい。
これに関しては、また後日、語ってみたいと思う。
まさむね

テクノロジー・ビジネス, 時事ネタ »

[30 1 月 2009 | No Comment | | ]

サッカー観戦が中高年の娯楽になりつつあるという。
Jリーグは28日、昨季リーグ戦のスタジアム観戦者について行った調査の結果を発表した。
観戦者の4割以上が40代以上と、中高年が観戦に熱心であることを示す結果が出た。(時事通信)
ということだ。
そのうち相撲のようになってしまうのだろうか。
おそらく、その原因は、サッカー観戦の独特の内輪感にあるのではないだろうか。
一見さんが、観戦に行っても疎外感を感じてしまうのである。
    ◆
しかし、これはどんなジャンルにも言えるのかもしれない。
プロレスだって、アイドルだって、オンラインゲームだって、SNSだってそうだ。
最初、担当者はどうやって人を集めようかと考える。
さらに、人を集め続けようかと考える。
そして、コアユーザーを作ればいいという話になる。
会員制やポイント制とかファンサービースを駆使して、それに成功する。
そうすると連帯感とか、独自の作法とか、常連とかが生れる。
ただ、そうなるとニューカマーにとって敷居が高くなる。
そして、そのジャンルが停滞する。
というサイクルはある程度普遍的なように思えるのだ。
だから、長期的戦略を立てるならば逆にコアユーザーを作らないというのが正しいという事も言える。
    ◆
実は、それに成功したのが2ちゃんねるなのである。
言うまでもなく、2ちゃんねるのアーキテクチャ上の特性は、最大1000レスでスレッドが終わること、最も最近書き込みがあったスレッドが板の一番上に表示されること、名前を記入しなくていいこと等である。
すなわち、常に、新しい状態であるように、常連が居つけなくなるように、設計されているという事なのである。
しかし、おそらく、西村ひろゆき氏は、最初、常連排除目的のためにこのような設計にしたわけではない。
特に、1000レスのdat落ちに関しては、運営経費上の処置だったと思う。
僕は、一度、2ちゃんねるが出来てから、2年目位の時に、ひろゆき氏に会う機会があった。その時、2ちゃんねるが他のサイトとは違って成功した理由を訊いたことがあるが、彼は言った。
「雪の玉ってありますよね。雪の坂に小さな石を投げると、転がりながら、その石にどんどん雪がついていって、段々大きくなる、あの雪玉です。
僕は、ただ、最初に石を投げただけで、それと同じように2ちゃんねるは、勝手に大きくなって行ったんですよ。」
ようするに、自分の意図とは別に出来上がっていったというのだ。
そのとき、僕には彼が何らかの秘密を隠しているようには思えなかった。
2ちゃんねるはひろゆき氏の狙い(予想)をはるかに超えて大きな存在になっていったのである。
おそらく、その時点でひろゆき氏にとって、2ちゃんねるの成功(肥大化)というものは、偶然と運以外の何物でもなかったのだと思う。
それは、一人一人が個人が責任を持って発言出来ないという日本の風土に生れた声にならない声を、匿名性+流動性を保証するようなアーキテクチャが、偶然にも拾い上げたと言う事なのだろう。
2ちゃんねるは、20世紀から21世紀初頭の日本という特別な舞台だからこそ大きくなったのだ。
マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメールの18日』で「人々は歴史を作る。だが、思うようには作れない」という言葉を思い出した。
インターネットの世界でも、時として「人は、アーキテクチャを作るが、それが思った以上の化け物になることがある」のである。
しかし、一方で良識の世界ではそんな2ちゃんねるに対して、不快に思う人々も出てくる。それはある意味、当然だ。
その結果、2ちゃんねるを運営するひろゆき氏に対して、名誉毀損的書き込みがあったとして多くの訴訟が起こされた。
書いた本人は匿名だからわからない、だから訴訟の先は、その書き込みを放置したということで、ひろゆき氏に向いてしまったのだ。
しかし、彼はそれらの訴訟のほとんどを無視している。
それゆえに、まだ決着はついていない。
おそらく、普通の運営者だったら、ましてや会社で運営していれば、訴訟を終結させ、今後の訴訟を回避するために、アーキテクチャを変え、健全化を目指すであろうが、彼はそれをしない。
良くも悪くも、彼のその不良性によって、このサイトは生きつづけているのだ。
    ◆
さて、今年に入って2ちゃんねるで一番活発な板の一つ「ニュース速報+」で、一番スレが続いたのは以下の記事だった。
【マスコミ】毎日新聞の熊本支局次長、深夜に24歳女性の部屋に侵入し下着ドロ★
おそらく、テレビや新聞だけ見ている良識的な人には、ほとんど目に触れなかったであろうこの記事に対して、数日間で、延べにしても2万7000件(27スレ)もの罵倒が浴びせられたのである。
ちなみに昨年は、【訃報】 筑紫哲也さん、肺ガンのため死去 73歳 「NEWS23」元キャスター★という記事が57スレまで延びた。
テレビでは、良識的な面々が口々に追悼の言葉を述べている間に、ここでは、5万7000ものメシウマ~という「慶び」の声が寄せられていたのだ。
これを、ネットの落書、取るに足りない、不謹慎、と良識的な人は、一蹴するのだろう。
しかし、今までだったら、個人的、散発的にバラバラに生じていた人々の生の声や不満が集合する場所が出来たという現実はもう戻らない。
インターネットの普及に加えて、昨年来の不況は、マスコミを直撃し、彼等は今までのような特権的な場所には居られなくなってきたようだ。
今後、どうなっていくのであろうか。
    ◆
サッカーは中高年向けの娯楽だという話から、いつの間にか、関係ない話になってしまった。
すみません。
まさむね

テレビドラマ, 社会問題 »

[28 1 月 2009 | No Comment | | ]
風太郎の野望は新しい時代の価値観となりうるか

銭ゲバの第2話を見た。
三國造船という大きな造船会社で派遣労働者として働く、主人公の蒲郡風太郎(松山ケンイチ)。
長女の緑(ミムラ)の運転する自動車にわざと当たり、キッカケをつくって、次女の茜(木南晴夏)の話し相手として、社長の家に寄宿することになる。
そして、三國造船を乗っ取ろうという野望を抱くのであった。
社会学者の山田昌弘氏は、現代における最も根本的な格差は、経済格差や教育格差ではなく、希望格差だと言っている。
生まれた環境によって、一人一人の心の中に生じる希望がすでに格差づけられているということだが、それは逆に言えば、ハングリー精神という物語が死滅したという事なのだろうか。
だとしたら、風太郎が持つ価値観(野望=夢)そのものが現代人にとって死滅しかかっているという事なのだろうか。
しかし、そんな時代だからこそ、風太郎の生き方はインパクトを与えるとも言えないだろうか。
前回のエントリーにおいて、風太郎の母親が語る「生きることは苦しくても、頑張っていれば、いつか幸せになれる」という価値観(人生観)に対して、現代的な価値観を提示できるかどうかというのが、このドラマの見所であるというような話をしたが、答えは早くも見えてきた。
それは、悪を引き受けてでも、死に物狂いでのし上がろうという風太郎の野望エネルギー(=ハングリー精神)である。
昨年来、「貧しくても一生懸命に正直に生きよう」という価値観は、「貧乏太郎」や「イノセントラブ」など、多くのドラマでも見られたが、それらの登場人物はあくまで無欲だった。
しかし、風太郎は違う。
「貧しいからこそ欲望を持とう」というメッセージは、70年代初頭から一回りして、今、新鮮だ。
このドラマが今後、どんどん視聴率を上げて行き、世の中にインパクトを残すまでになってほしい。
そういえば、派遣切り企業(昨年末600人)のスズキは、今後も、派遣労働者が主役のこのドラマを提供し続けるのだろうか。
しかも、前回には、交通事故(わざと当たる)という自動車メーカーとしてはかなり微妙なシーンも許容していた。
この太っ腹(あるいは無頓着)はどこまで続くのか。それもまた興味深い。
まさむね

歴史・家紋 »

[26 1 月 2009 | No Comment | | ]
撫子紋 -可愛い日本女性のシンボル紋- 斎藤義竜、東條英機、宇多田ヒカル...

秋の七草、撫子。
戦いに明け暮れた武士達のやすらぎのひと時を感じさせる優しい花だ。
また、この撫子紋は、大和撫子というように、日本女性を象徴する紋である。
この紋で有名なのは、美濃の斉藤一族。
全国分布では、石川県で27位に入る。
撫子紋を持つ有名人は以下。
斎藤義竜。1527年7月8日 - 1561年6月23日、戦国大名。
初代当主・斎藤道三の嫡男。美濃の戦国大名斎藤氏の第2代当主。実父は土岐頼芸という説もある。尾張の織田信長の軍勢と戦い戦況を有利に進めた。長良川の戦いで斎藤道三を討ち果たす。足利義輝によって幕府相伴衆に列せられた。家紋は撫子紋。

山県大弐。1725年 - 1767年9月14日、儒学者、思想家。
甲斐国篠原村出身。野沢氏の出自。名は昌貞。甲斐国山梨郡山王神社の宮司となり、尊皇攘夷の思想を説く。明和事件において処刑された。主著は『柳子新論』。家紋は桔梗紋であるが、新宿・全勝寺の墓所(画像)には奥方斎藤家の撫子紋がある。

斎藤利行。1822年2月2日 - 1881年5月26日、土佐藩家老。
若くして藩主山内豊煕の御側物頭として仕える。長崎で起きた土佐藩士によるイギリス水兵殺害事件では後藤象二郎とともに補償問題を解決。坂本龍馬とも結んで武器調達に活躍。明治政府では刑部大輔・参議・元老院議官を務めた。青山霊園にて撮影。

明石元二郎。1864年9月1日 - 1919年10月26日、陸軍軍人。
黒田藩士・明石助九郎の次男として福岡の大名町に生まれる。関ヶ原の戦い、大坂の役で戦ったキリシタン武将、明石全登の末裔といわれている。日露戦争では諜報活動で活躍。陸軍大将・勲一等・功三級・男爵。第7代台湾総督。家紋は丸に撫子紋。

斎藤緑雨。1868年1月24日 - 1904年4月13日、小説家、評論家。
三重県・神戸出身。本名は賢。『小説八宗』『初学小説心得』『小説評注問答』などのパロディ精神に溢れた評論を書く。『油地獄』『かくれんぼ』などの作品で小説家としても認められる。家紋は丸に撫子紋。画像は向丘・大円寺にて撮影。

片山正夫。1877年 - 1961年、化学者。
岡山県出身。東北大学教授、東大教授。液体の表面張力と温度との関係式(片山式)で知られる。物理化学の先駆的な研究を行なう。主著「化学本論」は日本における初期の本格的な物理化学教科書。家紋は撫子紋。画像は南麻布・円沢寺にて撮影。

東條英機。1884年7月30日 - 1948年12月23日、軍人、政治家。
東京市麹町区に東條英教陸軍歩兵中尉の三男として出生。本籍地は岩手県。東條家は能楽師として盛岡藩に仕えた家系。統制派として陸軍を主導。開戦時の内閣総理大臣。A級戦犯として処刑された。撫子紋は雑司が谷霊園、和田堀廟所の墓所とも共通意匠。

豊田貞次郎。1885年8月7日 - 1961年11月21日、軍人、政治家。
和歌山県出身。紀伊田辺藩士・豊田信太郎の次男。最終階級は海軍大将。予備役編入後は政治家に転身し、商工大臣、拓務大臣、外務大臣、軍需大臣、内閣顧問、運輸通信大臣などを歴任する。家紋は撫子紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

西東三鬼。1900年5月15日 - 1962年4月1日、俳人。
岡山県苫田郡津山町出身。本名は斎藤敬直。戦争批判の作句により特高に検挙されたという。その後、現代俳句協会の設立、俳句誌「断崖」創刊、俳句総合誌「俳句」編集長もつとめる。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。家紋は撫子紋。

宇多田ヒカル。1983年1月19日 - 、女性シンガーソングライター。
米国ニューヨーク州出身。先祖は但馬の清原氏族。日本の代表的女性ソロシンガー。1stアルバム『First Love』は860万枚以上、国内アルバム売り上げ史上歴代1位の超メガヒットとなる。代表作『Automatic』『First Love』『Flavor Of Life』。
まさむね

歴史・家紋 »

[26 1 月 2009 | Comments Off | | ]
竜胆紋 -源氏といえばこの紋- 石川数正、石川啄木、生島ヒロシ...

源氏を代表する紋と言われているが、実際は、村上源氏、宇多源氏の代表紋で、清和源氏の子孫では使用する家は多くない。
おそらく、歌舞伎の「勧進帳」で義経がつけたことから、いつの間にか、源氏の代表紋とされるようになったのであろう。例えば、現在でも鎌倉市の市章として、この笹竜胆が採用されている。ご存知の通り、鎌倉は、源頼朝が幕府を開いた場所である。
しかし、だからと言って、「頼朝が笹竜胆を家紋としていた」というような勘違いは避けたいものである。
左上は、鎌倉市のマンホールに掘られた笹竜胆である。
また、曹洞宗の開祖、道元が村上源氏出身のため、この紋は、曹洞宗の寺紋とされている。
例えば、坂本九や、エノケンが眠る青山・長谷寺の寺紋は、竜胆車紋(左)である。
全国では25位。岩手で19位、秋田、神奈川、山梨、長野で20位といったところがやや多いが、全国にまんべんなく分布している。

北畠親房。1293年3月8日 - 1354年6月1日、南北朝時代の公家。
村上源氏庶流の北畠師重の子。『神皇正統記』の作者。吉田定房・万里小路宣房と共に「後の三房」と呼ばれ、後醍醐天皇の信任厚かった。後に、尊氏に京都を占領されると、京都を逃れた後醍醐天皇が吉野で開いた南朝に従う。家紋は割菱と笹竜胆。

石川数正。1533年 - 1593年、武将・大名。
先祖は河内源氏の義家流・石川源氏・石川氏。徳川家康の片腕として活躍したが、小牧・長久手の戦いの後に徳川家を出奔して豊臣秀吉に臣従した。徳川家康が関東に移ると、秀吉より信濃松本10万石に加増移封される。丸に石川竜胆。

石川雅望。1754年1月7日 - 1830年5月16日、狂歌師、戯作者。
浮世絵師石川豊信の五男として江戸に生まれる。読みは、いしかわまさもち。狂名は宿屋飯盛。狂歌四天王の一人として版元である蔦屋重三郎から多くの狂歌絵本を出版。家紋は笹竜胆。但し、蔵前の正覚寺の墓所には画像の創作紋(丼?)がある。

大原重徳。1801年11月21日 - 1879年4月1日、公家。
京に生まれ、光格天皇の侍童となる。宮中に昇り、孝明天皇に重用される。幕府に朝廷の攘夷の意向を反映させた文久の改革の際に活躍。維新以降は、参与・議定など新政府の役職を務める。家紋は変形の笹竜胆紋。画像は谷中霊園の大原家の墓所で撮影。

岩倉具視。1825年10月26日- 1883年7月20日、公家、政治家。
公卿・堀河康親の次男として京都に生まれる。源通親の子孫。岩倉家は村上源氏久我家の江戸時代の分家、下級の公家である。大久保利通らと王政復古のクーデターを画策。新政府において、参与、議定、大納言、右大臣等をつとめる。家紋は笹竜胆。

東久世通禧。1834年1月1日 - 1912年1月4日、公家、政治家。
京都出身。羽林家格の村上源氏の公家・東久世通徳の子。読みは、ひがしくぜみちとみ。七卿落ちの一人。王政復古によって復権を果たし、その後は枢密顧問官、貴族院副議長、枢密院副議長を歴任。家紋は竜胆車。画像は中目黒・長泉院にて撮影。

橋本雅邦。1835年8月21日 - 1908年1月13日、日本画家。
父は川越藩の御用絵師・橋本養邦。狩野芳崖とともに新しい表現技法を模索。東京美術学校設立に尽力。下村観山、横山大観、菱田春草、川合玉堂らを指導。また、日本美術院の創立にも参加。家紋は竜胆車。画像は深川玉泉院にて撮影。

石川小五郎。1840年3月12日 - 1919年9月29日、武士、官僚。
周防国吉敷郡佐山に長州藩士の子弟として出生。後に河瀬真孝と称した。禁門の変では遊撃隊の指揮を執り後に遊撃隊総督となる。第二次長州征伐では芸州口を攻撃するなど活躍。維新後は枢密顧問官となる。家紋は笹竜胆紋。画像は青山霊園にて撮影。

赤松則良。1841年12月13日 - 1920年9月23日、軍人、政治家。
幕府十五番組御徒士・吉沢雄之進の次男として江戸深川に生まれ、祖父・赤松良則の後を継ぎ赤松姓となる。長崎海軍伝習所で航海術などを学ぶ。明治政府では海軍造船会議議長、海軍中将などを歴任。家紋は竜胆車紋。画像は文京区吉祥寺にて撮影。

福島安正。1852年10月27日 - 1919年2月19日、陸軍軍人。
信濃国松本城下に松本藩士・福島安広の長男として出生。イルクーツクから東シベリアまでの約1万8千キロを1年4ヶ月をかけて馬で横断し実地調査(「シベリア単騎横断」)を行う。日露戦争にも参戦。家紋は笹竜胆紋。青山霊園にて撮影。

下田歌子。1854年9月30日 - 1936年10月8日、教育家・歌人。
岐阜県恵那郡岩村町出身。岩村藩の藩士の家に出生。本名:平尾鉐。容姿と才能に恵まれ明治の紫式部とも称される。生涯を女子教育の振興に捧げる。実践女子学園や順心女子学園設立の基礎を築く。家紋は頭合わせ三つ笹竜胆紋。画像は護国寺にて撮影。

長谷川謹介。1855年9月20日 - 1921年8月27日、官僚。
長門(山口県)出身。井上勝にみとめられて鉄道寮に入り、鉄道技師として天竜川橋梁、台湾縦貫鉄道などを完成。鉄道院創設後は東部、西部、中部の鉄道管理局長、技監、副総裁などをつとめた。家紋は三つ葉竜胆紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。

井上哲次郎。1856年2月1日 - 1944年12月7日、哲学者。
筑前国太宰府の出身。帝国大学で日本人で初めて哲学の教授となる。新体詩運動の先駆者。国家主義の立場から宗教に対する国家の優越を主張。内村鑑三の不敬事件の際にはキリスト教を激しく非難。哲学用語「形而上」の訳者。雑司ヶ谷霊園にて撮影。

小崎弘道。1856年5月17日 - 1938年2月26日、牧師。
熊本藩士小崎次郎左衛門の5人兄弟の次男として肥後国託麻郡本山村に生まれる。霊南坂教会を創設し、同志社第2代社長(現総長)、日本組合基督教会会長、日本基督教連盟会長などを務めた。家紋は三つ笹竜胆紋。画像は青山霊園にて撮影。

曲木如長。1858年3月 - 1913年10月16日、法律家。
江戸神田橋生まれ。父は幕臣。読みは、まがきゆきなが。参事院御用掛兼太政官御用掛、司法官、検事、弁護士、東京市市会議員などを歴任。明治法律学校や日本法律学校で教鞭をとる。訳書に『巴威里憲法』『日本刑法論』などがある。家紋は笹竜胆。

石川倉次。1859年2月28日 - 1944年12月23日、教諭。
静岡県浜松市中区鹿谷町で生まれる。ルイ・ブライユが考案した6点式点字で日本語を表記する事に成功。「点字器」、「点字ライター」も開発し、日本点字の父といわれている。家紋は丸に石川竜胆紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。

和合英太郎。1869年8月15日 - 1939年6月11日、実業家。
安芸国土手町出身。広島藩士・和合義男の長男。機械製氷株式会社を設立。その後、各地の製氷会社を吸収合併し日本製氷社長就任、現在のニチレイの基礎を築く。また日本冷凍協会会長となり日本の製氷・冷凍業界の発展に貢献。画像は多磨霊園にて撮影。

喜多村緑郎。1871年9月7日 - 1961年5月16日、女形俳優。
東京市日本橋区橘町の薬種問屋に生まれた。本名は六郎。伊井蓉峰、河合武雄とともに、「新派の三頭目」と呼ばれた。ほとんどが女役ばかりを演じた。人間国宝に認定され、文化功労者に選ばれた。家紋は笹竜胆紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。

横瀬夜雨。1878年1月1日 - 1934年2月14日、詩人、歌人。
茨城県真壁郡横根村出身。本名は虎寿(とらじゅ)。『文庫』に民謡調の詩を発表し、詩集『花守』を刊行して浪漫的な色彩で人気を博した。筑波嶺詩人と呼ばれた。代表作は『お才』。家紋の情報は、文学者掃苔録図書館より。家紋笹竜胆紋。

石川啄木。1886年2月20日 - 1912年4月13日、詩人。
岩手県南岩手郡に寺の住職・石川一禎の長男として出生。本名は、石川一。「東海の小島の磯の白砂に われ泣き濡れて蟹と戯むる」など有名詩を残す。代表作は小説『我等の一団と彼』、詩集『一握の砂』。家紋は丸に笹竜胆紋。石川啄木記念館にて確認。

多田北烏。1889年 - 1948年1月1日、挿絵画家。
長野県松本市に生まれる。本名は嘉寿計。長年にわたって、キリンビールのポスターを手がける。日本のデザインスタジオの草分け的な存在である「サン・スタジオ」を設立。家紋は中陰笹竜胆紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。

宇野浩二。1891年7月26日 - 1961年9月21日、小説家・作家。
福岡県福岡市南湊町に出生。本名は宇野格次郎。『苦の世界』を発表し新進作家として文壇で認められる。「文学の鬼」と呼ばれた。代表作は『苦の世界』『子を貸し屋』『枯木のある風景』。家紋は竜胆車。画像は台東区の広大寺にて撮影。

石川欣一。1895年3月17日 - 1959年8月4日、ジャーナリスト。
東京出身。父は動物学者の石川千代松。母・貞は法学者・箕作麟祥の娘。妻・江は東山千栄子の妹。大阪毎日新聞社、東京日日新聞社などで記者をする傍らで、文筆業を行う。著作には『旅から旅へ』『たばこ談義』がある。画像は谷中霊園にて撮影。

アダチ龍光。1896年7月20日 - 1982年10月13日、奇術師。
越後の禅寺の息子に生まれる。本名は中川一。落語協会に所属し、上品な語り口でマジックを披露して人気を博した。日本奇術協会会長を務める。昭和天皇の古希のお祝いに皇居で奇術を披露している。家紋は笹竜胆紋。

中井英夫。1922年9月17日 - 1993年12月10日、小説家、詩人。
東京市滝野川区出身。代表作の長編小説『虚無への供物』は夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』とともに日本推理小説の三大奇書に数えられる。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。家紋は笹竜胆紋。

立原正秋。1926年1月6日 - 1980年8月12日、小説家・随筆家。
朝鮮慶尚北道安東郡生れ。本名は金胤奎、キム・ユンキュ。「薪能」「剣ヶ崎」が芥川賞、「漆の花」が直木賞候補となる。代表作は『冬の旅』『秘すれば花』『日本の庭』など。家紋は尻合わせ三つ笹竜胆紋。画像は鎌倉・瑞泉寺にて撮影。

石川力夫。1926年 - 1956年2月2日、ヤクザ。
茨城県出身。親分の家に殴り込み日本刀で斬りつけた。ヤクザの憲法である「仁義」に背いた反逆者として斯界の伝説となる。刑務所の屋上から飛び降り自殺。死後に「仁義の墓場」というタイトルで映画化された。家紋は笹竜胆。石川姓の代表紋である。

久我美子。1931年1月21日 - 、女優。
村上源氏の流れを汲む華族の家柄で、清華家の家格を有した公家家系。父・久我通顕は侯爵として貴族院議員や東京府知事を務めた。代表出演作『醉いどれ天使』『彼岸花』『太陽とバラ』『3時のあなた』の司会者を務める。家紋は五つ竜胆車紋。

長門勇。1932年1月1日 - 、俳優。
岡山県倉敷市出身。本名は平賀湧。のほほんとした親しみやすいキャラクターが印象的な名優。金田一耕助シリーズに多数出演。代表作『てなもんや三度笠』『三匹の侍』等。家紋は丸に剣片喰と笹竜胆。画像は春秋苑の生前墓にて撮影。

生島ヒロシ。1950年12月24日 - 、アナウンサー、タレント。
出身は宮城県気仙沼市。TBSにアナウンサーとして入社。『生島ヒロシのおはよう一直線』等の番組を持つ。福祉への造詣も深く義母の介護体験から『おばあちゃま、壊れちゃったの?』を出版。家紋は笹竜胆紋。梅窓院の生島家墓所にて撮影。

いしかわじゅん。1951年2月15日 - 、漫画家。
愛知県豊田市出身。本名は石川潤。ギャグ漫画をはじめ、漫画およびプロレス評論、エッセイ、小説など、手広く発表する。代表作は『フロムK』『漫画の時間』『だってサルなんだもん』など。家紋は笹竜胆紋であるとツイッター上で告白した。

見沢知廉。1959年8月23日 - 2005年9月7日、活動家、作家。
東京都文京区生まれ。本名は高橋哲夫。旧姓、平井。三島事件に感銘を受けた事を機に日本学生同盟に加入。日本IBM、英国大使館等への火炎ゲリラ活動等の事件を起こし逮捕。代表作は獄中で執筆した『天皇ごっこ』『囚人狂時代』等。

雅山哲士。1977年7月28日 - 、現役大相撲力士。
実家は茨城交通グループのオーナー一族。本名は竹内雅人。武双山の父に指導を受け強くなった。藤島部屋(入門時は武蔵川部屋)所属。初土俵から4場所連続優勝という記録を作る。最高位は西大関(2000年7月場所)。家紋は笹竜胆。

鹿賀りん。2005年8月10日 - 、「うさぎドロップ」登場人物。
鹿賀宋一と吉井正子の娘、河地大吉の血縁関係上の叔母。苗字は祖父と同じ鹿賀。名前の「りん」は宋一が好きだった竜胆から取られた。宋一の葬式の後に大吉と一緒に暮らすようになる。家紋は丸に笹竜胆。宋一の葬儀のときの提灯より判断。
まさむね