木瓜紋 -この紋はキュウリ?鳥の巣?女陰?-
12 1 月 2009
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木瓜(もっこう)紋は不思議な紋である。
この紋の起源がよくわからないのだ。
代表的なものを上げてみると以下のようなものである。
1)キュウリの切断面を図案化したもの
2)鳥の巣を象ったもの
3)神社の御簾の帽額(モコウ)に使われた文様
4)女陰
いずれにしても、子孫繁栄や縁起のよいものにあやかろうという精神がこの紋の普及を促進したのであろう。
また、都道府県別でこの木瓜の割合が一番多いのは以下の県である。
(都道府県別姓氏家紋大辞典 千鹿野茂著より)
北海道、青森県、岩手県、栃木県、埼玉県、新潟県、富山県、和歌山県。
この中でも特に、富山では、他県に比べて著しい普及率(28%)を示している。
この地域は、戦国時代に朝倉氏が勢力を持っていて、この紋を広く門徒に使わせたためと言われている。
また、2位の地域は、秋田県、宮城県、福島県、石川県、福井県、鳥取県、島根県など。四国と南九州では比較的少ない。
有名人では以下の人々が使っている。
滝川一益。1525年 - 1586年10月21日、戦国時代の武将。
近江国甲賀の土豪・滝川資清の次男として生まれたという。
織田信長の家臣として、伊勢長島攻め、長篠の戦い、石山合戦で功を上げる。
信長から上野と信濃の一部を与えられ、関東管領を名乗ったとも言われている。
領地よりも、茶器(「珠光小茄子」)を所望したと言われている。家紋は丸に立木瓜。
朝倉義景。1533年10月12日- 1573年9月16日、越前の戦国大名。越前の戦国大名で朝倉氏の第10代当主である朝倉孝景の長男として生まれる。
信長と敵対したが、一乗谷城の戦いで敗れ、自刃した。
その際、往時は1万人余もの人口にて繁栄を誇った一乗谷の市街地は、灰燼に帰した。
家紋は三つ盛木瓜。
堀田正俊。1634年12月31日 - 1684年10月7日、大名。徳川家光政権下の老中・堀田正盛の三男。家紋は丸に縦木瓜紋。
徳川家光の乳母・春日局の養子となる。
江戸幕府の老中・大老。上野安中藩主。後に下総古河藩の初代藩主。
「生類憐れみの令」に反対たために暗殺されたとの説もある。
塙保己一。1746年6月23日 - 1821年10月7日、国学者。武州児玉郡保木野村に生まれる。家紋は丸に木瓜。
塙は師の雨富須賀一の本姓を用いたもので、荻野(おぎの)氏の出自。
『群書類従』『続群書類従』の編纂者として知られる。
『史料』編纂の事業は、現在も東京大学史料編纂所に引き継がれている。
二宮尊徳。1787年9月4日 - 1856年11月17日、農政家・思想家。相模国足柄上郡栢山村に百姓利右衛門の長男として生まれる。家紋は木瓜。
日本の江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、農村復興政策を指導した。
子供の頃、わらじを編んで金を稼ぎ、寝る間も惜しんで読書をしたという。
薪を背負いながら本を読んで歩く銅像が小学校などに多く建てられた。
徳大寺実則。1840年1月10日 - 1919年6月4日、公卿・官僚。尊皇攘夷派の公卿として活躍。明治以降は、天皇の側近(内大臣兼侍従長)として天皇が崩御するまで補佐。第12・14代内閣総理大臣・西園寺公望は実弟にあたる。
徳大寺家は、清華家の家格を有する公家で笛を家業とした。
画像は多磨霊園の墓所にて撮影。家紋は、木瓜花菱浮線綾。
沖田総司。1842年夏の日 - 1868年7月19日、幕末の新選組の隊士。父は陸奥白河藩士の沖田勝次郎で長男。
副長助勤、一番隊組長、撃剣師範。本姓は藤原を称した。
1864年6月5日の池田屋事件で、討幕派数人を切り伏せ活躍したものの、直後に肺結核により喀血して倒れる。1868年に死去。
田中光顕。1843年11月16日 - 1939年3月28日、官僚、政治家。土佐藩の家老深尾家々臣である浜田金治の長男として、土佐国高岡郡佐川村に生まれる。土佐勤王党に参加。のち高杉晋作の弟子となって長州藩を頼る。
後に帰藩し中岡慎太郎の陸援隊に幹部として参加。戊辰戦争で活躍。維新後は、宮内大臣に就任。天皇親政派の宮廷政治家として大きな勢力をもった。家紋は三つ木瓜紋。
片山潜。1859年12月26日 - 1933年11月5日の社会運動家。美作国粂郡羽出木村に庄屋藪木家の次男として生まれる。
明治30年12月『労働世界』を創刊し主筆を務め、日本で最初の労働組合である労働組合期成会の設立に大きな役割を果たした。明治34年(1901年)、日本で最初の社会主義政党である社会民主党の結成に幸徳秋水らとともに加わった。
服部金太郎。1860 - 1934、実業家。セイコー(SEIKO)の創業者。江戸の京橋采女町の貧困な夜店商人の家に生まれる。
独立して服部時計店を開業し、銀座4丁目に進出。
外国製品に比肩しうる精巧品の製造に成功した。
画像は多磨霊園の服部家の墓所の丸に木瓜紋。
豊田佐吉。1867年3月19日 - 1930年10月30日、実業家、発明家。遠江国山口村の農家に生まれた。父は大工だった。家紋は丸に横木瓜。
東京での内国勧業博覧会にて「豊田式木製人力織機」を発明。
1896年には「豊田式汽力織機」を発明。
豊田商会を設立、今日のトヨタグループの礎を築く。
上野英三郎。1872年1月19日 - 1925年5月21日、農業土木学者。忠犬ハチ公の飼い主。三重県出身の農業土木・農業工学の創始者。
大正14年5月、上野は大学で講演中に脳溢血で倒れ急逝。
愛犬ハチは帰らぬ上野を長期間待ち続け、「忠犬ハチ公」として秋田犬の名を世間に知らしめることとなった。
田山花袋。1872年1月22日 - 1930年5 月13日の小説家。群馬県館林市出身。1907年に、中年作家の女弟子への複雑な感情を描いた『蒲団』を発表。
女弟子に去られた男が、彼女の使用していた蒲団に顔をうずめて匂いを嗅ぎ、涙するという描写は、読者、さらに文壇に衝撃を与えた。
家紋は丸に横木瓜。
樋口一葉。1872年5月2日 - 1896年11月23日、小説家。元々父親である則義は甲斐国山梨郡中萩原村(旧山梨県塩山市、現在の甲州市)の百姓であった。7歳の時に曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を読破したと伝えられる。
代表作は、「たけくらべ」「にごりえ」。五千円札の肖像となっている。
現在の墓所は、杉並区和泉の西本願寺和田掘廟所。
平田禿木。1873年2月10日 - 1943年3月13日、英文学者、随筆家。東京生まれ。本名・喜一郎。
島崎藤村らの『文學界』同人として活躍。
のち英文学者として多くの翻訳を刊行、『禿木随筆』などがある。
またアーネスト・フェノロサの能楽研究に助力した。のち『平田禿木選集』全5巻が刊行された。
山野政太郎。1878年3月3日 - 1969年5月29日、実業家。富山県出身。 1892年、西洋楽器店を創業。
松本ピアノから営業権を譲り受け「山野楽器店」と改称、初代社長に就任。
ヤマノピアノ・オルガン、レコードの販売に成功する。
東京蓄音器商組合長、全国蓄音器商組合連合会会長などを歴任した。
梅ヶ谷藤太郎 (2代)。1878年3月11日 - 1927年9月2日、第20代横綱。石川県上新川郡(現在の富山県富山市)に生まれる。
常陸山谷右エ門と同時に横綱に昇進。「梅・常陸時代」と呼ばれる黄金時代を築く。
168勝27敗47分2預116休、勝率.862。優勝相当成績3回。
家紋の木瓜は、本門寺の墓地にて撮影。
下中弥三郎。1878年6月12日 - 1961年2月21日、実業家、労働運動家。兵庫県多紀郡今田村出身。陶工となる。
アナキズムや農本主義の影響を受け、「教育改造の四綱領」を発表。
平凡社を創設。『大百科事典』を出版して一躍「事典」出版社として著名になる。
世界平和アピール七人委員会を結成。世界連邦運動を推進した。
植芝盛平。1883年12月14日 - 1969年4月26日、合気道の創始者。和歌山県田辺市の農家に生まれる。
宗教団体大本に入信し「植芝塾」道場を開設。
出口王仁三郎の命名により、自らの武術を「合気武道」と呼称した。
合気道関係者は開祖、特に古い高弟は大先生、翁先生と呼ぶことが多い。
正力松太郎。1885年4月11日 – 1969年10月9日、実業家、政治家。富山県射水郡枇杷首村に土建請負業を営む正力庄次郎の次男として生まれる。
読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功する。
また、長らく巨人軍のオーナーを務める。その業績をたたえ、正力松太郎賞が設立される。
家紋は横木瓜紋。画像は鎌倉・円覚寺の墓所にて撮影。
平塚雷鳥。1886年2月10日 - 1971年5月24日、思想家・評論家・作家。東京府麹町区三番町に紀州藩士の出で明治政府の高級官吏・平塚定二郎の子として誕生。
関ヶ原の合戦で戦死した西軍の武将平塚為広(大谷吉継の与力)の末裔とも言われる。
明治時代末からの女性解放運動・婦人運動の指導者で、後年には平和運動にも関わった。
日本で最初の女性による女性のための文芸誌『青鞜』を製作した。
西ノ海嘉治郎 (3代)。1890年11月2日 - 1933年7月28日、第30代横綱。鹿児島県西囎唹郡国分村浜の市出身。本名は松山伊勢助。
仕切りが長く、その間に観客が便所に立つため「小便相撲」と陰口をたたかれた。
幕内通算成績は30場所、134勝60敗2分2預116休、勝率.691。優勝1回。
年寄浅香山を襲名し、井筒部屋から独立して浅香山部屋を旗揚げした。
大川博。1896年12月29日 - 1971年8月17日、映画製作者、実業家。新潟県西蒲原郡加奈居村大字羽黒出身。家紋は丸に剣木瓜紋。
五島慶太にヘッドハンティングされる形で東京急行電鉄に入社。東京映画配給(東映)社長に就任。プロ野球・東映フライヤーズのオーナーとして経営に当たる。東映動画(現在の東映アニメーション)のアニメーション制作にも進出した。
伊東深水。1898年2月4日 - 1972年5月8日、日本画家。東京深川に生まれる。本名は伊藤一。家紋は丸に木瓜菱紋。
日本画独特のやわらかな表現による美人画が有名。
娘は女優の朝丘雪路。女優の真由子は孫。
代表作は『吉野太夫』『対鏡』『潮干狩』等。
神吉晴夫。1901年 - 1977年、編集者、出版事業家。兵庫県加古川市西神吉町出身。
プロデューサーとして「かもめの水兵さん」などのヒット曲を飛ばす。
光文社第2代社長に就任。『女性自身』の部数を147万部にまで伸ばす。
軽装新書版による書き下ろしのカッパ・ブックス創始者。
岡田嘉子。1902年4月21日 - 1992年2月10日、昭和初期のトップスター映画女優。新聞記者の娘として広島市細工町に誕生。
奔放な恋愛遍歴とソビエト連邦(現在のロシア)へ亡命するなど波乱の生涯を送ったことでも知られる。主演映画『街の手品師』『また逢う日まで』『東京の女』『日輪』等。
画像は岡田の墓がある多磨霊園の山本家の墓所の丸に木瓜紋。
大槻文平。1903年9月27日 - 1992年8月9日、経営者、財界人。宮城県丸森町に生まれる。
三菱鉱業セメント会長、日本経営者団体連盟会長、臨時行政改革推進審議会会長。
三菱鉱業の労務畑を長らく努め炭鉱合理化の際には「首切り文平」のあだ名があった。
勲一等瑞宝章受章。日勲一等旭日大綬章受章。
松島詩子。1905年5月12日 - 1996年11月19日、歌手。山口県玖珂郡日積村(現・柳井市)出身。本名は内海シマ。夫は内海一郎。
小学校教師から、一転、歌手を目指し、柳井はるみという名前でデビュー。
「夕べ仄かに」「マロニエの木陰」「銀座行進曲」などのヒット曲を持つ。
第1回NHK紅白歌合戦に出場。以後計10回出場する。
平林たい子。1905年10月3日 - 1972年2月17日、小説家。長野県諏訪市出身。
体験に基づく『施療室にて』でプロレタリア作家として認められる。
代表作は『秘密』『かういふ女 』『黒札』など。
没後、遺言により「平林たい子文学賞」が創設された。
源氏鶏太。1912年4月19日 - 1985年9月12日、作家。富山市出身。父親は富山の置き薬売り。本名、田中富雄。ペンネームの由来は「平家より源氏が好きなこと」。また、『鶏』という字が好きだからという。
代表作は『あすも青空』『英語屋さん』『口紅と鏡』等。
『三等重役』は「社長シリーズ」として映画化され大ヒットする。家紋は丸に木瓜。
三船敏郎。1920年4月1日 - 1997年12月24日、俳優。中華民国・山東省青島で貿易商、写真業を営む三船徳造の長男として生まれる。父は秋田県鳥海町出身。黒澤が脚本、谷口千吉が監督をつとめた映画『銀嶺の果て』でデビュー。
代表出演作品「羅生門」「レッド・サン 」「七人の侍 」「黒部の太陽」「椿三十郎 」「悪い奴ほどよく眠る」「用心棒 」など。三船美佳は内縁の妻(女優の喜多川美佳)との間にできた子供。
三波伸介。1930年6月28日 - 1982年12月8日、コメディアン・俳優・司会者・タレント。東京府東京市本郷区(現在の文京区)出身。本名:澤登 三郎。
1970年代から1980年代にかけて日本のお笑いをリードしてきたエンターティナー。
代表出演『笑点』『日曜お笑い劇場 』『てなもんや三度笠』
当たりギャグは「びっくりしたなぁ、もう!」。
樋口恵子。1932年5月4日- 、評論家。東京家政大学名誉教授。父は考古学者の柴田常恵。広く首都圏各自治体主催の講演会などで活動。
男女共同参画審議会のメンバーの一人。
2003年東京都知事選挙に出馬したが、石原慎太郎の前に惨敗した。
元日本ジャーナリスト会議副議長の新井直之と事実婚関係にあった。
桂歌丸。1936年8月14日 - 。神奈川県横浜市出身。位階勲等は旭日小綬章。本名は椎名 巌(しいな いわお)。
演芸番組『笑点』(日本テレビ)の放送開始から大喜利のメンバーとして活躍、現在では同番組の5代目司会者を務める。
その際に着る羽織には、木瓜紋をつけている。
山本學。1937年1月3日 - 、俳優。大阪府茨木市生まれ。東京育ち。
父は建築家の山本勝巳。弟は俳優の山本圭、山本亘。叔父は映画監督の山本薩夫。
善人役の印象が強い反面、時代劇作品などでは狂気的な悪役、特異な存在感を持つ怪優としても個性を発揮した。出演作は『白い巨塔』『金環蝕』『梟の城』等。家紋は三つ割り木瓜。
円谷幸吉。1940年5月13日 - 1968年1月9日、マラソン選手。福島県岩瀬郡須賀川町出身。自衛隊体育学校所属。
東京オリンピックではマラソンで3位となり、銅メダルを獲得した。
1968年1月9日にカミソリで頚動脈を切って自殺。
川端康成は『円谷幸吉選手の遺書』を発表した。家紋は丸に横木瓜。
坂本九。1941年12月10日 - 1985年8月12日、俳優・歌手。神奈川県川崎市川崎区出身。愛称は九ちゃん(きゅうちゃん)。
1961年の「上を向いて歩こう」は日本国外でも大ヒットした。
1963年にはアメリカのヒットチャートの「Billboard Hot 100」で3週連続1位を獲得た。
代表作は、「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を 」「明日があるさ 」など。
内田樹。1950年9月30日 - 思想家、エッセイスト。東京都大田区生まれ。内田樹の先祖は山形県鶴岡の士族。
神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。合気道六段、居合道三段の武道家。
主著『寝ながら学べる構造主義』『日本辺境論』『邪悪なものの鎮め方』等。
家紋は丸に横木瓜紋。Twitterで直接返信をいただいた
大仁田厚。1957年10月25日 - 。プロレスラーで元参議院議員。長崎県長崎市出身。全日本プロレスでプロレス入門。
自身が立ち上げたFMWにおける電流爆破マッチでブレイクした。
2001年7月29日に実施された第19回参院選に比例区で出馬、当選。
2007年6月23日に、政界引退。
馳浩。1961年5月5日 -、政治家、元プロレスラー。富山県小矢部市生まれ、石川県金沢市育ち。妻は高見恭子。
新日本プロレス時代にIWGPジュニアヘビー級王座奪取。
2006年8月27日に、両国国技館で引退試合を行い、プロレスラーを引退。
2008年8月に、自民党文部科学部会長に就任。家紋は丸に木瓜紋。
枝野幸男。1964年5月31日 ‐。民主党所属の衆議院議員。民主党の中でも政策通として知られるが、 その反面、政治的駆引や権力闘争的なことは苦手という面も併せ持つ。
労働者派遣法の規制緩和に一貫して反対している。
「朝まで生テレビ」など、メディアの露出が多い。
江角マキコ。1966年12月18日 - 、女優、タレント。本名・平野真紀子。島根県出雲市出身。
高校卒業後、バレーボール選手として活躍。後にモデルに転進。
代表出演作「ショムニ」「ラブ・レボリューション」「トリプル・キッチン」等。
江角家の墓所は長谷寺にある。画像はそこの墓所にて撮影。
出島。1974年3月21日 - 。元大相撲力士。本名:出島武春。石川県金沢市出身。
現役時代の最高位は東大関。現在は大鳴戸を襲名している。
出足が冴えたときには四股名に因み「出る出る出島」また「白い弾丸」とも呼ばれた。
家紋は丸に横木瓜紋。
広末涼子。1980年7月18日 -。女優。早稲田大学教育学部中退。モデルでファッションデザイナーの岡沢高宏と結婚/離婚。
出演代表作『鉄道員(ぽっぽや)』『恋愛寫眞 Collage of our Life』『ロングバケーション』『聖者の行進 』『世界で一番パパが好き』『おとうさん』 等。
昨年も映画『おくりびと』、連続ドラマ『ヤスコとケンジ』等、一線で活躍。
まさむね




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