亀甲紋 -北方を守護する玄武の力にあやかった紋- 浅井長政、手塚治虫、羽生善治...

亀甲紋は、北方を守護する玄武(亀)を表象する紋である。

出雲神社、香取神宮の神紋として知られている。
おそらく、元々、出雲大社は大陸(半島)、香取神宮は蝦夷(東北地方)に対する守りという意味があったのであろう。

ただ、この形状自体が美しいデザインのため、企業のマークとしても使用されている。
例えば、醤油でお馴染みのキッコーマンのマーク。
昭和のはじめに創業者の茂木佐平次が、香取神宮の氏子だったことから亀甲紋をマークに、採用したとのことである。

また、商標、後には会社名としても採用した。

また、ビデオレンタルのゲオ。
こちらのマーク、隅立ての3つの正方形のように見えるが、実は、創業者の遠藤結城氏の家紋であった三つ盛り亀甲のイメージをそのマークに込めたとのことである。

全国では20位。特に多い地域は、秋田県(15位)、徳島県(16位)、北海道(17位)、青森県(17位)、愛知県(17位)、佐賀県(17位)、山形県(18位)、島根県(18位)、香川県(18位)、千葉県(19位)といったところか。

さて、この紋を持つ有名人は以下の通り。


浅井長政 。1545年 – 1573年9月26日、 戦国大名。
近江国出身。浅井久政の嫡男として南近江観音寺城下に出生。浅井氏を北近江の戦国大名として成長させる。織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏の全盛期を築いたが後に信長と決裂。姉川合戦に敗れ追い詰められ自害し滅亡。家紋は三盛亀甲花菱。


直江兼続 。1560年 – 1620年1月23日、 戦国時代武将。
越後国出身。戦国から安土桃山時代にかけて上杉家の生存を賭けた戦いと外交に尽力。2009年の大河ドラマ「天地人」では、妻夫木聡が演じた。三つ盛り亀甲の中の文様は細い葉説と剣花菱説がある。画像は墓所で撮影した三盛亀甲紋。


安松金右衛門 。1611年 – 1686年10月24日、 藩士、郡代。
河内国出身、生国は播磨国。安松九左衛門の子。旧姓を神吉(かんき)と称し、名は吉美(よしざね)、金右衛門は通称。玉川上水・野火止用水の開削を行う。「算術の達人」と称された。家紋は一重亀甲に左三つ巴紋。平林寺の墓所にて撮影。


竹本義太夫 。1651年 – 1714年10月18日、 浄瑠璃太夫。
摂津国出身。両親は農家。読みは、たけもとぎだいゆう。大坂道頓堀に竹本座を開設し、『世継曽我』など、近松門左衛門と組み、多くの人形浄瑠璃を上演した。浄瑠璃の義太夫節の創始者。家紋は竹亀甲に九枚笹。画像は回向院にて撮影。


川路聖謨 。1801年6月6日 – 1868年4月7日、 旗本、勘定奉行。
豊後国日田出身。読みは、かわじとしあきら。内藤吉兵衛歳由の長男として生まれ小普請組の川路家の養子となる。海防掛に任じられ、ロシア使節プチャーチンと交渉。日露和親条約に調印。家紋は亀甲に渡辺星紋。画像は池之端・大正寺にて撮影。


周布政之助 。1823年5月3日 – 1864年10月26日、 長州藩士。
長門国出身。藩士・周布吉左衛門の五男。周布氏は代々長州藩毛利家に仕えた家柄。財政再建や軍制改革、殖産興業等の藩政改革に尽力。禁門の変第一次長州征伐に際して事態の収拾に奔走。家紋は亀甲に久の字紋。青山霊園の墓所にて撮影。


税所篤 。1827年12月22日 – 1910年6月21日、 武士、官僚。
薩摩国出身。藩士・税所篤倫の二男。読みは、さいしょあつし。戊辰戦争では新政府軍の軍事費工面などの財政処理を行う。維新後は、関西の各県令、知事、霧島神社宮司等を歴任。家紋は丸に亀甲に唐花紋、亀甲花崩し紋。画像は青山霊園にて撮影。


米倉一平 。1831年 – 1904年6月1日、 実業家。
豊後国出身。読みは、よねくらいっぺい。鳥羽・伏見の戦いで功をたてる。第五国立銀行取締役となり米穀市場を開き蠣殻町米商会所をおこし頭取となる。後に米穀取引所理事長などをつとめた。家紋は亀甲に唐花紋。画像は谷中霊園にて撮影。


船津伝次平 。1832年11月22日 – 1898年6月15日、 農業研究家。
上野国原之郷出身。読みは、ふなつでんじべい。篤農家として評価された「明治の三老農」の一人。経験を重んじる在来の日本農業に西洋の近代農法を積極的に採り入れた「混同農事」に力を入れた。家紋の丸に三つ盛亀甲紋は、船津家墓所写真にて確認。


岡内重俊 。1842年5月11日 – 1915年9月20日、 司法官。
土佐国土佐郡に藩士岡内清胤の長男として出生。読みは、おかうちしげとし。海援隊に入り秘書役として活躍。維新後、岩倉具視伊藤博文らと共に征韓論に抗して高知の征韓論者説得に努めた。家紋は丸に亀甲に武田菱紋。画像は谷中霊園にて撮影。


千家尊福 。1845年9月7日 – 1918年1月3日、 宗教家、政治家。
出雲国出身。出雲大社宮司の家に生まれ教派神道出雲大社教を創始。貴族院議員、埼玉・静岡県知事、東京府知事、司法大臣を歴任。「年の始めの 例(ためし)とてで」始まる「一月一日」の作詞者。家紋は亀甲に剣花菱紋。青山霊園にて撮影。


原口兼済 。1847年4月2日 – 1919年6月18日、 陸軍軍人。
豊後国出身。森藩士・林寛吾の四男。同藩士・原口等の養子となる。西南戦争、日清戦争に出征。日露戦争では第13師団長として樺太作戦を遂行し樺太全土を占領。貴族院議員も務める。最終階級は陸軍中将。家紋は亀甲に木瓜紋。画像は青山霊園。


寺内正毅 。1852年2月24日 – 1919年11月3日、 政治家。
周防国出身。長州藩士宇多田正輔の三男。読みは、てらうちまさたけ。母方の寺内勘右衛門の養嗣子となる。陸軍大臣、外務大臣、韓国統監、朝鮮総督、内閣総理大臣(第18代)、大蔵大臣を歴任。最終階級は元帥陸軍大将。家紋は亀甲に三つ柏紋。


山根武亮 。1853年3月24日 – 1928年4月4日、 陸軍軍人。
長州国出身。藩士・山根修平の二男。読みは、やまねたけすけ。日清戦争に第2軍兵站参謀長として出征。日露戦争では臨時軍用鉄道監として出征し、仁川で任務を遂行した。最終階級は陸軍中将。家紋の亀甲に山の字紋は、「華族家系大成」による。


田村銀之助 。1856年8月30日 – 1924年8月20日、 新選組隊士。
磐城平藩出身。12歳で新選組に入隊し、局長近藤勇土方歳三附属の小姓として所属した。旧幕府軍が仙台で榎本武揚艦隊と合流すると、共に蝦夷地へ渡り、土方歳三に所属する榎本総裁附きの小姓となる。家紋は丸に亀甲に左三つ巴紋。


磯野計 。1858年9月 – 1897年12月14日、 実業家。
美作国津山出身。父は津山藩士。読みは、いそのはかる。弁護士から郵便汽船三菱会社社員を経て、横浜で明治屋を創業し、麦酒販売などを行なう。家紋の子持ち亀甲に三つ鱗紋は青山霊園にて撮影。現在でも明治屋のロゴに三つ鱗が残っている。


下瀬雅允 。1859年7月11日 – 1911年9月6日、 発明家、工学博士。
安芸国出身。広島藩士鉄砲役、下瀬徳之助の長男。読みは、しもせまさちか。日露戦争における大戦果の一因とされた下瀬火薬を発明。実験事故で指を失ってもなお研究を続けたという。家紋は一重亀甲に右二つ巴紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


堀直弘 。1861年3月24日 – 1919年12月6日、 村松知藩事。
越後村松藩の第12代で最後の藩主。読みは、ほりなおひろ。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟軍に参加せず、新政府軍に帰順したため、明治元年、村松藩主堀家12代をゆるされた。家紋の亀甲に花菱紋は、谷中霊園内寛永寺墓地にて撮影。


鳥谷部春汀 。1865年3月29日 -1908年12月21日、 ジャーナリスト。
陸奥国三戸郡五戸村出身。南部藩士・木村忠治の子。母方の鳥谷部氏を嗣ぐ。本名は鳥谷部銑太郎。読みは、とやべしゅんてい。雑誌『精神』『太陽』『報知新聞社』等の記者となり人物評を連載する。家紋は亀甲に唐花紋。画像は吉祥寺の墓所にて撮影。


宮武外骨 。1867年2月22日 – 1955年7月28日、 ジャーナリスト。
讃岐国出身。庄屋宮武家の四男。読みは、みやたけがいこつ。反骨精神に富み、自ら新聞、雑誌を刊行して政治や権力批判を行い、たびたび発禁、差し止め処分を受けた。『滑稽新聞』が特に有名。家紋は亀甲に七曜紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


山田美妙 。1868年8月25日 – 1910年10月24日、 小説家。
武蔵国江戸神田出身。旧南部藩士・山田吉雄の長男。本名は山田武太郎。読みは、やまだびみょう。言文一致体、新体詩運動の先駆者。尾崎紅葉らとともに硯友社を結成。雑誌『我楽多文庫』を刊行。家紋は丸に三つ割亀甲に花菱紋。画像は染井霊園にて。


岩元禎 。1869年6月12日 – 1941年7月14日、 哲学者。
鹿児島県出身。士族の長男。読みは、いわもとてい。夏目漱石の『三四郎』の広田先生のモデル。極めて採点が厳しい名物教授として知られた。また、志賀直哉にドイツ語を教えた。主著は『哲学概論』。家紋は亀甲に花菱。画像は総持寺にて撮影。


馬場孤蝶 。1869年12月10日 – 1940年6月22日、 作家、翻訳家。
高知県出身。本名は勝弥。読みは、ばばこちょう。島崎藤村北村透谷上田敏らと雑誌「文学界」を創刊。本邦初訳のトルストイ『戦争と平和』を刊行。代表作は 『明治の東京』 『社会的近代文芸』 等。家紋は違い一重反り亀甲。画像は谷中霊園にて撮影。


畑英太郎 。1872年8月28日 – 1930年5月31日、 陸軍軍人。
福島県出身。会津藩士・警察官、畑能賢の長男。陸軍大臣陸軍大将・畑俊六は弟。軍事課長、航空局次長、軍務局長、陸軍次官、兼軍事調査委員長、第1師団長を歴任。最終階級は陸軍大将。家紋は亀甲に根笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。


蒲原有明 。1875年3月15日 – 1952年2月3日、 詩人。
東京市麹町隼町に蒲原忠蔵の息子として出生。本名、隼雄。象徴派詩人として『独絃哀歌』『春鳥集』『有明集』などを発表。薄田泣菫と併称され北原白秋三木露風らに影響を与えた。家紋は亀甲に梅鉢紋。画像は麻布・賢崇寺の墓所にて撮影。


平福百穂 。1877年12月28日 – 1933年10月30日、 日本画家。
秋田県角館出身。本名は貞蔵。読みは、ひらふくひゃくすい。自然主義的写生画を目指し自然主義と古典が融合した作品を生み出す。また、伊藤左千夫と親しく歌人としても活動した。家紋は陰亀甲に隅立て陰四つ目結紋。画像は多磨霊園にて撮影。


冠松次郎 。1883年2月4日 – 1970年7月28日、 登山家。
東京府出身。読みは、かんむりまつじろう。日本アルプスや奥秩父の渓谷の多くを遡行し、優れた記録や紀行文を残した。登山の中に沢登りという日本独自の分野を開く。黒部の父とも呼ばれる。代表作は『黒部渓谷』『剣岳』等。家紋は三つ盛亀甲紋。


平塚雷鳥 。1886年2月10日 – 1971年5月24日、 思想家・作家。
東京府出身。父親は紀州藩士で明治政府の高級官吏・平塚定二郎。関ヶ原の合戦で戦死した西軍の武将平塚為広の末裔。女性解放運動・婦人運動の指導者。日本で最初の女性による女性のための文芸誌『青鞜』を創刊。家紋は一重亀甲の内梅鉢紋。


長田幹彦 。1889年5月28日 – 1929年3月5日、 小説家。
東京出身。谷崎潤一郎とともに耽美的作風を併称され、幹彦潤一郎と呼ばれた。『祇園情話』などの「祇園もの」でも人気を博した。戦後は、阿部定と組み阿部定事件を演じる劇団を旗揚げしたこともある。家紋は三つ盛一重亀甲紋。寛永寺第三墓地にて撮影。


山本宣治 。1889年5月28日 – 1929年3月5日、 政治家。
京都府宇治に料理旅館「花やしき浮舟園」の主人・山本亀松の長男。日本共産党系の労農党の京都府連合会委員長。衆議院議員として治安維持法改正などに反対するが、「七生義団」の黒田保久二に刺殺された。家紋は一重亀甲に右寄り三階松紋。


橋本祐幸 。1890年1月 – 1944年1月27日、 政治家、内務官僚。
福岡県福岡市出身。読みは、はしもとすけゆき。本所警察署、向島警察署、日比谷警察署、四谷警察署の署長を歴任。衆議院議員総選挙に出馬し当選。頼母木桂吉東京市長のもとで第二助役をつとめた。家紋の丸に亀甲に花菱紋は多磨霊園の墓所にて撮影。


丸山敏雄 。1892年5月5日 – 1951年12月14日、 宗教家、教育家。
福岡県豊前市合河町出身。倫理研究所の前身・新世文化研究所を設立し、社会教育、研究、文化、出版等の事業を行なう。後に、日本全国に50,000社を擁する倫理研究所として発展させる。家紋は一重亀甲に左寄り三階松紋。画像は多磨霊園にて撮影。


中川一政 。1893年2月14日 – 1991年2月5日、 洋画家、美術家。
東京府本郷に生まれ、岸田劉生に見出されて画家を志す。多彩な作品を制作し、全てが独学であり自ら「在野派」と称した。妻は千田是也の姉の暢子。次男・は映画監督中川晴之助。孫に女優の中川安奈。家紋は亀甲に花菱紋。雑司が谷霊園にて撮影。


甲賀三郎 。1893年10月5日 – 1945年2月14日、 推理作家。
滋賀県蒲生郡日野町出身。生家は、甲賀郡水口藩の藩士であった井崎家。本名は春田能為。読みは、こうがさぶろう。江戸川乱歩と並び本格派の探偵小説に取り組んだ。代表作は「琥珀のパイプ」「支倉事件」など。家紋は一重亀甲に立ち沢瀉紋。


相良守峯 。1895年4月14日 – 1989年10月16日、 独文学者。
山形県鶴岡市出身。読みは、さがらもりお。東京大学名誉教授、文化勲章受章。木村謹治とともに編纂した独和辞典は「キムラ・サガラ」と呼ばれた。また、日本独文学会の創設にも貢献した。家紋の亀甲に花菱紋は春秋苑にて撮影。


玉川勝太郎(2代) 。1896年5月1日 – 1969年8月13日、 浪曲師。
東京府牛込区の生まれ。本名は石渡金久。17歳で初代に入門。師匠譲りの関東節任侠物を磨き上げ、『清水次郎長伝』『国定忠治』などを十八番にした。弟子には玉川良一、玉川ゆたか等がいる。家紋は三つ盛亀甲紋。画像は寛永寺第二霊園にて撮影。


猪口敏平 。1896年8月11日 – 1944年10月24日、 海軍軍人
鳥取県鳥取市出身。大工棟梁・猪口鉄蔵の長男。読みは、いのぐちとしひら。弟・猪口力平(海軍大佐) 神風特別攻撃隊命名者。最終階級は海軍中将。戦艦「武蔵」最後の艦長として知られる。家紋の亀甲に剣片喰紋は墓所写真にて確認。


堀越二郎 。1903年6月22日 – 1982年1月11日、 航空技術者。
群馬県藤岡市出身。三菱九六式艦上戦闘機の設計に於いて革新的な設計を行う。零式艦上戦闘機の設計主任として知られる。また『風立ちぬ』(宮崎駿著)の主人公としても有名である。家紋の丸に三つ盛り亀甲は多磨霊園の墓所にて撮影。


小林多喜二 。1903年10月13日 – 1933年2月20日、 小説家。
秋田県北秋田郡下川沿村生まれ。4歳の時に北海道・小樽に移住。伯父からの学資を受け小樽高等商業学校へ進学。『蟹工船』を発表し一躍プロレタリア文学の旗手として注目を集める。非合法の日本共産党に入党。治安維持法違反容疑で逮捕され獄死。


塚本憲甫 。1904年9月16日 – 1974年6月7日、 医学者。
東京府出身。ノンフィクションライターの塚本哲也は長女ルリ子の夫。放射線医学総合研究所の二代目所長、国立がんセンター病院長を歴任するが、自身が癌に罹り在職のまま死去した。家紋は一重亀甲に違い笏紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


立原道造 。1914年7月30日 – 1939年3月29日、 詩人、建築家。
東京市日本橋区橘町出身。家系は桓武平氏の一家系 常陸平氏・大掾氏の一門 鹿島氏の庶流 立原氏。代表詩集『ゆふすげびとの歌』『萱草に寄す』『曉と夕の詩』。家紋は三つ盛り亀甲紋。上の紋は花菱、下の二つは角字(平と東)。画像は多宝院にて撮影。


古橋廣之進 。1928年9月16日 – 2009年8月2日、 水泳選手。
静岡県浜名郡雄踏町出身。水泳界で次々と世界記録を打ち立ててフジヤマのトビウオの異名を取った。日本水泳連盟会長、JOC会長を歴任。家紋は亀甲に花菱紋。画像は「週刊現代」2012年7月21日28日合併号の「著名人のお墓巡り」の記事より。


手塚治虫 。1928年11月3日 – 1989年2月9日、 漫画家。
大阪府出身。5歳から兵庫県宝塚市に育つ。代表作は、『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『ブッダ』『マグマ大使』『どろろ』『ブラック・ジャック』等、多数。ストーリー漫画の父と言われている。家紋は細輪に三つ盛亀甲紋。画像は巣鴨・摠禅寺にて撮影。


有吉佐和子 。1931年1月20日 – 1984年8月30日、 小説家。
和歌山県和歌山市出身。曽祖父は長州藩士の有吉熊次郎。カトリック教徒。『地唄』が文學界新人賞候補、ついで芥川賞候補となり文壇デビュー。代表作は『紀ノ川』『恍惚の人』。家紋は一重亀甲に並び矢。画像は小平霊園の墓所にて撮影。


西岡武夫 。1936年2月12日 – 2011年11月5日、 政治家。
長崎県長崎市出身。衆議院議員(11期)、参議院議員(2期)、新自由クラブ幹事長、文部大臣(第111・112代)、自由民主党総務会長、新進党幹事長、参議院議長(第28代)などを歴任した。家紋の亀甲に横木瓜紋は、地元長崎の精霊船の写真にて確認。


松永高司 。1936年6月6日 – 2009年7月11日、 実業家。
東京都目黒区出身。松永4兄弟で全日本女子プロレスを創業し、社長・会長を務めた。「女子プロレスの父」の異名を持つ。後に、フジテレビでの試合中継も実現させて女子プロブームを興した。家紋の亀甲に花菱紋は、目黒・円融寺にて撮影。


梅宮辰夫 。1938年3月11日 – 、 俳優。
満洲・ハルビン市出身。茨城県水戸市で育つ。本名は梅宮辰雄。タレント・モデルの梅宮アンナは娘。代表出演作は『人生劇場 飛車角』『仁義なき戦い』。テレビドラマ、CMでも活躍。家紋は丸に三つ盛り亀甲紋。画像は小平霊園の梅宮家の墓所にて撮影。


落合博満 。1953年12月9日 – 、 プロ野球選手、監督。
秋田県南秋田郡若美町出身。現役時代はロッテ、中日、巨人、日本ハムなどで活躍。3度の三冠王に輝く。2004年から中日ドラゴンズ監督。3度のリーグ優勝に輝く。家紋は息子・福嗣の自伝「フクシ伝説」の表紙の紋付より亀甲と判断。中は梅鉢か。


田中好子 。1956年4月8日 – 2011年4月21日、 女優、歌手。
東京都足立区梅田出身。実家は田中屋釣具店。本名は、小達好子。アイドル歌手でキャンディーズのメンバー。主な出演映像作品は『おしん』『黒い雨』『家なき子』など多数。家紋は亀甲に小の文字紋。画像は、多磨霊園の小幡家の墓所にて撮影。


原由子 。1956年12月11日 – 、 ミュージシャン。
神奈川県横浜市出身。サザンオールスターズのメンバー。本名は、桑田由子。キーボード担当。ソロ作品も数年置きのペースでリリースしている。家紋の亀甲に花菱紋は、生家・原家の家紋。1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


青木達之 。1966年8月15日 – 1999年5月2日、 ドラマー、作曲家。
東京都出身。日本を代表するスカバンド、「東京スカパラダイスオーケストラ」の結成当時からのドラマーとして活躍。小泉今日子などにも曲を提供。列車事故で急逝。画像は多磨霊園の青木家の墓所にて撮影。亀甲紋であることが確認できる。


羽生善治 。1970年9月27日 – 、 将棋棋士。
埼玉県所沢市若松町生まれ、東京都八王子市育ち。全7タイトル戦のうち6つで永世称号の資格を保持。通算タイトル獲得数、通算優勝回数等は歴代1位。数々の実績から将棋史上最強格の棋士の一人に挙げられる。紋付姿の写真より家紋は亀甲に梅紋と判断。


後藤洋央紀 。1979年6月25日 – 、 プロレスラー。
三重県桑名市出身。読みは、ごとうひろおき。新日本プロレス所属。得意技はGTR、昇天・改。2007年に、IWGPヘビー級王座、2015年にIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦。家紋の亀甲に花菱紋は自身のオリジナルグッズのデザインにも使用している。


羽生結弦 。1994年12月7日 – 、 フィギュアスケート選手。
宮城県仙台市泉区出身。読みは、はにゅうゆずる。2014年ソチオリンピック男子シングル優勝。2014年世界選手権優勝。グランプリファイナル二連覇する。家紋の丸に三盛亀甲紋は、2015年12月発売の「家庭画報1月号」(世界文化社)の羽織袴姿にて確認。


丹下左膳 。江戸時代、 剣士。
作家・林不忘の新聞連載小説、およびその作品内の主人公。隻眼隻腕の異様な姿の剣士。手塚治虫も同名の作品を漫画化している。映画では団徳麿、嵐寛寿郎、大河内傳次郎、阪東妻三郎等が主役を演じている。家紋は一重亀甲に二引両紋。

有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね

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