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桜紋 -どこかに死の匂いを感じさせる花- 原敬、吉田茂、与謝野晶子...

18 1 月 2009 No Comment


元々、「桜」は、どこかに死の匂いを感じさせる花であった。

例えば...

古事記においてニニギノミコトの妻、コノハナサクヤ姫(=桜の精)は生命の弱さの象徴であった。
源氏物語では桜は凶兆の花であった。
西行にとって、桜の根は、自分が死すべき場所であった。
世阿弥にとって、桜は死霊が蘇る宿り木であった。
秀吉にとって吉野の大花見会は、いままで戦で亡くなった人々への壮大は弔いの儀式であった。

そのため、桜紋は、その人気とは裏腹に広まらなかった。
全国全ての地域において、ベスト30に入っていないのだ。

しかし、一方、桜は、江戸中期から出始めた国文学者によって、徐々に日本の象徴として祀り上げられる様になる。
例えば、本居宣長はこんな歌を詠んでいるのだ。

敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花

そして、明治時代からは、上記の国学的イデオロギーを引き継いで、様々な国家主義的組織の紋章として採用されていくのである。
現代でもその紋が生きているのは、例えば、学習院(左上)、大相撲(右上)、軍(左下)、靖国神社(右下)などの組織だ。

これらの紋は、桜の中でも山桜を入れ込んだ紋である。

有名人で桜紋を使用しているのは以下。


細川忠興 。1563年11月28日 - 1646年1月18日、 武将、大名。
将軍足利義輝に仕える幕臣・細川藤孝の長男として京都で生まれる。丹後宮津城主を経て豊前小倉藩初代藩主。教養人・茶人としても有名で、利休七哲の一人。熊本藩細川家初代。元首相の細川護熙は末裔。家紋の細川九曜は星が離れているのが特徴。


佐倉惣五郎 。1605年 - 1653年9月24日、 名主、義民。
下総国印旛郡公津村出身。代表的な義民として名高いが、史実として確認できることは少ない。領主堀田氏(佐倉藩)の重税に苦しむ農民のため、将軍への直訴をおこなって処刑されたという。家紋の桜に宗の字紋は、浅草・宗吾殿の門の写真にて確認。


花柳壽輔(初代) 。1821年2月19日 - 1903年1月28日、 日本舞踊家。
江戸の玩具商・三国屋清兵衛の長男。読みは、はなやぎじゅすけ。日本舞踊界において最大の流派である花柳流の創始者。江戸期から明治初期にかけて『勧進帳』『船弁慶』などの舞台の振付を行う。家紋は花柳桜。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


井上馨 。1836年1月16日 - 1915年9月1日、 政治家、実業家。
長州藩士・井上五郎三郎光享の次男。本姓は源氏。清和源氏の一家系 河内源氏の流れを汲む安芸国人。外務卿、参議、農商務大臣、内務大臣を歴任。元々の家紋は割剣酢漿草菱だが、青山・長谷寺の墓所には桜菱紋(画像)が彫られている。


山縣有朋 。1838年6月14日 - 1922年2月1日、 政治家、陸軍軍人。
萩城下近郊の阿武郡出身。長州藩の中間・山縣有稔の長男。奇兵隊に入って頭角を現し新政府では日本陸軍の基礎を築き国軍の父と称される。内閣総理大臣(第3、9代)。最終階級は元帥陸軍大将。家紋は丸に大和桜紋と三つ鱗紋。画像は護国寺にて撮影。


甲賀源吾 。1839年2月16日 - 1869年5月6日、 幕臣。
江戸出身。遠江国掛川藩家臣、甲賀孫太夫秀孝の第4子。幕府の軍艦操練所で学び、軍艦頭並となる。江戸開城に際し、榎本武揚にしたがい箱館へ脱出。回天艦長として新政府の軍艦と交戦中に戦死。家紋の山桜紋は光源寺の墓所写真にて確認。


桜井勉 。1843年10月6日 - 1931年10月12日、 行政官。
出石藩の儒官・桜井石門の長男として出石町伊木に出生。内務省地理局長時代には全国の気象測候所の創設を働きかけ、気象観測網の基礎を築いた。山梨県知事、台湾新竹知事、内務省神社局長を歴任。家紋は大和桜紋。画像は谷中霊園にて撮影。


原敬 。1856年3月15日 - 1921年11月4日、 政治家。
盛岡藩出身。盛岡藩士原直治の次男。分家として独立する際に平民となる。その際、家紋も三つ割桜とする。政界に進出し大正7年に内閣総理大臣に就任。爵位の受け取りを固辞し続けたため「平民宰相」と言われた。画像は盛岡・大慈寺の墓所にて撮影。


櫻井錠二 。1858年9月24日 - 1939年1月28日、 化学者。
加賀国出身。読みは、さくらい じょうじ。東京化学会(日本化学会の前身)の運営、理化学研究所、日本学術振興会の設立を行う。応用化学よりも理論化学を重視した。死に際して勲一等旭日桐花大綬章が追贈された。家紋の丸に山桜紋は染井霊園にて撮影。


真崎甚三郎 。1876年11月27日 - 1956年8月31日、 陸軍軍人。
佐賀県出身。海軍少将・衆議院議員の眞崎勝次は弟。荒木貞夫と並ぶ皇道派の中心人物。二・二六事件関与を否認。判決で無罪となる。戦後、A級戦犯として巣鴨プリズンに入所する。家紋は桜紋。画像は佐賀県神埼市・妙泉寺の真崎家墓所にて撮影。


吉田茂 。1878年9月22日 - 1967年10月20日、 官僚、政治家。
東京神田駿河台出身。高知県宿毛出身の自由民権運動の闘士竹内綱の五男。5度にわたって内閣総理大臣に任命された。サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約を締結するなど、戦後日本を創る。画像は青山霊園の墓所(現在は他所へ移転)にて撮影。


与謝野晶子 。1878年12月7日 - 1942年5月29日、 歌人、作家。
大阪府堺市甲斐町で老舗和菓子屋「駿河屋」を営む鳳宗七の三女。日露戦争の時に歌った『君 死にたまふことなかれ』は有名。代表作品は、『みだれ髪』『全訳源氏物語』。夫は与謝野鉄幹。元財務相・与謝野馨は孫。画像は多磨霊園にて撮影。


滋野清武 。1882年10月6日 - 1924年10月13日、 飛行家。
愛知県出身。男爵・滋野清彦の三男。通称はバロン滋野。第一次世界大戦の開戦時にフランス陸軍航空隊に志願して陸軍飛行大尉に任命され、受勲する。学生時代、志賀直哉に殴られたという逸話がある。家紋は六つ細川桜紋。画像は谷中霊園にて撮影。


三輪寿壮 。1894年12月15日 - 1956年11月14日、 法律家、政治家。
福岡県糟屋郡古賀村に生まれる。読みは、みわじゅそう。戦前は、労働争議や小作争議で闘う。衆議院議員に初当選後、ゾルゲ事件で尾崎秀実の官選弁護人を務める。戦後は左右社会党の統一を成し遂げる。家紋は丸に剣桜紋。画像は多磨霊園にて撮影。


宇都宮徳馬 。1906年9月24日 - 2000年7月1日、 政治家、実業家。
東京府出身。陸軍大将・宇都宮太郎の長男。読みは、うつのみやとくま。平和共存外交、日ソ国交回復や日中・日朝の国交回復を主張するなど自民党左派として活躍。家紋は左三つ巴紋と丸に雀口桜紋。画像は麻布・賢崇寺の父・宇都宮太郎の墓にて。


埴谷雄高 。1909年12月19日 - 1997年2月19日、 作家、評論家。
台湾の新竹に生まれる。本名は、般若豊。代表作は思弁的な大長篇小説『死靈(しれい)』。世界文学史上未曾有の形而上小説であったが未完に終わる。晩年は吉本隆明とコム・デ・ギャルソン論争で対決。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


吉永小百合 。1945年3月13日 - 、 女優。
東京都渋谷区代々木西原町(当時)出身。本名は岡田小百合。浜田光夫と共に1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした。代表出演作『キューポラのある街』『愛と死をみつめて』『母べえ』等。家紋は雪輪に山桜紋という(伝説)。


水野誠一 。1946年7月8日 - 、 実業家、政治家。
東京都出身。読みは、みずのせいいち。妻は、木内みどり。父親は、フジテレビ社長の水野成夫。株式会社西武百貨店社長、参議院議員、新党さきがけ政策調査会長などを歴任。家紋は丸に三つ葉桜紋。画像は春秋苑の父・水野成夫の墓所にて撮影。


有村治子 。1970年9月21日 - 、 政治家。
石川県出身。読みは、ありむらはるこ。自民党所属の参議院議員。第2次安倍内閣で内閣府特命担当大臣に任命された。高祖父の有村國彦は幕末の志士・海江田信義有村次左衛門の末弟。家紋の雀口桜杏葉は青山霊園の有村家の墓所にて撮影。


里山浩作 。1981年5月31日 - 、 大相撲力士
鹿児島県大島郡笠利町(現在の奄美市)出身。本名は同じ。日本大学へ進学し相撲部に所属。尾上部屋(入門時は三保ヶ関部屋)所属。夫人も同様に相撲経験者であり日大相撲部出身者である上、アジア女子選手権優勝の実績も残している。家紋は丸に桜紋。


狩野英孝 。1982年2月22日 - 、 お笑いタレント。
宮城県栗原市栗駒出身。実家は約1500年続いているといわれる櫻田山神社。神紋は桜。「ホストネタ」をメインの芸とするがイジられキャラでもある。「ラーメン、ツケメン、ぼくイケメン」「スタッフゥ~」等のギャグを持っている。

有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね

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