Articles Archive for 19 1 月 2009
テレビドラマ, 社会問題 »
「銭ゲバ」は元々1970年頃に少年サンデーで連載されたジョージ秋山の漫画である。
当時、作品の表現問題から一部の都道府県では有害図書扱いされたことがあったという。
それが、2009年にテレビドラマとして蘇った。
主人公の風太郎が1円玉を拾うシーンに続いて、のっけから、どこか大きな工場の生産ライン。そこは、労働者は人間として扱われていない世界だ。
一日の労働の後、毎日のように工場側から、その日で仕事を切られる労働者の番号と名前が呼ばれる。
それは、必然的に最近、話題になっている「派遣切り」の風景を彷彿させる。
約40年前の労働者の風景が、現代の状況とシンクロするシーンだ。
今クールのドラマが「ラブシャッフル」にしろ、「メイちゃんの執事」にしろ、明らかに時代とずれたフィクションが目立つ中で、「銭ゲバ」の世界観は、今だからこその露悪的な説得力を出し続けられるか、どうか。
おそらく、これがこのドラマの生命線になるであろう。
それにしても、松山ケンイチ(青森生まれ)の暗さは、十分、期待に値する存在感である。
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さて、その後、しばらくして、画面は主人公・蒲郡風太郎の子供時代へ。
彼が育った環境は、父親は飲んだくれ、母親が病気をおして働いて家を支える。そして、風太郎も新聞配達で家計を手助けする。
絵に描いたよな可哀そうな境遇である。
しかし、母親と風太郎の二人の食事風景はなんとも涙を誘う。
子役は、「光とともに」での光君役や、「流星の絆」での 有明功一の子供時代の役などで大人顔負けの演技を見せた齋藤隆成、そして、母親は、最近では、「モンペ」や「魔王」で母子家庭の母親役を好演した奥貫薫だ。
それにしても、仮に”幸の薄い役柄市場”というものがあったとしたら、この奥貫薫は独禁法違反になるくらい他の追随を許さないハマリ役者である。
貧乏な母子、母親は風太郎に以下のように言う。
「ちゃんと正直に一生懸命がばってれば絶対幸せになれる。神様は見ていてくれるから。」
そういえば、1970年、今からおよそ40年前、大阪万博があった年。おそらく、その頃は今以上に、貧富の差が激しい時代だった。
しかし、人々はこの母親の言うような、価値観を信じていた。
生きることは苦しくても、頑張っていれば、いつか幸せになれるという価値観を。
しかし、あれから40年、市場原理主義、新自由主義、グローバルスタンダードなどという価値観の大転換の大波が去った後、日本は、頑張らないと幸せになれないが、頑張っても幸せになれるかどうかは偶然に左右されるような社会になってしまった。
こんな社会で、いったい誰がこのような現実を前にして、必死で努力しした方がいいなどと自信を持って言えるだろうか。
現代の労働問題の本質は、職が無いというよりも、欲が無いということだと思う。
それは、2009年の価値観のもとで、人々は労働意欲を維持継続出来るかという問題なのではないだろうか。
さて、1970年の「銭ゲバ」では最終的に、この母親的な価値観が正しかったということになるのだが、現代の時代背景のこのドラマにおいて、最終的にいかなる価値観が勝利するのであろうか。
母親的な価値観の先を行く”現代的”価値を提示できるのか、そのあたりがこのドラマの見所となっていくだろう。
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さらに言えば、原作では風太郎は最終的に自殺するのであるが、このドラマではどうなるのであろうか。
そこも一つの見所だ。
昨年から今年にかけての、多くのドラマでは自殺防止メッセージが流され続けている。
例えば、「イノセント・ラブ」において、佳音(堀北真希)の兄・耀司(福士誠治)がナイフで自殺しようとするが、殉也(北川悠仁)に制止される。
その時のセリフが「生きていて欲しい」だった。そして最終回に耀司は言う。「何があっても生きなくてはいけないのですね。」と。
大河ドラマ「篤姫」でも、主人公の篤姫(宮崎あおい)は、自分は死んで官軍の江戸総攻撃を回避しようとする徳川慶喜(平岳太)に対して、「あなたも家族です。」と言って、自害を阻止する。
また、「流星の絆」、真犯人だった刑事(三浦友和)が自殺しようとするが、自分の両親を殺された有明功一(二宮和也)はそれを許さない。
さらに、今クールの月9ドラマ「ヴォイス~命なき者の声~」の第一回放送では、自殺しようとする子供を救い自分が亡くなったしまった男(モロ師岡)の話であった。
その流れの中で、2009年の「銭ゲバ」はどういった結末を迎えるのであろうか。今から楽しみである。
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さて、ドラマの中身とは関係ないが、この「銭ゲバ」の提供クレジットには、株式会社スズキとコカコーラである。
コカコーラはいいとしても、昨年末に600人の期間労働者の削減を発表したスズキが堂々と名前を連ねているのはいい根性している。
ドラマの中で、労働者が冷淡にも切られるシーンがあって、CMに切り替わるとスズキのワゴンR。
どれだけのCM効果があるのだろうか。
ちなみに、キャノンは番組終了後に、ヒッチハイク扱い(視聴率に応じてCM料を決めるシステム)でCMを流していた。
御手洗会長は、はたしてこのドラマとCMのアンバランスを見たのであろうか。
興味深いところである。
まさむね
歴史・家紋 »
家紋の中で一番わかりやすいのが文字紋である。
近頃は、ローマ字ロゴが全盛の時代だが、「丸に文字」の文字紋もまだ残っている。
それは、丸に文字紋が、かっこ良さは別にして、ご年配にわかりやすいからに違いない。
左画像はご存知の通り、左上=伊勢丹、右上=大丸、左下=三越、右下=高島屋の「丸に文字」ロゴである。
大衆相手の百貨店にとって、わかりやすさは大事なのだ。
文字紋は全国で26位。
長野県で12位、宮崎県で14位。
おそらく、長野県では、丸に上文字紋が多いだろうと推測できる。村上発祥の地だからである。
また、丸に十字紋(轡紋)に関しては、久留子紋のページをご覧下さい。
文字紋を持つ有名人は以下。
村上義清。1501年3月29日 - 1573年2月3日、戦国時代の武将。
村上顕国の子として葛尾城に出生。村上氏は清和源氏。信濃埴科郡葛尾城主で武田晴信の侵攻を2度撃退するなどの武勇で知られ家督相続時には信濃の東部から北部を支配下に収め村上氏の最盛期に当主となる。家紋は丸に上文字。
稲葉一鉄。1515年 - 1589年1月5日、武将。
伊予の名族・河野氏の一族。美濃で土豪となる。土岐氏、斎藤道三から斎藤氏3代、織田信長、豊臣秀吉に仕える。江戸幕府第3代将軍・徳川家光の乳母となる春日局の養祖父。家紋は隅切角に三の字。画像は正成系稲葉家宗家16代・稲葉正邦の墓所にて撮影。
来島通康。1519年 - 1567年、戦国時代の武将。
来島村上氏の第四代当主。村上水軍(来島水軍)の大将。河野家家臣としての内政、外交、軍事の各方面での中心的役割を果たす。毛利元就が陶晴賢と厳島にて戦った時は毛利軍の援軍として参陣。家紋は伊予・大山祓神社の神紋、折敷に縮み三文字紋。
本多忠勝。1548年 - 1610年12月3日、武将・大名。
徳川本家の最古参の安祥譜代の本多氏で本多忠高の長男。本姓は藤原氏。家康の家臣として数々の武功を上げる。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられる。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。家紋は立葵(左)と丸に本の字。
仙石秀久。1552年2月20日 - 1614年6月13日、武将・大名。
美濃の豪族・仙石久盛の四男として美濃で生まれる。仙石氏は清和源氏である土岐氏の支流。羽柴秀吉の家臣として仕える。賤ヶ岳の戦いが終結すると、秀久はこれまでの功を評価され、淡路国洲本城主5万石の大名となる。家紋は丸に無の字紋と永楽銭紋。
蜂須賀家政。1558年 - 1639年2月2日、武将・大名。
尾張国丹羽郡宮後村出身。蜂須賀正勝の長男。父の替りに阿波の大名に任じられて徳島藩祖となる。阿波踊りは城が竣工した折、家政が城下に城の完成祝いとして「好きに踊れ」という触れを出したことが発祥と言われている。家紋は蜂須賀万字。
石田三成。1560年 - 1600年11月6日、武将・大名。
石田正継の次男として近江国坂田郡石田村で生まれる。秀吉の小姓として仕える。豊臣政権の五奉行の一人。家康を排除すべく、上杉景勝・直江兼続らと密かに挙兵の計画を図るが関が原の戦いで破れる。家紋は九曜紋と大一大万大吉紋。
大野治長。1569年 - 1615年6月4日、武将。豊臣家の家臣。
京都出身。豊臣秀吉の馬廻衆として取り立てられた。秀吉の死後は豊臣秀頼の側近として仕えた。家康暗殺疑惑事件の首謀者としてその罪を問われ下野国に流罪される。大坂夏の陣で破れ自害。家紋は大文字。画像は大河ドラマ「江」中の治長(武田真治)。
宇喜多秀家。1572年 - 1655年12月17日、武将・大名。
備前国岡山城主の宇喜多直家の次男。幼名は八郎。羽柴秀吉の遠征軍に組み込まれ秀吉による備中高松城攻めに協力。秀吉の寵愛を受けてその猶子となる。豊臣政権下の五大老の一人。関が原の戦いに敗れ配流。家紋は剣片喰(左)と児の字(右)。
春日局。1579年 - 1643年10月26日、家光の乳母。
実家の斎藤家は美濃国の守護代を代々務めた武家の名門。本名は斎藤福。伯父稲葉重通の養女となり、稲葉一鉄の縁者で稲葉正成の後妻となる。江戸城大奥の礎を築いた人物。墓所には葵紋と稲葉家の家紋・折敷に三の字がある。
三井高利。1622年 - 1694年5月29日、商人。
六角氏の旧臣・三井高安の長男・高俊が武士を捨て伊勢国松坂で質屋と造り酒屋を開業。三井家の姓は藤原。三井家の基礎を築き江戸本町に呉服店を開業。屋号を越後屋(後の三越)とし、後に両替商も開業。家紋は井桁に三の字と四つ目結紋。
高松喜六。1600年代 - 1713年、名主。
江戸浅草阿部川町の名主(なぬし)。元禄11年、あたらしい宿場開設を幕府に願いでて、内藤氏屋敷前に内藤新宿をひらき、甲州街道をとりしまる名主となった。家紋は抱き鷹の羽に変わり「高」の文字紋。画像は四谷・愛染院にて撮影。
貝原益軒。1630年12月17日 - 1714年10月5日、本草学、儒学者。
筑前国福岡藩士、貝原寛斎の五男。家紋は一の字。京都留学で本草学や朱子学等を学び、木下順庵、山崎闇斎らと交友を深める。著書の多くは平易な文章で書かれており、六十部二百七十余巻に及ぶ。主著は『大和本草』『養生訓』『和俗童子訓』等。
近松門左衛門。1653年 - 1725年1月6日、人形浄瑠璃作者。
越前藩士・杉森信義の子として生まれた。本名は杉森 信盛。家紋は墓所より丸に一の字紋。竹本座に属する浄瑠璃作者で、中途で歌舞伎狂言作者に転向した。100作以上の浄瑠璃を書いた。代表作『曾根崎心中』『国性爺合戦』『心中天網島』等。
鶴屋南北(4代目)。1755年 - 1829年12月22日、歌舞伎狂言作者。
江戸日本橋出身。幼名は勝次郎、通称は源蔵。文化文政期の爛熟した町人文化を色濃く反映した作品を世に出す。単に鶴屋南北または南北というとこの四代目のこと。代表作は『東海道四谷怪談』『盟三五大切』『繪本合法衢』。家紋は丸に大の字紋。
大槻玄沢。1757年11月9日 - 1827年4月25日、蘭学者。
陸奥国西磐井郡中里出身。一関藩の医師でのちに藩医となった大槻玄梁の長子。『解体新書』の翻訳で有名な杉田玄白・前野良沢の弟子。私塾・芝蘭堂をひらいて多くの人材育成した。蘭学の入門書『蘭学階梯』を著す。家紋は左卍紋。
山東京伝。1761年9月13日 -1816年10月27日、絵師、戯作者。
江戸・深川の出身。本名は岩瀬醒(さむる)。生家岩瀬家は木場の質屋。黄表紙や洒落本で売れっ子作家となる。代表作は『江戸生艶気樺焼』『忠臣水滸伝』『近世奇跡考』等。寛政の改革で手鎖の処罰を受けた。紋は、「巴山人」の文字紋。
平田篤胤。1776年10月6日 - 1843年11月2日、国学者、神道家。
秋田藩士の子として生まれ備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となる。本居宣長らの後を引き継ぐ形で儒教・仏教と習合した神道を批判。やがてその思想は水戸学同様尊皇攘夷の支柱となる。紋付、墓所の紋は右卍だが平田神社の神紋(画像)は左卍。
杉田玄瑞。1818年9月20日 - 1889年7月19日、蘭学者。
尾張藩出身。杉田玄白の後裔者。若狭小浜藩医になり蕃書調所・洋書調所教授、外国奉行支配翻訳御用頭取を歴任。開成所教授の蘭学教授として新島襄など多くの人材を育てる。家紋は田の字紋。画像は青山霊園にて撮影。
周布政之助。1823年5月3日 - 1864年10月26日、武士・長州藩士。
長州藩士(大組219石)・周布吉左衛門の五男。読みは、すふまさのすけ。財政再建や軍制改革、殖産興業等の藩政改革に尽力。禁門の変や第一次長州征伐に際して事態の収拾に奔走。家紋は亀甲に久の字紋。青山霊園にて撮影。
得能良介。1825年12月18日 - 1883年12月27日、武士、官僚。
鹿児島城下新屋敷に出生。薩摩藩士・得能直助の長男。読みは、とくのうりょうすけ。維新後、大久保利通の推挙によって大蔵大丞兼民部大丞に任じられ、その後も司法大丞、初代大蔵技監等を歴任。家紋は丸に三つ割菊に三の字紋。画像は青山霊園にて。
井上源三郎。1829年4月4日 - 1868年1月29日、新選組の隊士。
武蔵国日野宿北原にて八王子千人同心世話役の井上藤左衛門の三男として出生。近藤勇の兄弟子。新選組の六番隊組長を務める。家紋は丸に井の字紋。大河ドラマ「新撰組!」では小林隆が演じる(画像)。画像は日野市の宝泉寺にて撮影。
吉田松陰。1830年8月4日 - 1859年10月27日、思想家、教育者。
萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。私塾松下村塾にて、木戸孝允、高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、前原一誠等維新の指導者となる人材を育てる。安政の大獄により斬首刑に処される。享年30歳。
三島通庸。1835年6月26日 - 1888年10月23日、内務官僚。
薩摩藩士三島通純の長男。三島家は代々藩の鼓指南役の家柄。山形県・福島県・栃木県の各県令、内務省土木局長、警視総監を歴任。家紋は、折敷に三文字(越智氏流の河野氏の代表紋で、三島神社の神紋)。画像は青山霊園にて撮影。
山城屋和助。1836年 - 1872年12月29日、陸軍省御用商人。
周防国玖珂郡に、医師野村信高右の四男として生まれる。本名は野村三千三。奇兵隊に入隊。山縣有朋の部下として戊辰戦争に参戦。兵部省御用商人となる。長州人脈を活かし、軍需品納入の商売は繁盛。家紋は「の」の字菱紋。姓名の野村からとったか。
川村純義。1836年12月18日 - 1904年8月12日、海軍軍人。
薩摩出身。戊辰戦争では薩摩藩4番隊長として奮戦。維新後は明治政府の海軍整備に尽力した。明治天皇からの信任が篤く、皇孫(後の昭和天皇)の養育を任じられ、死後海軍大将に昇進した。家紋は四つ寄せ吉の字紋。画像は多磨霊園にて撮影。
近藤長次郎。1838年4月1日 - 1866年2月28日、志士。
高知城下の饅頭商人の息子として生まれる。後に近藤長次郎、上杉宋次郎、近藤昶次郎、梅花道人等と名乗る。坂本龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立。長州藩に小銃を売り渡している。花菱紋、五瓜に剣片喰紋、卍紋が墓所に掘られている。
森村市左衛門。1839年12月2日 - 1919年9月11日、実業家。
初代・市左衛門は遠江国森村出身とされる。当人は6代目。匿名組合森村組(現・森村商事)を設立。後に日本陶器合名会社、東洋陶器株式会社(現・TOTO)も設立。家紋は下り藤と丸に木の字紋。青山霊園の墓所にて撮影。
船越衛。1840年7月13日 - 1913年12月23日、官僚・貴族院議員。
広島藩出身。父は財務官僚・船越昌隆。読みは、ふなこしまもる。第1次長州征伐の際に長州藩と江戸幕府の和平交渉の仲介役に立つ。維新後は兵部大丞、千葉、石川県令、貴族院勅撰議員を歴任。家紋は丸に舟の字紋。青山霊園にて撮影。
久坂玄瑞。1840年 - 1864年8月20日、武士・長州藩士。
長門国萩平安古に萩藩医・久坂良迪、富子の二男として生まれる。松下村塾に学び高杉晋作、吉田稔麿と共に村塾の三秀といわれた。安政の大獄によって松陰が刑死した後、尊攘運動の先頭に立つ。禁門の変で負傷し、自刃する。家紋は隅立角に三の字。
馬越恭平。1844年11月21日 - 1933年4月20日、実業家。
岡山県後月郡の医家に生まれる。読みは、うまごしきょうへい。三井物産に勤務した後、大日本麦酒(日本麦酒、朝日麦酒、札幌麦酒の合併会社)社長を務め日本のビール王とよばれた。また茶人・馬越化生としても知られた。家紋は折敷に縮み三の字紋。
河野敏鎌。1844年11月29日 - 1895年4月20日、政治家。
土佐郷士・河野通好の長男。読みは、こうのとがま。土佐勤王党に加盟して武市瑞山や坂本龍馬らと交友関係を持つ。維新後は第1次松方内閣で内務大臣、司法大臣、農商務大臣、第2次伊藤内閣では文部大臣を歴任。家紋は揺り三の字紋。青山霊園にて。
柴山矢八。1850年8月20日 - 1924年1月27日、海軍軍人。
鹿児島県出身。薩摩藩士柴山良庵の三男。日露戦争後、旅順口鎮守府の初代長官に抜擢された。事務方のエキスパートとして地道な功績を積み重ね、最終階級は海軍大将になる。家紋は山の丸字紋。画像は多磨霊園にて撮影。
湯浅治郎。1850年11月24日 - 1932年6月7日、社会運動家。
上野国碓氷郡安中宿の味噌醤油醸造業者・湯浅治郎吉の長子。同郷の新島襄と親しく交わりキリスト教の洗礼を受ける。同志社や義弟・徳冨蘇峰の民友社を支援。同志社、日本組合基督教会の理事。家紋は丸に卍。画像は多磨霊園にて撮影。
神尾光臣。1855年2月27日 - 1927年2月6日、陸軍軍人。
信濃国出身。諏訪藩士・神尾平三郎の次男として生まれる。西南戦争、日清戦争、日露戦争に従軍。最終階級は陸軍大将。戦功により勲一等功一級男爵を受ける。家紋は抱き沢瀉に大の字紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。
長岡外史。1858年6月23日 - 1933年4月21日、陸軍軍人。
周防国都濃郡末武村出身。父は大庄屋・堀三右衛門で、徳山藩士・長岡南陽の養子。陸軍少将・歩兵第9旅団長、陸軍中将、衆議院議員を歴任。司馬遼太郎は『坂の上の雲』における評価は低い。家紋は丸に一文字に剣山の字紋。画像は青山霊園にて撮影。
八代六郎。1860年1月25日 - 1930年6月30日、海軍軍人。
愛知県犬山市出身。地主、松山庄七の三男。水戸藩浪士・八代逸平の養子となる。日露戦争勃発までの5年間、最前線を歴任。最終階級は海軍大将。NHKドラマ『坂の上の雲』では片岡鶴太郎が演じている。家紋は折敷に三の字紋。画像は青山霊園にて撮影。
三宅雪嶺。1860年7月7日 - 1945年11月26日、哲学者、評論家。
加賀国金沢出身。本名は雄二郎。加賀藩家老本多家の儒医の子として生まれる。国粋主義の立場を主張する為、『日本人』を創刊する。主著は『真善美日本人』『偽悪醜日本人』。家紋は「島形に児文字」。画像は青山霊園の墓所にて撮影。
中村不折。1866年8月19日 - 1943年6月6日、洋画家、書家。
京橋生まれ。歴史画の分野で活躍。森鴎外や夏目漱石等の作家とも親しく『吾輩は猫である』『若菜集』などの挿絵や題字を書いた。また、書は新宿中村屋の商品表記にも生きている。家紋は丸に原の角字紋。画像は多磨霊園にて撮影。
藤田豊八。1869年9月15日 - 1929年7月15日、東洋史学者。
阿波国美馬郡郡里村出身。早稲田大学や東洋大学において中国文学史を講じる。主な著書に「中等教育東洋史」「東西交渉史の研究」がある。また、中国の大学に招かれ、その教育水準の向上にも尽力。家紋は丸に一の角字紋。画像は多磨霊園にて撮影。
久留島武彦。1874年6月19日 - 1960年6月27日、児童文学者。
大分県玖珠郡森町出身。村上水軍の末裔である来島通総の直系の子孫。アンデルセンの復権を訴えて日本のアンデルセンと呼ばれた。また童謡『夕やけ小やけ』の作詞者としても知られる。家紋は折敷に縮み三の字紋。画像は鶴見・総持寺にて撮影。
北沢楽天。1876年7月20日 - 1955年8月25日、漫画家、日本画家。
埼玉県足立郡大宮宿出身。北澤家は代々紀州徳川家の鷹羽本陣御鳥見役。新聞や雑誌を中心に多数の政治風刺漫画や風俗漫画を執筆。『楽天全集』は手塚治虫に影響を与えた。北沢家の家紋は丸に違い鷹羽紋であるが楽天の墓所には丸に卍紋がある。
志賀直哉。1883年2月20日 - 1971年10月21日、小説家。
宮城県石巻市出身。祖父・直道は旧相馬中村藩主相馬家の家令。父・直温は明治期の財界人。白樺派を代表する小説家の一人。代表作は『暗夜行路』『小僧の神様』『城の崎にて』『清兵衛と瓢箪』。家紋は丸に十文字紋。画像は青山霊園にて撮影。
山本実彦。1885年1月5日 - 1952年7月1日、出版人。
鹿児島県薩摩川内市出身。「門司新報」「やまと新聞」記者を経て、東京毎日新聞社社長に就任。改造社を創業し、総合雑誌『改造』を創刊。志賀直哉の『暗夜行路』や林芙美子の『放浪記』等を掲載。家紋は山本文字紋。画像は青山霊園にて撮影。
大貫晶川。1887年2月23日 - …
歴史・家紋 »
釘抜きは打ち込んだ釘を抜くための工具であるが、家紋として採用されたのはその語呂。
「九城を抜く」すなわち、九つの城を陥落させるという戦勝の縁起もかついでいるらしい。
引き両紋もそうだが、単純な絵柄が目立つという事で好まれたのかも。
いざという時に戦場でも描けるし。
全国分布では27位。
福井県で21位、新潟県で22位、和歌山県で23位といったところが多い。
堀秀政。1553年 - 1590年6月28日、武将・大名。
堀秀重の長男として美濃国で生まれる。13歳の若さで織田信長の小姓、側近として取り立てられた。雑賀討伐戦では信長本陣から離れ、佐久間信盛、羽柴秀吉らとともに一隊を率いる。本能寺の変以降は、秀吉に従う。
田中吉政。1548年 - 1609年3月23日、武将、大名。
近江国・高島郡田中村の出身。先祖は近江源氏高島氏の一族田中氏で田中城の城主。転封の過程で居城とした近江国・八幡、三河国・岡崎、筑後国・柳河で現在に繋がる都市設計を行う。そのことは現代でも高く評価できる。家紋は左三巴と釘抜き。
山家公頼。1579年 - 1620年7月29日、武士。
政宗の庶長子である伊達秀宗が宇和島藩に封じられた際に藩惣奉行(筆頭重臣)として付けられる。苛烈な藩政施策が、藩主や他家臣との対立を招き、襲撃を受け死亡。死後、怨霊騒動が多発したため、和霊神社が創建される。家紋は釘抜き紋と抱き浪紋。
秀ノ山雷五郎。1808年 - 1862年6月16日、第9代横綱。
陸奥国本吉郡(現在の宮城県気仙沼市)出身。本名は橋本辰五郎。歴代横綱の中では一番低い身長(163cm)。39歳(38歳とも)で横綱推挙。入門から横綱昇進まで19年かかっという。東京都江東区の普門院に墓がある。家紋は細輪に違い釘抜き紋。
黒川良安。1817年3月21日 - 1890年9月28日、蘭学医、蘭学者。
越中国新川郡出身。シーボルトや緒方洪庵に医学を学ぶ。金沢藩医学館(現金沢大学医学部の源流諸校の1つ)の基となる金沢種痘所を創る。佐久間象山に蘭学を教授したことでも知られる。家紋は五つ鐶に反り釘抜紋。青山霊園の墓所にて撮影。
跡見花蹊。1840年5月10日 - 1926年1月10日、教育者。
摂津国西成郡木津村生まれ。東京・神田に「跡見女学校」を開校、これが後の跡見学園となる。書家としても活躍、「跡見流」といわれる書風を築き上げた。跡見家の家紋は重ね釘抜き。自身の墓所(文京区・光円寺)には乱れ桐紋との合成紋がみえる。
山脇玄。1849年3月3日 - 1925年10月7日、司法官。
越前福井藩医の子。ドイツに留学し帰国後、明治憲法の草案・起草に参画。法制局部長などを経て行政裁判所長官、貴族院議員となる。妻・山脇房子と共に山脇学園を創設。房子が初代校長となる。家紋は丸に釘抜き紋。青山霊園にて撮影。
田中祐三郎。1856年8月23日 - 1911年4月2日、投機家。
東京生まれ。明治の投機家として知られる。浅草向柳原で白米商を始めるが、相場界に入り、仲買店を経営。渡辺平三、佐々木米吉と並び当時の米穀界の三傑といわれた。家紋は、丸に釘抜き。釘抜きの真ん中の四角の面積が大きいのが特徴。
南方熊楠。1867年5月18日 - 1941年12月29日、博物学者。
和歌山城下橋丁に金物商・雑賀屋の次男。粘菌学者としても知られる。「歩く百科事典」と呼ばれ彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため後世に数々の逸話を残す。主著『十二支考』『南方随筆』。家紋は丸に釘抜き。
谷口尚真。1870年4月17日 -1941年10月30日、海軍軍人。
広島県広島市田中町出身。18代連合艦隊司令長官、14代軍令部長を務めた。海軍良識派を代表した提督と言われる。その謹厳な人柄から「海の乃木」とも称された。最終階級は海軍大将。家紋は丸に隅立ち釘抜紋。画像は青山霊園にて撮影。
横田千之助。1870年9月17日 - 1925年2月4日、政治家。
下野国足利の織物商の次男として出生。立憲政友会の結党に参加。西園寺公望に将来の内閣総理大臣にと期待された。第2次護憲運動時には憲政会や革新倶楽部と和解して護憲三派の結成に奔走。後に司法大臣を務める。家紋は丸に釘抜紋。
柳宗悦。1889年3月21日 - 1961年5月3日、美術評論家。
東京府出身。学習院在学中、同人雑誌グループ白樺派に参加。生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え民芸運動を起こす。東京市目黒区駒場に日本民芸館を設立。家紋は丸に釘抜紋。画像は小平霊園にて撮影。
邦枝完二。1892年12月28日 - 1956年8月2日、小説家。
東京市麹町区出身。読みは、くにえだかんじ。戦前は『お伝地獄』をはじめ江戸情緒豊かな官能美の世界を描く時代風俗小説家として知られる。戦後は『東京一代女』『千姫』等多くの佳作を発表。家紋は丸に隅立て釘抜き紋。画像は多磨霊園にて撮影。
鶴彬。1909年1月1日 - 1938年9月14日、川柳作家。
石川県河北郡高松町に竹細工職人の子として生まれ、叔父・喜多弁太郎の養子となる。本名は、喜多一二。プロレタリア文学の影響をつよくうけた反戦的な川柳を多く残すが、治安維持法違反で大阪衛戍監獄に収監される。家紋は丸に釘抜き紋。
中村元。1912年11月28日 - 1999年10月10日、印哲・仏教学者。
島根県松江市殿町出身。国際的な仏教学の権威。西洋哲学にも幅広い知識を持ち思想における東洋と西洋の超克を考えていた。代表作は『ブッダのことば』『般若心経・金剛般若経』など。家紋は丸に釘抜き紋と五三桐紋。画像は多磨霊園にて撮影。
伊藤雄之助。1919年8月3日 - 1980年3月11日、俳優。
浅草区東仲町出身。兄は二代目澤村宗之助。息子は俳優の伊藤高。父方の祖父は尾張藩に仕えた300石取りの武士の家柄。『少年諸君』で映画デビュー。『プーサン』『気違い部落』『ああ爆弾』などで主演をつとめる。家紋は丸に釘抜紋。
麻生太郎。1940年9月20日 - 、政治家。
福岡県飯塚市出身。総務大臣、外務大臣、自民党幹事長、内閣総理大臣(第92代)を歴任。べらんめえ調の語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博した。家紋の違い釘抜き紋は麻生グループの社章にもなっている。
高橋信之。1957年4月30日 - 、出版プロデューサー。
出身は東京都大田区。本名は高橋信幸。学生時代にSFファン集団「宇宙軍」を設立。80年代にスタジオハードを創業。初めて「コスプレ」という言葉を雑誌記事に使用。家紋は釘抜きに点だが、実家墓所には点が省略されているという。
内柴正人。1978年6月17日 - 、柔道家。
熊本県合志市出身。9歳の時から柔道をはじめる。旭化成所属。得意技は巴投げ。アテネ、北京両オリンピックで金メダルを獲得する。北京五輪で優勝した時に、家族に声をかけた名シーンを残す。家紋は、麻生太郎と同じ。違い釘抜き。
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る
え
け
せ
て
ね
へ
め
れ
お
こ
そ
と
の
ほ
も
よ
ろ
◆主な掲載者、とりあえず200名位◆
あ行
相田みつを、青島幸男、赤塚不二夫、明智光秀、麻生太郎、渥美清、安倍晋三、安藤広重、アントニオ猪木、いかりや長介、池田大作、石川啄木、石田三成、石ノ森章太郎、石原裕次郎、和泉元彌、板垣退助、伊藤博文、井深大、岩崎弥太郎、内村鑑三、梅宮辰夫、江角マキコ、江戸川乱歩、大石内蔵助、大久保利通、大沢たかお、大谷吉継、大仁田厚、緒方洪庵、岡本太郎、沖田総司、小沢一郎、織田信長、オノ・ヨーコ、小渕恵三、小和田雅子 ...
か行
梶原一騎、片倉景綱、勝海舟、加藤清正、角川春樹、加山雄三、川嶋紀子、川島なお美、川端康成、菅直人、北島康介、北野武、北原白秋、木戸孝允、木村拓哉、曲亭馬琴、国木田独歩、久米宏、黒澤明、黒柳徹子、小泉純一郎、小泉八雲、河野太郎、琴奨菊、小堺一機、小林多喜二、近藤勇 ...
さ行
西郷隆盛、斉藤道三、堺正章、坂本龍馬、佐々木小次郎、さだまさし、佐藤栄作、志賀直哉、柴田勝家、渋川春海、島左近、島崎藤村、ジャンボ鶴田、SHOCK EYE、杉田玄白、関孝和、関根勉、芹沢鴨、千利休 ...
た行
大鵬幸喜、高島忠夫、高城剛、高杉晋作、貴乃花、高橋是清、高村光太郎、武田信玄、武市瑞山、竹久夢二、太宰治、伊達政宗、立原道造、田中角栄、田中正造、谷垣禎一、谷崎潤一郎、タモリ、丹波哲郎、近松門左衛門、千葉周作、長曾我部元親、千代の富士、津川雅彦、手塚治虫、寺山修司、東郷平八郎、東条英機、徳川慶喜、豊田佐吉、豊臣秀吉 ...
な行
直江兼続、永井荷風、中井貴一、中川翔子、長嶋茂雄、中曽根康弘、中原中也、中村獅童、夏目漱石、新島襄、新渡戸稲造、二宮尊徳、乃木希典、野口雨情、野口英世...
は行
白鵬翔、橋下徹、橋本龍太郎、鳩山由紀夫、羽生善冶、林家三平、原敬、張本勲、把瑠都凱斗、ピーコ、樋口一葉、土方歳三、一青窈、平賀源内、平塚雷鳥、福沢諭吉、福田康夫、藤子・F・不二雄、藤原紀香、双葉山定次、星新一、細野晴臣、本田美奈子 ...
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わ行
若山牧水、輪島大士、和辻哲郎、渡辺崋山、渡辺淳一、渡辺文雄 ...
「あなたの家紋は何ですか」と聞かれて、すぐに答えられる人はどのくらいいるだろうか。
おそらく、今の20代の若者だと、多くて10人中、2~3人位ではないだろうか。
日本人ならば誰でも持っている自分のシンボル、しかし、ほとんど意識されていないのがこの家紋なのである。
そして、残念なことではあるが、100年単位で考えると、家紋は徐々に消滅してしまうであろう。
しかし、家紋のことをよく調べてみると、このささやかなデザインにもそれぞれ、過去の日本人の様々な想いが込められた歴史があることがわかる。
それは、あるものは、切実な祈りであったり、反骨心の現われであったり、美意識の結晶であったり、はるかなる願望であったりするのだ。
それぞれの家紋の歴史的な背景、経緯に関しては、先輩方の著作や、このページ最下段にリンクしたサイトなどでご覧頂くとして、このブログ(一本気新聞)では、その紋に対するオリジナルな深読みをしてみたいと思う。
また、どんな有名人がどんな家紋を使っていたのかというのを集めてみた。
有名人の生年月日、死亡年月日、略歴などは、ウィキペディアから引用させていただいた。また、有名人を複数輩出している一族に関しては、複数掲載する意味があまりないため、例えば、徳川家では徳川慶喜、鳩山家では鳩山由紀夫、おすぎとピーコはピーコだけという具合に、基本的には代表的な人物一人掲載とさせていただいた。
さらに、ご存知の通り、地域や家によって男紋、女紋があったり、家には定紋、替紋があるケースがあるが、個々の例では全てそれらの状況は把握できてはいない。それゆえ、あくまで関連性の強い紋というニュアンスで御笑覧いただければと思う。
このコーナーをお読みいただき、家紋という日本の伝統の一側面に思いを馳せていただければ幸いである。
尚、以下の紋アイコンはあくまで家紋カテゴリを表している。例えば、藤紋には下り藤、上り藤、藤輪、藤巴などを含んでいる。
◆家紋関連サイトリンク集◆
紋処
家紋World
家紋の湊
家紋のCREST JAPAN
よろづやの家紋帳
家紋ネット(お~い家紋だよ~)
日本の苗字7000傑 主要苗字代表家紋
日本家紋研究会
大宮家紋研究所
家紋百景ライブラリ
家紋の真実
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竹は不思議な植物である。他に類似する植物が無い。
特別の場所に群生し、その姿は天に伸びる。
古来、その姿は、美しさ、高潔さ、節操を意味するものとして尊ばれたのである。
そして、天から降ってくる異界からのメッセージを受け取る「よりまし」としても認識されていた。
かぐや姫は竹の中から出てきたが、それは、ある種、天からの贈り物だったのである。
また、正月の門松も、天に延びている部分は鋭く切った竹で、そこに歳神がやってくると信じられているのだ。
竹笹紋は、そんな天からの神様にあやかろうとした人々によって採用された。
越後の上杉謙信のシンボルとしては、旗印としての「毘」が有名だが、家の紋は上杉笹と呼ばれる「笹に雀」である。
これは元々、上杉家が藤原北家の勧修寺(かしゅうじ)家の「笹に雀」紋から来ている。
そして、さらに、この紋は、微妙に変形されて伊達氏にも引き継がれていくのである。
さて、この竹笹紋であるが、全国で16位。
群馬県での6位が突出している。
これはおそらく、高橋姓の広がりが、群馬県が一番という事が関係しているのではないだろうか。
竹笹紋は高橋姓の一つの代表紋だからだ。
竹笹紋使用の有名人は以下。
鳥居元忠。1539年 - 1600年9月8日、徳川家家臣。
父の忠吉は松平氏以来の老臣で、元忠も家康が今川氏の人質だった頃からの側近の一人。家康の三河統一後も、旗本部隊の将として戦う。その忠節は「三河武士の鑑」と称された。家紋は鳥居笹。画像は庶流から出た鳥居耀蔵の墓所(吉祥寺)にて撮影。
竹中半兵衛。1544年9月27日 - 1579年7月6日、武将。
美濃斎藤氏の家臣で不破郡岩手城主・竹中重元の子として生まれる。羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍師として活躍した名将である。戦国時代を代表する軍師であり、同時代の黒田孝高(黒田官兵衛)と並んで天才軍師と称されている。家紋は丸に九枚笹。
可児吉長。1554年 - 1613年8月10日、武将。
美濃国可児郡に生まれる。宝蔵院流槍術の開祖。斎藤龍興、柴田勝家、明智光秀、前田利家、織田信孝らに仕える。関ヶ原の戦いでは福島正則の先鋒隊長として参加し、敵兵の首を17も取り家康からも大いに賞賛された。家紋は丸に違い笹紋。
伊達政宗。1567年9月5日 - 1636年6月27日、戦国時代の武将。
本姓は藤原氏。家系は伊達朝宗を祖とする伊達氏。出羽国と陸奥国の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。笹に雀紋は仙台笹といわれるオリジナルな形だが、上杉氏からもらったもの。最も古い紋は縦三つ引き両。九曜紋は細川氏から使用許可される。
玉川庄右衛門。1622年 - 1695年7月16日、玉川上水開削者。
多摩川沿いの地域の農家。弟、清右衛門とともに、玉川上水開削の指揮をとる。上水工事は2度失敗したが最後は私財を投入して成功する。これにより兄弟は「玉川」の姓を名乗る事が許されたという。家紋は丸に根笹。画像は浅草・聖徳寺にて撮影。
竹本義太夫。1651年 - 1714年10月18日、浄瑠璃太夫。
摂津国(大坂)に生まれる。農家の出身。大坂道頓堀に竹本座を開設し、近松門左衛門・作の『世継曽我』を上演。近松門左衛門と組み、多くの人形浄瑠璃を手掛けた。浄瑠璃の義太夫節の創始者である。家紋は竹亀甲に九枚笹。画像は回向院にて撮影。
上杉鷹山。1751年9月9日 - 1822年4月2日、大名。
父は日向高鍋藩主・秋月種美で次男。10歳で米沢藩の第8代藩主・重定の養子となる。出羽国米沢藩の第9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生を成し江戸時代屈指の名君として知られている。祭神として摂社松岬神社に奉られている。家紋は上杉笹。
伊達宗城。1818年9月1日 - 1892年12月20日、大名・政治家。
江戸生まれ。宇和島藩主伊達宗紀の仮養子となる。宇和島藩8代藩主となり軍制の近代化、殖産興業を行い「幕末の四賢侯」と称された。定紋は仙台笹の変形の宇和島笹。他に丸に竪三つ引両、九曜紋等も使用。画像は本妙寺の久世広運奥方の宇和島笹紋。
佐野常民。1823年2月8日 - 1902年12月7日、元老院議員。
佐賀藩士下村三郎左衛門の5男として佐賀に生まれる。大坂の緒方洪庵の適塾で学ぶ。日本赤十字社の創始者。佐賀の七賢人に挙げられている。第1次松方内閣で農商務大臣に就任する。家紋は九枚笹の丸紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。
月岡芳年。1839年4月30日 - 1892年6月9日、浮世絵師。
武蔵国豊島郡新橋南大阪町出身。姓は吉岡、後に月岡。歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多種多様な浮世絵を手がける。また衝撃的な無惨絵の描き手としても知られる。家紋は丸に桔梗紋と丸に竹笹紋。画像は新宿・専福寺にて撮影。
万里小路博房。1824年7月21日 - 1884年2月22日、公卿。
父は万里小路正房、母は藤波寛忠の娘。三条実美と親しく尊王攘夷派とみられ、八月十八日政変では一時免官されて蟄居する。維新後は京都裁判所総督、宮内大輔、皇太后宮大夫を歴任。家紋は丸に勧修寺笹紋。青山霊園の万里小路家の墓所にて撮影。
丸山作楽。1840年10月27日 - 1899年8月18日、外交官・政治家。
江戸・芝三田において島原藩士・丸山正直の長男として生まれる。外務大丞の時に対露交渉にあたった。東京日日新聞の福地源一郎とともに立憲帝政党を結成し保守的政治家として活動した。家紋は竹輪笹に向い雀紋。画像は青山霊園にて撮影。
新島襄。1843年2月12日 - 1890年1月23日、布教家、教育家。
安中藩板倉家江戸屋敷で藩士の子として出生。本名は七五三太。アメリカに密航し洗礼を受ける。訪米中の岩倉使節団と会い木戸孝允の通訳として同行。欧米各国の教育制度を調査。同志社英学校を開校。家紋は丸に根笹。画像は新島襄記念館の丸に根笹紋。
高橋新吉。1843年2月26日 - 1918年11月30日、文学者、実業家。
薩摩藩士高橋七郎の次男として出生。「英和対訳袖珍辞書」を底本として辞書『和訳英辞林』(「薩摩辞書」)を編纂。九州鉄道初代社長、南満州鉄道や韓国銀行の設立委員などを歴任。家紋は十五枚笹竹の丸紋。画像は青山霊園にて撮影。
湯地定基。1843年9月4日 - 1928年2月10日、官僚。
薩摩国出身。読みは、ゆちさだもと。湯地定監、乃木静子の兄。藩命をうけアメリカで農学を学ぶ。帰国後、開拓使に勤務、後に根室県令、北海道庁理事官などを務める。北海道の洋式農業の発展に尽くした。家紋は湯地竹笹紋。画像は青山霊園にて撮影。
斎藤一。1844年2月18日 - 1915年9月28日、新選組隊士。
旗本・鈴木家の家臣となった山口祐助の次男として生まれる。新選組の前身である壬生浪士組に入隊。三番組組長となり池田屋事件などで活躍。維新後は警察官となり、新政府軍として西南戦争にも従軍し戦功を上げる。家紋は丸に九枚笹紋。
山田顕義。1844年11月18日 - 1892年11月11日、政治家。
長門国阿武郡椿郷東分で、萩藩士の長男として生まれる。松下村塾に入門。 攘夷の血判書に名を連ねる。維新後は、参議兼内務卿、司法卿兼参議、初代司法大臣を歴任。日本大学、國學院大學の学祖。画像は護国寺にて撮影。
三浦梧楼。1847年1月1日 - 1926年1月28日、政治家。
長門国萩に萩藩士の陪臣の子として出生。奇兵隊に入隊して第二次長州征伐や戊辰戦争に従軍。閔妃暗殺を指揮したとされ(乙未事変)投獄された。大正期には藩閥打倒を唱え政界の黒幕としても活動。家紋は変り篠笹紋。画像は青山霊園にて撮影。
岡本柳之助。1852年8月 - 1912年5月14日、国家主義者。
江戸出身。旧姓は諏訪。岡本家の養子となる。西南戦争では参謀として活躍し、戦後少佐となるが、1878年(明治11年)の竹橋事件に連坐し、官職を剥奪された。三浦梧楼らと閔妃殺害事件をおこし、投獄された。画像は池上本門寺にて撮影。
藤波言忠。1853年10月14日 - 1926年5月24日、華族、政治家。
広橋邸にて広橋胤保の次男として生まれる。明治天皇の侍従、宮内省主馬頭になる。ウィーンに留学後に、33回の進講をする。明治天皇・昭憲皇太后両方の崩御の時にどちらとも大喪使事務官を務めた。家紋は中陰雪持ち笹紋。青山霊園の墓所にて撮影。
根津嘉一郎(初代)。1860年8月1日 - 1940年1月4日、実業家。
甲斐国山梨郡正徳寺村(山梨県山梨市)に生まれる。根津家は雑穀商や質屋業も営む豪商。東武鉄道や南海電気鉄道など日本国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わり「鉄道王」と呼ばれた。若尾逸平や雨宮敬次郎等と甲州財閥を形成。画像は多磨霊園。
立川勇次郎。1862年2月20日 - 1925年12月14日、実業家。
美濃国大垣藩の藩士の次男として生まれる。大師電気鉄道(現京浜急行電鉄)の代表に就任。1912年(大正元年)、大垣を中心とした西濃地区の電力供給を目的として、揖斐川電力(現イビデン)設立。初代社長となる。画像は青山・長谷寺にて撮影。
嵯峨の屋おむろ。1863年1月12日 - 1947年10月26日、小説家。
東京都生まれ。本名:矢崎鎮四郎。坪内逍遥の門下。嵯峨の屋お室、矢崎嵯峨の舎(屋)、北邙散子名義なども使用した。代表作は『ひとよぎり』『無味気』『両面苦楽の鏡』など。家紋は丸に九枚笹紋。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。
川上音二郎。1864年2月8日 - 1911年11月11日、俳優・芸人。
筑前国博多中対馬小路町に生まれる。世情を風刺した『オッペケペー節』で一世を風靡。この『オッペケペー節』を日本人で初めて録音、レコード化する。NHKの大河ドラマで妻の川上貞奴を描いた『春の波濤』が放送された。画像は総持寺にて撮影。
井上準之助。1869年5月6日 - 1932年2月9日、政治家、財政家。
大分県日田市大鶴町に造り酒屋を営む家に出生。第9、11代日本銀行総裁。第二次山本、浜口、第二次若槻内閣の蔵相。浜口内閣で行った金輸出解禁や緊縮財政は世界恐慌のため深刻な不況を招き血盟団事件で暗殺される。画像は青山霊園にて撮影。
菱刈隆。1871年12月27日 - 1952年7月31日、陸軍軍人。
薩摩藩士、菱刈八郎太の三男として生れる。陸軍省軍務局課員、陸軍歩兵学校教官、歩兵第4連隊長、第2師団参謀長、陸軍中将、陸軍大将、大日本忠霊顕彰会会長、大日本剣道会会長などを歴任。家紋は竹笹輪に七枚笹紋。画像は青山霊園にて撮影。
畑英太郎。1872年8月28日 - 1930年5月31日、陸軍軍人。
福島県出身。会津藩士・警察官、畑能賢の長男として生れる。軍事課長、航空局次長、軍務局長、陸軍次官、兼軍事調査委員長、第1師団長を歴任。最終階級は陸軍大将。家紋は亀甲に根笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。
金谷範三。1873年4月24日 - 1933年6月6日、陸軍軍人。
大分県国東郡高田町出身。日清戦争では歩兵第3連隊付として、日露戦争では第2軍参謀として出征。参謀総長当時、真崎甚三郎を毛嫌いしていたという。最終階級は陸軍大将。家紋は雪持ち笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。
有島武郎。1878年3月4日 - 1923年6月9日、作家。
旧薩摩藩士で大蔵官僚の有島武の子として生まれる。志賀直哉や武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加。代表作は『カインの末裔』『迷路』。作家の里見弴は弟。長男は俳優の森雅之。家紋は丸に雪持ち笹。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。
苫米地義三。1880年12月25日 - 1959年6月29日、政治家。
青森県上北郡藤坂村出身。上杉謙信の末裔を称した。日本進歩党、民主党、国民民主党(党首)、改進党、日本民主党、自由民主党に所属。骨相学・考星学・霊気療法等の研究を趣味としたという。家紋は丸に九枚笹紋。画像は青山霊園にて撮影。
久保田九品太。1881年 - 1926年1月8日、教育学者。
静岡県小笠郡中村出身。本名久保田次郎吉。初号は桂川。正岡子規に師事し、のち高浜虚子に入門。「ホトトギス」「春夏秋冬」「枯野」同人として活躍。句集には『水仙の芽』がある。この略歴では、歴史が眠る多磨霊園、kotobank.jpを参照いたしました。
小泉親彦。1884年9月9日 - 1945年9月13日、政治家、陸軍軍医。
福井県出身。近衛師団軍医部長に就任。大日本帝国陸軍で初めてBCG接種を実施し、結核予防に効果を挙げる。第3次近衛内閣で厚生大臣に就任、次の東條英機内閣でも留任。連合軍の取り調べを拒否し、割腹自殺を遂げた。画像は青山霊園にて撮影。
田中啓爾。1885年12月8日 - 1975年1月5日、地理学者。
東京府牛込区の生まれ。主な専門は地誌学を中心とした人文地理学。地理教育論にも多大な功績があり、近代期の日本の地理学において非常に重要な人物である。代表著作は「我等の国土」。家紋は丸に九枚笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。
嶋中雄作。1887年2月2日 - 1949年1月17日、編集者。
1916年、『婦人公論』を創刊し編集長となる。1928年には中央公論社社長となる。『西部戦線異状なし』レマルク著、『源氏物語』谷崎潤一郎訳等をベストセラーにする。家紋は折敷に九枚笹。画像は、本願寺和田堀廟所の墓所。
高橋亀吉。1891年1月27日 -1977年2月10日、経済研究者。
山口県徳山村にて生まれる。石橋湛山が主幹を務めていた東洋経済新報社に入社。高橋経済研究所を創立すると『高橋財界月報』を刊行。主著『日本資本主義発達史』『日本近代経済形成史』等。家紋は九枚笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。
下総皖一。1898年3月31日 - 1962年7月8日、作曲家・教育者。
埼玉県北埼玉郡原道村出身。本名は下總覺三。東京藝術大学音楽学部長。門下は團伊玖磨、芥川也寸志等。代表作は「花火」「ほたる」「兎のダンス」「ゆうやけこやけ」等。また京都大学学歌他、多くの校歌を作曲。画像は小平霊園にて撮影。
宮本百合子。1899年2月13日 - 1951年1月21日、小説家、評論家。
旧姓中條。本名ユリ。17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に登場。天才少女として注目を集めその後もプロレタリア文学のリーダーとして活躍。元夫の宮本顕治と共に投獄、執筆禁止などを繰り返しながら活動。画像は青山霊園の中條家の墓所にて撮影。
勅使河原蒼風。1900年12月17日 - 1979年9月5日、華道家。
草月流の創始者。華道において斬新な手法を多く提供し「花のピカソ」と呼ばれた。日本のいけばなを世界に発信した第一人者。草月流三代目家元、映画監督である勅使河原宏の父としても知られている。家紋は三日月に根笹紋。画像は青山霊園にて撮影。
横溝正史。1902年5月24日 - 1981年12月28日、推理作家。
兵庫県神戸市東川崎出身。父の郷里は岡山。金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で有名。代表作は、『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』『悪霊島』『悪魔が来りて笛を吹く 』など。画像は春秋苑にて撮影。
竹山道雄。1903年7月17日 - 1984年6月15日、独文学者、小説家。
大阪府出身。岡田家に生れ祖母の家・竹山家に養子に入る。小説『ビルマの竪琴』は一世を風靡。訳書に『ツァラトゥストラ』『アルプスの少女ハイジ』がある。一高教諭、東大教養学部教授等を歴任。家紋は丸に根笹。画像は鎌倉霊園にて撮影。
豊田四郎。1906年1月3日 - 1977年11月13日、映画監督。
京都府京都市出身。松竹蒲田撮影所に入り島津保次郎に師事。後に東宝に移って文芸映画を多く監督し、高い評価を得た。代表作は『駅前旅館』『夫婦善哉』『小島の春』『恍惚の人』等。家紋は九枚笹紋。青山霊園の墓所にて撮影。
杉村春子。1906年1月6日 - 1997年4月4日、女優。
広島県広島市出身。本名は石山春子。旧姓は中野。演劇史に大きな足跡を残した日本を代表するカリスマ女優。代表出演映画は『晩春』『秋刀魚の味』等。舞台『女の一生』の布引けいは当たり役で上演は900回を超えた。画像は冨士霊園にて撮影。
水原茂。1909年1月19日 - 1982年3月26日、プロ野球選手、監督。
香川県高松市出身。高校野球、大学野球で活躍後、読売巨人軍に入団。引退後は、巨人、東映、中日で監督を務めた。巨人監督時代は在任11年間で8度のリーグ優勝、4度の日本一に輝く。家紋は丸に右荒枝付き三階松に株竹紋。画像は総持寺にて。
淀川長治。1909年4月10日 - 1998年11月11日、映画評論家。
兵庫県神戸市出身。芸者置屋の跡取り息子。東宝映画の宣伝部に勤務。チャーリー・チャップリンとの会談もしている。「それでは次週をご期待ください。さよなら、さよなら、さよなら…」等の名セリフを残している。家紋は丸に九枚笹紋。
高橋竹山。1910年6月18日 …




