釘抜紋 -普通の作業具が語呂がよくて縁起紋に-
19 1 月 2009
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釘抜きは打ち込んだ釘を抜くための工具であるが、家紋として採用されたのはその語呂。
「九城を抜く」すなわち、九つの城を陥落させるという戦勝の縁起もかついでいるらしい。
引き両紋もそうだが、単純な絵柄が目立つという事で好まれたのかも。
いざという時に戦場でも描けるし。
全国分布では27位。
福井県で21位、新潟県で22位、和歌山県で23位といったところが多い。
堀秀政。1553年 - 1590年6月28日、武将・大名。
堀秀重の長男として美濃国で生まれる。
13歳の若さで織田信長の小姓、側近として取り立てられた。
雑賀討伐戦では信長本陣から離れ、佐久間信盛、羽柴秀吉らとともに一隊を率いる。
本能寺の変以降は、秀吉に従う。
田中吉政。1548年 - 1609年3月23日、武将、大名。近江国・高島郡田中村の出身。先祖は近江源氏高島氏の一族田中氏で田中城の城主。転封の過程で居城とした近江国・八幡、三河国・岡崎、筑後国・柳河などに、現在につながる都市設計を行った。そのことは現代でも高く評価できる。
家紋は左三巴と釘抜き。
田中祐三郎。1856年 8月23日 - 1911年4月2日、投機家。東京生まれ。明治の投機家として知られる。
浅草向柳原で白米商を始めるが、相場界に入り、仲買店を経営。
渡辺平三、佐々木米吉と並び当時の米穀界の三傑といわれた。
家紋は、丸に釘抜き。
南方熊楠。1867年5月18日 - 1941年12月29日、博物学者、生物学者、民俗学者。和歌山城下橋丁に金物商・雑賀屋の次男として生まれる。粘菌学者としても知られる。
「歩く百科事典」と呼ばれ、彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。主著『十二支考』『南方随筆』。
家紋は丸に隅立て釘抜き。
柳宗悦。1889年3月21日 - 1961年5月3日、美術評論家。東京府(現:東京都)生まれ。
学習院在学中、同人雑誌グループ白樺派に参加。
生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え、民芸運動を起こした。
東京市目黒区駒場(現:東京都目黒区)に日本民芸館を設立。
鶴彬。1909年1月1日 - 1938年9月14日、川柳作家。石川県河北郡高松町に竹細工職人の子として生まれ、叔父・喜多弁太郎の養子となる。
本名は、喜多一二(きた かつじ)。
プロレタリア文学の影響をつよくうけた反戦的な川柳を多く残すが、治安維持法違反で大阪衛戍監獄に収監される。家紋は丸に隅立て釘抜き紋。
麻生太郎。1940年9月20日 - 、政治家。内閣総理大臣(第92代)。元麻生セメント(現・株式会社麻生)代表取締役社長。
総務大臣、外務大臣、幹事長などを歴任。
べらんめえ調の語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博した。
家紋は、違い釘抜き。麻生グループの社章にもなっている。
内柴正人。1978年6月17日 - 、柔道家。熊本県合志市出身。9歳の時から柔道をはじめる。旭化成所属。得意技は巴投げ。
アテネ、北京両オリンピックで金メダルを獲得する。
北京五輪で優勝した時に、家族に声をかけた名シーンを残す。
家紋は、麻生太郎と同じ。違い釘抜き。
まさむね




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