五瓜紋 -五角形の木瓜紋の外輪紋- 織田信長、吉田松陰、木村拓哉...
19 1 月 2009
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木瓜紋の中で特に、円を5つで割った外輪を持つ紋を五瓜、またその中に唐花がある紋を五瓜紋と称する。
この紋の意味は、基本的には木瓜紋と同じだが、輪の中にバランスがよく、別の紋が入れやすいので広まった。
全国では、19位の普及。
地域別では、福島県が7位、長崎県で8位というのが多いところ。
逆に、宮崎県ではベスト30以下。長野県で27位、高知県と鹿児島県では26位だ。
使用している有名人は以下。

大村純忠。1533年- 1587年6月23日、大名。
実父は有馬晴純。肥前の大村純前の養嗣子となり家督を継ぐ。大村氏の先祖は藤原純友。キリスト教の宣教師から洗礼を受け日本最初のキリシタン大名となった。領民に信仰を強制させたり寺社を破壊したりと過激な信仰を行う。家紋は大村瓜。

織田信長。1534年5月12日 - 1582年6月2日、戦国武将。古渡城主・織田信秀の次男または三男として生まれる。日本の近世の最初期にあたる戦国時代から安土桃山時代にかけて、世に多大な影響を残した武将であり、大名(戦国大名)である。重臣の一人・明智光秀の裏切りに遭い、自刃に追い込まれた。

有馬晴信。1567年 - 1612年6月5日、大名。肥前有馬氏当主。有馬義貞の次男。キリシタン大名として知られ大友宗麟や大村純忠と共に天正遣欧使節を派遣。関ヶ原の合戦では東軍に寝返り小西行長の居城・宇土城を攻撃。その功績により旧領を安堵された。家紋は左三巴と五瓜紋。

蒲生君平。1768年 - 1813年7月31日、儒学者、尊王論者。下野国宇都宮新石町の生まれ。祖先は会津藩主蒲生氏郷という家伝あり。林子平・高山彦九郎と共に、「寛政の三奇人」の一人に数えられる。代表作『山陵志』。宇都宮市の蒲生神社に祭神として祀られている。家紋は五瓜紋。

大田垣蓮月。1791年2月10日 - 1875年12月10日、歌人・陶芸家。京都の生まれ。読みは、おおたがきれんげつ。父は伊賀国上野の城代家老・藤堂良聖。自作の焼き物に自詠の和歌を釘彫りで施した作品は蓮月焼と呼ばれる。代表的歌集は『海人の刈藻』。家紋は陰五瓜に陰蔦。蔦は父方・藤堂家の流れを伝える。

吉田松陰。1830年8月4日 - 1859年10月27日、思想家、教育者。萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。私塾松下村塾にて、木戸孝允、高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、前原一誠等維新の指導者となる人材を育てる。安政の大獄により斬首刑に処される。享年30歳。

近藤長次郎。1838年4月1日 - 1866年2月28日、志士。高知城下の饅頭商人の息子として生まれる。後に近藤長次郎、上杉宋次郎、近藤昶次郎、梅花道人等と名乗る。坂本龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立。長州藩に小銃を売り渡している。花菱紋、五瓜に剣片喰紋、卍紋が墓所に掘られている。

坂田警軒。1839年6月15日 - 1899年8月15日、漢学者、政治家。備中国川上郡九名村出身。肥後国に遊学し、木下犀潭に入門。井上毅・竹添進一郎と共に木門の三才と称される。岡山藩家老池田氏の賓師から第2代興譲館(岡山藩藩校)館長に就任。家紋は五瓜に違い鷹の羽紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

松本楓湖。1840年10月9日 - 1923年6月22日、日本画家。常陸国河内郡出身。本名は敬忠。欽定教科書『幼学綱要』全7巻において61図の挿絵を描き一躍名を轟かせた。日本美術院の創設に参加。歴史画に長じ「蒙古襲来・碧蹄館図屏風」を発表。家紋は五瓜に丸に二引両。画像は谷中・全生庵にて撮影。

名村泰蔵。1840年11月24日 - 1907年9月6日、司法官。長崎市に島村義兵衛の子として出生。後に幕臣で蘭語通詞・名村八右衛門の養子となり泰蔵と改名。欧州視察の際に各国の法律を調査しフランスの法学者ボアソナードを顧問として招聘。フランス法の導入に尽力。家紋は五瓜に唐花紋。画像は青山霊園にて。

有地品之丞。1843年4月14日 - 1919年1月17日、軍人、政治家。長州藩士で武術指南役・有地藤馬の長男として出生。読みは、ありちしなのじょう。海軍中将、貴族院議員、男爵。弟は海軍中将の梨羽時起。枢密顧問官、帝国海事協会初代理事長も歴任。家紋は五瓜紋。画像は青山霊園にて撮影。

奥保鞏。1847年1月5日 - 1930年7月19日、陸軍軍人。豊前国小倉出身。読みは、おくやすかた。小笠原家家臣の奥利右衛門保矩の長男。佐賀の乱、西南戦争、日清戦争、日露戦争等に参戦。薩長・皇族以外の出身者としてはじめて元帥陸軍大将となる。家紋は中陰五瓜に唐花紋。画像は青山霊園にて撮影。

乃木希典。1849年12月25日 - 1912年9月13日、軍人。長州藩の支藩である長府藩の藩士、乃木希次・寿子の長男に生まれる。東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」と呼ばれた。明治天皇の後を追って殉死。別に四つ持ち合い井筒も使用。青山墓地にある乃木家墓所にて撮影。

角田秀松。1850年3月25日 - 1905年12月13日、海軍軍人。会津藩医、角田良智の二男。父の蝦夷地赴任に同行した。戊辰戦争で朝敵とされた会津藩出身者として初めて海軍将官となった。日露戦争時には竹敷要港部司令官を務めた。最終階級は海軍中将。家紋は五瓜に右三つ巴紋。青山霊園にて撮影。

有坂成章。1852年4月5日 - 1915年1月12日、陸軍軍人。周防国岩国出身。長州藩・士木部左門の二男。読みは、ありさかなりあきら。三十年式歩兵銃の開発に成功。最終階級は陸軍中将。家紋は五瓜に唐花紋。顔画像はNHKドラマ「坂の上の雲」の有坂成章(矢島健一)。墓画像は谷中霊園の墓所にて撮影。

河本重次郎。1859年9月12日 - 1938年4月4日、眼科医学者。但馬国豊岡出身。読みは、こうもとじゅうじろう。東京大学医学部を首席で卒業。ベルリン大学に留学。医学博士の学位を始めて眼科医として受ける。日本の眼科を先進国の水準に近づけ、さらに発展させた。家紋は五瓜紋。画像は多磨霊園にて撮影。

坪井正五郎。1863年2月22日 - 1913年5月26日、自然人類学者。蘭学者・坪井信道の孫として江戸に生まれた。岩石学者の坪井誠太郎は長男。日本石器時代人=コロポックル説を主張したことで知られている。第5回内国勧業博覧会では学術人類館を発案した。家紋は五瓜紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。

山下源太郎。1863年8月26日 - 1931年2月18日、海軍軍人。山形県米沢市出身。米沢藩士山下新右衛門の次男。連合艦隊司令長官・海軍大将・正二位・勲一等・功三級・男爵。日露戦争時には対露作戦立案の中心的役割を負い、日本海海戦の完勝に貢献した。家紋は五瓜紋。青山霊園の墓所にて撮影。

津田梅子。1864年12月31日 - 1929年8月16日、教育者。津田仙(旧幕臣・東京府士族)・初子夫妻の次女として、江戸牛込の南御徒町に生まれた。満6歳の時、最年少で岩倉使節団に随行して渡米。「女子英学塾」(現在の津田塾大学)を設立。家紋は五瓜紋。青山霊園の父・津田仙の墓所にて撮影。

山本条太郎。1867年11月6日 - 1936年3月25日、実業家・政治家。福井県武生市の生まれ。立憲政友会から衆議院議員当選5回。幹事長等歴任。南満洲鉄道株式会社総裁となり大胆な改革を行い「満鉄中興の祖」とも言われた。茶人としても知られる。家紋は五瓜に唐花紋。画像は多磨霊園にて撮影。

武藤信義。1868年9月1日 - 1933年7月27日、陸軍軍人。佐賀藩士・武藤信直の次男として生まれる。教育総監・軍事参議官等を歴任。満州における軍事・行政・外交を掌握して「これほど権力を掴んだ者は明治維新以来いない」と評された。最終階級は元帥陸軍大将。画像は護国寺にて撮影。

川合玉堂。1873年11月24日 - 1957年6月30日、日本画家。愛知県葉栗郡出身。本名は川合芳三郎。文展設立の際に審査委員に任命される。以後、国民的画家としての地位をゆるぎないものとした。代表作は「渓村春麗」「彩雨」「山水観月」「鵜飼い」など。家紋は、五瓜に剣花菱。画像は多磨霊園にて撮影。

永田鉄山。1884年1月14日 - 1935年8月12日、陸軍軍人。長野県諏訪郡上諏訪町出身。陸軍士官学校を首席で卒業。統制派の中心人物であったが派閥抗争に絡んで暗殺される。「もし永田鉄山ありせば太平洋戦争は起きなかった」と言われた。最終階級は陸軍中将。家紋は五瓜紋。画像は青山霊園にて撮影。

古賀峯一。1885年9月25日 - 1944年3月31日、海軍軍人。佐賀県西松浦郡出身。第28代連合艦隊司令長官であったが太平洋戦争において殉職した。殉職後は特旨により元帥号を授与される。最終階級は海軍大将。家紋は五瓜に剣唐花紋。画像は多磨霊園の名誉霊域の墓所にて撮影。

市川忍。1897年1月9日 - 1973年11月2日、実業家。茨城県出身。伊藤忠商事に入社後、大同貿易を経て、丸紅商店に移る。丸紅の初代社長に就任。「正・新・和」の精神で「丸紅」発展の基礎を築く。大阪商工会議所会頭となる。家紋は五瓜に右巴紋。画像は多磨霊園の墓所。

佐分眞。1898年10月8日 - 1936年4月23日、洋画家。名古屋市出身。読みは、さぶりまこと。『貧しきキャフェの一隅』が帝展で特選を受賞。その年から3年連続特選を受ける。光風会を退会した1935年の翌年、東京のアトリエで自殺。没後に佐分賞が設定される。家紋は五瓜紋。画像は多磨霊園にて撮影。

村山知義。1901年1月18日 - 1977年3月22日、小説家、画家。東京市神田区末広町出身。父は海軍軍医。前衛美術団体マヴォ結成。今東光らと『文党』創刊。全日本無産者芸術連盟、日本民主主義文学同盟の結成に参加。小説「新選組」。絵本「おなかのかわ」。家紋は五瓜に平角紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。

秋元不死男。1901年11月3日 - 1977年7月25日、俳人。神奈川県横浜市出身。本名は秋元不二雄。西東三鬼らと「天香」を創刊。山口誓子の「天狼」創刊に参加。「氷海」創刊。妹は劇作家の秋元松代。息子の秋元近史は『しゃぼん玉ホリデー』を手がけたテレビプロデューサー。家紋は五瓜紋。

五所平之助。1902年1月24日 - 1981年5月1日、映画監督。東京神田に生まれる。本名は五所平右衛門。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督をつとめる。代表作は『新雪』『挽歌』『煙突の見える場所』『伊豆の踊子』等。紫綬褒章、勲四等旭日小綬章等を受章。家紋は五瓜紋。

大村主計。1904年11月19日 - 1980年10月17日、童謡詩人。山梨県出身。読みは、おおむらかずえ。童謡「花かげ」を発表。童謡集「ばあやのお里」「麦笛」を刊行。また新聞社経営者としても手腕を発揮し東京タイムズ編集局長、スポーツタイムズ社長を務めた。家紋は五瓜紋。画像は文京区吉祥寺にて撮影。

朝永振一郎。1906年3月31日 - 1979年7月8日、物理学者。東京市小石川区小日向三軒町に朝永三十郎(長崎県出身)の子として生まれる。くりこみ理論の手法を発明して量子電磁力学の発展に寄与した功績によってノーベル物理学賞を受賞。東京教育大学長、日本学術会議会長を務めた。家紋は五瓜に上り藤。

石田波郷。1913年3月18日 - 1969年11月21日、俳人。愛媛県温泉郡垣生村出身。本名は石田哲大(てつお)。秋桜子主宰の『馬酔木』に投句を始める。代表句集『鶴の眼』。韻文精神に立脚した人間諷詠の道を辿り中村草田男、加藤楸邨とともに人間探求派と呼ばれた。家紋は五瓜に抱き茗荷紋。

織田作之助。1913年10月26日 - 1947年1月10日、小説家。大阪市南区生玉前町にて、仕出屋「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。出世作となった「俗臭」「夫婦善哉」をはじめ、「競馬」「世相」など短編を得意とした。作品には大阪の庶民(特に放浪者)の暮らしが描かれていることが特徴。

春風亭柳昇。1920年10月18日 - 2003年6月16日、落語家。東京都武蔵野市出身。本名は秋本安雄。次男はアニメ監督・アニメーターの知吹愛弓。社団法人落語芸術協会副会長(後に理事長)を務める。自身の体験を生かした創作落語・「与太郎戦記」は、後に映画化もされる。家紋は五瓜紋。

勝野洋。1949年7月27日 - 、俳優。熊本県阿蘇郡小国町出身。妻はキャシー中島。テレビドラマ『太陽にほえろ!』において”テキサス刑事”役に抜擢され一躍人気者となる。代表出演作は『俺たちの朝』『姿三四郎』。家紋は五瓜に三階菱紋。林泉寺の勝野家の墓所にて撮影。

石丸謙二郎。1953年11月1日 - 、俳優。大分県出身。つかこうへいの事務所にスカウトされて俳優デビュー。『世界の車窓から』のナレーションを務める。また、日本で初めてストリーキングを敢行したと自称している。家紋は織田瓜であることを『ぶらり途中下車の旅』にて告白した。

春風亭昇太。1959年12月9日 - 、落語家。静岡県清水市(現静岡市清水区)出身。本名:田ノ下雄二。5代目春風亭柳昇の弟子。2005年には落語を題材にしたドラマ「タイガー&ドラゴン」に出演。2006年5月より日本テレビ系『笑点』の大喜利メンバーに加入。家紋は春風亭一門の五瓜紋。

木村拓哉。1972年11月13日 - 、俳優、SMAPのメンバー。東京都出身、千葉県育ち。ジャニーズ事務所に所属。主演テレビドラマ多数。代表作は『ロングバケーション』『ラブジェネレーション』『CHANGE』『MR.BRAIN』等。家紋は、織田信長と同じ五瓜紋であることを告白。

藤森慎吾。1983年3月17日 - 、コメディアン、司会者。長野県諏訪市出身。愛称は「しんご」。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のオリエンタルラジオのツッコミ担当。『武勇伝』ネタで有名だがしゃべくり漫才もする。「笑っていいとも!」にて家紋は家紋は五瓜に檜扇であることを告白。

湘南乃風。2001年 - 、音楽グループ。RED RICE、若旦那、SHOCK EYE、HAN-KUNの4人をメンバーとする湘南を拠点に活動するレゲエ系グループ。代表曲「純恋歌」「カラス」「睡蓮花」等。「純恋歌」はカラオケ定番として歌い継がれている。グループのシンボルに五瓜に風の文字を採用。
まさむね





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