Home » 歴史・家紋

竹笹紋 -天の神様にあやかろうという人々の願い- 竹中半兵衛、新島襄、谷川俊太郎...

19 1 月 2009 No Comment

竹は不思議な植物である。他に類似する植物が無い。

特別の場所に群生し、その姿は天に伸びる。
古来、その姿は、美しさ、高潔さ、節操を意味するものとして尊ばれたのである。
そして、天から降ってくる異界からのメッセージを受け取る「よりまし」としても認識されていた。

かぐや姫は竹の中から出てきたが、それは、ある種、天からの贈り物だったのである。
また、正月の門松も、天に延びている部分は鋭く切った竹で、そこに歳神がやってくると信じられているのだ。

竹笹紋は、そんな天からの神様にあやかろうとした人々によって採用された。
越後の上杉謙信のシンボルとしては、旗印としての「毘」が有名だが、家の紋は上杉笹と呼ばれる「笹に雀」である。
これは元々、上杉家が藤原北家の勧修寺(かしゅうじ)家の「笹に雀」紋から来ている。
そして、さらに、この紋は、微妙に変形されて伊達氏にも引き継がれていくのである。

さて、この竹笹紋であるが、全国で16位。
群馬県での6位が突出している。
これはおそらく、高橋姓の広がりが、群馬県が一番という事が関係しているのではないだろうか。
竹笹紋は高橋姓の一つの代表紋だからだ。

竹笹紋使用の有名人は以下。

鳥居元忠。1539年 - 1600年9月8日、徳川家家臣。
父の忠吉は松平氏以来の老臣で、元忠も家康が今川氏の人質だった頃からの側近の一人。家康の三河統一後も、旗本部隊の将として戦う。その忠節は「三河武士の鑑」と称された。家紋は鳥居笹。画像は庶流から出た鳥居耀蔵の墓所(吉祥寺)にて撮影。


竹中半兵衛。1544年9月27日 - 1579年7月6日、武将。
美濃斎藤氏の家臣で不破郡岩手城主・竹中重元の子として生まれる。羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍師として活躍した名将である。戦国時代を代表する軍師であり、同時代の黒田孝高(黒田官兵衛)と並んで天才軍師と称されている。家紋は丸に九枚笹。


可児吉長。1554年 - 1613年8月10日、武将。
美濃国可児郡に生まれる。宝蔵院流槍術の開祖。斎藤龍興、柴田勝家、明智光秀、前田利家、織田信孝らに仕える。関ヶ原の戦いでは福島正則の先鋒隊長として参加し、敵兵の首を17も取り家康からも大いに賞賛された。家紋は丸に違い笹紋。


伊達政宗。1567年9月5日 - 1636年6月27日、戦国時代の武将。
本姓は藤原氏。家系は伊達朝宗を祖とする伊達氏。出羽国と陸奥国の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。笹に雀紋は仙台笹といわれるオリジナルな形だが、上杉氏からもらったもの。最も古い紋は縦三つ引き両。九曜紋は細川氏から使用許可される。


玉川庄右衛門。1622年 - 1695年7月16日、玉川上水開削者。
多摩川沿いの地域の農家。弟、清右衛門とともに、玉川上水開削の指揮をとる。上水工事は2度失敗したが最後は私財を投入して成功する。これにより兄弟は「玉川」の姓を名乗る事が許されたという。家紋は丸に根笹。画像は浅草・聖徳寺にて撮影。


竹本義太夫。1651年 - 1714年10月18日、浄瑠璃太夫。
摂津国(大坂)に生まれる。農家の出身。大坂道頓堀に竹本座を開設し、近松門左衛門・作の『世継曽我』を上演。近松門左衛門と組み、多くの人形浄瑠璃を手掛けた。浄瑠璃の義太夫節の創始者である。家紋は竹亀甲に九枚笹。画像は回向院にて撮影。


上杉鷹山。1751年9月9日 - 1822年4月2日、大名。
父は日向高鍋藩主・秋月種美で次男。10歳で米沢藩の第8代藩主・重定の養子となる。出羽国米沢藩の第9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生を成し江戸時代屈指の名君として知られている。祭神として摂社松岬神社に奉られている。家紋は上杉笹。


伊達宗城。1818年9月1日 - 1892年12月20日、大名・政治家。
江戸生まれ。宇和島藩主伊達宗紀の仮養子となる。宇和島藩8代藩主となり軍制の近代化、殖産興業を行い「幕末の四賢侯」と称された。定紋は仙台笹の変形の宇和島笹。他に丸に竪三つ引両、九曜紋等も使用。画像は本妙寺の久世広運奥方の宇和島笹紋。


佐野常民。1823年2月8日 - 1902年12月7日、元老院議員。
佐賀藩士下村三郎左衛門の5男として佐賀に生まれる。大坂の緒方洪庵の適塾で学ぶ。日本赤十字社の創始者。佐賀の七賢人に挙げられている。第1次松方内閣で農商務大臣に就任する。家紋は九枚笹の丸紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


万里小路博房。1824年7月21日 - 1884年2月22日、公卿。
父は万里小路正房、母は藤波寛忠の娘。三条実美と親しく尊王攘夷派とみられ、八月十八日政変では一時免官されて蟄居する。維新後は京都裁判所総督、宮内大輔、皇太后宮大夫を歴任。家紋は丸に勧修寺笹紋。青山霊園の万里小路家の墓所にて撮影。


丸山作楽。1840年10月27日 - 1899年8月18日、外交官・政治家。
江戸・芝三田において島原藩士・丸山正直の長男として生まれる。外務大丞の時に対露交渉にあたった。東京日日新聞の福地源一郎とともに立憲帝政党を結成し保守的政治家として活動した。家紋は竹輪笹に向い雀紋。画像は青山霊園にて撮影。


新島襄。1843年2月12日 - 1890年1月23日、布教家、教育家。
安中藩板倉家江戸屋敷で藩士の子として出生。本名は七五三太。アメリカに密航し洗礼を受ける。訪米中の岩倉使節団と会い木戸孝允の通訳として同行。欧米各国の教育制度を調査。同志社英学校を開校。家紋は丸に根笹。画像は新島襄記念館の丸に根笹紋。


高橋新吉。1843年2月26日 - 1918年11月30日、文学者、実業家。
薩摩藩士高橋七郎の次男として出生。「英和対訳袖珍辞書」を底本として辞書『和訳英辞林』(「薩摩辞書」)を編纂。九州鉄道初代社長、南満州鉄道や韓国銀行の設立委員などを歴任。家紋は十五枚笹竹の丸紋。画像は青山霊園にて撮影。


湯地定基。1843年9月4日 - 1928年2月10日、官僚。
薩摩国出身。読みは、ゆちさだもと。湯地定監、乃木静子の兄。藩命をうけアメリカで農学を学ぶ。帰国後、開拓使に勤務、後に根室県令、北海道庁理事官などを務める。北海道の洋式農業の発展に尽くした。家紋は湯地竹笹紋。画像は青山霊園にて撮影。


斎藤一。1844年2月18日 - 1915年9月28日、新選組隊士。
旗本・鈴木家の家臣となった山口祐助の次男として生まれる。新選組の前身である壬生浪士組に入隊。三番組組長となり池田屋事件などで活躍。維新後は警察官となり、新政府軍として西南戦争にも従軍し戦功を上げる。家紋は丸に九枚笹紋。


山田顕義。1844年11月18日 - 1892年11月11日、政治家、軍人。
長門国阿武郡椿郷東分で、萩藩士の長男として生まれる。松下村塾に入門。 攘夷の血判書に名を連ねる。維新後は、参議兼内務卿、司法卿兼参議、初代司法大臣を歴任。日本大学國學院大學の学祖。画像は護国寺にて撮影。


三浦梧楼。1847年1月1日 - 1926年1月28日、軍人、政治家。
長門国萩に萩藩士の陪臣の子として出生。奇兵隊に入隊して第二次長州征伐や戊辰戦争に従軍。閔妃暗殺を指揮したとされ(乙未事変)投獄された。大正期には藩閥打倒を唱え政界の黒幕としても活動。家紋は変り篠笹紋。画像は青山霊園にて撮影。


岡本柳之助。1852年8月 - 1912年5月14日、軍人・国家主義者。
江戸出身。旧姓は諏訪。岡本家の養子となる。西南戦争では参謀として活躍し、戦後少佐となるが、1878年(明治11年)の竹橋事件に連坐し、官職を剥奪された。三浦梧楼らと閔妃殺害事件をおこし、投獄された。画像は池上本門寺にて撮影。


藤波言忠。1853年10月14日 - 1926年5月24日、華族、政治家。
広橋邸にて広橋胤保の次男として生まれる。明治天皇の侍従、宮内省主馬頭になる。ウィーンに留学後に、33回の進講をする。明治天皇・昭憲皇太后両方の崩御の時にどちらとも大喪使事務官を務めた。家紋は中陰雪持ち笹紋。青山霊園の墓所にて撮影。


根津嘉一郎(初代)。1860年8月1日 - 1940年1月4日、実業家。
甲斐国山梨郡正徳寺村(山梨県山梨市)に生まれる。根津家は雑穀商や質屋業も営む豪商。東武鉄道南海電気鉄道など日本国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わり「鉄道王」と呼ばれた。若尾逸平や雨宮敬次郎等と甲州財閥を形成。家紋は丸に根笹紋。


立川勇次郎。1862年2月20日 - 1925年12月14日、実業家。
美濃国大垣藩の藩士の次男として生まれる。大師電気鉄道(現京浜急行電鉄)の代表に就任。1912年(大正元年)、大垣を中心とした西濃地区の電力供給を目的として、揖斐川電力(現イビデン)設立。初代社長となる。画像は青山・長谷寺にて撮影。


嵯峨の屋おむろ。1863年1月12日 - 1947年10月26日、小説家。
東京都生まれ。本名:矢崎鎮四郎。坪内逍遥の門下。嵯峨の屋お室、矢崎嵯峨の舎(屋)、北邙散子名義なども使用した。代表作は『ひとよぎり』『無味気』『両面苦楽の鏡』など。家紋は丸に九枚笹紋。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


川上音二郎。1864年2月8日 - 1911年11月11日、俳優・芸人。
筑前国博多中対馬小路町に生まれる。世情を風刺した『オッペケペー節』で一世を風靡。この『オッペケペー節』を日本人で初めて録音、レコード化する。NHKの大河ドラマで妻の川上貞奴を描いた『春の波濤』が放送された。画像は総持寺にて撮影。


井上準之助。1869年5月6日 - 1932年2月9日、政治家、財政家。
大分県日田市大鶴町に造り酒屋を営む家に出生。第9、11代日本銀行総裁。第二次山本、浜口、第二次若槻内閣の蔵相。浜口内閣で行った金輸出解禁や緊縮財政は世界恐慌のため深刻な不況を招き血盟団事件で暗殺される。画像は青山霊園にて撮影。


菱刈隆。1871年12月27日 - 1952年7月31日、陸軍軍人。
薩摩藩士、菱刈八郎太の三男として生れる。陸軍省軍務局課員、陸軍歩兵学校教官、歩兵第4連隊長、第2師団参謀長、陸軍中将、陸軍大将、大日本忠霊顕彰会会長、大日本剣道会会長などを歴任。家紋は竹笹輪に七枚笹紋。画像は青山霊園にて撮影。


畑英太郎。1872年8月28日 - 1930年5月31日、陸軍軍人。
福島県出身。会津藩士・警察官、畑能賢の長男として生れる。軍事課長、航空局次長、軍務局長、陸軍次官、兼軍事調査委員長、第1師団長を歴任。最終階級は陸軍大将。家紋は亀甲に根笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。


金谷範三。1873年4月24日 - 1933年6月6日、陸軍軍人。
大分県国東郡高田町出身。日清戦争では歩兵第3連隊付として、日露戦争では第2軍参謀として出征。参謀総長当時、真崎甚三郎を毛嫌いしていたという。最終階級は陸軍大将。家紋は雪持ち笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。


有島武郎。1878年3月4日 - 1923年6月9日、作家。
旧薩摩藩士で大蔵官僚の有島武の子として生まれる。志賀直哉や武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加。代表作は『カインの末裔』『迷路』。作家の里見弴は弟。長男は俳優の森雅之。家紋は丸に雪持ち笹。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


苫米地義三。1880年12月25日 - 1959年6月29日、政治家。
青森県上北郡藤坂村出身。上杉謙信の末裔を称した。日本進歩党、民主党、国民民主党(党首)、改進党、日本民主党、自由民主党に所属。骨相学・考星学・霊気療法等の研究を趣味としたという。家紋は丸に九枚笹紋。画像は青山霊園にて撮影。


久保田九品太。1881年 - 1926年1月8日、教育学者。
静岡県小笠郡中村出身。本名久保田次郎吉。初号は桂川。正岡子規に師事し、のち高浜虚子に入門。「ホトトギス」「春夏秋冬」「枯野」同人として活躍。句集には『水仙の芽』がある。この略歴では、歴史が眠る多磨霊園kotobank.jpを参照いたしました。


小泉親彦。1884年9月9日 - 1945年9月13日、政治家、陸軍軍医。
福井県出身。近衛師団軍医部長に就任。大日本帝国陸軍で初めてBCG接種を実施し、結核予防に効果を挙げる。第3次近衛内閣で厚生大臣に就任、次の東條英機内閣でも留任。連合軍の取り調べを拒否し、割腹自殺を遂げた。画像は青山霊園にて撮影。


田中啓爾。1885年12月8日 - 1975年1月5日、地理学者。
東京府牛込区の生まれ。主な専門は地誌学を中心とした人文地理学。地理教育論にも多大な功績があり、近代期の日本の地理学において非常に重要な人物である。代表著作は「我等の国土」。家紋は丸に九枚笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。


嶋中雄作。1887年2月2日 - 1949年1月17日、編集者。
1916年、『婦人公論』を創刊し編集長となる。1928年には中央公論社社長となる。『西部戦線異状なし』レマルク著、『源氏物語』谷崎潤一郎訳等をベストセラーにする。家紋は折敷に九枚笹。画像は、本願寺和田堀廟所の墓所。


高橋亀吉。1891年1月27日 -1977年2月10日、経済研究者。
山口県徳山村にて生まれる。石橋湛山が主幹を務めていた東洋経済新報社に入社。高橋経済研究所を創立すると『高橋財界月報』を刊行。主著『日本資本主義発達史』『日本近代経済形成史』等。家紋は九枚笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。


下総皖一。1898年3月31日 - 1962年7月8日、作曲家・教育者。
埼玉県北埼玉郡原道村出身。本名は下總覺三。東京藝術大学音楽学部長。門下は團伊玖磨、芥川也寸志等。代表作は「花火」「ほたる」「兎のダンス」「ゆうやけこやけ」等。また京都大学学歌他、多くの校歌を作曲。画像は小平霊園にて撮影。


宮本百合子。1899年2月13日 - 1951年1月21日、小説家、評論家。
旧姓中條。本名ユリ。17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に登場。天才少女として注目を集めその後もプロレタリア文学のリーダーとして活躍。元夫の宮本顕治と共に投獄、執筆禁止などを繰り返しながら活動。画像は青山霊園の中條家の墓所にて撮影。


勅使河原蒼風。1900年12月17日 - 1979年9月5日、華道家。
草月流の創始者。華道において斬新な手法を多く提供し「花のピカソ」と呼ばれた。日本のいけばなを世界に発信した第一人者。草月流三代目家元、映画監督である勅使河原宏の父としても知られている。家紋は三日月に根笹紋。画像は青山霊園にて撮影。


横溝正史。1902年5月24日 - 1981年12月28日、推理作家。
兵庫県神戸市東川崎出身。父の郷里は岡山。金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で有名。代表作は、『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』『悪霊島』『悪魔が来りて笛を吹く 』など。画像は春秋苑にて撮影。


竹山道雄。1903年7月17日 - 1984年6月15日、独文学者、小説家。
大阪府出身。岡田家に生れ祖母の家・竹山家に養子に入る。小説『ビルマの竪琴』は一世を風靡。訳書に『ツァラトゥストラ』『アルプスの少女ハイジ』がある。一高教諭、東大教養学部教授等を歴任。家紋は丸に根笹。画像は鎌倉霊園にて撮影。


豊田四郎。1906年1月3日 - 1977年11月13日、映画監督。
京都府京都市出身。松竹蒲田撮影所に入り島津保次郎に師事。後に東宝に移って文芸映画を多く監督し、高い評価を得た。代表作は『駅前旅館』『夫婦善哉』『小島の春』『恍惚の人』等。家紋は九枚笹紋。青山霊園の墓所にて撮影。


水原茂。1909年1月19日 - 1982年3月26日、プロ野球選手、監督。
香川県高松市出身。高校野球、大学野球で活躍後、読売巨人軍に入団。引退後は、巨人、東映、中日で監督を務めた。巨人監督時代は在任11年間で8度のリーグ優勝、4度の日本一に輝く。家紋は丸に右荒枝付き三階松に株竹紋。画像は総持寺にて。


淀川長治。1909年4月10日 - 1998年11月11日、映画評論家。
兵庫県神戸市出身。芸者置屋の跡取り息子。東宝映画の宣伝部に勤務。チャーリー・チャップリンとの会談もしている。「それでは次週をご期待ください。さよなら、さよなら、さよなら…」等の名セリフを残している。家紋は丸に九枚笹紋。


高橋竹山。1910年6月18日 - 1998年2月5日、三味線名人。
青森県東津軽郡中平内村小湊生まれ。本名は高橋定蔵。一地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者。演歌歌手北島三郎が歌った『風雪ながれ旅』のモデル。高橋家の家紋は丸に橘紋。ただし、自身のマークとして竹輪に根笹紋を使用。


竹内好。1910年10月2日 - 1977年3月3日、中国文学者、評論家。
長野県南佐久郡臼田町出身。魯迅の研究・翻訳や日本文化研究を行う。大アジア主義の視点から日本軍の対アジア侵略戦争を劇しく糾弾。主著は『魯迅』『中国の近代と日本の近代』『近代の超克』。家紋は竹笹に向い雀紋。画像は多磨霊園にて撮影。


徳大寺伸。1911年10月5日 - 1995年7月19日、俳優。
東京都芝区田村町出身。本名は寺田静夫。時代劇を中心に名わき役として活躍する。代表出演作は『日本女侠伝 真赤な度胸花』『柳生武芸帳』『雪之丞変化』『東京新撰組』など。家紋は丸に根笹紋。画像は池上本門寺の墓所にて撮影。


戸板康二。1915年12月14日 - 1993年1月23日、小説家、随筆家。
東京都港区出身。旧姓山口。戸板学園創立者・戸板関子の養子。歌舞伎評論の『歌舞伎への招待』はロングセラー。『車引殺人事件』で推理作家としてデビュー。『団十郎切腹事件』で直木賞受賞。家紋は丸に頭合わせ九枚笹。画像は総持寺にて撮影。


三遊亭圓右(3代目)。1923年12月8日 - 2006年3月22日、落語家。
東京都杉並区出身。本名は粕谷泰三。浪曲師の父で木村重丸、常磐津の師匠の母の常磐津文字綱の下で育つ。ライオンの「エメロン石鹸」やP&Gの成人向け紙おむつ「アテント」のテレビCMに長期間出演。「おばあさん落語」を得意とした。


津村謙。1923年12月12日 - 1961年11月28日、歌手。
富山県下新川郡入善町出身の歌手。男性。本名:松原正。「上海帰りのリル」が大ヒット。その他、「リルを探してくれないか」「紅椿の歌」「待ちましょう」「あなたと共に」等のヒット曲がある。家紋は九枚笹紋。画像は小平霊園にて撮影。


茨木のり子。1926年6月12日 - 2006年2月17日、詩人、童話作家。
大阪府生まれ、愛知県西尾市育ち。本名は三浦のり子。戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人にして童話作家、エッセイスト、脚本家。主詩集『鎮魂歌』『自分の感受性くらい』。『わたしが一番きれいだったとき』は有名。家紋は丸に九枚笹紋。


藤沢周平。1927年12月26日 - 1997年1月26日、時代小説作家。
山形県東田川郡黄金村出身。本名は小菅留治。小菅繁蔵の第三子。実家は農家。庄内藩をモチーフにしたと言われる架空の藩「海坂藩」を舞台にした作品は有名。代表作は『暗殺の年輪』『市塵』『たそがれ清兵衛』『蝉しぐれ』等。


黛敏郎。1929年2月20日 - 1997年4月10日、作曲家。
神奈川県横浜市生まれ。芥川也寸志、團伊玖磨と共に「3人の会」結成。現代音楽界を代表する音楽家の一人。代表曲は『涅槃交響曲』、オペラ『金閣寺』、映画音楽『東京オリンピック』等多数。家紋は丸に九枚笹紋。画像は総持寺にて撮影。


竹中労。1930年5月30日 - 1991年5月19日、ルポライター。
東京都出身。本名は竹中労。父は画家の竹中栄太郎。『女性自身』で芸能担当ライターをはじめ様々な問題作を世に出す。晩年は「イカ天」の審査員もつとめ「たま」を絶賛した。墓碑銘には「せめて自らにだけは恥なく眠りたい」と刻まれている。


谷川俊太郎。1931年12月15日 - 、詩人。
父は哲学者で法政大学学長の谷川徹三。石原慎太郎、大江健三郎、寺山修司、浅利慶太ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し60年安保に反対。代表作は『ことばあそびうた』『二十億光年の孤独』。画像は鎌倉・東慶寺の谷川徹三の墓所にて撮影。


大藪春彦。1935年2月22日 - 1996年2月26日、小説家。
京城に生まれる。父は教師である。激しいアクション、暴力を描く通俗的な作品が多く、「暴力賛美の小説」と批判されることもある。代表作は、『本陣殺人事件』『蘇える金狼』『汚れた英雄』 。家紋は丸に三枚笹。画像は本願寺和田堀廟所で撮影。


谷垣禎一。1945年3月7日 - 、弁護士、政治家。
京都府福知山市出身。父は、文部大臣を務めた谷垣専一。産業再生機構担当大臣、食品安全担当大臣、財務大臣(第4・5・6・7・8代)、自由民主党政務調査会長、国土交通大臣(第9代)、自民党総裁を歴任。宏池会(谷垣派)会長を務めた。家紋は九枚笹。


明石家さんま。1955年7月1日 - 、お笑いタレント、俳優。
奈良県出身。本名は杉本高文。笑福亭松之助に弟子入り。当初の芸名は「笑福亭さんま」。タモリ、ビートたけしとの3人で日本のお笑い芸人BIG3と称される。「男女7人夏物語」などテレビドラマにも多数出演。五枚笹は笑福亭一門の定紋。


桂三木助(4代目)。1957年3月29日 - 2001年1月3日、落語家。
東京都田端出身。父・3代目桂三木助の晩年に出生。本名は小林盛夫。人間国宝5代目柳家小さんに入門。芸術祭演芸部門優秀賞受賞。俳優やテレビレポーターとしても活躍。十八番ネタは「死ぬなら今」。画像は谷中・観音寺の墓所にて撮影。


平田オリザ。1962年11月8日 - 、劇作家、演出家。
シナリオライターの平田穂生の子として東京で生まれる。現代口語演劇理論を提唱。 青年団主宰、こまばアゴラ劇場支配人、内閣官房参与、首都大学東京客員教授、日本劇作家協会理事等をつとめる。家紋は、岩村笹。平田穂生の墓所にて撮影。


岡田有希子。1967年8月22日 - 1986年4月8日、アイドル歌手。
本名は佐藤 佳代。愛知県名古屋市熱田区出身(出生は同県一宮市)。『スター誕生!』のチャンピオンとなり、芸能界入り。翌年、日本歌謡大賞及びレコード大賞最優秀新人賞を受賞。『くちびるNetwork』がオリコン一位となる。家紋は、丸に根笹。


渡辺明。1984年4月23日- 、将棋棋士。
東京都葛飾区出身、所司和晴門下。史上4人目の「中学生棋士」となる。初代永世竜王資格者。最年少九段(21歳7か月) 最速九段昇段(5年7ヶ月) 等の記録を持つ。また、羽生善治に対して、20局以上対局して勝ち越している唯一の棋士。家紋は九枚笹。

まさむね



Comments are closed.