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[26 1 月 2009 | No Comment | | ]
撫子紋 -可愛い日本女性のシンボル紋- 斎藤義竜、東條英機、宇多田ヒカル...

秋の七草、撫子。
戦いに明け暮れた武士達のやすらぎのひと時を感じさせる優しい花だ。
また、この撫子紋は、大和撫子というように、日本女性を象徴する紋である。
この紋で有名なのは、美濃の斉藤一族。
全国分布では、石川県で27位に入る。
撫子紋を持つ有名人は以下。
斎藤義竜。1527年7月8日 - 1561年6月23日、戦国大名。
初代当主・斎藤道三の嫡男。美濃の戦国大名斎藤氏の第2代当主。実父は土岐頼芸という説もある。尾張の織田信長の軍勢と戦い戦況を有利に進めた。長良川の戦いで斎藤道三を討ち果たす。足利義輝によって幕府相伴衆に列せられた。家紋は撫子紋。

山県大弐。1725年 - 1767年9月14日、儒学者、思想家。
甲斐国篠原村出身。野沢氏の出自。名は昌貞。甲斐国山梨郡山王神社の宮司となり、尊皇攘夷の思想を説く。明和事件において処刑された。主著は『柳子新論』。家紋は桔梗紋であるが、新宿・全勝寺の墓所(画像)には奥方斎藤家の撫子紋がある。

斎藤利行。1822年2月2日 - 1881年5月26日、土佐藩家老。
若くして藩主山内豊煕の御側物頭として仕える。長崎で起きた土佐藩士によるイギリス水兵殺害事件では後藤象二郎とともに補償問題を解決。坂本龍馬とも結んで武器調達に活躍。明治政府では刑部大輔・参議・元老院議官を務めた。青山霊園にて撮影。

明石元二郎。1864年9月1日 - 1919年10月26日、陸軍軍人。
黒田藩士・明石助九郎の次男として福岡の大名町に生まれる。関ヶ原の戦い、大坂の役で戦ったキリシタン武将、明石全登の末裔といわれている。日露戦争では諜報活動で活躍。陸軍大将・勲一等・功三級・男爵。第7代台湾総督。家紋は丸に撫子紋。

斎藤緑雨。1868年1月24日 - 1904年4月13日、小説家、評論家。
三重県・神戸出身。本名は賢。『小説八宗』『初学小説心得』『小説評注問答』などのパロディ精神に溢れた評論を書く。『油地獄』『かくれんぼ』などの作品で小説家としても認められる。家紋は丸に撫子紋。画像は向丘・大円寺にて撮影。

片山正夫。1877年 - 1961年、化学者。
岡山県出身。東北大学教授、東大教授。液体の表面張力と温度との関係式(片山式)で知られる。物理化学の先駆的な研究を行なう。主著「化学本論」は日本における初期の本格的な物理化学教科書。家紋は撫子紋。画像は南麻布・円沢寺にて撮影。

東條英機。1884年7月30日 - 1948年12月23日、陸軍人、政治家。
東京市麹町区に東條英教陸軍歩兵中尉の三男として出生。本籍地は岩手県。東條家は能楽師として盛岡藩に仕えた家系。統制派として陸軍を主導。開戦時の内閣総理大臣。A級戦犯として処刑された。撫子紋は雑司が谷霊園、和田堀廟所の墓所とも共通意匠。

豊田貞次郎。1885年8月7日 - 1961年11月21日、海軍軍人。
和歌山県出身。紀伊田辺藩士・豊田信太郎の次男。最終階級は海軍大将。予備役編入後は政治家に転身し、商工大臣、拓務大臣、外務大臣、軍需大臣、内閣顧問、運輸通信大臣などを歴任する。家紋は撫子紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

西東三鬼。1900年5月15日 - 1962年4月1日、俳人。
岡山県苫田郡津山町出身。本名は斎藤敬直。戦争批判の作句により特高に検挙されたという。その後、現代俳句協会の設立、俳句誌「断崖」創刊、俳句総合誌「俳句」編集長もつとめる。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。家紋は撫子紋。

宇多田ヒカル。1983年1月19日 - 、女性シンガーソングライター。
米国ニューヨーク州出身。先祖は但馬の清原氏族。日本の代表的女性ソロシンガー。1stアルバム『First Love』は860万枚以上、国内アルバム売り上げ史上歴代1位の超メガヒットとなる。代表作『Automatic』『First Love』『Flavor Of Life』。
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[26 1 月 2009 | Comments Off | | ]
竜胆紋 -源氏といえばこの紋- 石川数正、石川啄木、生島ヒロシ...

源氏を代表する紋と言われているが、実際は、村上源氏、宇多源氏の代表紋で、清和源氏の子孫では使用する家は多くない。
おそらく、歌舞伎の「勧進帳」で義経がつけたことから、いつの間にか、源氏の代表紋とされるようになったのであろう。例えば、現在でも鎌倉市の市章として、この笹竜胆が採用されている。ご存知の通り、鎌倉は、源頼朝が幕府を開いた場所である。
しかし、だからと言って、「頼朝が笹竜胆を家紋としていた」というような勘違いは避けたいものである。
左上は、鎌倉市のマンホールに掘られた笹竜胆である。
また、曹洞宗の開祖、道元が村上源氏出身のため、この紋は、曹洞宗の寺紋とされている。
例えば、坂本九や、エノケンが眠る青山・長谷寺の寺紋は、竜胆車紋(左)である。
全国では25位。岩手で19位、秋田、神奈川、山梨、長野で20位といったところがやや多いが、全国にまんべんなく分布している。

北畠親房。1293年3月8日 - 1354年6月1日、南北朝時代の公家。
村上源氏庶流の北畠師重の子。『神皇正統記』の作者。吉田定房・万里小路宣房と共に「後の三房」と呼ばれ、後醍醐天皇の信任厚かった。後に、尊氏に京都を占領されると、京都を逃れた後醍醐天皇が吉野で開いた南朝に従う。家紋は割菱と笹竜胆。

石川数正。1533年 - 1593年、武将・大名。
先祖は河内源氏の義家流・石川源氏・石川氏。徳川家康の片腕として活躍したが、小牧・長久手の戦いの後に徳川家を出奔して豊臣秀吉に臣従した。徳川家康が関東に移ると、秀吉より信濃松本10万石に加増移封される。丸に石川竜胆。

石川雅望。1754年1月7日 - 1830年5月16日、狂歌師、戯作者。
浮世絵師石川豊信の五男として江戸に生まれる。読みは、いしかわまさもち。狂名は宿屋飯盛。狂歌四天王の一人として版元である蔦屋重三郎から多くの狂歌絵本を出版。家紋は笹竜胆。但し、蔵前の正覚寺の墓所には画像の創作紋(丼?)がある。

大原重徳。1801年11月21日 - 1879年4月1日、公家。
京に生まれ、光格天皇の侍童となる。宮中に昇り、孝明天皇に重用される。幕府に朝廷の攘夷の意向を反映させた文久の改革の際に活躍。維新以降は、参与・議定など新政府の役職を務める。家紋は変形の笹竜胆紋。画像は谷中霊園の大原家の墓所で撮影。

岩倉具視。1825年10月26日- 1883年7月20日、公家、政治家。
公卿・堀河康親の次男として京都に生まれる。源通親の子孫。岩倉家は村上源氏久我家の江戸時代の分家、下級の公家である。大久保利通らと王政復古のクーデターを画策。新政府において、参与、議定、大納言、右大臣等をつとめる。家紋は笹竜胆。

東久世通禧。1834年1月1日 - 1912年1月4日、公家、政治家。
京都出身。羽林家格の村上源氏の公家・東久世通徳の子。読みは、ひがしくぜみちとみ。七卿落ちの一人。王政復古によって復権を果たし、その後は枢密顧問官、貴族院副議長、枢密院副議長を歴任。家紋は竜胆車。画像は中目黒・長泉院にて撮影。

橋本雅邦。1835年8月21日 - 1908年1月13日、日本画家。
父は川越藩の御用絵師・橋本養邦。狩野芳崖とともに新しい表現技法を模索。東京美術学校設立に尽力。下村観山、横山大観、菱田春草、川合玉堂らを指導。また、日本美術院の創立にも参加。家紋は竜胆車。画像は深川玉泉院にて撮影。

石川小五郎。1840年3月12日 - 1919年9月29日、武士、官僚。
周防国吉敷郡佐山に長州藩士の子弟として出生。後に河瀬真孝と称した。禁門の変では遊撃隊の指揮を執り後に遊撃隊総督となる。第二次長州征伐では芸州口を攻撃するなど活躍。維新後は枢密顧問官となる。家紋は笹竜胆紋。画像は青山霊園にて撮影。

赤松則良。1841年12月13日 - 1920年9月23日、海軍軍人。
幕府十五番組御徒士・吉沢雄之進の次男として江戸深川に生まれ、祖父・赤松良則の後を継ぎ赤松姓となる。長崎海軍伝習所で航海術などを学ぶ。明治政府では海軍造船会議議長、海軍中将などを歴任。家紋は竜胆車紋。画像は文京区吉祥寺にて撮影。

福島安正。1852年10月27日 - 1919年2月19日、陸軍軍人。
信濃国松本城下に松本藩士・福島安広の長男として出生。イルクーツクから東シベリアまでの約1万8千キロを1年4ヶ月をかけて馬で横断し実地調査(「シベリア単騎横断」)を行う。日露戦争にも参戦。家紋は笹竜胆紋。青山霊園にて撮影。

下田歌子。1854年9月30日 - 1936年10月8日、教育家・歌人。
岐阜県恵那郡岩村町出身。岩村藩の藩士の家に出生。本名:平尾鉐。容姿と才能に恵まれ明治の紫式部とも称される。生涯を女子教育の振興に捧げる。実践女子学園や順心女子学園設立の基礎を築く。家紋は頭合わせ三つ笹竜胆紋。画像は護国寺にて撮影。

長谷川謹介。1855年9月20日 - 1921年8月27日、官僚。
長門(山口県)出身。井上勝にみとめられて鉄道寮に入り、鉄道技師として天竜川橋梁、台湾縦貫鉄道などを完成。鉄道院創設後は東部、西部、中部の鉄道管理局長、技監、副総裁などをつとめた。家紋は三つ葉竜胆紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。

井上哲次郎。1856年2月1日 - 1944年12月7日、哲学者。
筑前国太宰府の出身。帝国大学で日本人で初めて哲学の教授となる。新体詩運動の先駆者。国家主義の立場から宗教に対する国家の優越を主張。内村鑑三の不敬事件の際にはキリスト教を激しく非難。哲学用語「形而上」の訳者。雑司ヶ谷霊園にて撮影。

小崎弘道。1856年5月17日 - 1938年2月26日、牧師。
熊本藩士小崎次郎左衛門の5人兄弟の次男として肥後国託麻郡本山村に生まれる。霊南坂教会を創設し、同志社第2代社長(現総長)、日本組合基督教会会長、日本基督教連盟会長などを務めた。家紋は三つ笹竜胆紋。画像は青山霊園にて撮影。

曲木如長。1858年3月 - 1913年10月16日、法律家。
江戸神田橋生まれ。父は幕臣。読みは、まがきゆきなが。参事院御用掛兼太政官御用掛、司法官、検事、弁護士、東京市市会議員などを歴任。明治法律学校や日本法律学校で教鞭をとる。訳書に『巴威里憲法』『日本刑法論』などがある。家紋は笹竜胆。

石川倉次。1859年2月28日 - 1944年12月23日、教諭。
静岡県浜松市中区鹿谷町で生まれる。ルイ・ブライユが考案した6点式点字で日本語を表記する事に成功。「点字器」、「点字ライター」も開発し、日本点字の父といわれている。家紋は丸に石川竜胆紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。

各務鎌吉。1869年2月3日 - 1939年5月27日、実業家。
美濃国方県郡出身。読みは、かがみけんきち。父・省三は大蔵官僚。三菱財閥系の東京海上火災保険の社長を始め三菱財閥の要職を務めた。日本人実業家として初めて米雑誌『TIME』の表紙を飾る。家紋は丸に笹竜胆紋。画像は多磨霊園にて。

和合英太郎。1869年8月15日 - 1939年6月11日、実業家。
安芸国土手町出身。広島藩士・和合義男の長男。機械製氷株式会社を設立。その後、各地の製氷会社を吸収合併し日本製氷社長就任、現在のニチレイの基礎を築く。また日本冷凍協会会長となり日本の製氷・冷凍業界の発展に貢献。画像は多磨霊園にて撮影。

喜多村緑郎。1871年9月7日 - 1961年5月16日、女形俳優。
東京市日本橋区橘町の薬種問屋に生まれた。本名は六郎。伊井蓉峰、河合武雄とともに、「新派の三頭目」と呼ばれた。ほとんどが女役ばかりを演じた。人間国宝に認定され、文化功労者に選ばれた。家紋は笹竜胆紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。

横瀬夜雨。1878年1月1日 - 1934年2月14日、詩人、歌人。
茨城県真壁郡横根村出身。本名は虎寿(とらじゅ)。『文庫』に民謡調の詩を発表し、詩集『花守』を刊行して浪漫的な色彩で人気を博した。筑波嶺詩人と呼ばれた。代表作は『お才』。家紋の情報は、文学者掃苔録図書館より。家紋笹竜胆紋。

石川啄木。1886年2月20日 - 1912年4月13日、詩人。
岩手県南岩手郡に寺の住職・石川一禎の長男として出生。本名は、石川一。「東海の小島の磯の白砂に われ泣き濡れて蟹と戯むる」など有名詩を残す。代表作は小説『我等の一団と彼』、詩集『一握の砂』。家紋は丸に笹竜胆紋。石川啄木記念館にて確認。

多田北烏。1889年 - 1948年1月1日、挿絵画家。
長野県松本市に生まれる。本名は嘉寿計。長年にわたって、キリンビールのポスターを手がける。日本のデザインスタジオの草分け的な存在である「サン・スタジオ」を設立。家紋は中陰笹竜胆紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。

宇野浩二。1891年7月26日 - 1961年9月21日、小説家・作家。
福岡県福岡市南湊町に出生。本名は宇野格次郎。『苦の世界』を発表し新進作家として文壇で認められる。「文学の鬼」と呼ばれた。代表作は『苦の世界』『子を貸し屋』『枯木のある風景』。家紋は竜胆車。画像は台東区の広大寺にて撮影。

山崎保代。1891年10月17日 - 1943年5月29日、陸軍軍人。
山梨県南都留郡禾生村出身。僧侶・山崎玄洞の二男として生れる。読みは、やまざきやすよ。大東亜戦争中に、アッツ島の戦いを指揮し17日間の激しい抗戦の後、戦死した。最終階級は陸軍中将。家紋は笹竜胆紋。画像は多磨霊園にて撮影。

石川欣一。1895年3月17日 - 1959年8月4日、ジャーナリスト。
東京出身。父は動物学者の石川千代松。母・貞は法学者・箕作麟祥の娘。妻・江は東山千栄子の妹。大阪毎日新聞社、東京日日新聞社などで記者をする傍らで、文筆業を行う。著作には『旅から旅へ』『たばこ談義』がある。画像は谷中霊園にて撮影。

アダチ龍光。1896年7月20日 - 1982年10月13日、奇術師。
越後の禅寺の息子に生まれる。本名は中川一。落語協会に所属し、上品な語り口でマジックを披露して人気を博した。日本奇術協会会長を務める。昭和天皇の古希のお祝いに皇居で奇術を披露している。家紋は笹竜胆紋。

中井英夫。1922年9月17日 - 1993年12月10日、小説家、詩人。
東京市滝野川区出身。代表作の長編小説『虚無への供物』は夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』とともに日本推理小説の三大奇書に数えられる。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。家紋は笹竜胆紋。

立原正秋。1926年1月6日 - 1980年8月12日、小説家・随筆家。
朝鮮慶尚北道安東郡生れ。本名は金胤奎、キム・ユンキュ。「薪能」「剣ヶ崎」が芥川賞、「漆の花」が直木賞候補となる。代表作は『冬の旅』『秘すれば花』『日本の庭』など。家紋は尻合わせ三つ笹竜胆紋。画像は鎌倉・瑞泉寺にて撮影。

石川力夫。1926年 - 1956年2月2日、ヤクザ。
茨城県出身。親分の家に殴り込み日本刀で斬りつけた。ヤクザの憲法である「仁義」に背いた反逆者として斯界の伝説となる。刑務所の屋上から飛び降り自殺。死後に「仁義の墓場」というタイトルで映画化された。家紋は笹竜胆。石川姓の代表紋である。

久我美子。1931年1月21日 - 、女優。
村上源氏の流れを汲む華族の家柄で、清華家の家格を有した公家家系。父・久我通顕は侯爵として貴族院議員や東京府知事を務めた。代表出演作『醉いどれ天使』『彼岸花』『太陽とバラ』『3時のあなた』の司会者を務める。家紋は五つ竜胆車紋。

長門勇。1932年1月1日 - 、俳優。
岡山県倉敷市出身。本名は平賀湧。のほほんとした親しみやすいキャラクターが印象的な名優。金田一耕助シリーズに多数出演。代表作『てなもんや三度笠』『三匹の侍』等。家紋は丸に剣片喰と笹竜胆。画像は春秋苑の生前墓にて撮影。

生島ヒロシ。1950年12月24日 - 、アナウンサー、タレント。
出身は宮城県気仙沼市。TBSにアナウンサーとして入社。『生島ヒロシのおはよう一直線』等の番組を持つ。福祉への造詣も深く義母の介護体験から『おばあちゃま、壊れちゃったの?』を出版。家紋は笹竜胆紋。梅窓院の生島家墓所にて撮影。

いしかわじゅん。1951年2月15日 - 、漫画家。
愛知県豊田市出身。本名は石川潤。ギャグ漫画をはじめ、漫画およびプロレス評論、エッセイ、小説など、手広く発表する。代表作は『フロムK』『漫画の時間』『だってサルなんだもん』など。家紋は笹竜胆紋であるとツイッター上で告白した。

見沢知廉。1959年8月23日 - 2005年9月7日、活動家、作家。
東京都文京区生まれ。本名は高橋哲夫。旧姓、平井。三島事件に感銘を受けた事を機に日本学生同盟に加入。日本IBM、英国大使館等への火炎ゲリラ活動等の事件を起こし逮捕。代表作は獄中で執筆した『天皇ごっこ』『囚人狂時代』等。

雅山哲士。1977年7月28日 - 、現役大相撲力士。
実家は茨城交通グループのオーナー一族。本名は竹内雅人。武双山の父に指導を受け強くなった。藤島部屋(入門時は武蔵川部屋)所属。初土俵から4場所連続優勝という記録を作る。最高位は西大関(2000年7月場所)。家紋は笹竜胆。

鹿賀りん。2005年8月10日 - 、「うさぎドロップ」登場人物。
鹿賀宋一と吉井正子の娘、河地大吉の血縁関係上の叔母。苗字は祖父と同じ鹿賀。名前の「りん」は宋一が好きだった竜胆から取られた。宋一の葬式の後に大吉と一緒に暮らすようになる。家紋は丸に笹竜胆。宋一の葬儀のときの提灯より判断。
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[26 1 月 2009 | No Comment | | ]
杏葉紋 -九州武将あこがれ、異国の馬具を模した紋- 大友宗麟、五代友厚、徳田秋声...

杏葉とは馬具の装飾品。
法然上人の生家の漆間家がこの杏葉紋のため、浄土宗系の寺院の寺紋となっている場合がある。
例えば、伊能忠敬が眠る上野の源空寺、喜多川歌麿が眠る北烏山の専光寺など。画像は、専光寺の杏葉紋。
この紋は、室町時代、九州の大友氏と有力家臣が使用していた。1570年、竜造寺隆信が大友宗麟を戦で破り、その紋を奪った。
さらに、その竜造寺家から、重臣の鍋島家がこの紋を奪った。
それほど、九州地方では憧れの紋だったのである。
したがって、この紋を持つ人は現在でも九州地方の多い。
佐賀県の19位が最高。福岡県、大分県で21位、長崎県で23位、熊本県で25位。九州以外では、広島県で28位。
杏葉紋を使用している有名人は以下。
立花道雪。1513年4月22日 - 1585年11月2日、武将。
豊後の戦国大名である大友氏の家臣。耳川の戦いで大友氏が衰退した後も大友氏を支え続けたが、高齢を押して出陣したために病に倒れ死去した。半身不随にも関わらず、勝利し続けたため「鬼道雪」「雷神」と称された。 家紋は花杏葉。

龍造寺隆信。1529年3月24日 - 1584年5月4日、大名。
龍造寺家兼の孫に当たる龍造寺周家の長男。本姓は藤原氏。「肥前の熊」ともいわれた。大友氏を破り島津氏と並ぶ勢力を築き上げたが島津・有馬氏の連合軍との戦いで敗死した。家紋は日足(左)、剣花菱(中央)、杏葉(右)。

大友宗麟。1530年1月31日 - 1587年6月11日、戦国大名。
大友氏は鎌倉時代から南北朝時代にかけて九州で権勢を振るう。宗麟の時代に大内氏や毛利氏の勢力が錯綜する戦国の北九州東部を平定した。当初は禅宗に帰依していたが後にキリスト教への関心を強め、ついに自ら洗礼を受けた。家紋は花杏葉。

鍋島直正。1815年1月16日 - 1871年3月8日、大名。
父の隠居の後を受け17歳で第10代藩主に襲封。藩校弘道館を拡充し優秀な人材を育成し登用するなどの教育改革を行う。アームストロング砲など最新式の西洋式大砲や鉄砲の自藩製造に成功した。家紋は鍋島杏葉。青山墓地の鍋島氏の墓所にて撮影。

五代友厚。1836年2月12日 - 1885年9月25日、薩摩藩士、実業家。
記録奉行の五代直左衛門秀尭の息子。大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)、共同運輸会社、阪堺鉄道(現・南海電鉄)等の創設に関わる。家紋は丸に組み違い十字久留子紋と抱き杏葉紋。画像は青山霊園にて撮影。

高崎正風。1836年9月8日 - 1912年2月28日、志士、歌人。
薩摩国川上出身。薩摩藩士高崎五郎右衛門温恭の長男。志士として活躍。八月十八日の政変、薩会同盟の立役者となる。新政府に出仕。宮中の侍従番長、翌年から御歌掛などをつとめる。家紋は抱き花杏葉紋。青山霊園の墓所にて撮影。

小室信介。1852年9月4日 - 1885年8月25日、民権運動家。
砲術家・小笠原忠四郎の第二子。豪商小室信夫の養子となる。養父・小室信夫は民撰議院設立建白書に板垣退助ら4人の旧参議と共に署名した一人、自身も関西における自由民権運動の雄となった。家紋は抱き花杏葉紋。画像は天王寺墓地にて撮影。

立花小一郎。1861年3月20日 - 1929年2月15日、陸軍人、政治家。
三池藩家老・立花硯の長男として生れる。朝鮮駐剳軍参謀長、朝鮮総督府警務総長、関東軍司令官等を歴任。最終階級は陸軍大将。その後は、福岡市長、貴族院議員を務めた。家紋は立花変り杏葉紋。画像は多磨霊園にて撮影。

大橋新太郎。1863年 - 1944年5月5日、出版業者、政治家。
越後国長岡出身。博文館創業者大橋佐平の三男。父没後、博文館館主となり、博文館印刷所(現在の共同印刷)、日本書籍株式会社を設立。衆議院議員・貴族院議員もつとめる。家紋は杏葉菊菱紋。画像は護国寺の墓所にて撮影。

尾上梅幸(6代)。1870年11月8日 - 1934年11月8日、役者。
尾張国名古屋出身。父は尾上朝次郎本名は寺島榮之助。屋号は音羽屋。昭和初期を代表する名女形役者。十五代目市村羽左衛門の名相方とうたわれ墓も隣にある。役者としての家紋は重ね扇に抱き柏だが、雑司が谷墓地の墓所の家紋は杏葉菊紋。

徳田秋声。1872年2月1日 - 1943年11月18日、小説家。
金沢市横山町に加賀藩の陪臣横山雲平の子として生まれる。 本名は末雄。島崎藤村・正宗白鳥らと共に日本ペンクラブの設立にも参加。代表作は『薮かうじ』 『感傷的の事』『光を追うて』など。家紋は抱き花杏葉紋。画像は小平霊園の墓所にて撮影。

秦勉造。1877年 - 1943年7月15日、実業家、医学博士。
東京出身。東京帝国大学医科大学卒業。札幌病院外科医長となる。北海道帝国大学医学部創設とともに同大学医学部教授、初代医学部長となり北海道外科学の進歩に貢献。東京同愛記念病院の開設に尽力。画像は多磨霊園にて撮影。家紋は抱き杏葉紋。

若山牧水。1885年8月24日 - 1928年9月17日、歌人。
宮崎県東臼杵郡東郷村の医師・若山立蔵の長男として生まれる。自然への愛、情熱的な恋、大の酒好きなどでも知られている。代表歌集は『海の声』『独り歌へる』『別離』等。家紋は杏葉牡丹。牡丹が杏葉の形状になって表現されている。

石井ふく子。1926年9月1日 - 、テレビプロデューサー。
東京都出身。父(養父)は劇団新派の俳優・伊志井寛。TBSのプロデューサーとして「肝っ玉かあさん」「ありがとう」「女と味噌汁」「おんなの家」「渡る世間は鬼ばかり」等を手がける。家紋は菊杏葉紋。谷中・瑞輪寺の伊志井寛の墓にて撮影。

花川戸助六。江戸時代、歌舞伎の演目「助六」主人公の侠客。
「助六」は、江戸の古典歌舞伎を代表する演目の一つ。粋を具現化した洗練された江戸文化の極致として後々まで日本文化に決定的な影響を与えた。歌舞伎宗家市川團十郎家のお家芸である歌舞伎十八番の一つ。家紋の杏葉牡丹は元々市川團十郎の替紋。
まさむね

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[26 1 月 2009 | Comments Off | | ]
蛇の目紋 -神秘的なヘビ信仰を現代に伝える- 加藤清正、加藤友三郎、加藤楸邨...

蛇の目に似ているため、蛇の目紋と呼ばれる。
おそらく、古来、蛇の神秘的な姿や動きに聖なるものを感じた日本人がその神秘的な力にあやかろうと家紋にしたのであろう。シンプルなデザインに力強さを感じさせる。
戦国、安土桃山時代の武将・加藤清正が替紋にこの「蛇の目紋」を使った。
彼の長烏帽子についていた蛇の目は有名。
蛇の目紋を使用している有名人は以下。
佐久間信盛。1528年 - 1582年2月18日、武将、織田信長の家臣。
尾張国に生まれ、織田信秀に仕える。六角氏との戦い、一向宗との戦い、比叡山焼き討ちで武功を上げる。信長から19ヶ条にわたる折檻状を突きつけられ、信盛は嫡男・佐久間信栄と共に高野山に追放された。家紋は蛇の目九曜、三つ引両。

加藤清正。1562年 - 1611年、武将・大名。
尾張国愛知郡中村に鍛冶屋の子として出生。豊臣秀吉の家臣として仕え各地を転戦し、秀吉の死後も豊臣家に忠義を尽くした。関が原戦いでは東軍につき活躍。戦後、肥後一国を与えられた。家紋は桔梗と蛇の目を使用。写真は供養塔(本門寺)で撮影。

篠原国幹。1837年1月11日 - 1877年3月4日、武士・軍人。
薩摩国鹿児島城下平之馬場町で篠原善兵衛の子として生まれる。戊辰戦争のとき、薩摩藩の城下三番小隊の隊長となって鳥羽伏見の戦いに参戦。西郷が下野すると近衛長官の職をなげうって鹿児島へ帰り、西南戦争に参戦、戦死。家紋は丸に蛇の目紋。

平岡浩太郎。1851年7月21日 - 1906年10月24日、運動家。
福岡藩士平岡仁三郎の次男として福岡市地行に生まれる。幼名は銕太郎。戊辰戦争で官軍側として活躍。維新後、自由民権運動に参加。玄洋社の初代社長に就任。日本に亡命した孫文に活動費、生活費を援助する。家紋は蛇の目紋。墓所は福岡市の聖福寺。

加藤友三郎。1861年4月1日 - 1923年8月24日、海軍人、政治家。
広島市大手町出身。広島藩士・加藤七郎兵衛の三男。最終階級は元帥海軍大将。ワシントン会議には日本首席全権委員として出席。第21代内閣総理大臣時代にはシベリア撤兵・軍縮の実施などの重要な課題を遂行。画像は青山霊園にて撮影。

川島義之。1878年5月25日 - 1945年9月8日、陸軍軍人。
愛媛県出身。松山中学時代は夏目漱石の教え子だったという。教育総監部本部長、朝鮮軍司令官、軍事参議官を歴任。岡田内閣で陸軍大臣に就任したが二・二六事件の処理に失敗。最終階級は陸軍大将。画像は青山霊園の墓所。

砂田重政。1884年9月15日 - 1957年12月27日、政治家。
愛媛県生まれ。1920年に立憲国民党から衆議院議員に初当選。第2次鳩山内閣にて防衛庁長官として入閣。保守合同後は自由民主党で総務会長を務める。千鳥ケ淵戦没者墓苑の建設に熱心に取り組んだ。家紋は桔梗紋と蛇の目紋。画像は小平霊園にて撮影。

加藤楸邨。1905年5月26日 - 1993年7月3日、俳人、国文学者。
東京市北千束に生まれる。父が鉄道官吏。俳誌『寒雷』を創刊し主宰。そこから金子兜太、森澄雄を輩出。句集『まぼろしの鹿』で第二回蛇笏賞を受賞。紫綬褒章、勲三等瑞宝章を叙勲。日本芸術院会員。家紋は陰蛇の目紋。画像は九品仏浄真寺にて撮影。

山川方夫。1930年2月25日 - 1965年2月20日、作家。
東京市下谷区上野桜木町に日本画家山川秀峰の長男として出生。本名は山川嘉巳。第3次『三田文学』を創刊。新人発掘に力を注ぎ曾野綾子、江藤淳などを発掘。代表作は『演技の果て』『海の告発』。家紋は蛇の目に桔梗紋。画像は妙覚寺にて撮影。
まさむね

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[26 1 月 2009 | 2 Comments | | ]
久留子紋 -隠れキリシタンがつけた悲しい紋- 小西行長、中島敦、寺山修司...

キリシタン禁止後、信者は、この紋を使用して十字架をカモフラージュしたといわれている。
そこまでして信仰を守ろうとした人々の気持ちを考えると、その意志の強さと同時に悲しさも感じさせる。
尚、このページには丸に十字紋(轡紋)の使用者も、久留子紋と同様に、十字を描いているという意味で含ませております。
使用する有名人は以下。
小西行長。1555年 - 1600年11月6日、武将、大名。
堺の薬を主に扱う商人である小西隆佐の次男として京都に出生。12才から秀吉に仕え数々の手柄を上げ南肥後の20万石を与えられた。朝鮮出兵時、加藤清正と先陣を争ったことでも有名。関ヶ原の戦いで西軍の将として敗北。家紋は花久留子と中結祇園守。

高山彦九郎。1747年6月15日 - 1793年8月4日、尊皇思想家。
上野国新田郡細谷村の郷士高山良左衛門の二男として生まれ。先祖は平姓秩父氏族である高山氏出身とされている。勤皇の志を持ち、各地を遊歴して勤皇論を説く。家紋は京都三条大橋にある皇居望拝姿の台座の丸に十字と鶴の丸。

島津斉彬。1809年 - 1858年7月16日、島津氏の第28代当主。
薩摩藩の富国強兵に成功した幕末の名君の一人。後に西郷隆盛ら幕末で活躍する人材も育て上げた。日本の国旗である日章旗を初めに提案した。丸に十字は薩摩・島津家家紋として有名。画像は護国寺の島津家の墓。

陣幕久五郎。1829年6月4日 - 1903年10月21日、第12代横綱。
出雲国意宇郡出身。徳島藩の抱え力士として出発したが途中で松江藩の抱え力士となり1864年10月以降は薩摩藩の抱え力士となった。通算成績は幕内19場所87勝5敗17分3預65休、勝率.946。優勝相当成績5回。家紋の丸に十字は薩摩藩のお抱え力士ゆえか。

五代友厚。1836年2月12日 - 1885年9月25日、薩摩藩士、実業家。
記録奉行の五代直左衛門秀尭の子として生まれる。大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)、共同運輸会社、阪堺鉄道(現・南海電気鉄道)などの創設に関わる。家紋は丸に組み違い十字久留子紋と抱き杏葉紋。

田中芳男。1838年9月27日 - 1916年6月22日、博物学、園芸学者。
飯田中荒町(長野県飯田市中央通り)に生まれる。パリで行われた第4回万国博覧会、ウィーン万国博覧会に責任者として派遣される。「博物館」という名称を生み出し、殖産興業の指導に尽力。家紋は丸に十字紋。画像は谷中霊園にて撮影。

島津源蔵。1839年6月25日 - 1894年12月8日、実業家、発明家。
京都の醒ヶ井魚棚で仏具の製造をしていた島津清兵衛の次男。1875年に教育用理化学機器の製造を始め島津製作所を創業。家紋の丸に十字は先祖の井上惣兵衛尉茂一が島津義弘から「島津」の姓とともに与えられたという。画像は島津製作所社章より。

村橋久成。1840年 - 1892年10月、実業家。
薩摩藩主島津家一門、加治木島津家の分家に生まれる。北海道開拓使に採用され麦酒醸造所建設の責任者となる。現在のサッポロビール生みの親として語り継がれる。家紋は丸に十字紋。青山霊園の墓所にて撮影。

伊庭八郎。1844年 - 1869年6月26日、幕臣。
伊庭軍兵衛秀業の長男として江戸に生まれる。読みは、いばはちろう。遊撃隊員(後に隊長)となり鳥羽・伏見の戦いに参戦。遊撃隊隊長となる。隻腕ながらも幕軍を率いて徹底抗戦を続けるが、五稜郭開城の前夜に自決。家紋は丸に枷木久留子紋。

伊集院五郎。1852年9月27日 - 1921年1月13日、海軍軍人。
薩摩藩士の子として生まれ、西南戦争に参軍。伊集院信管を開発し、バルチック艦隊を撃破する大きな要因となった。に軍令部長兼将官会議議員、海軍大将、元帥を歴任。家紋は丸に花角久留子紋。青山霊園の墓所にて撮影。

小田川全之。1861年 - 1933年6月29日、土木事業家。
江戸小石川出身。旧幕臣小田川彦一の長男。読みは、おだがわまさゆき。足尾鉄道株式会社を創立し国有鉄道になるまで取締役社長として活躍。鉱業発達史上に重大な役割を演じた。安全第一の先駆者。家紋は丸に十字紋。画像は多磨霊園にて撮影。

徳田真寿。1867年6月17日 - 1944年、古銭・切手収集家。
肥前国松浦郡江迎に生まれる。「天下の奇人」。自称も「頓痴奇屋主人」。紋付きの洋服に袴ばき、シルクハットと特大の懐中時計を携行という特異な姿で、鉄道の運賃始め旅先ではすべて一銭銅貨で支払ったという。家紋は丸に十字紋。

中村是公。1867年12月18日 - 1927年3月1日、実業家・政治家。
安芸国佐伯郡に酒造業・柴野宗八の五男として出生。読みは、なかむらよしこと。南満州鉄道株式会社総裁、鉄道院総裁、東京市長、貴族院議員などを歴任。夏目漱石の親友。家紋は丸に十字紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。

島津保次郎。1897年6月3日 - 1945年9月18日、映画監督。
東京神田区駿河台に老舗海産物商の息子として生まれる。多くの作品で庶民生活を生き生きと活写し、「メロドラマ」の名手として知られる。代表作は『兄とその妹』『麗人』『嫁ぐ日まで』等。家紋は丸に十の字。島津家の代表紋である。

迫水久常。1902年8月5日 - 1977年7月25日、官僚、政治家。
東京府出身。大蔵省入省。二・二六事件の際、岡田首相を救済。また、鈴木貫太郎内閣時の内閣書記官長として終戦工作に携わる。政治家としては経企庁長官、郵政大臣等を歴任。家紋は丸に丸に花付十字紋と輪違いに水紋。多磨霊園の墓所にて撮影。

中島敦。1909年5月5日 - 1942年12月4日、小説家。
中島家は代々、日本橋新乗物町で駕籠を製造販売する商家だったが祖父・中島撫山は商家から漢学者となり、父・中島田人は旧制中学の漢文の教員となる。代表作は『山月記』『文字禍』『李陵』。家紋は花久留子菱紋。画像は多磨霊園にて撮影。

石井好子。1922年8月4日 - 2010年7月17日、シャンソン歌手。
東京都出身。日本シャンソン界の草分け。日本シャンソン協会を設立し会長に就任。「料理の鉄人」にはたびたび審査員として出演。代表著作は「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」。家紋は雪輪に丸に?久留子紋。青山霊園にて撮影。

田英夫。1923年6月9日 - 2009年11月13日、政治家。
東京都出身。貴族院議員・田健治郎の孫。『JNNニュースコープ』の初代メインキャスターとなる。参議院議員として日本社会党、社会民主連合、新党護憲リベラル、平和・市民、社会民主党と所属政党を移した。画像は多磨霊園の田家の墓所にて撮影。

寺山修司。1935年12月10日 - 1983年5月4日、歌人、演出家。
青森県弘前市紺屋町生まれ。本籍地は青森県上北郡六戸村。先祖は薩摩藩家老。メディアの寵児的存在で各方面に膨大な作品を残した。代表映画「書を捨てよ町へ出よう」「田園に死す」など。家紋の丸に十字紋は寺山修司記念館にて確認。

田宮高麿。1943年1月29日 - 1995年11月30日、活動家。
岩手県出身。赤軍派軍事委員会議長。よど号グループのリーダー。ハイジャック事件では実行の首謀者。長男・森大志は三鷹市議会議員選挙に市民の党から立候補したが落選。墓所は田宮家の菩提寺である新潟県新発田市の瑞雲寺。家紋は丸に十字紋。

田辺誠一。1969年4月3日 - 、俳優。
東京都出身。代表出演作「らせん」「フードファイト」等。2011/1/17のTwitterで自身がアフレコした「ケロロ軍曹」のキャラ(ナベベ)に対して「これが『ナベベ』でありますっ!田の字の家紋であります!」と発言したことより暫定的に丸に十字紋と判断。

眠狂四郎。江戸時代、剣客。
柴田錬三郎の小説に登場する剣客。転びバテレンと日本人の混血という出自を持ち、平然と人を斬り捨てる残虐性を持ち、「円月殺法」という剣術を用いて活躍。映画では、鶴田浩二、市川雷蔵、松方弘樹等が演じている。家紋は角花久留子紋。
まさむね