葵紋 -徳川家の紋としてあまりにも有名- 徳川家康、山南敬助、北大路魯山人...

平安時代、7月7日に宮中で行われた相撲会の際、東方から登場する力士は葵の葉を、西方から登場する力士は夕顔の花を髪飾りにして入場した。
そこから「花道」という言葉が出来たという。

葵紋といえば、徳川家の家紋として有名。
しかし、葵紋は賀茂神社の神紋(二葉葵)であるため、徳川家はもともと、賀茂一族の出ではないかと言われている。

また、善光寺の寺紋(立葵)でもある。

有名使用者は以下。


本多重次 。1529年 – 1596年8月9日、 戦国武将。徳川氏の家臣。
勇猛果敢で剛毅な性格に由来する「鬼作左」の通称で知られた。三河一向一揆鎮圧戦などで大いに活躍し戦功を挙げた。「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という日本一短い手紙の作者としても有名。家紋は丸に立ち葵。画像は向丘高林寺にて撮影。


本多正信 。1538年 – 1616年7月20日、 武将・大名。
三河出身。徳川家康の重臣で、江戸幕府の老中。家康が抱える鷹匠から身を興し、2代将軍秀忠の最側近として幕政の中枢にあり絶大な権勢を振るった。相模国玉縄藩主。正信系本多家宗家初代。家紋の丸に立ち葵は一乗寺にある子・正純の墓所にて撮影。


徳川家康 。1543年1月31日 – 1616年6月1日、 武将・大名。
本姓は先に藤原氏、次いで源氏を称した。家系は三河国の国人土豪・松平氏。後に、徳川氏に改姓。江戸幕府の初代征夷大将軍。織田信長豊臣秀吉と並ぶ三英傑の一人。家紋は三つ葉葵紋。画像は、陣羽織に描かれた三つ葉葵紋。


本多忠勝 。1548年 – 1610年12月3日、 武将・大名。
徳川本家の最古参の安祥譜代の本多氏で本多忠高の長男。本姓は藤原氏。家康の家臣として数々の武功を上げる。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられた。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。家紋は立葵(左)と丸に本の字。


徳川忠長 。1606年 – 1634年1月5日、 駿府藩主、甲府藩主。
江戸幕府・二代将軍・秀忠の次男として江戸城にて出生。母は浅井長政の娘で正室の江。晩年は領地を没収され、逼塞先の高崎で自害。高崎市大信寺の忠長の墓所には裏葵(画像)が彫られている。顔画像は大河ドラマ「江」における幼少時の忠長(国松)。


賀茂真淵 。1697年4月24日 – 1769年11月27日、 国学者、歌人。
浜松の神官・岡部政信の三男。賀茂神社神官の末流。荷田春満本居宣長平田篤胤とともに「国学の四大人」の一人とされる。万葉集などの古典研究を通じて古代日本人の精神を研究した。主著『歌意考』『万葉考』『国意考』。家紋は二葉葵。


松平不昧 。1751年3月11日 – 1818年5月28日、 松江藩藩主。
直政系越前松平家・宗家7代。茶人としての才能は超一流で収集した茶器の銘品・銘菓は不昧公御好みとして現在にも伝えられている一方で、家老・朝日茂保の藩政改革によって潤った藩財政を茶道具道楽で潰したとも言われている。画像は護国寺にて撮影。


山南敬助 。1833年 – 1865年3月20日、 新選組総長(副長)。
仙台藩出身。姓は藤原氏。小野派一刀流免許皆伝、後に北辰一刀流・千葉周作門人となる。後に浪士組に参加、副長に就任するが脱退、切腹。介錯は沖田総司が務めた。家紋は丸に右離れ三つ葉立ち葵。画像は大河ドラマ「新選組」の山南敬助(堺雅人)。


徳川慶喜 。1837年10月28日 – 1913年11月22日、 江戸幕府将軍。
江戸・小石川の水戸藩邸にて第9代藩主・徳川斉昭の七男として出生。大政奉還や新政府軍への江戸城無血開城を行なった江戸幕府最後(15代)の将軍。明治になってからは趣味に没頭した生活を送った。写真は谷中霊園の慶喜墓の門にある三つ葉葵紋。


本多庸一 。1849年1月7日 – 1912年3月26日、 教育者、宗教家。
青森県弘前市出身。読みは、ほんだよういつ。弘前藩士・本多八郎の長男。新島襄内村鑑三新渡戸稲造と並ぶ明治期日本におけるキリスト教主義教育の先駆者。青山学院の第2代院長。家紋は丸に立ち葵紋。画像は六本木墓苑の飯山藩主本多家の紋。


林権助 。1860年3月23日 – 1939年6月27日、 外交官。
会津藩出身。会津藩大砲隊長として著名な林権助安定は祖父。会津戦争では幼いながらも若松城に籠城して官軍と戦う。維新後は外交官となり特に日韓併合の実現に尽力。退職後は宮内省御用掛となる。家紋は蔓四つ葵に花菱紋。画像は青山霊園にて撮影。


本多静六 。1866年8月11日 – 1952年1月29日、 造園家、林学博士。
武蔵国埼玉郡河原井村出身。読みは、ほんだせいろく。神武天皇祭の4月3日の「植栽日」を提唱。現在の全国植樹祭となる。後藤新平内務大臣より依頼されて、関東大震災からの復興の原案を作成。家紋は丸に立ち葵紋。画像は青山霊園にて撮影。


浦風林右衛門(9代) 。1868年1日8日 – 1917年5月17日、 力士。
石川県小松出身。本名は本多与志松。読みは、うらかぜりんえもん。八角右衛門部屋に入門。小松山与志松を名乗る。最高位は前頭筆頭。全盛期には横綱小錦を破った。引退後、9代目浦風林右衛門を襲名。家紋は蔓三つ葵の丸紋。画像は谷中霊園にて撮影。


本多光太郎 。1870年3月24日 – 1954年2月12日、 金属工学者。
愛知県碧海郡出身。読みは、ほんだこうたろう。鉄鋼の世界的権威者。磁性鋼であるKS鋼、新KS鋼の発明者として知られ、「鉄の神様」「鉄鋼の父」などとも呼ばれた。日本人初のノーベル物理学賞の候補に挙がる。家紋の丸に立ち葵紋は、春秋苑の墓所にて撮影。


今村明恒 。1870年6月14日 – 1948年1月1日、 地震学者。
鹿児島県鹿児島市出身。薩摩藩士・今村明清の三男。1905年に、地震学者として今後50年以内に東京での大地震が発生することを警告した。また、今村式強震計を開発、「地震の神様」と称された。家紋は三つ葉葵紋。画像は多磨霊園にて撮影。


小倉正恒 。1875年3月22日 -1961年11月20日、 実業家、政治家。
石川県金沢市出身。旧金沢藩士・裁判官の小倉正路の長男。読みは、おぐらまさつね。住友財閥総帥として住友の企業経営を徹底して合理化する。この間、貴族院議員として国務大臣、大蔵大臣も務める。家紋は丁子三つ葵紋。画像は青山霊園にて撮影。


北大路魯山人 。1883年3月23日 – 1959年12月21日、 芸術家。
京都府京都市上賀茂出身。本名は房次郎。上賀茂神社の社家・北大路清操、とめの次男として生まれる。篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家など多方面で活躍。家紋は丸に六つ葵紋。画像は京都・西方寺にて撮影。


本田宗一郎 。1906年11月17日 – 1991年8月5日、 実業家。
静岡県磐田郡光明村出身。鍛冶屋をしていた本田儀平の子として出生。浜松市に本田技研工業株式会社(ホンダ)を設立し、世界的な大企業に育て上げる。正三位勲一等旭日大綬章受勲。家紋は丸に立ち葵紋。画像は冨士霊園の墓所にて撮影。


松平勇雄 。1907年6月14日 – 2006年4月1日、 政治家。
福島県大沼郡会津高田町出身。伊佐須美神社宮司・松平健雄(松平容保の次男)の次男。参議院議員を4期23年間、福島県知事も3期12年務めた。文化施設を設置し文化の知事と呼ばれた。家紋は河骨紋似の会津三つ葵紋。画像は多磨霊園にて撮影。


本多猪四郎 。1911年5月7日 – 1993年2月28日、 映画監督。
山形県東田川郡朝日村出身。読みは、ほんだいしろう。東宝に入社し、特撮映画以外に一般映画も数多く手がけた。代表作は『ゴジラ』『宇宙大戦争』『モスラ』など。家紋は丸に立ち葵紋。画像は多磨霊園の本多家の墓所にて撮影。


松平康隆 。1930年1月22日 – 2011年12月31日、 バレー監督。
東京市荏原区出身。読みは、まつだいらやすたか。旧加賀藩士で家老職を務めた松平大弐家の血を引く家系という。全日本男子代表監督として、メキシコ五輪で銀メダル、ミュンヘン五輪で金メダルへと導く。家紋は三葉葵紋。画像は多磨霊園にて撮影。


木原光知子 。1948年4月5日 – 2007年10月18日、 元水泳選手。
兵庫県明石市出身。岡山県岡山市で育つ。東京オリンピックに出場し「ミミ」の愛称で一躍アイドル選手となり、テレビ等に多数出演。実業家としては「ミミスイミングクラブ」を創立、日本水泳連盟理事も務める。家紋は丸に三葉葵紋。墓所にて確認。


西城秀樹 。1955年4月13日 -、 歌手、俳優。
広島県広島市出身。本名は木本龍雄。「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入りとなり、郷ひろみ野口五郎と共に新御三家と呼ばれる。家紋の蔓三つ葵紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


川勝正幸 。1956年11月21日 – 2012年1月31日、 ライター。
福岡県福岡市出身。音楽や映画などサブカルチャーを守備範囲とする日本のライター。自称「ポップ中毒者」。「ウディ川勝」「ウッディ川勝」という名義も使用。「ナゴムレコード」の創立を援助。家紋の尻合わせ三つ葵紋はふじみ野霊園の墓所にて撮影。


志村けんのバカ殿様 。江戸時代、 バラエティ番組のキャラクタ。
ドリフターズの志村けんが扮する。モデルは江戸幕府第9代将軍家重。幼名は竹千代。志村城の城主、志村藩(親藩)12万石の領主。コントでは「丸に三つ葵」が城内に見られる。家老格の桑野信義は丸に橘紋、側用人のダチョウ倶楽部は巴紋を使用。

有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね

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