杏葉紋 -九州武将あこがれ、異国の馬具を模した紋- 大友宗麟、五代友厚、徳田秋声...
26 1 月 2009
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杏葉とは馬具の装飾品。
法然上人の生家の漆間家がこの杏葉紋のため、浄土宗系の寺院の寺紋となっている場合がある。
例えば、伊能忠敬が眠る上野の源空寺、喜多川歌麿が眠る北烏山の専光寺など。画像は、専光寺の杏葉紋。
この紋は、室町時代、九州の大友氏と有力家臣が使用していた。1570年、竜造寺隆信が大友宗麟を戦で破り、その紋を奪った。
さらに、その竜造寺家から、重臣の鍋島家がこの紋を奪った。
それほど、九州地方では憧れの紋だったのである。
したがって、この紋を持つ人は現在でも九州地方の多い。
佐賀県の19位が最高。福岡県、大分県で21位、長崎県で23位、熊本県で25位。九州以外では、広島県で28位。
杏葉紋を使用している有名人は以下。

立花道雪。1513年4月22日 - 1585年11月2日、武将。
豊後の戦国大名である大友氏の家臣。耳川の戦いで大友氏が衰退した後も大友氏を支え続けたが、高齢を押して出陣したために病に倒れ死去した。半身不随にも関わらず、勝利し続けたため「鬼道雪」「雷神」と称された。 家紋は花杏葉。

龍造寺隆信。1529年3月24日 - 1584年5月4日、大名。龍造寺家兼の孫に当たる龍造寺周家の長男。本姓は藤原氏。「肥前の熊」ともいわれた。大友氏を破り島津氏と並ぶ勢力を築き上げたが島津・有馬氏の連合軍との戦いで敗死した。家紋は日足(左)、剣花菱(中央)、杏葉(右)。

大友宗麟。1530年1月31日 - 1587年6月11日、戦国大名。大友氏は鎌倉時代から南北朝時代にかけて九州で権勢を振るう。宗麟の時代に大内氏や毛利氏の勢力が錯綜する戦国の北九州東部を平定した。当初は禅宗に帰依していたが後にキリスト教への関心を強め、ついに自ら洗礼を受けた。家紋は花杏葉。

鍋島直正。1815年1月16日 - 1871年3月8日、大名。父の隠居の後を受け17歳で第10代藩主に襲封。藩校弘道館を拡充し優秀な人材を育成し登用するなどの教育改革を行う。アームストロング砲など最新式の西洋式大砲や鉄砲の自藩製造に成功した。家紋は鍋島杏葉。青山墓地の鍋島氏の墓所にて撮影。

五代友厚。1836年2月12日 - 1885年9月25日、薩摩藩士、実業家。記録奉行の五代直左衛門秀尭の息子。大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)、共同運輸会社、阪堺鉄道(現・南海電鉄)等の創設に関わる。家紋は丸に組み違い十字久留子紋と抱き杏葉紋。画像は青山霊園にて撮影。

高崎正風。1836年9月8日 - 1912年2月28日、志士、歌人。薩摩国川上出身。薩摩藩士高崎五郎右衛門温恭の長男。志士として活躍。八月十八日の政変、薩会同盟の立役者となる。新政府に出仕。宮中の侍従番長、翌年から御歌掛などをつとめる。家紋は抱き花杏葉紋。青山霊園の墓所にて撮影。

小室信介。1852年9月4日 - 1885年8月25日、民権運動家。砲術家・小笠原忠四郎の第二子。豪商小室信夫の養子となる。養父・小室信夫は民撰議院設立建白書に板垣退助ら4人の旧参議と共に署名した一人、自身も関西における自由民権運動の雄となった。家紋は抱き花杏葉紋。画像は天王寺墓地にて撮影。

立花小一郎。1861年3月20日 - 1929年2月15日、陸軍人、政治家。三池藩家老・立花硯の長男として生れる。朝鮮駐剳軍参謀長、朝鮮総督府警務総長、関東軍司令官等を歴任。最終階級は陸軍大将。その後は、福岡市長、貴族院議員を務めた。家紋は立花変り杏葉紋。画像は多磨霊園にて撮影。

大橋新太郎。1863年 - 1944年5月5日、出版業者、政治家。越後国長岡出身。博文館創業者大橋佐平の三男。父没後、博文館館主となり、博文館印刷所(現在の共同印刷)、日本書籍株式会社を設立。衆議院議員・貴族院議員もつとめる。家紋は杏葉菊菱紋。画像は護国寺の墓所にて撮影。

尾上梅幸(6代)。1870年11月8日 - 1934年11月8日、役者。尾張国名古屋出身。父は尾上朝次郎本名は寺島榮之助。屋号は音羽屋。昭和初期を代表する名女形役者。十五代目市村羽左衛門の名相方とうたわれ墓も隣にある。役者としての家紋は重ね扇に抱き柏だが、雑司が谷墓地の墓所の家紋は杏葉菊紋。

徳田秋声。1872年2月1日 - 1943年11月18日、小説家。金沢市横山町に加賀藩の陪臣横山雲平の子として生まれる。 本名は末雄。島崎藤村・正宗白鳥らと共に日本ペンクラブの設立にも参加。代表作は『薮かうじ』 『感傷的の事』『光を追うて』など。家紋は抱き花杏葉紋。画像は小平霊園の墓所にて撮影。

秦勉造。1877年 - 1943年7月15日、実業家、医学博士。東京出身。東京帝国大学医科大学卒業。札幌病院外科医長となる。北海道帝国大学医学部創設とともに同大学医学部教授、初代医学部長となり北海道外科学の進歩に貢献。東京同愛記念病院の開設に尽力。画像は多磨霊園にて撮影。家紋は抱き杏葉紋。

若山牧水。1885年8月24日 - 1928年9月17日、歌人。宮崎県東臼杵郡東郷村の医師・若山立蔵の長男として生まれる。自然への愛、情熱的な恋、大の酒好きなどでも知られている。代表歌集は『海の声』『独り歌へる』『別離』等。家紋は杏葉牡丹。牡丹が杏葉の形状になって表現されている。

石井ふく子。1926年9月1日 - 、テレビプロデューサー。東京都出身。父(養父)は劇団新派の俳優・伊志井寛。TBSのプロデューサーとして「肝っ玉かあさん」「ありがとう」「女と味噌汁」「おんなの家」「渡る世間は鬼ばかり」等を手がける。家紋は菊杏葉紋。谷中・瑞輪寺の伊志井寛の墓にて撮影。

花川戸助六。江戸時代、歌舞伎の演目「助六」主人公の侠客。「助六」は、江戸の古典歌舞伎を代表する演目の一つ。粋を具現化した洗練された江戸文化の極致として後々まで日本文化に決定的な影響を与えた。歌舞伎宗家市川團十郎家のお家芸である歌舞伎十八番の一つ。家紋の杏葉牡丹は元々市川團十郎の替紋。
まさむね





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