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久留子紋 -隠れキリシタンがつけた悲しい紋- 小西行長、中島敦、寺山修司...

26 1 月 2009 No Comment

キリシタン禁止後、信者は、この紋を使用して十字架をカモフラージュしたといわれている。
そこまでして信仰を守ろうとした人々の気持ちを考えると、その意志の強さと同時に悲しさも感じさせる。

尚、このページには丸に十字紋(轡紋)の使用者も、久留子紋と同様に、十字を描いているという意味で含ませております。

使用する有名人は以下。

小西行長。1555年 - 1600年11月6日、武将、大名。
堺の薬を主に扱う商人である小西隆佐の次男として京都に出生。12才から秀吉に仕え数々の手柄を上げ南肥後の20万石を与えられた。朝鮮出兵時、加藤清正と先陣を争ったことでも有名。関ヶ原の戦いで西軍の将として敗北。家紋は花久留子と中結祇園守。


高山彦九郎。1747年6月15日 - 1793年8月4日、尊皇思想家。
上野国新田郡細谷村の郷士高山良左衛門の二男として生まれ。先祖は平姓秩父氏族である高山氏出身とされている。勤皇の志を持ち、各地を遊歴して勤皇論を説く。家紋は京都三条大橋にある皇居望拝姿の台座の丸に十字と鶴の丸。


島津斉彬。1809年 - 1858年7月16日、島津氏の第28代当主。
薩摩藩の富国強兵に成功した幕末の名君の一人。後に西郷隆盛ら幕末で活躍する人材も育て上げた。日本の国旗である日章旗を初めに提案した。丸に十字は薩摩・島津家家紋として有名。画像は護国寺の島津家の墓。


陣幕久五郎。1829年6月4日 - 1903年10月21日、第12代横綱
出雲国意宇郡出身。徳島藩の抱え力士として出発したが途中で松江藩の抱え力士となり1864年10月以降は薩摩藩の抱え力士となった。通算成績は幕内19場所87勝5敗17分3預65休、勝率.946。優勝相当成績5回。家紋の丸に十字は薩摩藩のお抱え力士ゆえか。


五代友厚。1836年2月12日 - 1885年9月25日、薩摩藩士、実業家。
記録奉行の五代直左衛門秀尭の子として生まれる。大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)、共同運輸会社、阪堺鉄道(現・南海電気鉄道)などの創設に関わる。家紋は丸に組み違い十字久留子紋と抱き杏葉紋。


田中芳男。1838年9月27日 - 1916年6月22日、博物学、園芸学者。
飯田中荒町(長野県飯田市中央通り)に生まれる。パリで行われた第4回万国博覧会、ウィーン万国博覧会に責任者として派遣される。「博物館」という名称を生み出し、殖産興業の指導に尽力。家紋は丸に十字紋。画像は谷中霊園にて撮影。


島津源蔵。1839年6月25日 - 1894年12月8日、実業家、発明家。
京都の醒ヶ井魚棚で仏具の製造をしていた島津清兵衛の次男。1875年に教育用理化学機器の製造を始め島津製作所を創業。家紋の丸に十字は先祖の井上惣兵衛尉茂一が島津義弘から「島津」の姓とともに与えられたという。画像は島津製作所社章より。


村橋久成。1840年 - 1892年10月、実業家。
薩摩藩主島津家一門、加治木島津家の分家に生まれる。北海道開拓使に採用され麦酒醸造所建設の責任者となる。現在のサッポロビール生みの親として語り継がれる。家紋は丸に十字紋。青山霊園の墓所にて撮影。


伊集院五郎。1852年9月27日 - 1921年1月13日、海軍軍人。
薩摩藩士の子として生まれ、西南戦争に参軍。伊集院信管を開発し、バルチック艦隊を撃破する大きな要因となった。に軍令部長兼将官会議議員、海軍大将、元帥を歴任。家紋は丸に花角久留子紋。青山霊園の墓所にて撮影。


小田川全之。1861年 - 1933年6月29日、土木事業家。
江戸小石川出身。旧幕臣小田川彦一の長男。安全第一の先駆者。足尾鉄道株式会社を創立。国有鉄道をなるまで取締役社長として活躍。各種土木学会等の会員として、鉱業発達史上に重大な役割を演じた。 家紋は丸に十字紋。画像は多磨霊園にて撮影。


徳田真寿。1867年6月17日 - 1944年、古銭・切手収集家。
肥前国松浦郡江迎に生まれる。「天下の奇人」。自称も「頓痴奇屋主人」。紋付きの洋服に袴ばき、シルクハットと特大の懐中時計を携行という特異な姿で、鉄道の運賃始め旅先ではすべて一銭銅貨で支払ったという。家紋は丸に十字紋。


中村是公。1867年12月18日 - 1927年3月1日、実業家・政治家。
安芸国佐伯郡に酒造業・柴野宗八の五男として出生。読みは、なかむらよしこと。南満州鉄道株式会社総裁、鉄道院総裁、東京市長、貴族院議員などを歴任。夏目漱石の親友。家紋は丸に十字紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


島津保次郎。1897年6月3日 - 1945年9月18日、映画監督。
東京神田区駿河台に老舗海産物商の息子として生まれる。多くの作品で庶民生活を生き生きと活写し、「メロドラマ」の名手として知られる。代表作は『兄とその妹』『麗人』『嫁ぐ日まで』等。家紋は丸に十の字。島津家の代表紋である。


迫水久常。1902年8月5日 - 1977年7月25日、官僚、政治家。
東京府出身。大蔵省入省。二・二六事件の際、岡田首相を救済。また、鈴木貫太郎内閣時の内閣書記官長として終戦工作に携わる。政治家としては経企庁長官、郵政大臣等を歴任。家紋は丸に丸に花付十字紋と輪違いに水紋。多磨霊園の墓所にて撮影。


中島敦。1909年5月5日 - 1942年12月4日、小説家。
中島家は代々、日本橋新乗物町で駕籠を製造販売する商家だったが祖父・中島撫山は商家から漢学者となり、父・中島田人は旧制中学の漢文の教員となる。代表作は『山月記』『文字禍』『李陵』。家紋は花久留子菱紋。画像は多磨霊園にて撮影。


石井好子。1922年8月4日 - 2010年7月17日、シャンソン歌手。
東京都出身。日本シャンソン界の草分け。日本シャンソン協会を設立し会長に就任。「料理の鉄人」にはたびたび審査員として出演。代表著作は「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」。家紋は雪輪に丸に?久留子紋。青山霊園にて撮影。


田英夫。1923年6月9日 - 2009年11月13日、政治家。
東京都出身。貴族院議員・田健治郎の孫。『JNNニュースコープ』の初代メインキャスターとなる。参議院議員として日本社会党、社会民主連合、新党護憲リベラル、平和・市民、社会民主党と所属政党を移した。画像は多磨霊園の田家の墓所にて撮影。


寺山修司。1935年12月10日 - 1983年5月4日、歌人、演出家。
青森県弘前市紺屋町生まれ。本籍地は青森県上北郡六戸村。先祖は薩摩藩家老。メディアの寵児的存在で各方面に膨大な作品を残した。代表映画「書を捨てよ町へ出よう」「田園に死す」など。家紋の丸に十字紋は寺山修司記念館にて確認。


田宮高麿。1943年1月29日 - 1995年11月30日、活動家。
岩手県出身。赤軍派軍事委員会議長。よど号グループのリーダー。ハイジャック事件では実行の首謀者。長男・森大志は三鷹市議会議員選挙に市民の党から立候補したが落選。墓所は田宮家の菩提寺である新潟県新発田市の瑞雲寺。家紋は丸に十字紋。


田辺誠一。1969年4月3日 - 、俳優。
東京都出身。代表出演作「らせん」「フードファイト」等。2011/1/17のTwitterで自身がアフレコした「ケロロ軍曹」のキャラ(ナベベ)に対して「これが『ナベベ』でありますっ!田の字の家紋であります!」と発言したことより暫定的に丸に十字紋と判断。


眠狂四郎。江戸時代、剣客。
柴田錬三郎の小説に登場する剣客。転びバテレンと日本人の混血という出自を持ち、平然と人を斬り捨てる残虐性を持ち、「円月殺法」という剣術を用いて活躍。映画では、鶴田浩二、市川雷蔵、松方弘樹等が演じている。家紋は角花久留子紋。

まさむね



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