竜胆紋 -源氏といえばこの紋- 石川数正、石川啄木、生島ヒロシ...

源氏を代表する紋と言われているが、実際は、村上源氏、宇多源氏の代表紋で、清和源氏の子孫では使用する家は多くない。

おそらく、歌舞伎の「勧進帳」で義経がつけたことから、いつの間にか、源氏の代表紋とされるようになったのであろう。例えば、現在でも鎌倉市の市章として、この笹竜胆が採用されている。ご存知の通り、鎌倉は、源頼朝が幕府を開いた場所である。
しかし、だからと言って、「頼朝が笹竜胆を家紋としていた」というような勘違いは避けたいものである。
左上は、鎌倉市のマンホールに掘られた笹竜胆である。
また、曹洞宗の開祖、道元が村上源氏出身のため、この紋は、曹洞宗の寺紋とされている。
例えば、坂本九や、榎本健一が眠る青山・長谷寺の寺紋は、竜胆車紋(左)である。
全国では25位。岩手で19位、秋田、神奈川、山梨、長野で20位といったところがやや多いが、全国にまんべんなく分布している。


千種忠顕 。生年不詳 – 1336年7月13日、 南北朝時代の公家。
権中納言六条有忠の次男。千種家の祖。後醍醐天皇の近臣。建武の新政では楠木正成名和長年らと共に三木一草と称された。家紋の竜胆車紋は伝通院にある千種家の家紋。顔画像は大河ドラマ「太平記」で忠顕を演じた本木雅弘。


北畠親房 。1293年3月8日 – 1354年6月1日、 南北朝時代の公家。
村上源氏庶流の北畠師重の子。『神皇正統記』の作者。後醍醐の皇子世良親王の養育をする。吉田定房万里小路宣房と共に「後の三房」と呼ばれ、後醍醐の信任厚かった。後に、京都を逃れた後醍醐が吉野で開いた南朝に従う。家紋は割菱と笹竜胆。


石川数正 。1533年 – 1593年、 武将・大名。
先祖は河内源氏の義家流・石川源氏・石川氏。徳川家康の片腕として活躍したが、小牧・長久手の戦いの後に徳川家を出奔して豊臣秀吉に臣従した。徳川家康が関東に移ると、秀吉より信濃松本10万石に加増移封される。丸に石川竜胆。


木曽義昌 。1540年 – 1595年4月26日、 戦国武将。
信濃国木曾谷の領主木曾氏の第19代当主。木曾義康の長子。正室は武田信玄の娘真理姫。は小笠原氏や村上氏らと共に甲斐の武田信玄の信濃侵攻に対抗するが、侵攻を受けて武田家に降伏した。家康の関東移封に伴い、木曽谷を退く。家紋は笹竜胆紋。


石川雅望 。1754年1月7日 – 1830年5月16日、 狂歌師、戯作者。
浮世絵師石川豊信の五男として江戸に生まれる。読みは、いしかわまさもち。狂名は宿屋飯盛。狂歌四天王の一人として版元である蔦屋重三郎から多くの狂歌絵本を出版。家紋は笹竜胆。但し、蔵前の正覚寺の墓所には創作紋(丼?)がある。


大原重徳 。1801年11月21日 – 1879年4月1日、 公家。
京都生まれ。光格天皇の侍童となる。宮中に昇り、孝明天皇に重用される。幕府に朝廷の攘夷の意向を反映させた文久の改革の際に活躍。維新以降は、参与・議定など新政府の役職を務める。家紋は変形の笹竜胆紋。画像は谷中霊園の大原家の墓所で撮影。


弾直樹 。1823年 – 1889年7月9日、 穢多頭。
摂津国菟原郡出身。幕長戦争に協力した功で手下65人と共に平民への身分引き上げが幕府から認められ、弾内記と改名。後に弾直樹へ改名。皮革産業を近代工業に育て上げる事を目指した。家紋は竜胆車と丸に一の字に蔦紋。画像は浅草・本龍寺にて撮影。


庭田嗣子 。1825年 – 1883年7月20日、 典侍。
京都出身。読みは、にわたつぐこ。庭田家は宇多源氏の流れを引く堂上家。皇女和宮の将軍徳川家茂への降嫁と共に江戸へ下り和宮側近として活躍。天璋院や大奥老女らと対立した。家紋は笹竜胆紋。顔画像は『篤姫』の時に嗣子を演じた中村メイ子。


岩倉具視 。1825年10月26日 – 1883年7月20日、 公家、政治家。
京都出身。公卿・堀河康親の次男。源通親の子孫。岩倉家は村上源氏久我家の分家、下級の公家。大久保利通らと王政復古のクーデターを画策。新政府において、参与、議定、大納言、右大臣等をつとめる。家紋は笹竜胆。画像は遺髪塚にて。


赤松小三郎 。1831年5月15日 – 1867年9月30日、 政治思想家。
信濃国上田城下に上田藩士・芦田勘兵衛の次男として生まれ、のち、同藩士・赤松弘の養子となる。江戸に遊学し、勝海舟に師事。『英国歩兵練法』を出版。松平春嶽に対して「御改正之一二端奉申上候口上書」を提出。家紋の竜胆車は赤松家墓所写真にて確認。


東久世通禧 。1834年1月1日 – 1912年1月4日、 公家、政治家。
京都出身。羽林家格の村上源氏の公家・東久世通徳の子。読みは、ひがしくぜみちとみ。七卿落ちの一人。王政復古によって復権を果たし、その後は枢密顧問官、貴族院副議長、枢密院副議長を歴任。家紋は竜胆車。画像は中目黒・長泉院にて撮影。


橋本雅邦 。1835年8月21日 – 1908年1月13日、 日本画家。
父は川越藩の御用絵師・橋本養邦。狩野芳崖とともに新しい表現技法を模索。東京美術学校設立に尽力。下村観山横山大観菱田春草川合玉堂らを指導。また、日本美術院の創立にも参加。家紋は竜胆車。画像は深川・玉泉院の墓所にて撮影。


鈴木三樹三郎 。1837年8月15日 – 1919年7月11日、 武士。
常陸国志筑出身。鈴木専右衛門忠明の二男。伊東甲子太郎は実兄。尊王攘夷運動に奔走すべく脱藩。新選組に加盟し、九番隊組長となるが、後に、御陵衛士に属し、油小路事件にて薩摩藩邸に保護される。家紋の三つ葉竜胆紋は墓所写真にて確認。


石川小五郎 。1840年3月12日 – 1919年9月29日、 武士、官僚。
周防国吉敷郡佐山に長州藩士の子弟として出生。後に河瀬真孝と称した。禁門の変では遊撃隊の指揮を執り後に遊撃隊総督となる。第二次長州征伐では芸州口を攻撃するなど活躍。維新後は枢密顧問官となる。家紋は笹竜胆紋。画像は青山霊園にて撮影。


赤松則良 。1841年12月13日 – 1920年9月23日、 海軍軍人。
江戸深川出身。幕臣・吉沢家に生まれ、祖父の赤松姓を継ぐ。妻は、林洞海の二女。長女・登志子は作家森鴎外の妻。海軍造船会議議長を務め、日本造船の父と呼ばれる。最終階級は海軍中将。家紋は竜胆車紋。画像は文京区吉祥寺にて撮影。


高井敬義 。1844年 – 1917年12月1日、 陸軍軍人。
阿波国出身。読みは、たかいたかよし。西南戦争に従軍。歩兵第十連隊長、歩兵第十五旅団長をつとめる。日清戦争では南部兵站監、日露戦争では留守第三師団長として参戦。最終階級は陸軍中将。家紋の笹竜胆紋は、青山霊園の墓所にて撮影。


三宮義胤 。1844年2月12日 – 1905年8月14日、 尊攘派志士。
近江国志賀郡真野浜村出身。読みは、さんのみやよしたね。真宗正源寺住職の長男。尊王攘夷派志士として国事に奔走。岩倉具視らと交流を持ち王政復古運動に参加。維新後は、外務省、宮内省などで要職を歴任。家紋。の笹竜胆紋は護国寺にて撮影


山田顕義 。1844年11月18日 – 1892年11月11日、 政治家。
長門国阿武郡椿郷東分にて萩藩士の長男。松下村塾に入門。攘夷の血判書に名を連ねる。維新後は参議兼内務卿、司法卿兼参議、司法大臣を歴任。日本大学、國學院大學の学祖。家紋は頭合わせ三つ根付き笹竜胆。画像は護国寺の墓所にて撮影。


福島安正 。1852年10月27日 – 1919年2月19日、 陸軍軍人。
信濃国松本城下に松本藩士・福島安広の長男として出生。イルクーツクから東シベリアまでの約1万8千キロを1年4ヶ月をかけて馬で横断し実地調査(「シベリア単騎横断」)を行う。日露戦争にも参戦。家紋は笹竜胆紋。青山霊園の墓所にて撮影。


下田歌子 。1854年9月30日 – 1936年10月8日、 教育家・歌人。
岐阜県恵那郡岩村町出身。岩村藩の藩士の家に出生。本名:平尾鉐。容姿と才能に恵まれ明治の紫式部とも称される。生涯を女子教育の振興に捧げる。実践女子学園順心女子学園設立の基礎を築く。家紋は頭合わせ三つ笹竜胆紋。画像は護国寺にて撮影。


長谷川謹介 。1855年9月20日 – 1921年8月27日、 官僚。
長門(山口県)出身。井上勝にみとめられて鉄道寮に入り、鉄道技師として天竜川橋梁、台湾縦貫鉄道などを完成。鉄道院創設後は東部、西部、中部の鉄道管理局長、技監、副総裁などをつとめた。家紋は三つ葉竜胆紋。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


井上哲次郎 。1856年2月1日 – 1944年12月7日、 哲学者。
筑前国太宰府の出身。帝国大学で日本人で初めて哲学の教授となる。新体詩運動の先駆者。国家主義の立場から宗教に対する国家の優越を主張。内村鑑三の不敬事件の際にはキリスト教を激しく非難。哲学用語「形而上」の訳者。雑司ヶ谷霊園にて撮影。


小崎弘道 。1856年5月17日 – 1938年2月26日、 牧師。
肥後国託麻郡本山村出身。読みは、こざきひろみち。熊本藩士小崎次郎左衛門の5人兄弟の次男。霊南坂教会を創設し、同志社第2代社長(現総長)、日本組合基督教会会長、日本基督教連盟会長などを務めた。家紋は三つ笹竜胆紋。画像は青山霊園にて撮影。


曲木如長 。1858年3月 – 1913年10月16日、 法律家。
江戸神田橋生まれ。父は幕臣。読みは、まがきゆきなが。参事院御用掛兼太政官御用掛、司法官、検事、弁護士、東京市市会議員などを歴任。明治法律学校や日本法律学校で教鞭をとる。訳書に『巴威里憲法』『日本刑法論』などがある。家紋は笹竜胆。


石川倉次 。1859年2月28日 – 1944年12月23日、 教諭。
静岡県浜松市中区鹿谷町出身。読みは、いしかわくらじ。ルイ・ブライユが考案した6点式点字で日本語を表記する事に成功。「点字器」「点字ライター」も開発し、日本点字の父といわれている。家紋は丸に石川竜胆紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


郡司成忠 。1860年12月28日 – 1924年8月15日、 探検家。
江戸下谷三枚橋横町出身。幕臣幸田成延の次男。幸田露伴の兄。親戚の郡司家の養子となる。報効義会をつくり、占守 (シュムシュ) 島を探検して移住し、農業、漁業の開発にあたった。家紋は笹竜胆紋。画像は池上本門寺の墓所にて撮影。


武内桂舟 。1861年11月13日 – 1942年1月3日、 挿絵画家。
紀州藩江戸藩邸に生まれる。父・武内半介は、留守居役の紀州藩士で勝海舟と親しかったという。一時、月岡芳年の元で学ぶ。尾崎紅葉山田美妙、巌谷小波らの文学結社「硯友社」に参加し挿絵を描いた。家紋の笹竜胆紋は、上高田・正見寺にて撮影。


日高真実 。1864年9月17日 – 1894年8月20日、 教育学者。
高鍋藩出身。読みは、ひだかまさね。最初の東京帝国大学教育学教授。教育哲学・教育史・比較教育の知識を元に日本の現実を見据えたうえでの教育学を形成しようとした日本の教育学の祖。家紋は笹竜胆紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


各務鎌吉 。1869年2月3日 – 1939年5月27日、 実業家。
美濃国方県郡出身。読みは、かがみけんきち。父・省三は大蔵官僚。姉は森槐南の妻。東京海上火災保険の社長を始め三菱財閥の要職を務めた。日本人実業家として初めて『TIME』誌誌の表紙を飾る。家紋は丸に笹竜胆紋。画像は多磨霊園にて撮影。


和合英太郎 。1869年8月15日 – 1939年6月11日、 実業家。
安芸国土手町出身。広島藩士・和合義男の長男。機械製氷株式会社を設立。その後、各地の製氷会社を吸収合併し日本製氷社長就任、現在のニチレイの基礎を築く。また日本冷凍協会会長となり日本の製氷・冷凍業界の発展に貢献。画像は多磨霊園にて撮影。


喜多村緑郎 。1871年9月7日 – 1961年5月16日、 女形俳優。
東京市日本橋区橘町の薬種問屋に生まれた。本名は六郎。伊井蓉峰河合武雄とともに、「新派の三頭目」と呼ばれた。ほとんどが女役ばかりを演じた。人間国宝に認定され、文化功労者に選ばれた。家紋は笹竜胆紋。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


泉鏡花 。1873年11月4日 – 1939年9月7日、 小説家。
石川県金沢市下新町出身。父・清次は象眼細工・彫金等の錺職人。尾崎紅葉の『二人比丘尼 色懺悔』を読んで衝撃を受け、文学に志す。代表作は「高野聖」「草迷宮」「婦系図」。家の家紋は笹竜胆であったが、源氏香紋の中の紅葉賀を常用していたという。


湯浅倉平 。1874年2月1日 – 1940年12月24日、 政治家。
山口県豊浦郡出身。初名は石川倉之丞。実父が福島県士族湯浅家の養子となったため、自身も同家に入り「湯浅倉平」と改称。内大臣として、第1次近衛内閣、平沼内閣、阿部内閣の生みの親となる。家紋の笹竜胆は「石川」姓の名残を示すか。


横瀬夜雨 。1878年1月1日 – 1934年2月14日、 詩人、歌人。
茨城県真壁郡横根村出身。本名は虎寿(とらじゅ)。『文庫』に民謡調の詩を発表し、詩集『花守』を刊行して浪漫的な色彩で人気を博した。筑波嶺詩人と呼ばれた。代表作は『お才』。家紋の情報は、文学者掃苔録図書館より。家紋笹竜胆紋。


比嘉春潮 。1883年1月9日 – 1977年11月1日、 社会運動家。
沖縄県西原町出身。読みは、ひがしゅんちょう。柳田國男の下で民俗学を研究、それを元に自らの沖縄学研究を深めていった。また、沖縄学の振興と沖縄返還の実現のための活動に努めた。家紋は丸に笹竜胆紋。画像は多磨霊園にて撮影。


有馬頼寧 。1884年12月17日 – 1957年1月9日、 政治家。
東京府出身。久留米藩主の有馬頼万の長男。母は岩倉具視五女恒子。読みは、ありまよりやす。第1次近衛内閣の農林大臣。競馬の発展や大衆化に尽力。中央競馬の有馬記念に名前を残す。家紋は、有馬巴と竜胆車紋。画像は祥雲寺の墓所にて撮影。


石川啄木 。1886年2月20日 – 1912年4月13日、 詩人。
岩手県南岩手郡に寺の住職・石川一禎の長男として出生。本名は、石川一。「東海の小島の磯の白砂に われ泣き濡れて蟹と戯むる」など有名詩を残す。代表作は小説『我等の一団と彼』、詩集『一握の砂』。家紋は丸に笹竜胆紋。石川啄木記念館にて確認。


多田北烏 。1889年4月3日 – 1948年1月1日、 挿絵画家。
長野県松本市出身。本名は嘉寿計。読みは、ただほくう。長年にわたって、キリンビールのポスターを手がける。日本のデザインスタジオの草分け的な存在である「サン・スタジオ」を設立。家紋は中陰笹竜胆紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


宇野浩二 。1891年7月26日 – 1961年9月21日、 小説家・作家。
福岡県福岡市南湊町に出生。本名は宇野格次郎。『苦の世界』を発表し新進作家として文壇で認められる。「文学の鬼」と呼ばれた。代表作は『苦の世界』『子を貸し屋』『枯木のある風景』。家紋は竜胆車。画像は台東区の広大寺にて撮影。


山崎保代 。1891年10月17日 – 1943年5月29日、 陸軍軍人。
山梨県南都留郡禾生村出身。僧侶・山崎玄洞の二男として生れる。読みは、やまざきやすよ。大東亜戦争中に、アッツ島の戦いを指揮し17日間の激しい抗戦の後、戦死した。最終階級は陸軍中将。家紋は笹竜胆紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


長谷川潔 。1891年12月9日 – 1980年12月13日、 版画家。
神奈川県横浜市出身。読みは、はせがわきよし。黒田清輝岡田三郎助から洋画を学ぶ。渡仏し、様々な銅版画の技法を習熟。メゾチントと呼ばれる古い版画技法を復活させ独自の様式として確立させた。家紋は笹竜胆紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


石川欣一 。1895年3月17日 – 1959年8月4日、 ジャーナリスト。
東京出身。父は動物学者の石川千代松。母・貞は法学者・箕作麟祥の娘。妻・江は東山千栄子の妹。大阪毎日新聞社、東京日日新聞社などで記者をする傍らで、文筆業を行う。著作には『旅から旅へ』『たばこ談義』がある。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


アダチ龍光 。1896年7月20日 – 1982年10月13日、 奇術師。
越後の禅寺の息子に生まれる。本名は中川一。落語協会に所属し、上品な語り口でマジックを披露して人気を博した。日本奇術協会会長を務める。昭和天皇の古希のお祝いに皇居で奇術を披露している。家紋は笹竜胆紋。画像は浅草は萬隆寺にて撮影。


龍胆寺雄 。1901年4月27日 – 1992年6月3日、 作家。
千葉県佐倉市出身。本名は橋詰雄。読みは、りゅうたんじゆう。「改造」発表の「アパアトの女たちと僕と」で作家としての評価を確立。サボテン研究家としても有名で「シャボテン幻想」を著す。家紋は笹竜胆紋(川本三郎の「今日はお墓参り」より)。


石川達三 。1905年7月2日 – 1985年1月31日、 小説家。
秋田県平鹿郡横手町出身。『蒼氓』で第1回芥川龍之介賞を受賞。日本ペンクラブ第7代会長、日本文芸家協会理事長、日本文芸著作権保護同盟会長、A・A作家会議東京大会会長を歴任。家紋の笹竜胆紋はほくとライブラリー明徳館にて教えて頂きました。


中井英夫 。1922年9月17日 – 1993年12月10日、 小説家、詩人。
東京市滝野川区出身。読みは、なかいひでお。代表作の長編小説『虚無への供物』は夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』と共に日本推理小説の三大奇書に数えられる。家紋の笹竜胆紋は正福寺にて撮影。


立原正秋 。1926年1月6日 – 1980年8月12日、 小説家・随筆家。
朝鮮慶尚北道安東郡生れ。本名は金胤奎、キム・ユンキュ。「薪能」「剣ヶ崎」が芥川賞、「漆の花」が直木賞候補となる。代表作は『冬の旅』『秘すれば花』『日本の庭』など。家紋は尻合わせ三つ笹竜胆紋。画像は鎌倉・瑞泉寺の墓所にて撮影。


石川力夫 。1926年 – 1956年2月2日、 ヤクザ。
茨城県出身。親分の家に殴り込み日本刀で斬りつけた。ヤクザの憲法である「仁義」に背いた反逆者として斯界の伝説となる。刑務所の屋上から飛び降り自殺。死後に「仁義の墓場」というタイトルで映画化された。家紋は笹竜胆。石川姓の代表紋である。


久我美子 。1931年1月21日 – 、 女優。
東京都出身。村上源氏の流れを汲む華族の家柄で、清華家の家格を有した公家家系。父・久我通顕は侯爵。代表出演作『醉いどれ天使』『彼岸花』『太陽とバラ』『3時のあなた』の司会者を務める。家紋は五つ竜胆車紋。画像は「古事類苑」の竜胆タスキ。


長門勇 。1932年1月1日 – 2013年6月4日、 俳優。
岡山県倉敷市出身。本名は平賀湧。のほほんとした親しみやすいキャラクターが印象的な名優。金田一耕助シリーズに多数出演。代表作『てなもんや三度笠』『三匹の侍』『スチャラカ社員』等。家紋は丸に剣片喰と笹竜胆。画像は春秋苑にて撮影。


由紀さおり 。1948年11月13日 – 、 歌手、俳優。
群馬県桐生市出身。本名は、安田章子。代表ヒット曲は「夜明けのスキャット」「故郷」「手紙」など。「恋文」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞、映画『家族ゲーム』では日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。家紋の竜胆紋は墓所写真にて確認。


生島ヒロシ 。1950年12月24日 – 、 アナウンサー、タレント。
出身は宮城県気仙沼市。TBSにアナウンサーとして入社。『生島ヒロシのおはよう一直線』等の番組を持つ。福祉への造詣も深く義母の介護体験から『おばあちゃま、壊れちゃったの?』を出版。家紋は笹竜胆紋。画像は青山・梅窓院の生島家墓所にて撮影。


いしかわじゅん 。1951年2月15日 – 、 漫画家。
愛知県豊田市出身。本名は石川潤。ギャグ漫画をはじめ、漫画およびプロレス評論、エッセイ、小説など、手広く発表する。代表作は『フロムK』『漫画の時間』『だってサルなんだもん』など。家紋は笹竜胆紋であるとツイッター上で告白した。


見沢知廉 。1959年8月23日 – 2005年9月7日、 活動家、作家。
東京都文京区生まれ。本名は高橋哲夫。旧姓、平井。三島事件に感銘を受けた事を機に日本学生同盟に加入。日本IBM、英国大使館等への火炎ゲリラ活動等の事件を起こし逮捕。代表作は獄中で執筆した『天皇ごっこ』『囚人狂時代』等。


雅山哲士 。1977年7月28日 – 、 大相撲力士。
茨城県水戸市出身。本名は竹内雅人。武双山の父に指導を受け強くなった。藤島部屋(入門時は武蔵川部屋)所属。初土俵から4場所連続優勝という記録を作る。最高位は西大関。現在は現役を引退し、二子山を名乗る。家紋は笹竜胆。


鹿賀りん 。2005年8月10日 – 、 「うさぎドロップ」登場人物。
鹿賀宋一と吉井正子の娘、河地大吉の血縁関係上の叔母。苗字は祖父と同じ鹿賀。名前の「りん」は宋一が好きだった竜胆から取られた。宋一の葬式の後に大吉と一緒に暮らすようになる。家紋は丸に笹竜胆。宋一の葬儀のときの提灯より判断。

有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね