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Articles Archive for 1 月 2009

相撲/プロレス/格闘技 »

[22 1 月 2009 | No Comment | | ]

今場所十二日目。魁皇が豪風を小手投げで破り、12回目の角番を脱した。
この12回目の角番脱出は、千代大海と並んで史上最多の記録である。
そういえば、先場所三日目、若の里戦で左上腕を負傷して、途中休場した時はどうなることかと思った。
その時の痛々しい顔を見たとき、これで名大関・魁皇も終わりかと、正直そう思った。
しかし、今場所、魁皇は一番一番を慎重に取り進め、十二日目で見事、勝ち越し、そして大関残留を決めたのである。
しかも、この日の決まり手は、七日目に豊ノ島を休場に追い込んだ文字通りの必殺技、右小手投げである。
もしかしたら相手を壊してしまうかもしれない、という心配を胸に収めて繰り出した伝家の宝刀。
その瞬間、魁皇は、自分が生き残るために心を鬼にしたに違いないのだ。
今場所は、世間的には朝青龍の復活?引退?、新大関・日馬富士、あるいは、新入幕の山本山の活躍という話題で持ちきりだったが、多くの真性相撲ファンにとっては魁皇の動向こそが、関心事であった。
心あるファンならば誰もが、少なくとも、次の九州場所(魁皇の地元)までは、大関の姿で土俵の上にいて欲しい。それが、ファンの願望だったのである。
彼の優しそうな表情、黙々とした土俵態度、しかし、一方で、張りの無くなった体躯、膝の分厚いサポータ、塩が吹いて色褪せた回し...
そんな姿が、なんとも、愛おしく感じられる今日この頃だ。
優勝などという事はもう考えない、勿論、横綱昇進など思いもしない、しかし、一場所でも長く大関でありつづけたい、相撲を続けたい、というアスリートとしてはあまりにも低飛行な、しかし、困難な偉業を、この「哀愁を帯びた肉
体」は続けている。
長年、大相撲を見続ける、というか、眺め続ける理由の一つに、昨日と変らない今日に安心したいという、どうしようもなく保守的な動機がある事を誰も否定できないと思う。
そして、そういった視点から大相撲を見たとき、魁皇を初めとして、土佐の海、栃乃洋、出島、武州山、北桜達が醸し出すあの、哀愁としか言いようの無い世界が、どれだけ大相撲にコクを与えていることか、僕等はもっと感謝しなけ
ればならないのではないだろうか。
それらは、決して、純スポーツ的な振る舞いではなかったとしても、人間としての必死な生き方の表現には違いない。
だからこそ、僕達を惹きつけて止まないのである。
まさむね

テレビドラマ »

[22 1 月 2009 | No Comment | | ]
ヴォイス〜命なき者の声〜 今後3つの期待

フジテレビ月9ドラマ、「ヴォイス〜命なき者の声〜」の放映を第2話まで見た。
ドラマの内容は、「法医学」をテーマに、法医学ゼミに属する5人の医学生の青春群像劇である。
その5人について説明してみよう。
1人目。大病院の跡継ぎとして医学部に来るが、親への反発で法医学ゼミを希望した石末亮介(生田斗真)。
2人目。子供の頃の母親の「心臓発作」に疑問を持っており、それが法医学ゼミに入るキッカケにもなったが、一方では、それが心のトラウマになってもいる久保秋佳奈子(石原さとみ)。
3人目。実家は歯医者だが、監察医が描かれた海外ドラマを見てハマって「法医学ゼミ」に入った、オタクの桐畑哲平(遠藤雄弥)。
4人目。元不良で、過去にトラブルがあり、その際、司法解剖のおかげで無実が証明された事をキッカケにして、バイトと猛勉強で法医学を目指した羽井彰(佐藤智仁)。
この4人に関しては、一応、キャラの設定がなされている。
特に、最初の2人、亮介と佳奈子(通称アキ)に関しては、それぞれ、克服すべきテーマも明確化されている。
亮介にとって、それはいわゆる「親超え」だし、アキにとっては、「過去の克服」である。
また、残りの2人は、どちらかと言えば、賑やかし的要素が強い。
ただ、哲平=お調子者のオタク、彰=熱血漢の元不良(本当はいい奴)という設定は典型的だが安定感はある。
そして5人目が、主人公の加地大己(瑛太)である。
しかし、この大己のキャラに関していえば、実は、微妙にしっくりこない感じがするのだ。
彼は、過去にも、将来にも特に問題(トラウマや不安)を抱えているわけではない。
明るい性格で、あまり周りに気を遣わない、好奇心旺盛で、人を巻き込むタイプなのである。
僕の見立てだと瑛太という役者は、「篤姫」や「ラストフレンズ」で見せた、ナイーブで、受動的、内面に抱えたモノと闘っているタイプの青年役がハマっているように見えるのだが、この「ヴォイス」では、逆に、積極的に、周りを巻き込むタイプの設定となっているのだ。
そこがしっくりしない原因なのかもしれない。
もっとも、瑛太にとっては、今回、月9ドラマとして、はじめての主演である。
これを機会に、俳優としての幅を、さらに広げてもらえればと思う。
さて、このドラマの今後の興味、あるいは期待であるが、僕は以下の3点を挙げておきたい。
1)様々なタイプの死への対応
ドラマのテーマは、事故、あるいは事件で亡くなってしまった死者の本当の死因を解明し、残された遺族(そして死者本人)に対して、その死が、「報われる死」であるような真実を取り戻してあげるという事である。
初回は、殺人死と思われた男の死を、過去に亡くした自分の息子の代わりに、「ある少年を助けるために自ら命を落とす男の死」というように解読する事によって、「優しかった」男という真実を取り戻す。
2回目は、妻の暴言によって家出しようとした男の突然死を、「実は、妻を愛するがゆえに亡くなった、愛情溢れるものだった」という真実にたどり着かせるのだ。
しかし、毎回、このように、死者=善人というパターンで乗り切れるものだろうか。あと10回位あるのである。
死には、本当の突然死もあれば、怨恨の殺人もある。
あるいは、現代的な死といえば、孤独死や、通り魔的な殺人もあるだろう。
このドラマが、現代的であろうとすればするほど、ヒューマニズムドラマとはかけ離れてしまう可能性がある。
そういった、多様な死を、このドラマは扱う(扱える)のだろうか。
扱わないとしたら、話のバリエーションをどうつけていくのか、そのあたりが楽しみだ。
2)チームプレイでの問題解決
今まで2話を見た限り、死因の究明、そして、「死者に対する物語の回復」は、ほぼ、大己(瑛太)の観察力と推理力でのみ、行われている。
他の4人は大己の行動に付き合ったりはしているが、実はそれほど、話に関わっているわけではないのだ。
せっかく、他に4名の個性的な友人がいるのだから、それぞれの性格、特技を生かした形での問題解決という展開も、期待したい。
あまり大己の能力のみが突出し過ぎると、「ヴォイス〜命なき者の声〜」がいつの間にか、江原啓之さんの「スピリチュアル・ヴォイス〜人生のきりかえ方〜」のようになってしまうのではないかというのは心配しすぎだろうか。
3)加地大己(瑛太)の物語はどうなる
先に、大己のキャラに関して述べたが、彼はあまりに普通すぎはしないか。
実は隠し持っている克服すべき「内面」があるのではないか。あるとしたら、そのように解決していくのか、そのあたり楽しみだ。
また、無理矢理セミに入れてしまった指導教授である佐川文彦(時任三郎)との関係はどうなっていくのか。
そして、月9の約束事でもある(おそらくアキとの)恋愛沙汰はどのように行われるのか。
などなど、ようするに、法医学的なサスペンス性とは別のところでの大きな流れが、まだ全く見えていない。
それらの展開に期待したい。
まさむね

テレビドラマ »

[20 1 月 2009 | No Comment | | ]
「非婚同盟」を今すぐにでもゴールデンで放送してほしい

フジテレビの昼メロ「非婚同盟」(月曜日から金曜日までの13:30~14:00)が凄い。
1月5日に放送を開始して、3月末まで。全60回の放送予定。
すでに11回の放送を終了しているが、早くも目まぐるしい怒涛の展開だ。
    ◆
簡単に言えば、ある裕福な家族の家(の離れ)に、愛人の一家が移り住むことによって巻き起こる騒動というのが今までの動きである。
当然、そこで様々なトラブル&闘争&葛藤が起きる。
そして、それらの様々な出来事の連続で、全編=山場、いつも=劇的という凄いドラマになっているのだ。
そのドロドロな状況を、昼メロ特有の棒読み演技と、(思ったことは全て顔の表情で表現するという、)お決まりの露骨な演出が、さらにドラマを盛り上げる。
さすが、脚本は、「失楽園」「真珠夫人」「牡丹と薔薇」などを手がけた、ドロドロドラマ界の大御所、1935年生まれ、73歳の中島丈博。
70歳を過ぎて、いまだに、こんな世界を描き続けるパワーに圧倒されざるを得ない。
具体的内容だが、勿論、本妻・伊庭絹子(いとうまい子)と愛人・ 小幡圭子( 三原じゅん子)の慇懃無礼な嫌味合戦も、子供同士のののしり合いも凄いのだが、元はと言えば、そんな騒動を巻き起こした最大原因である、夫・伊庭猪士郎(風間トオル)の堂々とした無責任な存在感の方がもっと凄い。
そんな状況に嫌気がさして、愛人・圭子に対して、「お前の娘(連れ子)を強姦してやる!」「離れに火を点けてやる」と大声で凄む本妻の息子・俊彦(本間春男) 。
父親である猪士郎は、そんな息子に向かってたしなめるどころか、「若い頃はその位、元気じゃなきゃいかん、やれやれ!ははは。」と爽快な顔で、けしかけるのだ。
ここまで来ると、視聴者もツッコむ気にすらならない。
あらゆる矛盾をなぎ倒す位のパワーが溢れているである。
今後、公式HPによると、本妻は死、二人の子供の友情化、二人に対して別の”奴隷的”存在の女の子の登場、家の没落、成長、そして「非婚同盟」結成などへと進むらしいのだが、そんなあらすじをチラ見しただけで、圧倒される。
    ◆
最近、ゴールデンタイムのドラマはどれも大人しくなってしまった。
ただイケメンを並べただけの顔見せドラマ、スポンサーの顔色をうかがい過ぎているドラマ、善人だらけの微妙なすれ違いドラマが増える中で、この「非婚同盟」のような悪人だらけの、露骨で邪悪なパワー溢れた作品を思い切ってゴールデンに持ってきて欲しい。
現状の視聴率もいい。この時間帯で、最高で8.1%の数字を残しているのである
もしかしたら、大ブームを巻き起こす可能性が無いわけではないと思うのだが、いかがだろうか。
まさむね

テレビドラマ, 社会問題 »

[19 1 月 2009 | No Comment | | ]
2009年「銭ゲバ」は現代的価値観を提示出来るだろうか

「銭ゲバ」は元々1970年頃に少年サンデーで連載されたジョージ秋山の漫画である。
当時、作品の表現問題から一部の都道府県では有害図書扱いされたことがあったという。
それが、2009年にテレビドラマとして蘇った。
主人公の風太郎が1円玉を拾うシーンに続いて、のっけから、どこか大きな工場の生産ライン。そこは、労働者は人間として扱われていない世界だ。
一日の労働の後、毎日のように工場側から、その日で仕事を切られる労働者の番号と名前が呼ばれる。
それは、必然的に最近、話題になっている「派遣切り」の風景を彷彿させる。
約40年前の労働者の風景が、現代の状況とシンクロするシーンだ。
今クールのドラマが「ラブシャッフル」にしろ、「メイちゃんの執事」にしろ、明らかに時代とずれたフィクションが目立つ中で、「銭ゲバ」の世界観は、今だからこその露悪的な説得力を出し続けられるか、どうか。
おそらく、これがこのドラマの生命線になるであろう。
それにしても、松山ケンイチ(青森生まれ)の暗さは、十分、期待に値する存在感である。
    ◆
さて、その後、しばらくして、画面は主人公・蒲郡風太郎の子供時代へ。
彼が育った環境は、父親は飲んだくれ、母親が病気をおして働いて家を支える。そして、風太郎も新聞配達で家計を手助けする。
絵に描いたよな可哀そうな境遇である。
しかし、母親と風太郎の二人の食事風景はなんとも涙を誘う。
子役は、「光とともに」での光君役や、「流星の絆」での 有明功一の子供時代の役などで大人顔負けの演技を見せた齋藤隆成、そして、母親は、最近では、「モンペ」や「魔王」で母子家庭の母親役を好演した奥貫薫だ。
それにしても、仮に”幸の薄い役柄市場”というものがあったとしたら、この奥貫薫は独禁法違反になるくらい他の追随を許さないハマリ役者である。
貧乏な母子、母親は風太郎に以下のように言う。
「ちゃんと正直に一生懸命がばってれば絶対幸せになれる。神様は見ていてくれるから。」
そういえば、1970年、今からおよそ40年前、大阪万博があった年。おそらく、その頃は今以上に、貧富の差が激しい時代だった。
しかし、人々はこの母親の言うような、価値観を信じていた。
生きることは苦しくても、頑張っていれば、いつか幸せになれるという価値観を。
しかし、あれから40年、市場原理主義、新自由主義、グローバルスタンダードなどという価値観の大転換の大波が去った後、日本は、頑張らないと幸せになれないが、頑張っても幸せになれるかどうかは偶然に左右されるような社会になってしまった。
こんな社会で、いったい誰がこのような現実を前にして、必死で努力しした方がいいなどと自信を持って言えるだろうか。
現代の労働問題の本質は、職が無いというよりも、欲が無いということだと思う。
それは、2009年の価値観のもとで、人々は労働意欲を維持継続出来るかという問題なのではないだろうか。
さて、1970年の「銭ゲバ」では最終的に、この母親的な価値観が正しかったということになるのだが、現代の時代背景のこのドラマにおいて、最終的にいかなる価値観が勝利するのであろうか。
母親的な価値観の先を行く”現代的”価値を提示できるのか、そのあたりがこのドラマの見所となっていくだろう。
    ◆
さらに言えば、原作では風太郎は最終的に自殺するのであるが、このドラマではどうなるのであろうか。
そこも一つの見所だ。
昨年から今年にかけての、多くのドラマでは自殺防止メッセージが流され続けている。
例えば、「イノセント・ラブ」において、佳音(堀北真希)の兄・耀司(福士誠治)がナイフで自殺しようとするが、殉也(北川悠仁)に制止される。
その時のセリフが「生きていて欲しい」だった。そして最終回に耀司は言う。「何があっても生きなくてはいけないのですね。」と。
大河ドラマ「篤姫」でも、主人公の篤姫(宮崎あおい)は、自分は死んで官軍の江戸総攻撃を回避しようとする徳川慶喜(平岳太)に対して、「あなたも家族です。」と言って、自害を阻止する。
また、「流星の絆」、真犯人だった刑事(三浦友和)が自殺しようとするが、自分の両親を殺された有明功一(二宮和也)はそれを許さない。
さらに、今クールの月9ドラマ「ヴォイス~命なき者の声~」の第一回放送では、自殺しようとする子供を救い自分が亡くなったしまった男(モロ師岡)の話であった。
その流れの中で、2009年の「銭ゲバ」はどういった結末を迎えるのであろうか。今から楽しみである。
    ◆
さて、ドラマの中身とは関係ないが、この「銭ゲバ」の提供クレジットには、株式会社スズキとコカコーラである。
コカコーラはいいとしても、昨年末に600人の期間労働者の削減を発表したスズキが堂々と名前を連ねているのはいい根性している。
ドラマの中で、労働者が冷淡にも切られるシーンがあって、CMに切り替わるとスズキのワゴンR。
どれだけのCM効果があるのだろうか。
ちなみに、キャノンは番組終了後に、ヒッチハイク扱い(視聴率に応じてCM料を決めるシステム)でCMを流していた。
御手洗会長は、はたしてこのドラマとCMのアンバランスを見たのであろうか。
興味深いところである。
まさむね

歴史・家紋 »

[19 1 月 2009 | Comments Off | | ]
文字紋 -わかりやすさ第一の優しい紋- 石田三成、志賀直哉、丹波哲郎...

家紋の中で一番わかりやすいのが文字紋である。
近頃は、ローマ字ロゴが全盛の時代だが、「丸に文字」の文字紋もまだ残っている。
それは、丸に文字紋が、かっこ良さは別にして、ご年配にわかりやすいからに違いない。
左画像はご存知の通り、左上=伊勢丹、右上=大丸、左下=三越、右下=高島屋の「丸に文字」ロゴである。
大衆相手の百貨店にとって、わかりやすさは大事なのだ。
文字紋は全国で26位。
長野県で12位、宮崎県で14位。
おそらく、長野県では、丸に上文字紋が多いだろうと推測できる。村上発祥の地だからである。
また、丸に十字紋(轡紋)に関しては、久留子紋のページをご覧下さい。
文字紋を持つ有名人は以下。
村上義清。1501年3月29日 - 1573年2月3日、戦国時代の武将。
村上顕国の子として葛尾城に出生。村上氏は清和源氏。信濃埴科郡葛尾城主で武田晴信の侵攻を2度撃退するなどの武勇で知られ家督相続時には信濃の東部から北部を支配下に収め村上氏の最盛期に当主となる。家紋は丸に上文字。

稲葉一鉄。1515年 - 1589年1月5日、武将。
伊予の名族・河野氏の一族。美濃で土豪となる。土岐氏、斎藤道三から斎藤氏3代、織田信長、豊臣秀吉に仕える。江戸幕府第3代将軍・徳川家光の乳母となる春日局の養祖父。家紋は隅切角に三の字。画像は正成系稲葉家宗家16代・稲葉正邦の墓所にて撮影。

来島通康。1519年 - 1567年、戦国時代の武将。
来島村上氏の第四代当主。村上水軍(来島水軍)の大将。河野家家臣としての内政、外交、軍事の各方面での中心的役割を果たす。毛利元就が陶晴賢と厳島にて戦った時は毛利軍の援軍として参陣。家紋は伊予・大山祓神社の神紋、折敷に縮み三文字紋。

本多忠勝。1548年 - 1610年12月3日、武将・大名。
徳川本家の最古参の安祥譜代の本多氏で本多忠高の長男。本姓は藤原氏。家康の家臣として数々の武功を上げる。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられる。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。家紋は立葵(左)と丸に本の字。

仙石秀久。1552年2月20日 - 1614年6月13日、武将・大名。
美濃の豪族・仙石久盛の四男として美濃で生まれる。仙石氏は清和源氏である土岐氏の支流。羽柴秀吉の家臣として仕える。賤ヶ岳の戦いが終結すると、秀久はこれまでの功を評価され、淡路国洲本城主5万石の大名となる。家紋は丸に無の字紋と永楽銭紋。

蜂須賀家政。1558年 - 1639年2月2日、武将・大名。
尾張国丹羽郡宮後村出身。蜂須賀正勝の長男。父の替りに阿波の大名に任じられて徳島藩祖となる。阿波踊りは城が竣工した折、家政が城下に城の完成祝いとして「好きに踊れ」という触れを出したことが発祥と言われている。家紋は蜂須賀万字。

石田三成。1560年 - 1600年11月6日、武将・大名。
石田正継の次男として近江国坂田郡石田村で生まれる。秀吉の小姓として仕える。豊臣政権の五奉行の一人。家康を排除すべく、上杉景勝・直江兼続らと密かに挙兵の計画を図るが関が原の戦いで破れる。家紋は九曜紋と大一大万大吉紋。

大野治長。1569年 - 1615年6月4日、武将。豊臣家の家臣。
京都出身。豊臣秀吉の馬廻衆として取り立てられた。秀吉の死後は豊臣秀頼の側近として仕えた。家康暗殺疑惑事件の首謀者としてその罪を問われ下野国に流罪される。大坂夏の陣で破れ自害。家紋は大文字。画像は大河ドラマ「江」中の治長(武田真治)。

宇喜多秀家。1572年 - 1655年12月17日、武将・大名。
備前国岡山城主の宇喜多直家の次男。幼名は八郎。羽柴秀吉の遠征軍に組み込まれ秀吉による備中高松城攻めに協力。秀吉の寵愛を受けてその猶子となる。豊臣政権下の五大老の一人。関が原の戦いに敗れ配流。家紋は剣片喰(左)と児の字(右)。

春日局。1579年 - 1643年10月26日、家光の乳母。
実家の斎藤家は美濃国の守護代を代々務めた武家の名門。本名は斎藤福。伯父稲葉重通の養女となり、稲葉一鉄の縁者で稲葉正成の後妻となる。江戸城大奥の礎を築いた人物。墓所には葵紋と稲葉家の家紋・折敷に三の字がある。

三井高利。1622年 - 1694年5月29日、商人。
六角氏の旧臣・三井高安の長男・高俊が武士を捨て伊勢国松坂で質屋と造り酒屋を開業。三井家の姓は藤原。三井家の基礎を築き江戸本町に呉服店を開業。屋号を越後屋(後の三越)とし、後に両替商も開業。家紋は井桁に三の字と四つ目結紋。

高松喜六。1600年代 - 1713年、名主。
江戸浅草阿部川町の名主(なぬし)。元禄11年、あたらしい宿場開設を幕府に願いでて、内藤氏屋敷前に内藤新宿をひらき、甲州街道をとりしまる名主となった。家紋は抱き鷹の羽に変わり「高」の文字紋。画像は四谷・愛染院にて撮影。

貝原益軒。1630年12月17日 - 1714年10月5日、本草学、儒学者。
筑前国福岡藩士、貝原寛斎の五男。家紋は一の字。京都留学で本草学や朱子学等を学び、木下順庵、山崎闇斎らと交友を深める。著書の多くは平易な文章で書かれており、六十部二百七十余巻に及ぶ。主著は『大和本草』『養生訓』『和俗童子訓』等。

近松門左衛門。1653年 - 1725年1月6日、人形浄瑠璃作者。
越前藩士・杉森信義の子として生まれた。本名は杉森 信盛。家紋は墓所より丸に一の字紋。竹本座に属する浄瑠璃作者で、中途で歌舞伎狂言作者に転向した。100作以上の浄瑠璃を書いた。代表作『曾根崎心中』『国性爺合戦』『心中天網島』等。

鶴屋南北(4代目)。1755年 - 1829年12月22日、歌舞伎狂言作者。
江戸日本橋出身。幼名は勝次郎、通称は源蔵。文化文政期の爛熟した町人文化を色濃く反映した作品を世に出す。単に鶴屋南北または南北というとこの四代目のこと。代表作は『東海道四谷怪談』『盟三五大切』『繪本合法衢』。家紋は丸に大の字紋。

大槻玄沢。1757年11月9日 - 1827年4月25日、蘭学者。
陸奥国西磐井郡中里出身。一関藩の医師でのちに藩医となった大槻玄梁の長子。『解体新書』の翻訳で有名な杉田玄白・前野良沢の弟子。私塾・芝蘭堂をひらいて多くの人材育成した。蘭学の入門書『蘭学階梯』を著す。家紋は左卍紋。

山東京伝。1761年9月13日 -1816年10月27日、絵師、戯作者。
江戸・深川の出身。本名は岩瀬醒(さむる)。生家岩瀬家は木場の質屋。黄表紙や洒落本で売れっ子作家となる。代表作は『江戸生艶気樺焼』『忠臣水滸伝』『近世奇跡考』等。寛政の改革で手鎖の処罰を受けた。紋は、「巴山人」の文字紋。

平田篤胤。1776年10月6日 - 1843年11月2日、国学者、神道家。
秋田藩士の子として生まれ備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となる。本居宣長らの後を引き継ぐ形で儒教・仏教と習合した神道を批判。やがてその思想は水戸学同様尊皇攘夷の支柱となる。紋付、墓所の紋は右卍だが平田神社の神紋(画像)は左卍。

杉田玄瑞。1818年9月20日 - 1889年7月19日、蘭学者。
尾張藩出身。杉田玄白の後裔者。若狭小浜藩医になり蕃書調所・洋書調所教授、外国奉行支配翻訳御用頭取を歴任。開成所教授の蘭学教授として新島襄など多くの人材を育てる。家紋は田の字紋。画像は青山霊園にて撮影。

周布政之助。1823年5月3日 - 1864年10月26日、武士・長州藩士。
長州藩士(大組219石)・周布吉左衛門の五男。読みは、すふまさのすけ。財政再建や軍制改革、殖産興業等の藩政改革に尽力。禁門の変や第一次長州征伐に際して事態の収拾に奔走。家紋は亀甲に久の字紋。青山霊園にて撮影。

得能良介。1825年12月18日 - 1883年12月27日、武士、官僚。
鹿児島城下新屋敷に出生。薩摩藩士・得能直助の長男。読みは、とくのうりょうすけ。維新後、大久保利通の推挙によって大蔵大丞兼民部大丞に任じられ、その後も司法大丞、初代大蔵技監等を歴任。家紋は丸に三つ割菊に三の字紋。画像は青山霊園にて。

井上源三郎。1829年4月4日 - 1868年1月29日、新選組の隊士。
武蔵国日野宿北原にて八王子千人同心世話役の井上藤左衛門の三男として出生。近藤勇の兄弟子。新選組の六番隊組長を務める。家紋は丸に井の字紋。大河ドラマ「新撰組!」では小林隆が演じる(画像)。画像は日野市の宝泉寺にて撮影。

吉田松陰。1830年8月4日 - 1859年10月27日、思想家、教育者。
萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。私塾松下村塾にて、木戸孝允、高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、前原一誠等維新の指導者となる人材を育てる。安政の大獄により斬首刑に処される。享年30歳。

三島通庸。1835年6月26日 - 1888年10月23日、内務官僚。
薩摩藩士三島通純の長男。三島家は代々藩の鼓指南役の家柄。山形県・福島県・栃木県の各県令、内務省土木局長、警視総監を歴任。家紋は、折敷に三文字(越智氏流の河野氏の代表紋で、三島神社の神紋)。画像は青山霊園にて撮影。

山城屋和助。1836年 - 1872年12月29日、陸軍省御用商人。
周防国玖珂郡に、医師野村信高右の四男として生まれる。本名は野村三千三。奇兵隊に入隊。山縣有朋の部下として戊辰戦争に参戦。兵部省御用商人となる。長州人脈を活かし、軍需品納入の商売は繁盛。家紋は「の」の字菱紋。姓名の野村からとったか。

川村純義。1836年12月18日 - 1904年8月12日、海軍軍人。
薩摩出身。戊辰戦争では薩摩藩4番隊長として奮戦。維新後は明治政府の海軍整備に尽力した。明治天皇からの信任が篤く、皇孫(後の昭和天皇)の養育を任じられ、死後海軍大将に昇進した。家紋は四つ寄せ吉の字紋。画像は多磨霊園にて撮影。

近藤長次郎。1838年4月1日 - 1866年2月28日、志士。
高知城下の饅頭商人の息子として生まれる。後に近藤長次郎、上杉宋次郎、近藤昶次郎、梅花道人等と名乗る。坂本龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立。長州藩に小銃を売り渡している。花菱紋、五瓜に剣片喰紋、卍紋が墓所に掘られている。

森村市左衛門。1839年12月2日 - 1919年9月11日、実業家。
初代・市左衛門は遠江国森村出身とされる。当人は6代目。匿名組合森村組(現・森村商事)を設立。後に日本陶器合名会社、東洋陶器株式会社(現・TOTO)も設立。家紋は下り藤と丸に木の字紋。青山霊園の墓所にて撮影。

船越衛。1840年7月13日 - 1913年12月23日、官僚・貴族院議員。
広島藩出身。父は財務官僚・船越昌隆。読みは、ふなこしまもる。第1次長州征伐の際に長州藩と江戸幕府の和平交渉の仲介役に立つ。維新後は兵部大丞、千葉、石川県令、貴族院勅撰議員を歴任。家紋は丸に舟の字紋。青山霊園にて撮影。

久坂玄瑞。1840年 - 1864年8月20日、武士・長州藩士。
長門国萩平安古に萩藩医・久坂良迪、富子の二男として生まれる。松下村塾に学び高杉晋作、吉田稔麿と共に村塾の三秀といわれた。安政の大獄によって松陰が刑死した後、尊攘運動の先頭に立つ。禁門の変で負傷し、自刃する。家紋は隅立角に三の字。

馬越恭平。1844年11月21日 - 1933年4月20日、実業家。
岡山県後月郡の医家に生まれる。読みは、うまごしきょうへい。三井物産に勤務した後、大日本麦酒(日本麦酒、朝日麦酒、札幌麦酒の合併会社)社長を務め日本のビール王とよばれた。また茶人・馬越化生としても知られた。家紋は折敷に縮み三の字紋。

河野敏鎌。1844年11月29日 - 1895年4月20日、政治家。
土佐郷士・河野通好の長男。読みは、こうのとがま。土佐勤王党に加盟して武市瑞山や坂本龍馬らと交友関係を持つ。維新後は第1次松方内閣で内務大臣、司法大臣、農商務大臣、第2次伊藤内閣では文部大臣を歴任。家紋は揺り三の字紋。青山霊園にて。

柴山矢八。1850年8月20日 - 1924年1月27日、海軍軍人。
鹿児島県出身。薩摩藩士柴山良庵の三男。日露戦争後、旅順口鎮守府の初代長官に抜擢された。事務方のエキスパートとして地道な功績を積み重ね、最終階級は海軍大将になる。家紋は山の丸字紋。画像は多磨霊園にて撮影。

湯浅治郎。1850年11月24日 - 1932年6月7日、社会運動家。
上野国碓氷郡安中宿の味噌醤油醸造業者・湯浅治郎吉の長子。同郷の新島襄と親しく交わりキリスト教の洗礼を受ける。同志社や義弟・徳冨蘇峰の民友社を支援。同志社、日本組合基督教会の理事。家紋は丸に卍。画像は多磨霊園にて撮影。

神尾光臣。1855年2月27日 - 1927年2月6日、陸軍軍人。
信濃国出身。諏訪藩士・神尾平三郎の次男として生まれる。西南戦争、日清戦争、日露戦争に従軍。最終階級は陸軍大将。戦功により勲一等功一級男爵を受ける。家紋は抱き沢瀉に大の字紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。

長岡外史。1858年6月23日 - 1933年4月21日、陸軍軍人。
周防国都濃郡末武村出身。父は大庄屋・堀三右衛門で、徳山藩士・長岡南陽の養子。陸軍少将・歩兵第9旅団長、陸軍中将、衆議院議員を歴任。司馬遼太郎は『坂の上の雲』における評価は低い。家紋は丸に一文字に剣山の字紋。画像は青山霊園にて撮影。

八代六郎。1860年1月25日 - 1930年6月30日、海軍軍人。
愛知県犬山市出身。地主、松山庄七の三男。水戸藩浪士・八代逸平の養子となる。日露戦争勃発までの5年間、最前線を歴任。最終階級は海軍大将。NHKドラマ『坂の上の雲』では片岡鶴太郎が演じている。家紋は折敷に三の字紋。画像は青山霊園にて撮影。

三宅雪嶺。1860年7月7日 - 1945年11月26日、哲学者、評論家。
加賀国金沢出身。本名は雄二郎。加賀藩家老本多家の儒医の子として生まれる。国粋主義の立場を主張する為、『日本人』を創刊する。主著は『真善美日本人』『偽悪醜日本人』。家紋は「島形に児文字」。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

中村不折。1866年8月19日 - 1943年6月6日、洋画家、書家。
京橋生まれ。歴史画の分野で活躍。森鴎外や夏目漱石等の作家とも親しく『吾輩は猫である』『若菜集』などの挿絵や題字を書いた。また、書は新宿中村屋の商品表記にも生きている。家紋は丸に原の角字紋。画像は多磨霊園にて撮影。

藤田豊八。1869年9月15日 - 1929年7月15日、東洋史学者。
阿波国美馬郡郡里村出身。早稲田大学や東洋大学において中国文学史を講じる。主な著書に「中等教育東洋史」「東西交渉史の研究」がある。また、中国の大学に招かれ、その教育水準の向上にも尽力。家紋は丸に一の角字紋。画像は多磨霊園にて撮影。

久留島武彦。1874年6月19日 - 1960年6月27日、児童文学者。
大分県玖珠郡森町出身。村上水軍の末裔である来島通総の直系の子孫。アンデルセンの復権を訴えて日本のアンデルセンと呼ばれた。また童謡『夕やけ小やけ』の作詞者としても知られる。家紋は折敷に縮み三の字紋。画像は鶴見・総持寺にて撮影。

北沢楽天。1876年7月20日 - 1955年8月25日、漫画家、日本画家。
埼玉県足立郡大宮宿出身。北澤家は代々紀州徳川家の鷹羽本陣御鳥見役。新聞や雑誌を中心に多数の政治風刺漫画や風俗漫画を執筆。『楽天全集』は手塚治虫に影響を与えた。北沢家の家紋は丸に違い鷹羽紋であるが楽天の墓所には丸に卍紋がある。

志賀直哉。1883年2月20日 - 1971年10月21日、小説家。
宮城県石巻市出身。祖父・直道は旧相馬中村藩主相馬家の家令。父・直温は明治期の財界人。白樺派を代表する小説家の一人。代表作は『暗夜行路』『小僧の神様』『城の崎にて』『清兵衛と瓢箪』。家紋は丸に十文字紋。画像は青山霊園にて撮影。

山本実彦。1885年1月5日 - 1952年7月1日、出版人。
鹿児島県薩摩川内市出身。「門司新報」「やまと新聞」記者を経て、東京毎日新聞社社長に就任。改造社を創業し、総合雑誌『改造』を創刊。志賀直哉の『暗夜行路』や林芙美子の『放浪記』等を掲載。家紋は山本文字紋。画像は青山霊園にて撮影。

大貫晶川。1887年2月23日 - …