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歴史・家紋 »

[19 1 月 2009 | No Comment | | ]
釘抜紋 -普通の作業具が語呂がよくて縁起紋に- 南方熊楠、麻生太郎、内柴正人...

釘抜きは打ち込んだ釘を抜くための工具であるが、家紋として採用されたのはその語呂。
「九城を抜く」すなわち、九つの城を陥落させるという戦勝の縁起もかついでいるらしい。
引き両紋もそうだが、単純な絵柄が目立つという事で好まれたのかも。
いざという時に戦場でも描けるし。
全国分布では27位。
福井県で21位、新潟県で22位、和歌山県で23位といったところが多い。
堀秀政。1553年 - 1590年6月28日、武将・大名。
堀秀重の長男として美濃国で生まれる。13歳の若さで織田信長の小姓、側近として取り立てられた。雑賀討伐戦では信長本陣から離れ、佐久間信盛、羽柴秀吉らとともに一隊を率いる。本能寺の変以降は、秀吉に従う。

田中吉政。1548年 - 1609年3月23日、武将、大名。
近江国・高島郡田中村の出身。先祖は近江源氏高島氏の一族田中氏で田中城の城主。転封の過程で居城とした近江国・八幡、三河国・岡崎、筑後国・柳河で現在に繋がる都市設計を行う。そのことは現代でも高く評価できる。家紋は左三巴と釘抜き。

山家公頼。1579年 - 1620年7月29日、武士。
政宗の庶長子である伊達秀宗が宇和島藩に封じられた際に藩惣奉行(筆頭重臣)として付けられる。苛烈な藩政施策が、藩主や他家臣との対立を招き、襲撃を受け死亡。死後、怨霊騒動が多発したため、和霊神社が創建される。家紋は釘抜き紋と抱き浪紋。

秀ノ山雷五郎。1808年 - 1862年6月16日、第9代横綱。
陸奥国本吉郡(現在の宮城県気仙沼市)出身。本名は橋本辰五郎。歴代横綱の中では一番低い身長(163cm)。39歳(38歳とも)で横綱推挙。入門から横綱昇進まで19年かかっという。東京都江東区の普門院に墓がある。家紋は細輪に違い釘抜き紋。

黒川良安。1817年3月21日 - 1890年9月28日、蘭学医、蘭学者。
越中国新川郡出身。シーボルトや緒方洪庵に医学を学ぶ。金沢藩医学館(現金沢大学医学部の源流諸校の1つ)の基となる金沢種痘所を創る。佐久間象山に蘭学を教授したことでも知られる。家紋は五つ鐶に反り釘抜紋。青山霊園の墓所にて撮影。

跡見花蹊。1840年5月10日 - 1926年1月10日、教育者。
摂津国西成郡木津村生まれ。東京・神田に「跡見女学校」を開校、これが後の跡見学園となる。書家としても活躍、「跡見流」といわれる書風を築き上げた。跡見家の家紋は重ね釘抜き。自身の墓所(文京区・光円寺)には乱れ桐紋との合成紋がみえる。

山脇玄。1849年3月3日 - 1925年10月7日、司法官。
越前福井藩医の子。ドイツに留学し帰国後、明治憲法の草案・起草に参画。法制局部長などを経て行政裁判所長官、貴族院議員となる。妻・山脇房子と共に山脇学園を創設。房子が初代校長となる。家紋は丸に釘抜き紋。青山霊園にて撮影。

田中祐三郎。1856年8月23日 - 1911年4月2日、投機家。
東京生まれ。明治の投機家として知られる。浅草向柳原で白米商を始めるが、相場界に入り、仲買店を経営。渡辺平三、佐々木米吉と並び当時の米穀界の三傑といわれた。家紋は、丸に釘抜き。釘抜きの真ん中の四角の面積が大きいのが特徴。

南方熊楠。1867年5月18日 - 1941年12月29日、博物学者。
和歌山城下橋丁に金物商・雑賀屋の次男。粘菌学者としても知られる。「歩く百科事典」と呼ばれ彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため後世に数々の逸話を残す。主著『十二支考』『南方随筆』。家紋は丸に釘抜き。

谷口尚真。1870年4月17日 -1941年10月30日、海軍軍人。
広島県広島市田中町出身。18代連合艦隊司令長官、14代軍令部長を務めた。海軍良識派を代表した提督と言われる。その謹厳な人柄から「海の乃木」とも称された。最終階級は海軍大将。家紋は丸に隅立ち釘抜紋。画像は青山霊園にて撮影。

横田千之助。1870年9月17日 - 1925年2月4日、政治家。
下野国足利の織物商の次男として出生。立憲政友会の結党に参加。西園寺公望に将来の内閣総理大臣にと期待された。第2次護憲運動時には憲政会や革新倶楽部と和解して護憲三派の結成に奔走。後に司法大臣を務める。家紋は丸に釘抜紋。

柳宗悦。1889年3月21日 - 1961年5月3日、美術評論家。
東京府出身。学習院在学中、同人雑誌グループ白樺派に参加。生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え民芸運動を起こす。東京市目黒区駒場に日本民芸館を設立。家紋は丸に釘抜紋。画像は小平霊園にて撮影。

鶴彬。1909年1月1日 - 1938年9月14日、川柳作家。
石川県河北郡高松町に竹細工職人の子として生まれ、叔父・喜多弁太郎の養子となる。本名は、喜多一二。プロレタリア文学の影響をつよくうけた反戦的な川柳を多く残すが、治安維持法違反で大阪衛戍監獄に収監される。家紋は丸に釘抜き紋。

中村元。1912年11月28日 - 1999年10月10日、印哲・仏教学者。
島根県松江市殿町出身。国際的な仏教学の権威。西洋哲学にも幅広い知識を持ち思想における東洋と西洋の超克を考えていた。代表作は『ブッダのことば』『般若心経・金剛般若経』など。家紋は丸に釘抜き紋と五三桐紋。画像は多磨霊園にて撮影。

伊藤雄之助。1919年8月3日 - 1980年3月11日、俳優。
浅草区東仲町出身。兄は二代目澤村宗之助。息子は俳優の伊藤高。父方の祖父は尾張藩に仕えた300石取りの武士の家柄。『少年諸君』で映画デビュー。『プーサン』『気違い部落』『ああ爆弾』などで主演をつとめる。家紋は丸に釘抜紋。

麻生太郎。1940年9月20日 - 、政治家。
福岡県飯塚市出身。総務大臣、外務大臣、自民党幹事長、内閣総理大臣(第92代)を歴任。べらんめえ調の語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博した。家紋の違い釘抜き紋は麻生グループの社章にもなっている。

高橋信之。1957年4月30日 - 、出版プロデューサー。
出身は東京都大田区。本名は高橋信幸。学生時代にSFファン集団「宇宙軍」を設立。80年代にスタジオハードを創業。初めて「コスプレ」という言葉を雑誌記事に使用。家紋は釘抜きに点だが、実家墓所には点が省略されているという。

内柴正人。1978年6月17日 - 、柔道家。
熊本県合志市出身。9歳の時から柔道をはじめる。旭化成所属。得意技は巴投げ。アテネ、北京両オリンピックで金メダルを獲得する。北京五輪で優勝した時に、家族に声をかけた名シーンを残す。家紋は、麻生太郎と同じ。違い釘抜き。
まさむね

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[19 1 月 2009 | No Comment | | ]
有名人の家紋 ~2000人~ 三島由紀夫、北野武、池田大作、土方歳三、鳩山由紀夫、坂本龍馬、藤原紀香、小沢一郎、内村鑑三、東郷平八郎、小泉純一郎、田中角栄、白鵬、中原中也、手塚治虫、水木しげる...

『家紋主義宣言』発売記念でこのページを充実させました。
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◆主な掲載者、とりあえず300名位◆
あ行
相田みつを、青島幸男、赤塚不二夫、明智光秀、浅利慶太、麻生太郎、渥美清、安倍晋三、天知茂、新井白石、有吉佐和子、安藤広重、アントニオ猪木、飯星景子、いかりや長介、池内淳子、池田大作、石川啄木、石田純一、石田三成、石立鉄男、石ノ森章太郎、石原莞爾、石原裕次郎、和泉元彌、出雲阿国、板垣退助、伊藤博文、犬養毅、伊能忠敬、井上靖、井原西鶴、井深大、井伏鱒二、岩崎弥太郎、宇多田ヒカル、内柴正人、内村鑑三、宇津井健、梅宮辰夫、江角マキコ、江戸川乱歩、榎本武揚、遠藤実、大石内蔵助、大川橋蔵、大久保利通、大沢たかお、大塩平八郎、大谷吉継、大仁田厚、大原麗子、大山倍達、緒方洪庵、岡本太郎、沖田総司、尾崎行雄、大佛次郎、小沢一郎、織田信長、落合博満、オノ・ヨーコ、小渕恵三、小和田雅子 ...
か行
海音寺潮五郎、梶井基次郎、梶原一騎、片倉景綱、勝海舟、勝新太郎、桂三枝、加藤清正、角川春樹、狩野英孝、嘉納治五郎、狩野探幽、狩野芳崖、加山雄三、川嶋紀子、川島なお美、川端康成、菅直人、菊池寛、北一輝、北大路魯山人、北里柴三郎、北島康介、北島三郎、北野武、北原白秋、木戸孝允、木下惠介、木原光知子、木村拓哉、曲亭馬琴、草野仁、国木田独歩、久米宏、黒川紀章、黒澤明、黒柳徹子、久和ひとみ、小泉純一郎、小泉八雲、幸田露伴、河野太郎、児玉清、琴欧洲、琴奨菊、小堺一機、後藤象二郎、小林多喜二、今東光、近藤勇、近藤重蔵 ...
さ行
西園寺公望、雑賀孫一、西郷隆盛、斉藤道三、斉藤茂吉、堺正章、坂本九、坂本龍馬、佐久間象山、笹川良一、佐々木小次郎、さだまさし、佐藤栄作、里見浩太朗、志賀直哉、獅子文六、柴田勝家、渋川春海、渋沢栄一、島左近、島崎藤村、清水次郎長、志村けんのバカ殿様、ジャンボ鶴田、ジョージ川口、湘南乃風、正力松太郎、SHOCK EYE、ジョン万次郎、白洲次郎、陣内智則、新門辰五郎、杉田玄白、関孝和、関根勉、世耕弘成、芹沢鴨、千利休 ...
た行
大鵬幸喜、高岡蒼甫、高島忠夫、高城剛、高杉晋作、高田万由子、貴乃花、高橋是清、高村光太郎、高山右近、滝田栄、武田信玄、武田泰淳、武市瑞山、竹中半兵衛、竹中労、竹久夢二、太宰治、伊達政宗、立原道造、田中角栄、田中正造、谷垣禎一、谷川俊太郎、谷崎潤一郎、種田山頭火、タモリ、田山花袋、丹波哲郎、近松門左衛門、千葉周作、長曾我部元親、千代の富士、津川雅彦、蔦屋重三郎、鶴見俊輔、手塚治虫、寺田寅彦、寺山修司、東郷青児、東郷平八郎、東条英機、東野英治郎、徳川慶喜、徳富蘆花、豊田佐吉、豊臣秀吉 ...
な行
直江兼続、中岡慎太郎、永井荷風、中井貴一、中上健次、中川翔子、中沢新一、中島敦、中曽根康弘、中田敦彦(オリラジ)、中原中也、中原誠、中村勘三郎、中村獅童、中山晋平、夏目雅子、夏目漱石、名和長年、新島襄、西島千博、西田幾太郎、新渡戸稲造、二宮尊徳、乃木希典、野口雨情、野口英世、野沢尚 ...
は行
白鵬、橋本真也、橋本龍太郎、馳浩、長谷川平蔵、鳩山由紀夫、羽生善冶、浜口雄幸、林芙美子、林家三平、原敬、張本勲、把瑠都、日馬富士、ピーコ、東山魁夷、樋口一葉、土方歳三、一青窈、平尾昌晃、平賀源内、平田篤胤、平田オリザ、平塚雷鳥、福沢諭吉、福田康夫、藤子・F・不二雄、藤原紀香、双葉山、舟木一夫、フランキー堺、フランク永井、古田織部、星新一、細野晴臣、本田美奈子 ...
ま行
前田利家、牧野富太郎、正岡子規、増位山、升田幸三、松下幸之助、松田聖子、松永久秀、松本幸四郎、松本清張、間宮林蔵、円山応挙、丸山真男、三浦綾子、三島由紀夫、水木しげる、三角寛、美空ひばり、南方熊楠、三波伸介、三波春夫、みのもんた、三船敏郎、宮尾登美子、宮城道雄、宮沢賢治、雅山、宮本武蔵、向田邦子、武者小路実篤、陸奥宗光、棟方志功、村田英雄、村松友視、毛利元就、最上徳内、本居宣長、森鴎外、森進一、森喜朗、森蘭丸 ...
や行
八百屋お七、矢沢永吉、柳宗悦、柳田国男、山岡鉄舟、山県有朋、山下清、山田康雄、山南敬助、山内一豊、山口智子、山本五十六、山本勘助、湯川秀樹、由利徹、横井庄一、横溝正史、横山やすし、横山大観、与謝野晶子、吉川英治、吉田茂、吉田松陰、吉田東洋、吉野作造、吉永小百合、淀川長治、萬屋錦之介...
ら行
力道山、笠智衆、レオナルド熊 ...
わ行
若山牧水、輪島大士、和辻哲郎、渡辺崋山、渡辺淳一、渡辺文雄 ...

「あなたの家紋は何ですか」と聞かれて、すぐに答えられる人はどのくらいいるだろうか。
おそらく、今の20代の若者だと、多くて10人中、2~3人位ではないだろうか。
日本人ならば誰でも持っている自分のシンボル、しかし、ほとんど意識されていないのがこの家紋なのである。
そして、残念なことではあるが、100年単位で考えると、家紋は徐々に消滅してしまうであろう。
しかし、家紋のことをよく調べてみると、このささやかなデザインにもそれぞれ、過去の日本人の様々な想いが込められた歴史があることがわかる。
それは、あるものは、切実な祈りであったり、反骨心の現われであったり、美意識の結晶であったり、はるかなる願望であったりするのだ。
それぞれの家紋の歴史的な背景、経緯に関しては、先輩方の著作や、このページ最下段にリンクしたサイトなどでご覧頂くとして、このブログ(一本気新聞)では、その紋に対するオリジナルな深読みをしてみたいと思う。
また、どんな有名人がどんな家紋を使っていたのかというのを集めてみた。
有名人の生年月日、死亡年月日、略歴などは、ウィキペディアから引用させていただいた。また、有名人を複数輩出している一族に関しては、複数掲載する意味があまりないため、例えば、徳川家では徳川慶喜、鳩山家では鳩山由紀夫、おすぎとピーコはピーコだけという具合に、基本的には代表的な人物一人掲載とさせていただいた。
さらに、ご存知の通り、地域や家によって男紋、女紋があったり、家には定紋、替紋があるケースがあるが、個々の例では全てそれらの状況は把握できてはいない。それゆえ、あくまで関連性の強い紋というニュアンスで御笑覧いただければと思う。
このコーナーをお読みいただき、家紋という日本の伝統の一側面に思いを馳せていただければ幸いである。
尚、以下の紋アイコンはあくまで家紋カテゴリを表している。例えば、藤紋には下り藤、上り藤、藤輪、藤巴などを含んでいる。

おまけ:
家紋別首相一覧
◆家紋関連サイトリンク集◆
紋処
家紋World
家紋の湊
家紋のCREST JAPAN
よろづやの家紋帳
家紋ネット(お~い家紋だよ~)
日本の苗字7000傑 主要苗字代表家紋
日本家紋研究会
大宮家紋研究所
家紋百景ライブラリ
家紋の真実
まさむね

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[19 1 月 2009 | Comments Off | | ]
竹笹紋 -天の神様にあやかろうという人々の願い- 竹中半兵衛、新島襄、谷川俊太郎...

竹は不思議な植物である。他に類似する植物が無い。
特別の場所に群生し、その姿は天に伸びる。
古来、その姿は、美しさ、高潔さ、節操を意味するものとして尊ばれたのである。
そして、天から降ってくる異界からのメッセージを受け取る「よりまし」としても認識されていた。
かぐや姫は竹の中から出てきたが、それは、ある種、天からの贈り物だったのである。
また、正月の門松も、天に延びている部分は鋭く切った竹で、そこに歳神がやってくると信じられているのだ。
竹笹紋は、そんな天からの神様にあやかろうとした人々によって採用された。
越後の上杉謙信のシンボルとしては、旗印としての「毘」が有名だが、家の紋は上杉笹と呼ばれる「笹に雀」である。
これは元々、上杉家が藤原北家の勧修寺(かしゅうじ)家の「笹に雀」紋から来ている。
そして、さらに、この紋は、微妙に変形されて伊達氏にも引き継がれていくのである。
さて、この竹笹紋であるが、全国で16位。
群馬県での6位が突出している。
これはおそらく、高橋姓の広がりが、群馬県が一番という事が関係しているのではないだろうか。
竹笹紋は高橋姓の一つの代表紋だからだ。
竹笹紋使用の有名人は以下。
鳥居元忠。1539年 - 1600年9月8日、徳川家家臣。
父の忠吉は松平氏以来の老臣で、元忠も家康が今川氏の人質だった頃からの側近の一人。家康の三河統一後も、旗本部隊の将として戦う。その忠節は「三河武士の鑑」と称された。家紋は鳥居笹。画像は庶流から出た鳥居耀蔵の墓所(吉祥寺)にて撮影。

竹中半兵衛。1544年9月27日 - 1579年7月6日、武将。
美濃斎藤氏の家臣で不破郡岩手城主・竹中重元の子として生まれる。羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍師として活躍した名将である。戦国時代を代表する軍師であり、同時代の黒田孝高(黒田官兵衛)と並んで天才軍師と称されている。家紋は丸に九枚笹。

可児吉長。1554年 - 1613年8月10日、武将。
美濃国可児郡に生まれる。宝蔵院流槍術の開祖。斎藤龍興、柴田勝家、明智光秀、前田利家、織田信孝らに仕える。関ヶ原の戦いでは福島正則の先鋒隊長として参加し、敵兵の首を17も取り家康からも大いに賞賛された。家紋は丸に違い笹紋。

伊達政宗。1567年9月5日 - 1636年6月27日、戦国時代の武将。
本姓は藤原氏。家系は伊達朝宗を祖とする伊達氏。出羽国と陸奥国の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。笹に雀紋は仙台笹といわれるオリジナルな形だが、上杉氏からもらったもの。最も古い紋は縦三つ引き両。九曜紋は細川氏から使用許可される。

玉川庄右衛門。1622年 - 1695年7月16日、玉川上水開削者。
多摩川沿いの地域の農家。弟、清右衛門とともに、玉川上水開削の指揮をとる。上水工事は2度失敗したが最後は私財を投入して成功する。これにより兄弟は「玉川」の姓を名乗る事が許されたという。家紋は丸に根笹。画像は浅草・聖徳寺にて撮影。

竹本義太夫。1651年 - 1714年10月18日、浄瑠璃太夫。
摂津国(大坂)に生まれる。農家の出身。大坂道頓堀に竹本座を開設し、近松門左衛門・作の『世継曽我』を上演。近松門左衛門と組み、多くの人形浄瑠璃を手掛けた。浄瑠璃の義太夫節の創始者である。家紋は竹亀甲に九枚笹。画像は回向院にて撮影。

上杉鷹山。1751年9月9日 - 1822年4月2日、大名。
父は日向高鍋藩主・秋月種美で次男。10歳で米沢藩の第8代藩主・重定の養子となる。出羽国米沢藩の第9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生を成し江戸時代屈指の名君として知られている。祭神として摂社松岬神社に奉られている。家紋は上杉笹。

伊達宗城。1818年9月1日 - 1892年12月20日、大名・政治家。
江戸生まれ。宇和島藩主伊達宗紀の仮養子となる。宇和島藩8代藩主となり軍制の近代化、殖産興業を行い「幕末の四賢侯」と称された。定紋は仙台笹の変形の宇和島笹。他に丸に竪三つ引両、九曜紋等も使用。画像は本妙寺の久世広運奥方の宇和島笹紋。

佐野常民。1823年2月8日 - 1902年12月7日、元老院議員。
佐賀藩士下村三郎左衛門の5男として佐賀に生まれる。大坂の緒方洪庵の適塾で学ぶ。日本赤十字社の創始者。佐賀の七賢人に挙げられている。第1次松方内閣で農商務大臣に就任する。家紋は九枚笹の丸紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

万里小路博房。1824年7月21日 - 1884年2月22日、公卿。
父は万里小路正房、母は藤波寛忠の娘。三条実美と親しく尊王攘夷派とみられ、八月十八日政変では一時免官されて蟄居する。維新後は京都裁判所総督、宮内大輔、皇太后宮大夫を歴任。家紋は丸に勧修寺笹紋。青山霊園の万里小路家の墓所にて撮影。

丸山作楽。1840年10月27日 - 1899年8月18日、外交官・政治家。
江戸・芝三田において島原藩士・丸山正直の長男として生まれる。外務大丞の時に対露交渉にあたった。東京日日新聞の福地源一郎とともに立憲帝政党を結成し保守的政治家として活動した。家紋は竹輪笹に向い雀紋。画像は青山霊園にて撮影。

新島襄。1843年2月12日 - 1890年1月23日、布教家、教育家。
安中藩板倉家江戸屋敷で藩士の子として出生。本名は七五三太。アメリカに密航し洗礼を受ける。訪米中の岩倉使節団と会い木戸孝允の通訳として同行。欧米各国の教育制度を調査。同志社英学校を開校。家紋は丸に根笹。画像は新島襄記念館の丸に根笹紋。

高橋新吉。1843年2月26日 - 1918年11月30日、文学者、実業家。
薩摩藩士高橋七郎の次男として出生。「英和対訳袖珍辞書」を底本として辞書『和訳英辞林』(「薩摩辞書」)を編纂。九州鉄道初代社長、南満州鉄道や韓国銀行の設立委員などを歴任。家紋は十五枚笹竹の丸紋。画像は青山霊園にて撮影。

湯地定基。1843年9月4日 - 1928年2月10日、官僚。
薩摩国出身。読みは、ゆちさだもと。湯地定監、乃木静子の兄。藩命をうけアメリカで農学を学ぶ。帰国後、開拓使に勤務、後に根室県令、北海道庁理事官などを務める。北海道の洋式農業の発展に尽くした。家紋は湯地竹笹紋。画像は青山霊園にて撮影。

斎藤一。1844年2月18日 - 1915年9月28日、新選組隊士。
旗本・鈴木家の家臣となった山口祐助の次男として生まれる。新選組の前身である壬生浪士組に入隊。三番組組長となり池田屋事件などで活躍。維新後は警察官となり、新政府軍として西南戦争にも従軍し戦功を上げる。家紋は丸に九枚笹紋。

山田顕義。1844年11月18日 - 1892年11月11日、政治家、軍人。
長門国阿武郡椿郷東分で、萩藩士の長男として生まれる。松下村塾に入門。 攘夷の血判書に名を連ねる。維新後は、参議兼内務卿、司法卿兼参議、初代司法大臣を歴任。日本大学、國學院大學の学祖。画像は護国寺にて撮影。

三浦梧楼。1847年1月1日 - 1926年1月28日、軍人、政治家。
長門国萩に萩藩士の陪臣の子として出生。奇兵隊に入隊して第二次長州征伐や戊辰戦争に従軍。閔妃暗殺を指揮したとされ(乙未事変)投獄された。大正期には藩閥打倒を唱え政界の黒幕としても活動。家紋は変り篠笹紋。画像は青山霊園にて撮影。

岡本柳之助。1852年8月 - 1912年5月14日、軍人・国家主義者。
江戸出身。旧姓は諏訪。岡本家の養子となる。西南戦争では参謀として活躍し、戦後少佐となるが、1878年(明治11年)の竹橋事件に連坐し、官職を剥奪された。三浦梧楼らと閔妃殺害事件をおこし、投獄された。画像は池上本門寺にて撮影。

藤波言忠。1853年10月14日 - 1926年5月24日、華族、政治家。
広橋邸にて広橋胤保の次男として生まれる。明治天皇の侍従、宮内省主馬頭になる。ウィーンに留学後に、33回の進講をする。明治天皇・昭憲皇太后両方の崩御の時にどちらとも大喪使事務官を務めた。家紋は中陰雪持ち笹紋。青山霊園の墓所にて撮影。

根津嘉一郎(初代)。1860年8月1日 - 1940年1月4日、実業家。
甲斐国山梨郡正徳寺村(山梨県山梨市)に生まれる。根津家は雑穀商や質屋業も営む豪商。東武鉄道や南海電気鉄道など日本国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わり「鉄道王」と呼ばれた。若尾逸平や雨宮敬次郎等と甲州財閥を形成。家紋は丸に根笹紋。

立川勇次郎。1862年2月20日 - 1925年12月14日、実業家。
美濃国大垣藩の藩士の次男として生まれる。大師電気鉄道(現京浜急行電鉄)の代表に就任。1912年(大正元年)、大垣を中心とした西濃地区の電力供給を目的として、揖斐川電力(現イビデン)設立。初代社長となる。画像は青山・長谷寺にて撮影。

嵯峨の屋おむろ。1863年1月12日 - 1947年10月26日、小説家。
東京都生まれ。本名:矢崎鎮四郎。坪内逍遥の門下。嵯峨の屋お室、矢崎嵯峨の舎(屋)、北邙散子名義なども使用した。代表作は『ひとよぎり』『無味気』『両面苦楽の鏡』など。家紋は丸に九枚笹紋。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。

川上音二郎。1864年2月8日 - 1911年11月11日、俳優・芸人。
筑前国博多中対馬小路町に生まれる。世情を風刺した『オッペケペー節』で一世を風靡。この『オッペケペー節』を日本人で初めて録音、レコード化する。NHKの大河ドラマで妻の川上貞奴を描いた『春の波濤』が放送された。画像は総持寺にて撮影。

井上準之助。1869年5月6日 - 1932年2月9日、政治家、財政家。
大分県日田市大鶴町に造り酒屋を営む家に出生。第9、11代日本銀行総裁。第二次山本、浜口、第二次若槻内閣の蔵相。浜口内閣で行った金輸出解禁や緊縮財政は世界恐慌のため深刻な不況を招き血盟団事件で暗殺される。画像は青山霊園にて撮影。

菱刈隆。1871年12月27日 - 1952年7月31日、陸軍軍人。
薩摩藩士、菱刈八郎太の三男として生れる。陸軍省軍務局課員、陸軍歩兵学校教官、歩兵第4連隊長、第2師団参謀長、陸軍中将、陸軍大将、大日本忠霊顕彰会会長、大日本剣道会会長などを歴任。家紋は竹笹輪に七枚笹紋。画像は青山霊園にて撮影。

畑英太郎。1872年8月28日 - 1930年5月31日、陸軍軍人。
福島県出身。会津藩士・警察官、畑能賢の長男として生れる。軍事課長、航空局次長、軍務局長、陸軍次官、兼軍事調査委員長、第1師団長を歴任。最終階級は陸軍大将。家紋は亀甲に根笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。

金谷範三。1873年4月24日 - 1933年6月6日、陸軍軍人。
大分県国東郡高田町出身。日清戦争では歩兵第3連隊付として、日露戦争では第2軍参謀として出征。参謀総長当時、真崎甚三郎を毛嫌いしていたという。最終階級は陸軍大将。家紋は雪持ち笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。

有島武郎。1878年3月4日 - 1923年6月9日、作家。
旧薩摩藩士で大蔵官僚の有島武の子として生まれる。志賀直哉や武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加。代表作は『カインの末裔』『迷路』。作家の里見弴は弟。長男は俳優の森雅之。家紋は丸に雪持ち笹。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。

苫米地義三。1880年12月25日 - 1959年6月29日、政治家。
青森県上北郡藤坂村出身。上杉謙信の末裔を称した。日本進歩党、民主党、国民民主党(党首)、改進党、日本民主党、自由民主党に所属。骨相学・考星学・霊気療法等の研究を趣味としたという。家紋は丸に九枚笹紋。画像は青山霊園にて撮影。

久保田九品太。1881年 - 1926年1月8日、教育学者。
静岡県小笠郡中村出身。本名久保田次郎吉。初号は桂川。正岡子規に師事し、のち高浜虚子に入門。「ホトトギス」「春夏秋冬」「枯野」同人として活躍。句集には『水仙の芽』がある。この略歴では、歴史が眠る多磨霊園、kotobank.jpを参照いたしました。

小泉親彦。1884年9月9日 - 1945年9月13日、政治家、陸軍軍医。
福井県出身。近衛師団軍医部長に就任。大日本帝国陸軍で初めてBCG接種を実施し、結核予防に効果を挙げる。第3次近衛内閣で厚生大臣に就任、次の東條英機内閣でも留任。連合軍の取り調べを拒否し、割腹自殺を遂げた。画像は青山霊園にて撮影。

田中啓爾。1885年12月8日 - 1975年1月5日、地理学者。
東京府牛込区の生まれ。主な専門は地誌学を中心とした人文地理学。地理教育論にも多大な功績があり、近代期の日本の地理学において非常に重要な人物である。代表著作は「我等の国土」。家紋は丸に九枚笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。

嶋中雄作。1887年2月2日 - 1949年1月17日、編集者。
1916年、『婦人公論』を創刊し編集長となる。1928年には中央公論社社長となる。『西部戦線異状なし』レマルク著、『源氏物語』谷崎潤一郎訳等をベストセラーにする。家紋は折敷に九枚笹。画像は、本願寺和田堀廟所の墓所。

高橋亀吉。1891年1月27日 -1977年2月10日、経済研究者。
山口県徳山村にて生まれる。石橋湛山が主幹を務めていた東洋経済新報社に入社。高橋経済研究所を創立すると『高橋財界月報』を刊行。主著『日本資本主義発達史』『日本近代経済形成史』等。家紋は九枚笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。

下総皖一。1898年3月31日 - 1962年7月8日、作曲家・教育者。
埼玉県北埼玉郡原道村出身。本名は下總覺三。東京藝術大学音楽学部長。門下は團伊玖磨、芥川也寸志等。代表作は「花火」「ほたる」「兎のダンス」「ゆうやけこやけ」等。また京都大学学歌他、多くの校歌を作曲。画像は小平霊園にて撮影。

宮本百合子。1899年2月13日 - 1951年1月21日、小説家、評論家。
旧姓中條。本名ユリ。17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に登場。天才少女として注目を集めその後もプロレタリア文学のリーダーとして活躍。元夫の宮本顕治と共に投獄、執筆禁止などを繰り返しながら活動。画像は青山霊園の中條家の墓所にて撮影。

勅使河原蒼風。1900年12月17日 - 1979年9月5日、華道家。
草月流の創始者。華道において斬新な手法を多く提供し「花のピカソ」と呼ばれた。日本のいけばなを世界に発信した第一人者。草月流三代目家元、映画監督である勅使河原宏の父としても知られている。家紋は三日月に根笹紋。画像は青山霊園にて撮影。

横溝正史。1902年5月24日 - 1981年12月28日、推理作家。
兵庫県神戸市東川崎出身。父の郷里は岡山。金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で有名。代表作は、『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』『悪霊島』『悪魔が来りて笛を吹く 』など。画像は春秋苑にて撮影。

竹山道雄。1903年7月17日 - 1984年6月15日、独文学者、小説家。
大阪府出身。岡田家に生れ祖母の家・竹山家に養子に入る。小説『ビルマの竪琴』は一世を風靡。訳書に『ツァラトゥストラ』『アルプスの少女ハイジ』がある。一高教諭、東大教養学部教授等を歴任。家紋は丸に根笹。画像は鎌倉霊園にて撮影。

豊田四郎。1906年1月3日 - 1977年11月13日、映画監督。
京都府京都市出身。松竹蒲田撮影所に入り島津保次郎に師事。後に東宝に移って文芸映画を多く監督し、高い評価を得た。代表作は『駅前旅館』『夫婦善哉』『小島の春』『恍惚の人』等。家紋は九枚笹紋。青山霊園の墓所にて撮影。

水原茂。1909年1月19日 - 1982年3月26日、プロ野球選手、監督。
香川県高松市出身。高校野球、大学野球で活躍後、読売巨人軍に入団。引退後は、巨人、東映、中日で監督を務めた。巨人監督時代は在任11年間で8度のリーグ優勝、4度の日本一に輝く。家紋は丸に右荒枝付き三階松に株竹紋。画像は総持寺にて。

淀川長治。1909年4月10日 - 1998年11月11日、映画評論家。
兵庫県神戸市出身。芸者置屋の跡取り息子。東宝映画の宣伝部に勤務。チャーリー・チャップリンとの会談もしている。「それでは次週をご期待ください。さよなら、さよなら、さよなら…」等の名セリフを残している。家紋は丸に九枚笹紋。

高橋竹山。1910年6月18日 - 1998年2月5日、三味線名人。
青森県東津軽郡中平内村小湊生まれ。本名は高橋定蔵。一地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者。演歌歌手北島三郎が歌った『風雪ながれ旅』のモデル。高橋家の家紋は丸に橘紋。ただし、自身のマークとして竹輪に根笹紋を使用。

竹内好。1910年10月2日 - 1977年3月3日、中国文学者、評論家。
長野県南佐久郡臼田町出身。魯迅の研究・翻訳や日本文化研究を行う。大アジア主義の視点から日本軍の対アジア侵略戦争を劇しく糾弾。主著は『魯迅』『中国の近代と日本の近代』『近代の超克』。家紋は竹笹に向い雀紋。画像は多磨霊園にて撮影。

徳大寺伸。1911年10月5日 …

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[19 1 月 2009 | No Comment | | ]
五瓜紋 -五角形の木瓜紋の外輪紋- 織田信長、吉田松陰、木村拓哉...

木瓜紋の中で特に、円を5つで割った外輪を持つ紋を五瓜、またその中に唐花がある紋を五瓜紋と称する。
この紋の意味は、基本的には木瓜紋と同じだが、輪の中にバランスがよく、別の紋が入れやすいので広まった。
全国では、19位の普及。
地域別では、福島県が7位、長崎県で8位というのが多いところ。
逆に、宮崎県ではベスト30以下。長野県で27位、高知県と鹿児島県では26位だ。
使用している有名人は以下。
大村純忠。1533年- 1587年6月23日、大名。
実父は有馬晴純。肥前の大村純前の養嗣子となり家督を継ぐ。大村氏の先祖は藤原純友。キリスト教の宣教師から洗礼を受け日本最初のキリシタン大名となった。領民に信仰を強制させたり寺社を破壊したりと過激な信仰を行う。家紋は大村瓜。

織田信長。1534年5月12日 - 1582年6月2日、戦国武将。
古渡城主・織田信秀の次男または三男として生まれる。日本の近世の最初期にあたる戦国時代から安土桃山時代にかけて、世に多大な影響を残した武将であり、大名(戦国大名)である。重臣の一人・明智光秀の裏切りに遭い、自刃に追い込まれた。

有馬晴信。1567年 - 1612年6月5日、大名。
肥前有馬氏当主。有馬義貞の次男。キリシタン大名として知られ大友宗麟や大村純忠と共に天正遣欧使節を派遣。関ヶ原の合戦では東軍に寝返り小西行長の居城・宇土城を攻撃。その功績により旧領を安堵された。家紋は左三巴と五瓜紋。

蒲生君平。1768年 - 1813年7月31日、儒学者、尊王論者。
下野国宇都宮新石町の生まれ。祖先は会津藩主蒲生氏郷という家伝あり。林子平・高山彦九郎と共に、「寛政の三奇人」の一人に数えられる。代表作『山陵志』。宇都宮市の蒲生神社に祭神として祀られている。家紋は五瓜紋。

大田垣蓮月。1791年2月10日 - 1875年12月10日、歌人・陶芸家。
京都の生まれ。読みは、おおたがきれんげつ。父は伊賀国上野の城代家老・藤堂良聖。自作の焼き物に自詠の和歌を釘彫りで施した作品は蓮月焼と呼ばれる。代表的歌集は『海人の刈藻』。家紋は陰五瓜に陰蔦。蔦は父方・藤堂家の流れを伝える。

吉田松陰。1830年8月4日 - 1859年10月27日、思想家、教育者。
萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。私塾松下村塾にて、木戸孝允、高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、前原一誠等維新の指導者となる人材を育てる。安政の大獄により斬首刑に処される。享年30歳。

近藤長次郎。1838年4月1日 - 1866年2月28日、志士。
高知城下の饅頭商人の息子として生まれる。後に近藤長次郎、上杉宋次郎、近藤昶次郎、梅花道人等と名乗る。坂本龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立。長州藩に小銃を売り渡している。花菱紋、五瓜に剣片喰紋、卍紋が墓所に掘られている。

坂田警軒。1839年6月15日 - 1899年8月15日、漢学者、政治家。
備中国川上郡九名村出身。肥後国に遊学し、木下犀潭に入門。井上毅・竹添進一郎と共に木門の三才と称される。岡山藩家老池田氏の賓師から第2代興譲館(岡山藩藩校)館長に就任。家紋は五瓜に違い鷹の羽紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

松本楓湖。1840年10月9日 - 1923年6月22日、日本画家。
常陸国河内郡出身。本名は敬忠。欽定教科書『幼学綱要』全7巻において61図の挿絵を描き一躍名を轟かせた。日本美術院の創設に参加。歴史画に長じ「蒙古襲来・碧蹄館図屏風」を発表。家紋は五瓜に丸に二引両。画像は谷中・全生庵にて撮影。

名村泰蔵。1840年11月24日 - 1907年9月6日、司法官。
長崎市に島村義兵衛の子として出生。後に幕臣で蘭語通詞・名村八右衛門の養子となり泰蔵と改名。欧州視察の際に各国の法律を調査しフランスの法学者ボアソナードを顧問として招聘。フランス法の導入に尽力。家紋は五瓜に唐花紋。画像は青山霊園にて。

有地品之丞。1843年4月14日 - 1919年1月17日、軍人、政治家。
長州藩士で武術指南役・有地藤馬の長男として出生。読みは、ありちしなのじょう。海軍中将、貴族院議員、男爵。弟は海軍中将の梨羽時起。枢密顧問官、帝国海事協会初代理事長も歴任。家紋は五瓜紋。画像は青山霊園にて撮影。

奥保鞏。1847年1月5日 - 1930年7月19日、陸軍軍人。
豊前国小倉出身。読みは、おくやすかた。小笠原家家臣の奥利右衛門保矩の長男。佐賀の乱、西南戦争、日清戦争、日露戦争等に参戦。薩長・皇族以外の出身者としてはじめて元帥陸軍大将となる。家紋は中陰五瓜に唐花紋。画像は青山霊園にて撮影。

乃木希典。1849年12月25日 - 1912年9月13日、軍人。
長州藩の支藩である長府藩の藩士、乃木希次・寿子の長男に生まれる。東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」と呼ばれた。明治天皇の後を追って殉死。別に四つ持ち合い井筒も使用。青山墓地にある乃木家墓所にて撮影。

角田秀松。1850年3月25日 - 1905年12月13日、海軍軍人。
会津藩医、角田良智の二男。父の蝦夷地赴任に同行した。戊辰戦争で朝敵とされた会津藩出身者として初めて海軍将官となった。日露戦争時には竹敷要港部司令官を務めた。最終階級は海軍中将。家紋は五瓜に右三つ巴紋。青山霊園にて撮影。

有坂成章。1852年4月5日 - 1915年1月12日、陸軍軍人。
周防国岩国出身。長州藩・士木部左門の二男。読みは、ありさかなりあきら。三十年式歩兵銃の開発に成功。最終階級は陸軍中将。家紋は五瓜に唐花紋。顔画像はNHKドラマ「坂の上の雲」の有坂成章(矢島健一)。墓画像は谷中霊園の墓所にて撮影。

河本重次郎。1859年9月12日 - 1938年4月4日、眼科医学者。
但馬国豊岡出身。読みは、こうもとじゅうじろう。東京大学医学部を首席で卒業。ベルリン大学に留学。医学博士の学位を始めて眼科医として受ける。日本の眼科を先進国の水準に近づけ、さらに発展させた。家紋は五瓜紋。画像は多磨霊園にて撮影。

坪井正五郎。1863年2月22日 - 1913年5月26日、自然人類学者。
蘭学者・坪井信道の孫として江戸に生まれた。岩石学者の坪井誠太郎は長男。日本石器時代人=コロポックル説を主張したことで知られている。第5回内国勧業博覧会では学術人類館を発案した。家紋は五瓜紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。

山下源太郎。1863年8月26日 - 1931年2月18日、海軍軍人。
山形県米沢市出身。米沢藩士山下新右衛門の次男。連合艦隊司令長官・海軍大将・正二位・勲一等・功三級・男爵。日露戦争時には対露作戦立案の中心的役割を負い、日本海海戦の完勝に貢献した。家紋は五瓜紋。青山霊園の墓所にて撮影。

津田梅子。1864年12月31日 - 1929年8月16日、教育者。
津田仙(旧幕臣・東京府士族)・初子夫妻の次女として、江戸牛込の南御徒町に生まれた。満6歳の時、最年少で岩倉使節団に随行して渡米。「女子英学塾」(現在の津田塾大学)を設立。家紋は五瓜紋。青山霊園の父・津田仙の墓所にて撮影。

山本条太郎。1867年11月6日 - 1936年3月25日、実業家・政治家。
福井県武生市の生まれ。立憲政友会から衆議院議員当選5回。幹事長等歴任。南満洲鉄道株式会社総裁となり大胆な改革を行い「満鉄中興の祖」とも言われた。茶人としても知られる。家紋は五瓜に唐花紋。画像は多磨霊園にて撮影。

武藤信義。1868年9月1日 - 1933年7月27日、陸軍軍人。
佐賀藩士・武藤信直の次男として生まれる。教育総監・軍事参議官等を歴任。満州における軍事・行政・外交を掌握して「これほど権力を掴んだ者は明治維新以来いない」と評された。最終階級は元帥陸軍大将。画像は護国寺にて撮影。

川合玉堂。1873年11月24日 - 1957年6月30日、日本画家。
愛知県葉栗郡出身。本名は川合芳三郎。文展設立の際に審査委員に任命される。以後、国民的画家としての地位をゆるぎないものとした。代表作は「渓村春麗」「彩雨」「山水観月」「鵜飼い」など。家紋は、五瓜に剣花菱。画像は多磨霊園にて撮影。

永田鉄山。1884年1月14日 - 1935年8月12日、陸軍軍人。
長野県諏訪郡上諏訪町出身。陸軍士官学校を首席で卒業。統制派の中心人物であったが派閥抗争に絡んで暗殺される。「もし永田鉄山ありせば太平洋戦争は起きなかった」と言われた。最終階級は陸軍中将。家紋は五瓜紋。画像は青山霊園にて撮影。

古賀峯一。1885年9月25日 - 1944年3月31日、海軍軍人。
佐賀県西松浦郡出身。第28代連合艦隊司令長官であったが太平洋戦争において殉職した。殉職後は特旨により元帥号を授与される。最終階級は海軍大将。家紋は五瓜に剣唐花紋。画像は多磨霊園の名誉霊域の墓所にて撮影。

市川忍。1897年1月9日 - 1973年11月2日、実業家。
茨城県出身。伊藤忠商事に入社後、大同貿易を経て、丸紅商店に移る。丸紅の初代社長に就任。「正・新・和」の精神で「丸紅」発展の基礎を築く。大阪商工会議所会頭となる。家紋は五瓜に右巴紋。画像は多磨霊園の墓所。

佐分眞。1898年10月8日 - 1936年4月23日、洋画家。
名古屋市出身。読みは、さぶりまこと。『貧しきキャフェの一隅』が帝展で特選を受賞。その年から3年連続特選を受ける。光風会を退会した1935年の翌年、東京のアトリエで自殺。没後に佐分賞が設定される。家紋は五瓜紋。画像は多磨霊園にて撮影。

村山知義。1901年1月18日 - 1977年3月22日、小説家、画家。
東京市神田区末広町出身。父は海軍軍医。前衛美術団体マヴォ結成。今東光らと『文党』創刊。全日本無産者芸術連盟、日本民主主義文学同盟の結成に参加。小説「新選組」。絵本「おなかのかわ」。家紋は五瓜に平角紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。

秋元不死男。1901年11月3日 - 1977年7月25日、俳人。
神奈川県横浜市出身。本名は秋元不二雄。西東三鬼らと「天香」を創刊。山口誓子の「天狼」創刊に参加。「氷海」創刊。妹は劇作家の秋元松代。息子の秋元近史は『しゃぼん玉ホリデー』を手がけたテレビプロデューサー。家紋は五瓜紋。

五所平之助。1902年1月24日 - 1981年5月1日、映画監督。
東京神田に生まれる。本名は五所平右衛門。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督をつとめる。代表作は『新雪』『挽歌』『煙突の見える場所』『伊豆の踊子』等。紫綬褒章、勲四等旭日小綬章等を受章。家紋は五瓜紋。

大村主計。1904年11月19日 - 1980年10月17日、童謡詩人。
山梨県出身。読みは、おおむらかずえ。童謡「花かげ」を発表。童謡集「ばあやのお里」「麦笛」を刊行。また新聞社経営者としても手腕を発揮し東京タイムズ編集局長、スポーツタイムズ社長を務めた。家紋は五瓜紋。画像は文京区吉祥寺にて撮影。

朝永振一郎。1906年3月31日 - 1979年7月8日、物理学者。
東京市小石川区小日向三軒町に朝永三十郎(長崎県出身)の子として生まれる。くりこみ理論の手法を発明して量子電磁力学の発展に寄与した功績によってノーベル物理学賞を受賞。東京教育大学長、日本学術会議会長を務めた。家紋は五瓜に上り藤。

石田波郷。1913年3月18日 - 1969年11月21日、俳人。
愛媛県温泉郡垣生村出身。本名は石田哲大(てつお)。秋桜子主宰の『馬酔木』に投句を始める。代表句集『鶴の眼』。韻文精神に立脚した人間諷詠の道を辿り中村草田男、加藤楸邨とともに人間探求派と呼ばれた。家紋は五瓜に抱き茗荷紋。

織田作之助。1913年10月26日 - 1947年1月10日、小説家。
大阪市南区生玉前町にて、仕出屋「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。出世作となった「俗臭」「夫婦善哉」をはじめ、「競馬」「世相」など短編を得意とした。作品には大阪の庶民(特に放浪者)の暮らしが描かれていることが特徴。

春風亭柳昇。1920年10月18日 - 2003年6月16日、落語家。
東京都武蔵野市出身。本名は秋本安雄。次男はアニメ監督・アニメーターの知吹愛弓。社団法人落語芸術協会副会長(後に理事長)を務める。自身の体験を生かした創作落語・「与太郎戦記」は、後に映画化もされる。家紋は五瓜紋。

勝野洋。1949年7月27日 - 、俳優。
熊本県阿蘇郡小国町出身。妻はキャシー中島。テレビドラマ『太陽にほえろ!』において”テキサス刑事”役に抜擢され一躍人気者となる。代表出演作は『俺たちの朝』『姿三四郎』。家紋は五瓜に三階菱紋。林泉寺の勝野家の墓所にて撮影。

石丸謙二郎。1953年11月1日 - 、俳優。
大分県出身。つかこうへいの事務所にスカウトされて俳優デビュー。『世界の車窓から』のナレーションを務める。また、日本で初めてストリーキングを敢行したと自称している。家紋は織田瓜であることを『ぶらり途中下車の旅』にて告白した。

春風亭昇太。1959年12月9日 - 、落語家。
静岡県清水市(現静岡市清水区)出身。本名:田ノ下雄二。5代目春風亭柳昇の弟子。2005年には落語を題材にしたドラマ「タイガー&ドラゴン」に出演。2006年5月より日本テレビ系『笑点』の大喜利メンバーに加入。家紋は春風亭一門の五瓜紋。

木村拓哉。1972年11月13日 - 、俳優、SMAPのメンバー。
東京都出身、千葉県育ち。ジャニーズ事務所に所属。主演テレビドラマ多数。代表作は『ロングバケーション』『ラブジェネレーション』『CHANGE』『MR.BRAIN』等。家紋は、織田信長と同じ五瓜紋であることを告白。

藤森慎吾。1983年3月17日 - 、コメディアン、司会者。
長野県諏訪市出身。愛称は「しんご」。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のオリエンタルラジオのツッコミ担当。『武勇伝』ネタで有名だがしゃべくり漫才もする。「笑っていいとも!」にて家紋は家紋は五瓜に檜扇であることを告白。

湘南乃風。2001年 - 、音楽グループ。
RED RICE、若旦那、SHOCK EYE、HAN-KUNの4人をメンバーとする湘南を拠点に活動するレゲエ系グループ。代表曲「純恋歌」「カラス」「睡蓮花」等。「純恋歌」はカラオケ定番として歌い継がれている。グループのシンボルに五瓜に風の文字を採用。
まさむね

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[19 1 月 2009 | No Comment | | ]
矢紋 -幸福を射止める武具または神具- 世阿弥、曲亭馬琴、石原慎太郎...

矢は、武器であると同時に、儀礼や呪具でもある。
屋島合戦で、那須与一が平家の扇を射落としたのは有名な故事であるが、おそらく武士はこの紋に武運を託したのである。
また、時代が下ると、幸せを射止める神具としての矢という性格が強くなる。
この「三ツ矢」の由来は、平安時代中期に摂津源氏の祖源満仲が住吉大社(大阪市住吉区)の神託に従い「三つ矢羽根の矢」を放ち、矢の落ちた多田(現在の兵庫県川西市市内)に居城を建てたという伝説による。
平野鉱泉は満仲が狩の際に発見したと伝えられている。
三ツ矢サイダーの起源は、宮内省の御料工場であったが、後に三菱に払い下げられたという。三つ矢と三菱のマークをあわせて現在のマークが誕生した。
矢紋の全国分布であるが、滋賀県が最高の13位。兵庫県、岡山県で16位が高いところ。全国的には21位。
有名人は以下。
世阿弥。1363年? - 1443年9月1日、猿楽師。
幼名は鬼夜叉、二条良基より藤若の名を賜る。観阿弥と共に猿楽を大成し能楽を完成。観世流として現代に受け継がれている。代表作は『高砂』『井筒』『実盛』。元の家紋は十本矢車だが現在の観世流は十二本矢車(斎海寺にて撮影)。

片桐且元。1556年 - 1615年6月24日、武将・大名。
近江国浅井郡須賀谷の浅井氏配下の小領主・片桐直貞の子として生まれる。織田信長に仕えた後、石田三成らと共に長浜城時代の羽柴秀吉の家臣として仕えた。「賤ヶ岳の七本槍」の一人。家紋は片桐違矢。画像は青山霊園の片桐家の墓所にて撮影。

西郷局。1562年 - 1589年7月1日、女性。
西郷氏とは、九州の名門菊池氏の一門。彼女に縁ある西郷氏は、三河国へ移住した者の末裔と伝えられている。通称、お愛の方。徳川家康の側室として知られる。松平忠吉、二代将軍秀忠の生母。家紋は丸に一つ矢紋。画像は池上本門寺の墓所にて撮影。

服部半蔵。戦国時代から江戸時代初期、武士。
松平氏~徳川氏の麾下で活躍。半蔵門の由来となる。「伊賀の影丸」「あずみ」などのフィクションに登場。藤子不二夫の「忍者ハットリくん」は服部半蔵の子孫。家紋は源氏輪に並び切り竹矢筈。画像は護国寺の別の服部家の墓所にて撮影。

狩野探幽。1602年3月7日 - 1674年11月4日、絵師。
狩野孝信の長男として京都で生まれる。江戸城、二条城、名古屋城などの公儀の絵画制作に携わり、大徳寺、妙心寺などの有力寺院の障壁画も制作した。山水、人物、花鳥など作域は幅広い。家紋は丸に三つ並び矢。池上本門寺の狩野家墓所にて撮影。

荻生徂徠。1666年3月21日 - 1728年2月28日、儒学者・思想家。
江戸生まれ。本姓は物部氏。父は5代将軍徳川綱吉の侍医。徳川綱吉側近で幕府側用人の柳沢吉保に抜擢される。朱子学に立脚した古典解釈を批判し古文辞学を確立。主著は『弁道』『太平策』『政談』。家紋は丸に違い矢紋。画像は三田・長松寺にて撮影。

曲亭馬琴。1767年7月4日 - 1848年12月1日、読本作者。
本名は瀧澤興邦。江戸深川の旗本・松平鍋五郎の屋敷の用人、滝沢興義の三男として生まれる。24歳の時に山東京伝の弟子となり、読み本作家となる。代表作は『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』等。家紋は八つ矢車紋。画像は茗荷谷の深光寺にて撮影。

安場保和。1835年5月14日 - 1899年5月23日、官僚・政治家。
肥後細川藩出身。実業家・安場末喜は養子。先祖の安場一平は赤穂事件で大石良雄の切腹の介錯。岩倉使節団に加わり欧米を視察。帰国後、福島県令、愛知県令、北海道庁長官を務める。家紋は中陰三つ寄り矢筈紋。画像は文京区吉祥寺の墓所にて撮影。

宝生九郎。1837年7月10日 - 1917年3月9日、能楽師。
能楽シテ方宝生流16世宗家。本名は知栄。維新後衰退した能楽界にあってその復興の中心を担い初世梅若実・桜間伴馬とともに「明治の三名人」と並び称される。多くの後進を育て宝生流のみならず能楽界全体の発展に力を尽くす。家紋は九本矢車紋。

日下部鳴鶴。1838年10月6日 - 1922年1月27日、書家。
彦根藩士・田中惣右衛門の次男。本名は東作。中林梧竹、巌谷一六と共に明治の三筆と呼ばれる近代書道の確立者の一人である。門下生は3000人を数えたと言われ「日本近代書道の父」と評される。家紋は六つ矢車紋。画像は豪徳寺の墓所にて撮影。

品川弥二郎。1843年11月20日 - 1900年2月26日、政治家。
長州藩の足軽・品川弥市右衛門の長男。松下村塾に入門して吉田松陰から教えを受ける。尊王攘夷運動に奔走し薩長同盟の成立に尽力。明治政府では内務少輔、農商務大輔、内務大臣等を歴任。「トコトンヤレ節」の作詞者。家紋は、丸に割り違い矢紋。

平野富二。1846年10月4日- 1892年12月3日、実業家。
長崎生れ。矢次豊三郎の子。平野家に養子に入る。長崎製鉄所兼小菅造船所長となり、後の三菱造船所の基礎を築く。日本最初の民間造船所である石川島平野造船所(石川島播磨重工の前身)を創業。家紋は車挟み六つ矢車。画像は谷中霊園にて撮影。

寺尾寿。1855年11月4日 - 1923年8月6日、天文学者。
福岡藩士・寺尾喜平太の長男として、筑前国那珂郡春吉村に生まれる。文部省准奏任御用掛となり、日本において初めて子午環を用いた緯度測定を行う。日本天文学会を創立し、初代会長に就任。家紋は三つ重ね矢紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

芳村伊十郎(6代目)。1859年1月20日 -1935年10月3日、長唄師。
本名は鵜沢徳蔵。駿河国藤枝で5代目富士田千蔵の元で修行。16歳で上京し5代目芳村伊十郎の弟子となり芳村金五郎。その後5代目芳村伊四郎を襲名。1890年に歌舞伎座で立唄に昇進。1893年に6代目伊十郎を襲名。家紋は八つ矢車紋。画像は青山霊園にて。

小倉常吉。1865年9月 - 1934年1月1日、実業家。
埼玉県深谷出身。旧姓は柴崎。先代常吉の養子となる。石油販売業をはじめ、第1次大戦後、原油の輸入と精製に取りくむ。小倉石油を設立し日本石油と合併。日本の石油王といわれた。一方で、向島百花園を買い取り都に寄付。画像は多磨霊園にて撮影。

稲田龍吉。1874年3月18日 - 1950年2月27日、細菌学者、医学者。
愛知県名古屋市出身。ワイル病の病原体スピロヘータを発見し、ノーベル生理学・医学賞の候補となる。九州や四国の風土病だった出血性黄疸の病原体もワイル病病原体と同じであることを立証。家紋は丸に一つ矢紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

徳永直。1899年1月20日 - 1958年2月15日、小説家。
熊本県飽託郡花園村に貧しい小作人の長男として生まれる。労働者出身のプロレタリア作家として活躍。主著に『太陽のない街』『光をかかぐる人々』『はたらく一家』等。家紋は丸に違い矢紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。

村野四郎。1901年10月7日 - 1975年3月2日、詩人。
東京府出身。スポーツを題材にした詩にベルリン・オリンピックの写真を組み合わせた斬新さと新鮮な感覚が注目を浴びる。代表作は『罠』『亡羊記』。村野四郎記念館が府中市郷土の森博物館内にある。家紋は丸に八つ矢車紋。画像は多磨霊園にて撮影。

栗原貞子。1913年3月4日 - 2005年3月6日、詩人。
広島市出身。1945年8月6日に爆心地の4キロ北の自宅で被爆。反戦・平和を訴え続ける。『生ましめんかな』は代表作。戦後は夫の栗原唯一とともに執筆活動を行い、反戦・平和を訴え続けていた。1990年第3回谷本清平和賞受賞。家紋は丸に違い矢紋。

有吉佐和子。1931年1月20日 - 1984年8月30日、小説家。
曽祖父は長州藩士の有吉熊次郎。カトリック教徒で洗礼名はマリア=マグダレナ。『地唄』が文學界新人賞候補、ついで芥川賞候補となり一躍文壇デビュー。代表作は『紀ノ川』『華岡青洲の妻』。家紋は亀甲に並び矢。画像は小平霊園の墓所にて撮影。

石原裕次郎。1934年12月28日 - 1987年7月17日、俳優・歌手。
山下汽船に勤める父・石原潔 母・光子の次男として出生。石原プロモーション創始者。現東京都知事の石原慎太郎は実兄。代表出演作『嵐を呼ぶ男』『太陽の季節 』『黒部の太陽』等。永遠の大スター。家紋は七つ矢車。画像は総持寺にて撮影。

西川きよし。1946年7月2日 - 、お笑い芸人。
高知県高知市出身。大阪市育ち。本名は、西川潔。横山やすしとの漫才コンビ「やすしきよし」で活躍し、漫才ブームの火付け役となる。吉本興業では、桂三枝、笑福亭仁鶴と共にトップに君臨。1986年から三期18年に渡って参議院議員も務めた。

世耕弘成。1962年11月9日 - 、政治家。
大阪府大阪市天王寺区生まれ。父は近畿大学第3代理事長世耕弘昭(弘成自身は第4代理事長)。祖父は政治家・世耕弘一。安倍内閣の内閣総理大臣補佐官として政権入りした。家紋は丸に矢尻付き三本重ね矢。画像は多磨霊園の世耕家の墓所にて撮影。

豊ノ島大樹。1983年6月26日 -、大相撲力士。
高知県宿毛市出身。本名は、梶原 大樹。時津風部屋所属。家紋は丸に並び矢紋。現在、現役では最も背の低い関取であるが、最高位は関脇。琴奨菊とは学生時代からの良きライバル。画像は自身のブログより。多度神社(神紋は桐紋)豆まきの時のもの。
平野富二の紋に関しては、「家紋の真実」を主宰されている日本家紋研究会副会長の高澤等先生にご教授頂きました。
まさむね