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東京は死者に守られている霊的要塞都市である

19 2 月 2009 No Comment


徳川家康が幕府を開き、江戸の町を作ったときに、風水的な備えをした事はよく知られている。
例えば、日光東照宮を江戸城の真北に、鬼門(東北)に東叡山・寛永寺を置いた。

それから、約260年後、大政が奉還されて、江戸城は官軍に明け渡され、明治時代が始まった。
明治政府は幕府とは違う霊的防御をしようとした。
その中心的施設として、新政府のために命を落とした霊を顕彰するために、1869年に東京招魂社を創ったのである。
東京招魂社は最初、上野の山に建設するという案もあったようだが(木戸孝允案)、上野は彰義隊の血が流れた生々しい土地という事で、結局は大村益次郎案が採用され、九段になったという。
これが、後の靖国神社である。
この靖国神社の鳥居が神田明神の真正面を向いている事、冬至の太陽が沈む方向に江戸の浅草寺を見る場所にあるという事、そしてその真反対の方向に明治神宮があるという事の意味は、神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)に詳しいが、僕は、霊的都市東京は、それだけで完成したわけではなかったと思っている。

明治政府は、1869年に東京招魂社が建立されてからの5年後の1874年に谷中霊園、青山霊園、雑司が谷霊園を創っているのだ。
実は、この三霊園に築地本願寺[1]を加えた4つの墓所を線で結ぶと正確に長方形になる。
そして、その長方形の中心に靖国神社がある。
これは単なる偶然であろうか。

さらに、その後、1923年に多磨霊園を増設。この霊園は、靖国神社のほぼ真西に存在している。(これで、明治維新から戦前に作られた都内の大霊園がすべて意味ありげな配置にあることがわかる。)
また、染井霊園は江戸時代から続いている墓地であるが、靖国神社のほぼ北に、両国の回向院はほぼ東に位置している。[2]

上記のように見てみると、靖国神社が、絶妙な位置にあることに改めて驚愕する。
それぞれの墓地に眠る有名人の一部を以下に上げてみよう。

築地本願寺  佐藤栄作、樋口一葉、服部良一、海音寺潮五郎...
染井霊園   若槻礼次郎、幣原喜重郎、岡倉天心、高村光雲...
雑司が谷霊園 小泉八雲、夏目漱石、東條英機、永井荷風...
青山霊園   吉田茂、大久保利通、池田勇人、志賀直哉...
多磨霊園   東郷平八郎、高橋是清、三島由紀夫、岡本太郎...

明治政府は、死者達に守られた霊的空間東京を作ろうとしたのである。東京は、外部からの邪悪な霊を死者の力によって防御しようとした極めて強固な霊的要塞に守られていると言うべきなのだ。[3]そして、もしそうであるとするならば、安易に靖国神社を廃社したり、国立慰霊施設を別の場所に設立するなどということは慎重にすべきかもしれない。
今後、考察を続けたいテーマである。

[1]ただし、築地本願寺の墓地は関東大震災を契機として1934年に和田堀廟所が作られ、多くの墓が築地から移築されている。
[2]したがって、両国国技館も靖国神社のほぼ真西に位置する。ちなみに、靖国神社の真南には国会議事堂と東京タワーもある。
[3]また、最近の都市伝説として、東京を一周する山手線の東北-西南にそれぞれ位置する、上野と渋谷にある、西郷像とハチ公像の犬が東京を守るための狛犬との説もあって興味深い。(なおすけの都市伝説)より

まさむね

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