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Articles Archive for 2 月 2009

書評 »

[23 2 月 2009 | No Comment | | ]

現代アートについて、アフター・ザ・リアリティというコンセプトがある。
それは、いわゆる9.11テロ以降の、様々な意味でのアメリカ中心主義の崩壊を前提としたアートということだ。
グローバリズムの元、アメリカ的価値観を知らず知らずのうちに、内面化してしまい、それぞれの伝統的な生活文化の崩壊に鈍感になってしまっていた世界中の人々に対して、そのシステムが既に無効になっている事を突きつけるようなアートである。
具体的には、それらの作品は、それまで自分達の周りにこびりついていたハリウッド的(日本で言うならば、テレビバラエティ的)なイメージの牢獄を解放するような強度をもったオリジナルな世界観の提示をする。
「現代アートバブル」では、それらのアーティストの代表として榎本耕一、東義孝、福井篤、松原壮志朗、塚田守、木村友紀の6人を紹介している。
写真付きで解説されてあるこれらのアートはそれぞれ力作であることは伝わってくる。
しかし、実のところ、僕はどうしても現代アートに違和感を感じざるを得ない。
アフター・ザ・リアリティのコンセプトは理解できるのだが、現実として、それらの現代アートがビジネスとして成り立っている背景に、金融グローバリズムによって生じた富裕層の投資マネーがあるという現実とどう折り合いをつけているのだろうか、という点が気になってしまうのだ。
もっとも、この本によると、極めて順調に日本の現代アートが世界に受け入れられ、ビジネスとしても前途洋洋のような印象を受ける。また、素人の我々は、どのように現代アートに接すればいいのか、購入すればいいのかなどの実践的なアドバイスも、この書には書かれている。かなり親切である。
しかし、この本の初刷は2008年9月20日、リーマンブラザースの破綻が9月15日だから、ほぼ同時期の発売ということである。現時点(2009年2月)でのアートビジネス、そして、アフター・ザ・リーマンショックとも言うべき現在のアートシーンは大丈夫なのだろうか。この本の題名をそのままお返ししたい気にもなってくる。現代アートバブル いま、何が起きているのか???
ちなみに、現時点(2.23)で、現代アートマニアのためのコミュニケーションサイト(ロープスwww.loaps.com)のアクセスが出来なくなっている。
(上記サイトは現在はアクセスできるようになっています。)
まさむね

政治 »

[22 2 月 2009 | No Comment | | ]

中川前財務相の失態は目を覆うばかりであった。
最初の言い訳は風邪薬を飲みすぎた>実は、パーティでワインを嗜んでいた>本当はパーティ後に記者とワインを飲んでいた>実は、記者会見後にバチカン見学した>本当はバチカンでは警報機も鳴らしていた
毎日、小出しに出てくる新事実は、今更バカらしいというのもバカらしいほどだ。
最初に謝罪して、即、辞任すればまだよかったのに。
事後対応において、次の一手も読めないような人が国を背負う大臣だったのかと思うと悲しくなる。
その先読み力は、ほとんど船場吉兆の女将と同じレベルだった。
勿論、麻生首相も同罪、あるいはそれ以上の罪深さだ。
中川財務相の弁護か、自己弁解かわからないが「私の目の前で酒を飲んだのを見たことがない」とのこと。
こんな状況になって誰がその言葉を信じることが出来ようか。
さらに、そんな麻生首相は19日の衆議院予算委員会で、自民党内から政権運営への批判が出ていることについて、「景気回復の一点に絞って、全知全能を傾けて全力で取り組む」と述べ、景気回復に全力をあげることで党内の理解を得たいという考えを示したという。
首相はいつから、全知全能の神になったのか。
これでもう、完全にアウトだろう。
政策議論以前の話だ。
確かに、漢字が読めなくてもいいではないか、あるいは議院内閣制なのだから、任期まで任せよう。というような議論があるのは知っている。
こういった失態、失言、辞任等の影には官僚、財界、マスコミ等の権力闘争があるから、冷静に見なければいけないという事も薄々ではあるが理解している。
しかし、モノには限度がある。
たとえ、彼等の政策が素晴らしいものであったとしても、信頼感を持てない人々、そして、自分達が選んだ感を全く感じさせない人々が勝手に政治を動かしていることこそが問題だ。
いつまで、「悪いようにはしないから、黙ってついて来い」と言いつづけるのだろうか。
そして、麻生首相の根拠の無い自信はどこから来るのであろうか。
オードリー春日の傲慢芸が、今年に入って急にブレークしているのは、もしかしたら、それが偶然、麻生首相のパロディになっているからかもしれない。
とすら思う。
まさむね

テレビドラマ »

[21 2 月 2009 | No Comment | | ]
スズキは風太郎のズラ方言に気を悪くしないのだろうか

「銭ゲバ」が急展開である。
父親が殺されて廃人になってしまった緑(ミムラ)が、実は演技をしていただけだったのだ。
驚いて声も出ない風太郎(松山ケンイチ)、そこに風太郎の過去を追っていた刑事・荻野(宮川大輔)が三國家に乱入。
風太郎は逮捕されてしまう。
絶体絶命の風太郎。
緑と風太郎の戦いが始まるのか...
勿論、劇中での緑と風太郎の戦いもあるが、同時にミムラと松山ケンイチという2人の実力派俳優の演技力の戦いという様相も呈してきて益々楽しみだ。
前にも書いたが、「銭ゲバ」はストーリー、構成上の矛盾は横に置いてこそ楽しめる活劇ドラマである。
さて、その一方で、僕の興味は隠れ提供スズキとドラマの関係である。
年末から年始にかけて、大量の「派遣切り」を発表して世間的に非難されたスズキが、派遣社員から社長にのし上がるドラマのスポンサーをするという大変微妙なシチュエーションが、この「銭ゲバ」を楽しむ上での影のスパイスなのである。
最近の数回は、番組前の集中CM(本日は4本)で提供クレジット無しというパターンで固定化されてきたが、今回はドラマの中にその影響が垣間見られた。
ドラマの冒頭、社長に就任した風太郎が役員会やマスコミに、派遣社員を全員、正規雇用にし、慈善事業に力を入れる旨を言い渡す。
三國造船の社会的信用が一気に高まるのだ。
しかし、その影で風太郎はつぶやく。
これは”金”のためだと。
社員は自分の金儲けのために働くのだと。
ようするに、風太郎のつぶやきを通して、「派遣切りをしない企業があったとしても、それはただ、評判を気にしの事で別に社員の幸せを考えているわけではない」という”事実”を暗にほのめかしているのではないか。
これは深読みだろうか。
さて、もう一つ気になるのが、風太郎の口癖、いやトレードマークになった感もある「~ずら」という静岡方言である。
実は、この静岡方言は、ちょうど「銭ゲバ」が少年漫画として発表された1970年~71年頃に、「細うで繁盛記」という熱川を舞台にした旅館ドラマにおけるいじわるな正子(富士真奈美)の口癖でもあり、この時期、「銭ゲバ」との相乗効果でかなりイメージの悪い言葉として定着してしまったという過去がある。
静岡県に本社を置いているスズキにしてみれば、敢えてここで、静岡方言の悪イメージを再現させるドラマ企画に乗ったというのは何故であろうか。
いろいろと考えさせられるドラマである。
前回エントリー:「銭ゲバ」は提供企業のCMも含めて楽しむドラマである
まさむね

時事ネタ »

[21 2 月 2009 | No Comment | | ]

2月18日、歯の治療がうまくいかなかったと腹を立て、その腹いせに、歯科医院に対して、その玄関先にアジの干物を並べたりする嫌がらせをした男(奈良県大淀町桧垣本の60才)が、威力業務妨害の疑いで逮捕された。
嫌がらせにもいろいろあるだろうに、何故アジなのだろうか?
確かに、並べられたほうは、嬉しくはないと思うが、どうせ嫌がらせるのなら、他にもあるだろう。
面白い事を考える人がいるものだ。
しかし、これがリアルな現実である。
名もない人々の突飛な発想と行動力は時として、シナリオライターのはるか上を行くということを改めて考えさせられた。
        ★
また、この事件は2チャンネルのニュー速+で、以下のような洒落の利いた書き込みが続いた事でも記憶されるだろう。
5 :名無しさん@九周年:2009/02/19(木) 18:16:56 ID:sL136ah5O
  ヒドい歯無しだな
6 :名無しさん@九周年:2009/02/19(木) 18:17:07 ID:U6kGvnsYO
  アジなことしやがる
7 :名無しさん@九周年:2009/02/19(木) 18:17:27 ID:2sihJP480
  歯科医師に仕返しとな
        ★
ちなみに、容疑者は「恨んでいたのは確かだが、やっていない」と否認しているという。これもまた、ひとつのリアルだ。
まさむね

時事ネタ »

[20 2 月 2009 | No Comment | | ]
珍名表札を盗んで添い寝のコンセプチュアルアート

2/17のニュースであるが、5年間にわたって、千葉県や埼玉県、東京都などで他人の表札を盗み続けた男が逮捕された。
逮捕されたのは、埼玉・蕨市に住む無職・丹羽康裕容疑者(42)。
自宅には、289枚の表札が布団の周りに並べられていたという。
丹羽容疑者によると「珍しい名前や楷書(かいしょ)体の表札が好きだった」とのこと。
世の中には色々な人が居るものだと、客観的な視線で言いたいところだが、実は僕は、情けないことに、この丹羽さんの気持ちが凄くよくわかってしまうのだ。
僕の場合は墓石の家紋マニアなのだ。
しかし、僕は小心者だし、他人の墓石を自宅まで持ってくるわけにはいかないので犯罪行為には及んでいない。
もっとも、墓石を持ってきたとしても、多分、妻には怒られるだろうし、他人の墓石と添い寝するのはちょっと、危険なのでしないだけ(かもしれない)。
だから、携帯で写真を撮って、デスクトップ上で並べてみているという、極めて常識的な範囲で楽しんでいる。
よろしかったら、本ブログの有名人の家紋もご覧ください。
それにしても、一人暮らし無職の男が、六畳の自室で珍しい名前の表札に囲まれて裸で寝ているという絵はかなりシュールではある。
ある意味、丹羽さんの行為自体は、孤独な現代人の内面という日本社会の一面を切り取ったコンセプチュアルアートではないか。
「千と千尋の神隠し」では、千尋やハクは、湯婆婆に名前を奪われる事によって、奴隷のように働かされるが、丹羽さんも表札を盗むことによって、擬似的に珍名さん達を支配しようとしたのかもしれない。
ちなみに、偶然の一致だとは思うが、日本における姓名研究の第一人者も丹羽という名前(丹羽基二氏)である。
丹羽康裕さんは表札を盗むことによって、日本中の姓名を支配しようとし、丹羽基二氏は、名字研究をする事によって、日本中の姓名を把握しようとしたのである。
まさむね