Home » Archive

Articles Archive for 3 月 2009

C 型肝炎日記 »

[31 3 月 2009 | No Comment | | ]

一時の顔面湿疹はだいぶ治まったが、まだまだ顔がかゆい。
12月にインターフェロンを中断してネオファーゲンに替えたが、相変わらず痒いのはつらい。
結局、自分にはインターフェロンは効かなかったと判断せざるを得ないだろう。
ドクターの話だと、やっぱり2割~3割の患者には効かないらしい。
ただ、効かないといっても、ウィルス根絶までは行かなかったということで、数値的にはかなりよくはなってきているようだ。
それゆえ、痒み以外、体調はだいぶもどってきたので、来月からサラリーマン生活復帰するつもり。
週に2回のネオファーゲン注射で肝機能を維持し、インターフェロンの次の治療方法が出現するのを待つことにした。
確かにネオファーゲンは悪くない。
以下の4点でいい。
1)インターフェロン+レベトール(飲み薬)は1回で1万円もかかるが、ネオファーゲンは300円程度。
2)注射もネオファーゲンは量的にはかなり多いが血液注射なのであまり痛くない。
3)注射の副作用もなさそう。
4)ドクターとの面診も毎回は必要が無いので、順番待ちの時間も短くて済む。
治らない=現状維持するだけ、週2回(あるいは3回)注射しなければならないという事以外はいいことが多いようだ。
とりあえず、このままの治療をつづけていこうと思う。
まさむね

日常雑事 雑感, 書評 »

[30 3 月 2009 | 2 Comments | | ]

普段は、対談本というのはあまり読まないのだが、BOOKOFFで思わず買ってしまった。
茂木健一郎先生と波頭亮先生の対談「日本人の精神と資本主義の倫理」という本だ。
基本的には、日本にハイカルチャーが無いことを二人で嘆いている内容だである。
お二人ともイギリスなど、海外経験が豊富なため、日本の大衆情報化社会を嫌悪しておられるようだ。
特に茂木先生いわく「正直に言って、僕は日本の地上波テレビを途轍もなく憎んでいます。」だって。それはないだろう。あれだけテレビのバラエティに出まくっていながら(笑)。
でも、僕もテレビばっかり観ているが、時として茂木先生と同じような感想を持つこともある。
おそらく、多くの人が、しょうがなくテレビを見ているのが現代だ。
ただ、テレビは社会を映す鏡というのも一面の真実。
だから、テレビを見ていないとわからないことも沢山あると思う。
例えば、最近の麻生内閣の支持率アップの理由とか、テレビを見まくっていれば簡単に予想できると思う。
話をもどそう。
日本のハイカルチャーが無いという話だった。
別の言い方をすれば、「売れてなんぼのもの」に拮抗する価値観が無いのが問題だということ、その価値に対抗する軸が無いことが問題だということである。
確かに、テレビを見ているとそんな気がしてくる。
特にバラエティ番組を見ていると、各局一斉にある時から急に使われなくなるタレントがいたりする。
例えば、エドはるみとか、髭男爵とか、ここ数ヶ月あまり見なくなった。かわりに、最近とみに出演しまくっているのがオードリーだ。
しかし、一人ひとりの個人を、よく見ているとはたして、そんなに画一的なのだろうか。日本人は。
僕はそうでもないように思う。
みんないろんな事を考えて、いろんなものが好きだったり嫌いだったりなんじゃないかと思う。
少なくとも僕のまわりの人々はそうだ。
でも漠然と、大衆とか言っちゃうと、没個性に見えちゃうんだな。これが不思議に。
またテレビのバラエティにしたってそうだ。かつて村松友視さんが、プロレスを語ったときに、「ジャンルに貴賎無し、ジャンルの中に一流と五流がある」と言っていたが、まさしくそう。バラエティ全般がくだらないのではなくて、バラエティの中に面白いのとくだらないのがあるのだ。
これは僕の個人的感想だけど、バラエティの中でもロンハーは一流だけど、行列は五流だ...と思う。
さて、この本の最後の方で、茂木先生が面白い事を言っている。
天皇陵に対して、「つまり放っておかれていることで、それ自体が価値を帯びてくる時代だと思うわけです。東京なんてひどいものでしょう。触れれば触れるほど汚くなっていく。しかし、放っておかれているものは、近代文明の影響を受けないから、そこには原点が残っているように思うわけです。」とのこと。
そういう文脈でいえば、僕は鄙びたお寺の墓場が好きだ。
そこに入るとまるで異空間が広がっている。
さらに、そこに有名人の墓があったりすると、急に想像が膨らむ。その人に本当に会えたような気すらするのだ。
先日、恵比寿に行った帰りに、田町の蓮乗寺という日蓮宗のお寺に行った。
勝新太郎の墓を見に行くためだ。
ここの墓場はよかった。
都会の中でここだけ取り残された感が素晴らしい。
特に、狭いところに墓が密集しているセコさがいい。
一般の人の墓とスーパースターの墓がまるで分け隔てなく乱雑に存在しているろことがいい。
ところで、このお寺は正式名称が光秀山蓮乗寺という名前だ。ん?光秀?と思ったら、寺の寺紋も剣桔梗だった。
これには深いわけがありそうだ。
こんなちょっとした謎を投げかけてくるところがいい。
そういえば、振袖火事の本妙寺も日蓮宗だし、光秀が信長を殺した本能寺も日蓮宗だ...などなど。
ディズニーランドのような完璧な人工的な謎も確かに面白いだろう。
でも、こういった自分で見つける謎も(欠点は答えが無いことが多いことだが)時には面白い。
あと、最後に、幻冬舎新書のタイトルのつけ方は上手いな。ついつい買いたくなってしまう。さすがその道のプロだ。
まさむね

相撲/プロレス/格闘技 »

[29 3 月 2009 | No Comment | | ]

白鵬が10回目の優勝を果たした。
千秋楽での朝青龍との一番は、その強さをいかんなく発揮した一番である。
残念ながら朝青龍はほとんど何も出来ず、白鵬が得意の右四つの体勢から上手を取ると、朝青龍は自ら諦めてしまったかのような印象すら受けた。
いわゆる地力の違いを見せ付けるような内容に、朝青龍と白鵬との、現時点での差が残酷にも現れてしまったのではないか。
白鵬は、不知火型の横綱としては、初の二ケタ台の幕の内優勝回数ということで、それまで不知火型横綱で一番の優勝回数を誇った伝説の大横綱・太刀山の記録を抜いたことになる。
史上3位の最年少10回優勝達成記録、24歳0ヶ月。これは、北の湖や千代の富士よりも早く、順調に行けば、優勝回数20回、30回も夢ではない。素晴らしい記録の達成に、はやくも大横綱誕生を予感させる。
さて、その白鵬の力士としてのタイプであるが、非常に静かな印象がある。
激しいツッパリや、派手な投げ技も持っているのだが、基本的には相撲の基礎に忠実に、前に出ながら自分が有利な体勢を徐々につくり、最後、相手が何も出来ずに、いつの間にか土俵の外に出ている。
そんな相撲が目立つのだ。
千秋楽の朝青龍との一番もそういった内容であった。
先ほど、不知火型の大横綱として名前を出した太刀山が現役時代に、「にらみ出し」という珍妙な決まり手で勝ったという伝説がある。これは、仕切っているうちに、相手の力士がじりじりと下っていき、勝手に土俵を割ってしまったというウソのような本当の話だ。
ようするに、、その内面から出てくる気迫によって相手を何もしないうちに負かしたということであろう。
白鵬を見ていると、そんな伝説を思い出す。
相手がいつの間にか負けている、何もしないうちに気付いたら土俵を割っている、そんな理想的な「横綱相撲」が出来る風格を白鵬は徐々に身に付けているのではないか。
末恐ろしいと、彼のような力士に使う言葉である。
      ★
その他、今場所、よかった力士を上げてみよう。
まずは、豪栄道。まだ、強いときと、あっさりと負けてしまう時との相撲内容の差は大きいが、ご当地、大阪での人気は抜群だ。
これから、大阪場所が来るたびに、豪栄道の季節が来る予感がする。(左写真は把瑠都をうっちゃらんとする豪栄道)
そういえば、大阪出身の力士はあまり記憶にない。
僕が印象に残っているのは前の山と卓越山くらいか。
前の山はその鶯色のまわしが印象的なハンサムな大関。卓越山は、むしろ引退後、全日本プロレスに加入した高木功としての印象の方が強い大きな力士だった。
ただ、自分としては、同じ大阪出身で1986年生まれの若い格闘家という意味で、柔道の石井慧と印象がダブる。二人とも聞かん坊的な面構えがいい。やっぱり格闘家は体全体から、いい意味での「わがまま」さがにじみ出てるほうが魅力的だ。
また、自分の贔屓で言うならば、把瑠都と山本山が勝ち越したのがとりあえず嬉しかった。
両方とも、尾上部屋の大型力士だ。二人とも大型力士にありがちな波の多さが気になるが、逆にいえばその「おおらかさ」が魅力でもある。
特に把瑠都は、一時は4勝7敗まで追い詰められながらも、結局は千秋楽で星をそろえた。以外に精神的に強いのかも。
千秋楽の相撲も、愛子様のお気に入り琴光喜の下手投げを上手投げで投げ返す強引な取り口で勝利をもぎ取った。把瑠都ならではの力相撲である。
今場所は中盤、いつもの強引な「肩越しの上手つかみ」も影をひそめ、ヤバイ印象だったが、後半は自分を取り戻したようだ。
やっぱり、把瑠都はああじゃなくっちゃ。
最近、あまり見かけなくなった「つり出し」を復活できるのは、彼しかいないと思う。
また、山本山も今場所は楽しませてくれた。
彼も把瑠都と同じように中盤に、疲れたのか、相手に研究されたのか、苦しい土俵が続く日々もあったが、負けても館内を明るくしてくれる雰囲気がいい。
天性のエンターテイナーなのだろう。
舞の海>高見盛>山本山という日大個性派の系譜は脈々と生きているといったところか。
      ★
いずれにしても、大阪場所はアッという間に終わってしまった。
次の場所では、自分も仕事復帰しているだろうから、毎日、全取り組みを見ることは出来なくなると思うが、それでも、さらに応援し続けたい。
まさむね

歴史・家紋 »

[28 3 月 2009 | 6 Comments | | ]
平将門と桔梗との因縁都市・東京の歴史

江戸、東京をつらぬいて渦巻き、闇の戦いを繰り広げている2つの勢力がある(三善里沙子氏)という。
2つの勢力の一つの中心にいるのは、平安時代に朝廷に対して反旗をひるがえした平将門の怨霊である。
その将門が残した一つの伝説。
それが桔梗伝説だ。
将門を裏切って敵に将門の欠点を教えた桔梗という一人の愛人への怨念。
それ以降、将門の怨霊、及び、将門にシンパサイズする人々は桔梗、そして桔梗紋を忌み嫌うようになったのである。
       ★
しかし、他方、将門に敵対する勢力(朝廷)、すなわち将門の怨霊を排除しようとするもう一方の闇の力があった。
その闇の力は、逆に桔梗紋を身に付けていた人々を使って東京=江戸を、そして日本を支配下に治めようとする。
まずは、室町時代、江戸に城を作り、その地を治めた太田道灌。彼の勢力はこの地に拡大していく。
しかし、なぜか、道半ばで主君によって暗殺されてしまう。
彼の家紋は細桔梗だった。
その後、江戸に転じてきた徳川家康が江戸城を拡張し、この地を治める。その際、霊的守護のために将門の力を借りたといわれている。
この件に関しては「神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)」に詳しい。
それによると以下のように、将門の首塚をはじめとして、五街道と江戸城の堀の交点のそれぞれに将門の体の一部を奉った神社を配置したという。
首塚(首) 大手門(奥州街道)
神田神社(胴) 神田橋門(日光道)
鳥越神社(手) 浅草橋門(奥州道)
世継稲荷神社(首桶) 田安門(中山道)
筑土八幡神社(足) 牛込門(中山道)
兜神社(兜) 虎ノ門(東海道)
鎧神社(鎧) 四谷門(甲州道)
そしてこの霊的守護をプロデュースしたのが、謎の怪僧・天海である。実は、この天海は、山崎の合戦の後、逃げ延びた明智光秀と言われている。勿論、明智光秀も桔梗紋者である。天海は、将門の怨霊を鎮め、その怨霊を御霊に変える事によって江戸を支配しようとしたのであろうか。
さらに、天海霊界支配プロジェクトのもう一つが、日光東照宮創建であるが、東照宮の建物の彫刻には三つ葉葵の他に、いくつもの桔梗紋が彫られているというが、それは何を意味するのか。これに関しては、今後も考えていきたい。
        ★
しかし、江戸の町は、幕府開府から49年後の1657年の春、明暦の大火(振袖火事)によって、大半を焼失してしまうのであった。
そしてその火事の原因に関して、一つの噂が流れた。それは、この火事の原因となった振袖の噂である。
(以下、Wiki「明暦の大火」より引用)
ウメノは本妙寺の墓参りの帰り、上野のお山に姿を消した寺小姓の振袖に魂を招かれて恋をし、その振袖の紋や柄行と同じ振袖をこしらえてもらって夫婦遊びに明け暮れた。その紋は桔梗紋、柄行は荒磯の波模様に、菊。そして、恋の病に臥せったまま承応4年(明暦元年)1月18日(1655年2月22日)、17歳で亡くなった。寺では葬儀が済むと、不受不施の仕来りによって異教徒の振袖は供養せず、質屋へ売り払った。その振袖はキノの手に渡ったが、キノも17歳で、翌明暦2年の同じ日(1656年2月11日)に死亡した。振袖は再び質屋を経て、イクのもとに渡ったが、同じように明暦3年の1月18日(1657年2月28日)に17歳で亡くなった。
イクの葬儀に至って三家は相談し、異教徒の振り袖をしきたりに反して、本妙寺で供養してもらうことにした。しかし和尚が読経しながら振袖を火の中に投げ込んだ瞬間、突如吹いたつむじ風によって振袖が舞い上がって本堂に飛び込み、それが燃え広がって江戸中が大火となったという。
この伝説は、矢田挿雲が細かく取材して著し、小泉八雲も登場人物は異なるものの、記録を残している。また、幕末以降に流布された振袖火事伝説を、江戸城火攻めの声明文として解釈すると、振袖の寺小姓は、1590年に上総の万木城を徳川軍勢に攻め落とされた土岐家の子孫が浮かび上がる。さらに、その寺小姓は、上野の寛永寺の天海の弟子で、後に、波の伊八で有名な上総和泉浦の、火攻めの兵法に長けた飯綱権現をご本尊とする寺の住持であることが伺える。 そして、不住不施派からの改宗を余儀なくされた上総の法華信徒は、その寺小姓と手を携え合い、狐に括り付けた烏の翼に火を放つ飯綱権現の兵法を吸収し、江戸城と城下の火攻めを決行したことが読み取れる。

さて、この伝説が意味するところは何か。
天海の流れをくむ桔梗紋者が、江戸を火の海にしたということであろうか。
そうであるとするならば、この事件は、反将門勢力の復讐ということになる。
そしてさらに、桔梗紋の振袖を伝説の重要なアイテムとして利用することによって、江戸の人々に対して、この事件を将門の怨霊の仕業として印象づけようと画策したのかもしれない。
しかし、そうだとしたら、それはなんとも皮肉な結果を生み出す。
逆に、この振袖火事は、結果として江戸を新しい大都市に生れ変らせてしまったからである。
そのため、この明暦の大火には、幕府放火説もささやかれたという。
大局的に、しかも霊的に見れば、この事件は将門の怨霊ではなく、将門の御霊が江戸発展のために、敢えて行った江戸大手術だったのかもしれない。この事件に関しても今後、さらに考えて行きたい。
        ★
そして、その後、約200年の間、平和な徳川時代は続き、幕末をむかえる。
新しく覇者となった明治新政府が首都・東京を治める最大のテーマは「なるべく江戸の町を壊すことなく、徳川から朝廷のものにする」ということであった。
そのために必要なのが江戸無血開城であった。
実は、この時の交渉で一番働いたのが幕府方にありながら尊王攘夷派の山岡鉄舟(左写真)である。彼は大仕事をやり終えた後、一旦は篤姫達と駿府へ行くが、西郷隆盛の要請に従って、明治政府に出仕し、10年もの間、侍従として明治天皇に仕えた。そして、1888年7月19日9時15分、鉄舟は、皇居に向かって結跏趺坐のまま絶命したといわれている。胃癌であった。
彼は、桔梗紋者であったが、それにもかかわらず、悲惨な死は遂げていないのである。
天皇の侍従でありながら、全生庵という寺を創建し、維新に殉じた幕府側の人々を供養した。その公明正大な精神に、怨霊も手を出せなかったのではないだろうか。
       ★
さて、話は替わる。徳川の霊的守護に対抗して、明治政府、すなわち朝廷の霊的守護は、靖国神社と、それを中心とした3つの霊園(谷中霊園、雑司が谷霊園、青山霊園)と築地本願寺の5つの霊的スポットの配置で行おうとしたというのが僕の説である。(東京は死者に守られている霊的要塞都市である)
おそらく、それを構想したのは、もう一人の桔梗紋者・大村益次郎ではないだろうか。最初、木戸孝允が靖国神社の場所を上野に置こうとしたという。しかし、それでは幕府の霊的守護とぶつかるというので、益次郎は、靖国神社を九段に置いたのである。
先に引用した「神社の系譜 なぜそこにあるのか」にもこう書かれている。
神田神社には主祭神として地霊・平将門公が祀られていたが、1874年に明治天皇が参拝する際、無礼になるとして主祭神から外されたのも、その一環であろう。しかも、通常神社は南面するはずが、靖国神社の参な道は北西17度という微妙な角度をもっており、この軸線を延長すると、平将門の足を祀る筑土神社を通過し、さらに神田神社へ達するのである。
つまり、地霊・平将門公の神格を利用しつつも、主祭神から外し、それにとって代わろうという意図が見え隠れするのだ。このように靖国神社の配置は、極めて巧妙に決定されていることがわかる。

さらに、大村益次郎は、兵部省兵部大輔として帝国陸軍の基礎を作った。
彼は明治2年に暗殺されてしまうが、帝国陸軍(天皇の軍隊)に桔梗紋を残す。
帝国陸軍の象徴である五芒星(左写真)は、別名、清明桔梗紋という桔梗紋の一種なのである。
しかし、ご存知の通り、帝国陸軍は。その組織自体が悲惨な最後をむかえてしまう。
これも桔梗紋の因縁、将門の怨霊の仕業だろうか。
       ★
さて、戦後、東京の霊的守護の中心地、靖国神社は微妙な状態に立たされる。
ご存知の通り、靖国問題は、日本を思想的に分裂しかねない大きな問題となってしまっているのだ。
靖国問題を起こしたイデオローグの拠点は朝日新聞だが、この靖国論戦が激化したのが朝日新聞が築地に移転した1980年以降というところが気になる。
靖国神社を囲む長方形の南東の頂点である築地本願寺の霊園は、実は関東大震災後に被害を受け、和田堀廟所に移転してしまった。
すなわち、谷中霊園、雑司が谷霊園、青山霊園、築地本願寺の墓所からなる結界の1点が欠けてしまったのである。
ちなみに、東京大空襲の際のB29はその結界が切れた南東の方角から東京の上空を襲ったのであった。
そして、戦後しばらくたった1980年、その欠損点に朝日新聞社が移転、靖国神社批判の拠点となってしまった。
現在、さらに築地市場の移転が問題になっている。そしてその跡地を何にするのか、まだ決まっていないという。
そこに新たな公営墓地を作れという案を誰か出してもらえないだろうか。
そうすれば、靖国神社問題は解決する.....のかもしれない。
       ★
さて、今まで本稿も含め、以下のエントリーで東京の地霊、平将門とそれに対抗する朝廷派の東京=江戸奪取攻防について書いてきた。
東京は死者に守られている霊的要塞都市である
靖国問題は将門の桔梗への怨念が起しているの(かも)
東京・闇の戦いの図式 ~『東京魔界案内』を読んで~
以下に簡単に年表にしてみる。
939年  平将門、新皇を称し、関東全域を手中に収める。
940年  平将門の乱平定祈願のため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行う。(成田新勝寺始め)
940年  平将門が討伐される。
      この頃、桔梗伝説が広まる。
1309年 神田神社に将門が祀られる。
1457年 太田道灌、江戸城築城。
1486年 太田道灌暗殺される。
1582年 明智光秀、本能寺の変、山崎の合戦で敗死。
1590年 上総土岐氏が徳川家康に攻め滅ぼされる。
1590年 徳川家康、駿府から江戸に居を移す。
      この頃、加藤清正によって明治神宮内の「清正の井」掘られる。
1636年 江戸城完成。
1657年 明暦の大火(振袖火事)
1679年 築地本願寺(本願寺築地別院)創建。
1867年 坂本龍馬暗殺される。
1868年 江戸城無血開城。
1868年 兵部大輔に大村益次郎が任ぜられる。
1869年 東京遷都。
1869年 大村益次郎の献策により東京招魂社(現・靖国神社)が創建される。
1869年 大村益次郎暗殺される。
1872年 青山霊園、谷中霊園、雑司が谷霊園が造園。
1874年 明治政府が平将門を神田神社の主祭神からはずす。
1888年 山岡鉄舟、胃癌で亡くなる。
1893年 靖国神社に大村益次郎の銅像が建つ。
1900年 陸軍服制によって、五芒星が軍帽につけられる。
1920年 明治神宮創建。
1923年 関東大震災
1934年 築地本願寺墓所を和田堀廟所へ移転。
1945年 東京大空襲
1945年 大東亜戦争終結。
1952年 太田道灌像東京都庁前に創建。
1978年 靖国神社にA級戦犯合祀。
1980年 朝日新聞、築地に移転。
1984年 平将門、神田明神の本社祭神に復帰。
今後、さらに、いろいろと気付いた点を加えて行きたい。
まさむね

政治 »

[26 3 月 2009 | No Comment | | ]

小沢代表がついに追い詰められた。
公設秘書の大久保氏が政治資金規正法で起訴されたのである。
このことは、逮捕された時点で十分に予想されたことだ。
また、そうなれば、小沢代表辞表すべきという世論が大勢を占めることも同様、予想されたことだ。
国策捜査だとか、ただの虚偽記載だなどと評論家達が「正論」をのたまわっても、一般の人々は、「小沢は怪しい」と思う。
僕的にいえば、「小沢は穢れた」と思う。
日本人の反応としては、それが、当たり前なのだ。
小沢さんは昨日の記者会見で、続投を表明した。
これで、最後のチャンスをも失ったと見るべきだろう。
このチャンスというのは復帰のチャンスという意味だ。
小沢さんは長く居座れば居座るほど、民主党のダメージは増してくるにちがいない。
自分は、新聞も読まないし、ましてやインサイダー情報も何もわからない自宅民ではあるが、それだから逆に、テレビ世論がどう動くのかはよくわかる。
おそらく、今週末に、また世論調査が行われ、小沢辞任の圧力はさらに増加するだろう。
それを受けての辞任となれば、またダメージが深くなるだろう。
鳩山さんはいまだに「行政と戦う」等、全く的外れは発言をしているが何を考えているのだろうか。
この程度の先読みが出来ないのかと唖然とする。
僕は、自動車も持っていないし、子供もいないし、農業もしていない。
だから、民主党のマニュフェストで主張している政策に関してはほとんどメリットが無い。
ただ、それでも民主党を支持してきたのは、民主党が国民の立場に立って、自民党=既得権益者の政権を一度、倒してくれることによって、日本全体を覆っている閉塞感を打破してくれることを期待したからだ。
しかし、その党首の小沢さんが、頭では国民の立場に立っていると言っているのに、下半身は既得権益者側から離れられないということが明白になってしまった。
おしむらくは、大久保秘書逮捕の瞬間に代表、そして出来れば議員をも辞任=「物忌み」しなかったことだが、もう遅い。
さらに、昨日の記者会見で、上杉隆さんの質問に答えて、小沢さんはもしも、首相になった時に、官邸での取材を記者クラブから解放するという事を示唆してしまった。
勿論、それ自体はすばらしいことではあるが、これによって、新聞、テレビは、既得権益を死守するために小沢攻撃をさらに強めるだろう。
そういったことは曖昧にしておけばよかったのだ。
そういう意味で小沢さんは正直すぎるのだ。
また、昨日、検察の記者会見があったという。テレビ視聴者には、どの役職のなんという人が、どういった形式で行ったのかなどはまったくわからなかった。
そして、その際に、記者達が「自民党も同じような政治団体から同じように献金を受けているがそれはいつ問題にするのか。」「金額の多寡は捜査に関係するのか」など、国民として当然の疑問を質問したのか。
質問したとしたならば、どのメディアの何という記者がしたのかなどという事は全くわからなかった。
まったくもって、欲求不満が増す。どうにかならないものなのか。
しかし、一自宅民がそんなことを言ってもしかたがない。
いずれにしても、民主党は早く次を考えるべきだ。
重要なことは、当たり前のことを当たり前にやることである。
まさむね

スポーツ »

[25 3 月 2009 | No Comment | | ]

WBCでの日本優勝は嬉しかった。
特に決勝で、5度目の韓国と戦い、決着をつけたというのは意義深い。
彼等の旗立てパフォーマンスはもう見たくなかったからだ。
       ★
しかし、韓国は、日本に比べて野球の歴史が浅く、野球人口との比較でも圧倒的に日本に劣るのに、この強さは凄い。
結局は、細かいところで日本の技術とチームワークが日本の勝因のように思えたが、一方、韓国選手のバットスィングの迫力は脅威だ。
また、その粘り強さや、思いっきりのよさといった精神的な面でも日本以上だったかもしれない。
それぞれが、それぞれの文化に根ざした野球をぶつけ合う勝負は面白い。
今後も、それぞれの特徴を生かした名勝負を繰り広げてもらいたいと思う。
       ★
ただし、WBC大会、全体を通してみると不満な点も多かった。
第一、野球王国、(いや、ベースボール王国)のアメリカの本気度が低いような気がするのが一番の問題点だ。
アメリカが準決勝で負けたことに関しても、おそらくそれほど悔しい思いをしていないのではないか。
「日本が優勝したんだ。でも一番はアメリカだからね」的な本音が見え隠れしているような気がする。
例えるならば、大相撲でここ最近、日本人力士の幕の内優勝者が出ていないが、それでも相撲は日本のものという絶対的価値観は全く揺るがないのと同じような感覚ではないのか。
僕も大相撲では平気で把瑠都、朝青龍、琴欧洲、阿覧、栃ノ心、黒海、鶴竜などの外国人力士を応援している。
日本で相撲をしていてくれていることに感謝すらしている。
そんな、感覚と同じように、アメリカ人は今回の日本優勝を愛でていてくれているのだと思う。
おそらく、この本家意識=絶対的格上意識は当分拭い去れないのだろう。
最終的に、岩隈ではなく、松坂がMVPを取ったのは、松坂が大リーガーだったから?なんて邪推もしたくなってしまった。
       ★
また、今回のWBCでの不満は、ベネズエラやメキシコ、プエルトリコといった未知のラテン系のチームとの対戦が無かったことだ。
彼等の、アメリカや韓国とはまた違った野球文化と日本野球とのスパークが見たかった。
まぁ、いずれにしても、これで2連覇だ。
帰国した選手達がさらに、日本のプロ野球で超人的な活躍をしてほしいと思う。
まさむね

テレビドラマ »

[23 3 月 2009 | No Comment | | ]
青春ドラマとしての「ヴォイス」のユニークさ

フジテレビ月9ドラマ「ヴォイス」最終回を見た。
以前にも月9ドラマ「ヴォイス」における推理と青春の緊張関係というエントリーで指摘したことだが、この法医学ゼミを舞台にした青春ドラマは、通常の青春ドラマとは少し違う作りになっている。
通常の青春ドラマには一般的に2つのパターンがある。
一つは、主人公がいろいろな悩みをかかえ、内面的な問題がドラマに大きくかかわっているようなドラマだ。
例えば、昨年放映された「ラスト・フレンズ」。タケル(瑛太)、ルカ(上野樹里)、ミチル(長澤まさみ)達はそれぞれ内面的な問題をかかえており、その問題点が物語を動かす重要なポイントとなっていた。
しかし、今回の「ヴォイス」では主人公の加地大己(瑛太)には悩みとよばれうるようなものがない。というよりも、「内面」自体がないようなのだ。
他の登場人物が全て、それぞれの物語(法医学を学ぶようになった必然性)や過去を持っているのに対し、大己に関する過去や家族はほとんど話中には出てこなかった。
唯一、子供の頃に地下鉄事故に遭遇し、その現場で、若き日の佐川先生(時任三郎)と会話し、その時に、佐川先生に法医学者としての才能を見出されているというエピーソードが出てくるのである。
以前もそのシーンは出てきたのだが、最終回、大己は佐川先生からその事を伝えられる。
さらに、その時、逆に、大己の言葉によって佐川先生が法医学者へ進もうと決心したという事実も聞く。
しかし、その事を聞かされても、大己はほとんど何の感慨も持たない。
彼が、何故、佐川先生に半ば強引に法医学の道に誘われたのかという重要な事実の前にしても、彼は特に関心を示さないのである。
つまり、本質的に大己は変人なのだ。
大己は、目の前の些細な疑問には過剰に食いつくのであるが、そういった自分に関する大きなことに対して、あまり関心がないようなのである。
それが、このドラマをユニークにしている大きな点だとおもう。
先ほど、青春ドラマには2パターンあると記したが、もう一つが、主人公が至極普通な性格なのに、周りの人物に変人が多く、時として主人公が振り回されるというパターンである。
例を上げるとしたら、「鹿男あおによし」だろうか。主人公の小川先生(玉木宏)はごく平凡な高校教師であるが、様々な謎の登場人物や事件に巻き込まれてゆく。また、「のだめカンタービラ」における千秋真一(玉木宏)のポジションも似ているかもしれない。
(おそらく、玉木宏という役者はそういった立場がハマリ役なのかもしれない。)
しかし、この「ヴォイス」は大己自身が変人のため、この2つ目のポジションからも大きくはずれているように思える。
       ★
それでは、この「ヴォイス」を青春ドラマとして成立させている鍵は何なのだろうか。
これはあくまでも仮説ではあるが、おそらくこのドラマは、多くの視聴者が遠い過去に置いてきてしまった「卒業という思い出」とシンクロするように作られているのだ。
青春時代の思い出は、いつだって美化されるものだ。
だから、このドラマに出てくる人々はみんないい奴である。ズルい人も嫌な奴も出てこない。それは現実世界を描いているとするならば、リアリティが無いと批判されそうであるが、思い出ドラマならば、それでいいのである。
そして、多くの場合、何かをした思い出というよりも、何も出来なかった思い出なのである。
好きだった女の子とは上手くいかなかった思い出、しておけばよかった勉強をしなかった後悔、もてあますような時間を無為に過ごしてしまった時間、そういった無駄の記憶こそ、青春の記憶というものではないだろうか。
ドラマの最後の方でゼミの5人がゼミ終了記念の飲み会の後、花見をするために公園のようなところに行くが、まだ桜が咲いていなかったというシーンが出てきた。
こういったくだらなく小さな思い出の集積こそが、青春の思い出というものなのだ。
そういう意味で、大己と佳奈子(石原さとみ)、亮介(生田斗真)と夏井川先生(矢田亜希子)が曖昧な関係で終わったことに、思い出というもののリアリティを十分感じることが出来た。
もう一度、観たいかと言われればそうでもないが、観てよかったというドラマではあったと思う。
まさむね

相撲/プロレス/格闘技 »

[22 3 月 2009 | No Comment | | ]
大相撲協会はセネガル相撲にもう一度目を向けて欲しい

本日の大相撲。
把瑠都は残念ながら白鵬に敗れてしまった。
動きが止まってしまうとどうしても、横綱の上手さにやられてしまう。
1分を超える長い相撲ではあったが、白鵬としてはヒヤリとする場面はなかったのではないか。
じっくりと料理されたという印象である。
願わくば、両差しを許してしまった後、カンヌキで締め上げ、白鵬の両腕をキメてそのまま寄り切るような力強さが欲しかったが、残念だ。
これで把瑠都は5敗目(3勝)。とりあえず、今場所は関脇の地位を守ることで良しとしなければならない状況になってしまった。寂しい。
      ★
それにしても、ヨーロッパ勢はどうも、今一つ伸び悩んでいるような気がしてならない。
黒海はすでにベテランの域に達しつつあるので、今更の変化は難しいかもしれないが、問題は阿覧と栃ノ心だ。
この2人は、ここ数場所、相撲を覚えてくるにしたがって、段々、相撲が小さくなって、魅力がなくなってきてしまっていると感じるのは僕だけだろうか。
生まれ育った、グルジア、あるいはオセチア地方の遊牧民特有の腕っ節、上半身の強さを生かした格闘技色の強い取り口を目指して欲しい。
彼等の発想こそ、新しい相撲の可能性を秘めていると僕は思っているのだ。
      ★
さて、そんな事を考えながら、YouTubeを見ていたら、セネガル相撲の映像を見つけた。(「Senegal wrestling」で検索)

確か、80年代に一度、大相撲はこのセネガル相撲にアプローチしたという事を聞いたことがある。
しかし、その時はチョンマゲが結えないだろうという、どちらかと言えば瑣末的な理由で流れてしまったらしい。
映像をご覧になっていただければお分かりの通り、基本的には組む格闘技のようであるが、組みながらなんと相手の顔にパンチを浴びせているではないか。
そして、相手のバランスを崩して投げ技で勝負を決める格闘技、一見すると、いわゆるアマレスやサンボ、柔道よりも相撲に近いように見える。
レスラー(力士)達の体格も素晴らしい。
是非ともお願いだ。
大相撲協会の親方の方々は、セネガル相撲にスカウトの手を伸ばしてもらえないであろうか。
まさむね

TV番組 マスメディア »

[21 3 月 2009 | One Comment | | ]

「テレビのこれから」という番組を見た。
スタジオにテレビ製作者と視聴者、評論家などが、テレビが現在おかれている立場、これからどうすべきなのかというような事を論議する番組だ。
そこはかとなく、スタジオ中の「この企画自体は面白くない」という空気がこちらにも伝わってくる辛い状況。
例えばこんな感じだ。
インターネットとテレビ、どちらが大切かという議論が続く。煮詰まる。その2つを対立させるような問題の立て方が悪いと誰かが発言する。拍手...
司会者が、テレビ番組をオンデマンドにしたら、リアルタイムでテレビを見る人が減るかという質問。減るという人、減らないという人の意見。突然、「なんで皆さんそこまでしてテレビみたいの?」という意見。拍手...
といった具合だ。なんか、話題の進む方向、進む方向がドン詰まりな感じなのだ。
このような停滞を見ると、いくらテレビ関係者が「僕はこれからこそ、テレビの時代だと思っています」と叫んでも、疑問を感じざるを得なかった。
      ★
そういえば、最近、インターネットでも、よく「なぜ、最近のテレビはつまらなくなったのか」という議論を見かける。
TBS水曜日の「久米宏のテレビってヤツは!?」という番組なんかでもよくそのような話題に近い話になる。
しかし、結論はなかなか出ない。
例えば、大橋巨泉は、最近は生放送が減って、収録済番組が増えたため、編集頼みになり、出演者に緊張感がなくなるからつまらなくなったのだとどこかで書いていた。
最近、ネットで流通している話としては、日テレの土屋Pが「テレビの制作者が視聴者を信じていない、バカにどう見せるか、とどこかで思っているフシがある」と発言。だから段々つまらなくなってきたというのだ。
しかし、おそらく、そんな事、誰も断定できないだろう。問題はそれほど簡単ではないのだ。
だいたい、昔のテレビは面白くて、今はつまらなくなったというのは本当に言えるのだろうか。
じゃあ、当時、高視聴率だった「欽ドコ」とか「ドリフの8時だよ」とか何でも流してみればいい。惨憺たる結果になるに違いない。
おそらく、当時だって、その番組を見て次の日、学校に行ってその話題をするために、すなわち、コミュニケーション作法の一つとして「みんな」が見ていたに過ぎないのかもしれない。
だから、携帯が普及して、友達双方が簡単に連絡出来、コミュニケーションの道具としてテレビの価値が下れば、自然とテレビが必要無くなってくるのは当然なのだ。
また、ニュース、報道番組に関して言えば、テレビが今まで隠していたことがネットによってかなり裏バレしてしまったことがテレビの信頼感低下につながり、結果として見れなくなってしまったというようなこともあるだろう。
例えば、首相のぶら下がり会見にしても、勝手に編集して、ある特定の箇所だけをどの番組でも流す。
ところが、それはあくまでほんの一部を編集して見せられている。
おそらく、多くの人は、編集無しで最初から最後までの会見を見たいだろう。
そして、記者がどんなにくだない事、非本質的な事を聞いているのか?そういうことも含めてみたいと思っているに違いない。
漢字が間違えたかなどということは、視聴者が個々に発見して楽しめばいいことだと思う。
また、テレビの製作現場が現存する格差社会の最前線であるというな事もバレてしまっているということもある。そんな人たちがいう、格差問題の話など、説得力を持つ筈が無いではないか。
あんまり関係ないが、こんな事も考えた。
オンデマンドでいつでもどんな番組でも見られるようになったら、友達になにか誘われて行く気がしない時に「ちょっとあの番組がみたいから帰る。録画してないし」みたいなことを行って逃げることが出来なくなってしまう。携帯で自分銀行が出来てしまうと、その場で振り込まざるを得ないようになってしまうのと同じように、便利になるとストレスがたまることも多いのだ。
      ★
いずれにしても、テレビはどんどん変化(進化?)せざるを得ないことだけは確かだ。
お笑いの感覚など、最も変化する要素の一つである。
先日、林家いっぺい改め、林家三平がフジテレビの「ごきげんよう」という番組でゲストに出ていた。
残念なことに、三平師匠は人を笑わすという才能が備わっていないようである。
有名俳優の子供が俳優になったり、有名野球選手の子供が野球選手になって失敗することがあるが、それはそれでしょうがないなという感じで我々を納得させるものがあるが、お笑いの場合はどうやら、それではおさまらないような気がした。
面白くないと悲惨になってしまうのである。はっきり言ってかわいそうなのだ。
昭和の爆笑王の子供が平成の苦笑王となってしまうのか。そう思えた途端、僕は彼のファンになってしまった。次を見るのが楽しみになってしまった。僕はある意味、残酷なのだろうか。
それにしても、テレビ芸というのは不思議なものである。それだけは確かだ。
まさむね

政治 »

[19 3 月 2009 | No Comment | | ]

民主党・小沢代表の秘書が逮捕されてから既に、2週間が経過した。
それ以降、様々な噂(リーク情報?)が報道され続け、小沢さん、及び民主党のダメージはかなりなものになっている。
日本では、逮捕されると、それだけで穢れたとみなされる観念がまだあるので、民主党のダメージを最小にするためには、小沢さんは即、辞任して物忌みすべきだと僕は思っていた。
そうでないと、小沢一郎は、日々”汚沢一郎”の色を濃くし、”お縄一郎”なのままである。
しかし、小沢さんは24日の拘置期限まで待つ方針にしたようだ。
おそらく、それは政治家の常識としては正しいのだろうが、僕は今でも間違った選択だと思っている。
それにしても、今回の西松事件に関して、多くの識者、評論家は当然のように「国策捜査(政治的な意図がなんらかの形で影響を与えた捜査)」ではないかと言っている。
この状況は異常である。

鈴木宗男氏・・・国策捜査だという思いでいっぱいだ。私自身が国策捜査を受けたからその感を深くする。(3/14:札幌市での講演)
植草一秀氏・・・政治権力が警察・検察権力を政治目的に利用していることは明らかである。(3/14:植草一秀の『知られざる真実』)
宮台真司氏・・・基本的にこれは国策捜査であるわけですよ。(3/14:第414回マル激トーク・オン・デマンド)
森田実氏・・・・小沢氏秘書逮捕、ネットには陰謀説ばかりが出てくる。その側に立った場合、私は『郵政隠し』と見る。(3/9:協同組合懇談会)
田中良紹氏・・・今回のスキャンダル暴露の目的は小沢代表の代表辞任にある。(3/7:国会探検)
勝谷誠彦氏・・・完全な国策捜査ですよ。だけどその国というのは誰なのか。(3/4:コラムの花道)

また、国策捜査ではないにしろ、検察の問題点を指摘する声も多かった。検察は本当に大丈夫なのであろうか。

高野孟氏・・・・この件に関して検察のやり方はめちゃくちゃで、収拾の仕方さえも迷走して泥沼状態に陥っているのが無残だ。(3/18:THE JOURNAL 高野論説)
山口一臣氏・・・今回は、まず「小沢秘書逮捕」があり、後から「逮捕」に見合う「罪」を探しているという構図に見える。(3/17:HOT NEWS)
田原総一朗氏・・小沢秘書逮捕に突っ走ってしまった検察が、後から新聞に情報を流すことでつじつま合わせをしているのではないかとさえ思える。(3/14:タハラ・インタラクティブ)
佐藤優氏・・・・現場で動く検察官僚がクーデターをやったのではないか。(3/15:フォーラム神保町主宰「青年将校化する東京地検特捜部」)
郷原信郎氏・・・政治団体を経由した献金に対して政治資金規正法の虚偽記載を適用することは非常に難しい。(3/6:ビデオニュース・ドットコムのインタビュー)

しかし、僕のように一日、だらだらとテレビを見ている自宅民の感覚だと、識者達が言う「裏の真実」はそれぞれ面白いが、そういった解釈は小沢さんの穢れをどうにかすることにはならない。
さて、そんな中、小沢さんは昨日の記者会見で、企業・団体献金の全廃にまで言及した。
僕には、小沢さんが表舞台から降りて、秘書起訴>代表辞職>民主党再生>岡田新代表で支持率アップ というシナリオの演出家に戻る決心をしたようにも見えた。
いずれにしても(再逮捕という結論先延ばしということも考えられなくは無いが)、24日には一区切りの結論は出る。
いろんな人や状況がガラガラと動く。まことにもって楽しみである。
まさむね