Articles Archive for 3 月 2009
スポーツ »
WBCでの日本優勝は嬉しかった。
特に決勝で、5度目の韓国と戦い、決着をつけたというのは意義深い。
彼等の旗立てパフォーマンスはもう見たくなかったからだ。
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しかし、韓国は、日本に比べて野球の歴史が浅く、野球人口との比較でも圧倒的に日本に劣るのに、この強さは凄い。
結局は、細かいところで日本の技術とチームワークが日本の勝因のように思えたが、一方、韓国選手のバットスィングの迫力は脅威だ。
また、その粘り強さや、思いっきりのよさといった精神的な面でも日本以上だったかもしれない。
それぞれが、それぞれの文化に根ざした野球をぶつけ合う勝負は面白い。
今後も、それぞれの特徴を生かした名勝負を繰り広げてもらいたいと思う。
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ただし、WBC大会、全体を通してみると不満な点も多かった。
第一、野球王国、(いや、ベースボール王国)のアメリカの本気度が低いような気がするのが一番の問題点だ。
アメリカが準決勝で負けたことに関しても、おそらくそれほど悔しい思いをしていないのではないか。
「日本が優勝したんだ。でも一番はアメリカだからね」的な本音が見え隠れしているような気がする。
例えるならば、大相撲でここ最近、日本人力士の幕の内優勝者が出ていないが、それでも相撲は日本のものという絶対的価値観は全く揺るがないのと同じような感覚ではないのか。
僕も大相撲では平気で把瑠都、朝青龍、琴欧洲、阿覧、栃ノ心、黒海、鶴竜などの外国人力士を応援している。
日本で相撲をしていてくれていることに感謝すらしている。
そんな、感覚と同じように、アメリカ人は今回の日本優勝を愛でていてくれているのだと思う。
おそらく、この本家意識=絶対的格上意識は当分拭い去れないのだろう。
最終的に、岩隈ではなく、松坂がMVPを取ったのは、松坂が大リーガーだったから?なんて邪推もしたくなってしまった。
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また、今回のWBCでの不満は、ベネズエラやメキシコ、プエルトリコといった未知のラテン系のチームとの対戦が無かったことだ。
彼等の、アメリカや韓国とはまた違った野球文化と日本野球とのスパークが見たかった。
まぁ、いずれにしても、これで2連覇だ。
帰国した選手達がさらに、日本のプロ野球で超人的な活躍をしてほしいと思う。
まさむね
テレビドラマ »
フジテレビ月9ドラマ「ヴォイス」最終回を見た。
以前にも月9ドラマ「ヴォイス」における推理と青春の緊張関係というエントリーで指摘したことだが、この法医学ゼミを舞台にした青春ドラマは、通常の青春ドラマとは少し違う作りになっている。
通常の青春ドラマには一般的に2つのパターンがある。
一つは、主人公がいろいろな悩みをかかえ、内面的な問題がドラマに大きくかかわっているようなドラマだ。
例えば、昨年放映された「ラスト・フレンズ」。タケル(瑛太)、ルカ(上野樹里)、ミチル(長澤まさみ)達はそれぞれ内面的な問題をかかえており、その問題点が物語を動かす重要なポイントとなっていた。
しかし、今回の「ヴォイス」では主人公の加地大己(瑛太)には悩みとよばれうるようなものがない。というよりも、「内面」自体がないようなのだ。
他の登場人物が全て、それぞれの物語(法医学を学ぶようになった必然性)や過去を持っているのに対し、大己に関する過去や家族はほとんど話中には出てこなかった。
唯一、子供の頃に地下鉄事故に遭遇し、その現場で、若き日の佐川先生(時任三郎)と会話し、その時に、佐川先生に法医学者としての才能を見出されているというエピーソードが出てくるのである。
以前もそのシーンは出てきたのだが、最終回、大己は佐川先生からその事を伝えられる。
さらに、その時、逆に、大己の言葉によって佐川先生が法医学者へ進もうと決心したという事実も聞く。
しかし、その事を聞かされても、大己はほとんど何の感慨も持たない。
彼が、何故、佐川先生に半ば強引に法医学の道に誘われたのかという重要な事実の前にしても、彼は特に関心を示さないのである。
つまり、本質的に大己は変人なのだ。
大己は、目の前の些細な疑問には過剰に食いつくのであるが、そういった自分に関する大きなことに対して、あまり関心がないようなのである。
それが、このドラマをユニークにしている大きな点だとおもう。
先ほど、青春ドラマには2パターンあると記したが、もう一つが、主人公が至極普通な性格なのに、周りの人物に変人が多く、時として主人公が振り回されるというパターンである。
例を上げるとしたら、「鹿男あおによし」だろうか。主人公の小川先生(玉木宏)はごく平凡な高校教師であるが、様々な謎の登場人物や事件に巻き込まれてゆく。また、「のだめカンタービラ」における千秋真一(玉木宏)のポジションも似ているかもしれない。
(おそらく、玉木宏という役者はそういった立場がハマリ役なのかもしれない。)
しかし、この「ヴォイス」は大己自身が変人のため、この2つ目のポジションからも大きくはずれているように思える。
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それでは、この「ヴォイス」を青春ドラマとして成立させている鍵は何なのだろうか。
これはあくまでも仮説ではあるが、おそらくこのドラマは、多くの視聴者が遠い過去に置いてきてしまった「卒業という思い出」とシンクロするように作られているのだ。
青春時代の思い出は、いつだって美化されるものだ。
だから、このドラマに出てくる人々はみんないい奴である。ズルい人も嫌な奴も出てこない。それは現実世界を描いているとするならば、リアリティが無いと批判されそうであるが、思い出ドラマならば、それでいいのである。
そして、多くの場合、何かをした思い出というよりも、何も出来なかった思い出なのである。
好きだった女の子とは上手くいかなかった思い出、しておけばよかった勉強をしなかった後悔、もてあますような時間を無為に過ごしてしまった時間、そういった無駄の記憶こそ、青春の記憶というものではないだろうか。
ドラマの最後の方でゼミの5人がゼミ終了記念の飲み会の後、花見をするために公園のようなところに行くが、まだ桜が咲いていなかったというシーンが出てきた。
こういったくだらなく小さな思い出の集積こそが、青春の思い出というものなのだ。
そういう意味で、大己と佳奈子(石原さとみ)、亮介(生田斗真)と夏井川先生(矢田亜希子)が曖昧な関係で終わったことに、思い出というもののリアリティを十分感じることが出来た。
もう一度、観たいかと言われればそうでもないが、観てよかったというドラマではあったと思う。
まさむね
相撲/プロレス/格闘技 »
本日の大相撲。
把瑠都は残念ながら白鵬に敗れてしまった。
動きが止まってしまうとどうしても、横綱の上手さにやられてしまう。
1分を超える長い相撲ではあったが、白鵬としてはヒヤリとする場面はなかったのではないか。
じっくりと料理されたという印象である。
願わくば、両差しを許してしまった後、カンヌキで締め上げ、白鵬の両腕をキメてそのまま寄り切るような力強さが欲しかったが、残念だ。
これで把瑠都は5敗目(3勝)。とりあえず、今場所は関脇の地位を守ることで良しとしなければならない状況になってしまった。寂しい。
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それにしても、ヨーロッパ勢はどうも、今一つ伸び悩んでいるような気がしてならない。
黒海はすでにベテランの域に達しつつあるので、今更の変化は難しいかもしれないが、問題は阿覧と栃ノ心だ。
この2人は、ここ数場所、相撲を覚えてくるにしたがって、段々、相撲が小さくなって、魅力がなくなってきてしまっていると感じるのは僕だけだろうか。
生まれ育った、グルジア、あるいはオセチア地方の遊牧民特有の腕っ節、上半身の強さを生かした格闘技色の強い取り口を目指して欲しい。
彼等の発想こそ、新しい相撲の可能性を秘めていると僕は思っているのだ。
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さて、そんな事を考えながら、YouTubeを見ていたら、セネガル相撲の映像を見つけた。(「Senegal wrestling」で検索)
確か、80年代に一度、大相撲はこのセネガル相撲にアプローチしたという事を聞いたことがある。
しかし、その時はチョンマゲが結えないだろうという、どちらかと言えば瑣末的な理由で流れてしまったらしい。
映像をご覧になっていただければお分かりの通り、基本的には組む格闘技のようであるが、組みながらなんと相手の顔にパンチを浴びせているではないか。
そして、相手のバランスを崩して投げ技で勝負を決める格闘技、一見すると、いわゆるアマレスやサンボ、柔道よりも相撲に近いように見える。
レスラー(力士)達の体格も素晴らしい。
是非ともお願いだ。
大相撲協会の親方の方々は、セネガル相撲にスカウトの手を伸ばしてもらえないであろうか。
まさむね
TV番組 マスメディア »
「テレビのこれから」という番組を見た。
スタジオにテレビ製作者と視聴者、評論家などが、テレビが現在おかれている立場、これからどうすべきなのかというような事を論議する番組だ。
そこはかとなく、スタジオ中の「この企画自体は面白くない」という空気がこちらにも伝わってくる辛い状況。
例えばこんな感じだ。
インターネットとテレビ、どちらが大切かという議論が続く。煮詰まる。その2つを対立させるような問題の立て方が悪いと誰かが発言する。拍手...
司会者が、テレビ番組をオンデマンドにしたら、リアルタイムでテレビを見る人が減るかという質問。減るという人、減らないという人の意見。突然、「なんで皆さんそこまでしてテレビみたいの?」という意見。拍手...
といった具合だ。なんか、話題の進む方向、進む方向がドン詰まりな感じなのだ。
このような停滞を見ると、いくらテレビ関係者が「僕はこれからこそ、テレビの時代だと思っています」と叫んでも、疑問を感じざるを得なかった。
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そういえば、最近、インターネットでも、よく「なぜ、最近のテレビはつまらなくなったのか」という議論を見かける。
TBS水曜日の「久米宏のテレビってヤツは!?」という番組なんかでもよくそのような話題に近い話になる。
しかし、結論はなかなか出ない。
例えば、大橋巨泉は、最近は生放送が減って、収録済番組が増えたため、編集頼みになり、出演者に緊張感がなくなるからつまらなくなったのだとどこかで書いていた。
最近、ネットで流通している話としては、日テレの土屋Pが「テレビの制作者が視聴者を信じていない、バカにどう見せるか、とどこかで思っているフシがある」と発言。だから段々つまらなくなってきたというのだ。
しかし、おそらく、そんな事、誰も断定できないだろう。問題はそれほど簡単ではないのだ。
だいたい、昔のテレビは面白くて、今はつまらなくなったというのは本当に言えるのだろうか。
じゃあ、当時、高視聴率だった「欽ドコ」とか「ドリフの8時だよ」とか何でも流してみればいい。惨憺たる結果になるに違いない。
おそらく、当時だって、その番組を見て次の日、学校に行ってその話題をするために、すなわち、コミュニケーション作法の一つとして「みんな」が見ていたに過ぎないのかもしれない。
だから、携帯が普及して、友達双方が簡単に連絡出来、コミュニケーションの道具としてテレビの価値が下れば、自然とテレビが必要無くなってくるのは当然なのだ。
また、ニュース、報道番組に関して言えば、テレビが今まで隠していたことがネットによってかなり裏バレしてしまったことがテレビの信頼感低下につながり、結果として見れなくなってしまったというようなこともあるだろう。
例えば、首相のぶら下がり会見にしても、勝手に編集して、ある特定の箇所だけをどの番組でも流す。
ところが、それはあくまでほんの一部を編集して見せられている。
おそらく、多くの人は、編集無しで最初から最後までの会見を見たいだろう。
そして、記者がどんなにくだない事、非本質的な事を聞いているのか?そういうことも含めてみたいと思っているに違いない。
漢字が間違えたかなどということは、視聴者が個々に発見して楽しめばいいことだと思う。
また、テレビの製作現場が現存する格差社会の最前線であるというな事もバレてしまっているということもある。そんな人たちがいう、格差問題の話など、説得力を持つ筈が無いではないか。
あんまり関係ないが、こんな事も考えた。
オンデマンドでいつでもどんな番組でも見られるようになったら、友達になにか誘われて行く気がしない時に「ちょっとあの番組がみたいから帰る。録画してないし」みたいなことを行って逃げることが出来なくなってしまう。携帯で自分銀行が出来てしまうと、その場で振り込まざるを得ないようになってしまうのと同じように、便利になるとストレスがたまることも多いのだ。
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いずれにしても、テレビはどんどん変化(進化?)せざるを得ないことだけは確かだ。
お笑いの感覚など、最も変化する要素の一つである。
先日、林家いっぺい改め、林家三平がフジテレビの「ごきげんよう」という番組でゲストに出ていた。
残念なことに、三平師匠は人を笑わすという才能が備わっていないようである。
有名俳優の子供が俳優になったり、有名野球選手の子供が野球選手になって失敗することがあるが、それはそれでしょうがないなという感じで我々を納得させるものがあるが、お笑いの場合はどうやら、それではおさまらないような気がした。
面白くないと悲惨になってしまうのである。はっきり言ってかわいそうなのだ。
昭和の爆笑王の子供が平成の苦笑王となってしまうのか。そう思えた途端、僕は彼のファンになってしまった。次を見るのが楽しみになってしまった。僕はある意味、残酷なのだろうか。
それにしても、テレビ芸というのは不思議なものである。それだけは確かだ。
まさむね
政治 »
民主党・小沢代表の秘書が逮捕されてから既に、2週間が経過した。
それ以降、様々な噂(リーク情報?)が報道され続け、小沢さん、及び民主党のダメージはかなりなものになっている。
日本では、逮捕されると、それだけで穢れたとみなされる観念がまだあるので、民主党のダメージを最小にするためには、小沢さんは即、辞任して物忌みすべきだと僕は思っていた。
そうでないと、小沢一郎は、日々”汚沢一郎”の色を濃くし、”お縄一郎”なのままである。
しかし、小沢さんは24日の拘置期限まで待つ方針にしたようだ。
おそらく、それは政治家の常識としては正しいのだろうが、僕は今でも間違った選択だと思っている。
それにしても、今回の西松事件に関して、多くの識者、評論家は当然のように「国策捜査(政治的な意図がなんらかの形で影響を与えた捜査)」ではないかと言っている。
この状況は異常である。
鈴木宗男氏・・・国策捜査だという思いでいっぱいだ。私自身が国策捜査を受けたからその感を深くする。(3/14:札幌市での講演)
植草一秀氏・・・政治権力が警察・検察権力を政治目的に利用していることは明らかである。(3/14:植草一秀の『知られざる真実』)
宮台真司氏・・・基本的にこれは国策捜査であるわけですよ。(3/14:第414回マル激トーク・オン・デマンド)
森田実氏・・・・小沢氏秘書逮捕、ネットには陰謀説ばかりが出てくる。その側に立った場合、私は『郵政隠し』と見る。(3/9:協同組合懇談会)
田中良紹氏・・・今回のスキャンダル暴露の目的は小沢代表の代表辞任にある。(3/7:国会探検)
勝谷誠彦氏・・・完全な国策捜査ですよ。だけどその国というのは誰なのか。(3/4:コラムの花道)
また、国策捜査ではないにしろ、検察の問題点を指摘する声も多かった。検察は本当に大丈夫なのであろうか。
高野孟氏・・・・この件に関して検察のやり方はめちゃくちゃで、収拾の仕方さえも迷走して泥沼状態に陥っているのが無残だ。(3/18:THE JOURNAL 高野論説)
山口一臣氏・・・今回は、まず「小沢秘書逮捕」があり、後から「逮捕」に見合う「罪」を探しているという構図に見える。(3/17:HOT NEWS)
田原総一朗氏・・小沢秘書逮捕に突っ走ってしまった検察が、後から新聞に情報を流すことでつじつま合わせをしているのではないかとさえ思える。(3/14:タハラ・インタラクティブ)
佐藤優氏・・・・現場で動く検察官僚がクーデターをやったのではないか。(3/15:フォーラム神保町主宰「青年将校化する東京地検特捜部」)
郷原信郎氏・・・政治団体を経由した献金に対して政治資金規正法の虚偽記載を適用することは非常に難しい。(3/6:ビデオニュース・ドットコムのインタビュー)
しかし、僕のように一日、だらだらとテレビを見ている自宅民の感覚だと、識者達が言う「裏の真実」はそれぞれ面白いが、そういった解釈は小沢さんの穢れをどうにかすることにはならない。
さて、そんな中、小沢さんは昨日の記者会見で、企業・団体献金の全廃にまで言及した。
僕には、小沢さんが表舞台から降りて、秘書起訴>代表辞職>民主党再生>岡田新代表で支持率アップ というシナリオの演出家に戻る決心をしたようにも見えた。
いずれにしても(再逮捕という結論先延ばしということも考えられなくは無いが)、24日には一区切りの結論は出る。
いろんな人や状況がガラガラと動く。まことにもって楽しみである。
まさむね




