Articles Archive for 3 月 2009
歴史・家紋 »
よく、家紋占いはできないか。というような事を訊かれることがある。
確かに出来れば面白いが、なかなか難しい。
占いが成立するためには、その属性が運命的に変らないものでなければならない。
手相にしても、星座にしても、血液型にしても一生変らないものだから占いのネタになるのだ。
もっとも、姓名判断というようなものもあって、名前のように後天的に変りうるものがネタになることはあるが、それもそんなに頻繁に変えられるものではない。
第一、運勢が悪いからと言って、名前をしょっちゅう替えるというのは不便である。(ただし、芸能人で字画が悪いからと言って、芸名を替えるパターンはよくあるが。)
一方、家紋はどうだろうか。家紋というくらいだから親(生れた家)から引き継ぐものだ。それゆえに、とりあえず、出生時には決まっている。
ただ、家によっては、替え紋というのがあって、複数の家紋を、一つの家の中で使い分けている場合があったり、地域によっては、男女がそれぞれ、男紋、女紋を持っているところがある。引き継ぎ元が父親の場合と母親の場合の別があったり、結婚したときに嫁ぎ先の家紋に合わせる場合と、実家の家紋をそのまま持っていく場合の違いがあったりする。実は、結構ややっこしいのである。
さらに、家紋は必ずしも持たなければならないものでもないし、替えたいと思ったときも、名前のように役所に申請する必要も無く、自由に替えることができる。極端な話、自分で全く新しいものを創作する事も出来るのだ。
また、家紋というのは種類が多すぎる。丸がついたり、割ったり、並んだりと、細かくわければ、おそらく2万種類はあると言われている。
勿論、カテゴリー分けするというのはある程度可能だが、2つのカテゴリーにまたがったような家紋もあって、どうもすっきりとしない。
例えば、加藤清正の家紋は蛇の目と桔梗が微妙に重なりながら並んでいて、どっちともとれるようなものだ。
このような、どっちつかずの例は、全体の中で1割以下かとは思うが、存在している限り無視はできないだろう。
そういう意味で、現状では家紋占いが成立するには、まだまだ未整理な部分、曖昧な部分が多すぎる。
そして残念なことではあるが、なによりも、今後益々、日本人の中で家紋というものの存在が薄れていくという問題もある。「家紋?なんだそれ?」という時代が来てしまえば、そもそも占いとしての興味も無くなってしまうに違いない。
さらに、家紋と人間の運命、これに関連性があるかどうか?統計を取ったりするにも時間がかかるだろう。こういう根本的な問題もある。
どなたかが、一生を賭けて、上記の問題を一つづつ解決して、決め事を作っていき体系化すれば、それらしいものが出来る可能性はないわけではないが、今のところ難しそうである。
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僕は今まで、多くの有名人の家紋を調べてきた。そして、どんな家紋カテゴリー毎に集めてみた。その、現状報告が家紋物語 ~有名人の家紋~である。
そこでおぼろげながら、特定のカテゴリーに、ある傾向がありそうな人々が集まっていることが見えてきた。
勿論、これは偶然ということなのかもしれないが、とりあえず、いくつか紹介してみよう。
まず、梅紋の人は、政治、実業関連よりも、芸術家、エンターテイメント関係が多い。
例えば、文学者ならば筒井康隆、中上健次、梶井基次郎、倉田百三、浜田広介、芸術家ならば岡本太郎、相撲取りならば、双葉山、栃木山、栃錦、落語家ならば古今亭志ん生、作曲家ならば團伊玖磨、中村八大達がこの紋の所有者である。
それに比べて著名な政治家は、池田隼人、管直人、幣原喜重郎くらいしか見当たらない。
もしかしたら、梅紋の起源が政治的に破れて、学芸の神様になったと言われている菅原道真の流れを汲むからかもしれない。
一方、梅紋に対抗して、芸術家関係がほとんどおらず、政治家、実業家が目白押しなのが、菱紋だ。
詳細は菱紋のページを見ていただくとして、この紋は元々、甲斐源氏の紋を起源としているのが優雅というよりも武骨な人々を輩出している原因と言えなくもないと思う。
ただ、同様の起源の引両紋は、たしかに明治時代頃までは、武骨紋の匂いがするが、それ以降はむしろ芸術家が多くなっている。あのオノヨーコや江戸川乱歩もこの紋だ。
また、桔梗紋の人は、どうも反骨精神溢れる人が多いような気がする。ちょっと不吉ではあるが、最期が悲惨な人々も多い。
明智光秀は、織田信長に対して反逆(本能寺の変)したが、直後、秀吉に負けて、最期は土民の竹槍の餌食になった。
坂本龍馬は、明治維新の陰の立役者と言われているが、最期は暗殺死である。
大村益次郎も、龍馬と同様の運命をたどってしまった。
戦前の共産党員の野呂栄太郎は拷問死といってもいいかもしれない。
そして最近では、経営破綻したNOVAがその桔梗をシンボルマークとして使用していた。
まぁ、あんまり不吉な人々を挙げるのもどうかとは思うが、僕が調べたところではそういった面々が目立っているのは事実だ。
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また、ある程度確か(データとして出ている)なのは、家紋の地域分布である。
目結紋や、月星紋、柏紋などは比較的東北地方に多く分布している。
関東地方で多いのは、鷹の羽紋、北陸に多いのは木瓜紋と蔦紋。
菱紋、梶紋は山梨、長野でに多い。
また、西日本では、桐紋、橘紋、梅紋、蝶紋、松紋、矢紋等が比較的多い。
それらを覚えておくと、相手の家紋を聞くと、名字と組み合わせて、その人の出身地を当てる事ができる場合もある。
ただそれだけのことではあるが、ちょっとした自慢にはなる。
まさむね
テレビドラマ »
先日、NHKスペシャル「職業詐欺」の再放送を見た。
いわゆるオレオレ詐欺のドキュメンタリである。
彼等は詐欺グループを作り、老人を狙い撃ちにして金を巻き上げる。
許しがたい犯罪だ。
しかし、グループのメンバーの中には職も住所も無い若者が多数いるらしい。
彼等は、ある面、社会に追い詰められて、やむなく犯罪に手を染めるという側面もある。
勿論、それは許しがたいことではあるが、こういった犯罪を減らすには、追い詰められた若者をなるべく生み出さないような社会を作るという事も大事なことだと考えさせられた。
一方、そういった組織のトップの良心の無さにも驚かされた。
騙されたお年寄り達を、明らかにバカ者扱いにしていた。
彼等は、電話の向こうで泣いているお年寄りを笑い話にするという。
ようするに、彼等にとっては騙される方が悪いのである。
世の中、金が全てなのだ。
それに対して、番組のナレーションでは、金でしか幸せを得られないかわいそうな人々というような言い方で彼等を非難していたが、おそらく、その言葉は彼等には効かないだろう。
金が全てと思っている人間に、それは本当の幸せではないと言ったとしても説得力を持ちえるのだろうか。
しかし、もしかりに、そういった価値観の若者(彼等はバブル真っ盛りに生れている)が増えているとしたら、それは恐ろしいことだが、ある側面では大人たちの自画像でもあるのかもしれない。
さて、「銭ゲバ」である。
主人公の蒲郡風太郎は、大手造船会社を乗っ取って巨万の富を手に入れる。
しかし、そこに待っていたのは、幸せではなかった。
今まで、「世の中全てが銭ズラ」と言い張ってきて、手段を選ばず金に執着してきた風太郎は、葛藤する。
ドラマの展開として、風太郎の内面の動きは凄くよくわかる。
僕ら、視聴者にとって、風太郎が苦悶するところに、物語のバランスを感じるのは、自然だ。
しかし、先ほどのオレオレ詐欺グループにしてみれば、この自然さ、つまり風太郎の苦悶は、むしろ「ありえね~」ものなのではないだろうか。
だとするならば「銭ゲバ」は、現代社会を映す鏡としては、かなり「ヌルい」ものになってしまっているのかもしれない。
本当のリアリティを追求するならば、人を殺そうと、騙そうと、平然と「銭ズラ」とうそぶく風太郎という選択肢もあったのかもしれないのだ。
しかし、それではドラマにならないではないか。
フィクションをあっさりと超える現実に、僕らは耐えていけるのだろうか。
まさむね
書評, 社会問題 »
実は、僕もこの「未納者が増えると年金が破綻する」って誰が言った?を読む前まで、未納者が増えると年金が破綻すると思っていた。
だから、日本の、そして自分の将来がとても不安だった。
先日、僕のところにも年金確認便が来て、送り返したが、実際にもらえるのだろうか...という不安にかられていた。
しかも、テレビをつければ、年金記録が消えたとか、改竄されたとか、もらえるはずが年金もらえない人がいるとか、年金の運用資金が5兆円も減った、みたいな話のオンパレードだ。
コメンテーターはそれに乗じて、「だから現金で持っていなさい」というような事を叫ぶ。
こんな情報ばっかり流されたら、普通の人は、どうしよう、やっぱり節約しようとなるのは当然である。
現在の不況の根底には、そういった将来に対する不安があるのは誰が考えても明らかだ。
だから、日本の消費を上向かせるためには、年金問題の解決が一番だと思っていた。
しかし、この本を読んで、日本の年金問題というのは、そのほとんどがマスコミの無理解と、それゆえに不安を煽ることによって生じているものだということが理解できた。そういったマスコミの報道の背景に、情報番組の提供の外資系保険会社の意図があるのでは?とすら疑えるようになった。
また、年金の税方式は、その不安を解消するといういう意味でいいアイディアかと思っていたのだが、それは一方で、その分、医療や介護への負担が増してしまうこと、そしてそれが、厚生年金の半分を払い続けることをためらう経済界からの要求だったというカラクリ、年金未納問題とは、国民全体の問題というよりも、年金未納者の将来にとっての問題であったということ、さらに、国民年金の納付率が65%の場合でも、90%の場合でも、年金財政にはほとんど影響を及ぼさないということも理解できた。
だから、日本が不況から抜け出すためには、年金問題の解決ではなく、年金不安問題の解消が一番だということがとってもよく理解できたのである。
今、政府が第一にすべきなのは、全員に給付金を配ることではなく、国民に年金の正しい姿をちゃんと理解させ、安心してもらうことなのである。
こんなにあっさり納得しちゃう僕って、情弱かな?でも、それが「どうしてそうなるの?」ということを知りたい方は是非、この本を読んでご自分で判断していただきたいと思う。
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著者の細野さんは、相当に賢い。そして、その賢さというのは、知識があるとか他人が考え付かないことが思いつくというようなことではない。
物事をちゃんと論理的に組み立てて考えられるということだ。
例えば、僕は論理的に物事を考えるのが苦手だ。だから文章を書くのも苦手だ。
でも、それは「脳」の性能の問題ではなかった。ましてや地縛霊のせいではなかった。
普通の論理の積み重ねを面倒くさくてしていなかっただけだった。
いろんな本を読んでも、理解は出来ていても、習得はしていなかったのだ。
それはただ、記憶力が悪かっただけではない、習得する術を身に付けていなかったのだ。
その論理の習得術のことを細野さんは「数学的思考」と呼んでいる。
さっそく、地元の西東京市図書館に『数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身につく本』を予約しようとしたら、2冊しかないその本に48人が既に予約を入れていた。
同じようなことを考えてる人は多い、のかも。
まさむね




