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三沢光晴が死亡。僕の90年代は終わった。

14 6 月 2009 No Comment

三沢光晴が亡くなった。

13日午後8時45分頃、広島市中区の広島県立総合体育館グリーンアリーナで、プロレス団体「プロレスリング・ノア」の試合中、ノアの社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が相手選手に投げられ、頭部を強打した。
 三沢さんは救急車で広島大病院(広島市南区)に運ばれたが、午後10時10分、死亡が確認された。県警広島中央署は関係者から事情を聞いている。
-YOMIURI ONLINEより-

ちょっと信じられない。三沢といえば、僕の大好きなレスラーの一人だった。

若手時代、メキシコ修行から帰ってきて、タイガーマスクの仮面をつけてはじめてリングに上がった蔵前国技館。
そのタイガーのマスクをつけて、小林邦昭から初めてNWAのジュニアを奪取した両国国技館。
ジャパンと全日本の団体対抗戦で、必殺サソリ返しを見せるが、長州力に敗れた日本武道館。
天龍がメガネスーパーに引き抜かれた直後、川田利明とのタッグマッチでリング上でマスクを脱ぎ捨てた東京体育館。
難攻不落と言われたジャンボ鶴田から、初めてフェイスロックでギブアップを奪った日本武道館。
川田にフォールされ、三冠ベルトを奪取された東京ドーム。

芝居の公演があって行けなかった馬場さんにフォール勝ちした日本武道館以外、東京で行われたほとんどの全日本時代の三沢の晴れ舞台を生観戦するほどのファンだったのだ。上記の名勝負は今でも脳裏に焼きついている。
僕の90年代は三沢とともにあったと言っても過言ではなかったのである。

僕の見立てによれば、当時の全日本は、馬場さんという偉大な父親の下、長男・三沢光晴、次男・川田利明、三男・小橋健太という3兄弟が、父親の愛情を一番、受けんがために、必死に競い合うという息をも詰まるような極限の肉弾戦を繰り広げるという家族劇であった。くしくも、その3人は、実生活においても早くから父親を亡くしている、あるいは別離している。そんな彼らのやり場の無いエネルギーが彼らに全日本プロレスの門を叩かせる。そして、人一倍必死になって頑張った。自分のために、そして自分の居場所を与えてくれた馬場という「父親」のために...
そんな彼らの境遇がこの劇にリアリティを与えていたのだ。
しかし、馬場さんが亡くなり、その3兄弟は、それぞれ自己実現のための旅に出る。
それが、三沢が旗揚げした「ノア」という団体だ。
しかし、僕は馬場さんという重荷がなくなって自由になってからの三沢や小橋、そしてハッスル等でおちゃらけている川田にはあまり興味がなくなってしまった。
僕は、基本的に悲劇が好きなのかもしれない。

しかし、そんなときに突然入ってきた今回の訃報。やはりショックだ。
三沢光晴という存在がまだ自分の中で大きなものだったということを自覚した。
エンターテイナーという存在は、ファンの心の中の歴史の一こまに大きな刻印を残しているということを改めて感じた。

バックドロップでマットに叩きつけられた後、仰向けになって体力の回復を待ちながら、微妙にタイツを直す仕草が、僕にとっての三沢のトレードマークの仕草だったが、最期はそれが見られなかったのだろうか...うっ...

ご冥福を祈る。

まさむね

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