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Articles Archive for 6 月 2009

テクノロジー・ビジネス »

[22 6 月 2009 | No Comment | | ]

BeeTVが好調らしい。
正直なところ、僕自身、BeeTVに関しては冷ややかにみていた(「BeeTVには成功してほしいと思う反面、失敗すればいいのにと思う」)のだが、それは間違っていたようだ。
既に5月1ヶ月の総ダウンロード数が1000万件を突破したというから大したものだ。
勿論、テレビの場合、その視聴率が10%だとしてもBeeTVの1ヶ月のダウンロード数を上回る視聴者数をかせげるのだから、これの数を凄いというのは「狭い」見解とも言えるのかもしれないが、携帯有料コンテンツ業界としてみれば、それは画期的な数字であることは間違いない。(左はBeeTVの中で一番人気のドラマ「KOI☆AGE〜恋するアゲハ〜」)
一説よれば、5月末時点で月額会員数は30万人を突破したという。もし、そうであれば1年目の目標であった70万人という会員数も見えてきた感じではある。
それにしても、この時期、docomoがAVEXと組んでこのような月額有料課金モデスの先頭を走るビジネスを展開し始めたことは注目に値する。一方で、携帯コンテンツ業界がi-modeからインターネットへという大きな流れの中で、次のビジネスモデルを見つけ切れていないところからくる、旧態然とした課金システムの可能性に対するマーケット調査的投資とみる向きもあるようだ。
確かに、iPhone向けの「AppStore」、GoogleのAndroid端末「Android Market」、ノキアの「Ovi」等、ワールドワイドの課金システムには漠然とした期待感を持たせる何かがあるのは確かではあるが、問題は、現時点では、どれもこれも、i-modeの最大の利点である月額有料課金モデルに対応していないという点である。
いくら、ブーム的なソフトが出現したとしてもその販売は「点」でしかありえない。有料コンテンツを「線」で課金できるようなシステムにはなっていないのだ。
勿論、ユーザーにとってみれば、「落とし切り」というのは嬉しいのは確かである。しかし、それでは、携帯コンテンツプロバイダ(CP)が、「昨日のゲーム業界」になるリスクを常に負わざるを得ないということなのだ。
例えば、単品で購入すれば3000円程度はかかるであろうソフトを、月額315円で、10ヶ月で回収する。ユーザーは、キャリアが提供する課金システムで自動的に支払いを行う。コンテンツプロバイダ(CP)は、キャリアが用意したフォーマット=仕様でゲーム、着うた、ビデオクリップ、きせかえツール、FLASH待受けなどを作り配信する。
キャリアの仕様によって制限されるというのは一見、不自由にも思えるのだが、逆に言えば、それに従ってさえいれば安全にコンテンツが作れるということにもなるのだ。
日本人は、能や俳句を持ち出すまでもなく、もともとある種の制限下でこそ、その創造性を発揮してきた民族である。だから、キャリアの制限もそういった「一つのルール」として受け入れ、その中で表現力を発揮することにも有能なところがあるのかもしれない。
新規参入障壁が高いといったデメリットもあることはあるのだが、i-modeをはじめとする月額課金制度は優れたシステムであることをもう一度、噛みしめてみてもいいのではないか。
「AppStore」や「Android Market」等のワールドワイドなシステム、さらに「Smart-C」や「Click Share」等の広告モデル等の動きは勿論、抑えておくとして、しかし、それらに右往左往させられることなく、月額課金システム上でのビジネスでのノウハウを溜めて、いかに10万人以下の狭いユーザーに安価で満足してもらえるコンテンツを作ればいいのかということに精を出し、そのシステムの上でのビジネスをいかに長生きさせたらいいのかを考えること。
今、携帯のコンテンツプロバイダ(CP)に求められているのは、そんな地道な「当たり前」ではないのだろうか。
まさむね

芸能 »

[21 6 月 2009 | One Comment | | ]

頭突きというのは哀しい技である。
これは、奴隷達(抑圧された者)が最後の抵抗を示す技として歴史に刻印されてきた。
そして、それは、手足をもがれた人々の意地の象徴として、我々の記憶の中にある。
例えば、戦後のプロレス史を見てみても、黒人のボボ・ブラジル(左画像)や朝鮮人の大木金太郎等の得意技として、そして、実力があってもその容姿でトップに立てなかった藤原喜明、一度、どん底に落ちていた大仁田厚といった抑圧されてきた面々の、華麗さよりも情念を伝える技として、あるいはまた、その技を繰り出すレスラーたちの「頭の固さ」すなわち、かたくなさをも表現する技として伝えられてきたであった。
先日、マクドナルドの新CMに安室奈美恵が自分自身に頭突きをする姿が公開された。
彼女の頭突きにはどういった意味が込められているのだろうか。
ご存知の通り、安室奈美恵は、沖縄という日本の中でも抑圧された土地から出てきた。
しかし、その沖縄は、日本でありながら、日本ではない。
敢えて極言するならば、沖縄という土地は、一面では、アメリカ軍に蹂躙されると同時に、別の一面では、アメリカ軍に依存しなければ生きていけない土地になってしまっている。
そして、沖縄が米軍に対して持つ抑圧感は、同時に、日本人にとって、「こんなモノ食ってて大丈夫か?」と思いながら、それでも止められないマックのハンバーガーという存在に対する感情、そして、心のどこかで憎しみながら、それでも依存せざるをえないアメリカという存在への想いとパラレルなのではないだろうか。
だから、戦後の抑圧された日本人は、その感情=想いを自分自身にしかぶつけることができなかったのかもしれない。
沖縄、マック、依存、アメリカ、抑圧。いろんなものが複雑にからみあった戦後日本のある側面を、安室の自分自身に対する頭突きは表現していると言ったら言いすぎだろうか。
評論家の中森明夫氏は1995年の文章で、こう述べている。
思えば、安室奈美恵は南沙織以来の沖縄発のトップアイドルだが、二十余年前、返還直前の沖縄から彗星のように現れたのがシンシアなら、今、基地問題で揺れるその場所から安室が、そして彼女に続く少女らが次々と踊りだそうとしてる。つまり沖縄が揺れる時、いつもそこから象徴的な少女たちが現れるのだ。-女の読み方-(朝日新書)
それ以来、安室奈美恵は常に闘い続けてきた。90年代はツッパッたストリート小ギャルのファッションリーダーとして、その後は離婚、母の死などといった苦境を乗り越え、自分の好きな音楽を追求し、一時はヒットチャートから嫌われた時期もあったが、自分を貫き通すことによって、現在ではカリスマと言われるまでに成長した。(「安室奈美恵は孤高の戦士だ」参照の事)
彼女の頭突き姿は、自分自身と戦い続けてきた安室の出自から現代までの一貫した戦闘体勢を表現しているのである。
さらに言えば、このCMで彼女は「バラ色でいこう」というもう一つのメッセージを僕たちに投げかけている。バラ、それは美しさと同時に、棘を隠そうとしない象徴的な花である。その美しさで人を惹きつけると同時に、決して人を近づけないという屹立した存在感、それが現在の安室の立ち位置そのものではないのか。
頭突きとバラ。抑圧と抵抗、魅力と拒絶...
90年代のストリート系文化の一つの象徴であるバーチャファイターで二人の安室が戦うカットの挿入、さらに大きな口(BIG MOUTH)というこれまた安室の態度的、身体的特徴を絡めた肉食系女子の「主食」=ダブルクォーターパウンダーのCM。
久々に明快で痛快、しかし、微妙に物悲しく複雑な15秒の世界である。
まさむね

ビートルズ »

[19 6 月 2009 | 4 Comments | | ]

ジョン=レノンの女性に対する複雑な想いはその歌詞の変遷に現れている。
初期には、女性に対する激しい嫉妬心、攻撃性がストレートに表現されている曲が目立つ。
アイドルが作る歌にしてはきわめて過激な歌詞が散見されるのだ。
代表的なのが、「I’ll Cry Instead」「You Can’t Do That」などだ。(以下、日本語は内田久美子訳より引用。)
I’ll Cry Instead
And when I do you’d better hide all the girls,
’cause I’m gonna break their hearts all ’round the world.
Yes, I’m gonna break them in two,
そのときは、女という女を隠しておかないと
世界中の女の心を傷つけてやる
ハートを真っ二つに引き裂いて恋に狂った男のパワーを見せつけてやるんだ
You Can’t Do That
I got something to say that might cause you pain,
If I catch you talking to that boy again,
I’m gonna let you down,
And leave you flat, Because I told you before, oh, You can’t do that.
ご機嫌をそこねるかもしれないが 言っときたいことがある
あいつとは二度と口きくんじゃない
今度見つけたらとっちめてやる
コテンパンにしてやるからな
前にもはっきりいったはずだ そんなことするなって
そして次の傾向として見られるのが、男性を振り回す女性の歌だ。「Rubber Soul」に収録された「ノルウェイの森」や「Girl」に出てくるどちらかといえば神秘的な女性を歌詞にするようになるのだ。
Girl
Is there anybody going listen to may story
All about the girl who came to satay
She’s the kind of girl you want …

歴史・家紋, 社会問題 »

[18 6 月 2009 | No Comment | | ]

先日、ある公営墓地の管理事務所で、ある有名人Mさんの墓所を尋ねたところ、教えることは教えてくれたのだが、その後、一言、個人情報保護法によって、あんまり墓の場所は教えられないんだよね。と嫌味を言われてしまった。
ちなみに、個人情報保護法令では、その定義の冒頭にこう書かれている。
この法律において「個人情報」とは、生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる 氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合 することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。
これは生存者にのみ適用される法律なのだ。
僕もそのことは以前より知っていたのだが、墓守さんから、個人情報保護法によりって言われた時、口論するほど、気が強くないので、思わず、「申し訳ありません。ありがとうございます。」と言って、その場を去ってしまった。
しかし、微妙な違和感だけが残ったのである。
今のところ、有名人の墓に関して、明らかにそれは公開されているし、別段それが問題になっているようにも思えない。
青山霊園や生田の春秋苑では有名人墓所の地図を配布しているし、寺山修司が眠るは高尾霊園では、案内地図板に「寺山修司の墓」と書かれていた。また、石原裕次郎の墓がある総持寺では、「裕ちゃんの墓」と矢印看板が出ている。
また、中央霊園や本願寺和田堀廟所では、HPで埋葬されている偉人を紹介している。画像は、武者小路実篤墓を紹介している中央霊園のHPより。
しかし、今後、有名人の墓に落書きをするようなイタズラが発生し、それが無責任に報道でもされれば、墓所の場所告知にまで、個人情報保護法が拡大適用されるといった傾向は一気に広まらないとも限らない。
あくまで、個人的な趣味の範囲の問題ではあるが、微妙に困ったものだと思う。
まさむね

政治 »

[15 6 月 2009 | 15 Comments | | ]

現代日本の華麗なる一族といえば、多くの人がまず思い出すのが「鳩山家」だろう。
その中で現在、最も注目されているのが鳩山邦夫だ。
祖父は内閣総理大臣の鳩山一郎、父は外務大臣の鳩山威一郎、そして兄の由紀夫は民主党党首の御仁である。
また、ご本人も、学生時代から秀才で知られ、高校時代は大手予備校「代々木ゼミナール」で行われる年3回の模擬試験を全てトップで通した程であったという。また、東大法学部でも記録的な数の「優」を獲得するなど、成績は抜群であったという。
ようするに家柄、頭脳ともに、抜群なのである。しかし、この人物、どこか腰が定まらないところがある。
というか、政治家として一体何をしたい人なのか、よくわからない。
傍から見れば、ただ首相になりたくて右往左往するがつまらない失敗を繰り返す人という印象しかない。
人気取りのために、様々な言動をするものの、それがことごとく裏目にでてしまう。
最近では、東京中央郵便局建て替え問題での現地視察、草なぎ剛に対する『最低の人間』発言など、やらなくてもいいこと、言わなくてもいいことを拙速に行い墓穴を掘っている。
結局、先天的に人々の心をつかむセンスの悪い人なのだろう。宮台真司先生は、しばしば「東大でも霞ヶ関でも一番優秀な連中は軒並み利他的」と言われるが、この鳩山氏もその優秀な連中に含まれているのだろうか。
さて、そんな鳩山邦夫氏が、今回の総務大臣辞任の後、谷中霊園にある鳩山家の墓所に墓参りをした。
さぞかし立派な墓かと思いきや、それほどでもない。
たしか画家の横山大観先生の墓の隣で、近所には巨大な渋沢栄一の墓、そして徳川慶喜の墓などもあり、それらから比べると、「華麗なる一族」といっても、その底の浅さは否めない。実際、鳩山家の先祖は、美作勝山藩の一藩士にすぎないのである。
墓所というのは、そういう意味で、ある意味、残酷にも、その素性を露呈する場所でもあるのだ。
しかも、今回、マスコミ連中を引き連れてやってきた墓参りに、邦夫先生何を勘違いしてか、「柏手」まで披露。残念ながら、そこは、神社ではありません。お賽銭を投げないだけマシだが、それをわざわざ、墓の背後から撮影させるトンマぶり。先祖を敬うといったある意味、名家では最も大事な作法は、家伝されていないのだろうか。こんなところにも鳩山家の「伝統」のレベルが見え隠れしている。
しかも、いくら墓参りの作法が受験勉強とは無関係だとしても、これが、東大歴代一二を争う秀才の「伝統」に対する教養かと思うと、情けなくなる。
日本人としてのアイデンティティの欠如や親殺し、子殺しなどの悲惨な事件の続発、実体経済を離れてM&Aやマネーゲームに狂奔する殺伐とした風潮などは、日本が我が国固有のすぐれた文明を失いつつあることを証明している。
これは、鳩山氏が2006年に自民党総裁選に立候補しようとした際に出した提言の一節であるが、自ら身をもって墓前での柏手で「我が国固有のすぐれた文明を失いつつあることを証明する」鳩山邦夫氏。
しかし、法務大臣の裁判員制度のPRコピー選定の際に、「『友だちの友だちは裁判員』というのにしたかったんですが」と笑ったが、先天的な自虐のセンスはあるのかもしれない。
まさむね
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