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団塊臭プンプンの『東京「進化」論』に思わず反発する僕

17 7 月 2009 No Comment

『東京「進化」論』増田悦佐(朝日新書)はいかにも団塊の世代のオヤジが書いたような新書である。
基本的には、赤坂、六本木、新宿、秋葉原、渋谷、池袋、吉祥寺...の街の特徴を書いているのだが、そこかしこに微妙に違和感のある価値観が顔を覗かせる。
それは、僕にとっては、ちょうど椎名誠の一連のエッセイに漂う空気に感じるのと同じような違和感なのである。
友人はそんな僕に対して、「それは、お前が酒を飲まないからだ。」と言っていた。そうかもしれないとも思うし、そんなことないとも思うが、僕の中では結論は出ていない。
具体的に見ていこう。
例えばこんな一節である。増田氏は、松本哉という人の『貧乏人の逆襲!-タダで生きる方法』をこう評する。

ちなみに、ぼくのいちばん好きなエピソードは、三人でのデモ行進の許可を申請しておいて、「どうせ大勢動員するにちがいない」とにらんで目一杯過剰警備をしていじめてやろうと手ぐすね引いて待っていた警官隊に肩透かしを食わせて、本当に三人だけでデモ行進をしたという話だ。

この話のどこが面白いのだろうか。ただ、役所に税金を無駄遣いさせ、警官達に迷惑をかけたというだけの話のような気がする。
デモに関して言えば、別の箇所にも出てくる。

1960年の第一次安保闘争がピークにさしかかったころ、安保反対運動の指導者達はどこか大きな拠点駅にデモ隊を集結させようとした。候補としては東京駅と品川駅が挙がったのだが、結局品川駅に落ち着いた。理由は「東京駅は高架なので警官隊に追い詰められて落ちたり飛び降りたいすると、死者や重傷者が出やすい。その点、品川駅構内は全部地表にあるので、危険が小さい」というものだった。60年安保反対運動のころの指導者達は、なかなか人間味豊かだった。

僕はこういった表現に、「昔はよかった」「権力は悪だ」というような朝日的価値観独特の臭みを嗅ぎ取ってしまうのである。
増田氏は、また、60年安保の当事者達の「人間味」を評価する一方で、かつて、食べるものも惜しんで秋葉原で「おとな買い」をしていたオタク達を非人間的と断じ、最近、秋葉原にケバブサンドのテイクアウト店が増えてきたことをオタク達が「人間的成熟した」結果だと、上から目線で評価している。
僕などは、食べ物をも惜しんで趣味の世界に没頭するオタクこそ、ある意味、人間でしかありえない、あまりに人間的な存在だと思い、逆にそこにこそいろんな意味で可能性があると思うのだが、おそらく、著者の増田氏の持つ人間観と、僕の人間観とはだいぶ違うのだと思わざるをえない。

さらに極め付けは、練馬と板橋を語るところだ。

下町国と山の手国の違いは、所得水準や資産価値や教育程度や社会的地位の上下関係から来る「階級差」ではない。趣味、嗜好、生活習慣の差であり、まさに「国民性の違い」なのだ。だが、メディアでの取り上げ方は露骨に文化的優劣の差をにおわせるものとなってしまっている。

いった、何の話をしているのだろうか。下町と山の手を文化的優劣の差として表現したようなテレビ番組、新聞記事なんてあっただろうか。むしろ逆に、そういった差があったとしてもあたかも差が無いように、そしてむしろ、この著者が言うのとは逆に下町の優位を言い立てるのがメディアだと僕は思っていた。
僕の記憶の中には、下町の小汚い漬物屋で白菜をつかみ上げたり、屋台のオデン屋がタダで差し出すガンモドキをほおばる地井武夫やヨネスケの顔しか思い浮かばないのだが、それは僕の勘違いか?
いったい、増田氏はどの局の番組を見て、このような感想を述べているのだろうか。
そして、さらに練馬と板橋の話は続く。

練馬区は23区のうちでいちばん新しくできた区で、板橋区から分離独立した。たとえば、平均的な東京都民にとっては、練馬大根を除けばほとんどありとあらゆる点で、練馬区のほうが「若く、新しく、おしゃれな」イメージを喚起する区であり、板橋区のほうが「年寄りで、古くて、ダサい」イメージを喚起する区だというところにも、この「文化的優劣」の差が出てくる。つまり、実態とは違う連想なのだが、練馬区は上がり坂、板橋区は下り坂とう印象が定着してしまっているのだ。

練馬区を「おしゃれ」というのは東京に45年以上暮らしている僕にとって初耳の話だ。
練馬区の板橋区に対する文化的優劣の序列という価値観は、板橋区が冷遇され、文化的差別を受けているという物語を作るために、増田氏が頭の中で創り上げたおとぎ話としか僕は思えないのだが、どうだろうか。
敢て、増田氏にアドバイスすると、どうせ、これだけフィクショナルにするのなら、U字工事位のセンスとテンションを学んでほしいものである。

著者の増田氏は、アメリカの大学で博士課程を修了され、大学助教授、外資系証券会社でアナリストを務めらている。こういう方が、新橋のガード下や大井町の小さな飲み屋街を評価し、東京の雑多性を肯定する視線に微妙な差別意識を感じてしまうのは僕の妄想だろうか。あるいは僕の嫉妬心だろうか。

ちなみに、僕は小さなスナックで店の主人に話しかけられてもなんと答えたらいいのかわからないし、近所の小さな八百屋や乾物屋が無くなっても全く悲しくないが、コンビニがつぶれると大変不便を感じるような程度の人間的成熟しかしていない男である。理屈としては、地場コミュニティや、社会の包摂性が大事なこと、日本が目指すべきなのは、小さな政府と大きな社会であることなどはわかる。しかし、「体」と意志がついていかない虚弱な人間なのである。

さらに、築地市場(左図)跡地は、朝日新聞社員が喜ぶような「世界最大のレストラン街」ではなく、都営霊園にすべきだ「平将門と桔梗との因縁都市・東京の歴史」と主張しているが、今のところ賛同者は全くいないwww

まさむね

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