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Articles Archive for 8 月 2009

政治 »

[5 8 月 2009 | One Comment | | ]

政治家の世襲が問題になっている。
それを受けて、民主党はマニフェストにもこう記している。

○現職の国会議員の配偶者及び三親等以内の親族が、同一選挙区から連続して 立候補することは、民主党のルールとして認めない。
○政治資金を取り扱う団体を親族に引き継ぐことは、法律で禁止する。

一つの政党が独自の方針としてこういった政策を掲げることに関して、別にとやかく言う筋合いではない。ご自由にどうぞという感じだ。
実は、僕自身、政治家の世襲というものがそれほど悪いとも思えないのである。
結局は選挙民が選ぶ話だ。立候補くらいさせてやればいいのにというのが基本的考えだ。
確かに、世襲は不公平だといわれている。選挙には「カバン」「看板」「地盤」この3つが大事だと言われているが、世襲者はこれらが何の苦労もなく手に入ってしまうからだ。
しかし、これからの時代、そんなに単純な話で世襲者が当選できるのであろうか。逆に、世襲者には、成り上がりの物語が無い分、不利ということも言えるのではないか。
例えば、今、話題の神奈川11区。元総理大臣の小泉純一郎の次男・小泉進次郎が立候補予定であるが、物語性という意味で言えば、民主党の対立候補のよこくめ氏に比べるとあまりにも貧しい。関東学院大学卒というのも微妙に寂しいし、卒業後のニート→海外留学→父親の秘書という経歴も、どこか胡散臭い。
一方、対抗馬のよこくめ氏、トラック運転手の家に育ち、奨学金などで苦学しながら東大法学部に進学、そして弁護士に。おまけに「あいのり」という恋愛ドキュメンタリ番組にも出演経験があるという。進次郎に比べてなんと「めぐまれていた」物語をお持ちなことか。
普通の感覚だったら、どちらを応援したくなるかは明白だと思うのだが、いかがなものだろうか。
       ★
そもそも、政治家となって、人の上に立ち、日本を動かそうという野望のある人物だったら、選挙区での世襲候補に勝つための知略、戦略くらいは持っていてほしいものである。
その程度の壁すら突破できないレベルの政治力しかないのであれば、おとなしくしていればいいのだ。
全く逆説的ではあるが、「世襲候補が対立候補として存在してくれるからこそ、輝ける」という位の人物であって欲しい。そして、自分の逆境を力に替えるくらいの根性が欲しいものである....というのは、政治家に期待しすぎ?
しかし、そうは言っても、日本では普通のサラリーマンが選挙に立候補するのにあまりにもリスクが高すぎるという現実があるのは確かだ。失業した上に借金まで残り、敗者、無謀者というレッテルまで貼られてしまうのだ。これでは普通の神経の持ち主は立候補などしないだろう。世襲批判をするよりも、こうしたリスクの高さをなんとかする方が大事なような気がする。勿論、僕にいいアイディアはないけどね。
まさむね
※もうご覧になったかとは思いますが、念のため、話題の動画貼っておきます。

日常雑事 雑感 »

[4 8 月 2009 | 10 Comments | | ]

僕が大学生の頃だから、今から30年近く前の話だ。
その頃、ミニコミブームのようなものがあった。
みんなが、思想とか、エログロとか、漫画の評論誌なんかを勝手に作っていた。
いまや大学教授の竹熊健太郎先生も、「摩天楼」というミニコミを作っていた。一方で、田中康夫が「なんとなくクリスタル」を書いて脚光を浴びていた。その頃の話である。
僕も、何人かの友達とミニコミを作ろうという話になった。
その中にいたのがH君だ。
彼は無口だったが、たまにボソッと気の利いた事を言う、そんなタイプのクールな感じの青年だった。
そして何よりも見た目もカッコよかった。
ある日、彼と、新しく作るミニコミをどうしようかという話になった。
多分、場所は、渋谷のハチ公前の広場だったと思う。
その頃、僕らはよく何時間も立ち話をした。
大学のキャンパスで話をして、放課後、喫茶店で話をして、別れ際にまた立ち話をして、さらに家に帰って電話で話をする。今、考えると何を話していたんだろうと思うけど、とにかく話をしまくっていたのだ。
話題は女や金儲けの話ではなかったことだけは確かだと思う。
ミニコミの内容は何でもよかったのだが、流行の店を紹介したり、ファッションを取材したりするようないわゆるメジャーな雑誌の真似はする気が無かった。かと言って、サブカル誌にするほど、僕らはそれらにのめり込んでいたわけでもなかった。
ちなみに、当時は、「遊」「POPEYE」「宝島」「ビックリハウス」「現代思想」なんかが流行っていた。
僕らは、ハチ公前で、考えているような考えていないような無意味な時間を過ごしていた。
突然、H君が、「全く役に立たない情報誌を作ったらどうだろう。」と言い出した。
「例えば?」と僕は聞き返す。
すると彼は少し考えて、「東京中の一本杉を特集するとかさぁ...」
その言葉が妙に可笑しくて、僕は即、「そうしよう」と答えた。
そしてその特集に引きづられる形で雑誌の名前は一本杉新聞から一本気新聞に決定したのであった。
全く、安易な思い付きだった。
勿論、根っから不精なH君をはじめ、僕らは東京中の一本杉を調べるための取材などするわけがない。
その企画は一瞬にしてお蔵入りとなったのであった、「一本気新聞」という名前を残して...
ただ、それから一本気新聞は4~5号はミニコミとして続いた。
結局、ミニコミの内容は、当時大学にいた凡庸な教授を物笑いのネタとするような内輪雑誌になった。
そして、僕らにも就職の時がやってきた。僕はコンピュータソフトの会社に、H君は、アパレル業界に就職が決まった。
そんなある日の早朝、H君から電話があった。「ファーストミットを買ったからキャッチボールをしよう」というのだ。
彼はいつも唐突だ。
何故、普通のグローブじゃなくてファーストミットなのか、よくわからないまま、僕らは彼の住んでいたマンションの近くの空き地で会って、黙々とキャッチボールをした。
キャッチボールというのは、人を無言にさせる。僕らはただ、ボールを投げ、受け取り、またボールを投げつづけた。
そして、適当に疲れ、僕らは別れた。
その日の朝、何故、突然、僕に電話をくれたのか。僕は彼に聞きそびれた。
そしてそのことは、小さな謎として残った。
数日後、H君から葉書が来た。
「僕のファーストミットに花を咲かせてくれてありがとう」
しかし、その後、僕はH君とは全く連絡を取らなくなってしまった。
理由は無い。ただ、縁遠くなってしまっただけだ。
そして、時間がたった。僕は人づてにH君がすぐに会社を退社して実家に帰ったという話を聞いた。
僕はそれを聞いて別に何も感じなかった。仕事も始まっていたし、日々の雑事に追われていつの間にか、H君のことなど、気にもしなくなっていたのだ。
そして、次にH君の話を聞いたのは、彼が死んだという知らせだった。
僕は葬式に行った。祭壇に飾られていた彼の写真は、僕が知っている彼ではなかった。
その写真の彼はあまりにも太っていたのだ。
ご家族の話によると、死の間際、彼はほとんど他人とも会わずに家に引きこもっていたらしい。
そして、一人で和歌山県の田辺というところに行って、そこで亡くなったというのだ。
数年後、僕はその田辺という町に行ってみた。そこは何の変哲もない港町だった。
駅前には弁慶の銅像があった。
彼は何故、最期の地に田辺という土地を選んだのだろうか。小さい謎を残した。
僕はその後、90年代初頭に小さなパソコン通信を開設し、それを「一本気新聞」と名付けた。パソコン通信は、しばらくは、それなりに盛り上がった。
しかし、インターネットの時代となり、その小さなパソコン通信もいつの間にか自然消滅した。
また「一本気新聞」という名前だけが残った。
その後、ところざわさんに誘われてブログのハシリのようなことをなんとなく始めた。
90年代中盤の話だ。
このブログは、書き始めては止めて、また書いては止めてということを繰り返した。
本ブログのログを見てもらえばそのあたりからの経緯はお分かりいただけると思う。
しかし、僕は、この「一本気新聞」という名前だけは捨てられないのだ。
村上春樹の「ノルウェイの森」では、主人公のワタナベの友人・ツヅキがワタナベと二人でビリヤードをした日の夜、突然に死んでしまう。ワタナベはこの世界に一人残される。そして、ワタナベはツヅキのことをずっと忘れられないでいる。
僕はこのワタナベの気持ちが少しわかるような気がする。
今まで一緒に歩いていた友人が、突然、深い穴に堕ちてしまっていて、もうそこにはいない。
理由がわからない。謎だけが残る...
そんな奇妙な喪失感をワタナベと僕は共有しているような気がするのだ。
H君が企画した東京中の一本杉の特集はまだ実現していないが、その代わりといっては何だが、いつの間にか「一本気新聞」は、家紋を特集するブログになっている。なんとなくではあるが、全く役に立たない(よく言えば、純粋趣味の)情報誌をやろうと言ったH君の意志を継いでいるような雰囲気にはなってきている。
天国にいるH君はそんな僕のブログを読んでくれているのだろうか...
なっ、はずないか、と思いながら、僕はいつかは東京中の一本杉について調べてみたいと心の中のどこかで思っている...というのも怪しい話だ。
まさむね

テレビドラマ »

[3 8 月 2009 | No Comment | | ]

日曜劇場「官僚たちの夏」を毎週見ている。
毎回、同じような展開に、多少、辟易しながらもなんとなく見てしまうのである。
自動車業界、家電業界、そして繊維業界...
戦後、日本経済を牽引してきた各産業界。そしてそれを「指導」してきたと自負する通産省の葛藤の物語だ。
話は常に、国内産業を保護しようとするいわゆる「産業派」(佐藤浩市、高橋克実、堺雅人等)と、国際的視野から自由貿易を推進しようとする「国際派」(北大路欣也、船越英一郎、高橋克典等)との怒鳴り、もみ合いになり、基本的に大臣裁定で「産業派」が破れ、その流れに翻弄された町工場の親父達(岡本信人、桂ざこば等)が苦悩し、「産業派」が「これでよかったんだろうか...」とつぶやくというオチである。(昨日のコンピュータ編は微妙に違ったけど...)
現実の歴史とはだいぶ違うようだが、おとぎ話としては、それなりに楽しめる。
特に、「彼らの議論は白熱し、翌朝の五時まで続いた...」というナレーションから始まるいつもの会議の様子...
「これじゃあ、国内の○○業界は死を宣告されたようなものだ!」
「いや、そんなことはない。○○業界ははそんなヤワじゃない。」
「しかし、米国からの要求をこれ以上、食い止めるのは無理だ!」
「じゃあ、町工場はどうなってもいいというんですか?」
という感じで、毎回、延々と怒鳴りあっているのだ。そういえば、近年、「ごくせん」は教室で、「ROOKIES」は部室で、「アタシんちの男子」では家の中で、イケメンが怒鳴りあうドラマがやけに多くないか。
おそらく、この「官僚たちの夏」はそういったドラマの中年版という位置づけなのであろう。ただ、ターゲット視聴者が女子高校生からオバさんになっただけではないのだろうか。
ここには、イケメンの怒鳴りあい=瞬間最高視聴率という方程式があるのかもしれない。
それにしても、官僚が叩かれまくっているこのご時世に、このような「昔の官僚は篤かった」的なドラマをやることにどういった意味があるのだろうか。これが、ただの昔はよかった的な思い出話なら罪も無いのだが、現代も生きのびている経産官僚の勘違い心に火をつけなければいい...と思う今日この頃である。
まさむね

政治 »

[2 8 月 2009 | No Comment | | ]

今回はいつにもまして、大雑把な話、ご容赦のほどよろしく。
民主党に続き、自民党のマニフェストも発表された。
基本的に、小さい政府を志向しつつも、個人や家庭に金をバラ捲いて、財源は曖昧っていうスタンスは両党とも同じだ。
どちらかが小さい政府で福祉も少なく、一方が、大きな政府だけど、福祉も篤いってような二者択一の選択肢にしてくれればこちらも選びやすいんだけど、そうはなっていない。わかりやすく政界再編されるには、あと、数回、選挙を経ないとだめなのかもしれないね。
まぁ、現時点での違いはといえば、民主党の方が、よりバラ捲く金額が大きく、自民党のほうが少ない。
両党とも、「役所の無駄遣いをやめます。」って言ってるけど、自民党のほうは、今まで出来なかったのに、何故、これからなら出来るって言えるの?という素朴な疑問が残るし、民主党は、今までやったこともないのに、なんで、そんなに自信を持って出来るって言えるの?っていう疑問が残る。
結局、これらのマニフェストの下書きを書いているのは同じ役人だったりして...
       ★
そもそも、無駄って一体なんだろうか。
厚生施設のマッサージチェアの話はわかりやすいけど、そんなわかりやすい話ばかりではないだろう。
現場の担当者で、これは無駄だと思いながら業務にあたっている人は少ないんじゃないだろうか。
例えば、「鮎をもっと食べましょう」というのを推進している部署がどこかの役所にあったとして、担当者はおそらく、本気で鮎を食べることは日本人にとって重要だと思い込んでいるのではないだろうか。
だから、そういう人だって、一般論として「無駄撲滅」に関しては大賛成だろう。でも、具体的な話で、「もう鮎食べましょうって言わなくてもいいんじゃない?食べる人は食べるし、食べない人は食べないんだから」ってことになると「俺って無駄だったの?」っていうことで大抵抗するわけだ。
小泉への熱狂的支持に引き続き、今では、行き過ぎた改革批判って、つまり、そういう無自覚な無駄な人たちがあまりにも多かったってことだと思う。
       ★
民主党の政策に、途中まで進んだ公共事業も、精査して止めるものは止めます。みたいなのがあったけど、これってそれにぶら下がって働いていた人はどうなるんだろうか。普通に考えて失業だよね。
まぁ、そういうところ(例えば、ダムの工事現場)で働いていた作業員が失業して、月々何万円かの補助をもらって、3ヶ月くらい、PCとかエクセルの使い方の職業訓練を受けて、IT関連の企業に就職しようとして面接を受けたとする。その人が既に35歳位だったら、採用する企業なんてあるのだろうか。
残酷なようだけど、それが現実だと思う。
政治は、公共事業を止めて、失業させて、職業訓練させて、その間の生活は保障しても、その後の事は面倒見切れないからね。いや、今回のマニフェストには「それでも面倒見ましょう。だから一票入れて」という政治家からの誘惑が見えます。
       ★
派遣労働の原則禁止って話も両党のマニフェストに出てくるけど、そうすると結局は、沢山の失業者が出るってだけだよね。
非正規社員を正規社員にするような政策だったら、一方で同時に、正規社員の首を切りやすくしないといけないっていうのは誰が考えてもわかる話だけど、それは労働組合が怖くて誰も口に出せない。
僕だって、40代後半の正規社員だけど、頭では、解雇規制はやめろ(ようするに、首にしやすくしろ)というのはわかるけど、現実問題、「じゃあ君から解雇ね」って言われても困る。だから自分の身に降りかかってきたら、自分もまっさきに抵抗勢力にならざるを得ない。難しいところだ。
現実的にありうるのは、中高年者の給料を減らして、若者の正社員化を進めるか、いわゆる驚異的な経済成長をするかっていう二者択一しかないと思われるけど、その経済成長こそ、「無駄をなくす」ことによってしか実現する道がないとしたら、また、さっきの話に戻ってしまう。
さらに言えば、もう一つ、個々人への税金をものすごく高くして、そういった今まで無駄だった人を生活保護とかで、公的に養うっていう方法もあると思うんだけど、これだと金持ちとか、能力のある人はどんどん日本から出て行きそう。
それによって、日本はますます停滞しそうだよね。
       ★
自民党と民主党の違いがあるとすれば、今までの自民党政権では、官僚を通して、土建屋とか医者とか農協職員とか、いわゆる地方の「顔役」にお金が回り、そこから一般の庶民に金が行くっていうシステムが、民主党が政権を取ると、いきなり一般の人にバラ捲かれる金が多くなるっていうことでしょう。
そうなると、地域のコミュニティがますます解体します。勿論、いやいやそういう「顔役」にぶら下がっていた人も多いわけだから、それがなくなるだけセイセイするっていう人々も多くて、それはそれで結構な話だけど、これでますます、村の祭りとか、自治体による清掃活動なんかが廃れます。地場産業的な「顔役」系列経営の商店にも、今までは「お付き合い」で買い物をしていたのが、面倒だからってことで、国道沿いのスーパーとかに消費が集中。高速道路も無料化されれば、ますますだよね。2チャンネル的に言えば、これで「イオン」は益々繁盛するわけです。それを阻止したい自民党。
ちなみに、麻生さんの家紋は「違い釘抜き」だけど、この紋、人と人と野結びつきを表す。やっぱりどこかで保守的な意味での「絆」っていうのを意識するのかな?麻生さんは。
一方、民主党はそんな旧来のコミュニティ解体のかわりに、新しい人々の「絆」をつくるためにNPOとかNGOの設立の簡素化とかマニフェストで言ってるけど、そんなに上手くいくものなんだろうか。これは遠大な実験として見守りたい。
       ★
外交、防衛問題に関しては、いわゆるインド洋の海賊対策に自衛隊を派遣するかどうかっていう具体的な問題があるらしいけど、実のところ、多くの人にとってはあんまり関心がない。自衛隊がどこへ行こうが、「税金分働いて欲しい」位にしか思っていないんじゃないかな。残念だけど。
ちなみに、鳩山家の家紋は「尻合わせ三つ結び雁金」だけど、その昔、瀬戸内海の播磨灘に出没した海賊をやぶった花房氏もこれに似た「尻合わせ三雁金」を旗印にしていて、海賊達はその紋を見ると逃げたという(「家紋と家系」辞典 丹羽基二著)。現代の世界情勢もこういう風に、自衛隊が行くだけど、相手が逃げてくれるように、上手い具合にいくといいんだけどね。
まぁ、結論として、おそらく今回は、民主党が勝つとしたら、官僚があせって、景気が悪くなって、コリャだめだとなって、次はマニフェストももう少しリアリティのあるものになって、野合じゃなくて政策本位での政党が形作られて...ていう過程を経るための、一歩になればいいかなと思います。
「みんな投票に行きましょう」っていうのも、「なんで?」って言われると詰まっちゃうところがあって、よく考えると疑わしいんだけど、いずれにしても今回の衆議院選挙は、究極の選択だよね。
今日もグダグダな文章でゴメンネ、ゴメンネ;;
まさむね

書評 »

[1 8 月 2009 | No Comment | | ]

小林よしのりの「天皇論」は力作である。
これまで発表した「差別論」「戦争論」「台湾論」「沖縄論」等の作品も様々なタブーに挑戦してきた。
その都度、敵を作るが、それを厭わない。
常に、読者に正対し、正論を唱え続けてきた。
特に、戦後民主主義、マスコミ、左翼/右翼の欺瞞を暴き続けてきたその姿勢は尊敬に値する。
そして、ここに来ての満を持した形での「天皇論」の発表なのである。
小林氏が長い間、天皇について書きたいが書けない状態にあったということは漏れ聞こえてきたところではあるが、その長年の蓄積を一気に吐き出した感のある勢いのあるこの作品。
まさにには敬服せざるを得ない。
小林氏は天皇についてこう語る。
日本の「国体」は、天皇と公民で成り立っている!
天皇は公的統合の理念上の体現者であり、民を「大御宝」として大事にする。
民は私的支配を受けない存在として、天皇の「大御心」を戴く。
この民の信頼と尊敬によって、天皇の権威は支えられている。
その権威によって、日本は安定した社会を築くことが出来るのである!

おそらく、皇室というものは日本人の発明の中で最高の傑作であり、オリジナリティであり、叡智の結晶である。
しかし、その皇室が今、危機にある。
それは、今後、女性天皇、そして、女系天皇認めるかどうかといういわゆる皇室典範改正問題である。
僕は、小林氏が、この「天皇論」で、この問題をどう取り扱うかという点が最も気になりながら読み進んでいった。小林氏は明らかに、この点をを避けているようにも思えた。
しかし、全体で379ページある本書がもう終わろうという374ページ目でついにこの点に触れている。
そこでは、「わしはこの『天皇論』で、「皇室典範の改正問題」をあえて論じなかった。」と告白している。確かに、この問題こそ、現代の日本人がつきつけられた歴史上最大の課題であるからだ。
そして、「政府は「皇室典範改正」の準備を急ぐべきである。」「皇室のご意志を最大限尊重すべきではないか?」と続ける。
結局、小林氏は、この問題の判断を天皇に委ねているのだ。
ここまで、「天皇が憲法改正反対を明言なさったらわしは逆賊になる」「わしは天皇の御言葉に反しても、日本の伝統を強制する悪役に徹していこうと思っている。」等、天皇個人の判断よりも皇室、そしてその伝統に価値を置く発言を繰り返していたのが、揺らぐ瞬間だ。小林氏の苦悩と判断を感じ取らざるを得ない一コマである。
勿論、それをここで責める気はしない。これはあまりにも難しい問題だからだ。
おそらく、この判断を天皇に委ねる姿勢は、現時点で出来る最大限の「ぎりぎりの判断」なのだと思う。
そして、こう続ける。
たとえ将来、女系天皇が誕生するようなことになっても、わしは失望しない。
益々国民が天皇に注目し、敬愛を深め、かえって伝統が強化されることだってあるかもしれない。
そうなるように皇室の意義を子孫に我々が伝えてゆかねばならない。
元々、天照大神は女性神である。
ならば日本の天皇は女系だったと考えることも出来る!

       ★
僕が小林氏の上記の結論を(勝手に)さらに進めよう。
古代より、皇室は、いつの世にか、男系が危機に陥ることも想定して、その時の対応のヒントとして、天照大神という女性を天皇の祖先神にしておいたのかもしれない。
また、現代ほど、外国人に対する受け入れを迫られている時代はない。
そんな時代を想定して、海の神、山の神のとの血の交わりを神話として残しているのかもしれない。
だとするならば、そこにこそ、「天皇という叡智」の奥深さがあるのではないだろうか。
まさむね