プロレスというのはじつにやっかいなものだと改めて思う
かつてプロレスを「底が丸見えの底なし沼」と評したのは「週刊ファイト」編集長の井上義啓氏である。
彼はプロレスに人生を捧げた名物編集長だった人だ。
当然のことながら、彼は、すべてのことをわかった上でそのように語っていたのだと思う。
しかし、すべてわかっているからと言って、それをありのままに語ることは時として野暮である。
それはプロレスに限った話ではない。日常生活においてもそうだ。
プロレスを語るということは、その人がプロレスに対してどう向き合っているのかというそのスタンスをも語っているに等しい。だから、それは慎重になる。それはその人の物の見方をも相手にさらしてしまうことになるからだ。
恥ずかしいことは言えない、でもウソも言いたくない、そして、相手を悲しませたくはない、いろんな思惑が交錯する。
また、一方で、斉藤文彦さんというプロレスライターがいた。彼が言っていた。
「全てのことはプロレスから学びました」
僕は彼が言うことがよくわかるような気がする。僕もそうだからだ。
アントニオ猪木がある人と食事をした時に、プロレスは八百長じゃないかということを普通に言われた。猪木は、その時、食べていた肉を床に落とし、「ここに落ちている肉が豚の肉か羊の肉か、牛の肉かあなたにどうして、それがわかるのか」というようなことを物凄い迫力で言ったという。
大仁田も同様なことを言われた時、着ていた服を脱ぎ、無数にある体の傷を見せて、「これでも八百長と言うのですか」と言ったという伝説も伝わっている。
また、馬場は生前、村松友視の「私、プロレスの味方です」についてどう思うか聞かれた時に、「何もわかっていない」と一言言ったという。
一流のプロレスラーは多くを語らない。そしてどこか寂しそうだ。
僕は、プロレスとは最後のところでは真剣勝負だとずっと信じていた。もっと正確に言えば、そう、信じようとしていた。そして、いつの日にか、レスラーからあれはウソなんだよと直接言われたら、その時は、プロレスファンを辞めようと思いながら、プロレスを真剣に観ていた。
しかし、その日がついに来てしまった。某一流レスラーが僕に言ったのだ。
「おい、まさむね、プロレスは格闘技じゃない、プロレスに一番近いスポーツって何だと思う。それはフィギュアスケートなんだよ。大事なのは、いかに魅せるかなんだよ。」
今となっては、その一言も現実の話だったのか、夢での話だったのかもじつは定かではない。
プロレスを語る時よくあることなのだが、自分自身も、プロレス同様、虚実の皮膜のアチラ側とコチラ側で行ったり来たりしてしまうのである。
かなり臭い言い方であることを百も承知で言うと、プロレスとは人間社会そのものである。
まさむね




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