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Articles Archive for 10 月 2009

相撲/プロレス/格闘技 »

[4 10 月 2009 | No Comment | | ]

かつてプロレスを「底が丸見えの底なし沼」と評したのは「週刊ファイト」編集長の井上義啓氏である。
彼はプロレスに人生を捧げた名物編集長だった人だ。
当然のことながら、彼は、すべてのことをわかった上でそのように語っていたのだと思う。
しかし、すべてわかっているからと言って、それをありのままに語ることは時として野暮である。
それはプロレスに限った話ではない。日常生活においてもそうだ。
プロレスを語るということは、その人がプロレスに対してどう向き合っているのかというそのスタンスをも語っているに等しい。だから、それは慎重になる。それはその人の物の見方をも相手にさらしてしまうことになるからだ。
恥ずかしいことは言えない、でもウソも言いたくない、そして、相手を悲しませたくはない、いろんな思惑が交錯する。
また、一方で、斉藤文彦さんというプロレスライターがいた。彼が言っていた。
「全てのことはプロレスから学びました」
僕は彼が言うことがよくわかるような気がする。僕もそうだからだ。
アントニオ猪木がある人と食事をした時に、プロレスは八百長じゃないかということを普通に言われた。猪木は、その時、食べていた肉を床に落とし、「ここに落ちている肉が豚の肉か羊の肉か、牛の肉かあなたにどうして、それがわかるのか」というようなことを物凄い迫力で言ったという。
大仁田も同様なことを言われた時、着ていた服を脱ぎ、無数にある体の傷を見せて、「これでも八百長と言うのですか」と言ったという伝説も伝わっている。
また、馬場は生前、村松友視の「私、プロレスの味方です」についてどう思うか聞かれた時に、「何もわかっていない」と一言言ったという。
一流のプロレスラーは多くを語らない。そしてどこか寂しそうだ。
僕は、プロレスとは最後のところでは真剣勝負だとずっと信じていた。もっと正確に言えば、そう、信じようとしていた。そして、いつの日にか、レスラーからあれはウソなんだよと直接言われたら、その時は、プロレスファンを辞めようと思いながら、プロレスを真剣に観ていた。
しかし、その日がついに来てしまった。某一流レスラーが僕に言ったのだ。
「おい、まさむね、プロレスは格闘技じゃない、プロレスに一番近いスポーツって何だと思う。それはフィギュアスケートなんだよ。大事なのは、いかに魅せるかなんだよ。」
今となっては、その一言も現実の話だったのか、夢での話だったのかもじつは定かではない。
プロレスを語る時よくあることなのだが、自分自身も、プロレス同様、虚実の皮膜のアチラ側とコチラ側で行ったり来たりしてしまうのである。
かなり臭い言い方であることを百も承知で言うと、プロレスとは人間社会そのものである。
まさむね

社会問題 »

[3 10 月 2009 | No Comment | | ]

10月1日付けの産経ニュースに、「【主張】夫婦別姓 家族の絆を壊しかねない」という記事があがっていた。(以下、このエントリーでの引用はその記事より)
夫婦が別の姓でも婚姻関係を保てるとする選択的夫婦別姓制を導入する民法改正案が来年の通常国会に提出される見通しになった。推進派の千葉景子法相と福島瑞穂男女共同参画担当相が早期法改正に意欲を見せているためだ。
この夫婦別姓問題に関して、以前より様々な問題点が指摘されている。婚家主義から生家主義的傾向が強くなるとか、家族の絆が弱まるとか、離婚がしやすくなるとか...
しかし、それらの多くは、漠然とした懸念の域を出ていないように思える。上記の記事の中にも以下のような指摘があった。
家族は夫婦だけではない。親の都合だけで考えれば、別姓で支障がないかもしれないが、子供は必ずしもそれを望んでいないのだ。親子の絆(きずな)を強めるには、やはり夫婦が同姓でいることが教育上、好ましいことは言うまでもない。
何故、「教育上、好ましいことは言うまでもない」のかが全くわからず、反論のしようもない感じだが、こういった感慨を抱く中高年が多いことは想像は出来る。
そして、おそらく、夫婦別姓を反対する人々を「保守層」とか言うのだろう。
しかし、こうした議論が出てくる際に、いつも感じることではあるが、それらの「保守層」は一体何を保守しようとしているのだろうか?それが、今ひとつ不明なのである。
姓に関して言えば、日本は世界で二番目に数が多い国として知られている。一位は、アメリカである。それは移民が多く、世界各国の姓を持つ人が集まっているためという理由は納得しやすい。それでは、何故、日本ではこれほど姓が多い(一説によると300,000と言われている)のであろうか。
古代日本には氏姓制度というのがあって、その頃は、氏は天皇が下々に与えるものであった。蘇我氏、物部氏、藤原氏、源氏、平氏などというのがそれだ。そして、その氏というものは、基本的(公式的)には父系の氏を受け継ぐものであった。
しかし、それだと、例えば、藤原氏なら藤原氏を姓とする人が多くなりすぎて、朝廷近辺の狭い人間関係社会だけならまだしも、日本全国に人々が広がりだすと、どこの藤原氏だかわからなくなってしまう。それで、平安時代に、都落ちした貴族の末裔(いわゆる武士)はそれぞれの開拓地の名前を「氏」とは別の「名字」として私称しはじめる。これが名字の始まりである。
勿論、その後、古代からの「姓」を、名字として使用し続けた人々もいたり、地名とは関係なく、自分で勝手に名字を作った人も多くいた。だから、日本の名字は多いのである。
逆にお隣の朝鮮やシナでは、儒教的な、「姓は天から授かり物」的な観念が強く、それによるしばりが強かったため、名字という「自己申告的な名前」ようなものは発生しなかった。
だから、例えば、韓国では現在、200余りしか姓は無いし、中国(漢族)では2000程度しかないといわれている。
ようするに、日本ではなしくずしに名字が増えていったのである。それはある意味では、日本人のルーズさを表しているし、べつな意味では、自立心の強さ、日本社会の中央権力の弱さ等をも表している。
「なんとなく既成事実が積み重ねられて、自然成立したかのように物事が作られて行き、さらにその歴史すら忘れられていく」、あるいは、「理念にとらわれずに、それぞれの裁量と冒険心をもって人間関係を作り、たくましく生きていく」という、僕はそういった風土こそ極めて日本的だと思う。だから、日本に名字が多いことは、日本人のそういったたくましい伝統の証だとすら思っているのだ。
したがって、基本的には政府が法律で名字に対する規制をしていることは、本来の日本の伝統からは反していると思う。よく、江戸時代には、武士以外には名字を持たなかったといわれているが、それは間違いで、実は、大多数の庶民も名字を持っていたのだ。ただ、公式にはそれを持っていないことになっていただけなのである。逆に言えば、お上は下々の名字などに対しては、全く不干渉だったとも言えるのである。
僕は、そういった意味で、逆に夫婦同姓という明治以降の中央集権国家的な規制は反日本的であると思うし、だからこそ、それを積極的に肯定したいとは思わないのである。
また、全然、別の観点だが、日本人の豊富な名字を守っていくには、夫婦別姓の方が有利という点も見逃せない。同姓を強制されることによって、希少姓が消滅してしまうのは極めて残念だったが、これで残されていく可能性が増えたのである。これだって一つの伝統を保守することになるのではないのか。
話を戻すが、だいたい「家族の絆」をお上に守ってもらおうという発想自体が古代から歴史を視野に入れた時に、「日本的」ではない。それは個々人の問題であり、「どういった家族のあり方が幸せか」などということをお上に決めてもらわなくても結構だ。名字が親子で違うと絆が損なわれると思う人は同じにすればいいではないか。それだけの話である。
さらに言えば、おそらく、現在、夫婦同姓という規制があることによって、不自由な人々がいるのであろう。特に結婚によって、片方(特に女性)が名義を書き換えたりすることは多大な面倒になっているのではないかと想像される。
そういった事をわずらわしいと思う人々が少しでも生きやすい社会になるのに、関係ない人が何故、反対するのかがよくわからないのだ。
ただ、夫婦別姓が認められると、本人同士は、同姓にしたかったのに、例えば、結婚を認めたくない片方の親から、無理やりに別姓を強制されたお嫁さんが、結婚後、何年にも渡って自分が夫と違う名字を見るたびに、逆に差別されたようにとか、あるいは、夫の家に認めてもらえないなどとと感じてしまうようなことも起こるかもしれない。制度を利用した新しい不幸が生まれてしまう可能性だったありうるということだ。
しかし、どんな制度だって、いいところもあれば、悪いところもある。それは、それぞれが乗り越えていく問題なのだと僕は思う。
まさむね

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[1 10 月 2009 | 4 Comments | | ]

80年代のプロレスは暗黙の了解(村松友視)の限界を見極めた上で、≪外部≫に出ようとする≪内部≫の物語だったが、それは必然的に、プロレス史を加速させ、やがて来るプロレスの死を内包した残酷な物語だったのである。
同じく、80年代の現代思想界におけるニューアカカルテットの4人、浅田彰、中沢新一、柄谷行人、蓮實重彦がそれぞれの角度から≪内部≫から≪外部≫へというテーマで格闘しながら(※1)も、パフォーマーとしては結果的にはバブルの消費社会のイデオローグとなり、自分達が安住していた場所を壊すような問題提起をするだけで終わってしまい、最終的には「ニッポンの思想」自体を死に追いやってしまったということとどこか似ているように思える。
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そして、長州力が猪木の引力圏から飛び出て馬場の引力圏へ突入したはいいが結局は、生まれた川に帰ってくる鮭のごとくに、猪木の元に戻ってしまい、同じく猪木から離れて新しいプロレスを標榜したUFWが、リアルな≪外部≫の格闘技と接触するに及んで無残な姿をさらすことによって、「プロレスとはやっぱり≪内部≫の物語であったのね。」ということを露呈してしまい、他方、大仁田の成功が多団体時代を生み出し、さらに、猪木の引退、馬場の死によって、馬場VS猪木という大きな物語が崩壊し、それはプロレス史をも終焉させてしまうという最悪の事態が連続して起きたのが80年代末期から90年代のプロレスであった。
一方、思想界は、机上の空論よりも、目の前に起きるリアルな現象(天皇の死、ソ連の崩壊、連続幼女殺害事件、湾岸戦争、神戸淡路大地震、オウム事件、サカキバラ事件、金融ショック等)を読み解くような人々、宮台真司、福田和也、大塚英志といったジャーナリスティックな思想家が次々と「現況解説書」を発表する。それは、好むと好まざるとに関わらず、「歴史の終焉」後のまったりとした不気味な日常、「虚無としての日本」、あるいは背後にあったはずの大きな世界観の不在(※2)を、それぞれが肯定せざるをえないという不透明で忸怩たるジレンマをかかえていた。
それが「ニッポンの思想」の90年代であった。
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ゼロ年代のプロレスは、馬場の死後、大きなパワーも方向性をも失ったさながら難破船のような状態が続いている。80年代、90年代の遺産だけで食いつなぐプロレス界、その至宝・三沢光晴をもその末期に失ってしまった...(※3)
一方で、このゼロ年代に思想界に登場してくるのが、東浩紀である。このゼロ年代は、思想界においては、東浩紀の一人勝ち時代である。そして、実は、これは単純な話、東浩紀の著書のみがビジネス的に成功したからである。元々、浅田彰の強烈な褒め言葉(比喩的に言えば浅田彰からの禅譲)によって世に出た東浩紀、彼はゼロ年代の前半の小泉構造改革の時代の「勝ち組/負け組」を峻別するような風潮の中で、売れれば勝ちという思想の新たなるルールの設定に自ら成功し勝利した...かのように見えた。
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僕の考えだと「ニッポンのプロレス」は、1999年のジャイアント馬場の死によって終わってしまった。しかし、ゼロ年代、「ニッポンの思想」は、東浩紀という「スター」の登場によって、プロレスよりも数年長生きした。しかし、思想界のテン年代の展望は暗い。スターの数を数えてみても、80年代=4人、90年代=3人、ゼロ年代=1人、そしてテン年代は...。
これからどうなるのでか、ある意味、楽しみである。
まさむね
(※1)浅田彰は、ドゥルーズ=ガタリを援用しつつ、≪外部≫への「逃走」を生き方のメッセージとして投げかけた。中沢新一は、≪外部≫への出方として意識の働きに重点を置いた。蓮實重彦は、「凡庸」にからめ取られないように振舞いながら、「愚鈍」を感じ取ることを≪外部≫への道として示した。また、≪内部≫は、その形式化を推し進めると必然的に≪外部≫に開かざるを得ないと主張したのが柄谷行人である。
(※2)宮台真司の「終わりなき日常を生きろ」、福田和也の「日本の家郷」、大塚英志の「物語消費論」の大筋を僕はこう解釈したが、「ニッポンの思想」の著者・佐々木氏も似たような見解のようだ。
(※3)「今改めて眺めるプロレス衰退史」参照の事。