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MJは後半生において宇宙からの使者、伝道師ETのようなものになったのではないか

5 11 月 2009 No Comment

マイケル・ジャクソンとは何者だったのか。

先週の日曜日に、彼が亡くなる直前までロンドン公演向けのリハーサルに打ち込んでいたときの収録ビデオを編集した映画「This Is It」を観た。この映画を見る限り、彼がその直後に死ぬ人とはとても思えないし(とても死期の近い病人のようには見えなかった)、死の直後に言われていたような公演のリハをほとんど行っていなかったという真らしきデマが嘘だったこともよく分かる。リハーサルの様子を観るかぎり、かなり完成形に近づいていたと思うし、公演への思いも本気だったと理解できるのだ。だとすれば、死因はやはり担当主治医の処方ミスということになるのだろうか。それは分からないが、ここではMJの死因について語ることが目的ではない。それはたぶん永遠の謎かもしれない。

MJと僕は生まれ年が同じ1958年、つまり51歳のタメ年(マドンナも同じはず)。だけど不思議に同世代という意識はあまりなかった。同時代の音楽という捉え方も希薄だった。どんなにひいき目にみてもせいぜいスリラーを引っさげて登場した80年代の前半までで(スリラーを当時深夜のMTVで観たときはたしかに衝撃だった! 難しい話ではなく、ストレートに面白かった! だってゾンビたちが踊るのだから、とってもダンサブルにね!!)、そこまでは同時代としての歩行が揃っていたと仮に言ってみるとしても、そこから先の、かれの容姿の変化(黒から白へのいわゆる白化現象の加速)とともに、その音楽や彼への興味を失っていったことはまぎれもない事実で、90年代半ば以降はむしろまったく興味の対象から外れていたといって良いと思うのだ、僕にとっては。白人の色にこだわりすぎる彼にむしろ違和感を覚えるほうが強かったくらいだ。

今回「This Is It」を観て、改めてMJの晩年の容貌について思うのだが、今更ながらなんと年齢不詳であることかということ! とても50歳の人には見えないよね。確かに芸能人やエンターティナーを職業としている人たちが年齢不詳、アンチ・エイジングで、いわゆる普通の人の年域を超えて若く見えるのは当然だとしても、彼の場合は単にそれだけではなく筋金入りで、元々その根っこの思想としても年を取ることを拒んでいたように思えるのだ。どこか中性的な感じ、なにか少年合唱団の面影をひきずり(ジャクソン5)、合唱団を卒業した後も去勢したように声変わりせずに高音域の声を残したまま、華奢で未成熟な肢体のイメージを醸し、白でも黒でもない人種の枠を超えて、少年、児童、玩具、遊園地が大好きで・・・・・等々。スクリーンの彼はますます人間離れしていて、なにか手足の長い宇宙人のように見えたものだ。MJはその後半生において宇宙からの使者、伝道師ETのようなものになったのかもしれない。

それはさておくとしても彼が「ポップの王」と形容されていることに僕は興味はない。音楽的に本当にそういえるのかも知らない。死んで伝説化され、新たに命名されることはよくあることだ。ただ音楽にしろなにかのカルチャーにしろ、アンダーグラウンドの活動にしろ、それがなにかのムーブメントとつながっていると時代に共有(錯覚)された(所詮幻想だったにせよ!)のはやはり80年代前半までだったのではないかと僕は思う。その意味でポップミュージックという意味でなら、彼のスリラーを収録したアルバムはまだ音楽がなにか時代の鏡であるかのように信じ込ますことができた棹尾を飾るアルバムだったといえるのかもしれない。事実このアルバムの売上(アルバム・セールス)は未だに世界一らしいが。

それ以後はもうどんなムーブメントにもカルチャーにも音楽にも新しさはなく、もう時代を代表するようななにかとしてではなく、どこか既視感のなかに入ってゆきすべてが等質で、均一で、いっぽうズレがズレのまま、でもどこにも矯正できるものはなく、ただただ崩壊の過程に向かって、音楽も経済も文化も文学もユニバースそのものがすべり始めていったように思う(日本経済でいえば85年の円高プラザ合意以後、バブルを経て、その崩壊とそれ以後の崩壊つづき)。

そういうなかでMJの音楽ももともと深まることはなく、表層を表層のまま奏でていった。その後半に至って、ヒーリング(癒し)、地球環境へのメッセージや愛、WE ARE THE WORLDのボランタリーなどの色彩を強めて移動してゆくかのように見えても、それらは深さによったものではないし、なにか年輪の智慧によって生まれたものでもないし、どこまでも単に彼の嗜好、オタクの一環としてくらいの意味しかないだろうと思う、本当のところは。時代が下降してゆくなかにあっては音楽的には僕はむしろマドンナの方が戦略的にしたたかな感じがする。先ごろWOWOWで見たブエノスアイレスでの2008年のマドンナのツアーはよかった。ギター片手に歌うマドンナがいい。草原のなかの兵士みたいで、ジャンヌ・ダルクのようでもあり、フィジカルで、シンプルで、身体的で、・・・・、等々。

なにか意味のないことを長々と書いてきたような気がするが、ぼくがMJの曲でやっぱり一番好きなのはスリラーだな。ゾンビから髑髏からなにからなにまで墓から抜け出してみんな踊りだせ、踊るがいい! そんな気がする。MJの音楽がどうであれ、これからも世界中の若者がいつかあるときある場所で汚い格好と醜い姿をしながら(あるいはそんな格好をしなくても)あの奇妙な奇天烈なスリラーを路上で何処かのストリートで踊り続けることだけは確かだと思う。あなたが歌った曲でその後に生まれた子供たちが踊るのだ。マイケル・ジャクソンよ、永遠なれ! 合掌。

よしむね

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