最近の若い人は年に2本しか観なくても映画好きという
先日、映画関係の人とお会いした時に、フッとこんなことを話していた。
「最近の若い人は、いわゆる映画マニアという層が減ってきているんですよ。この間、アルバイト募集して、やってきた学生が『映画好き』って言うから『どのくらい映画を観るんですか』って聞いたら、『年間、2本位です』って平気で言うんですよ。最近、若い人の感覚ってどうなってるんでしょうね(笑)」
しかも、さらに気になることとして、最近の若い人は、映画が始まる前の予告編にあまり関心を示さなくなってきているらしいことを指摘されていた。自分が観たいと思ってやってきた映像以外の映像を観せられることに、逆に嫌悪感すら、持っているらしいのだ。
確かに、僕もこういった若い人々の感覚との間に大きな断層を感じることは多々ある。かつては、映画好きというのならば、せめて毎月1本づつ位は観るというのが共通認識だったような気がする。いや、それでも大学の映画研究会などに行けば、上には上がいたもの、年間、100本、200本は平気で観まくるといったツワモノが、70年代、80年代にはゴロゴロしていたものだ。あの青年達は一体、どこに行ってしまったのだろうか。
勿論、映画を年間2本しか観ない人が「映画好き」を公言することに対して、明確な論理でそれを否定することは出来ない。たとえ、映画を1本も観なくても、その人が、映画が好きだといえば、好きだからだ。
多分、このような感覚の断層に対して、僕と同年代の、例えば、香山リカならば「劣化」というのだろうし、岡田斗司夫ならば「オタクの死」を語るのだろう。実は、僕にも香山さんや岡田さんの気持ちがよくわかる。
おそらく、最近の若い人々は、自分の想定外のモノに対して、過剰に「不快さ」を感じるような感性が出来上がっているのではないだろうか。それは、自分にとって不要なもの、不快なものは観なくて済むインターネットというシステムが生み出した新しい感性といえるのかもしれない。
それにしても、いわゆるメジャーなコンテンツ産業が「不快さ」を避けるようなモノばかり創るようになれば、それらのコンテンツはどんどん痩せ細って行ってしまうようにも思える。「不快さ」というモノこそ、逆に、視聴者の快感のツボのすぐ近くにあるため、「不快さ」を排除することによって、結果として、本当の生々しい快感をも避けることになりかねないからである。
それはプロレスにおけるヒール=悪役の存在のようなものだ。
不快だからと言って、ヒールを排除しつづけた結果、プロレスはどんどん衰退してしまったではないか。
例えば、かつてザ・シークというレスラーがいた。
花道に登場すると、手に松明を持ちながら、延々と客席を荒らしまわる。
「お気をつけください。お気をつけください」とリングアナウンサーが叫ぶ。
しかし、ザ・シークはお構いなしに、客席を徘徊し、逃げ惑う観客の悲鳴が館内に響く。
そして、ようやくリングに上がったかと思えば、手に持った松明を相手レスラーに投げつけて、それで反則負け。
ザ・シークはまた客席を荒らしながら帰っていく。
観客には「あれは何だったんだろう」という心持だけが残される。
かつては、このわけのわからないものがゴールデンタイムでテレビ放映されていたのだ。
別の例を上げれば、例えば、ジョン・レノンの「レボリューション9」である。ジョンは決して、「イマジン」や「ウーマン」だけのベビーフェイスではないのだ。彼には、その内面の混沌という隠し味があったからこそ、世紀をまたいだ偉大なエンターテイナーなのである。
おそらく、かつての映画青年たちの、とにかく映画を観まくるという行為の潜在的動機には、ザ・シークやレボリューション9のような無意識をかきむしるような不快さとの唐突な出会いを求める冒険心があったのだと思う。
ジャン=リュック・ゴダール、フェデリコ・フェリーニ、ルキノ・ヴィスコンティ、レオス・カラックス、ナンニ・モレッティ、ル・コント、ビクトル・エリセ、候孝賢、ピーター・グリーナウェイ、アキ・カウリスマキ、テオ・アンゲロプロス、そして、北野武...
今、こうした監督の作品を思い起こしてみると、僕は、かつて、本当に楽しくて映画を観ていたのだろうかと若干不安になる。もしかしたら、それは苦痛だったのかもしれないとすら思う。しかし、逆にこれらの監督の作品は、僕の心の中に確実な足跡を残しているのも事実だ。
そして、それらの映画を観るという行為は、「ROOKIES」でマウンドに集まったイケメン達を眺めるのとは異質な映画体験だったというのも確実なような気がするのである。
まさむね




>自分の想定外のモノに対して、過剰に「不快さ」を感じるような感性
私も周囲を見ていて、そうした感性が少なからず存在する事に最近気づいてきました。
さらに興味深いのは、その想定外のサプライズが、いわゆるポジティブなもの(たとえば、誕生日のサプライズパーティなど)に対しても、不快さを伴うという事なんですよね。
想定外のモノに対しての許容力、適応力の低下、と考えていたのですが、むしろまさむねさんの仰るように《過剰な反発》があるような気がします。
Kouichi Suzukiさん
こんばんわ。
Suzukiさんもそう思われますか。
ある種の神経症的な感じすら受ける時があります。
今の時代、かなりタフですから、気持ちはわからないでもないですが、たくましくあって欲しいと思ったりもしますね。
最近、映像にしてもテレビ番組にしても、サイトにしても、より面白くではなく、より不快ではなくという発想のものが多くて、それはそれでいいのかどうか、考えさせられる今日この頃です。
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