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Articles Archive for 12 月 2009

ビートルズ »

[31 12 月 2009 | 17 Comments | | ]

今年最後のビートルズベスト10はリンゴのドラムスのベスト10にする。
実は、僕は高校時代にビートルズのコピーのバンドをしていて、ドラムスの担当だったのだ。
お世辞にも上手とは言えないが、今でも「Please Please Me」「She Loves Me」「Can’t Buy Me Love」等の曲が流れると、自然に体が動きそうになる。中山康樹氏もリンゴのドラムスが無いとビートルズの音楽は成立しないというようなことを言われていたが、確かにそうだ。どこが上手いのか、何がいいのか上手く言葉に言い表せなくて困るのだが、やっぱりいいものはいい。そこには、リンゴの味があるのだ。
一番、わかりやすいのは、「The Beatles」で、ポールがドラムを演奏する「Back In The U.S.S.R」「Dear Prudence」が終わり、いきなり、「Glass Onion」でリンゴのドラムスから入るあの瞬間。あの瞬間、全てのファンは、ビートルズサウンドにリンゴがいかに必要かということを思い知らされるのだ。(勿論、「Back In The U.S.S.R」「Dear Prudence」でのポールのドラムスもいいんだよ、念のため。)
さて、べスト10に入ろう。
1.Rain
2.Strawberry Bields Forever
3.Good Morning Good Morning
4.A day In the Life
5.She Loves You
6.Please Please Me
7.Get Back
8.Glass Onion
9.She Said She Said
10.The End
僕はこのベスト10シリーズを選ぶ時、なるべく考えないで選ぶようにしている。あまり、考えすぎて作為的になると、真実と離れそうになってしまうからだ。
だから、前回のドラッグソングベスト10に「Day Tripper」をはずしてしまうようなポカをやってしまうのだ。
1位の「Rain」は、強く叩きつけるような雨を効果的に表現している。例えば森高千里の「雨」と比べると、日本人が感じる雨とイギリス人のRainの違いが感覚的にわかる。たしか、この曲でJohnは、雨が降ったとしても、自分は変わらない的な内容を歌っていた。この「Rain」での発想は、のちの「Across The Universe」の「Nothing’s gonna change my world」のはるか前の伏線のようなものなのである。
2位の「Strawberry Bields Forever」もJohnの曲だ。この曲をJohnのベスト、あるいはビートルズのベストに上げる人も多い、名曲中の名曲だ。ただ、発売当時は、No.1になれなかったといういわく付きの曲でもある。ここでのリンゴのドラムスは目立ちすぎずしかし、タイトにこの曲を盛り上げる。最高のパフォーマンスである。
3位の「Good Morning Good Morning」は、よくもまぁ、これだけ複雑なジョン特有のリズムについていったなという感じの完璧なスティックさばきである。
4位の「A day In the Life」は、僕としては、ビートルズの中でのベストソング、だからということでもないが、リンゴのドラム、いわゆるフィルインの瞬間の凄みは出色だ。
5位の「She Loves You」は、ドラムだけの超短い前奏というアイディアの勝利。
6位の「Please Please Me」は「カモン♪、カモン♪、カモン♪、カモン♪」のところのドラムスが好き。個人的に青春の一こまを思い出す。
7位の「Get Back」は、シンプルなんだけど、この曲にぴったりの演奏、さすがリンゴだ。遠くからやってきて、遠くに去るみたいな感じが凄くよく表現されている。ルーフトップコンサート時の長髪を邪魔そうにして演奏するリンゴは忘れられない。
8位は先ほども少しだした「Glass Onion」。ポールのゴリゴリのベースとともに、ジョンの不気味な内面を側面から表現。「She Loves You」と並んで、リンゴだけの前奏のベスト2だ。
9位の「She Said She Said」は、とにかく聴いていて気持ちのいいドラムス。
10位の「The End」は、ドラムソロ嫌いのリンゴがポールの説得によって、「よしっ」という感じで行った最初で最後のソロ。シンプルなところが凄い。普通、ドラムソロとかをまかされると速叩きとか、しちゃいそうだが、そこは抑制の効いたタイトさはリンゴの個性だ。当然のようにランクインさせていただいた。
以上がリンゴのドラムスベスト10だ。本当は、全ての曲を入れたかったんだけど、とりあえず10曲を選んでみた。
最後に、もう一度、中山氏の言葉を、「これがビートルズだ」のP188から、より正確に引用したい。
リンゴのサウンドがあってはじめて”ビートルズになる” ...
まさむね

映画 »

[30 12 月 2009 | No Comment | | ]

久しぶりに映画を観た。
といっても、フジテレビでやっていた「容疑者Xの献身」だ。
ここからは、ちょっと映画批判になってしまうので、この映画にとっても感動したという方は読まないほうがいいかも...
僕は最近、日本の映像作品を観るとき、ドラマでも映画でも、PVでも海外向けに輸出出来るかどうかを基準で観るようにしている。つまり、出演している俳優や監督が全く無名な土地で上映(放映)された時に、普遍的に受け入れられるだろうかを想像して観るということだ。
その意味で、この「容疑者Xの献身」はひどい作品だった。
おそらく、この映画の大きな売りに、福山雅治と柴咲コウが映画で競演ということがあったと思うが、実は、この映画、ストーリー的に、この二人が出る必要が全く無いのだ。
人生に望みを失った男が、自殺の直前で隣に引っ越してきた美女親子に惚れて、彼女達が犯した犯罪を自分でかぶろうとするが、警察で連行されている途中で、真犯人である母親が泣きながら自首するという話。
そこには、婦人警官である柴咲コウも、事件の謎解きをする数学者の福山雅治も本質的にはからんでいない。
柴咲は最初から最後までオロオロするだけ、福山は事件を解説する役というだけの話なのだ。
ようするに、この映画は本質的には人情話であり、知的な謎解きが全く無い。ただ、神的に頭のいい数学者が、全てお見通しだったという話なのだ。
残念ながら、日本でだけ通用する類の映像ということだ、多分。
これが配収50億円(Wikiによる)というほうが、この話よりもよっぽどミステリーだ。
さらに、テレビ放映の提供にPlayStationの名前が連なっているにもかかわらず、先ほどの美女親子が部屋でWiiを楽しむ姿が映画に登場、これもミステリーだ。
さらにさらに、この映画が他の人はどのように評価しているのかと、Yahoo映画のこの映画評を読んでみたら、次のような評論...
(前略)もはや死語と化した標語“めざせハリウッド”の下、「映画」を冒涜し続けてきた中枢にあって、アンチな精神を感じさせ、まるでアスファルトに咲いた一輪の花のよう。「実に面白い」本作の出現をきっかけに旧体制をぶっ壊し、“脱・TVドラマに毛の生えた映画のようなもの”へと舵を切ることで、お台場の本丸を海に沈めた「252/生存者あり」への回答にしてほしい。
これは清水節さんという方が書いた文章なのだが、僕には全く理解が出来なかった。
この方は、一体、何を言いたいのだろう。
この評論もミステリーだ。
さらにさらにさらに、原作は、第6回本格ミステリ大賞、第134回直木賞受賞作。また、国内の主要ミステリランキングである『本格ミステリベスト10 2006年版』『このミステリーがすごい!2006』『2005年「週刊文春」ミステリベスト10』においてそれぞれ1位を獲得(Wikiより)という。
えっこれが...
これまたミステリアスな現実だ。
まさむね

J-POP »

[28 12 月 2009 | No Comment | | ]

今年のレコード大賞は、誰が取るだろうか。
個人的には、勿論、w-inds. x G-DRAGON(BIGBANG)の「Rain Is Fallin’」に取ってほしいが、客観的に見れば、やっぱり本命はEXILEの「Someday」で、対抗は東方神起の「Stand by U」だろう。
いずれにもしても今年も、男性のボーカル&ダンスユニットが強いと僕は思う。
それにしても、ここ数年のEXILEの安定性は群を抜いている。しかも今年は、天皇即位20周年記念式典において、御前歌を披露までした。さすがにATSUSHIはサングラスをはずして歌った(左画)らしいが、これ以上の栄誉はない。
一部で、EXILEの風貌から判断して、今回の式典で歌わせることに反対するむきもあったようだが、僕はよかったと思っている。
なぜならば、EXILEこそ、皇室の美意識の源泉である平安文学の「雅」を現代に伝えるボーカルグループだと思うからだ(「(R&B)+平安文学=EXILE」にも類似指摘あり)。
例えば、昨年のレコード大賞の受賞曲「Ti Amo」の冒頭の歌詞を見てみよう。
日曜日の夜は ベッドが広い 眠らない想い 抱いたまま朝を待つ
これは、独り寝の寂しさを女性の立場から歌った曲である。
女性は屋敷で男性の夜の訪問を待ち、逢瀬の後、朝になると、男性は帰っていく。
ご存知の通り、この切ない出会いと別れのシステムがあの王朝文学を生み出したのである。
例えば、これは百人一首にも選ばれた藤原道綱の母の名作だ。
嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る
「また、来てくれなかったあなたのことを嘆きながら過ごす独り寝の夜が、こんなに長いなんて、あなた、わかってるのかしら」というような意味である。どうだ。これは「Ti Amo」の世界観と全く同じではないだろうか。
おそらく、宮内庁もEXILE的世界に、王朝文化の伝統を確認しての今回の採用になったのではないか。というのが僕の深読みだ。
現代ほど、日本の伝統とは何かということが、社会全体で揺れている時代はない。
日本人の共通前提としての「日本とは何か」という観念が揺らいでいるのだ。
ある人は、靖国的国家主義に日本の伝統を見ようとする。
そして別の人は、江戸のサムライ精神にそれを見ようとする。
また、職人の技術や粋に日本人らしさを見ようとする視点も脈々とあるような気がする。
僕などは、鎌倉武士的な個々人の開拓者精神にこそ、日本らしさを見たい気がするが、それはあくまで個人的な話だ。
今のところ、それぞれの人にそれぞれの日本らしさの感じ方があってもいい。
むしろ、その多様性こそが日本文化の層の厚さだし、伝統だとすら言ってもみたくなる。
そういう意味で言えば、「たおやめぶり」の伝統に日本を見る人々がいてもいいだろう。
EXILEは確実にその流れの上にあると僕は思う。
まさむね

政治, J-POP »

[27 12 月 2009 | No Comment | | ]

いろんな音楽ヒットチャートがある。
オリコンの週間ランキング、ミュージックステーションでのランキング、CDTVランキング…
しかし、最近は、CDの売り上げだけではなく、着うた、着うたフル、itunesなどのダウンロードランキングの要素もあり、ヒット曲というものの性格が変わってきたのは確かだ。
以前のようなCD(パッケージ)のミリオンセラーが全くでなくなってきた。
『千の風になって』がヒットしたのが、2006年だから、あれから3年間もそういった類のヒットがないということになる。おそらく、これからもよほどのことが無い限り、ミリオンヒットというのは生まれないのだろう。
残念なことではあるが、それが時代の流れというものだ。
さて、そんな中で僕が注目しているランキングが、携帯のDAMのカラオケランキングだ。
例えば、(12.20~12.26)のランキングを見てみよう。

順位
楽曲名
アーティスト名
今年
紅白

1位
ふたつの唇
EXILE

2位
白い恋人
桑田圭祐

3位
春夏秋冬
ヒルクライム

4位
もっと・・・
西野カナ

5位
粉雪
レミオロメン

6位
キセキ
GReeeeN

7位
Ti Amo
EXILE

8位
Lover Again
EXILE

9位
Love Forever
加藤ミリヤ×清水翔太

10位
いちょう
遊助

これは直近の週間ランキングであるが、けっして、最新のヒット曲だけで占められているだけではない。
今年発表された曲は「ふたつの唇」「春夏秋冬」「もっと・・・」「Love Forever」「いちょう」の5曲。ちょうど半分だ。
勿論、季節が季節だけに「白い恋人」「粉雪」などが上位に来ているが、これは、このサイトのトップページに推薦曲として貼られていたためだ。しかし、それにしても、これらの曲は、若者の間で歌い継がれている曲だ。
僕はここのランキングにのるような曲こそが、「広く」という以上に、「深く」根付いている楽曲として評価したいと思っている。
それは、これらの曲は、多くのユーザーがいわゆる「自分の曲」として歌いたい曲だからである。ある意味、真のヒット曲といえると思う。
例えば、9位の加藤ミリヤ×清水翔太の「Love Forever」。これは、今年の5月、僕がちょうど「w-inds.とモーニング娘。どちらが勝っても嬉しいし悔しい僕」というエントリーでw-inds.の「Rain is fallin’」とモーニング娘。の「しょうがない 夢追い人」のトップ争いについて書いたと同じ週に、発表された曲だ。その週には上記、2曲の後塵を拝したのだが、見事、この時期にまで歌い継がれている。本当に勝ったのは、この曲だったかもしれない。
さて、そんなこれらの名曲達だが、残念ながら、今年の紅白歌合戦には、EXILEとレミオロメンと遊助の3組しか選ばれなかった。しかも、そこで歌われる予定の楽曲で、このベスト10に入っているのは、レミオロメンの「粉雪」だけなのだ(EXILEは「Someday」、遊助は「ひまわり」)。勿論、GReeeeNや桑田さんなどは、紅白出場を「丁重にお断り」したのだろうが、それにしても、ヒルクライムや西野カナなど、僕の中では今年の世相を反映した名曲が選に漏れているのが不可解だ。
NHKも紅白の視聴率を気にするのならば、まともに人選、そして選曲をすべきではないが、ちなみに、和田アキ子という既得権益者が、初出場の「NYC boys」に関して、「私は知らない」と毒づいたらしいが、僕などは逆に何故、この人が紅白に出れるのかを聞きたかった。
それでは、何故、「春夏秋冬」(ヒルクライム)と「もっと・・・」(西野カナ)が今年の世相を反映しているのか。
今年は、おそらく、民主党が政権を奪取した年として、後世から記憶されるだろうが、民主党の政策の大きな柱である内需拡大政策、それが「春夏秋冬」と連動しているのだ。日本の四季折々の風物を車や電車で彼女と一緒に旅行しようという国内旅行推進ソングなのだ。そして、彼女と長い時間を共有して幸せを築こうという、誠にもってこじんまりとした価値観を歌った曲なのである。歳を取るまで一緒にいようという姿勢は、湘南乃風の「純恋歌」やGReeeeNの「愛唄」にも通じる、地方在住土着層の心情を表しているが、歌詞の内容がさらにストレートに相手に語りかけるようになっているのが特徴だ。
ちなみに、ヒルクライムは新潟県出身のヒップホップユニットであるが、今年は、NHKの大河ドラマで「天地人」でも、新潟が舞台になったし、夏の甲子園大会では、大会史上初めて新潟県勢(日本文理)が決勝に進出した。今年は新潟県の年だったのかもしれない。
一方、西野カナの「もっと・・・」は、加藤ミリヤの「AITAI」やMISIAの「逢いたくていま 」と同様、ストレートな歌詞がここまできたのかという究極的肉食女子曲である。とにかく、一曲を通して、自分の気持ちだけを延々と歌っているのだ。
今すぐ会いたい もっと声が聞きたい
こんなにも君だけ想ってるのに
「もっと・・・」(西野カナ)

会いたい会いたい会いたい会えない
私だけを見て欲しいよ
「AITAI」(加藤ミリヤ)

今 逢いたい あたなに
伝えたいことが たくさんある
ねえ 逢いたい 逢いたい
「逢いたくていま」(MISIA)

そこには、状況というものが一切描かれていない。自分の欲望だけなのだ。例えば、90年代の小室哲哉の詞には、少なくとも、歌の世界がどんな状況なのかが描かれていた。浜崎あゆみの詞には、内面の苦悩の物語が歌われていた。
しかし、これが、2009年の特徴なのであろうか。ここには、歌われている女性の客観的な状況の描写どころか、相手すら見えない盲目な欲求しかないように思える。
もっとも、このあまりにもストレートな表現というのが、若者の台詞だけだったら、それはそんなこともあるだろう。あのジョン・レノンにしても、オノ・ヨーコとの恋愛中には、「I Want You」というただ、「欲しい、欲しい」というだけのブルースを作っているのである。
しかし、この西野カナ的な「曖昧なセリフじゃもう足りないから」という余裕の無いストレートさは、時代の雰囲気として大人の世界にも共通している。とにかく、わかりやすければいいという風潮が見え隠れしてはいないか。
今年、衆議院選挙で政権の座を降りたとはいえ、長年、日本の保守政治の中心にいた自民党が12月に発表した党綱領の「政治理念・政策の基本」の項目にはこんなことが掲げられていた。

(1)品性ある国民、品格ある日本
 (イ)頑張れるものは頑張る
 (ロ)それでもだめなら皆で助ける
    (後略)
(2)不必要なことをせぬ政治
 (イ)自分だけ良ければ良いのではない
 (ロ)今だけ良ければ良いのではない
    (後略)

これって、「ようするに、これってそういうこと」というのをいきなり書いてしまったような文章なのだ。確かに、難しい言葉を並べればいいというものではない。しかし、ここには格調もプライドも美も無い。
これって、小学生への諸注意か!?
最近、僕がよく読んでいる内田樹先生は「言いたいことは言葉のあとに存在しはじめる」というエッセイこう言っている。
リアルなのは言葉だけである。言葉の向こうには何もない。けれども言葉は「言葉の向こう」があるという仮象をつくりだすことができる。
「言葉以上のものがある」と信じさせることは言葉にしかできない。それが言葉の力なのである。
どうすればいいのか、にわかにはわからないが、明らかにいろんなものが変わってしまったのではないだろうか。
まさむね

社会問題 »

[26 12 月 2009 | No Comment | | ]

先日、23日、CNNで「イラン国防省、自国製衛星を来春打ち上げ 欧米の反発必至」という報道があった。
それによると...
テヘラン(CNN) イランのファルス通信は23日、国防省の高官が来年春にも自国製の衛星を打ち上げるとの談話を報じた。イランは現在、核問題をめぐって国連安保理常任理事国などが対応を協議しており、反発が起こるのは避けられないと見られる。
とのことだ。なんだか日本という極東の国にいると、イランなどという国は本当に想像の外になってしまう。言い方は悪いが、多くの日本人にとっては、イラン人のイメージは上野公園あたりで身を寄せ合って何か立ち話をしている人々という印象しかない。自分で書いていて思うのだが、まったく、失礼な話ではある。
しかし、ご存知の通り、この国は紀元前から存在する。もの凄く歴史のある国だ。
だから、日本がアメリカのことを底の浅い国というのと同じように、イランから見たら、日本もそう言われても文句は言えない。その位、凄い国なのである。
今回のニュースは、そんなイランが自力で衛星を上げるという。欧米各国の反発というのはさておき、イラン人にしてみれば、当然の権利と感じているだろう。核不拡散など、現代の既得権益集団である欧米が勝手に決めたことで、「なんで、若造の言うことに俺が追従しなければならないのか」ということだ。
それはそれで筋は通っている。だから話はやっかいなのである。
実は、僕は数年前に仕事でイランに数週間滞在したことがあった。そこは日本とは別世界だ。首都のテヘランは朝になると、モスクからコーランが流れる典型的なモスリムの空気が漂う。そして人々の生活が始まる。
街の繁華街では、だいたいの女性はヒジャーブという黒い頭巾のようなものを被っている。しかし、家では普通に生活をしている。それが別に不幸にも感じられない。
逆に日本では失われてしまった親族との付き合いは濃密だ。だから、欧米から品物が入ってこなくてもなんとかやっていける。それが社会の”ブ厚さ”というものだろう。
街に浮浪者などいない。それなりにみんな幸せそうに見えた。
勿論、アメリカと絶交しているため、クレジットカードなどは使えないし、普通の店では酒などは売っていない。ただ、家々にはどこからからか仕入れたアルコール類はあるようで、それはまた、この社会の深さを感じさせた。
驚いたのは、田舎に行った時の話だ。そこは、ゾロアスター教の聖地に近い村だったのだが、近所にアレキサンダー大王が来たという遺跡などもある場所だ。人々は泥で作られたような一見みすぼらしい家に住んでいる。その村は、僕らの価値観からすれば明らかに貧しく感じられた。
ところが、すぐに、そんな言い方は全く傲慢であることに気づかされるのだ。村を歩き回ってみると開けた道路があり、そこに突然、大きなスーパーマーケットがあったのだ。
それは、僕が日常、東京で行っているマックスバリューなどのスーパーと全く遜色の無い、いやもっと立派な建物だった。
「えっ、なんでこんなところに??」
という感じだ。
恐れ入ったとはこのことだ。
ちょうど、「会社物語」(右画像)という映画で、大企業の社員達が、そのビルで働く用務員の男(植木等)の家に行ってみると物凄い豪邸で、しかも、その奥さんが若くて美人だった時の驚きと近いもの...という感じか。
おそらく、これが歴史の蓄積というものだろう。ここは、少しくらい、欧米諸国からノケ者にされたからといって、ニッチもサッチもいかなくなるような薄っぺらな国ではないのだ。
その気になれば、技術でも社会システムでも、そして文化でも決して負けてはいないのである。
そういえば、忘れていたがイランという国は、「そして人生はつづく」や「桜桃の味」で有名な映画監督、アッバス・キアロスタミを生み出した国だった。僕は彼の「友だちのうちはどこ?」は自分の中で5本の指に入る名作だと思っている。
当たり前の話だが、世界は広い。それぞれの国にはそれぞれの価値観があり、幸せがある。
日本も、今まさに、日本独自の幸せを考えなければならない時代に来ているのかもしれない。
後ろから誰かに背中を押されて走り続けるのが幸せというのは勘違いだろう。
今、日本には、貧しくならないようにする経済政策よりも、貧しくても幸せになれるような社会政策の方が求められているような気もする。
まさむね