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「世界カワイイ革命」と日本ブームについて思う

16 12 月 2009 No Comment

櫻井孝昌さんの「世界カワイイ革命」(PHP新書)を読んだ。この本を読むと、「KAWAII」という日本語がもう普遍語・世界標準語になっていて、生き方を代表するものとして新しい意味を担っていることが改めてよく分かる。「カワイくなりたい。カワイく生きたい。女の子の気持ちは世界いっしょだと思います。」(文中言)。そして世界中の女の子がどれだけ日本に恋しているかが詳らかにされてゆく。こうした現状をふまえての櫻井さんの要旨は明快であり、日本はこれだけ愛されているのに多くの日本人はまだ鈍感のままで大きなビジネスチャンスにつながるものを失くしていないかということである。日本にはそのためのアイコンが沢山あるのにそれを生かしきれていないということ。ぼくもこの意見に賛成だ。

以前のブログでも書いたことだが、日本人はそもそも他人に評価されることに素直に喜べないような性格の偏屈な傾きがあるようだ。というよりも、実は他者の視線を本当に感じようとしているのだろうかと疑問に思えることがある。他者の視線を感じるためには自分にもかなり自覚的になる必要があるからだ。
つまり自分がよく見えていなければならないし、自分がよく見えていることと他人がよく見えることは表裏一体だと思うのだ。しかし日本人に世界における自分という考えかたが馴染みやすいものかどうか。この問いかけに日本人のぼくらはちゃんと答えることは難しい。そもそも政治的・地理的にも長くアメリカの傘の下で暮らしてきたために、ぼくらは意志的に先導的に世界での役割について発信してゆくことに慣れていないし、日本人は世界という舞台で自分がいまどこにいて、何をしなければならないのかを問いかけることがとても苦手だと思う。

一例を挙げるなら、韓国の企業で三星電子だったと思うが、世界のある市場に製品を売る前に、ある人材を送り込んで一年間まったく自由に過ごさせることで現地に溶け込ませ、その国の文化に始まり何から何まですべてを吸収させて、その現地にあった市場戦略(販売戦略)を考えさせるという研修員プランがあるという。ここまで時間をかけて相手の国のことを研究することを日本企業(=人)はやっているだろうか。そこまで相手のことを見ようとしているとは思えない。

それよりも日本人が往々にしてとりがちな行動として、危機に陥ったときの被害者意識に基づくようないわゆるカミカゼ特攻隊に代表される、なりふり構わず自虐的に振舞うことであったりするわけだ。冷静に相手を見ながら戦略を立てることがとても不得手の国民性に思える。ほんとうに冷静に考えようとするなら、戦闘機一機が軍艦に衝突を重ねていくことは精神に基づいた行為に似てはいても、戦時指揮下における正しく汎用的な軍事行動とは言えないだろう。つまりしばしば言われることだが、日本には戦術あって、戦略なし、ということがいまも多かれ少なかれ続いていると思えるのだ。

日本のある半導体メーカがとても優れたカスタムIC製品を作ったとしよう。過剰スペックすぎて誰も必要としないのだが、上記メーカの人は機能的に最高のものであり、売れないはずがないと考える。機能さえよければ売れて当然だと考えるのだが、結局は世界市場で圧倒的に売れる製品にはならない。世界市場でスタンダードになるためには、機能以外にも、価格の値ごろ感や使い勝手の良さだったり、そのときの力関係だったり、その他様々な要因があるからだ。 
全体のバランスをトータルな視点から考える戦略が必要だからだ。日本の製造業やハイテク企業の多くは近年大きい意味でこの戦略(構想デザイン力)のなさのために失敗を重ねてきている。そうしたなかで戦意喪失し始めているのがいまの日本を取り巻く状況だと考えるのはとてもさびしいことだけれど。

戦後、焼け野原だけが残ったといわれる(もちろん戦後生まれのぼくはその焼け野原を知らない)。バブル崩壊後現在(=いま)に連綿と続く原風景も多くの日本人にとってどこか焼け野原に近いイメージを抱かせるものなのかもしれない。頼るもののない、荒れた土地。瓦礫の街。そうしたなかで、世界中の女の子だけが能動的な生き方として「カワイくなりたい。カワイく生きたい」と願いそれを実践している。人はそれを安易にロリータファッションとのみ定義づけ括ろうとして安心しようとしたりするのかもしれないが。でもこの女の子たちの感性パワーは今を生きることをめぐる結構ほんものの呼び声や価値観に近いなにかなのかもしれないとぼくは思う。
だからこそぼくら(=日本人)は愛するだけではなく、他者から愛されていることにもっと素直に自覚的になって良いのではないかとも思う。繰り返しになるが、自分のことが見えていない人は他人のことも見えないからだ。他人と自分はしょせん一緒、鏡の表裏なのである。

世界(他人)をよく見ること。その評価をふくめてとりあえずいまなにが起きているかを見極めようとすること。世界のニーズとシーズを探ること。この当たり前の原則。ビジネスの基本。せっかくのチャンスなのだから、今回の日本ブームもこの当たり前の原則から、戦略的に行動することがいま何よりも日本の継続的な国益(富)として必要なのだと思う。王道はないからだ。いずれこの日本ブームも廃れていくだろうから、そうであればなお更、この原則に何度も立ちかえることが必要なのではないだろうか。

よしむね

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