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Articles Archive for 12 月 2009

日常雑事 雑感, 映画 »

[4 12 月 2009 | No Comment | | ]

雑誌記事などによるとフランスで空前の日本ブームだという。空前というのがどの程度なのかよく分からないが、同じように日本ブームという意味ではちょうど150年くらい前の日本文化への嗜好(いわゆるジャポニズム)がこれに匹敵するのだろうか。今回の一連のブームのなかでは日本を題材にした小説も結構多く書かれているようだ。最近では本国フランスでベストセラーになったといわれている「優雅なハリネズミ」(これに登場するのは映画監督小津安二郎を思わせるような日本人オズが登場しているそうだ。ぼくはまだ読んでいないが。)という小説もあるらしい。ぼくも今年にはいって日本を題材にした一冊である「さりながら」(フィリップ・フォレスト著)を読んだことがある。夏目漱石、小林一茶、山端庸介(写真家)を主人公に設定しながら、コント風仕立ての枠組みを使って単に日本への関心にとどまらずに、自身の遺児への思いと重ね合わせながら哲学的な省察(同時代への考察)を試みている、抑制の効いた佳品だったと記憶している。
今回の日本ブームはアニメやゲーム、コスプレなどの従来のポップカルチャーのみならず、寿司、禅、焼き物、茶、相撲、歌舞伎など広範な事象への関心の広がりも特徴の一つのようだ(それらが紋切り型の理解であれどうあれ、理解のためには多少の紋切り型が必要だと思う。その意味でぼくは紋切り型について好意的に考えている)。
どちらも見出された国・日本であろうが、およそ150年前に近代国家の仲間入りを果たそうとしていた中で見出された国のかたちと、すでに十分に成熟した国家となって見出された今この段階での見出され方の違いはそれなりに興味深い感じがする。前者には単純に今まであまり知らなかった未知への国(東洋)への興味本位も多少なりともあったとすれば、後者には情報というものがすでに十分に氾濫している最中でもなおかつ興味をそそられる全世界共通のなにかの琴線に触れえたことが背景にあったと思われるもするからだ。その何かはぼくには分からない。それがクール・ジャパン(かっこいい日本)と呼ばれている正体なのだろうか。その一端については日本ブームをめぐる考察(次回作)でも少し考えてみたいが。
もう一つ面白いのは、ちょうどクール・ジャパンと言われ出した時期が、日本が90年のバブル崩壊を経て国力の低下・衰退と重なる時期であることだ。国、敗れて、山河あり、だけではなく、国敗れても人気あり、が続いているわけだ。いわゆる国力と人気の関係、この相反が面白い。
アメリカの世紀であった20世紀についてつらつら考えてみると、国力と人気の持続は陰に陽にけっこう重なっていたように思うのだ。いわゆる50年代・60年代の大衆文化の見本としてのアメリカ(芝生つきの広い家、電化製品に囲まれた豊かな暮らし、車社会)から金融市場の活性化を経た90年代以降のアメリカ(成長神話としてのアメリカン・ドリーム、先端ハイテクと投資・ベンチャービジネスの盛り上がり)まで、それなりに一貫してその人気はアメリカという国の力に支えられて憧れの対象となり羨望の像となり続けたように思う。ベトナム戦争の時代や冷戦の時代も、大きい意味ではまだ国家としてのアメリカの器の大きさは変わらなかったと思うのだ。そしていま時代は「アメリカ後」の世界にむけて動き出そうとしている。人はそれを多極化する世界と呼んでみたり、ポスト・アメリカとしての21世紀=中国の時代と形容したりするのだろうが。
そうした中で日本人気はまさにアンビバレンスななかで起こっている。だがこうした海外での日本への評価・人気というものがどれだけ正しく日本に伝えられてきたかははなはだ疑わしい。TVによる報道に限っても世界のなかのクール・ジャパンについてわりと一貫して伝えてきたのはNHKくらいで、民放からこの手の継続的な報道ニュースがあったことをぼくはほとんど知らない。それからどうも日本人の傾向として自虐的に自己分析することはあっても、他人に褒められることに素直になれない性向があるのだろうか。自分たちの良いものを海外に評価されて始めて、そんなに凄かったのかと気づかされるようなところが往々にしてあるようだ。建築の例をとっても桂離宮などがその最たる事例だろう。逆にいえば日本人は自分たちに自信がないので、いつも外部評価(海外の目)を通じてしか評価づけることができない性なのだろうか。
こうしたことのチグハグさもふくめて、依然日本の本質は変わっていないのかもしれない。ただ斜陽のなかでの日本ブームについて考えるとき、ついつい思い出してしまう映画の中のことばがある。その映画というのは鈴木清順監督の「チゴイネルワイゼン」で、もう大分昔に見た映画なのでその言葉をつぶやいたのが主人公の原田芳雄だったかもはっきりとは覚えていないのだが、たしか何か果物を食べるシーンで「なんでも腐りかけが一番おいしい」とつぶやくセリフがあったことを記憶している。
ちょうど夕日がとても美しく感じられるように斜陽のときのほうがその本質がよりよく反映されるのか分からないが、日本も腐りかけの残照のときが一番おいしいのだろうか。そこにデガダンスの影でもきらめているのか。国力だけの尺度で見るかぎり世界に憧れを持たれていることがとても理解しにくいことも事実だが、なにか奇妙で不思議な印象をもってしまう、昨今の日本ブームという感じだ。
よしむね

相撲/プロレス/格闘技 »

[3 12 月 2009 | 4 Comments | | ]

内藤大助VS亀田興毅のWBC世界フライ級は瞬間視聴率が50%超えたらしい。
日本人の二人に一人が見たということだ。
勿論、僕もチャンネルを合わせた。「坂の上の雲」をあきらめたのだ。
結果として12ラウンド亀田の判定勝ち。順当な結果だったと思う。
二人が入場して、リングに上がった瞬間、若干入れ込み気味な内藤に対して、亀田はあくまで冷静だ。今までの亀田とは違う。肉体も以前より締まっている。明らかに、この試合、亀田は勝つことだけを目指して調整してきたことがわかった。
プロボクシングというスポーツは、他のどんなスポーツよりも、冷静さが重要なスポーツである。ただ、相手を倒すという目的のため、純粋に機械的な体を作る。
そして、より冷静に己の動きを制御しえたものだけが勝利を得ることが出来るのである。
しかし、一方で、彼らはプロであるがゆえに、物語を身に纏う必要があるのだ。
多くの場合それは「成り上がりのストーリー」である。
ところが、周りが物語を彼らに纏わせれば纏わせるほど、機械としての肉体の動きは正確さを欠いてしまう。だから、そういったガチガチのストーリーファイトは得てして名勝負にはならない。物語に感情を入れ込むことは、機械の性能を、確実に鈍らせるからである。
例は悪いかもしれないが、昨年のオリンピックの野球で、無様な敗退を喫した星野JAPAN。僕は、星野の物語体質が日本を勝利から遠ざけたと思っている(「星野監督のドラマ体質と残酷な五輪」)。「ミスをしても使い続ける義理堅い男の中の男」という、星野的物語が「真剣勝負」の場では、いかに邪魔なものだったのかは、その半年後、原が反物語的=機能的な采配で、WBCでの優勝をもたらしたことによって証明されたのであった。
プロボクサーはだから、いかに観客が喜ぶような物語を演じるかというテーマを持つ一方で、いかに機械になりきるかという、ある意味、相反するパフォーマンスを同時になしえなければならない過酷な存在なのである。
さて、話を戻そう。亀田VS内藤といえば、誰もが認識している大きな背景としての物語は、単純に言えば、亀田は大阪・西成の貧しい父子が裸一貫から立ち上がる話だし、内藤は北海道の田舎町で母子家庭として育ったいじめられっ子の逆転劇だ。
しかし、今回のタイトルマッチ。物語は次の次元に進んでいる。そして、その新たな次元での物語は明らかに亀田に有利に進んだのだと、僕は思う。
おそらく、今回の亀田の勝因は、この世界戦における彼の物語が、父離れという逆に脱物語的な物語であったことである。
リングに上がった瞬間から彼が見せた、今までとは違った冷静な「亀田興毅」。試合が始まっても、欲望のおもむくままに攻めるのではなく、相手の隙を見てはカウンターを狙うという、最大限の効率を狙った機械的なムーブを続けたのであった。
それは亀田父直伝の野性的な雰囲気とは違うストイックな姿である。おそらく、もともと聡明な亀田興毅だからこそ、父離れ=成長という物語と、禁欲的な機械という最高のパフォーマンスを意識下で一致させることが出来たのだ。
一方、内藤大助もよく頑張った。35歳という年齢を考えると、おそらく精一杯の試合だったのではないか。しかし、彼が持ってリングに上がった物語は、残念ながら、「この年齢で、力の限り闘うがけっぷちの男」という一歩間違えれば、敗北を呼び込んでしまいかねないような危うい物語であったことも事実だ。
試合前の切羽詰ったような表情、そして、試合中に、リスクの高いアッパーカットなどを見せるたびに、僕はそれでも最後まで内藤の「奇跡」を信じ続けようと思った。時に、物語を、圧倒的に超える瞬間を持つのもボクシングというスポーツだからだ。
しかし、試合は終わった。
残念ながら、最後までその瞬間は訪れなかった。
勝者と敗者は明らかだった。
亀田はリングにうつぶせになって泣き、内藤は、花道で頭を下げた。
試合の緊張感があまりにも高かっただけに、二人の素が出たのだ...というのは本当だろうか。
もしかしたら、亀田はやんちゃな少年を、内藤は内気なおじさんを再び演じ始めたのかもしれないと僕は思った。
まさむね

テレビドラマ, 政治 »

[1 12 月 2009 | No Comment | | ]

科学技術の事業仕分けに遭遇して、大学の総長たちが集まって危機感の表明会見を行おうと、ノーベル賞の学者先生があつまって反対意見を述べようと、そこに欠けているのは、ではあなたたちは大学教育をどう考えているのか、どうありたいのですか、技術立国というなら、あなた方はそのあるべき姿についてどうデザインしているのか、まずそれを大上段に愚直に常日頃から発信してほしいということだ。…(中略)…だが、ぼくらの目に映るのは、まずもって「これ以上削られたらもう大変なんだ、大変なんだ、競争できなくなるんだ」という大合唱の光景のようにしかみえない。
科学技術が明日の日本にとって大事だというような大命題は、誰も反対はしないだろう。それはそうだ。
しかし、一方で、よしむねさんが「たしかにガラパゴス化した国で皆が子泣き爺になっているようだ」で述べている上記のように、あの場面、彼らのみっともなさは筆舌につくしがたいものであった。
大学の学長達の姿にはおおよそ知性も、戦略も、そしてプライドも感じることが出来なかった。あれは、ただの物乞い的な脅迫に過ぎない...というのは言い過ぎだろうか。
大体、みんなで集っての記者会見という発想が情けない。
しかし、百歩譲って、その集いが国立大学の面々だけなら自分もまだ我慢が出来たかもしれない。元々彼らは国の予算の中で、国のために研究する機関だからだ。そういった旧帝大という明治以来の遺伝子が脈々と生きていたとしても、それはそれでしかたがない。僕がさらに違和感を感じたのは、その旧帝大の学長連中の末席に加えてもらったかのように同席していた(自称)私学の雄・早稲田と陸の王者(笑)慶応の学長と塾長の体たらくだ。彼らがリーマンショックでドブに捨てたといわれる何百億円のことを納税者の僕らは忘れたとでも思っているのだろうか。
そもそも、福沢先生が設立した慶応義塾は「独立自尊」を旗印にしていたのではなかったのか。大隈先生が創った早稲田は「学の独立」を謳っていたのではないか。あのような姿をさらすのなら、今すぐに学校に帰って「慶応賛歌」や「都の西北」の歌詞を「独立自尊」から「従属依存」へ、「学の独立」を「学の服属」に書き変えて欲しい。おそらく、そう思った両大学の心あるOBは沢山いたのでないだろうか。
先週土曜日、あの事業仕分けの科学技術予算削減勧告直後に放送された「報道特集」を見た。今回の結果を受けて、現場の人々がどのような感想を持ったのかがよくわかった。仕分け人の「生活保護」という言葉に敏感に反発していた20代の研究者のとまどい、3人の子供の母親研究者の心配、時代遅れになった巨大技術施設の管理者の諦めなど...
しかし、一見、かわいそうな彼らではあるが、暴論を覚悟で言えば、結局、好きでやっていることだろう。今の時代、何かを得られれば何かを捨てなければならないのは当然だ。
「科学技術予算を削減すると日本は没落する」という脅迫によって生き延びようとしているという点で言えば、残酷なことにも、悪名高き独立法人の天下り連中と一蓮托生なのだ。
はたして、僕らが直面している問題は、どこかにいる悪いヤツ、ズルイヤツを退治すれば、それで解決するのだろうか。
そういったことを改めて考えさせてくれただけでも事業仕分けは画期的だったと僕は思う。
さて、日曜日に放送された「JIN-仁」。ちょうど予算を削られそうになって大慌ての大学の学長達に見せたい内容だった。ペニシリンを作るためにどうしても四百両が必要となった21世紀の現代からタイムスリップして幕末にやってきた医師・南方仁(大沢たかお)と、それを助けようとする坂本龍馬(内野陽聖)、旗本の橘恭太郎(小出恵介)とその妹・橘咲(綾瀬はるか)、そして花魁の野風(中谷美紀)達の命を賭けた想いと努力と行動力。
この話を、ただのフィクションという人は恐らく何もわかっていない。問題は、今、僕ら日本人に必要なのは、共有すべき強固な物語である。そして、その物語を創ろうとする努力も見られず、ただ物乞い的な脅迫をするしか知恵のない学長達にどうして明日の日本を任せるための膨大な科学技術予算など預けられようか。そして、そんなクレクレタコラ達に共感など出来ようか。
まさむね