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日本はやはり変わりたくない人たちが大勢いる社会ということなのだろうな

26 1 月 2010 No Comment

民主党政権の施策について不満に思うことは、大きく以下の3点だ。たぶん一般的によく言われていることとかなり重なると思うのだけど。

①八方美人すぎて、結局なにをしたいのかよく分からないということ

②やや後ろ(下位、下から)目線が強すぎること

これは社会でわりと経済的には弱者に近いカテゴリーにあるような方々への配分を厚くしすぎているキライがあるように思えること。コンクリートから人へ、人に優しい施策ということかもしれないが、表現が悪いけど、貧乏人の子沢山の喩えではないが、子供手当てのような充実が今ほんとうに必要なのか。養育や教育費の問題は切実なのかもしれないが、長い目でみて本当はその人の始末と責任で育てているのに単に子供がいるというだけで上からお金をもらえるという安易さに居座ってしまうことにならないか。だいいちそんなに継続的に大判振る舞いできる余裕があるのだろうか。
やっぱり上への目線で、社会を引っ張っていく人たちや社会をうまく回転させる要因へのインセンティブをもっと効かせてゆく、その自律化をうながす施策の必要性があるのではないか。皆で並べば恐くないじゃないけど、でも本当に皆が下位に並んでしまったらどうしようもなくなるだろうと思うのだが。どうだろうか?

③やっていることがどうも一貫していないようにみえること

たとえばせっかく事業仕分けをしても、それがそのまま最終的に各省庁の予算削減で通ったわけではないらしいという事実。二重の結果。そうすると、われわれ第三者からみると、どこにほんとうの判断基準があったのか、最終の決定者が誰だったのか、事後まったく分からないことになってしまう。

閑話休題。それはそれとして、小沢一郎についてしつこいくらいの検察の捜査と報道が続いている。先週土曜日には小沢本人への事情聴取とその後の会見も行われている。結局その真偽は分からないし、小沢一郎に嘘がないといえるかも分からない。小沢一郎は正しくないかもしれない。しかし、この一連の捜査と報道のあり方は異常だと思う。
長く時の政権の中枢にあった自民党議員のほうが、政治献金の効果という視点からみても、たかが最近政権の座に着いた民主党議員よりもよほど多くを享受してきたのは普通に考えてもまったく当たり前のことではないかと思うのだ。この事件のかなめは標的として取り上げられるかどうかという恣意性以外の何ものでもないように思えてならない。小沢一郎よりも、だ。たとえば元首相の方々などもふくめて、大物はもっと沢山いるのではないか。そうした関連への捜査が行われている気配がなく報道もなされず、一方的に小沢捜査とそれをめぐる報道のみがあるという構図はどこか空恐ろしい。
現代日本では、けっきょく小沢一郎的なものが具現するものを、嫌いな人たちが大勢いるということなのだろう。彼らの思いとは何か。とにかく今までと変わらないこと、変わりたくない、ということ。既得権益にしがみついてきた人たちが、とにかく従来のやり方を変えようとしている小沢一郎に必死に抵抗しようとして追い討ちをかけているのかもしれない。そこには軍産一体化を背景にしたアメリカの意向などもあるかもしれない。
改革とか変革とかキレイごとをいっても、日本はやはり変わりたくない(=今のままでい)人たちが大勢いる社会だということなのだろうな。

よしむね

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