Articles Archive for 4 月 2010
書評 »
本を併読していると思わずそれらの本が頭の中でシンクロすることがある。
最近もそんなことがあった。
その2冊とは、「地図と家紋で知る名字のルーツ」(姓氏歴史研究会編)と「日本力」(松岡正剛、エバレット・ブラウン)である。
「地図と家紋」のほうは、今までの名字本とは異なり、それらの姓氏のルーツの土地を紹介しているところが新しい。
例えば、鈴木氏のページには和歌山県海南市の藤白神社、佐々木氏のページには、滋賀県蒲生郡の沙沙貴神社といった感じだ。地図も出ている。
一方、「日本力」のほうは、それこそ掘り下げてみたいテーマ満載のヒント本である。掲載されている写真もそのコメントも素晴らしい。さすが松岡正剛とエバレット・ブラウンだ。
さて、冒頭のシンクロという話だが、「日本力」の中の一つのテーマが「氏神復活」なのである。そして、自分の先祖の場所にとにかく行ってみようということなのだ。そして、「地図と家紋で知る名字のルーツ」はそのためのガイドブックなのである。
具体的にはエバレットは(266ページで)こう述べている。
だから、もし自分のおじいさんが鹿児島県出身だとわかったら、親戚がそこに住んでいなくてもその場所に行って、氏神を調べて、その土地をゆっくりと自分の足で歩いてみるのも、いいかもしれません。そうすると、もしかして何かを思い出したり、感じたりするかもしれない。
そうかもしれない。おそらく、現代日本人にとって一番大事なのは、先祖との絆、過去とのつながりを取り戻すことだ。
これが最大のテーマだ。僕もいつか山形の村上市に行ってみよう。
まさむね
日常雑事 雑感 »
僕の妻の実家は美容院をやっている。
そのため、火曜日が休みだ。今週の火曜日に妻の母(ということは僕の義母)が僕の家に来て、家で作ったお料理を持って来てくれた。
僕は勿論、会社に行っていて不在だったのだが、家に帰るとそのお料理が待っていたというわけである。
「今日のおかずは何?」
僕は会社のある恵比寿からケータイをかけた。
「お母さんが来てくれて、鶏のロール巻きを作ってくれたの」
と妻。
なるほど、と僕は思った。ケータイを切りかけてフっと思った。
「あれ、ロールと巻きって同じじゃない。それじゃあ巻き巻きじゃない?」
妻は答えた。
「それでいいの。お母さんもそう言ってたよ。」
僕は微妙に釈然とぜずにケータイを切った。
家に帰って、その鶏のロール巻きをいただいた。
とても美味しかったということはさておき、やっぱりロール巻きという言葉の被りが気になり、妻にその胸の内を語り、話を蒸し返した。
「いいの。お母さんもそういってたよ。」
同じ返事だ。
「じゃあ、検索結果を見てみようか」
ケータイで検索すると、ヒット数はなんと8万件、クックパッドでも「キャベツのロール巻き」というのがひっかかった。
ということは完全に僕の負けか。
負けを認めたくない僕は蒲団に入ってさらに考えた。
「いや、キャベツのロール巻きという言葉において、最初に”ロール”するのはキャベツであり、そのキャベツが解けないように、さらにベーコンで”巻く”のではないか...。だからあの鶏は一重巻きだから、鶏ロールでいいのではないか...」
後日、妻に僕の自説を発表した。
妻は、人類史上これ以上どうでもいい話はないといわんばかりの顔で僕の話を聞いてくれたが一言
「だって、お母さんもそう言ってたよ。」
全く、発言がぶれていない。
僕は返り討ちにあった。
まさむね
1985 »
当時この映画が話題になったのは、今もアメリカに現存しているアーミッシュという自給自足の社会(ドイツ系アメリカ人の村社会)が取り上げられていたという物珍しさも多少あったと思う。そこに適度なサスペンスと恋愛ドラマ。今みてもよくできた映画だ。いろんな要素を持っているのでさまざまな切り口の考察が可能だと思われるのだが、ここでは共同体と個人ということに絞りたい。ふたつの共同体が舞台。ひとつは無法もふくめて刑事が所属する社会。もうひとつは上記アーミッシュという共同体。
そして刑事ジョン・ブック(ハリソン・フォード)とレイチェル(ケリー・マクギリス)というそれぞれの共同体に属していたふたりが共同体の間で惹かれあい揺れ動いてゆく。その共同体をめぐっては何度か「掟」というセリフが出てくる。掟を破った者は共同体を去らなければならないし、共同体の外へ放逐されなければならない。映画の中でジョン・ブックがレイチェルにむかって「君を抱いたら、ふたりとも出てゆかなければならなくなる」と呟くシーンがある。だがふたりはギリギリのところで引き返し、それぞれが以前属していた共同体にもどってゆくところでこの映画は終わる。
ふたりが目の表情だけで語り合うシーンや、ジョン・ブックが村を去ろうとする日にレイチェルの長男と一緒に黙って土手に座っている映像とか、村の皆で納屋だったか新居だったかを造るシーン(そこにジョン・ブックも参加している。ここでのモーリス・ジャールの音楽がまた良い)などなど、忘れがたいシーンはたくさんある。だがとにかく共同体にとってまれ人である者はそこに入るための掟を受け入れないかぎりやがて出てゆかなければならないのだ。
ジョン・ブックは結局去ってゆくのである。映画のいちばん最後で彼はオンボロ車をふたたび運転しながら一本道を引き返してゆく。「まれびと(稀人)」として村にやってきてまた去ってゆくのだ。この映画が公開された1985年という年は今から振り返ってみるといろんな意味でその後を暗示しているような年だったと思う。
プラザ合意をへて、時代はその後の英米による金融の自由化へまっしぐらに進んでゆく転換点に当たっていたと思われるからだ。ちょうどジョン・ブックの車が自給自足のアーミッシュという共同体から離れて行ったように、時代の切っ先はある意味で質素倹約の友愛社会から金融至上主義の競争社会に向かい始めてゆこうとしていたのだ。この映画のラストをそんな風に勝手に読み解くこともできるかもしれない。
そして25年が過ぎていくつかの金融・経済危機をへて、時代はふたたび単なるお金ではない、なにかオーガニックなものへ回帰してゆこうとしているように見える。ジョン・ブックの乗った車は、かつての一本道を映画のラストとは逆向きにオーガニックな風景と村々のほうへもう一度引き返そうとしているのかもしれない。
ぼくがこの映画を観たのはほとんど公開時のリアルタイムで、新宿か渋谷の映画館だったと思う。誰と観たのかは覚えていない。当時はジョン・ブックの車の先にこれからどんな時代の風が吹きつけてくることになるのかなど、もちろんなにも予見できなかったのだけど。
よしむね
歴史・家紋 »
先日の土曜日に、蔵前の正覚寺に行った。正覚寺にはかつて、双葉山の70連勝を止めた安藝ノ海の墓があった。
家紋はなんと、双葉山と同じ、丸に梅鉢であった。(左が双葉山の梅鉢=日暮里の善性寺、右が安藝ノ海の梅鉢)
ということは、あの名勝負は、梅鉢対決だったということになる。
ちなみに双葉山の本名は龝吉定次(あきよしさだじ)であり、安藝ノ海の本名は永田節男(ながたたかお)である。ちなみに、永田雅一も梅紋である。
僕のイメージだと、梅紋というのは、どちらかといえば、「武」よりも「文」の紋だ。菅原道真を祀る天神様の神紋だからである。
岡本太郎、梶井基次郎、團伊玖磨、前田夕暮、倉田百三、古今亭志ん生、浜田広介、植草甚一、山下清、堺正章、中井貴一などが梅紋だ。また、栃木山、栃錦といった力士も梅紋である。
勿論、僕は双葉山、安藝ノ海という二人の横綱の現役時代は知らない。
しかし、二人とも品格のある名横綱だったと聞いている。
彼らの品格伝説は、僕の中で梅紋に結び付くのである。
まさむね
日常雑事 雑感 »
この間麻布十番を歩いていたら、ふと暗闇坂の道標が目にとまった。この通りは過去何度も歩いていたのだが、暗闇坂への目線(意識)がまったく失われていたのだった。写真はそのときの通りの方角からみた暗闇坂なのだが、それとともに俄かに思い出したことがあった。ここは昔寺山修司の劇団天井桟敷(兼事務所)があった場所のはずだ。ぼくの記憶が正しければ(もし間違っていたら、どなたかご指摘ください)。
もう30年くらい前のことになるけど、不案内で迷路のような麻布十番の道を探しながらやっと天井桟敷の場所にたどり着いたという記憶がある。当時は勿論麻布十番駅などはなくて文字通り麻布十番の界隈は陸の孤島だった。公共機関ならバスで行くか日比谷線の六本木駅方面から回って行くしかなかった。
なぜ天井桟敷を訪ねたのかはもう忘れた。ただ劇団が入っている建物を見たかったのか、それともなにかの演劇を見る目的があったためだったか・・・。いずれにしても劇団が建っていたと思われる場所は別のビル(駐車場)に変わり、かつてはどこか威嚇的で幻想的だった建築物の表情もいまではありきたりなビルの壁面に変貌してしまっている。この暗闇坂の上はオーストリア大使館になっている。
当たり前だけど時はながれる。そしてかつてあったものが壊されてなくなる。残るものもある。だから街も変わる。変わらないようで変わり変わるようで変わらない。そういうものだ。麻布十番温泉もなくなった。何度かあの黒い温泉に入ったっけ。何が本当の街のすがたか。それは誰にも分からない。そんなものはない。
だから麻布十番の暗闇坂は、いまも遠い彼方にある。
暗闇坂といえば、ぼくの住んでいる界隈の近くにも同じ名前の坂がある。その坂を通るときは夜自宅への近道としてタクシーを利用するときに限られていたのだが。
よしむね
1987 »
これこそが冒険活劇だと思った記憶がある。
別に怪獣が出てくるわけでも、勿論CGもない。だが、そこには観る人をワクワクさせる、あるいはどきどきさせる真の映像の力がある。
ただ、友達のノートを家に持って帰ってきてしまった少年が友達の家にまでそのノートを帰しに行こうとするが返せない。というような話だ。
彼に襲い掛かってくるのは、そんな彼の焦る気持ちを知らない普通の人々だ。
大人にとって子供とは道具だった。おそらく、近代まではそうだったのだろう。簡単に子供に物事をいいつける。それも文化だ。
おそらく、この映画が秀逸なのは、この少年の焦りがそのまま伝わってくるからだ。不安が伝わってくるからだ。
友達にノートを返せなくて、しかたなく宿題をやる少年。振り返ると激しい風が家の中に入り込んでくる。そんなシーンがあったように覚えている。その風こそが彼の不安の象徴だ。
高野文子という少女漫画家の「絶対安全剃刀」の中に、どういう経緯だったか忘れたが、先祖のことを思い、一瞬、仏壇に振り返る少女が出てくる。
僕はその少女と、この「友だちのうちはどこ?」の少年が僕の中でシンクロする。
そういえば子供の頃は、なにかと不安だったな。僕のうちにはネズミが沢山いたが、常にネズミがどこから出てくるんじゃないかっていつもビクビクしていた記憶がある。
そんな子供の頃の不安の普遍性がこの映画の普遍性に通じるんだろう。
この映画は1987年作だというが、僕が観たのは90年代に入ってから。場所はユーロスペースだった。
まさむね
1989 »
「北京の西瓜」は1989年の大林宣彦の映画だ。日本にやってきた中国人留学生とそれを受け入れる八百屋の親父(ベンガル)との心の交流の物語である。
あのころの大林の映画は、次の「青春デンデケデケデケ」もそうだが、一人の人がしゃべっているのに別の人のセリフがかぶってくるような独特の演出がなかなか新鮮だった記憶がある。
そしてさらに、この映画が今でも記憶に残っているのは、そうした演出に加えて、後半部分で大林監督が「撮れなかった」映像というのが空白の部分として刻印されているからだ。
この撮れなかったというのは、いわゆる天安門事件が起こって、撮影が出来なくなったこと、それによって多くの若者が惨殺されたということに対する彼の抗議の現れである。
あの映画のあそこで、時間が止まった。この映画を観た当時、中国の遅れに関して僕は怒りというよりも哀れな感じがしたものだ。
あれから、20年。しかし現在、中国は飛躍的な成長をとげ、一方で日本は悲惨な状況だ。今日を誰が予想しただろうか。
先日、興味があった、最近の中国で人気がある日本のドラマについて調べていて、こんなページをみつけた。
中国人が一番好きな「日本のドラマ」
これによると、な、なんと、今でも日本の人気ドラマは「東京ラブストーリー」なのだ。
また、JETROの右記の調査レポートによると、 「中国における日本産コンテンツの放映・上映・発売状況等データ (2009年度 第2 四半期)」、2009年になっても、例えば、上海TV-東方衛星放送Chではこのドラマの再放送を続けているのである。
これは、日本の絶頂期のドラマである。放映は1991年だが、原作が書かれたのは1988年だ。
もしかしたら、中国における日本へのあこがれというものがあったとしても、それは80年代でとまってしまっているのかもしれない。
そして、さらに残酷なことにそれ以降の日本は中国にとって見るべきところではないのかもしれない。
勿論、現代でもインターネットの不法サイトで日本ドラマは続々と中国人に視聴され続けている。いわゆる哈日族(これはおもに台湾での言い方だが)というのもいることはいるのであろう。
しかし、大衆レベルでは、日本は既に過去の国なのかもしれないのだ。
ということは「北京の西瓜」で時間が止められたのは、逆に日本なのだ。
そんな逆説を考えさせる映画であった。
まさむね
日常雑事 雑感 »
先日、会社の飲み会で何故、男性は元カノの携帯電話の番号をずっとアドレス帳の中に残し続けるのかというような他愛の無い話になった。
明確な理由があるわけではないがなんとなくという結論だった。
女性からしてみれば、それは気持ちのいい話ではないようで、嫉妬するというよりもなんか寂しいということらしい。
話はそれで済んだ。
後で、考えた。もしかしたら、これこそ言霊の思想なのかもしれないと。
万葉集の冒頭、雄略天皇の歌にはこんな一節がある。
我れこそば 告らめ 家をも名をも
つまり、野にいた女性に対して、天皇が「名前を教えてほしい」と問いかけるのである。これは端的に言えば、名前を知ることによって相手を支配出来る思想というものがその根本にあるのだ。
名を尋ねる=求婚
名を知らせる=受諾
古代、名前を知らせる、あるいは知られるというのはそれほど重要な意味があったのだ。
古典などで女性の名前が出てこない、だから、本当に彼女たちが何と呼ばれていたのかわからない。
例えば、紫式部も清少納言も決して、それは名前ではない。それは後世の人が名前がないと不便だから便宜的にそう呼んでいるだけだ。
清少納言=清原家で少納言というのは彼女の父親の素性、紫=源氏物語の紫の上に由来、式部は父親の官職という意味しかないのである。
さて、冒頭の与太話もそうだが、この、名前を所有することによって、相手を支配するという感覚は実は現代でも生きているのではないかと思った。
例えば、「千と千尋の神隠し」でも湯婆婆に名前を取られたハクや千尋は湯屋で働かされることになるし、「DEATHNOTE」ではデスノートに名前を書かれることによって命すら支配されるのだ。
こういうことに思い至ると、日本人の伝統というのは思いのほか、根深いのではないかと思った次第です。
まさむね
歴史・家紋 »
雑司が谷の鬼子母神へ行った。
下谷の鬼子母神もそうだが、鬼子母神の紋所は、ザクロである。
この話を妻にするといつもこのフレーズを口づさんでくれる。
「ザクロは血の味 罪の味」
ネットで調べてみるとこれは、高階良子さんの「赤い沼」というマンガのフレーズらしい。
なんとも怖い響きがある。
もともと鬼子母神とは、自分の子供を養うために、他人の子供を盗っては食べていた女性の話だ。
それをみたお釈迦様が、その女性の子供を隠してしまう。怒り狂ったようになった女性にお釈迦様は、「誰にとっても子供というのは大事なものだ、自分の子供だけをかわいがることのは間違っている」と諭したという話である。
女性は改心してお釈迦様の弟子となる。そして、お釈迦様は、その後、もしも子供を食べたくなったら、これを食べなさいとザクロを渡したのだ。
それ以降、この鬼子母神の象徴としてザクロが使われるようになったという。
女性の欲望を制御するのではなく、その欲望は欲望として温存しながら、その罪(人を食べるという)を犯させないというのは、現代的な発想だ。
現代は欲望肯定の時代だ。だから欲望が出て困ったときにはその欲望をなんとかする(ようするに我慢する)のではなく、欲望を生かしたままで、かわりになることをしよう、させようとするのが現代的だからだ。
本来、宗教というのは欲望を抑制する思想だと思っていたが、庶民はそんなものにはついていかない。都合のいい話がすきなのだ。
なんとなく、エコカー減税のことを思い出した。
まさむね
散歩 »
池袋というのはいい町である。
勿論、繁華街にはデパート、商店街、キャラが立つ乙女ロードなど、それぞれ味があるのだが、僕が注目したいのはその池袋の繁華街の外輪の地域だ。
西口を出て丸井を通り過ぎて立教大学、さらにその先の池袋三丁目あたり。
ここに御嶽神社がある。武甕槌命(タケミカヅチ)、倭建命(ヤマトタケル)、神武天皇を祭ってある。御堂の提灯には五七の桐紋、手水桶には三階松紋がある。三階松紋がある神社というのは珍しい。
また、手水桶の説明書きの絵がかわいい。「お嬢ちゃん向け」なのがほほえましい。
境内にはフクロウの彫刻もある。
この池袋界隈では、いわゆるイケフクロウが沢山見られる。町をあげてCI(シティアイデンティティ)にこのフクロウを活用しているのだろうか。芸術劇場の裏の「池袋地名ゆかりの池」にもフクロウの絵が沢山あった。
フクロウというのは知恵の神様の遣いでもある。なんとも愛嬌がある。
さらに、この御嶽神社の先には祥雲寺という比較的大きなお寺さんがある。
ここはその昔、トキワ荘があった近くなのだろうか。石の森章太郎が眠っている。
墓地の一番奥だ。僕が行くと墓守さんが掃除をされていた。
携帯で写真を撮らせてもらったら「ありがとうございます」と挨拶をされた。
ちなみに、「リンゴ追分」の作詞者・小沢不二夫さんのお墓もあった。
また、東口の雑司が谷あたりも楽しい。鬼子母神はいかにも土着的なお寺さん。樹齢600年の銀杏の木がある。
池袋の繁華街の近くにこんなところがあっていいものか。
また、境内には稲荷神社があって、お百度石がある。お百度石があるということは、その寺社が土地に根付いているということだろう。
まさに前近代的プラグマチック(実用的)な場所ということだからだ。
近くには大鳥神社があった。ここの狛犬はかわいい。素朴だがかわいい。昭和の狛犬のリアリズムとは一線が画す、多分、江戸時代産だと思う。(ちなみに左は御嶽神社の昭和狛犬、右が大鳥神社の江戸狛犬)
これこそ歴史を経たものだけがもてる味というものだろうか。
なぎら健一ではないが東京にはいろんな顔がまだまだたくさんある。
まさむね



