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Articles Archive for 4 月 2010

書評 »

[30 4 月 2010 | No Comment | | ]

本を併読していると思わずそれらの本が頭の中でシンクロすることがある。
最近もそんなことがあった。
その2冊とは、「地図と家紋で知る名字のルーツ」(姓氏歴史研究会編)と「日本力」(松岡正剛、エバレット・ブラウン)である。
「地図と家紋」のほうは、今までの名字本とは異なり、それらの姓氏のルーツの土地を紹介しているところが新しい。
例えば、鈴木氏のページには和歌山県海南市の藤白神社、佐々木氏のページには、滋賀県蒲生郡の沙沙貴神社といった感じだ。地図も出ている。
一方、「日本力」のほうは、それこそ掘り下げてみたいテーマ満載のヒント本である。掲載されている写真もそのコメントも素晴らしい。さすが松岡正剛とエバレット・ブラウンだ。
さて、冒頭のシンクロという話だが、「日本力」の中の一つのテーマが「氏神復活」なのである。そして、自分の先祖の場所にとにかく行ってみようということなのだ。そして、「地図と家紋で知る名字のルーツ」はそのためのガイドブックなのである。
具体的にはエバレットは(266ページで)こう述べている。
だから、もし自分のおじいさんが鹿児島県出身だとわかったら、親戚がそこに住んでいなくてもその場所に行って、氏神を調べて、その土地をゆっくりと自分の足で歩いてみるのも、いいかもしれません。そうすると、もしかして何かを思い出したり、感じたりするかもしれない。
そうかもしれない。おそらく、現代日本人にとって一番大事なのは、先祖との絆、過去とのつながりを取り戻すことだ。
これが最大のテーマだ。僕もいつか山形の村上市に行ってみよう。
まさむね

日常雑事 雑感 »

[29 4 月 2010 | 2 Comments | | ]

僕の妻の実家は美容院をやっている。
そのため、火曜日が休みだ。今週の火曜日に妻の母(ということは僕の義母)が僕の家に来て、家で作ったお料理を持って来てくれた。
僕は勿論、会社に行っていて不在だったのだが、家に帰るとそのお料理が待っていたというわけである。
「今日のおかずは何?」
僕は会社のある恵比寿からケータイをかけた。
「お母さんが来てくれて、鶏のロール巻きを作ってくれたの」
と妻。
なるほど、と僕は思った。ケータイを切りかけてフっと思った。
「あれ、ロールと巻きって同じじゃない。それじゃあ巻き巻きじゃない?」
妻は答えた。
「それでいいの。お母さんもそう言ってたよ。」
僕は微妙に釈然とぜずにケータイを切った。
家に帰って、その鶏のロール巻きをいただいた。
とても美味しかったということはさておき、やっぱりロール巻きという言葉の被りが気になり、妻にその胸の内を語り、話を蒸し返した。
「いいの。お母さんもそういってたよ。」
同じ返事だ。
「じゃあ、検索結果を見てみようか」
ケータイで検索すると、ヒット数はなんと8万件、クックパッドでも「キャベツのロール巻き」というのがひっかかった。
ということは完全に僕の負けか。
負けを認めたくない僕は蒲団に入ってさらに考えた。
「いや、キャベツのロール巻きという言葉において、最初に”ロール”するのはキャベツであり、そのキャベツが解けないように、さらにベーコンで”巻く”のではないか...。だからあの鶏は一重巻きだから、鶏ロールでいいのではないか...」
後日、妻に僕の自説を発表した。
妻は、人類史上これ以上どうでもいい話はないといわんばかりの顔で僕の話を聞いてくれたが一言
「だって、お母さんもそう言ってたよ。」
全く、発言がぶれていない。
僕は返り討ちにあった。
まさむね

1985 »

[28 4 月 2010 | 2 Comments | | ]

当時この映画が話題になったのは、今もアメリカに現存しているアーミッシュという自給自足の社会(ドイツ系アメリカ人の村社会)が取り上げられていたという物珍しさも多少あったと思う。そこに適度なサスペンスと恋愛ドラマ。今みてもよくできた映画だ。いろんな要素を持っているのでさまざまな切り口の考察が可能だと思われるのだが、ここでは共同体と個人ということに絞りたい。ふたつの共同体が舞台。ひとつは無法もふくめて刑事が所属する社会。もうひとつは上記アーミッシュという共同体。
そして刑事ジョン・ブック(ハリソン・フォード)とレイチェル(ケリー・マクギリス)というそれぞれの共同体に属していたふたりが共同体の間で惹かれあい揺れ動いてゆく。その共同体をめぐっては何度か「掟」というセリフが出てくる。掟を破った者は共同体を去らなければならないし、共同体の外へ放逐されなければならない。映画の中でジョン・ブックがレイチェルにむかって「君を抱いたら、ふたりとも出てゆかなければならなくなる」と呟くシーンがある。だがふたりはギリギリのところで引き返し、それぞれが以前属していた共同体にもどってゆくところでこの映画は終わる。
ふたりが目の表情だけで語り合うシーンや、ジョン・ブックが村を去ろうとする日にレイチェルの長男と一緒に黙って土手に座っている映像とか、村の皆で納屋だったか新居だったかを造るシーン(そこにジョン・ブックも参加している。ここでのモーリス・ジャールの音楽がまた良い)などなど、忘れがたいシーンはたくさんある。だがとにかく共同体にとってまれ人である者はそこに入るための掟を受け入れないかぎりやがて出てゆかなければならないのだ。
ジョン・ブックは結局去ってゆくのである。映画のいちばん最後で彼はオンボロ車をふたたび運転しながら一本道を引き返してゆく。「まれびと(稀人)」として村にやってきてまた去ってゆくのだ。この映画が公開された1985年という年は今から振り返ってみるといろんな意味でその後を暗示しているような年だったと思う。
プラザ合意をへて、時代はその後の英米による金融の自由化へまっしぐらに進んでゆく転換点に当たっていたと思われるからだ。ちょうどジョン・ブックの車が自給自足のアーミッシュという共同体から離れて行ったように、時代の切っ先はある意味で質素倹約の友愛社会から金融至上主義の競争社会に向かい始めてゆこうとしていたのだ。この映画のラストをそんな風に勝手に読み解くこともできるかもしれない。
そして25年が過ぎていくつかの金融・経済危機をへて、時代はふたたび単なるお金ではない、なにかオーガニックなものへ回帰してゆこうとしているように見える。ジョン・ブックの乗った車は、かつての一本道を映画のラストとは逆向きにオーガニックな風景と村々のほうへもう一度引き返そうとしているのかもしれない。
ぼくがこの映画を観たのはほとんど公開時のリアルタイムで、新宿か渋谷の映画館だったと思う。誰と観たのかは覚えていない。当時はジョン・ブックの車の先にこれからどんな時代の風が吹きつけてくることになるのかなど、もちろんなにも予見できなかったのだけど。
よしむね

歴史・家紋 »

[26 4 月 2010 | 3 Comments | | ]

先日の土曜日に、蔵前の正覚寺に行った。正覚寺にはかつて、双葉山の70連勝を止めた安藝ノ海の墓があった。
家紋はなんと、双葉山と同じ、丸に梅鉢であった。(左が双葉山の梅鉢=日暮里の善性寺、右が安藝ノ海の梅鉢)
ということは、あの名勝負は、梅鉢対決だったということになる。
ちなみに双葉山の本名は龝吉定次(あきよしさだじ)であり、安藝ノ海の本名は永田節男(ながたたかお)である。ちなみに、永田雅一も梅紋である。
僕のイメージだと、梅紋というのは、どちらかといえば、「武」よりも「文」の紋だ。菅原道真を祀る天神様の神紋だからである。
岡本太郎、梶井基次郎、團伊玖磨、前田夕暮、倉田百三、古今亭志ん生、浜田広介、植草甚一、山下清、堺正章、中井貴一などが梅紋だ。また、栃木山、栃錦といった力士も梅紋である。
勿論、僕は双葉山、安藝ノ海という二人の横綱の現役時代は知らない。
しかし、二人とも品格のある名横綱だったと聞いている。
彼らの品格伝説は、僕の中で梅紋に結び付くのである。
まさむね

日常雑事 雑感 »

[23 4 月 2010 | 2 Comments | | ]

この間麻布十番を歩いていたら、ふと暗闇坂の道標が目にとまった。この通りは過去何度も歩いていたのだが、暗闇坂への目線(意識)がまったく失われていたのだった。写真はそのときの通りの方角からみた暗闇坂なのだが、それとともに俄かに思い出したことがあった。ここは昔寺山修司の劇団天井桟敷(兼事務所)があった場所のはずだ。ぼくの記憶が正しければ(もし間違っていたら、どなたかご指摘ください)。
もう30年くらい前のことになるけど、不案内で迷路のような麻布十番の道を探しながらやっと天井桟敷の場所にたどり着いたという記憶がある。当時は勿論麻布十番駅などはなくて文字通り麻布十番の界隈は陸の孤島だった。公共機関ならバスで行くか日比谷線の六本木駅方面から回って行くしかなかった。
なぜ天井桟敷を訪ねたのかはもう忘れた。ただ劇団が入っている建物を見たかったのか、それともなにかの演劇を見る目的があったためだったか・・・。いずれにしても劇団が建っていたと思われる場所は別のビル(駐車場)に変わり、かつてはどこか威嚇的で幻想的だった建築物の表情もいまではありきたりなビルの壁面に変貌してしまっている。この暗闇坂の上はオーストリア大使館になっている。
当たり前だけど時はながれる。そしてかつてあったものが壊されてなくなる。残るものもある。だから街も変わる。変わらないようで変わり変わるようで変わらない。そういうものだ。麻布十番温泉もなくなった。何度かあの黒い温泉に入ったっけ。何が本当の街のすがたか。それは誰にも分からない。そんなものはない。
だから麻布十番の暗闇坂は、いまも遠い彼方にある。
暗闇坂といえば、ぼくの住んでいる界隈の近くにも同じ名前の坂がある。その坂を通るときは夜自宅への近道としてタクシーを利用するときに限られていたのだが。
よしむね