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80年代SF映画の綺羅星「ブレードランナー」、レイチェルと一緒にどこまでも!

15 4 月 2010 No Comment

まさむねさんの「存在の耐えられない軽さ」に続いて80年代に観た映画について書いてみたい。ぼくもその時代の子というか当時は映画青年のはしくれだったということになるだろう。大学時代に映研に入っていたことがあり、多い時でたぶん年間200本くらいの映画を観ていたことがある。しかも80年代の前半はビデオ(VHS)なんてそんなに普及してなかったから、ほとんど映画館に通って観ていた。勤め人になってからもまさむねさんが言っていたのと同じように、80年代当時(90年代も)は年間50本以上は優に観ていたと思う。

それでも自分のことを映画通だとは思っていなかったし、今もそうだ。もっとそれを上回るつわものは大勢いたし、ぼくなどは普通に+ちょっと多いくらいだったろう。今の人たちの平均に比べれば多いのかもしれないが、映画しか娯楽がなかったわけじゃないけど、とにかく映画はよく観ていた。80年代の後半になるとスキーブームで週末っていうとスキーに行ったりしながら、か。

80年代は今から思い出そうとしてもなかなかその時代の本当のフレームを掴むことは難しいと感じるのだけど、とにかくいろんなものがまだ玉石混交していてポテンシャルあふれていたなとまず思う。映画監督にしてもフェリーニもまだ生きていたし、寺山修司も前半までは存命されていたし、ヌーベルヴァーグの旗手たちもトリフォーも矢継ぎ早に作品を発表し続けていたし、ゴダールも商業映画に復帰してきたときで、いずれもぼくはそれらの作品群を当時リアル・タイムで観ていた。もちろんB級映画もふくめてだ。

時代はポスト・モダンとかネアカとか、おたく世代の台頭とか新人類とか、その後いろいろ命名されてゆくことになるし、85年のプラザ合意をへてバブル経済に向かってゆくわけだけど、まずもって思うのは、時代はいまだ出口なしの閉塞にはいたらず、なにか肯定的なポテンシャリティー(良い悪いは別にして)みたいなもの・機運が引き続きあったようにおもうのだ。その当時ぼくも今でいえばフリーターみたいにして過ごしていた時期もあるし、周りにもそういう人たちがたくさんいたけど、どこかになんとかなるさみたいなところがあった。実際それでなんとかなってきた。でも今は違う。もうなんともならない閉塞感みたいなものがより切実だ、とおもう。

これからまさむねさんと一緒に「80年代の映画を語る」を通じて個々の思い出深い作品について多分連綿と書いていきながら、80年代という、いまも流動してやまない時代の川みたいなものを自分たちなりに少しでもなぞることができればみたいな気持ちもあるし、少しは年をとって若かったときのことを思いとどめておきたいような気も一方にはあるかも。

とにかく前置きはこれくらいにしてまずは「ブレードランナー」(監督はリドリー・スコット、1982年公開)だ。この映画の魅力の一つであるその後の未来都市のイメージやアジア的な混沌、猥雑さについては以前大江戸温泉のコラムでも少し書いたので省略する。ここではぼくがもっとも好きな、二つのシーンについて触れたい。

ひとつは、ルドガー・ハウアー演じるレプリカント(アンドロイド)が、ビルの屋上から堕ちそうになるデッカード捜査官(ハリソン・フォード)を救い出し、白い鳩が飛んでゆくなか、みずから雨に打たれて死んでゆく最期のシーン。そしてもうひとつはいつまで生きることができるのか分からないレイチェル(レプリカント)を連れて、デッカードが車を運転してゆくラストのシーンだ。

これらのシーンが感動的なのは、けっきょく人間もアンドロイドも本当はその区別はなく、実は人間だっていつ死ぬか分からないアンドロイドと同じようなものなのではないか(人間は神につくられたアンドロイドかもしれない)という、相対化された視点があるからだ。その意味でみんな同じように悲しい生き物だ(アンドロイドだ)、だから誰かを好きになるし、そして死んでゆくのだ、ということ。

みんなが自分たちはどこから来て、どこへ行くのかを知りたがるのだ、ちょうどアンドロイドたちが自分たちの来歴を知りたがったように。ゴーギャンの絵のタイトルそのままに「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」。それを探し続けている、今も、ぼくらは、この2010年になっても。

「ブレードランナー」が公開された1982年という年は、未来ということを含めてまだいろんな変化の予感に彩られていたように思う。ぼくが観たのは公開から少し遅れて、今はなくなった水道橋の映画館だったと思う。その後もいろんなSF映画が生まれたけど、ブレードランナーは今もSF映画の綺羅星のひとつだとおもう。

後年新しいバージョンがディレクターズ・カット版として監督自身の手によって編集しなおされたが(たしかラストの解釈をめぐって編集しなおされたと思うけど)、ぼくは断然編集前の古いバージョン(日本公開当時のバージョン)が好きだ。これ以外にも「ブレードランナー」にはいくつかのバージョンがあるらしい。こうした混沌もまた面白い。人それぞれが好きなバージョンがあるわけだ。上のシーンはぼくが好きなバージョンの記憶によっている。ブレードランナーの思い出よ、永遠に。

よしむね

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