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Articles Archive for 4 月 2010

日常雑事 雑感 »

[9 4 月 2010 | No Comment | | ]

プリサーブド・フラワーをご存知だろうか。ご存知のかたも多いはず。元々は生花だが、手入れ・水やりなしでも最低2年くらいもつフラワー・アレンジメントの一種。プリサーブドに限らないが、最近男性のあいだでもフラワー・アレンジメントや自分のために花を買う習慣が増えているという。これも古くはわが国平安朝に由来する雅につながるものなのか、最近の草食系男子のムーブメントにも現れていることなのか。
ぼくも大学を卒業後、いちばん最初に就職した先で華道クラブに入っていたことがある。そこは草月流の流れをくむ流派で、いわゆる主・客・副の生け方を教えてもらったものだ。もうすっかり忘れてしまったけど。
最近新宿伊勢丹のメンズ館8階にニコライ・バーグマンのフラワーショップが出来たということで行ってみた。たまたま別の用事だったのだけど。実際に花に包まれていたり、花の雰囲気が発散しているというのはどんな場所でもなにか豊かな感じになっていいものだ。
花ということでいえば、現在も失職している友人がいて、彼はずっと映画関係の仕事をしていたのだけど、昨年いわゆる契約打ち切りで大手のK社を辞めることになった。彼にはぼくが昨年怪我で自宅療養中だったときに何度か自宅に訪ねてきてもらい、当時気落ちしていたのを大分元気づけてもらったものだ。
また彼はクリスチャン・トルチュのフラワー・アレンジメントが大好きというとても感性豊かな人でもあったから、妻とも相談して、ぼくが怪我から復帰した快気祝いのお返しに、上記トルチュさんのお店で買ったプリザーブド・フラワーを贈ったのだった。
彼は当時、映画の仕事への復帰を諦めて花屋さんに転職してもいいというような考えもあり、そうした相談を受けたこともあった。実名は明かせないが、M君。M君の部屋のどこかには今もクリスチャン・トルチュのプリザーブド・フラワーが揺れていてくれるだろうと思うのだが、それとともになるべく早くいわゆる「就活」がうまく行ってほしいとぼくは思っている。因みに彼の就職先はまだ決まっていない。
男たちと花、時代は不確かで、なかなかその結びつきも切なく厳しいかもしれないけど。
よしむね

政治 »

[8 4 月 2010 | No Comment | | ]

平沼赳夫や与謝野馨が新党を立ち上げるという。
保守新党だそうだ。
経済対策と消費税が二本柱らしいが、一体どっちなのだろうか。
また、土建屋や天下りに金をばら撒くという話なのかそれとも財政規律をするという話なのか。
それにしても、保守といういうのなら、彼らは一体何を保守しようというのだろうか。保守という言葉を聞くとその疑問はいつも沸いてくる。
勿論、改革だってそうだ。改革をするという人は一体何を改革しようというのか。よくわからないことが多い。
僕は日本という国の特徴は、名字が異様に多いことでもわかるような独立性だと思っている。
韓国や中国では数百なのに、日本の名字は30万もあるのだ。それだけ、独立して新しい家を興そうという活気があったのだ、ある時期。
そのある時期というのは、鎌倉時代や明治時代だ。ちょうどその前の平安時代や江戸時代がどちらかといえば、うちに篭る時代だったのだが、それが政権交代して外に向かっていく時代になった。その時に独立しようという気分が蔓延したのだとうのは僕の想像だ。
歴史は繰り返す。100%悪い時代があるわけではないし、100%いい時代があるわけでもない。勿論、戦争の時代はつらいことも沢山あるが、それはいつかは終わる。戦後日本の繁栄は、太平洋戦争で多くの兵隊が必死に闘ったことによって、アメリカが日本に一目置いたこと、アメリカが日本に畏敬の念を持ったことが要因なのだ。
だから、靖国神社に行って、戦没者を国家として祀るというのが大事になるのだというのが、いわゆる保守派の意見である。
それはある意味、もっともだ。
しかし、一方で柳田國男が「先祖の話」で述べていたように日本人、一人ひとりが出来るのは、それぞれの家々で亡くなった人々を供養すること。
その積み重ねが国家として戦没者を祀るよりも日本人らしいということ。
中国は靖国神社の首相参拝を断固反対するが、中国人はその靖国神社に菊の紋章があることをどのように見るのだろうか。この花はもともと、平安時代(だったと思う)に、朝廷が中国の最新の美として輸入したものが家紋として転化したものだ。
それが、いろいろとあって、現代では靖国神社の門に大きくつけられている。
これはちょうど、日本人が見るワシントンの桜のようなものに感じるのだろうか。
日本の歴史とか伝統とか言ってもそれはあまりにも多種多様だ。
だから最初の話に戻ると「保守」と言っても何を保守するのかも多種多様にならざるをえない。
現状の既得権益社会をそのまま続けましょうというのもある意味保守であるし、アメリカ自由主義的に小さい政府でやっていこう、年金制度などやめてしまえというのも保守と言える。そんな制度は高々数十年のものだから、その前に帰れという言い方もありだ。
あるいは、靖国神社を大切にしたり、自主憲法を制定したりするのを保守という言い方もある。でもそれは保守というよりは国家主義だろう。
それだって、たかだか明治維新以来の話ではないのか。
今年も桜が咲いた。そしてまた散る。日本人は桜が大好きだ。「古事記」にはニニギノミコトがコノハナサクヤ姫(=桜の精)を選んだことにより、天皇家、そして日本人が永遠の命を失い、美を獲得する話(いわゆるバナナ型神話)が出てくるが、その頃から日本人の性向はある程度、決められていたのかもしれない。
ニニギというのは、天照大神の孫で天孫降臨した人だが、結局、面食いで嫉妬深いというだけの人(神?)だ。ほとんど人格と言ったらその程度の人だ。でも、結局、山幸彦という子孫を残す。さらに山幸彦はウガヤフキアエズを残し、そのウガヤフキアエズが、神武天皇を残し...そういうものだ。つなげたということが大事なのだ。
そういえば、平沼さんと与謝野さんの話だった。平沼さんの家紋は揚羽蝶、与謝野さんは桜だ。
蝶々が桜に寄ったというただそれだけの話なのかもしれない。上の画像は与謝野晶子の墓、下の画像は平沼麒一郎の墓で撮影したそれぞれの家紋である。
まったくゆるいエントリーになってしまった。なんか、引退した爺さんが書きそうな文章だ。
まさむね

テレビドラマ »

[5 4 月 2010 | No Comment | | ]

NHKスペシャル「ジャパン デビュー」の第1回「アジアの一等国」という台湾の植民地時代のドキュメンタリー番組が放送されてから、今日でちょうど1年が経った。
チャンネル桜が中心となって集団訴訟を起こしたあの番組だ。
その後、NHKからは正式な謝罪も公開討論への誘いに対しても誠意ある対応がないようである。
僕も以前、台湾に行き、現地の原住民の方と話しをしたことがあるが、彼らは本当に日本統治時代を懐かしんでおられた。
そんな記憶がほんの例外的なものではないことを祈る。
いずれにしても、そのうち裁判の結果が出るだろう。そして全てが明らかになるだろう。
しかし、問題はその結論がどれだけ、NHK、そして他のテレビ局によって報道されるのかだ。
同業者をかばうようなことがあれば、それこそ長い目で見れば、自分達の首をさらに絞めることになるであろう。
そういえば、「龍馬伝」も物語としては楽しく見ているのだが、龍馬の尊王攘夷に対する思いが微妙にはぐらかされているのが気になる。
彼は明確に自分の意思を示さないのだ。
尊王という観念が無ければ、龍馬が脱藩して京都に向かうという意味が曖昧になってしまうではないか。
彼はただ、自分探しの旅に出たくて、死刑を覚悟で藩を飛び出したのであろうか。そんなことはあるまい。
ドラマなので仕方が無いとは言え、そのあたりをどの程度、誠実に描くのか、あるいはイデオロギッシュに描くのかこれからの注目点である。
いずれにもしてもドラマとしてはかなりの秀作なので、期待は大!!
まさむね

時事ネタ »

[3 4 月 2010 | No Comment | | ]

日本の金融資産がまだ1,400兆円くらいあるとよく言われる。ついこの間も日経新聞に記事が出ていたね。だがこれはもう数字の嘘・まやかしであり、はっきり言って毎度毎度のこういう提示の仕方はやめたほうがいいと思う。いったい誰がどういう意図があってこんな公表をやっているのだろうか。
実際にはここから個人の負債やローン残高もあり、そうしたものを差し引くと、真水は400兆円とか600兆円あたりということでもあるらしい(真実はよく分からない)。しかも国・地方の借金があわせて1,000兆円近くとも言われているわけで、これを引いてしまえば実質マイナスなわけだ。仮に引かなくても、真水といわれているものだって将来収益とかも含まれているようなので、実質的には運用損でどれだけ残っているのかさえ怪しいものだ。特にわが日本では運用ビジネスはきわめて低劣だから。
こういう風にお金がたくさんあるように言いたくなるのは、本当は自分たちが金持ちだと思い込みたいからなのだろうか。日本という国はこれくらいあるのだと言い聞かせたいのだろうか。でもこれって裸の王様みたいなもので、本当はもう財産なんてたいして残ってないのにいつまでもあるように思うことで、どんなメリットがあるのだろう。
それよりもう皆、お金がないのだから、ムダ使いを止めようと言ってくれたほうがよほどすっきりするように思える。つまりお金のムダ使いを続けたい人がいて、その人たちがムダ使いを止めなくていいための方便にこそ使われているだけなのではないかと思えて仕方がない。
どっちにしても、以前まさむねさんが言っていたけど、今の日本はどっちの方向に向かうにしても、国際競争(ストレス)か衰退(できるだけストレス・フリーの過保護・高福祉)の2者択一の道くらいしかなく、どっちを考えることも嫌で思考停止しているのに似て、お金についても本当はもう残っていないことを考えたくないのだろうな。そんなことを考えても何もならないからとでもいうように。
でも、そろそろそんな思考停止はやめて、ニッチもサッチもいかないことから始めていくことを覚悟して考えないといけないのじゃないだろうか。そうしないと運用をどうしてゆくかみたいな基本的な肝心なことがいつまでも議論されず等閑にされて、ただただ放置されてゆきかねないように思うのだが。結局はいずれ損の落とし前が必要になるのだから。さしあたっては国として大量に買い込んでいる米国債とかどうするのだろう? 自分で買い支えている日本国債しかり。その他諸々、有象無象、奇奇怪怪。
そしてまずもっていい加減収入に見合った生活へのリサインジングの意識をちゃんと持つようにしないとね。今の日本は月給40万円の人が借金して100万円の生活を続けているわけだから。とにかく何とかしてくれみたいな要求ばかりで分相応ということがどこからもトンと聞かれなくなって久しいようにも思える。
このままだといったいぼくら国民はどれくらいのサイズ・規模の収支で満足しなきゃいけないのか、さっぱり見えてこない。これは民主党政権になっても基本変化なし。民主党ももうなにをしたいのかさっぱり分からない感じになってきているね。最初の志の変質か変局なのか。しだいに選挙対策と利益誘導の体質=かつての自民政治そのものへの回帰みたいにも見えてきているし。青年=志、老いやすしとはよく言ったものだ。でも老いには老いの知恵があることを期待したいが、それもあまり見えない。
とにかく国として肝心の議論がきらいなのにお金があるという幻想だけは持ち続けたいというのはどこかさびしいね。いずれ困ったときには空からお金が降ってくるという神風的な待望論・信仰心から抜け切れない国民性なのだろうか。それとも宵越しの金は持たないという潔い心持がなせる業からなのか。たしかに金は天下の回り物かもしれないが。このままだと小回りものにさえならずに終わりそうだけど。
よしむね

相撲/プロレス/格闘技 »

[2 4 月 2010 | 2 Comments | | ]

関取の大関昇進と横綱昇進は、家紋チェックの大チャンスだ。
もちろん、先日行われた把瑠都の大関昇進披露宴はチェック。
そして確認しました。把瑠都の家紋は丸に違い丁子だった。
これは、親方の尾上親方の出身、いわゆる本家の三保ヶ関部屋の親方(元・大関増位山)の折敷に違い丁子からの伝来だろう。
折敷というのは、八角形だが、そうではなく、丸でかこったところに微妙に分家らしさを感じる。
家紋はこうして受け継がれていくということのわかりやすいいい例であった。
ちなみに、その時、尾上親方の丸に四つ目結紋、肩車をしていた同部屋の十両・山本山の下がり藤紋、出羽の海親方(元鷲羽山)の五瓜に唐花紋も確認。
それはともかく、把瑠都にはがんばってほしい。琴欧洲との大型ヨーロッピアン横綱昇進争いに期待だ。
まさむね