Articles Archive for 5 月 2010
テクノロジー・ビジネス »
この週末の金曜日、日本でもiPADが発売になった。3D元年といい、すでに発売されていた電子書籍キンドルの登場とあわせて、グーテンベルグによる印刷の発明以来の、メディア文化の変容の可能性を指摘するような論調の取り上げかたもけっこう多いようだ。
電子書籍とは異なる、従来からある紙の本の可能性についてはいずれ別の機会にあらためて書いてみたいと思っているけど、ここではいわゆる3DやiPADによって代表されるある種の万能感の感覚のようなものについてぼくなりにいま思うところを書いておきたい。
3Dにせよ、iPhone やiPADにせよ、極端にいえばぼくらはその登場によって以前よりも何でもできるような気になりつつあるように思える。つまりぼくらの身体を引き延ばした形での万能感のようなもの。しょせん端末等の力を借りてなのだが、自分の見る能力がとても高くなり、読む能力や、探し出して調べる能力がとても高くなりつつあるような錯覚。良い意味では世界共通としてのイマジネーション力に変化を及ぼす可能性もあるかもしれない。
でも、これはひとつの予感だけれど、ぼくらはある種の万能感が高まるような感じになればなるほど、その一方でますます自分のなかの無能さや無能力さ加減を体感することに飢えるようになるのではないか。
いながらにして何でも手に入り、なんでも見れるような気になればなるほど、逆に自分で実際に歩いて、ものを触り、体感することへの渇望みたいなもの。そしていかに自分が無力であるかを実感すること。それを身体感覚で確認すること。その必要性がバランス感覚に促されるようにますます高まってくるように思える。
それは高校の地学だったかで習ったアイソスタシーの原理のようなものでもあるかもしれない。海のうえに浮かんでいる氷山は海面から出ている氷の量が多いだけ海面下の氷塊もまた比例して多くなっているという。だから世をあげての万能感が高まれば高まるほど海面下の無能感も高まる・・・。
やっぱり身体のセンシビリティーこそがますます大事になるように思える。理屈ではうまく言えないけど、いわば自分の無力さを肌実感できるような能力こそがとても大事になると思えるのだ。まさむねさんも以前恋々風塵の映画評のなかで述べていたけど、以下の文章にはぼくもまったく同感だ。
「おそらく、センシティブ(感度が高い)というのは自然に対して、こうした悠久の流れ、すなわち山の霊を感じ取れることだと思う。けっしてアップル社の新製品に飛びつく器用さではない」
だから逆説的だけど、3DやiPhoneやiPADが出てもそれだけではなにも変わらないのだ。大事なのは最後はやっぱり身体のセンシビリティーで感じること(それはたとえば今日の風はとても気持ちがいいでもいい)、そしてマルクスやランボーの言葉じゃないけど、そのことを通じて「生活を変えよ、変革せよ」という日々の考え方みたいなものにつなげてゆくこと、それこそが今でも未だにもっともリアルであり続けていると思うのだが。
けっきょく読む、聞く、書く、走る、歩く人間の素の能力なんて2000年まえとたいして変わっていないかもしれないのだから。
よしむね
散歩 »
6月に発売予定の「家紋主義宣言」は、墓マイラー(家紋採取者)の散歩記という面もあります。お楽しみに。
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さて、先週の週末にTBC(東京墓石倶楽部)で麻布近辺の墓を巡った。
このTBCは仕事関連の元同僚と作っている東京近辺の霊園や寺院を巡り、墓や墓に彫られている家紋を採取してまわる地味な倶楽部である。
最近は、墓巡りを趣味とされる方も増えてきたようで霊園などでカメラを肩から下げ、本を片手に墓を探している方々の姿をよく目にするようになった。
おそらく、この長引く不況によって、人々の娯楽に対する意識も徐々に変わっているのを実感する。もう一度、足元を見直してみれば、楽しいことはゴロゴロと転がっているのかもしれないのだ。決して、金をかけたからといって充実した休日をすごせるわけではない。よく考えてみれば、当たり前の話である。
さて、麻布近辺の寺でまず思い浮かぶのが、麻布十番にある善福寺だ。慶応義塾創設者の福沢諭吉先生夫妻の墓がある。家紋は丸に抱き鷹の羽(左画像)である。一般的に、映画などで福沢諭吉が描かれるときには割り楓紋の紋付を着ていることが多い。確か、柴田恭兵が主演の映画もそうだった。また、多磨霊園にある福沢桃介(福沢諭吉の養子)の墓では割り楓の紋(右画像)を見ることが出来る。
また、この善福寺には、福沢諭吉の墓のほか、源氏鶏太や鮎川信夫の墓もある。それらの墓は、福沢諭吉の墓の脇のちょっとした丘の斜面にある。おそらく、このエリアはその昔は里山的な場所だったのかもしれない。
麻布といえば、元麻布の賢崇寺の鍋島藩関連の墓も味わいがある。本堂に一番近いところに、鍋島忠直や歴代・鍋島家(三家)があり、その奥に家臣達の墓が並ぶ。一番奥に歴史学者の久米邦武、画家の久米桂一郎の墓があった。家紋は五つ銀杏である。
鍋島といえば、今で言うところの佐賀県、長崎県あたりの藩主である。一連の墓の中に、原口家や久間家の墓などがあったが、もしかしたら、現総務大臣・原口氏や元防衛大臣の久間氏の遠縁にあたる方がねむっているのかもしれない。
二人ともあのあたりの出身だ。そういったところを想像して歩くのも楽しい。
ちなみに、原口氏の墓所には違い鷹の羽、久間氏の墓には花菱の家紋が見られた。
麻布といえば、欠かせないのが新選組・沖田総司の墓がある専称寺であるが残念ながらここは墓所に立ち入ることが禁止されている。塀の外から写真をとることができるだけだ。ただ、丸に横木瓜という家紋だけは確認できた。よかった。
また、麻布における墓マイラーの最大の聖地が長谷寺である。このお寺は高樹町の交差点、フジフィルムの本社のすぐ近くにある曹洞宗のお寺さん、竜胆車の寺紋がみえる。
今までも何回か訪れたこともあったのだが、今回は、徳間書店社長の徳間康快氏の墓参と家紋採取が目的だった。こういった最近亡くなった大物の墓は新しく大きいという(当たり前)の文字通りの”定石”があるのだが、徳間氏の墓は、墓所の奥に一般の方と同じような墓であった。これでは今までわからなかったわけだ。家紋は三つ星に二つ引きであった。
また、この長谷寺には明治の元勲の一人・井上馨の墓があることでも知られているが、彼の墓所は大きい。そこに立っている石灯篭には、沢瀉のデザインが付されていた。そのあたり彼が長州閥であることをそれとなく知らせてくれる。
さらに今回の長谷寺参りで、TBCのH君が大発見をしてくれた。墓所の入り口近くに、江角家の墓を発見したのだ。建立者のところには平野真紀子の名前がある、間違いない。そして、江角家の家紋は丸に横木瓜であることも確認。
この横木瓜は、樋口一葉、平塚雷鳥、岡田嘉子、広末涼子など、何故か女性有名人が目立つ。そこに江角マキコも名前を連ねるわけである。
都内の墓所はどこもしっとりしていていい雰囲気だ。表通りの喧騒とグローバル化に比較すると、その寺々の静寂はなんとも心を落ち着かせてくれる。いい休日だった。
まさむね
1987 »
まさむねさんとなるべく重ならないように80年代の映画について取り上げる予定なのだが、この「恋々風塵」だけはちょっと例外ということで、ぼくも書かせていただくことにした。というのももし今まで見た青春(恋愛)映画でベスト3を上げろと言われたら、間違いなくそのひとつにこの映画を上げるだろうからだ。とても好きな映画だ。
もう細かいことやあらすじについては触れない。ただあのラストで、お爺さんと主人公が言葉を交わす(実はあまり交わさない)シーン。山の気に包まれたなかで、お爺さんは失恋した主人公に対して仔細はなにも尋ねず、ただ今年はさつまいもが不作だとか良くできたとか、そんな話をするだけだ。お爺さんは多分分かっているのだけど、なにも言わない。
誰もどうすることもできないからだ。ただみんなそうしてきたように、ひとりで黙って泣くしかないし耐えてゆくしかない。映像はどこまでも静かで凛としている。そしてもの悲しい。山の気の張り詰めたような美しさ。老人と青年のふたりだけがいて・・・。
こんなシーンに出会えたことのなんという至福! 映画を観るとはまさにこういう瞬間に出会うことだと思わせてくれた、そういう作品。
人を好きになることはときに悲しい。ぼくももうあの少年少女たちからは遠く離れたところに来ているけど、今もときどきこの映画のいくつかのシーンを思い出す。切ないことや思いっきり楽しかったこと、ワルをしたり、そんなこんな誰にでもあったに違いない小さな出来事の数々。今も恋々風塵は走馬灯のようにそれらを浮かべて回っているのだと思う。
よしむね
1981 »
ジャン=ジャック=ベネックス監督の作品。この監督の作品では「ベティー・ブルー」も有名だが、ぼくは「ディーバ」のほうが好きだ。公開は1981年でたしか六本木シネ・ヴィヴァンで上映されたと思うが(この辺は記憶が曖昧)、公開時に観た。
今回あらためてビデオで見なおしてみたのだが、ストーリ自体には少しも古い感じがしない。出てくるパリの風景や女性の服装や髪型にはさすがに80年代のものを感じる部分もある(メディアとしての録音テープ等もそうである)が、奇妙な味わいといい、スタイリッシュな映像や、妙な可笑しさといい、誤解を恐れずにいえば3Dという話題性があるにせよ画一的な作品であるアバターなんかよりもよほど飽きない。サスペンスフルで奇妙でスタイリッシュで恋愛的でと、なんでもある。主人公とディーバが連れ立ってデートする雨のなかの寡黙なシーンなんかとても良い。けっして平板ではない。こうした映画をみると、80年代の映画ってやっぱり面白かったなと思う。
しかも今回改めて気づいたのは、ベトナム人の女の子が出てきたり、ギリシャ人の謎の男や黒人であるディーバ(歌姫)が出てくるところなど、いわゆるパリの中の異邦性がすでに映画として取り上げられていたこと。今でこそというか90年代くらいからはヨーロッパに旅行してもパリやロンドンなどの大都市での黒人の多さが当たり前に目につくようにはなっていたと思うけど、80年当初からフランス映画の中でこんな風に都市のなかでの異邦性や無国籍性を取り上げたものはあまりなかったようにも思う。その意味でも先駆的。
当時この映画をみて、東京でもまったく違和感のない、共振する時代感覚のようなシンパシーを感じたのを覚えている。それから余談だけど、ぼくはこの映画ではじめてカタラーニのオペラ「ワリー」を知って、なんて素晴らしい曲なんだと思ったものだった。今ではサラ・ブライトンなんかがさんざん歌っているので、とても有名になってしまったと思うけど。
いろんな意味で2010年になって時代はふたたびディーバに追いついたのかもしれない。
よしむね
1980, 相撲/プロレス/格闘技 »
ラッシャー木村が亡くなった。
また、一人、昭和の名レスラーとお別れだ。
ラッシャーには大きく分けて、三つの時代があった。国際プロレスのエースの時代、新日本プロレスのヒールの時代、そして全日本プロレス以降のコメディアンの時代だ。
僕の中で、彼の晩年のリング上での姿はロバートデニーロの「レイジングブル」とだぶる。
格闘家はどこかコメディアンと似ているのだ。
それにしても、彼ほど、人間味を感じさせるレスラーもいなかった。
本来、格闘技に「人間味」など必要なかったのかもしれないが、僕らファンには彼の味がいつの間にか病みつきになっていた。
彼は確実にプロレスという芸能の幅を広げた名人だったと思う。
来月発売予定の「家紋主義宣言」でも馬場さんや、三沢さんについて書かせていただいた。
僕は自分の処女作に、いろんなことを教えていただいた(あくまでリング上の姿で)レスラーのことをどうしても記しておきたかったのからだ。
こうなるんだったら、ラッシャーについても書いておくべきだった...
亡くなったレスラーはなぜ、いつまでも僕らの心を締め付けるのだろうか。
さようならラッシャー木村。
まさむね
社会問題 »
よしむねさんが、先日書かれた「ますます薄っぺらになったように見える経済という魔物」というエントリーのエンディングの一節、”お金なしでは生きられないが、いかにお金や経済の起伏と上手に別れていけるかも考えていきたい”というのは確かにそのとおりだと思う。
僕らは現代社会を生きていく上にどうしても、資本主義に最適に振舞わなくてはならない。
それは基本だ。
しかし、と同時にどこか現代の社会に嫌悪感を感じている。
つまり、僕らに求められているのは、何も考えずに社会人としてすべきことをするという行動力である一方で、僕らは、自分としてのかけがえへのなさに対するこだわりをどうしても捨てることが出来ない。
おそらく、これは古くからある問題意識だ。
四捨五入して言えばそれはマルクスの思想にも通低している考え方である。
マルクスは「経哲草稿」の中で労働から疎外されてしまう自分自身をとりもどすべきだと主張していたのではないかというのが僕の「読み」である。
実は、僕ら中高年のサラリーマンには一つの大きな課題がある。それはグローバルスタンダードを受け入れ、IT革命を経たた日本が、必然的に陥る労働価値の低下(終身雇用、年功序列といったいわゆる昭和的労働価値の崩壊)に対して、頭では理解しながら、しかし体では既得権益にしがみつかざるをえないという矛盾に対して、どうすべきかという点である。
おそらく、30歳代の多くのサラリーマンとは違って、ギリギリ逃げ切れそうな立場の僕たち。
もう一花咲かせるべく、勝負してみようと考えている人もいるかもしれないが、黙って、惰性に従ってズルズルあと10年を生きていこうと思っている人も多いのではないだろうか。
僕らはそんな人々の話をなるべく多く聞いてみたいと今思っている。
いずれにしても、今の時代、思想と行動を一致させることの困難さを感じざるを得ない。
僕らの使命としては、出来ることならば、次の世代に新しい生き方、考え方、そして日本のあり方を伝えていくべきなのだろう。
恥ずかしながら、6月中旬に発売する「家紋主義宣言」は、そういった問題意識のなかでもがく50歳の普通のサラリーマンの心の中の葛藤の物語になる予定である。
いかにお金や経済に上手に別れることが出来るか、そんなことの考えるヒントになっていればいいのだが。
まさむね
書評 »
最近、内田樹先生の本をよく読む。ていうか、内田先生の本しか読んでいないと言っていい。
「現代霊性論」「寝ながら学べる構造主義」に引き続いて「邪悪なものの鎮め方」。
これも名著だ。さすが、いい本は考えるヒントをくれる。
短いエッセイ集なのだが、すべて面白い。
その中から一つ、「そのうち役に立つかも」というエッセイがこれまた出色だ。
引用させていただこう。
しかし、知性のパフォーマンスが爆発的に向上するのは、「その有用性が理解できないものについて、これまで誰も気づかなかった、それが蔵している潜在的な有用性」見出そうと作動するときなのである。自分が何を探しているかわからないときに自分が要るものを探し当てる能力。それが知的パフォーマンスの最高の様態である。
そして、この知性の働きのことを内田先生は、レヴィストロースの「野生の思考」から援用した言葉でブリコルールという。
いきあたりばったりに見えて、実は物凄くいいブリコルール的感性を持っている人になりたいものである。
というと、僕がまず思い出すのが、坂本龍馬である。彼は幕末という激動の時代に、さまざまな人とめぐり合いながら大きく日本を動かした(ということになっている)。
おそらく、彼が、武市半平太に会い、勝海舟に会い、松平春獄に会い、桂小五郎に会い、西郷隆盛に会い、陸奥宗光に会いって、一見なんだか偶然そうなっているようにも見えるが、実は彼の超ブリコルール的感性がなせる業かもしれないのだ。
なにせ、その当時だって日本の人口は何百万人(あるいは一千万人以上)もいる。その中で、彼だけが一介の素浪人として偉業を成し遂げたのは、やはり彼には特別な才能があったと考えてもいいのではないだろうか。
それにしても、後にどんな人になるかわからない人と出会って、とりあえず友達になっておく、そしてその友達が後にみな大物になる、そんな人生があったら素敵だろうな。
逆にいえば、今考えると、僕は本当に多くの人を見逃してきたなぁとも思う。
さて、話は変わるが、僕がなんでこんなに内田先生を持ち上げるかというと、今日、はじめて、挨拶以外でTwitterで返事をいただいたのがなんと内田先生ご本人からだったのである。
先生が今日、お墓参りに行かれたとつぶやかれたので思わず家紋は何でしたか?ときわめて不躾にしかも何気なく尋ねたところ、下記のようなお答えをいただいたのであった。
levinassien @dearpludence うちの家紋は平凡な「丸に横木甲」です。
字が間違っているとはいえ、それはそれで先生の味と僕は解釈したい。
先生ありがとうございました。
まさむね
ちなみに僕のTwitterのアカウントは、以下です。ほとんど、本の告知と有名人の家紋の啓蒙活動で使っています。もしご興味がありましたら、フォローなどしてください。dearpludenceは、もちろん、ビートルズの楽曲から。また、pludence が prudence ではないのは、ただ先にどなたかにとられていたからです。
http://www.twitter.com/dearpludence
社会問題 »
最近、新聞紙上でけっこう経済が復調しつつあるような記事が目に付くようになった。前年比でやれ何%増益の企業が増加してきたとか街角景気の改善とか見通しの引き上げとか、等々。
たしかに実体経済レベルでは一時の最悪期(去年の春前後)を過ぎつつあることは事実かもしれない。ぼくが身を置いているハイテク関連業界でもかなり忙しい状況になっている。自動車業界、半導体や電子部品業界、精密機器業界、工作機械業界然りだろう。いわゆる実体経済といわれる部分については製造業という観点からみればかなり忙しくなってきていると思う。それもまるでジェット・コースターのようにダウンしたと思ったら急にアップし始めて、猫も杓子もという感じだ。ここに来て急にみんな一斉に、という感じかもしれない。
でも、果たして、と思ってしまう。これが実体というものだろうか? ある意味で実需に根ざしていると思われる実体経済がこんな風に急激に萎んだり膨らんだりするものだろうか。結局実体経済もきわめて虚の経済(レバレッジの効いたバブルチックな経済)に似てきているということなのだろうか。これがグローバルの正体なのかもしれない。悪くなるときはみんな一斉に悪くなり、良くなるときも一斉に良くなるように映って見え、世界での自動車やパソコンや携帯電話や液晶TVの売れ行きにすぐに左右され、みたいな・・・・。
結局グローバル化が進んだことで、経済というものがますます薄っぺらになり、何処も彼処も似たようなトレンドを受けざるを得なくなったということ。その意味で経済そのものに厚みがなく、奥行きや深みがなくなったのだろう。リーマンショック以後、ほんとうは従来の虚の経済から脱却しようという(それを考える)良い機会だったのかもしれないのだけど、やっぱりみんなは喉元すぎれば熱さを忘れるで、バブルチックなものが恋しいのである。というよりも裏返せば今の経済原理そのものがなにかのバブルなしには成立しにくくなっているということでもあるのだろう。麻薬なしでいられない患者たちが増えているのだ。
でも、果たしてとまた思ってしまう。リーマンショック以後の今の金融業界のみかけ上の復活って、ほんとうは証券業界が作ったジャンク債(ボロ屑と消える運命にある債券の群れ)の借金を国が肩代わりして、いっとき誤魔化しているだけじゃないだろうか。依然何も解決していないわけで、いずれこのかりそめのバブルも弾けるときが近いのでは?
今騒がれているギリシャに端を発したヨーロッパの経済危機にしても、誰かにババを引かせようとしているゲーム漬けの人たちの策略としか思えない。ギリシャだけが極端に悪いわけではない。借金漬けという意味では実体はアメリカも英国も似たようなものだ、もっと悪いだろう。だいいちユーロよりも米ドルが安全なわけがないじゃないか。
でも、まあこれくらいにしておこう。世の中が変わるときはたぶん一直線ではなく、蛇行しながら変化してゆくのだ。これは以前まさむねさんが小沢一郎について書いていた記事(1月28日)でも述べていたことと同じだけれど、ぼくもまったく同感だ。
人間はホモ・エコノミクスでもあるとおもうけど、でもやっぱり「パンのみに生くるにあらず」もほんとうだ。お金なしでは生きられないが、いかにお金や経済の起伏と上手に別れていけるかも考えていきたい、そう思う。
よしむね
書評 »
内田樹の「寝ながら学べる構造主義」(文春新書)を読んで、思わず自分が学生時代にこんな本があればいろいろと苦労しなかったのに、と思ってしまった。この本は、それほど、すんなりと構造主義がよくわかる本である。
僕が学生時代、「現代思想」という雑誌などでは構造主義はもてはやされていたが、大学の教室ではまだまだ、マルクス主義、実存主義が全盛だった。僕の指導教授も実存主義、マルクス主義の流れにある人だった。
僕らは真剣に、日本人に生まれたことはそれだけで、先の戦争に対する責任があるのだ、それがアンガージュマンというものだというようなことを話していた。また、他の学生はサルトルとかカミュとかが好きだったみたいでそういった作家を卒論のテーマとしていた。
ただ、僕は教室で、フーコー、レヴィストロースなどの名前を出してその教授に嫌な顔をされていた(多分)。
僕は本当に世間知らずだったのだ。
しかも、僕は構造主義もよく理解していなかった。だから、自分が考えていたことすらよく説明できなかった。
ただ、実存主義がなんだか変だということだけは直感でわかっていたのである。
しかし、あれから30年、僕は今、内田先生の本が平明に感じるようになった。
おそらく、現代という時代は、それほど、構造主義が常識になった時代なのである。
この本の中でレヴィストロースがサルトルに対してこう述べたという引用箇所がある。孫引きしてみよう。
サルトルの哲学のうちには野生の思考のこれらのあらゆる特徴が見出される。それゆえにサルトルには野生の思考を査定する資格はないと私たちには思われるのである。逆に、民族学者にとって、サルトルの哲学は第一級の民族誌的資料である。私たちの時代の神話がどのようなものかを知りたければ、これを研究することが不可欠であるだろう。
今読んでみると、当たり前にも感じるが凄い箇所だ。
時代の指導的立場にいたサルトルをいきなり博物館の標本みたいにしてしまったのだから。
こんな文章を、今から30年前の社会学のゼミで引用出来たらかっこよかったのにといまさら後悔するのでした。
まさむね
1989 »
1980年代最後に登場した画期的な映画、それが北野武の「その男凶暴につき」であった。
映画の歴史は、作品と制度との戦いの歴史でもある。
いい映画は、どれも”映画という制度”と戦っている。その意味で、この「その男凶暴につき」はいい映画だったと思う。
この映画が戦っていたのは、それまでの映画の中の暴力という制度である。
現実世界での暴力は常に唐突だ。しかし、この映画までの映画の中の暴力は、まるでプロレスの技のような「芸」に過ぎなかった。
この映画で、ヤクザの流れ弾に当たって死んだ女子高校生、この瞬間、映画は進化したのだと、僕はこの映画を観たときに思ったものだ。
しかし、この唐突の暴力は北野武の「芸」だったということを後で知った。
やはり彼は天才だ。
この映画のラスト近くのシーンで、アズマは気の狂った妹(川上麻衣子)を銃殺した。凄いシーンだった。
映画における兄と妹、僕はそのシーンで「寅さん」を思い出した。
「その男凶暴につき」は「寅さん」の陰画だというのがそのときの直感である...が、おそらく、それは正しくなかった。
僕の直感は大抵が間違える。
そして、この映画はその間違いの一つと一緒に僕の心の中に残った。
まさむね



