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品川・海晏寺で見つけた児島惟謙の三つ鱗紋

27 6 月 2010 No Comment

6月のTBC(東京墓石倶楽部)は品川近辺の寺々での家紋採取であった。
大井町駅で待ち合わせ、海晏寺(かいあんじ)に向かう。
ウィキペディアによれば、この寺は、鎌倉時代幕府5代執権北条時頼が開基となって宋から渡来した禅僧蘭渓道隆の開山により臨済宗の寺院として創建されたという。
墓地は麻布・善福寺と同様に、丘の斜面に作られていて、ここも昔は里山的な場所だったのではないかと想像させる。

僕のこの寺院での大きな目的は児島惟謙の墓である。松平春嶽や、由利公正、岩倉具視などの墓もあるらしいのだが、立ち入り禁止という。ここでの一般墓地の有名人というは彼くらいなのだ。
そして、ついに、児島惟謙の墓を発見。丘の中腹だ。(ちなみに発見したのは、やはり”神眼”を持つO君)
この児島惟謙は、明治時代の大審院長(今で言うところの最高裁判所長官)で、ロシアの皇太子が巡査・津田三蔵に斬りかかられた、いわゆる大津事件で、時の政府が国際関係上、大逆罪の適用を強く主張したのに対して、あくまでも司法の独立を守ったとして後世に名前を残すことになった人物である。
家紋は三つ鱗だ。これは、この寺院の創建者・北条家の紋。北条家と児島家のつながりを感じさせるではないか...と思ったら、児島の墓に(親類か?)緒方と名前が刻まれた墓を発見した。
以前、「家紋の真実」を主宰、日本家紋研究会副会長の高澤等先生に教えていただいたが、三つ鱗は、緒方家の代表紋だ。それをもとに、拙著「家紋主義宣言」でも、w-inds.の緒方龍一の紋も三つ鱗ではないかと推定している。

おそらく、児島惟謙の三つ鱗紋は、緒方氏からのつながりかもしれない。しかも、惟謙の「惟」の字は、緒方の通字である。たとえば、源平の合戦で活躍した緒方惟栄、緒方洪庵の子、緒方惟準と緒方惟孝などが名前に「惟」の字が使われている。
また、児島惟謙の実父は、宇和島藩士の金子惟彬。金子家と緒方家、そして児島家の関係にも興味あるところである。ちなみに、ウィキペディアにはこう書かれていた。

大津事件に際する直前の明治23年3月10日、惟謙は本籍を北宇和郡三間村から内海村大字内海(赤水)586番戸に移している。 尚、同村須ノ川には「児島」の姓が多い事、父惟彬が金子家に養子に入る前に一時赤水の豊島家の養子に入っていた事などが児島姓を名乗る事に繋がったのではないかと言う説もある。 (新訂・内海村誌より)

今後、余裕があったらさらに調べてみたい。

まさむね

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