Articles Archive for 7 月 2010
歴史・家紋 »
僕は臆病者が好きだ。
というか、僕自身が真性の臆病者なのである。
例えば、電車の中で喧嘩などがあると、かなり場所が離れていてもドキドキしてしまう。
そんな臆病者の僕は以前に、織田信長と宮本武蔵とG馬場、その狡猾なまでの慎重さというエントリーを書いた。
歴史上の人物、あるいは有名人で誰がもっとも臆病か=慎重かというネタだ。
最近、それに関連して、新たなる臆病者を発見したのでここに記しておきたい。
まずは、僕の敬愛する内田樹先生の「態度が悪くてすみません」における東郷平八郎(蔦紋)の話だ。
東郷には徒歩で通行しているとき、前方に馬がいたので、道の反対側にまわってそれを避けたという逸話もある。これを見た人が「武人のくせに、荷馬ごときを恐れるとは」と笑ったそうであるが、東郷は「どんなおとなしい馬でも、何かのはずみで狂奔して人を傷つけることがあるやもしれない。道を迂回すれば、そのわずかな機会に遭遇しても無事を保てる。荷馬に蹴られてつとめに支障が出ることこそ武人の恥である」とすましていたそうである。
これはいいことを聞いた。これから僕も道を歩いていて、先方から恐い人や猛犬が来たら、これを言い訳に、道を曲がるとしよう。これこそ、武人のたしなみである。ちなみに、僕が内田先生を敬愛するのは、その著作の素晴らしさもさることながら、Twitterで先生の家紋を尋ねたところ、快く、横木瓜だと教えていただいたからである。さすが武人である。余裕がおありになる。
また、もう一つ気になったのは、これも私が尊敬する山本七平の「日本人とは何か。」に紹介されている鎌倉幕府・二代目執権の北条義時の三男、北条重時(北条三つ鱗)の家訓である。(一部抜粋)
・・・たとえば、葬式の近くで笑うな、道は相手がだれであれ自分からゆずれ、酒の肴や菓子は人に多くとらせろ、料理は人より多くとるな、旅のとき人夫や馬に重いものを持たすな、百姓が垣内に植えた木の果実などを所望するな・・・
山本七平も感心しているが、なんという気くばりだろうか。いや、僕にいわせればなんという臆病さだろうか、馬にまで気をつかっているではないか!!
「龍馬伝」では土佐藩の上士と下士が道であったときには、下士が道をゆずらなくて、折檻を受けるシーンが出てきたが、もともとの鎌倉武士はこんなに臆病だったということは僕の興味をそそる。
おそらく、この臆病さこそ、人間の本性に根ざした振る舞いであり、真の武人の証といえるのではないだろうか、と臆病者の僕は勝手に思うのであった。
まさむね
テレビドラマ »
「龍馬伝」の第三部が始まった。先週からだ。
その前の週の放送で、武市半平太と岡田以蔵を助けようとした龍馬は、自分が吉田東洋を暗殺した真犯人だと後藤象二郎に嘘をつく。
そして、弥太郎の導きによって半平太の牢屋に行って、彼を説得しようとするのだ。
さらに、龍馬はその直前に実家に戻り、離縁してほしいと兄に告げる。彼が犯罪者になることによって、坂本家に迷惑がかかるのを阻止しようとしたということなのだ。
まぁ、これを史実ではないと言うほど僕は野暮ではないが、それにしても、彼が坂本家から離縁された直後の長崎の場面から組み合い角に桔梗紋をつけた羽織を着るようになる経緯に関しては、もう少し丁寧に彼の心情を追ってもいいのではないかと思った。
彼は物語上ではすでに坂本家の人間ではないのだ。ということは彼が紋付を着ることは単純に言えば矛盾しているのである。
しかし、逆に、だからこそ彼が心の中に「坂本家の魂」を持ち続けるために敢えて紋付を着続けることを決心したというような挿話があってもいいのではないかというのが家紋主義者の願望であった。
また、先週の話だが、長崎の料亭で長州の高杉晋作、伊藤俊輔、井上聞多が坂本龍馬をはじめとする海軍操練所上がりの脱藩浪士に初めて会うというシーンがあったが、坂本龍馬以上に、陸奥宗光に感情移入している僕にとっては、陸奥が江戸遊学時代に伊藤俊輔(後の伊藤博文)とはすでに出会っており、尊皇攘夷で意気投合しているという事実がまるで無視されているのにちょっとがっかり。
もし、陸奥の人生をメインストリームに物語を作るとしたら、江戸で伊藤と出会い、お互いに信頼関係を持っていたことが、後の伊藤内閣において彼が外務大臣として抜擢され、条約改正を成し遂げる伏線となるはずなのである。
ちなみに、陸奥宗光に対する思い入れは、「家紋主義宣言」にも書かせていただいたが、僕と宗光のお孫さんの陽之助氏(実はこの陽之助という名前は宗光のあざなでもある)とのちょっとした縁があったからなのである。
陸奥家三代に流れる冷徹なリアリズムをNHKはどの程度描いてくれているのだろうか、それが今後の「龍馬伝」の楽しみだ。
まさむね
社会問題 »
まさむねさんに「Body主義は家紋主義と対極にあるのかもしれない」というご返事の文章をいただいた。その中でまさむねさんが引用していた山田先生の「自分の仕事と家庭が流動化している現在、自分の肉体のみが、自分が生きている間続く唯一の自分の「持ち物」となる。自分が自分であるところの拠り所」という箇所。これなどは個がむき出しになっていてもはや頼るべきものがない現在のなかで、良い悪いは別にしてかろうじて自分を確認するために身体や暴力しかなくなっていることにも通じているのかもしれない。
時代はデジタル放送とか3D元年とかハイビジョンとか、とかく映像的なものが持てはやされるようなキライがなくもないが、実はその一方で今後ますます身体的なもの(取り残された身体)が横溢するシーンが増えてゆくかもしれない。マッチョや健康志向の身体ということではなく、実は身体こそもっとも不自由なもの、意のままにならないものとして再認識される可能性もあるように思うのだ。そういうものとしての身体、Bodyの再確認の必要性があるようにも思う。これはアメリカ流のBodyの文脈とは違うものとして。
それからすでに20世紀の後半以降21世紀を迎え、時代は紛れもなくアーカイブ(記憶)の世紀に入ったのだとぼくは思っている。どちらかと言うと20世紀前半からその終わり近くまでは映像の世紀(特に大衆映画とTVの登場以降)と定義できるとするなら、20世紀の最後の10年間以降からはむしろ記憶の世紀に重きが移ってきていると思う。PCや携帯電話やデジカメ等の新しいパーソナル・メディアが登場してから、ぼくらは意識するしないにかかわらず日毎夜毎に膨大なデータの蓄積と個人の履歴にさらされるようになっている。そして自分たちではその一々についてもはやどうにも意味づけできないためにとりあえずすべてを保存(アーカイブ)しておく必要性が生じてきている。
もっと大げさにいうなら、人類全体がやっぱり「われわれはどこから来たのか、どこへ行くのか、われわれは何者なのか」をいろんな角度で知りたがるということ。今、世界遺産にかぎらずいろんな遺産がブームになってきているように思うのだ。仏像ブームにしろ平城京遷都1300年にせよ、環境や自然保護にせよ、いろんな履歴が横溢しているなかで、一度われわれの遺産が何だったのかを検証しておく必要性のようなもの。それが高まってきていると思う。膨大なデータ(記憶や遺産)が増えつつあるなかで間違いなくアーカイブの整理が主題になってきていると思えるのだ。もちろん個人単位を越えて、だ。
そしてそのひとつの寓話(整理整頓の手法の一つ)を汲み取るものとして、上記の風潮のなかに家紋主義が交差してくるポテンシャルがあるとも思えるのだ。まさむねさんが言うようにたしかに「日本人は代々続く家系という物語を失ったからBodyに関心を持つようになった」。また成長という神話ももはやその命脈は尽きかけている。それはそれで仕方ない。
だが、その一方でだからこそより多様なかたちで「われわれはどこから来たのか、どこへ行くのか、われわれは何者なのか」を知るための手がかりが再び求められてくるようになるとも思える。自らのクラシック(古典)や過去などの来歴を知ること。帰り道を確認するための作業として。そのすべてに答えられるわけではないけど、その一隅を照らすようなものとして家紋主義が時代に交差してくるひとつの意味がある、とぼくは思う。だからこそ、あらためて時代は家紋(家紋的なもの)を求めてきているのだ、と繰り返し言いたい気がするが、如何でしょうか。
よしむね
社会問題 »
山田昌弘先生の「なぜ若者は保守化するのか」という本の中には、現代人がアイデンティティを確認する手段として、消費と同時に身体というのもがあるということを書いている。
よしむねさんの「DaddyとBody」を読ませていただき、山田先生の論がまず頭に浮かんだ。
その箇所(36ページあたり)を引用してみよう。
そしてもう一つのアイデンティティを確認させてくれる手段が「身体」なのである。バウマンは前近代社会では、職業や家庭は個人の肉体の時間を超えて続くものであったという。代々の職業、代々続く家系は、自分の人生を超えて続くはずのものであった。近代にあってしばらくの間は、仕事も家族も一度手に入れると、「一生もの」として、自分の人生と同じ時間続くとしてよかった。にほんではおおむね50歳以上の人は、そうした感覚を持っているだろう。それゆえリストラされたり離婚された中高年の男性の心理的ショックは大きく、自殺も増える。
しかし仕事と家庭が流動化している現在、自分の肉体のみが、自分が生きている間続く唯一の自分の「持ち物」となる。自分が自分であるところの拠り所として、身体への関心がたかまるのもこのような理由からである。
よしむねさんがおっしゃる通り、Bodyへの意識に関しては、アメリカが突出しているように思われるが昨今の日本の健康志向も、それと同じ地平にあるのは確かだ。
僕はC型肝炎で痛い目にあったが、実はそれほど身体に対する意識が高くはない。正直、あまり関心がないのである。僕はそれ以上に「意識」や「価値」といったものの方に関心がある。だから、自分の身体をどうこうしようというよりも、なぜ人は身体に対してこれほど異常に関心を持つのかということを考えることのほうに興味があるのである。
そういう意味で僕は真に「おたく(オタクではない)」だと思う。
さて、山田先生の論を大雑把に自分的に要約するならば、日本人は代々続く家系という物語を失ったからBodyに関心を持つようになったということである。ということは僕が家紋主義などと言って、家紋という過去への帰り道(物語)を日本人のアイデンティティとして重んじる志向と、自分の身体にそれほど興味が無いということはどこかでつながっているのかもしれない。
おそらく、歴史を徐々に忘れつつある日本人はこれからどんどん、身体重視の傾向になっていくに違いない。それは一方でアイデンティティを支える消費がしにくくなっているからでもあるが、反面、日本人が世界へ提示(輸出)できる価値として、低エネルギー消費のライフスタイル=オーガニック革命の伝統国であるというポジションが、さらにマスメディアなどによって喧伝されていくと予想されるからだ。
クールジャパンという流れは、現時点ではオタク文化、ファッションなどにフォーカスがあたっているようにも思えるが、実はフードライフスタイルのほうが需要があるのかもしれない。
では、家紋主義はそんな中でどこにスタンスを取るべきなのだろうか...これは僕のテーマだ。引き続き考えていきたいと思う。
まさむね
時事ネタ »
今年の夏は、僕にとって初体験の「オタクの夏」になる予定。
7月25日 ワンダーフェスティバル 幕張メッセ
8月01日 ワールドコスプレサミット 名古屋大須
8月15日 コミックマーケット78 東京ビックサイト
そして、9月中旬の東京ゲームショウ... 幕張メッセ
今日はその初日のワンダーフェスティバルを見学しに幕張メッセに行った。
朝、9時半に会場に到着するも、すでに長蛇の列。みんなお目当てのフィギュアを買おうと汗だくになっている。さすが、歴戦のツワモノという感じだ。
僕は特にフィギュアには興味は無いが、参加者の情熱には敬意を表したい。やっぱり、日本は職人の国だ。
この日のために、手作りのフィギュアを持って日本全国から集まってきた人々、本当に楽しそうである。
その中で、自分の趣味と若干近い空間を発見した。
それは、木彫職人・西村宜繁氏の家紋彫刻承りますというブース(西村宜繁のアトリエにようこそ、、参照のこと)だ。
さすが、ワンダーフェスティバルだけあって、彫られていたサンプルはバイオハザード紋。
伊達家の仙台笹以外だったら、3万円で彫っていただけるそうだ。(ちなみに、仙台笹はその倍くらいとのこと...)
また、その隣にあったのが前田利長の木彫り人形。
兜の梅鉢がかわいい。
それにしても、ワンダーフェスティバルは凄い熱気だ。今でこそ、幕張メッセの第1ホール~第8ホールぶち抜き、総動員観客数が4万人(一日)のイベントにはなっているが、ここまで来るのに25年かかっているのだ。途中、業者間の過剰なライバル意識、アマチュア人形造型師の権利問題など、いろんな難関を乗り切って本日を迎えたことは素晴らしい。
しかし、もともとはプラモデルというメジャーなマーケットに対するインディとして徐々に成長していったという歴史のあるフィギュア界であるが、そのメインストリームたるプラモデル市場が段々細っているという大きな衰退の兆候があるという。
地道ではあっても、底辺の裾野を広げていくことが重要なのであろう。それは、アニメにしても、漫画にしても、どんなオタクジャンルにも共通した課題だ。
クールジャパンという日本のオタク文化の海外進出の流れが、一時の流行ではなく、ちゃんと製作者にメリットのある形で発展していくことが重要なのではないだろうか。
この夏、僕はそんなことを考えながら各会場を回ってみたいと思う。
まさむね
書評 »
もしかしたら、現代人にとって、成長というものは、すでに物語になりえないものなのかもしれない。
市川陽子さんの「下校拒否」を読んでそんなことを考えた。
確かに、成長というものが大人としての作法を身に付けるものだとしたら、現代ほど成長というもの自明性が崩壊してしまった時代はないかもしれない。
現代、どれだけの大人が、子供達に対して自信をもって自分のようになってほしいと言えるのだろうか。
あるいは、誰が、現時点でかろうじて支配的な作法に足の先から頭のてっぺんまで浸りきることが、これからの時代に生きていく上で必須なことだなどと言い切れるだろうか。
さて、この「下校拒否」は、小学校三年生で、突然、下校拒否を決意した主人公の「俺様」がその後、延々と9年間も学校に住み続けるという荒唐無稽な話である。そしてその間、学校に忍び込んだ泥棒と一悶着あったり、マラソン大会で世紀の大失敗をしたり、コンビニのバイトでは信じられないような先輩に出会ったりと、ほとんどギャグのような日常と戦っていくのだ。それぞれの小ネタは出来、不出来はあるものの一定の高テンションを保ちながら進むため、読んでいてまったく飽きを感じさせないのは凄い。
しかしこの小説は、ギャグであると同時に、精神的にも、肉体的にも一切の成長が止まってしまった男の悲劇でもあるのだ。彼は9年ぶりに(高校の三者面談で)会った母親にこう言われる。
だいたいあんた!いままでどこほっつき歩いていたのよ。ちょっと見ないうちには少しは成長してるかと思ったら、成長したのは眉毛だけで相変わらずチビのままで、しかもすっかり可愛げない声に変わっちゃって!唯一の取り柄もなくしちゃったのね...
おそらく、文学というものが、人間のどうしようもない性(さが)をメタフォリカルに描きだすものだとすれば、この「下校拒否」は、上記のような母親の身もふたも無いセリフ、そして次のような最後の一節で見事に文学たりえたのではないだろうかと思う。
ちなみに、面談後の母さんの第一声。
「で、あんた今までどこにいてたの?」
どうやら母さんの頭の中は終始キャリーバッグのことでいっぱいだったようだ。
自信が確信に変わった悲しい瞬間でした。
「俺様」が下校拒否を始めた時に、母親に内緒で、彼女のエルメスのキャリーバッグを拝借しており、9年ぶりに会った母親の最大の関心事は、なんと、そのキャリーバッグだったという胸を締め付けられるような悲劇的=喜劇的なオチ...
おそらく、小学生から高校生までに人は成長しなければならないという「倫理的リアル」よりも、その間に母親も全く変わっていなかったという「しょうもないリアリティ」を強引に物語にしてしまった「下校拒否」はまさに、成長は物語になり得ない時代の新しい物語だというのは言い過ぎだろうか。
まさむね
日常雑事 雑感 »
この間、早めの夏休みをとってハワイに行ってきた。たかがハワイ、でもされどハワイで何度行っても楽しいことは変わらない。当地では泳いだり、ドライブしたり、渓谷を歩いたりとゆっくりしてきたのだが、今回改めてアメリカはつくづくDaddyとBodyの国なのだなあと思った。
ビーチでたらっとしていると子供たちが何度も「Daddy、Daddy」と呼びかけているシーンに出くわすことがある。単に言葉の問題だけではなく、アメリカでは未だに父性や父権が健在なのだと思う。つまり父親が父親として(呼ばれることが)いまだ機能している社会なのだと思う。
アメリカ人は成年に達すると親元を離れていくことが当たり前とはよくいわれる。だからせめて子供時代だけは親も目一杯、彼らの子供たちと遊ぶ。そのときの親(特に父親)としての意識と記憶。それがアメリカ文化の大きな基層をなしていることはいまもそれほど変わらないように思うのだ。もちろん部分的にはいろんな崩壊があるとしても、だ。強い父親とカッコいい父親。父親に遊んでもらった子供時代の記憶。ベースボールにおけるキャッチボール、その記憶のDNAはまた自分の子供たちに引き継がれてゆく。だからアメリカはいまだにサッカーの社会ではなくベースボールが基本の国なのだ。
ぼくは子供がいないので自ら父親となった記憶がないのだけど、翻ってわがニホンはどうかというと、もう父親不在となってずいぶん久しいように思う。日本における(父権と)母権の問題についてはたとえば江藤淳の「成熟と喪失」や古くは柳田国男の「妹の力」などいろんな考察や展開が可能だと思うのだけど、ここではそれ以上については言及しない。ただ父親よりは依然母親が生きている(機能している)ようには思うのだが、いかがだろうか。
そして語呂合わせを楽しむ意図があるわけではないのだが、アメリカはDaddyにあわせてつくづくBodyの国なのだと思う。Bodyとはまさに肉体に対する意識の意味だ。それは鍛えられた肉体、健康な肉体からマッチョな肉体、そしていつまでも若々しいアンチ・エージングな意識まで含んだもの。
ここにもカッコいい父親の延長として自ら鍛えられた肉体を有している父親像が求められることにつながってゆくことになる。ぼくが滞在していたホテルでも夜になるとホテル内のジムにやってきてトレーニングに励む父親の姿が見られた。お父さんも強い父親を演じるためには汗だくになりながら大変なわけだ。
また単に男の側の問題だけではなく、アメリカ人のジョギングをふくめた健康志向やアンチ・エージングや美容に対する意識の高さなど、男も女もつくづくBodeライクな社会だなあと思う。映画「SEX AND CITY]も一面その産物だろう。Bodyへの志向性の強さからはある意味で行き過ぎた異常な状態とも言えるかもしれない。日本でも似たような(後追い的な)風潮もないではないが、基層での先駆性ではいまだにアメリカが突出しているように思う。それがいい悪いはここでは論述するつもりはない。
今後アメリカがどこに向かってゆくのか、21世紀が世界的にどういう世の中の風潮になってゆくのか、ぼくには分からないが、アメリカにおいてDaddyとBodyがどのように変質してゆくのか、それを見てゆくこともヒントのひとつにはなるかもしれないとも思う。そして日本におけるDaddyとBodyとは何かについて、あらためて考えてみたい気もする。どなたか、ぜひご意見でもください。コメントもお待ちしています。
よしむね
日常雑事 雑感, 書評 »
以前どこかで、坂本龍一が「自分は時間が出来ると、周期的に、柳田國男を読み返す。」というようなことを書いていた。一瞬、坂本龍一の音楽と柳田國男の民俗学の接点は何だろうと想い迷うが、多分、そんなことは深く考える必要は無いのだろう。
人は誰にでも、日常生活の雑事にまみれて、フッと自分に返ったときに読み返したくなる本というのは確かにあるものだ。しかも、それは日常の活動とは関係なければ関係ないほど、逆に意味があるのかもしれないのだ。
自分にとってそれは誰だろうと考えてみた。小林秀雄か?鈴木大拙か?
そういえば、先日、鎌倉の東慶寺の鈴木大拙の墓に参った。
この寺は、苔むした山の斜面に渋い墓が並んでいる。岩波茂雄、高見順、西田幾太郎、和辻哲郎、谷川徹三、野上弥生子、そして小林秀雄や鈴木大拙の墓がある。ほとんどの墓には僕が確認したかった家紋は無い(例外的に谷川徹三の墓にだけ丸に九枚笹が彫られている)。
しかも自然石の墓である。いわゆる鎌倉文化人独特の美意識がこんな墓の形状にも表れているのだ。
さて、先ほどの問いに戻る。僕が自分に返ったときに読み返したくなる本、おそらくそれは山本七平かもしれない。
山本七平といえば、70年代の本多勝一との論争が有名だ。あれは、プロレス的にいえば本多の頭突きを山本が受けるという闘いだった。
さて、彼の「日本人とは何か?」は名著である。冒頭近辺に、韓国や中国と対比した日本のオリジナリティは何かという友人との会話が出てくる。
それによると、女帝、かな、日本料理、そして紋章...これらがいわゆる日本オリジナルなものではないかという。ちょっとした話の導入だが、日本のオリジナルなものに紋章(家紋)が出てくるのはことの他うれしい。(それなのに彼の小平霊園の墓には家紋がない。)
日本とは何かを考えるとき、それは同時に「何故、日本にだけ家紋というものがあるのか」という問いに滑らせて考えてもいいのではないかと個人的に思っている。これは僕の個人的なテーマだ。
朝の通勤前の文章なのでご勘弁いただきたいのだが、僕はいつも、こういう文章を書くときに、ちゃんと引用元の文章を書けばいいのだけれど、いつもいい加減に記憶で書いてしまう。ご興味があるかたは原著にあたっていただければと思います。
まさむね
散歩 »
昨日は、TBC(東京墓石倶楽部)にて、鎌倉の寺々を回り、家紋採取を行った。
暑い中、本当によく歩いた。
北鎌倉駅→円覚寺→浄智寺→東慶寺→建長寺→鶴岡八幡宮→覚園寺→瑞泉寺→寿福寺→成福寺→大船駅という経路だ。途中、瑞泉寺から寿福寺だけはタクシーを利用したが、他は全て徒歩、いやはや。
さて、まずは、このエントリーでは円覚寺について語ってみたいと思う。
円覚寺には、田中絹代、小林正樹、佐田啓二、木下恵介、小津安二郎といった松竹系の大物の墓が多い。
境内に入ってすぐに左手に松嶺院という塔所があり、その裏山に墓所があり、田中絹代、小林正樹、佐田啓二等が眠っている。
佐田啓二はご存知の方も多いかと思うが、中井貴一の父、37歳の若さで交通事故で亡くなった往年の男前俳優である。
デビュー作は木下恵介監督の『不死鳥』、そこでいきなり当時の大女優・田中絹代の相手役として抜擢されたのだ。
その役柄は、結婚一週間後に出征して帰らない悲しい兵隊の役だ。しかし、その映画では二人の接吻シーンが一世を風靡し、後の佐田のスターへの道筋をつけたという。
僕が驚いた(感心した)のは、そんな佐田啓二の墓と田中絹代の墓が、まさしく背中合わせに建っていたということ。
つまり、佐田啓二と田中絹代は『不死鳥』と同様に、永遠に抱き合うことが出来ない悲しい運命を墓の位置が表現しているのである。亡くなった後も、二人は役柄の中では生きていて、僕らの想像を掻き立てる。根っからの俳優だということである。
これはちょうど、雑司が谷霊園で、15代目市村羽左衛門(斬られ与三郎役が役)と6代目尾上梅幸(お富さん役)の墓が並んでいるのと同じセンスである。(「切られ与三郎の三つ盛り揚羽蝶に江戸のイキを感じる」参照)
しかも、田中絹代の墓所は、監督・小林正樹の墓所でもある。ご存知の方も多いと思うが、この小林正樹は田中絹代の又従姉(はとこ)にあたり、田中の死の間際、身寄りのいない彼女の借金の返済などに奔走し、毎日映画コンクールに「田中絹代賞」を創設させた人物としても知られている。
おそらく、小林は大女優・田中絹代に対して、生涯、特別な愛情を抱いていたのであろう。佐田啓二の墓と背中合わせに彼女の墓を建て、後には田中の墓に、自分も入ったのである。
ちなみに、そんな佐田啓二、田中絹代、小林正樹の三人の墓を見護る位置に好奇心旺盛だった開高健の墓があるというのもちょっと笑わせる。
さて、そんな小林正樹が師匠として仰いだのが木下恵介だが、彼の墓は、同じ円覚寺の境内だが、山門から見て右手の奥の方にある。小林達の墓とは距離を置いているのだ。そこの墓は左図(墓所にあった地図を撮影)のような配置になっているが、これはこれで僕の想像(邪推)を掻き立てるものがある。
実は、その木下はホモセクシュアルだったという。一度、結婚をしているが、新婚旅行で見切りをつけ、性的関係のないまま離別したというのだ。彼の墓は、彼が長らく助監督を務めた小津安二郎(生涯独身)の墓の一列離れたそばにあり、小津の「無」と書いてある墓石を永遠に眺める位置にあるのである。
しかし、小津の墓にはおそらくファンが置いたのであろう酒瓶や花で埋まりにぎやかであったが、木下恵介の墓はどこかさびしそうに苔むしていたであった。
まさむね
散歩 »
会社の近くの渋谷川にかかるこうしん橋の脇に庚申塚がある。
この橋供養碑は、寛政十一年(1799年)に建てられた橋供養塔であって数の少ない珍しいものです。
上部の青面金剛のほかに、四面すべてに橋講中世話役や万人講および、個人の名が多数きざまれてます。
渋谷区教育委員会がこう解説している。もともと庚申塚というのは、すごく簡単に言えば、「60日に一度の庚申の日に眠ると三尸が体から抜け出し、天帝にその人間の罪悪を告げ、その人間の命を縮めるとされる」(Wikiより)中国の民間信仰(道教)の俗信をネタに、その日に寝ずの宴会をしたことを記念に作られた塚である。
つまり、当時の庶民は、自分達の普段の些細な悪行を改めようとするのではなく、その悪行を伝えさせないようするという方法で罪にたいする罰を逃れようとしたのだ。
もちろん、それは、悪知恵というよりも、多少の洒落と解釈すべきだろう。僕はそんな人々のいいかげんな共犯的振る舞いこそ日本的だと思う立場である。
しかし、この庚申信仰は、明治政府が俗信として廃することによって、近代以降は廃れてしまったという。
近代そして現代という時代はこうして一つづつ、人々からおおらかさ、そしてそれに基づいた結びつきを奪っていった過程なのである。
僕はこの庚申塚を通るたびに、そんな古きよき風習のことに思いを馳せる。それにしても、この庚申塚は青面不動が掘ってあるのだが、そこには、世田谷、用賀、四谷千駄ヶ谷などの人々の名前が彫られているのが面白い。
おそらく、それらの比較的広い範囲の人々がこの渋谷川界隈を頻繁に通っていたのだろう。そしてそれらの人々は比較的裕福だったのだろう。だから、お布施としてこの石塔を建てたのだろう。
神社に行くと僕は周りを囲っている石塔に書いてある名前に注目することにしている。そうするとその土地のかつての有力者、いわゆるお大尽の家が分るのだ。例えば、新宿花園神社の石塔には「伊勢丹」の名前が彫られている。それによって、新宿という土地に歴史的にもっとも根付いている企業は「伊勢丹」だということをあらわしている。それは三越でも、丸井でも京王でも、小田急でも、西武でもないということなのだ。
そして、そういったお大尽が土地の人々に仕事を与える、いわゆる公共事業的な意味で、かつては寺社などが作られていたのであろう。それが日本中に寺社が存在していることの大きな理由だと思う。
なにせ、日本全国のコンビニの数よりも、稲荷神社の数の方が圧倒的に多い。それは日本人は信仰が篤いということと同時に、金をお大尽から庶民に回すためのシステムの結果なのである。
現在、民主党政権によって、かつてのそういった金回りのシステムがさらに壊されつつある。子供手当てや農業の個別支援策などがそうだ。そこには、村や町の「顔役つぶし」をする、そこには、日本のシステムを根本的に変えようとしているという大きなテーマがあるのだ。
僕も一時期はそういった地域社会の構造改革に対して支持をしていたが、最近は、いかがなものかと思うようになってきた。
おそらく、一人一人が自立して生きていけるほど、僕らは強くない。
お上(天帝)にゆるく逆らいながら、お互いの些細な悪行を許しあう共犯的な夜通しの宴会を楽しんできた、したたかな洒落っ気こそが僕らの伝統なのである。
まさむね



