成長というものが物語になり得ない時代の物語~「下校拒否」~
もしかしたら、現代人にとって、成長というものは、すでに物語になりえないものなのかもしれない。
市川陽子さんの「下校拒否」を読んでそんなことを考えた。
確かに、成長というものが大人としての作法を身に付けるものだとしたら、現代ほど成長というもの自明性が崩壊してしまった時代はないかもしれない。
現代、どれだけの大人が、子供達に対して自信をもって自分のようになってほしいと言えるのだろうか。
あるいは、誰が、現時点でかろうじて支配的な作法に足の先から頭のてっぺんまで浸りきることが、これからの時代に生きていく上で必須なことだなどと言い切れるだろうか。
さて、この「下校拒否」は、小学校三年生で、突然、下校拒否を決意した主人公の「俺様」がその後、延々と9年間も学校に住み続けるという荒唐無稽な話である。そしてその間、学校に忍び込んだ泥棒と一悶着あったり、マラソン大会で世紀の大失敗をしたり、コンビニのバイトでは信じられないような先輩に出会ったりと、ほとんどギャグのような日常と戦っていくのだ。それぞれの小ネタは出来、不出来はあるものの一定の高テンションを保ちながら進むため、読んでいてまったく飽きを感じさせないのは凄い。
しかしこの小説は、ギャグであると同時に、精神的にも、肉体的にも一切の成長が止まってしまった男の悲劇でもあるのだ。彼は9年ぶりに(高校の三者面談で)会った母親にこう言われる。
だいたいあんた!いままでどこほっつき歩いていたのよ。ちょっと見ないうちには少しは成長してるかと思ったら、成長したのは眉毛だけで相変わらずチビのままで、しかもすっかり可愛げない声に変わっちゃって!唯一の取り柄もなくしちゃったのね...
おそらく、文学というものが、人間のどうしようもない性(さが)をメタフォリカルに描きだすものだとすれば、この「下校拒否」は、上記のような母親の身もふたも無いセリフ、そして次のような最後の一節で見事に文学たりえたのではないだろうかと思う。
ちなみに、面談後の母さんの第一声。
「で、あんた今までどこにいてたの?」
どうやら母さんの頭の中は終始キャリーバッグのことでいっぱいだったようだ。
自信が確信に変わった悲しい瞬間でした。
「俺様」が下校拒否を始めた時に、母親に内緒で、彼女のエルメスのキャリーバッグを拝借しており、9年ぶりに会った母親の最大の関心事は、なんと、そのキャリーバッグだったという胸を締め付けられるような悲劇的=喜劇的なオチ...
おそらく、小学生から高校生までに人は成長しなければならないという「倫理的リアル」よりも、その間に母親も全く変わっていなかったという「しょうもないリアリティ」を強引に物語にしてしまった「下校拒否」はまさに、成長は物語になり得ない時代の新しい物語だというのは言い過ぎだろうか。
まさむね





こんばんわ!
早速読んでくださってたのですね!!ありがとうございます!!
まさむねさんのブログ、あの後何回か遊びに行ってたのに・・・今日までこの記事の存在に気づけませんでした(爆)
申し訳ないです。
嬉しい書評ありがとうございました!
まさかわざわざ記事にまでして下さるとは思ってもいなかったので。
人の意見ってやっぱり面白いです♪
「あ、そういう取り方もあるんやな」っていう発見もあるので。
実際問題私この作品、何にも考えず書いてたので(笑)
本当にこの主人公と同じく「登校拒否」連想して出来たものなので。
私も楽しく書いてたので、楽しんで読んでくださったのが何よりうれしいです!
でも実際出来あがったのを読んでみたら
「・・・もっとおもしろく出来たわ!」と、改良点の多さに少し後悔しました。
でもやっぱり、今回のような意見を聞いたり読んだりすると、「書いて良かった~!」って思います♪
まだまだ勉強中というより修行の身です。
次出すものはもっといいものというか、もっと「書いて良かった」「読んで良かった」と思えるような作品を書いていきたいです。
まだ心臓の震えが止まりません。
本当にありがとうございます!!
ようこさんへ
こんにちは。今、手元に御本がないので正確ではないかもしれませんが、「母さん」は確か、9年間で逆に若返っていましたよね。
そこがまた、面白い。アンチエイジングに代表されるような現代女性達の、ある意味、自然の摂理に反する願望が、実は「下校拒否」の世界を支配している原理だったとも読めます。
つまり、「俺様」が「下校拒否」していたのは、母さんの願望だったのかもしれないということです。
最近、ネグレクトが話題になっていますが、そんなことも、ほのかにイメージさせる深さがこの「下校拒否」にはあると思いました。
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