Articles Archive for 7 月 2010
書評 »
もしかしたら、現代人にとって、成長というものは、すでに物語になりえないものなのかもしれない。
市川陽子さんの「下校拒否」を読んでそんなことを考えた。
確かに、成長というものが大人としての作法を身に付けるものだとしたら、現代ほど成長というもの自明性が崩壊してしまった時代はないかもしれない。
現代、どれだけの大人が、子供達に対して自信をもって自分のようになってほしいと言えるのだろうか。
あるいは、誰が、現時点でかろうじて支配的な作法に足の先から頭のてっぺんまで浸りきることが、これからの時代に生きていく上で必須なことだなどと言い切れるだろうか。
さて、この「下校拒否」は、小学校三年生で、突然、下校拒否を決意した主人公の「俺様」がその後、延々と9年間も学校に住み続けるという荒唐無稽な話である。そしてその間、学校に忍び込んだ泥棒と一悶着あったり、マラソン大会で世紀の大失敗をしたり、コンビニのバイトでは信じられないような先輩に出会ったりと、ほとんどギャグのような日常と戦っていくのだ。それぞれの小ネタは出来、不出来はあるものの一定の高テンションを保ちながら進むため、読んでいてまったく飽きを感じさせないのは凄い。
しかしこの小説は、ギャグであると同時に、精神的にも、肉体的にも一切の成長が止まってしまった男の悲劇でもあるのだ。彼は9年ぶりに(高校の三者面談で)会った母親にこう言われる。
だいたいあんた!いままでどこほっつき歩いていたのよ。ちょっと見ないうちには少しは成長してるかと思ったら、成長したのは眉毛だけで相変わらずチビのままで、しかもすっかり可愛げない声に変わっちゃって!唯一の取り柄もなくしちゃったのね...
おそらく、文学というものが、人間のどうしようもない性(さが)をメタフォリカルに描きだすものだとすれば、この「下校拒否」は、上記のような母親の身もふたも無いセリフ、そして次のような最後の一節で見事に文学たりえたのではないだろうかと思う。
ちなみに、面談後の母さんの第一声。
「で、あんた今までどこにいてたの?」
どうやら母さんの頭の中は終始キャリーバッグのことでいっぱいだったようだ。
自信が確信に変わった悲しい瞬間でした。
「俺様」が下校拒否を始めた時に、母親に内緒で、彼女のエルメスのキャリーバッグを拝借しており、9年ぶりに会った母親の最大の関心事は、なんと、そのキャリーバッグだったという胸を締め付けられるような悲劇的=喜劇的なオチ...
おそらく、小学生から高校生までに人は成長しなければならないという「倫理的リアル」よりも、その間に母親も全く変わっていなかったという「しょうもないリアリティ」を強引に物語にしてしまった「下校拒否」はまさに、成長は物語になり得ない時代の新しい物語だというのは言い過ぎだろうか。
まさむね
日常雑事 雑感 »
この間、早めの夏休みをとってハワイに行ってきた。たかがハワイ、でもされどハワイで何度行っても楽しいことは変わらない。当地では泳いだり、ドライブしたり、渓谷を歩いたりとゆっくりしてきたのだが、今回改めてアメリカはつくづくDaddyとBodyの国なのだなあと思った。
ビーチでたらっとしていると子供たちが何度も「Daddy、Daddy」と呼びかけているシーンに出くわすことがある。単に言葉の問題だけではなく、アメリカでは未だに父性や父権が健在なのだと思う。つまり父親が父親として(呼ばれることが)いまだ機能している社会なのだと思う。
アメリカ人は成年に達すると親元を離れていくことが当たり前とはよくいわれる。だからせめて子供時代だけは親も目一杯、彼らの子供たちと遊ぶ。そのときの親(特に父親)としての意識と記憶。それがアメリカ文化の大きな基層をなしていることはいまもそれほど変わらないように思うのだ。もちろん部分的にはいろんな崩壊があるとしても、だ。強い父親とカッコいい父親。父親に遊んでもらった子供時代の記憶。ベースボールにおけるキャッチボール、その記憶のDNAはまた自分の子供たちに引き継がれてゆく。だからアメリカはいまだにサッカーの社会ではなくベースボールが基本の国なのだ。
ぼくは子供がいないので自ら父親となった記憶がないのだけど、翻ってわがニホンはどうかというと、もう父親不在となってずいぶん久しいように思う。日本における(父権と)母権の問題についてはたとえば江藤淳の「成熟と喪失」や古くは柳田国男の「妹の力」などいろんな考察や展開が可能だと思うのだけど、ここではそれ以上については言及しない。ただ父親よりは依然母親が生きている(機能している)ようには思うのだが、いかがだろうか。
そして語呂合わせを楽しむ意図があるわけではないのだが、アメリカはDaddyにあわせてつくづくBodyの国なのだと思う。Bodyとはまさに肉体に対する意識の意味だ。それは鍛えられた肉体、健康な肉体からマッチョな肉体、そしていつまでも若々しいアンチ・エージングな意識まで含んだもの。
ここにもカッコいい父親の延長として自ら鍛えられた肉体を有している父親像が求められることにつながってゆくことになる。ぼくが滞在していたホテルでも夜になるとホテル内のジムにやってきてトレーニングに励む父親の姿が見られた。お父さんも強い父親を演じるためには汗だくになりながら大変なわけだ。
また単に男の側の問題だけではなく、アメリカ人のジョギングをふくめた健康志向やアンチ・エージングや美容に対する意識の高さなど、男も女もつくづくBodeライクな社会だなあと思う。映画「SEX AND CITY]も一面その産物だろう。Bodyへの志向性の強さからはある意味で行き過ぎた異常な状態とも言えるかもしれない。日本でも似たような(後追い的な)風潮もないではないが、基層での先駆性ではいまだにアメリカが突出しているように思う。それがいい悪いはここでは論述するつもりはない。
今後アメリカがどこに向かってゆくのか、21世紀が世界的にどういう世の中の風潮になってゆくのか、ぼくには分からないが、アメリカにおいてDaddyとBodyがどのように変質してゆくのか、それを見てゆくこともヒントのひとつにはなるかもしれないとも思う。そして日本におけるDaddyとBodyとは何かについて、あらためて考えてみたい気もする。どなたか、ぜひご意見でもください。コメントもお待ちしています。
よしむね
日常雑事 雑感, 書評 »
以前どこかで、坂本龍一が「自分は時間が出来ると、周期的に、柳田國男を読み返す。」というようなことを書いていた。一瞬、坂本龍一の音楽と柳田國男の民俗学の接点は何だろうと想い迷うが、多分、そんなことは深く考える必要は無いのだろう。
人は誰にでも、日常生活の雑事にまみれて、フッと自分に返ったときに読み返したくなる本というのは確かにあるものだ。しかも、それは日常の活動とは関係なければ関係ないほど、逆に意味があるのかもしれないのだ。
自分にとってそれは誰だろうと考えてみた。小林秀雄か?鈴木大拙か?
そういえば、先日、鎌倉の東慶寺の鈴木大拙の墓に参った。
この寺は、苔むした山の斜面に渋い墓が並んでいる。岩波茂雄、高見順、西田幾太郎、和辻哲郎、谷川徹三、野上弥生子、そして小林秀雄や鈴木大拙の墓がある。ほとんどの墓には僕が確認したかった家紋は無い(例外的に谷川徹三の墓にだけ丸に九枚笹が彫られている)。
しかも自然石の墓である。いわゆる鎌倉文化人独特の美意識がこんな墓の形状にも表れているのだ。
さて、先ほどの問いに戻る。僕が自分に返ったときに読み返したくなる本、おそらくそれは山本七平かもしれない。
山本七平といえば、70年代の本多勝一との論争が有名だ。あれは、プロレス的にいえば本多の頭突きを山本が受けるという闘いだった。
さて、彼の「日本人とは何か?」は名著である。冒頭近辺に、韓国や中国と対比した日本のオリジナリティは何かという友人との会話が出てくる。
それによると、女帝、かな、日本料理、そして紋章...これらがいわゆる日本オリジナルなものではないかという。ちょっとした話の導入だが、日本のオリジナルなものに紋章(家紋)が出てくるのはことの他うれしい。(それなのに彼の小平霊園の墓には家紋がない。)
日本とは何かを考えるとき、それは同時に「何故、日本にだけ家紋というものがあるのか」という問いに滑らせて考えてもいいのではないかと個人的に思っている。これは僕の個人的なテーマだ。
朝の通勤前の文章なのでご勘弁いただきたいのだが、僕はいつも、こういう文章を書くときに、ちゃんと引用元の文章を書けばいいのだけれど、いつもいい加減に記憶で書いてしまう。ご興味があるかたは原著にあたっていただければと思います。
まさむね
散歩 »
昨日は、TBC(東京墓石倶楽部)にて、鎌倉の寺々を回り、家紋採取を行った。
暑い中、本当によく歩いた。
北鎌倉駅→円覚寺→浄智寺→東慶寺→建長寺→鶴岡八幡宮→覚園寺→瑞泉寺→寿福寺→成福寺→大船駅という経路だ。途中、瑞泉寺から寿福寺だけはタクシーを利用したが、他は全て徒歩、いやはや。
さて、まずは、このエントリーでは円覚寺について語ってみたいと思う。
円覚寺には、田中絹代、小林正樹、佐田啓二、木下恵介、小津安二郎といった松竹系の大物の墓が多い。
境内に入ってすぐに左手に松嶺院という塔所があり、その裏山に墓所があり、田中絹代、小林正樹、佐田啓二等が眠っている。
佐田啓二はご存知の方も多いかと思うが、中井貴一の父、37歳の若さで交通事故で亡くなった往年の男前俳優である。
デビュー作は木下恵介監督の『不死鳥』、そこでいきなり当時の大女優・田中絹代の相手役として抜擢されたのだ。
その役柄は、結婚一週間後に出征して帰らない悲しい兵隊の役だ。しかし、その映画では二人の接吻シーンが一世を風靡し、後の佐田のスターへの道筋をつけたという。
僕が驚いた(感心した)のは、そんな佐田啓二の墓と田中絹代の墓が、まさしく背中合わせに建っていたということ。
つまり、佐田啓二と田中絹代は『不死鳥』と同様に、永遠に抱き合うことが出来ない悲しい運命を墓の位置が表現しているのである。亡くなった後も、二人は役柄の中では生きていて、僕らの想像を掻き立てる。根っからの俳優だということである。
これはちょうど、雑司が谷霊園で、15代目市村羽左衛門(斬られ与三郎役が役)と6代目尾上梅幸(お富さん役)の墓が並んでいるのと同じセンスである。(「切られ与三郎の三つ盛り揚羽蝶に江戸のイキを感じる」参照)
しかも、田中絹代の墓所は、監督・小林正樹の墓所でもある。ご存知の方も多いと思うが、この小林正樹は田中絹代の又従姉(はとこ)にあたり、田中の死の間際、身寄りのいない彼女の借金の返済などに奔走し、毎日映画コンクールに「田中絹代賞」を創設させた人物としても知られている。
おそらく、小林は大女優・田中絹代に対して、生涯、特別な愛情を抱いていたのであろう。佐田啓二の墓と背中合わせに彼女の墓を建て、後には田中の墓に、自分も入ったのである。
ちなみに、そんな佐田啓二、田中絹代、小林正樹の三人の墓を見護る位置に好奇心旺盛だった開高健の墓があるというのもちょっと笑わせる。
さて、そんな小林正樹が師匠として仰いだのが木下恵介だが、彼の墓は、同じ円覚寺の境内だが、山門から見て右手の奥の方にある。小林達の墓とは距離を置いているのだ。そこの墓は左図(墓所にあった地図を撮影)のような配置になっているが、これはこれで僕の想像(邪推)を掻き立てるものがある。
実は、その木下はホモセクシュアルだったという。一度、結婚をしているが、新婚旅行で見切りをつけ、性的関係のないまま離別したというのだ。彼の墓は、彼が長らく助監督を務めた小津安二郎(生涯独身)の墓の一列離れたそばにあり、小津の「無」と書いてある墓石を永遠に眺める位置にあるのである。
しかし、小津の墓にはおそらくファンが置いたのであろう酒瓶や花で埋まりにぎやかであったが、木下恵介の墓はどこかさびしそうに苔むしていたであった。
まさむね
散歩 »
会社の近くの渋谷川にかかるこうしん橋の脇に庚申塚がある。
この橋供養碑は、寛政十一年(1799年)に建てられた橋供養塔であって数の少ない珍しいものです。
上部の青面金剛のほかに、四面すべてに橋講中世話役や万人講および、個人の名が多数きざまれてます。
渋谷区教育委員会がこう解説している。もともと庚申塚というのは、すごく簡単に言えば、「60日に一度の庚申の日に眠ると三尸が体から抜け出し、天帝にその人間の罪悪を告げ、その人間の命を縮めるとされる」(Wikiより)中国の民間信仰(道教)の俗信をネタに、その日に寝ずの宴会をしたことを記念に作られた塚である。
つまり、当時の庶民は、自分達の普段の些細な悪行を改めようとするのではなく、その悪行を伝えさせないようするという方法で罪にたいする罰を逃れようとしたのだ。
もちろん、それは、悪知恵というよりも、多少の洒落と解釈すべきだろう。僕はそんな人々のいいかげんな共犯的振る舞いこそ日本的だと思う立場である。
しかし、この庚申信仰は、明治政府が俗信として廃することによって、近代以降は廃れてしまったという。
近代そして現代という時代はこうして一つづつ、人々からおおらかさ、そしてそれに基づいた結びつきを奪っていった過程なのである。
僕はこの庚申塚を通るたびに、そんな古きよき風習のことに思いを馳せる。それにしても、この庚申塚は青面不動が掘ってあるのだが、そこには、世田谷、用賀、四谷千駄ヶ谷などの人々の名前が彫られているのが面白い。
おそらく、それらの比較的広い範囲の人々がこの渋谷川界隈を頻繁に通っていたのだろう。そしてそれらの人々は比較的裕福だったのだろう。だから、お布施としてこの石塔を建てたのだろう。
神社に行くと僕は周りを囲っている石塔に書いてある名前に注目することにしている。そうするとその土地のかつての有力者、いわゆるお大尽の家が分るのだ。例えば、新宿花園神社の石塔には「伊勢丹」の名前が彫られている。それによって、新宿という土地に歴史的にもっとも根付いている企業は「伊勢丹」だということをあらわしている。それは三越でも、丸井でも京王でも、小田急でも、西武でもないということなのだ。
そして、そういったお大尽が土地の人々に仕事を与える、いわゆる公共事業的な意味で、かつては寺社などが作られていたのであろう。それが日本中に寺社が存在していることの大きな理由だと思う。
なにせ、日本全国のコンビニの数よりも、稲荷神社の数の方が圧倒的に多い。それは日本人は信仰が篤いということと同時に、金をお大尽から庶民に回すためのシステムの結果なのである。
現在、民主党政権によって、かつてのそういった金回りのシステムがさらに壊されつつある。子供手当てや農業の個別支援策などがそうだ。そこには、村や町の「顔役つぶし」をする、そこには、日本のシステムを根本的に変えようとしているという大きなテーマがあるのだ。
僕も一時期はそういった地域社会の構造改革に対して支持をしていたが、最近は、いかがなものかと思うようになってきた。
おそらく、一人一人が自立して生きていけるほど、僕らは強くない。
お上(天帝)にゆるく逆らいながら、お互いの些細な悪行を許しあう共犯的な夜通しの宴会を楽しんできた、したたかな洒落っ気こそが僕らの伝統なのである。
まさむね




