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秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

9 9 月 2010 4 Comments

今日は久しぶりに涼しかった。
もう、秋かと思わせるような天気だった。

秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる

「古今和歌集」の藤原敏行朝臣の歌である。訳すまでもないだろう。今日のような日は、1000年以上も前に創られたこんな歌が口をついて出てくる。おそらく日本人ならば誰でも理解できる感覚だと思う。

ちなみに、この藤原敏行(朝臣)は、藤原(朝臣)敏行ではないということで、比較的位の低い公家だったことがわかる。井沢元彦的に言えば、この藤原敏行朝臣のように「三十六歌仙」というようなところに選ばれるような人は、どこか不遇だったのかもしれない。彼の不遇な人生がそこはかとなく、この歌から感じとれないだろうか。

さて、話を戻す。こんな日だから敢えて言っておきたい。
日本の伝統というのはこういった歌に対する感性の連続性にあるのであって、明治維新以降ににわかに出来上がった偏狭なナショナリズムイデオロギーとは一線を画するものであると僕は思う。
さらにいえば、小学生に英語やコンピュータ、それに金融の初歩を学ばせようなどという目先のソロバン勘定よりも、こういった歌を一つでも多く、覚えさせたほうがよっぽど深い人生を生きられるのではないだろうか。
ただし、そのことを理解するのには、このような歌を30年間位、体の中で眠らせて醸造させなければならないのだ。

僕は個人的には、中学、高校と古典というのが全く苦手だった。むしろ、苦痛だった。なんで、こんなものを学ばされるのかとすら思った。だからこそ、今、後悔して、こんなことを言っているのである。

まさむね

4 Comments »

  • よしむね said:

    まさむねさんへ

    内田先生も書かれているように、学ぶことの劣化ではありませんが、まず目的だの意味だのなどは後付けに過ぎないのですから、とにかく学ばせることが大事ですよね。同感です。そもそも役に立つ・立たないなんて最初から分かるわけがありません。むしろ人生ってたぶん役に立たないことの連続ですから。

  • 高澤 等 said:

    こんにちは

    よしむねさんが仰ってる役に立たないことの連続って実感として解りますね(^^;

    でも高校の時、数学の時間に「logなんて一生使わねーよ」と思っていたら、
    見事に社会人になったら毎日使っていました。
    まぁそれは一例ですけど。
    10万人に一人、100万人に一人の才能を探すための教育もおそらくあっていいのでしょう。
    理科系・文系に限らず世の中は案外そうした天才が見つけ出した物、作り出した物、
    描いた物によって支えられている部分が少なくないように思います。
    それに付き合わされる非才の人には迷惑この上ないのかもしれませんが、
    その退屈な時間に生まれた言葉や音符の羅列がまた世界の色を変えていったりもするし。

    意外と今やっていること、今感じていることの種は、
    ああ、あの時に埋めた奴がいま芽を出したのか、
    と思うことも多々あったりします。
    可能性の種をいっぱい蒔いておくことは決して無駄ではないですね(^^)

  • masamune (author) said:

    よしむねさんへ

    キャリア教育というのがはやっているようです。大学にはもっと、社会に出て役に立つようなことを学ばせるべきだという一見、もっともな意見です。

    しかし、そんなことをしても、就職できない人は出来ないし、役に立たない人は役に立ちません。
    社会に出ると、多くの場合、目の前にある問題は答えがそこにないかもしれないような問題ばかりです。
    「千と千尋の神隠し」の最後に、千尋が、湯婆婆から「この中にお前の両親はどれとどれだ?」というような問いを投げかけられます。ところが、千尋はその問いに答えがないことを見抜き、「ここには居ない」と答え、現実の世界に戻ることが許されます。
    これは論理の問題ではありません。何故、千尋があそこに父と母が居なかったのかは微妙ななぞとして残りますが、おそくら千尋は、「答えのない問題」それが現実というものということを体得するのでした。

    学校の先生達は自信を持って、子供達に役に立つかどうかも分らないことを教え続けてほしいと思います。

  • masamune (author) said:

    高澤先生へ

    コメントありがとうございます。

    ああ、あの時に埋めた奴がいま芽を出したのか、と思うことも多々あったりします。

    確かに、そんなことがたまにあります。そして、それが人生を深みのあるものとして感じさせてくれるようにも思います。実は、僕は中学、高校の頃、古典が好きではありませんでした。同様に、社会は歴史よりも地理の方が得意でした。大学受験も地理Aという科目で突破しました。
    でも、今は立派に方向音痴になっていますwwし、歴史大好き人間になっています。

    自分が本当は何に向いているかなど、10代の頃にはわからないですよね。
    最近、50歳過ぎの人に数学(微積分)なんかが静かなブームだそうですね。あの頃、受験勉強ということでわけもわからなく、やらされた事の意味がその年齢になって湧き出てくるんでしょうね。
    学生の頃に詰め込んだものが氾濫(=反乱)を起こすというか。
    これからの時代、日本はどんどん物質的には貧しくなっていくと思われていますが、そんな来るべき時代に、日本人は自家用車を手放してでも、家で数学の問題をやっていると言われるのも乙なものではないでしょうか。

    なんてね。

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