Articles Archive for 12 月 2010
歴史・家紋 »
稲は、古来、日本人の主食であり、その生育をあずかる神は信仰に対象でもあった。
皇室の行事には稲の生育に関するものが多いのは日本人と稲との結びつきの深さを表している。
また、稲は、「実るほど、首を下げる稲穂かな」と言われるように、日本人の謙虚さの象徴もある。
全国にあるお稲荷さんの神紋。全国のお稲荷さんの境内の旗指物には必ず稲紋が見られる。
また、稲紋は、熊野権現の流れを汲む鈴木氏の代表紋でもある。それゆえに、鈴木姓の多い静岡県を中心に東海地方に多く見られる。
尺振八。1839年 - 1886年11月28日、教育者、英学者。
江戸佐久間町出身。読みは、せきしんぱち。幕府に出仕し遣欧使節団に翻訳方として同行。予備校・共立学舎を両国に創設。その後、大蔵省に出仕し翻訳局長となる。社会学という言葉を初めて使用。家紋は包み抱き稲紋。青山霊園の墓所にて撮影。
穂積陳重。1856年8月11日 - 1926年4月7日、司法官。
愛媛県宇和島市出身。読みは、ほづみのぶしげ。穂積家は伊達家譜第の家臣。英吉利法律学校(中央大学の前身)の創立者の一人。民法典の起草にあたり枢密院議長も務める。家紋は変り抱き稲の丸紋。画像は谷中霊園にある義妹・穂積郷子墓で撮影。
珍田捨巳。1857年1月19日 - 1929年1月16日、外交官、侍従長。
弘前藩士珍田有孚の長男として出生。読みは、ちんだすてみ。皇太子(後の昭和天皇)の訪欧に際して訪欧供奉長となる。日露戦争後の講和条約締結交渉で小村寿太郎を補佐。裕仁親王の即位後、侍従長に就任。家紋は抱き稲紋。青山霊園にて撮影。
大佛次郎。1897年10月9日 - 1973年4月30日、作家・小説家。
神奈川県横浜市英町10番地の宮大工の家に出生。本名は野尻清彦。「大佛次郎」のペンネームは鎌倉大仏裏に住んでいたところから来る。『鞍馬天狗』シリーズの作者として有名。画像は鎌倉・寿福寺の墓所にある稲の丸紋。
田波靖男。1933年12月12日 - 2000年3月21日、脚本家・作家。
東京出身。ペンネームに「梅野かおる」「大井みなみ」がある。『ニッポン無責任時代』等、クレージーキャッツの映画の脚本を多数手がける。また、『青春とはなんだ』『太陽にほえろ!』等多くの人気テレビドラマの脚本も執筆。家紋は抱き結び稲紋。
藤村有弘。1934年3月6日 - 1982年3月16日 、俳優・声優。
東京府東京市神田区出身。喜劇役者として映画などで個性的な役柄を演じた。代表出演作は『日本一の男の中の男』『クレージーの大爆発』。『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョの声やインチキ外国語の芸で一世を風靡。家紋は包み抱き稲紋。
神田山陽(3代目)。1966年1月14日 - 、講釈師。
北海道常呂郡留辺蘂町出身。本名は稲荷啓之。落語芸術協会会員。文化庁芸術祭演芸部門新人賞受賞。2002年8月に真打となり、3代目 神田山陽を襲名。また、「にほんごであそぼ(NHK教育テレビ)」に出演し一躍、有名となる。家紋は稲荷抱き稲紋。
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東北地方では、死者が出た家の門に、木を違えて立て、死者封じをしたという。
バッテンは洋の東西を問わず、死の世界と生の世界、異界と現実などを区切る印として用いられている。
また、藤原秀郷の百足退治伝説が家紋化した。棒は矢が簡略化したものと言われている。
二本松藩の丹羽氏の紋として有名だが、その由来は、丹羽氏の祖・長秀が血のついた刀を拭った紙を見た秀吉が、そのバッテンを家紋にするようにと命じたという伝説が伝わっている。
丹羽長秀。1535年10月16日 - 1585年5月15日、武将・大名。
尾張国春日井郡出身。丹羽長政の次男。信長の家臣として長篠の戦いや越前一向一揆征伐などで功を挙げる。本能寺の変後は秀吉派につく。江戸時代は代々二本松藩主として生き残る。家紋は丹羽違い木。画像は青山霊園の丹羽家墓所にて撮影。
遠山金四郎景元。1793年9月27日 - 1855年4月15日、旗本。
明知遠山氏の分家六代目にあたる。父親は長崎奉行を勤めた遠山左衛門尉景晋。正式名は遠山左衛門尉景元。江戸北町奉行を務める。時代劇『遠山の金さん』のモデルとして知られる。家紋は九字直違紋、丸に二引き両紋。画像は巣鴨の本妙寺にて撮影。
広沢真臣。1834年2月7日 - 1871年2月27日、政治家。
長州藩士・柏村安利の四男として誕生(幼名は季之進)。大久保利通らと共に討幕の密勅の降下にも尽力。維新の十傑の1人。維新後に刺客の襲撃によって暗殺された。『広沢真臣日記』は幕末維新史の一級資料として評価が高い。家紋は変り組違い棒紋。
丹羽基二。1919年9月5日 - 2006年8月7日、苗字研究家。
栃木県佐野市出身。國學院大学で柳田國男、折口信夫らに師事した。全国の100万基の墓を巡る。日本家系図学会会長、「地名を守る会」代表 。家紋、墓、仏足石、紋様などの研究も行う。代表作品『日本の伝統紋様』『お墓のはなし』『日本苗字大辞典』。
大川橋蔵(2代目)。1929年4月9日 - 1984年12月7日、時代劇俳優。
柳橋の芸妓の子として生まれ小野家の養子となる。本名は丹羽富成。六代目尾上菊五郎の妻・寺島千代の養子となり、その実家の丹羽姓を継ぐ。『銭形平次』はあたり役として18年間シリーズが続く。家紋は丸に違い棒紋。画像は雑司が谷墓地にて撮影。
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大陸から伝来した架空の花を紋章にしたのがこの唐花。
四弁の唐花は、花菱、花角ともいわれており、木瓜紋の中にも描かれている。
このページでは、四弁の唐花は扱わない。
宮崎県で22位、奈良県で27位、高知県で28位というのが比較的多いところ。
渋川春海。1639年12月27日 - 1715年11月1日、天文暦学者。
幕府碁方の安井算哲の子として京都四条室町に生まれた。初代幕府天文方に任ぜられ碁方は辞す。以降、天文方は世襲となる。地球儀、天球儀、渾天儀、百刻環などの天文機器を作成。画像は東京都品川区の東海寺の墓所にて。
伊能忠敬。1745年2月11日 - 1818年5月17日、測量家。
上総国山辺郡小関村出身。名主・小関五郎左衛門の子。測量・天文観測などを修めた後、17年をかけて全国を測量し精度の高い日本地図・「大日本沿海輿地全図」を作成。家紋は唐花紋と丸に鷹の羽紋。画像は上野・源空寺にて撮影。
税所篤。1827年12月22日- 1910年6月21日、武士、官僚。
薩摩藩士・税所篤倫の二男。若くして国学者・平田篤胤の門下となる。勘定所郡方に任じられ戊辰戦争では新政府軍の軍事費などの財政処理を務めた。関西の各県令・知事、霧島神社宮司を歴任。家紋は丸に亀甲に唐花紋。画像は青山霊園にて撮影。
山内勝明。1848年 - 1912年、外交官、宮中顧問官。
幕臣として江戸に出生。パリ万国博覧会に出席する将軍名代徳川昭武に随行。維新後は明治政府に出仕。陸軍、外務省で勤務を行う。その後は宮内省に入り大膳亮・式部寮御用掛・式部官・宮中顧問官を歴任。家紋は三つ割唐花紋。青山霊園にて撮影。
南里文雄。1910年11月24日 - 1975年8月4日、トランペット奏者。
大阪市南久宝寺町生まれ。終戦後、ホットペッパーズを結成。ハナ肇、市村俊幸などがメンバーとして名を連ねた。「日本のサッチモ」と呼ばれた。ジャズの賞「南里文雄賞」は彼の名前に由来している。家紋は丸に唐花紋。画像は鎌倉霊園で撮影。
エンセン井上。1967年4月15日 -、総合格闘家。
ハワイ州出身。日系アメリカ人4世。女子レスリング選手の山本美憂は元妻。柔術をバックボーンに修斗デビュー。PRIDE、新日本プロレスなどのリングに上がる。画像は自身の大和魂Tシャツデザインされている丸に唐花紋。左上腕に刺青もしている。
中村主水。江戸時代後期、江戸町奉行所の架空の同心。
職業は江戸町奉行所の同心。時代劇・必殺シリーズに登場する藤田まこと演じる侍。妻・りつ、姑・せんと三人で暮らす婿養子で、子供はいない。奥山神影流、御嶽新影流、小野派一刀流、一刀無心流の免許皆伝。奉行所では『昼行灯』を決め込んでいる。
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算木はもともと、中国古代の計算用の道具である。これが6本の木によって行う易経に発展する。
つまり算木には、もともと呪術的な意義があるのである。
上下の木の長さが同じところが引き両とは異なる。
新門辰五郎。1800年? - 1875年9月19日、町火消、鳶職、侠客。
父は中村金八。町田仁右衛門の養子。娘は江戸幕府15代将軍徳川慶喜の妾。鳥羽伏見の戦いの後に慶喜が大坂から江戸へ逃れた後、水戸、静岡での警護を務める。歌舞伎の「め組の喧嘩」の当事者。家紋は丸に二つ算木。画像は巣鴨の盛雲寺にて撮影。
高野長英。1804年6月12日 - 1850年12月3日、医者・蘭学者。
陸奥(後の陸前)仙台藩水沢留守家の藩医出身。シーボルトの鳴滝塾で医学・蘭学を学ぶ。1839年、蛮社の獄が勃発。幕政批判の咎で捕らえられる。主著はモリソン号事件の際の異国船打払令を批判した『戊戌夢物語』。家紋は折敷に二つ算木(二の字)。
奥宮健之。1857年12月27日 - 1911年1月24日、社会運動家。
土佐国土佐郡布師田村に出生。読みは、おくのみやけんし。三菱会社に入ったが自由党が結党されると入党。神田明神境内で人力車夫大懇親会を開いたという。幸徳事件で刑死。家紋は丸に丸に三つ木紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。
埴原正直。1876年8月25日 - 1934年12月20日、外交官。
山梨県中巨摩郡出身。読みは、はにはらまさなお。東洋経済新報社に勤務後、外務省に入省。加藤友三郎、幣原喜重郎とともにワシントン会議の全権委員に選任される。排日移民法案阻止のため尽力。家紋は丸に二本算木紋。画像は多磨霊園にて撮影。
谷村唯一郎。1887年4月5日 - 1982年5月29日、裁判官。
鹿児島県出身。読みは、たにむらただいちろう。戦前には東京弁護士会会長を務め戦後は司法省入りし司法次官として数々の法改正を手がける。最高裁判所裁判官の在野法曹界からの起用の第1号。家紋は丸に三本算木紋。画像は多磨霊園にて撮影。
江戸川乱歩。1894年10月21日 - 1965年7月28日、推理作家。
三重県名賀郡名張町出身。本名は平井太郎。祖父の代まで津藩士。少年愛、少女愛等への志向が強かったという。代表作は『怪人二十面相』『人間椅子』『黄金仮面』など。日本推理作家協会初代理事長。家紋は七宝に二つ算木。画像は多磨霊園にて撮影。
三木清。1897年1月5日 - 1945年9月26日、哲学者。
兵庫県揖保郡平井村小神出身。人間学を基礎とした独自のマルクス解釈を展開。治安維持法の容疑者をかくまったという嫌疑により検挙・拘留される。代表著作は『哲学入門』『人生論ノート』『哲学ノート』。家紋は丸に算木。画像は正見寺にて撮影。
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もともと中国では牡丹は百花の王と言われており、唐代の中央官僚達が、この牡丹の美しさを競ったといわれている。もちろん、そんな富貴な花は遣唐使を介して日本に伝わり、京都の貴族の観賞用の花となる。
そして、時代が下ると、この牡丹は、日本の家格では皇室に次ぐ摂家、つまり藤原氏宗家近衛家の紋。鷹司家が使用するようになるのである。
また、さらに時代が下ると、それら摂家の権威を利用しようと、どちらかといえば、辺境の雄藩である島津家、伊達家、津軽家などが、それら摂家から下賜されて使用するようになった。
また、牡丹紋は、成田山新勝寺の寺紋でもある。画像は、深川不動尊の牡丹紋。
荒木村重。1535年 - 1586年6月20日、戦国時代の武将。
摂津池田家の家臣・荒木信濃守義村の嫡男として池田に生まれる。三好三人衆の調略にのって寝返り池田家を掌握。後に三好家から織田信長に寝返り石山本願寺攻めなどで武功を挙げたが、さらに信長にも反旗を翻し徹底抗戦、最後は毛利氏に亡命。
津軽為信。1550年1月18日 - 1608年1月22日、戦国武将、大名。
大浦守信の嫡男(養子)で、弘前藩の初代藩主。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して、秀吉より所領を安堵された。元関白近衛前久の猶子となり、本姓を藤原とした。家紋の津軽牡丹は、その印として、近衛家から下賜された。牡丹紋の他、卍紋も使用。
島津斉彬。1809年 - 1858年7月16日、島津氏の第28代当主。
薩摩藩の富国強兵に成功した幕末の名君の一人。薩摩藩の第11代藩主。後に西郷隆盛ら幕末で活躍する人材も育て上げた。日本の国旗である日章旗を初めに提案した。有名な丸に十字紋と同時に、島津牡丹も使用している。
陸奥宗光。1844年8月20日 - 1897年8月24日、政治家、外交官。
紀州藩藩士伊達宗広の六男として出生。勝海舟の神戸海軍操練所に入り坂本龍馬の海援隊に加わるなど始終坂本と行動を共にした。日墨修好通商条約、日英通商航海条約等を締結。外務大臣として不平等条約の改正に辣腕を振るった。家紋は仙台牡丹。
白峰駿馬。1847年6月17日 - 1909年4月1日、武士、実業家。
長岡藩士・鵜殿瀬左衛門の三男に生まれる。勝海舟の門下生となり、長岡藩を脱藩し神戸海軍操練所に参加するが操練所の解散後は坂本龍馬が結成した亀山社中・海援隊に参加。白峯造船所を経営。家紋は枝葉敷き牡丹紋。画像は青山霊園にて撮影。
曾禰荒助。1849年2月20日 - 1910年9月13日、政治家。
長門国出身。萩藩士宍戸潤平の三男で、曾禰家の養子となる。初代の衆議院書記官長となる。第3次伊藤内閣司法相、第2次山県内閣農商務相、第1次桂内閣蔵相等を歴任。韓国統監に就任する。家紋は牡丹に七曜紋。画像は青山霊園にて撮影。
若山牧水。1885年8月24日 - 1928年9月17日、歌人。
宮崎県東臼杵郡東郷村の医師・若山立蔵の長男として生まれる。自然への愛、情熱的な恋、大の酒好きなどでも知られている。代表歌集は『海の声』『独り歌へる』『別離』等。家紋は杏葉牡丹。牡丹が杏葉の形状になって表現されている。
春風亭柳好(3代目)。1887年4月24日 - 1956年3月14日、落語家。
東京都台東区出身。本名は、松本亀太郎。「唄い調子」と言われる流麗な口調で多くのファンを獲得した。落語愛好家の間で「柳好」と言えば決まって「3代目」の事を指すともいわれている。得意ネタは「野ざらし」「がまの油」。家紋は敷き葉牡丹。
近衛文麿。1891年10月12日 - 1945年12月16日、政治家。
公爵近衛篤麿と旧加賀藩主で侯爵前田慶寧の三女・衍子の間の長男として、東京市麹町区で生まれた。日中戦争勃発、日独伊三国軍事同盟時の内閣総理大臣。第5代貴族院議長。第34、38、39代内閣総理大臣。細川護熙(内閣総理大臣)は外孫にあたる。
花川戸助六。江戸時代、歌舞伎の演目「助六」主人公の侠客。
「助六」は、江戸の古典歌舞伎を代表する演目の一つ。粋を具現化した洗練された江戸文化の極致として後々まで日本文化に決定的な影響を与えた。歌舞伎宗家市川團十郎家のお家芸である歌舞伎十八番の一つ。家紋の杏葉牡丹は元々市川團十郎の替紋。
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