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違い棒紋 -死者封じのバッテンが紋となる- 丹羽長秀、遠山金四郎、大川橋蔵...

31 12 月 2010 2 Comments


東北地方では、死者が出た家の門に、木を違えて立て、死者封じをしたという。
バッテンは洋の東西を問わず、死の世界と生の世界、異界と現実などを区切る印として用いられるのだ。
また、藤原秀郷の百足退治伝説が家紋化したとも言われる。棒は矢が簡略化したものというのだ。

この紋は二本松藩の丹羽氏の紋として有名だが、丹羽氏の祖・長秀が血のついた刀を拭った紙を見た秀吉が、そのバッテンを家紋にするようにと命じたという伝説が伝わっている。


丹羽長秀 。1535年10月16日 - 1585年5月15日、 武将・大名。
尾張国春日井郡出身。丹羽長政の次男。織田信長の家臣として長篠の戦いや越前一向一揆征伐などで功を挙げる。本能寺の変後は秀吉派につく。江戸時代は代々二本松藩主として生き残る。家紋は丹羽違い木。画像は青山霊園の丹羽家墓所にて撮影。


遠山金四郎景元 。1793年9月27日 - 1855年4月15日、 旗本。
明知遠山氏の分家六代目にあたる。父親は長崎奉行を勤めた遠山左衛門尉景晋。正式名は遠山左衛門尉景元。江戸北町奉行を務める。時代劇『遠山の金さん』のモデルとして知られる。家紋は九字直違紋、丸に二引き両紋。画像は巣鴨の本妙寺にて撮影。


広沢真臣 。1834年2月7日 - 1871年2月27日、 政治家。
長州藩出身。藩士・柏村安利の四男。読みは、ひろさわさねおみ。大久保利通らと共に討幕の密勅の降下に尽力。維新の十傑の1人。維新後に暗殺される。『広沢真臣日記』は幕末維新史の一級資料として評価が高い。家紋は変り組違い棒紋。


大川橋蔵(2代) 。1929年4月9日 - 1984年12月7日、 時代劇俳優。
東京都出身。柳橋の芸妓の子として生まれ小野家の養子となるがさらに六代目尾上菊五郎の妻・寺島千代の養子となり、実家の丹羽姓を継ぐ。本名は丹羽富成。『銭形平次』は当り役として18年間続く。家紋は丸に違い棒紋。画像は雑司が谷墓地にて撮影。

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