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波紋 -波乱万丈な人生を送った斉藤道三の個紋- 斉藤道三、小栗忠順、中村光夫...

31 12 月 2010 One Comment


波には海神が宿ると言われていた。その海神の力にあやかった紋。
特に、戦国時代の梟雄・斉藤道三の道三波紋はあまりにも有名だ。この斉藤道三といい、貴種流離譚、魔界転生、夫婦の永遠愛、因果応報など、あらゆる物語の典型を取り込んだ中世の説話「小栗判官」の主人公のモデルとなった小栗助重の小栗家といい、波紋はまさに”波乱万丈”の象徴の家紋ようにも思える。

実際は、寄せては返すその姿が兵法の妙に通じることから、戦国時代の武将の好みとあって家紋として採用されたとも言われている。(「家紋の事典」高澤等著)


斎藤道三 。1494年 - 1556年5月28日、 戦国武将。
美濃の戦国大名斎藤氏の初代当主。父は長井新左衛門尉。下克上大名の典型で、僧侶から油商人を経て、戦国大名にまで成り上がった。息子・義龍へ家督を譲ったが義龍と対立。義龍軍に敗れ討ち死にした。家紋は撫子紋と道三波紋と言われている。


山家公頼 。1579年 - 1620年7月29日、 武士。
出羽米沢出身。読みは、やんべきみより。伊達政宗の庶長子・秀宗が宇和島藩に封じられた際に藩惣奉行として同行。苛烈な藩政施策が藩主や他家臣との対立を招き、襲撃を受け死亡。死後、和霊神社(画像)が創建された。家紋は釘抜紋と抱き浪紋。


小栗忠順 。1827年 - 1868年5月27日、 幕臣。
江戸出身。父は新潟奉行・小栗忠高。読みは、おぐりただまさ。幕臣として財政再建、洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設を行う。娘・国子は大隈重信に引き取られた後、矢野龍渓弟と結婚。家紋は丸に五頭立浪紋。画像は小栗家菩提寺、普門院にて撮影。


松本良順 。1832年7月13日 - 1907年3月12日、 軍医、政治家。
江戸出身。父は、順天堂を営む佐藤泰然。外務大臣の林董は実弟。将軍侍医、幕府陸軍軍医、大日本帝国陸軍軍医総監を務めた。新選組の局長・近藤勇とも親交があり、隊士の診療も行う。家紋は抱き波紋。画像は大磯・妙大寺の墓碑を撮影。


田中不二麿 。1845年7月16日 - 1909年2月1日、 政治家。
尾張国名古屋城下出身。尾張藩士の子。岩倉使節団理事官となり、欧米に渡って教育制度の調査に当たる。帰国後は文部大輔まで進み、学制実施と教育令制定を主導した。島崎藤村の長編小説『夜明け前』にも登場。家紋の向い波紋は墓所写真にて確認。


中村光夫 。1911年2月5日 - 1988年7月12日、 文芸評論家、作家。
東京市下谷区練塀町出身。本名、木庭一郎。田山花袋の「蒲団」をはじめとして、私小説批判で有名。文芸評論家として唯一、1955年から30年間芥川賞選考委員を務めた。第6代日本ペンクラブ会長。家紋は抱き波に星紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


小栗判官 。中世、 伝説上の人物。
モデルは常陸国小栗城の城主である常陸小栗氏の小栗助重と言われている。小栗判官の物語は説経節、歌舞伎など多くに脚色されている。近年では梅原猛作・スーパー歌舞伎『オグリ』の元ともなる。画像は、小栗判官の墓がある藤沢市遊行寺にて撮影。

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まさむね

One Comment »

  • Lane said:

    HAD not been in Tahiti long just before I met Captain Nichols. He came in one particular morning when I was possessing breakfast on the terrace of the hotel and introduced himself. He had heard that I was considering Charles Strickland, and announced that he was come to have a speak about him. They may be as fond of gossip in Tahiti as in an English village, and one particular or two enquiries I had produced for photos by Strickland had been quickly spread. I asked the stranger if he had breakfasted.

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